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- つらく厳しい・・ (エチオピア)コンソ
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エリア:
- アフリカ>エチオピア>エチオピアその他の都市
- テーマ:街中・建物・景色 ホテル・宿泊
- 投稿日:2000/11/30 17:37
コンソの街はとても小さい。大きなじゃりの道沿に、わずかばかりの商店が並んでいるだけ。
道裏の奥まった広場のマーケットもそれなりに賑わってはいるものの、興味を魅かれるようなものも少なく、今思うと華やかなボレロ族が歩くヤベロの街の方が面白味があった。
それにしても暑い。午前中少し歩いただけで、体中から汗が溢れ、ヘトヘトだ。
道脇の日陰に座って休んでいると、道の向こうから「ウォーッ」と言う雄叫びとももに、何百人もの人々が背中に何本もの重そうな木を背負って歌いながら歩いてくる。
小さい子供から大人、お年寄り、男も女も皆かなりムリな前傾姿勢で、ゾウリや裸足の足で、かなりキツそうだ。
中には途中で疲れ切って倒れてしまったのか、タンカで運ばれる人の姿も。
何でも学校を作る事になったとか。学校が出来るのは良い事だが、その為にこんなに大勢の人がこんなに厳しい仕事を強いられるとは。
村を挙げての大商いという事なのかも知れないが、彼らの生活の厳しさを感じずには居られない光景だ。
夕方、宿に戻ってシャワーを浴びようとすると、宿の人が、今日の宿代、10ブル払えと言って来る。
「昨日は7ブルだったじゃないか。同じ部屋だろう。」
と言うと
「昨日と今日は違う。」
と言う。
「だったら宿を移る。」
と言うと、
「今まで部屋を使ってるんだから宿代10ブルは払え。」
と押問答。
それにしても同じ部屋に連泊して、突然夕方に昨日より高くなった、もう部屋は使ってるだろうと言うヤリ口はないだろう。
さすがに今回は自分もJunkoもカンカン。激しくまくし立てると、結局昨日と同じ7ブルで良い事に。
実はエチオピア人は同じタイプの部屋を6ブルで利用しているのだ。それでも、まあ外国人相手に1ブル位色を付けられるのも仕方ないなと昨日7ブルで妥協してあげたのがいけなかったのか。
夜、仕事が終わった松本さんが
「ジンカ行のバスは明日、9:30〜11:00の間にそこから出るそうなので、一緒に行きましょう。」
と教えてくれる。
松本さんはこちらのアムハラ語が少し喋れるのだ。これは心強い味方を得た。
ジンカ迄は、バスで2〜3時間、ジンカには銀行があるとの事なので、明日の午後には両替できそうだと、晩ご飯にわずか10セント(≒1円足らず)の豆料理(アシキタ)を食べる。銀行のないここコンソでは両替ができず、現地通過不足なのだ。
物価の安いここエチオピアで豪遊できるのはいつの日か。
【食事】
朝:アンバシャ
昼:豆、アンバシャ、インジェラ
夜:アシキタ(豆)、アンバシャ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 8B(エチオピア・ブル)
【宿】・(コンソ)St.ManyHotel 7B/1室
・本文にある通り、コンソではSt.ManyHotelは避けましょう。他にホテルは幾つもあります。
道裏の奥まった広場のマーケットもそれなりに賑わってはいるものの、興味を魅かれるようなものも少なく、今思うと華やかなボレロ族が歩くヤベロの街の方が面白味があった。
それにしても暑い。午前中少し歩いただけで、体中から汗が溢れ、ヘトヘトだ。
道脇の日陰に座って休んでいると、道の向こうから「ウォーッ」と言う雄叫びとももに、何百人もの人々が背中に何本もの重そうな木を背負って歌いながら歩いてくる。
小さい子供から大人、お年寄り、男も女も皆かなりムリな前傾姿勢で、ゾウリや裸足の足で、かなりキツそうだ。
中には途中で疲れ切って倒れてしまったのか、タンカで運ばれる人の姿も。
何でも学校を作る事になったとか。学校が出来るのは良い事だが、その為にこんなに大勢の人がこんなに厳しい仕事を強いられるとは。
村を挙げての大商いという事なのかも知れないが、彼らの生活の厳しさを感じずには居られない光景だ。
夕方、宿に戻ってシャワーを浴びようとすると、宿の人が、今日の宿代、10ブル払えと言って来る。
「昨日は7ブルだったじゃないか。同じ部屋だろう。」
と言うと
「昨日と今日は違う。」
と言う。
「だったら宿を移る。」
と言うと、
「今まで部屋を使ってるんだから宿代10ブルは払え。」
と押問答。
それにしても同じ部屋に連泊して、突然夕方に昨日より高くなった、もう部屋は使ってるだろうと言うヤリ口はないだろう。
さすがに今回は自分もJunkoもカンカン。激しくまくし立てると、結局昨日と同じ7ブルで良い事に。
実はエチオピア人は同じタイプの部屋を6ブルで利用しているのだ。それでも、まあ外国人相手に1ブル位色を付けられるのも仕方ないなと昨日7ブルで妥協してあげたのがいけなかったのか。
夜、仕事が終わった松本さんが
「ジンカ行のバスは明日、9:30〜11:00の間にそこから出るそうなので、一緒に行きましょう。」
と教えてくれる。
松本さんはこちらのアムハラ語が少し喋れるのだ。これは心強い味方を得た。
ジンカ迄は、バスで2〜3時間、ジンカには銀行があるとの事なので、明日の午後には両替できそうだと、晩ご飯にわずか10セント(≒1円足らず)の豆料理(アシキタ)を食べる。銀行のないここコンソでは両替ができず、現地通過不足なのだ。
物価の安いここエチオピアで豪遊できるのはいつの日か。
【食事】
朝:アンバシャ
昼:豆、アンバシャ、インジェラ
夜:アシキタ(豆)、アンバシャ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 8B(エチオピア・ブル)
【宿】・(コンソ)St.ManyHotel 7B/1室
・本文にある通り、コンソではSt.ManyHotelは避けましょう。他にホテルは幾つもあります。
- トラックの、荷台で揺られて (エチオピア)ヤベロ→コンソ
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エリア:
- アフリカ>エチオピア>エチオピアその他の都市
- テーマ:鉄道・乗り物
- 投稿日:2000/11/29 17:28
今日こそ、コンソへ行きたい。
おとといから、もう丸2日間車を待ちつづけているのだ。3日目の正直、もう信用できるのは自分だけだ。
今日は早朝からバスステーションにくり出し、日がな車を待ち続ける事にする。
バスステーションの空地の隅に腰を下ろし、ボーッと道行く人々や街の様子などを眺めていると、背後に緑の丘陵が続く、ここヤベロ、静かで空気も良く、中々いい所だ。
淡いパステル調のカラフルな布をまとった女性に混じって、入念に編んだ髪をつむじから放射状にたらし、ビーズや銀のアクセサリーと赤を基調とした黒い柄を併せた民族衣装でバッチリおしゃれを決め込んだボレナ族のうら若き女性たちの笑顔が美しくまぶしい。
彼女らの笑顔はとてもフォトジェニックなのだが、まだまだ観光客馴れしていない彼女達、カメラを出しただけで、恐れてさっと隠れてしまう。聞くと、写真に撮られるのを怖がっているとの事だ。
日の出前から待ち続ける事2時間半、午前8時になったが、コンソ行の車は一台も現れない。
実は昨日の夕方、コンソから来たという別々のトラック2台に声を掛けた所、どちらのトラックとも、今日の朝8時にここで待ち合わせをして、乗せてくれると約束していたのだが、結局、どちらのトラックも来ず。
そう言えば、昨日お願いしたとき、その内の一台のトラックの運ちゃんなどは、
「いいよ、いいよ。明日朝8時にここに来るから待ってろよ!じゃっねー!」
て感じで軽ーく去って行っちゃってたし、どうやらここらでは「そう思う。」という程度の気持ちで、確信を持った様に断言したり約束してしまったりするようだ。
昨日約束したのに来ないトラックの運ちゃんたちはもう約束を忘れてしまったのか、予定が変わってしまったのか、約束した時はその気だったが、気が変わってしまったのか…。
ともかく、この3日間、何人もの人にコンソ行の車がいつどこから出るのか尋ねても、全ての人から異なる答えが返って来て、そのどれもが自信満々に、英語が出来る人の場合「exactry」とか「I'm sure」とか言うのに、全てがあて外れ。
幾台もの車のドライバーや乗務員と約束しても、約束した事はどれも全く姿すら現さない。
お昼前、視線の向こうの方から恐ろしいほどボロボロのトラックが姿を現す。
「もし、あれがコンソ行だったらどうしようか。」
と思いながらドライバーに尋ねると、これから荷物を積んで間もなくコンソへ発つと言う。すると近くにいた人が、
「私も今日、コンソに行くが、別のもう少しいい青いトラックもう一台、もうすぐ来るので、それで一緒にこう。」
とJunkoに声を掛ける。
目の前のオンボロ・トラック、ライトは外れ掛けているし、荷台の格子もサビだらけ、所々ヒビが入っている。
コンソ迄の道は悪路だと聞いているし、途中で故障して停まったりしたらと思うと
「別のトラックがあるなら、そっちの方がいいかも知れない。」
と思いながら、オンボロトラックの乗務員にいつ出発するのかと尋ねると、
「あと10分後」
と言う。荷台には、目の前で一つ、又一つと徐々に荷が積まれて行く。
「これで行こう。ともかくまず出発して少しでも先に進もう。もし、もう一台、コンソ行の車があるなら、途中で何かあっても、そっちの車に移る事も可能だろう。」
とオンボロ・トラックに乗込む。
案の定、荷積作業は中々終わらず、次々に大量の荷物が運び上げられて来て、「10分後」に出発の筈が、荷台の上で、積みこまれる荷物にどかされながら2時間余り待たされる。
ようやく全ての荷物が積み終わると、どこからともなくコンソへ行く人々が集まり出し、荷台に積まれた荷物の上は満員になる。
見渡すと、さっき「別のトラックで行く。」って言っていたおじさんも同乗しているではありませんか。さっきの話はどういう事だったのか?
とにもかくにもトラックはようやくコンソへ向けて出発。
途中、幾つかボレナ族の村を経由ししばらくすると、トゲトゲのアカシヤの枝をかきわけて道はどんどん細くでこぼこに。
荷台の乗客は、人混みと積荷に押されながら、時に頭を下げ、時にのけぞって、必死にトゲトゲの枝をよけ避ける。
道は益々悪くなり、まるで戦車が森の中を走っているような道無き道を蛇行し、ガレキの坂を上り下りし、朽ち欠けた木造の橋を「ガタガタガタ」ときしませながら進む。
ぎゅうぎゅうの荷台の乗心地は相変わらず最悪だが、気を紛らす様に、乗客達は皆歌声を合せて、手拍子を打つ。
三日月の星空の下、夜7:30すぎ、ようやく街の明りが遠くに見え始める。コンソの街だ。
コンソの宿に入ると、暗闇に日本人らしき好青年の姿が。
「こんにちは! 自分はジンカでムルシに行こうと思ってるんですけど」
と声を掛けられる。
我々もこれからジンカの街へ行き、そこからからムルシの村を訪れたいと思っていたので、車をシェアしてチャーターすれば割安になる。
「たぶん、我々もムルシに行きますよ。ただジンカへ行くのはあさってでいいですか?今日はもうヘロヘロなんで、明日はゆっくり休みたいんです。」
「わかりました。自分は明日仕事があるんで、あさっての方が丁度都合いいです。一緒にジンカに行きましょう。」
彼の名前は松本さん。海外青年協力隊の人で、電話の設備の仕事でエチオピアに赴任しているそうだ。
ただ我々には大きな懸念が一つ。現地通貨ブルが底を付き始めている。ここコンソの街には銀行はないと言う。
【食事】
朝:マンタジ
昼:アンバシャ
夜:パン
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 8B(エチオピア・ブル)
・ヤベロ→コンソ 不定期トラックをヒッチ 20B/1人 7時間
【宿】
・(コンソ)St.ManyHotel 7B/1室 ←明日の日記説明するが避けた方がいい!
おとといから、もう丸2日間車を待ちつづけているのだ。3日目の正直、もう信用できるのは自分だけだ。
今日は早朝からバスステーションにくり出し、日がな車を待ち続ける事にする。
バスステーションの空地の隅に腰を下ろし、ボーッと道行く人々や街の様子などを眺めていると、背後に緑の丘陵が続く、ここヤベロ、静かで空気も良く、中々いい所だ。
淡いパステル調のカラフルな布をまとった女性に混じって、入念に編んだ髪をつむじから放射状にたらし、ビーズや銀のアクセサリーと赤を基調とした黒い柄を併せた民族衣装でバッチリおしゃれを決め込んだボレナ族のうら若き女性たちの笑顔が美しくまぶしい。
彼女らの笑顔はとてもフォトジェニックなのだが、まだまだ観光客馴れしていない彼女達、カメラを出しただけで、恐れてさっと隠れてしまう。聞くと、写真に撮られるのを怖がっているとの事だ。
日の出前から待ち続ける事2時間半、午前8時になったが、コンソ行の車は一台も現れない。
実は昨日の夕方、コンソから来たという別々のトラック2台に声を掛けた所、どちらのトラックとも、今日の朝8時にここで待ち合わせをして、乗せてくれると約束していたのだが、結局、どちらのトラックも来ず。
そう言えば、昨日お願いしたとき、その内の一台のトラックの運ちゃんなどは、
「いいよ、いいよ。明日朝8時にここに来るから待ってろよ!じゃっねー!」
て感じで軽ーく去って行っちゃってたし、どうやらここらでは「そう思う。」という程度の気持ちで、確信を持った様に断言したり約束してしまったりするようだ。
昨日約束したのに来ないトラックの運ちゃんたちはもう約束を忘れてしまったのか、予定が変わってしまったのか、約束した時はその気だったが、気が変わってしまったのか…。
ともかく、この3日間、何人もの人にコンソ行の車がいつどこから出るのか尋ねても、全ての人から異なる答えが返って来て、そのどれもが自信満々に、英語が出来る人の場合「exactry」とか「I'm sure」とか言うのに、全てがあて外れ。
幾台もの車のドライバーや乗務員と約束しても、約束した事はどれも全く姿すら現さない。
お昼前、視線の向こうの方から恐ろしいほどボロボロのトラックが姿を現す。
「もし、あれがコンソ行だったらどうしようか。」
と思いながらドライバーに尋ねると、これから荷物を積んで間もなくコンソへ発つと言う。すると近くにいた人が、
「私も今日、コンソに行くが、別のもう少しいい青いトラックもう一台、もうすぐ来るので、それで一緒にこう。」
とJunkoに声を掛ける。
目の前のオンボロ・トラック、ライトは外れ掛けているし、荷台の格子もサビだらけ、所々ヒビが入っている。
コンソ迄の道は悪路だと聞いているし、途中で故障して停まったりしたらと思うと
「別のトラックがあるなら、そっちの方がいいかも知れない。」
と思いながら、オンボロトラックの乗務員にいつ出発するのかと尋ねると、
「あと10分後」
と言う。荷台には、目の前で一つ、又一つと徐々に荷が積まれて行く。
「これで行こう。ともかくまず出発して少しでも先に進もう。もし、もう一台、コンソ行の車があるなら、途中で何かあっても、そっちの車に移る事も可能だろう。」
とオンボロ・トラックに乗込む。
案の定、荷積作業は中々終わらず、次々に大量の荷物が運び上げられて来て、「10分後」に出発の筈が、荷台の上で、積みこまれる荷物にどかされながら2時間余り待たされる。
ようやく全ての荷物が積み終わると、どこからともなくコンソへ行く人々が集まり出し、荷台に積まれた荷物の上は満員になる。
見渡すと、さっき「別のトラックで行く。」って言っていたおじさんも同乗しているではありませんか。さっきの話はどういう事だったのか?
とにもかくにもトラックはようやくコンソへ向けて出発。
途中、幾つかボレナ族の村を経由ししばらくすると、トゲトゲのアカシヤの枝をかきわけて道はどんどん細くでこぼこに。
荷台の乗客は、人混みと積荷に押されながら、時に頭を下げ、時にのけぞって、必死にトゲトゲの枝をよけ避ける。
道は益々悪くなり、まるで戦車が森の中を走っているような道無き道を蛇行し、ガレキの坂を上り下りし、朽ち欠けた木造の橋を「ガタガタガタ」ときしませながら進む。
ぎゅうぎゅうの荷台の乗心地は相変わらず最悪だが、気を紛らす様に、乗客達は皆歌声を合せて、手拍子を打つ。
三日月の星空の下、夜7:30すぎ、ようやく街の明りが遠くに見え始める。コンソの街だ。
コンソの宿に入ると、暗闇に日本人らしき好青年の姿が。
「こんにちは! 自分はジンカでムルシに行こうと思ってるんですけど」
と声を掛けられる。
我々もこれからジンカの街へ行き、そこからからムルシの村を訪れたいと思っていたので、車をシェアしてチャーターすれば割安になる。
「たぶん、我々もムルシに行きますよ。ただジンカへ行くのはあさってでいいですか?今日はもうヘロヘロなんで、明日はゆっくり休みたいんです。」
「わかりました。自分は明日仕事があるんで、あさっての方が丁度都合いいです。一緒にジンカに行きましょう。」
彼の名前は松本さん。海外青年協力隊の人で、電話の設備の仕事でエチオピアに赴任しているそうだ。
ただ我々には大きな懸念が一つ。現地通貨ブルが底を付き始めている。ここコンソの街には銀行はないと言う。
【食事】
朝:マンタジ
昼:アンバシャ
夜:パン
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 8B(エチオピア・ブル)
・ヤベロ→コンソ 不定期トラックをヒッチ 20B/1人 7時間
【宿】
・(コンソ)St.ManyHotel 7B/1室 ←明日の日記説明するが避けた方がいい!
- 車はいつになったらやってくる? (エチオピア)ヤベロ
-
エリア:
- アフリカ>ケニア>ケニアその他の都市
- テーマ:鉄道・乗り物 その他
- 投稿日:2000/11/28 17:20
昨日、「コンソ行の車は、今日の朝出る。」と教えてくれた男が、同じく昨日我々が宿にチェックインする時、
「宿のおじさんに事情を話しておいたから、朝、車が来たらおじさんが教えてくれるよ。」
と言っていたのだが、不安になって、今朝早く、部屋の外を見渡すが、おじさんの姿は全く無い。
顔を洗って、歯をみがくと、荷物は部屋に置いたまま、バスステーションに出て、車を待つ事にする。
ところが、通りすがる人の中に、カタコトの英語で
「今日はコンソ行の車は無いよ。」
と言う人が何人もいて、不安にさせられる。
朝8:30頃、沢山の荷物を積んだトラックが目の前に停車。トラックに乗っていた小ギレイで英語が良く出来る男に話を聞くと、
「今、コンソからやって来た。私はコンソの穀物をヤベロに運ぶ仕事をしている。別のトラックだが、今日の夕方コンソに行く車がある。1人20Bで乗せてあげるから、エチオピア時間の9時、ヨーロッパ時間の午後3時にここで待っていなさい。必ず来るから。」
「車がつかまって良かった。」
このときはそう思って、午前中はのん気にヤベロのマーケットなどをのんびり散歩したりしていたのだが、午後3時、約束のトラックは来ない。4時になっても、5時になっても来ない。
トラックが来ない上に、「今夜泊まらないなら、」と宿の部屋から荷物も一緒に追い出されてしまう。
まだまだここヤベロでは外国人観光客が珍しいのか、屋外に荷物を置き、座り込んで車を待ちぼうけする我々の周りには、黒山の人だかりが出来る。
何とか身ぶり手ぶりでうったえかけて、散ってもらうも、運悪く、そこは学校の通学路になっていて、下校する子供達であっという間に幾重もの子供達の輪に囲まれてしまう。
子供達は口々に「You,ユー」と我々に呼び掛ける。どうやらエチオピアでは「あなた」と呼び掛ける習慣があるらしく、直訳英語で「ユー」と言って呼び掛けているらしい。
その他、「チャイナ?コリア?ジャパン?」とか、学校で習った英語を適当に叫ぶ子供などで、ともかく騒がしい。
午後6時前、トラックの約束をした男が、ようやくトボトボと、歩って姿を現した。
「もう、何時間も待っている。トラックはどうしたのか。」
「わかってる。トラックは2時間後に来るから、そこの喫茶店で待っててくれ。」
「わかった。それにしても、そのトラックは今どこにいるのか。」
「私にもわからない。」
…なんだか頼りないが、宿も追い出されているので仕方なく、その喫茶店でお茶を飲みながら更に待つ。
夜9時頃、同じトラックでコンソに行く予定だったという男が、
「やっぱり今日はトラックはない。今日はホテルで休みなさい。もしトラックが来たら教えてあげるから。」
と言うので、仕方なく再び宿に入り、支払いを済まして部屋に荷物を置いた瞬間、
「ドン、ドン、ドン」
我々の部屋の扉がノックされる。
扉を開けると、宿の人が
「コンソ行のトラックが来たから急いで。」
と言う。
支払ってしまった宿代がもったいなかったなと思いながらも、荷物を背負って宿を出ると、闇夜に荷物と乗客を沢山積んだトラックが、空エンジンをふかして待機している。
「コンソ?」
行先を確認して我々も荷台に乗り込もうとしたその時、どこからともなく、もう一台空の荷台のトラックがやって来て停まると、ドライバーが降りて来て、我々が乗ろうとしていたトラックのドライバーと激しく口論というかケンカをし始めてしまったのだ。
「いったいどうなっているのか?」
何でも
「『この街に先に入ったトラットが先に荷物や人を乗せて先に街を出る。』と言うしきたりがあるのだが、出発しようとしているトラックはこれを『抜けがけ』しようとしていたのでケンカになっている」
との事。
やがて出発しようとしていたトラックからは人も荷物も全て降ろされ、今日はどちらのトラックも出発しないと言う事で収まってしまう。
「いったいどうして…?どっちか一台は出てよ!!」
再び宿の部屋へ逆戻り。結局、支払った宿代だけはムダにならず。
【食事】
朝:マンタジ
昼:インジェラ、アンバシャ
夜:マンタジ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 8B(エチオピア・ブル)
【宿】
・昨日と同じ もう夜遅いのでシャワーは使わないからと7B/1室にまけてもらう。
「宿のおじさんに事情を話しておいたから、朝、車が来たらおじさんが教えてくれるよ。」
と言っていたのだが、不安になって、今朝早く、部屋の外を見渡すが、おじさんの姿は全く無い。
顔を洗って、歯をみがくと、荷物は部屋に置いたまま、バスステーションに出て、車を待つ事にする。
ところが、通りすがる人の中に、カタコトの英語で
「今日はコンソ行の車は無いよ。」
と言う人が何人もいて、不安にさせられる。
朝8:30頃、沢山の荷物を積んだトラックが目の前に停車。トラックに乗っていた小ギレイで英語が良く出来る男に話を聞くと、
「今、コンソからやって来た。私はコンソの穀物をヤベロに運ぶ仕事をしている。別のトラックだが、今日の夕方コンソに行く車がある。1人20Bで乗せてあげるから、エチオピア時間の9時、ヨーロッパ時間の午後3時にここで待っていなさい。必ず来るから。」
「車がつかまって良かった。」
このときはそう思って、午前中はのん気にヤベロのマーケットなどをのんびり散歩したりしていたのだが、午後3時、約束のトラックは来ない。4時になっても、5時になっても来ない。
トラックが来ない上に、「今夜泊まらないなら、」と宿の部屋から荷物も一緒に追い出されてしまう。
まだまだここヤベロでは外国人観光客が珍しいのか、屋外に荷物を置き、座り込んで車を待ちぼうけする我々の周りには、黒山の人だかりが出来る。
何とか身ぶり手ぶりでうったえかけて、散ってもらうも、運悪く、そこは学校の通学路になっていて、下校する子供達であっという間に幾重もの子供達の輪に囲まれてしまう。
子供達は口々に「You,ユー」と我々に呼び掛ける。どうやらエチオピアでは「あなた」と呼び掛ける習慣があるらしく、直訳英語で「ユー」と言って呼び掛けているらしい。
その他、「チャイナ?コリア?ジャパン?」とか、学校で習った英語を適当に叫ぶ子供などで、ともかく騒がしい。
午後6時前、トラックの約束をした男が、ようやくトボトボと、歩って姿を現した。
「もう、何時間も待っている。トラックはどうしたのか。」
「わかってる。トラックは2時間後に来るから、そこの喫茶店で待っててくれ。」
「わかった。それにしても、そのトラックは今どこにいるのか。」
「私にもわからない。」
…なんだか頼りないが、宿も追い出されているので仕方なく、その喫茶店でお茶を飲みながら更に待つ。
夜9時頃、同じトラックでコンソに行く予定だったという男が、
「やっぱり今日はトラックはない。今日はホテルで休みなさい。もしトラックが来たら教えてあげるから。」
と言うので、仕方なく再び宿に入り、支払いを済まして部屋に荷物を置いた瞬間、
「ドン、ドン、ドン」
我々の部屋の扉がノックされる。
扉を開けると、宿の人が
「コンソ行のトラックが来たから急いで。」
と言う。
支払ってしまった宿代がもったいなかったなと思いながらも、荷物を背負って宿を出ると、闇夜に荷物と乗客を沢山積んだトラックが、空エンジンをふかして待機している。
「コンソ?」
行先を確認して我々も荷台に乗り込もうとしたその時、どこからともなく、もう一台空の荷台のトラックがやって来て停まると、ドライバーが降りて来て、我々が乗ろうとしていたトラックのドライバーと激しく口論というかケンカをし始めてしまったのだ。
「いったいどうなっているのか?」
何でも
「『この街に先に入ったトラットが先に荷物や人を乗せて先に街を出る。』と言うしきたりがあるのだが、出発しようとしているトラックはこれを『抜けがけ』しようとしていたのでケンカになっている」
との事。
やがて出発しようとしていたトラックからは人も荷物も全て降ろされ、今日はどちらのトラックも出発しないと言う事で収まってしまう。
「いったいどうして…?どっちか一台は出てよ!!」
再び宿の部屋へ逆戻り。結局、支払った宿代だけはムダにならず。
【食事】
朝:マンタジ
昼:インジェラ、アンバシャ
夜:マンタジ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 8B(エチオピア・ブル)
【宿】
・昨日と同じ もう夜遅いのでシャワーは使わないからと7B/1室にまけてもらう。
- 13カ国目、エチオピア (エチオピア)モヤレ→ヤベロ
-
エリア:
- アフリカ>エチオピア>エチオピアその他の都市
- テーマ:鉄道・乗り物 グルメ その他
- 投稿日:2000/11/27 17:07
昨日、エチオピアに入ったのが日曜日だったので、路上のブラックマーケットで余ったケニア・シリングから両替した少しばかりのエチオピア・プルしか持ち合わせていない。
ヤベロ行のバスは「午前11時発」と聞いていたので、朝一番で銀行で両替をしようと思っていたのだが、ふと気になる事が一つ。
エチオピアには、我々の7時を1時とするエチオピア時間と言うのが存在すると言う話を思い出す。
我々の日常では朝起きるのは7時前後、お昼は12時だが、エチオピア時間では朝起きると時計の針は1時前後、お昼は6時なのだ。
エチオピア時間とは、グリニッジ標準時から時差を換算した時間ではない独自の時間なのだ。
もし11時と言うのがエチオピア時間だとすると、我々の概念の時間では朝の5時と言う事になる。
心配になって、朝5時にバス停に向かうと、バスが出発のしたくをしているではありませんか。
仕方ない。両替は次の街の銀行でする事にしよう。
後で何人もの人に腕時計を見せてもらったのだが、どうやらエチオピアの人は皆、時計をエチオピア時間に合わせ、完全に我々の知っている時間とは別の、ここだけの時間の世界で生活しているようだ。
その証拠に、バスのチケットも、店に掲げられた開業時間も全てエチオピア時間で表記されている。
おまけに、我々が使う西暦は普及しておらず、エチオピア独自の暦が存在し、まかり通っている。
この日買ったバスのチケットの日付は、1993年12月18日になっている。
更に数字以外、行き先も含め、アムハラ文字(エチオピアの言葉=アムハラ語)で書かれているので、全く読む事ができない。
こんなバスチケットじゃ、自分が正しいチケットを買えたのかどうかも全くわからない。
ともかく目的地「ヤベロ」を連呼し、教えられるがままにバスに乗車。バスは朝6時にモヤレのバスステーションを出発。
バスは5分程走ると、街外れの教会の前で停車。
朝日におぼろ気に浮かぶ教会から、白い布をまとった業者のような姿の男女がそろそろと出てきて、バスに乗り込んでくる。
道には淡いカラーの布をまとった女性がロバを引き、ゆっくり歩いている。
遠くにはなだらかな丘陵が拡がり、薄緑色のパステル調の色彩の景色が続く。
なかなかの異国情緒だ。
ただ、バスがヤベロに着く間、検問が何回もあり、うんざりさせられる。
その度、乗客は全員車外へ降ろされる。運悪く検問官の目にとまり、入念な荷物チェックを受ける人もいる。
中には荷物を没収されたのか、泣きじゃくる人や、没収された荷物をバスの出発する瞬間にさっとポリスの足元から取り返してバスに飛び乗ろうとする人などが存在し、検問にはかなりの時間が費やされる。
街を離れると、遊牧されるラクダの姿もちらほらと現れ始める。
また、細く真直ぐに空に向かって林立するアリ塚の姿も、これまでアフリカで見てきた円錐状で先が曲がった形のアリ塚とは異なっていて面白い。
ヤベロには朝10:30頃到着。早速、次の目的地、コンソ迄の車について聞き込み調査を開始。
まず、我々のバスが着いた場所で、荷物運びの仕事にありつこうと集まって来た子供達に聞くと、皆、
「今日の夜、ここから出発する。」
と言う。
英語がそれなりにできるおじさんも加勢し、
「ここから夜だ。」
と口を揃えるが、ここヤベロからコンソへの道はかなり悪いと聞いている。
「そこを、夜行で走るのだろうか。」
と、目の前の喫茶店で再度尋ねると、今度は
「車は今日の午後、場所はこことは別のバスステーションから出発する。」
と言う。
もし、ここを夜出発だったらまだ時間があるので、先に、その「別のバスステーション」への道を教えてもらい行ってみると、そこには確かに広い空地があり、バスステーションのように見える。
その空地の前の店の人に尋ねる。
「ここからコンソ行の車が出ると聞いたが、いつ出発か?」
すると店の人と言う男は
「明日の朝出発で、今日はない。私は目の前で働いているから間違いない。」
と言い切るので、この男の話を信じ、今日はバスステーション前に宿を取る。
しかし、聞く度、場所も時間も違っているとはどういう事なのか。
宿に荷物を置くと、ヤベロの街の銀行に両替に行ったのだが、
「両替レートがわからない。」
と銀行員に突っぱねられる。
こちらが唖然としていると、
「レートを知りたければ、まず10ブル払え。」
と言い出すので、両替は断念。
助かったのは、こちらの物価が安い事。
昼にはエチオピアの主食、大きいインジェラを1ブル(≒13円)を2人で分けて食べる。
夜は、アンバシャという小麦色の大きなパンの様なものが25セント(≒3円)、とマンタジ30セント(≒4円)。
昼に食べた、こちらの主食のインジェラは、テフという穀物から作ったクレープのようなものに野菜などをかけて食べる料理なのだが、とにかく「まずい」と旅行者の評判はすこぶる悪い。
我々も好奇心から恐る恐る挑戦してみたのだが、どうしてどうして決しておいしくはないが、ジャガイモやつぶした豆のスープ、トマトなどがのっかている具の味は、なかなかで、食べられなくはない。
具の量は少ないが、大きいお盆一面にたたまれて敷かれた強大なインジェラがわずか1ブル13円、2人で分けて食べたから1人あたり7円弱。現地通貨が枯渇している我々2人にはありがたい。
次の街の銀行では、まともに両替してくれますように。
【食事】
朝:パン
昼:インジェラ
夜:マンタジ、アンバシャ
【トラベルメモ】
1US$ ≒8B(エチオピア・ブル)
・バス モヤレ→ヤベロ 5:00乗車 6:00発 4.5時間 20B/1人
【宿】
・名前不明 ヤベロバスステーション前のホテル 10B/1室 シャワー、トイレ
すいません、字も読めないし、言葉もあまり通じないので、よくわかりませんでした。
ヤベロ行のバスは「午前11時発」と聞いていたので、朝一番で銀行で両替をしようと思っていたのだが、ふと気になる事が一つ。
エチオピアには、我々の7時を1時とするエチオピア時間と言うのが存在すると言う話を思い出す。
我々の日常では朝起きるのは7時前後、お昼は12時だが、エチオピア時間では朝起きると時計の針は1時前後、お昼は6時なのだ。
エチオピア時間とは、グリニッジ標準時から時差を換算した時間ではない独自の時間なのだ。
もし11時と言うのがエチオピア時間だとすると、我々の概念の時間では朝の5時と言う事になる。
心配になって、朝5時にバス停に向かうと、バスが出発のしたくをしているではありませんか。
仕方ない。両替は次の街の銀行でする事にしよう。
後で何人もの人に腕時計を見せてもらったのだが、どうやらエチオピアの人は皆、時計をエチオピア時間に合わせ、完全に我々の知っている時間とは別の、ここだけの時間の世界で生活しているようだ。
その証拠に、バスのチケットも、店に掲げられた開業時間も全てエチオピア時間で表記されている。
おまけに、我々が使う西暦は普及しておらず、エチオピア独自の暦が存在し、まかり通っている。
この日買ったバスのチケットの日付は、1993年12月18日になっている。
更に数字以外、行き先も含め、アムハラ文字(エチオピアの言葉=アムハラ語)で書かれているので、全く読む事ができない。
こんなバスチケットじゃ、自分が正しいチケットを買えたのかどうかも全くわからない。
ともかく目的地「ヤベロ」を連呼し、教えられるがままにバスに乗車。バスは朝6時にモヤレのバスステーションを出発。
バスは5分程走ると、街外れの教会の前で停車。
朝日におぼろ気に浮かぶ教会から、白い布をまとった業者のような姿の男女がそろそろと出てきて、バスに乗り込んでくる。
道には淡いカラーの布をまとった女性がロバを引き、ゆっくり歩いている。
遠くにはなだらかな丘陵が拡がり、薄緑色のパステル調の色彩の景色が続く。
なかなかの異国情緒だ。
ただ、バスがヤベロに着く間、検問が何回もあり、うんざりさせられる。
その度、乗客は全員車外へ降ろされる。運悪く検問官の目にとまり、入念な荷物チェックを受ける人もいる。
中には荷物を没収されたのか、泣きじゃくる人や、没収された荷物をバスの出発する瞬間にさっとポリスの足元から取り返してバスに飛び乗ろうとする人などが存在し、検問にはかなりの時間が費やされる。
街を離れると、遊牧されるラクダの姿もちらほらと現れ始める。
また、細く真直ぐに空に向かって林立するアリ塚の姿も、これまでアフリカで見てきた円錐状で先が曲がった形のアリ塚とは異なっていて面白い。
ヤベロには朝10:30頃到着。早速、次の目的地、コンソ迄の車について聞き込み調査を開始。
まず、我々のバスが着いた場所で、荷物運びの仕事にありつこうと集まって来た子供達に聞くと、皆、
「今日の夜、ここから出発する。」
と言う。
英語がそれなりにできるおじさんも加勢し、
「ここから夜だ。」
と口を揃えるが、ここヤベロからコンソへの道はかなり悪いと聞いている。
「そこを、夜行で走るのだろうか。」
と、目の前の喫茶店で再度尋ねると、今度は
「車は今日の午後、場所はこことは別のバスステーションから出発する。」
と言う。
もし、ここを夜出発だったらまだ時間があるので、先に、その「別のバスステーション」への道を教えてもらい行ってみると、そこには確かに広い空地があり、バスステーションのように見える。
その空地の前の店の人に尋ねる。
「ここからコンソ行の車が出ると聞いたが、いつ出発か?」
すると店の人と言う男は
「明日の朝出発で、今日はない。私は目の前で働いているから間違いない。」
と言い切るので、この男の話を信じ、今日はバスステーション前に宿を取る。
しかし、聞く度、場所も時間も違っているとはどういう事なのか。
宿に荷物を置くと、ヤベロの街の銀行に両替に行ったのだが、
「両替レートがわからない。」
と銀行員に突っぱねられる。
こちらが唖然としていると、
「レートを知りたければ、まず10ブル払え。」
と言い出すので、両替は断念。
助かったのは、こちらの物価が安い事。
昼にはエチオピアの主食、大きいインジェラを1ブル(≒13円)を2人で分けて食べる。
夜は、アンバシャという小麦色の大きなパンの様なものが25セント(≒3円)、とマンタジ30セント(≒4円)。
昼に食べた、こちらの主食のインジェラは、テフという穀物から作ったクレープのようなものに野菜などをかけて食べる料理なのだが、とにかく「まずい」と旅行者の評判はすこぶる悪い。
我々も好奇心から恐る恐る挑戦してみたのだが、どうしてどうして決しておいしくはないが、ジャガイモやつぶした豆のスープ、トマトなどがのっかている具の味は、なかなかで、食べられなくはない。
具の量は少ないが、大きいお盆一面にたたまれて敷かれた強大なインジェラがわずか1ブル13円、2人で分けて食べたから1人あたり7円弱。現地通貨が枯渇している我々2人にはありがたい。
次の街の銀行では、まともに両替してくれますように。
【食事】
朝:パン
昼:インジェラ
夜:マンタジ、アンバシャ
【トラベルメモ】
1US$ ≒8B(エチオピア・ブル)
・バス モヤレ→ヤベロ 5:00乗車 6:00発 4.5時間 20B/1人
【宿】
・名前不明 ヤベロバスステーション前のホテル 10B/1室 シャワー、トイレ
すいません、字も読めないし、言葉もあまり通じないので、よくわかりませんでした。
- 13カ国目、エチオピア (ケニア)モヤレ→(エチオピア)モヤレ
-
エリア:
- アフリカ>ケニア>ケニアその他の都市
- アフリカ>エチオピア>エチオピアその他の都市
- テーマ:鉄道・乗り物 ホテル・宿泊
- 投稿日:2000/11/26 16:45
「ドンドンドン」。ロッジの我々の部屋の扉がたたかれる。
疲れが取り切れぬまま、眠気覚めやらぬまま、早朝6時前、ローリーはエチオピア国境に向かって再出発。
「ガタン、ガタン、ガタン。ゴン、ゴン、パンッ、バンッ、バンッ!!」
まるで、鉄板に引かれた熱く熱せられた油の上に投げ入れられた、細かく切られた具材のように、ローリーの鉄製の荷台の上で人も荷物もはじける。
午前10:30、顔も体も砂だらけになった我々を乗せたローリーは、エチオピアとの国境の街、モヤレに到着。
「早くシャワーを浴びたい!!」切にそう思う。
あと一踏ん張りと、荷物を背負って砂だらけの額に泥の汗をしたたらせながら、1.5km程歩いて国境を通過。
ところが、ケニアの出国はスムーズに済んだものの、今日日曜日はエチオピアのイミグレは午後2時にならないと開かないという。
仕方無く3時間近く待つも、午後2時になると、今度は3時にならないと開かないという。
結局、イミグレが開いたのは午後3時半過ぎ。 入国の手続きを終え、宿に入ったのは午後5時前。
宿にチェックインして部屋に荷物を置くと、即、シャワーをリクエスト。
シャワーの蛇口をひねると、「ザー」と水はふんだんに砂だらけの頭に体にふりかかる。
これまで水に困った所も多かっただけに、これにはホッと一安心。髪を洗った後の泥だらけのアワを放り捨て、シャワーの水で体中さっぱり、生き返る。
さっぱりした後は、ホテルの従業員の少年に教えてもらいながら、アムハラ語(エチオピア語)のアンチョコを作成。
これからのエチオピアの旅に備える。
【食事】
朝:チャイ(茶)、マンタジ
昼:チャパティ、ジャガイモと肉の塩味スープ
夜:パン
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 75Ks(ケニア・シリング)
1US$ ≒ 8B(エチオピア・ブル)
・エチオピアのVISA 必要。 我々はケニアのナイロビで取得。
【宿】
・(エチオピア・モヤレ)Ethiopia-Kenya Hotel
12B/1室 スタッフは親切、水の出も良く、部屋もそれなりにクリーン。But 併設のバーが深夜までうるさい。バーの客が部屋の前まで入ってくる。
疲れが取り切れぬまま、眠気覚めやらぬまま、早朝6時前、ローリーはエチオピア国境に向かって再出発。
「ガタン、ガタン、ガタン。ゴン、ゴン、パンッ、バンッ、バンッ!!」
まるで、鉄板に引かれた熱く熱せられた油の上に投げ入れられた、細かく切られた具材のように、ローリーの鉄製の荷台の上で人も荷物もはじける。
午前10:30、顔も体も砂だらけになった我々を乗せたローリーは、エチオピアとの国境の街、モヤレに到着。
「早くシャワーを浴びたい!!」切にそう思う。
あと一踏ん張りと、荷物を背負って砂だらけの額に泥の汗をしたたらせながら、1.5km程歩いて国境を通過。
ところが、ケニアの出国はスムーズに済んだものの、今日日曜日はエチオピアのイミグレは午後2時にならないと開かないという。
仕方無く3時間近く待つも、午後2時になると、今度は3時にならないと開かないという。
結局、イミグレが開いたのは午後3時半過ぎ。 入国の手続きを終え、宿に入ったのは午後5時前。
宿にチェックインして部屋に荷物を置くと、即、シャワーをリクエスト。
シャワーの蛇口をひねると、「ザー」と水はふんだんに砂だらけの頭に体にふりかかる。
これまで水に困った所も多かっただけに、これにはホッと一安心。髪を洗った後の泥だらけのアワを放り捨て、シャワーの水で体中さっぱり、生き返る。
さっぱりした後は、ホテルの従業員の少年に教えてもらいながら、アムハラ語(エチオピア語)のアンチョコを作成。
これからのエチオピアの旅に備える。
【食事】
朝:チャイ(茶)、マンタジ
昼:チャパティ、ジャガイモと肉の塩味スープ
夜:パン
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 75Ks(ケニア・シリング)
1US$ ≒ 8B(エチオピア・ブル)
・エチオピアのVISA 必要。 我々はケニアのナイロビで取得。
【宿】
・(エチオピア・モヤレ)Ethiopia-Kenya Hotel
12B/1室 スタッフは親切、水の出も良く、部屋もそれなりにクリーン。But 併設のバーが深夜までうるさい。バーの客が部屋の前まで入ってくる。
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