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- カナリア諸島の人々 (モーリタニア)ヌアディブ
-
エリア:
- アフリカ>モーリタニア>モーリタニアその他の都市
- テーマ:その他
- 投稿日:2001/03/16 17:20
「あそこに見える建物には、日本人が沢山いるよ。彼らは仕事で来てるんだ。」
と、宿のオーナーの家族の少年。
昼食がてらにふらふら歩いていると、その建物の前で、日本人らしき男の人とすれ違う。
「こんにちは。」
と声を掛けると、
「Where are you from? I'm from South Korea.」
とその男の人は韓国人。
モロッコ西の沖に浮かぶスペイン領カナリア諸島に住んでいて、船舶関係の仕事でカナリア諸島のラパルマとここモーリタニアのヌアディブをしょっ中船で行き来しているそうだ。
どうやら宿の少年が言っていた「日本人」と言うのは、彼ら船舶関係の仕事に従事する韓国人の人々の事だったようだ。
「その船に私達が乗る事はできますか。」
カナリア諸島は、スペインのリゾートアイランドとして名高い。スペイン本土とは客船が往来している。
もしカナリア諸島まで船で行ければ、スペイン本土まで飛行機を使わず到達する事ができる。そう我々は今、アフリカ喜望峰から日本まで飛行機を使わず、陸路と船のみで帰る旅の「挑戦中」なのだ。
「それは無理だよ。」
と、その韓国人の人は、あっさり笑顔で返答する。
韓国人の人と別れ、少し歩くと、道沿いにある一軒の中華料理屋。入ってみるとやさしそうな中国人の女性と、ここにも韓国人のおじさんが1人。2人ともスペイン語を話している。
「お2人とも、もしかしたらラパルマから来ているのですか。」
「ええ、そうですよ。」
「ラパルマへは、ここヌアディブから船があると聞いたのですが。」
「ええ、その船で働く韓国人や中国人が沢山この店へやって来ますよ。」
「その船に私達が乗る事はできませんか。」
「船は貨物船だからね。それは無理だよ。」
韓国人のおじさんが指さした船の写真は、大きなコンテナを幾つも積んだ巨大な貨物船。やはり、そんな船に乗る訳には行かない様だ。
ただ、今日ひょんな事からわかって来た事は、どうやらスペイン領カナリア諸島のラパルマには、韓国人や中国人が沢山住んでいて仕事をしているようだという事。
そう言えば、トーゴとガーナの国境で車に乗せてくれた船舶関係の会社を経営する韓国人の南さんも、スペイン国籍を取得しラパルマに住んでいると言っていた。
きっとコリアン・レストランやチャイニーズ・レストランもあって、彼らのコミュニティーもしっかりでき上がっている事だろう。
単なるリゾート・アイランドのイメージしかなかったカナリア諸島だが、「色々」ある様で何だか興味が沸いて来る。
ダクラ行の外国人ツーリストの車だが、今日はフランス人カップルが運転するワゴン車が1台、キャンプサイト近くのガソリンスタンドに寄った所でヒッチハイクを試みるも、
「出入国で面倒臭い事になるのが心配だから。」
今日もカナリア諸島にも行けず、モロッコはダクラへも行けず・・・。
ヌアディブの街に来て早3日目の夜が過ぎようとしている。
【食事】
朝:バゲット、ピーナッツ
昼:リーポワソン、オレンジ
夜:チョコクリーム、バゲット、オレンジ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 250UG(モーリタニア・ウギア)
・(ヌアディブ)Camping Baie 1000UG/部屋泊1人(2泊目からの料金)
と、宿のオーナーの家族の少年。
昼食がてらにふらふら歩いていると、その建物の前で、日本人らしき男の人とすれ違う。
「こんにちは。」
と声を掛けると、
「Where are you from? I'm from South Korea.」
とその男の人は韓国人。
モロッコ西の沖に浮かぶスペイン領カナリア諸島に住んでいて、船舶関係の仕事でカナリア諸島のラパルマとここモーリタニアのヌアディブをしょっ中船で行き来しているそうだ。
どうやら宿の少年が言っていた「日本人」と言うのは、彼ら船舶関係の仕事に従事する韓国人の人々の事だったようだ。
「その船に私達が乗る事はできますか。」
カナリア諸島は、スペインのリゾートアイランドとして名高い。スペイン本土とは客船が往来している。
もしカナリア諸島まで船で行ければ、スペイン本土まで飛行機を使わず到達する事ができる。そう我々は今、アフリカ喜望峰から日本まで飛行機を使わず、陸路と船のみで帰る旅の「挑戦中」なのだ。
「それは無理だよ。」
と、その韓国人の人は、あっさり笑顔で返答する。
韓国人の人と別れ、少し歩くと、道沿いにある一軒の中華料理屋。入ってみるとやさしそうな中国人の女性と、ここにも韓国人のおじさんが1人。2人ともスペイン語を話している。
「お2人とも、もしかしたらラパルマから来ているのですか。」
「ええ、そうですよ。」
「ラパルマへは、ここヌアディブから船があると聞いたのですが。」
「ええ、その船で働く韓国人や中国人が沢山この店へやって来ますよ。」
「その船に私達が乗る事はできませんか。」
「船は貨物船だからね。それは無理だよ。」
韓国人のおじさんが指さした船の写真は、大きなコンテナを幾つも積んだ巨大な貨物船。やはり、そんな船に乗る訳には行かない様だ。
ただ、今日ひょんな事からわかって来た事は、どうやらスペイン領カナリア諸島のラパルマには、韓国人や中国人が沢山住んでいて仕事をしているようだという事。
そう言えば、トーゴとガーナの国境で車に乗せてくれた船舶関係の会社を経営する韓国人の南さんも、スペイン国籍を取得しラパルマに住んでいると言っていた。
きっとコリアン・レストランやチャイニーズ・レストランもあって、彼らのコミュニティーもしっかりでき上がっている事だろう。
単なるリゾート・アイランドのイメージしかなかったカナリア諸島だが、「色々」ある様で何だか興味が沸いて来る。
ダクラ行の外国人ツーリストの車だが、今日はフランス人カップルが運転するワゴン車が1台、キャンプサイト近くのガソリンスタンドに寄った所でヒッチハイクを試みるも、
「出入国で面倒臭い事になるのが心配だから。」
今日もカナリア諸島にも行けず、モロッコはダクラへも行けず・・・。
ヌアディブの街に来て早3日目の夜が過ぎようとしている。
【食事】
朝:バゲット、ピーナッツ
昼:リーポワソン、オレンジ
夜:チョコクリーム、バゲット、オレンジ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 250UG(モーリタニア・ウギア)
・(ヌアディブ)Camping Baie 1000UG/部屋泊1人(2泊目からの料金)
- パリダカ気分 (モーリタニア)ヌアディブ
-
エリア:
- アフリカ>モーリタニア>モーリタニアその他の都市
- テーマ:鉄道・乗り物
- 投稿日:2001/03/15 17:16
毎年開催されるパリ・ダカールラリー。
そのハイライトが、モーリタニアのサハラ砂漠越え。
特にヨーロッパで人気のこのラリー、テレビではその激しいレースとともにサハラ砂漠の美しいランドスケープも映し出され、人々を魅了しているようだ。
そんな人々の中に、お金に余裕があって、「車であのパリダカールのモーリタニアを走ってみたい」と言う人がいて、ヨーロッパから車でモーリタニア迄やって来るのだ。
公共の交通機関で国境を越えモロッコへ行く事が許されない外国人旅行者の我々は、モロッコのダクラまで、そんな人達の車をヒッチハイクして行く他ないのだ。
モーリタニアの砂漠を車で走ると言う事は、ただ事ではない。もちろんそれなり装備が必要で、砂漠を走る為にラリー車ばりの改造をほどこしたり、GPSを付けたりと、かなりお金がかかる。
そして、今日、我々の泊まるキャンプサイトに3台の車を連ねて現れたフランス人のひと家族。2台の4WD車と大きなキャンピングカー1台。
車から降りて来たおじいさんを捕まえて、
「もしダクラへ行くのなら連れてってもらえませんか。」
と聞くと、
「ダクラへ行く事は行くが、いつになるかわからんのだよ。3日後かも知れないし、5日後かも知れないし、もっと先かも知れない。私は雇われメカニックに過ぎんのでわからないんだよ。」
それぞれの車の扉が開いて、熟年の夫婦と娘が降りてくる。
その脇から車の中を覗き込むと、ビックリ。
1台の4WD車には大きな犬が2匹、もう1台の4WD車には鳥カゴに大きなオウム。豪華内装のキャンピングカー内のじゅうたんの上には猫もいる。
砂漠でのハードな移動で疲れてしまったのか、2匹の犬の内1匹の黒い犬は、グッタリしてしまっていて、無理矢理口を開けさせられ、薬を飲ませられている。
翌日、その家族は釣に行くと言ってどこかへ行ってしまったのだが、
「お金持にはお金持の遊び方があるんだな。」
と、Junkoと顔を見合わせる。
今日は他にも2台、ダクラへ行くという4WD車が現れたのだが、見るからにお金持ちそうなこちらも熟年のフランス人夫婦達、連れて行って貰えないかと尋ねると、「ノー、スペース」とあっさり断わられてしまう。
車を見ると、あと2人位は座れるスペースは充分ある様に見えるが、嫌がる人の車に無理矢理乗せてもらう訳にも行くまい。
何でも彼らは、余計な外国人を同乗させて、検問や国境でもめるのを恐れているのだとか。
この旅で何度も地元の車をヒッチハイクしてきた我々だが、
お金持の道楽中の車をヒッチハイクするのは、これまで以上に難しい様だ。
【食事】
朝:バゲット、ピーナッツ
昼:リーポワソン
夜:バゲット、クッキー、コーラ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 250UG(モーリタニア・ウギア)
・(ヌアディブ)Camping Baie 1000UG/部屋泊1人(2泊目からの料金)
そのハイライトが、モーリタニアのサハラ砂漠越え。
特にヨーロッパで人気のこのラリー、テレビではその激しいレースとともにサハラ砂漠の美しいランドスケープも映し出され、人々を魅了しているようだ。
そんな人々の中に、お金に余裕があって、「車であのパリダカールのモーリタニアを走ってみたい」と言う人がいて、ヨーロッパから車でモーリタニア迄やって来るのだ。
公共の交通機関で国境を越えモロッコへ行く事が許されない外国人旅行者の我々は、モロッコのダクラまで、そんな人達の車をヒッチハイクして行く他ないのだ。
モーリタニアの砂漠を車で走ると言う事は、ただ事ではない。もちろんそれなり装備が必要で、砂漠を走る為にラリー車ばりの改造をほどこしたり、GPSを付けたりと、かなりお金がかかる。
そして、今日、我々の泊まるキャンプサイトに3台の車を連ねて現れたフランス人のひと家族。2台の4WD車と大きなキャンピングカー1台。
車から降りて来たおじいさんを捕まえて、
「もしダクラへ行くのなら連れてってもらえませんか。」
と聞くと、
「ダクラへ行く事は行くが、いつになるかわからんのだよ。3日後かも知れないし、5日後かも知れないし、もっと先かも知れない。私は雇われメカニックに過ぎんのでわからないんだよ。」
それぞれの車の扉が開いて、熟年の夫婦と娘が降りてくる。
その脇から車の中を覗き込むと、ビックリ。
1台の4WD車には大きな犬が2匹、もう1台の4WD車には鳥カゴに大きなオウム。豪華内装のキャンピングカー内のじゅうたんの上には猫もいる。
砂漠でのハードな移動で疲れてしまったのか、2匹の犬の内1匹の黒い犬は、グッタリしてしまっていて、無理矢理口を開けさせられ、薬を飲ませられている。
翌日、その家族は釣に行くと言ってどこかへ行ってしまったのだが、
「お金持にはお金持の遊び方があるんだな。」
と、Junkoと顔を見合わせる。
今日は他にも2台、ダクラへ行くという4WD車が現れたのだが、見るからにお金持ちそうなこちらも熟年のフランス人夫婦達、連れて行って貰えないかと尋ねると、「ノー、スペース」とあっさり断わられてしまう。
車を見ると、あと2人位は座れるスペースは充分ある様に見えるが、嫌がる人の車に無理矢理乗せてもらう訳にも行くまい。
何でも彼らは、余計な外国人を同乗させて、検問や国境でもめるのを恐れているのだとか。
この旅で何度も地元の車をヒッチハイクしてきた我々だが、
お金持の道楽中の車をヒッチハイクするのは、これまで以上に難しい様だ。
【食事】
朝:バゲット、ピーナッツ
昼:リーポワソン
夜:バゲット、クッキー、コーラ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 250UG(モーリタニア・ウギア)
・(ヌアディブ)Camping Baie 1000UG/部屋泊1人(2泊目からの料金)
- どうやってサハラを越える? (モーリタニア)ヌアディブ
-
エリア:
- アフリカ>モーリタニア>モーリタニアその他の都市
- テーマ:その他
- 投稿日:2001/03/14 17:10
聞きしに勝るアイアン・トレイン。今時こんな列車が世の中を走っているなんて・・・。
心配をよそに、列車は朝9時過ぎヌアディブに到着。
心配をよそに、こんなザコ寝列車の中でも結構眠れてしまった自分達も末恐ろしい。
ヌアディブに到着した我々を、アブダライが彼が住むファミリー宅へ招待してくれる。
下町のマーケット脇の小さな門をくぐると、中は意外に広く、太陽の光が射しこむ明るい中庭をぐるっと囲むように8つ程大きな部屋が配置されている。
部屋にはじゅうたんが敷き詰められており、クツを脱いであがる。
お茶をごちそうになり、ファミリー(多分親戚のファミリー)にあいさつを済ますと、昨日の007の映画の様な派手な列車飛び降りをやってのけて腰が痛くなってしまったJunkoを残し、アブダライと2人でダクラ行のタクシーブルースと呼ばれる乗合ランドローバー乗場へ歩いて行く。
ところが、ダクラ行のタクシーブルースの事務所で聞くと、モーリタニア人以外が乗って国境を越えダクラに行くにはモロッコ領事館の特別な許可が必要で、それがないと切符も売ってもらえないし、乗る事はできないと言う。
そこですぐ、Junkoを連れて2人でヌアディブのモロッコ領事館に出向くも、
「それは不可能だ。外国人は外国人だけが乗る車でしか国境を越える事は許されない。自分の車が無いんなら、外国人ツーリストの車に乗せてもらうんなら問題はない。」
と門前払い。
ダクラまで乗合の交通機関があると聞いて、意外に簡単に行けるんじゃないかと楽観していたのだが、これでどうやらそう言う訳には行かなくなった様だ。
アブダライ・ファミリー宅に戻って、昼食をごちそうになると、泊まって行くようにすすめられたのだが、
「我々がダクラ迄行くには、もはや外国人ツーリストの車をヒッチハイクするしかない。今夜からでもキャンプサイトに泊まって、ヒッチハイクする車を探すよ。」
と夕方、街の真ん中にあるキャンプ場の部屋にチェックイン。
そこに停車するキャンピングカー1台、4WD車2台。尋ねるとどれもダクラから来てヌアクショットへ向かうとの事。
ダクラへ向かう車は1台もなかった。
【食事】
朝:クッキー、パン、ピーナッツミルク
昼:バゲット、炊込ライス(アブダライ・ファミリー宅でごちそうになる)
夜:パン、クッキー、ピーナッツ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 250UG(モーリタニア・ウギア)
・(ヌアディブ)Camping Baie 1500UG/部屋泊1人1泊目(2泊目からは1000UG/1人)
心配をよそに、列車は朝9時過ぎヌアディブに到着。
心配をよそに、こんなザコ寝列車の中でも結構眠れてしまった自分達も末恐ろしい。
ヌアディブに到着した我々を、アブダライが彼が住むファミリー宅へ招待してくれる。
下町のマーケット脇の小さな門をくぐると、中は意外に広く、太陽の光が射しこむ明るい中庭をぐるっと囲むように8つ程大きな部屋が配置されている。
部屋にはじゅうたんが敷き詰められており、クツを脱いであがる。
お茶をごちそうになり、ファミリー(多分親戚のファミリー)にあいさつを済ますと、昨日の007の映画の様な派手な列車飛び降りをやってのけて腰が痛くなってしまったJunkoを残し、アブダライと2人でダクラ行のタクシーブルースと呼ばれる乗合ランドローバー乗場へ歩いて行く。
ところが、ダクラ行のタクシーブルースの事務所で聞くと、モーリタニア人以外が乗って国境を越えダクラに行くにはモロッコ領事館の特別な許可が必要で、それがないと切符も売ってもらえないし、乗る事はできないと言う。
そこですぐ、Junkoを連れて2人でヌアディブのモロッコ領事館に出向くも、
「それは不可能だ。外国人は外国人だけが乗る車でしか国境を越える事は許されない。自分の車が無いんなら、外国人ツーリストの車に乗せてもらうんなら問題はない。」
と門前払い。
ダクラまで乗合の交通機関があると聞いて、意外に簡単に行けるんじゃないかと楽観していたのだが、これでどうやらそう言う訳には行かなくなった様だ。
アブダライ・ファミリー宅に戻って、昼食をごちそうになると、泊まって行くようにすすめられたのだが、
「我々がダクラ迄行くには、もはや外国人ツーリストの車をヒッチハイクするしかない。今夜からでもキャンプサイトに泊まって、ヒッチハイクする車を探すよ。」
と夕方、街の真ん中にあるキャンプ場の部屋にチェックイン。
そこに停車するキャンピングカー1台、4WD車2台。尋ねるとどれもダクラから来てヌアクショットへ向かうとの事。
ダクラへ向かう車は1台もなかった。
【食事】
朝:クッキー、パン、ピーナッツミルク
昼:バゲット、炊込ライス(アブダライ・ファミリー宅でごちそうになる)
夜:パン、クッキー、ピーナッツ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 250UG(モーリタニア・ウギア)
・(ヌアディブ)Camping Baie 1500UG/部屋泊1人1泊目(2泊目からは1000UG/1人)
- アンビリーバブル!アイアン・トレイン (モーリタニア)シンゲッティ→アタール→ショム→ヌアディブ
-
エリア:
- アフリカ>モーリタニア>モーリタニアその他の都市
- テーマ:鉄道・乗り物
- 投稿日:2001/03/13 17:00
「朝6時頃、アタール行の乗合自動車が宿の前を通る」と、宿の人に聞いていたので、朝6時前、宿を出て、宿の前の道端に荷物を置いて車を待つ。
ところが待てど暮らせど車は来ない所か、静まり返ったシンゲッティの街自体に車のエンジンの音など一つも聞こえて来ない。
乾いた砂漠の街の朝は寒い。
両腕両足をピタッと閉じ、身を小さくして、待ちぼうけする事1時間半。どこからともなく車のエンジン音が聞こえてくる。
すかさずエンジン音が聞こえて来る方へ走り寄る。車は小型トラックだが乗合ではなさそうだ。
手を挙げて車を止める。
「アタール?」
久しぶりのヒッチハイク。妥協した金額は乗合よりかなり割高だったが、座席に2人きりでゆうゆうと座れる。車の状態も良い。
荷台にバックパックを放りのせ、車に乗り込む。
それにしても、モーリタニアに入ってから、野宿に、トラックの荷台での移動、そして今度はヒッチハイク。
西アフリカに入って比較的快適に旅をしていたのだが、やはりサハラの旅はそうは楽はさせてもらえない様だ。
そして、アタールから乗合4×4に乗り継いででショムに向かうと、そこはもう道路と言うには程遠い、いわゆるピスト。
砂漠の中の道無き道を、車高の高い4×4でグイグイ進んで行く。
午後1時半過ぎに着いたショムの街は、ガランとした砂漠の中の荒地に敷かれたむき出しの鉄道のレールの横に、数軒小さなほったて小屋の様な四角い建物が並んでいるだけ。
同じ乗合4×4に乗っていたヌアディブへ行くと言う英語が喋れるオジサンをつかまえて、
「駅はどこですか?」
と聞くと、
「列車が来るのは5時頃だから、しばらくここで休んで行こうよ。駅へはその頃一緒に行きましょう。」
おじさんについて、地ベタにじゅうたんが敷かれたそれはそれは質素なレストランへクツをぬいで入る。
アブダライと名乗るそのおじさん、今はモロッコ管轄で未だ独立問題がくすぶる西サハラの人で、今はモーリタニアはヌアディブのファミリーの所(多分親せきの家族)に寄せてもらっているそうだ。
「ヌアディブからダグラへ行きたいのだが、公共の交通機関はあるのですか?」
ダクラとはモロッコ/西サハラの街、モーリタニアから国境を越えてダグラ迄行くのは難しいという噂だが、確かな情報は持ち合わせていない。アブダライに尋ねると、
「Yes イエス。乗合のランドローバーがダグラ迄出てるよ。」
何だ、乗合があるって事は、思っていたよりも簡単に国境を越えてダグラへ行けそうだ。この時ばかりはそう思って楽観していたのだが・・・。
手づかみで、昼食に洗面器に盛られたご飯を食べた後、アブダライや他の人達と、レストランのじゅうたんの上で茶を飲み横になって列車の時間を待つ。
これがこちらモーリタニアン・スタイルなのだ。
寝そべってレストランの建物をよく見てみると、太い鉄道のレールを組んで作られている。
すぐそこに敷かれた鉄道の脇には、要らなくなったレールその他がガレキの山となって、放り捨てられている。そこから拾ってきた廃材で家を建てたのだろう。
隙間だらけだが、ここは砂漠の街、雨も降らないだろうし、鉄筋だから丈夫に違いない。
夕方6時過ぎ、アブダライについて小型トラックの荷台に乗り、駅舎もホームもない駅と呼ばれる砂漠の荒野のレール脇へ行って、列車を待つ。
澄んだ乾ききった大気の中、夕日に染まる広大な焼けた大地が美しい。
「ガガン、ガガン」
午後7時前、そんな美しいランドスケープをバックに、ディーゼル機関車に引かれた列車の先頭がゆっくりと視界に入ってくる。
そして列車が目の前を通り掛かり始めると、自分もJunkoも唖然。
次々に目の前を通り過ぎるどでかく頑丈そうな、石炭の様な人の体より大きい石をのせた貨車。何とこれが延々と連なっているのだ。軽く100両以上はあるだろう。
こんなにでかく長い列車は今迄に見た事もない。
通称「アイアン・トレイン」。石炭の様な貨車に積まれたどでかい鉱石は鉄鉱石。
この列車はモーリタニアの主要産物の鉄鉱石を運ぶ輸送列車で、延々と続く貨車の最後の、大蛇の尾の先にわずか2両ばかりつながれた客車は「ついで」なのだ。
Junkoと2人で口をあんぐり開けて、その様を眺めていると、突然、それまで物腰も静かだった紳士、アブダライが叫ぶ。
「クイックリー!!」
見ると、アブダライは走り出したトラックのヘリにつかまって我々を呼んでいる。
「そんな、突然そんな事言われても。」
重いバックパックを背負った肩と腰に渾身の力を込めて、走り出したトラックを追いかけ、その荷台のヘリにつかまるように飛び乗る。
我々がこれから乗ろうとしているアイアントレイン、貨車が100両以上もある為、列車の長さは軽く1km以上。列車は、だいたいの位置でわずかな時間停車するだけ。
末尾に繋がれた2両ばかりの客車がどこに止まるかわからないので、車で追いかけなければならないのだ。
下手をすれば1km以上も離れた客車迄、わずかな停車時間に人の足で走って行く事はできないのだ。
荷台のヘリにしがみつく我々を乗せ、チビトラックは列車の客車を追いかける。
「キュー、ガッタン」
列車が停まった。だが車は急に停まれない。トラックは客車を追い越してしまう。
「飛び降りろー!!」
トラックが数m客車を追い越してしまった所で、トラックのヘリから地面に飛び降り、客車に向かって全速力で走る。
たどり着いた客車の入口は、降りる人と乗る人でごった返している。
何と言ってもこの巨大なアイアン・トレイン、末尾に繋がれた客車と先頭のディーゼル機関車のけん引車まで、その距離1km以上、けん引車の乗務員は1km以上後ろの客車がどこに止まろうと、客の乗り降りの最中だろうと知ったこっちゃないのだ。
適当に停まり、適当に出発するだけ。
急いで乗り降りしないと何の合図もなく列車は又、突然走り始めるのだ。
「何でたかが列車に乗るだけで、ここ迄しなくちゃいけないんだ・・・。」
Junkoはこのせいで、しばらく腰が痛くなってしまったそうだ。
乗降車する人でごった返す小さな入口に、身体と荷物を押し込み、やっとの思いで客車に乗り込むと、またしても唖然。
木造の客車には座席も窓もない。乗客は皆ザコ寝、窓の替わりに、小さな覗き窓が幾つかあるだけ。
「こりゃ客車と言うよりほとんど貨車だ。」
トイレには扉もない。
列車は夜行。夜通し走り続け翌朝ヌアディブに到着する予定だ。
何とか、我々の荷物を置く場所と、寝るスペースだけは確保。
「どうだい、日本の列車とは違ってるかい?」
とアブダライ。
「違ってるも何も・・・」
と、返す言葉が見つからず、ただただ「Yes」とうなづくしかない。
夜、アイアン・トレインでは、まだまだ信じられない事が次々続く。
窓もシートも無い客車には、ちろん電灯などない。
真っ暗な車内を、各々の乗客が持ち合わせた懐中電灯で照らしている。
ウトウトしていたら、急に車内がそれ迄より薄明るくなったので見てみると、何と、火を灯したロウソクをヒモで天井から吊るしてランプ替わりにしているではないか。
更に脇を見ると、ガスコンロでお茶を沸かしているやからまでいる。
列車は時折、「ガタン」とかなり揺れる。その度、客車内の天井に吊るされたロウソクは振り子のように右に左に大きく振れる。火の付いたガスコンロも幾度となく木の床に倒れる。
「火事になったらどうすんだよ!!」
自分もJunkoも目を丸くし、開いた口はふさがらない。
ディーゼルのけん引車はここから1km以上も先、この車両が火事になろうが、きっと知ったこっちゃないだろう。
アイアン・トレインは、夜通し砂漠の真中を走り続ける。
火事にでもなったら、夜の砂漠へ、列車を飛び降りて逃げるしかないのだろうか。
今夜は長い夜になりそうだ。
【食事】
朝:パン、クッキー、ピーナッツ
昼:肉入炊込ライス、
夜:なし
【トラベルメモ】
1US$ ≒250UG(モーリタニア・ウギア)
・シンゲッティ→アタール(4×4小型トラックをヒッチ/座席に乗車) 1時間半弱 5000UG/2人
・アタール→ショム(乗合4×4/TOYOTA)2時間半 1500UG+100UG/荷1コ
・ショム→ヌアディブ(夜行列車:「もう2度と乗りたくない」)19:00発 翌9:00着 11時間 800UG/1人
ところが待てど暮らせど車は来ない所か、静まり返ったシンゲッティの街自体に車のエンジンの音など一つも聞こえて来ない。
乾いた砂漠の街の朝は寒い。
両腕両足をピタッと閉じ、身を小さくして、待ちぼうけする事1時間半。どこからともなく車のエンジン音が聞こえてくる。
すかさずエンジン音が聞こえて来る方へ走り寄る。車は小型トラックだが乗合ではなさそうだ。
手を挙げて車を止める。
「アタール?」
久しぶりのヒッチハイク。妥協した金額は乗合よりかなり割高だったが、座席に2人きりでゆうゆうと座れる。車の状態も良い。
荷台にバックパックを放りのせ、車に乗り込む。
それにしても、モーリタニアに入ってから、野宿に、トラックの荷台での移動、そして今度はヒッチハイク。
西アフリカに入って比較的快適に旅をしていたのだが、やはりサハラの旅はそうは楽はさせてもらえない様だ。
そして、アタールから乗合4×4に乗り継いででショムに向かうと、そこはもう道路と言うには程遠い、いわゆるピスト。
砂漠の中の道無き道を、車高の高い4×4でグイグイ進んで行く。
午後1時半過ぎに着いたショムの街は、ガランとした砂漠の中の荒地に敷かれたむき出しの鉄道のレールの横に、数軒小さなほったて小屋の様な四角い建物が並んでいるだけ。
同じ乗合4×4に乗っていたヌアディブへ行くと言う英語が喋れるオジサンをつかまえて、
「駅はどこですか?」
と聞くと、
「列車が来るのは5時頃だから、しばらくここで休んで行こうよ。駅へはその頃一緒に行きましょう。」
おじさんについて、地ベタにじゅうたんが敷かれたそれはそれは質素なレストランへクツをぬいで入る。
アブダライと名乗るそのおじさん、今はモロッコ管轄で未だ独立問題がくすぶる西サハラの人で、今はモーリタニアはヌアディブのファミリーの所(多分親せきの家族)に寄せてもらっているそうだ。
「ヌアディブからダグラへ行きたいのだが、公共の交通機関はあるのですか?」
ダクラとはモロッコ/西サハラの街、モーリタニアから国境を越えてダグラ迄行くのは難しいという噂だが、確かな情報は持ち合わせていない。アブダライに尋ねると、
「Yes イエス。乗合のランドローバーがダグラ迄出てるよ。」
何だ、乗合があるって事は、思っていたよりも簡単に国境を越えてダグラへ行けそうだ。この時ばかりはそう思って楽観していたのだが・・・。
手づかみで、昼食に洗面器に盛られたご飯を食べた後、アブダライや他の人達と、レストランのじゅうたんの上で茶を飲み横になって列車の時間を待つ。
これがこちらモーリタニアン・スタイルなのだ。
寝そべってレストランの建物をよく見てみると、太い鉄道のレールを組んで作られている。
すぐそこに敷かれた鉄道の脇には、要らなくなったレールその他がガレキの山となって、放り捨てられている。そこから拾ってきた廃材で家を建てたのだろう。
隙間だらけだが、ここは砂漠の街、雨も降らないだろうし、鉄筋だから丈夫に違いない。
夕方6時過ぎ、アブダライについて小型トラックの荷台に乗り、駅舎もホームもない駅と呼ばれる砂漠の荒野のレール脇へ行って、列車を待つ。
澄んだ乾ききった大気の中、夕日に染まる広大な焼けた大地が美しい。
「ガガン、ガガン」
午後7時前、そんな美しいランドスケープをバックに、ディーゼル機関車に引かれた列車の先頭がゆっくりと視界に入ってくる。
そして列車が目の前を通り掛かり始めると、自分もJunkoも唖然。
次々に目の前を通り過ぎるどでかく頑丈そうな、石炭の様な人の体より大きい石をのせた貨車。何とこれが延々と連なっているのだ。軽く100両以上はあるだろう。
こんなにでかく長い列車は今迄に見た事もない。
通称「アイアン・トレイン」。石炭の様な貨車に積まれたどでかい鉱石は鉄鉱石。
この列車はモーリタニアの主要産物の鉄鉱石を運ぶ輸送列車で、延々と続く貨車の最後の、大蛇の尾の先にわずか2両ばかりつながれた客車は「ついで」なのだ。
Junkoと2人で口をあんぐり開けて、その様を眺めていると、突然、それまで物腰も静かだった紳士、アブダライが叫ぶ。
「クイックリー!!」
見ると、アブダライは走り出したトラックのヘリにつかまって我々を呼んでいる。
「そんな、突然そんな事言われても。」
重いバックパックを背負った肩と腰に渾身の力を込めて、走り出したトラックを追いかけ、その荷台のヘリにつかまるように飛び乗る。
我々がこれから乗ろうとしているアイアントレイン、貨車が100両以上もある為、列車の長さは軽く1km以上。列車は、だいたいの位置でわずかな時間停車するだけ。
末尾に繋がれた2両ばかりの客車がどこに止まるかわからないので、車で追いかけなければならないのだ。
下手をすれば1km以上も離れた客車迄、わずかな停車時間に人の足で走って行く事はできないのだ。
荷台のヘリにしがみつく我々を乗せ、チビトラックは列車の客車を追いかける。
「キュー、ガッタン」
列車が停まった。だが車は急に停まれない。トラックは客車を追い越してしまう。
「飛び降りろー!!」
トラックが数m客車を追い越してしまった所で、トラックのヘリから地面に飛び降り、客車に向かって全速力で走る。
たどり着いた客車の入口は、降りる人と乗る人でごった返している。
何と言ってもこの巨大なアイアン・トレイン、末尾に繋がれた客車と先頭のディーゼル機関車のけん引車まで、その距離1km以上、けん引車の乗務員は1km以上後ろの客車がどこに止まろうと、客の乗り降りの最中だろうと知ったこっちゃないのだ。
適当に停まり、適当に出発するだけ。
急いで乗り降りしないと何の合図もなく列車は又、突然走り始めるのだ。
「何でたかが列車に乗るだけで、ここ迄しなくちゃいけないんだ・・・。」
Junkoはこのせいで、しばらく腰が痛くなってしまったそうだ。
乗降車する人でごった返す小さな入口に、身体と荷物を押し込み、やっとの思いで客車に乗り込むと、またしても唖然。
木造の客車には座席も窓もない。乗客は皆ザコ寝、窓の替わりに、小さな覗き窓が幾つかあるだけ。
「こりゃ客車と言うよりほとんど貨車だ。」
トイレには扉もない。
列車は夜行。夜通し走り続け翌朝ヌアディブに到着する予定だ。
何とか、我々の荷物を置く場所と、寝るスペースだけは確保。
「どうだい、日本の列車とは違ってるかい?」
とアブダライ。
「違ってるも何も・・・」
と、返す言葉が見つからず、ただただ「Yes」とうなづくしかない。
夜、アイアン・トレインでは、まだまだ信じられない事が次々続く。
窓もシートも無い客車には、ちろん電灯などない。
真っ暗な車内を、各々の乗客が持ち合わせた懐中電灯で照らしている。
ウトウトしていたら、急に車内がそれ迄より薄明るくなったので見てみると、何と、火を灯したロウソクをヒモで天井から吊るしてランプ替わりにしているではないか。
更に脇を見ると、ガスコンロでお茶を沸かしているやからまでいる。
列車は時折、「ガタン」とかなり揺れる。その度、客車内の天井に吊るされたロウソクは振り子のように右に左に大きく振れる。火の付いたガスコンロも幾度となく木の床に倒れる。
「火事になったらどうすんだよ!!」
自分もJunkoも目を丸くし、開いた口はふさがらない。
ディーゼルのけん引車はここから1km以上も先、この車両が火事になろうが、きっと知ったこっちゃないだろう。
アイアン・トレインは、夜通し砂漠の真中を走り続ける。
火事にでもなったら、夜の砂漠へ、列車を飛び降りて逃げるしかないのだろうか。
今夜は長い夜になりそうだ。
【食事】
朝:パン、クッキー、ピーナッツ
昼:肉入炊込ライス、
夜:なし
【トラベルメモ】
1US$ ≒250UG(モーリタニア・ウギア)
・シンゲッティ→アタール(4×4小型トラックをヒッチ/座席に乗車) 1時間半弱 5000UG/2人
・アタール→ショム(乗合4×4/TOYOTA)2時間半 1500UG+100UG/荷1コ
・ショム→ヌアディブ(夜行列車:「もう2度と乗りたくない」)19:00発 翌9:00着 11時間 800UG/1人
- サハラに浮かぶ古代都市、世界遺産「シンゲッティ」 (モーリタニア)アタール→シンゲッテ
-
エリア:
- アフリカ>モーリタニア>モーリタニアその他の都市
- テーマ:世界遺産
- 投稿日:2001/03/12 16:24
灼熱の砂漠の中を走るシンゲッティ行の交通機関は、1日1〜2本あればいい、乗合のトラック。
座席もある事はあるが、既に地元の人の予約(口約束)でいっぱい。
荷台に積まれた荷物の上で、頭にターバンを巻き、顔には日焼け止め、防塵メガネを付けて、完全防備態勢で身を引き締める。
昨日、ヌアクショットからアタール迄の道のりは砂漠の中の平坦な一本道だったが、今日のアタールからシンゲッティ迄の道は、乾いたガレキ砂漠の峠を一つ越える。
緑の無い焼けた地肌むき出しの峠は、まるで火星かどこかのようだ。
砂漠の峠を越えてしばらく進むと、乗合トラックは停車。座席に乗っていた一家族が降りて行く。
また少し進むと、今度は荷台に座っていたおじさんも降車。
どちらも、見渡す限り家など一軒も見当たらない砂漠のど真ん中。
こんな所で降りて一、体どこに行くと言うのだろうか。全く持ってミステリアスだ。
午後、夕刻前、容赦ない日射しが照りつけるシンゲッティの街に到着。
かつて、サハラ砂漠のラクダ交易の中継都市として栄えた街並がそのまま残る、世界遺産の街シンゲッティ。
広大なサハラの砂丘を背景にしたその街並は、街と言うよりは村、集落と言っていいだろう。
夕方、食事が取れる所を探したが、ホテル以外で食事が取れる所はなく、露店のおばさんからパンなどを買って、夕食につまむ。
砂丘の向こうに日が沈みかけた頃、静か過ぎる街中に、涼を求めてかポツリ、ポツリと人影が増し始める。
薄い布をひる返しながら少女達がじゃれ合い、たわむれ、遠く夕暮れの斜めの日射しにその芸術的な曲線の影を作りサンドベージュに染まる砂丘を、眺める。
この街でする事は、何も無い。
悠久と変わらぬその時間を、彼女達とともに味わう事以外は。
【食事】
朝:パン
昼:パン
夜:パン、ピーナッツ、クッキー、コーラ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 250UG(モーリタニア・ウギア)
・アタール→シンゲッティ(乗合小型4WDトラック) 約2時間 1200UG/1人
【宿】
(シンゲッティ)Auberge Cara rano 1000UG/1人
座席もある事はあるが、既に地元の人の予約(口約束)でいっぱい。
荷台に積まれた荷物の上で、頭にターバンを巻き、顔には日焼け止め、防塵メガネを付けて、完全防備態勢で身を引き締める。
昨日、ヌアクショットからアタール迄の道のりは砂漠の中の平坦な一本道だったが、今日のアタールからシンゲッティ迄の道は、乾いたガレキ砂漠の峠を一つ越える。
緑の無い焼けた地肌むき出しの峠は、まるで火星かどこかのようだ。
砂漠の峠を越えてしばらく進むと、乗合トラックは停車。座席に乗っていた一家族が降りて行く。
また少し進むと、今度は荷台に座っていたおじさんも降車。
どちらも、見渡す限り家など一軒も見当たらない砂漠のど真ん中。
こんな所で降りて一、体どこに行くと言うのだろうか。全く持ってミステリアスだ。
午後、夕刻前、容赦ない日射しが照りつけるシンゲッティの街に到着。
かつて、サハラ砂漠のラクダ交易の中継都市として栄えた街並がそのまま残る、世界遺産の街シンゲッティ。
広大なサハラの砂丘を背景にしたその街並は、街と言うよりは村、集落と言っていいだろう。
夕方、食事が取れる所を探したが、ホテル以外で食事が取れる所はなく、露店のおばさんからパンなどを買って、夕食につまむ。
砂丘の向こうに日が沈みかけた頃、静か過ぎる街中に、涼を求めてかポツリ、ポツリと人影が増し始める。
薄い布をひる返しながら少女達がじゃれ合い、たわむれ、遠く夕暮れの斜めの日射しにその芸術的な曲線の影を作りサンドベージュに染まる砂丘を、眺める。
この街でする事は、何も無い。
悠久と変わらぬその時間を、彼女達とともに味わう事以外は。
【食事】
朝:パン
昼:パン
夜:パン、ピーナッツ、クッキー、コーラ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 250UG(モーリタニア・ウギア)
・アタール→シンゲッティ(乗合小型4WDトラック) 約2時間 1200UG/1人
【宿】
(シンゲッティ)Auberge Cara rano 1000UG/1人
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