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イチローとジュンコの夫婦珍道中

~バックパッカー日記~

プロフィール

ニックネーム:
イチローとジュンコ
居住地:
東京都
自己紹介:
2000年9月 日本を旅立ったイチローとジュンコは、飛行機で、南アフリカ・ケープタウンに降り立った。
二人はそこから日本まで、飛行機を使わずに、陸路と船のみで帰る。
アフリカ大陸南端の喜望峰から日本まで、アフリカ、東西ヨーロッパ、中東、シルクロードとまるまる1年かけての、夫婦珍道中。
野宿もしました。ゴリラと挨拶もしました。サハラを越え、ヒマラヤを越え。。
大自然、世界遺産、カルチャーショック、紛争の傷跡、そして、多くの出会い。
2001年8月無事帰国した二人の旅を振り返って、番外編コラムを掲載します。

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記事一覧

6 - 10件目まで(10件中)

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まだ見ぬイランへ(旅のルート) (イラン)テヘラン→マシュハドへ
エリア:
  • 中近東>イラン>テヘラン
  • 中近東>イラン>マシャド
テーマ:鉄道・乗り物 
投稿日:2001/06/17 12:51
 イランの旅のハイライトと言えば、イスファンとペルセポリス。
 だが我々は、イランを旅するのは今回で2度目。イスファンもペルセポリスもそれはそれは素晴らしい所で、イランの2大ハイライトである事に異議はないが、どちらも前回訪れているので、今回はあえてこの2大ハイライトを結ぶルートから外れ、まだ訪れたことのない場所を選んで旅する事にした。

 テヘランを出て我々がまず目指したのは、マシュハド。
 そこはイスラム教シーア派の聖地なのだ。

 イスラム教徒でない我々は、サウジアラビアのメッカを訪れる事は事実上不可能。
 マシュハドは、イスラム教徒でない我々でも行ってその姿をこの眼にできる、最大かつ最も厳さかで権威のあるイスラム教の生きた聖地なのだ。

 ともかく、イスラム教と言うのは我々にはミステリアスだ。
 我々は明日、その聖地を訪れる。

 キリスト教の聖地であるイスラエルのエルサレムを訪れた時よりも、胸が膨らむ。

 マシュハドは聖地としていかに輝き、人々はそこでいかに祈っているのだろうか。



【食事】

朝:アイス
昼:ドーナツ、マフィン、メロンジュース
夜:ナン

【トラベルメモ】

1US$≒約8000Rl(イラン・リアル)
・テヘラン→マシュハド (夜行バス/エアコン付)
(17:00発の切符を買ったのだが)19:00発 翌8:30着
(35000Rlで切符を買ったのだがなぜか乗車時500Rl払戻され)30000Rl/一人当り

NoPhoto
「宝石博物館」ペルシャの宝もの (イラン)テヘラン
エリア:
  • 中近東>イラン>テヘラン
テーマ:街中・建物・景色 鑑賞・観戦 
投稿日:2001/06/16 12:41
 開いているのは、週に2日のみ、それぞれ1日たったの2時間のみ。
 それを逃すと見る事ができない。前回テヘランを訪れた時はそのせいもあって入る事ができなかった。

 そう言う訳で、今回テヘランで是非見ておきたいのが、イランが世界に誇るペルシャ時代の宝石類を集めた、「宝石博物館」。

 博物館は、銀行の地下の巨大金庫に設置されている。
 大きな丸い取っ手のついたぶ厚い扉の入口から中に入ると、ガラスケースの中にズラッと並んだ宝石と宝飾の数々。

 世界最大のダイヤモンドあり、数々の宝石これでもかと言う位ふんだんに散りばめられた玉座あり、剣とサヤあり。
 そしてエメラルドが、ルビーが、ダイヤモンドが、照明に照らされてキラキラ輝く大冠が、博物館の中央に鎮座する。
 どれもオークションに出せば天文学的な値段になる、いや値段が付けられない程の世界的な貴宝名品だ。

 そんな宝飾品を一つ一つ見ているその時、
 「ピーピーピー」
館内に突然高らかに鳴り響くアラーム。
 「どうしたんだろう?」
館内を見渡すと、向こうでJunkoが後ずさりしながらたじろいでいる。

 原因はJunko。

 もちろんルパンの様に一品拝借しようなんて事、できる筈もない。
 Junkoに聞くと、ガラスケースの前に設置された鉄のバーを、「取っ手」だと思って触ったとたん、警報が鳴り出したそうだ。
 どうやらそのバーは取っ手ではなく、セキュリティーシステム。警備も万全らしい。

 しかしこれだけの宝石が並べられると、一つ一つ見ている内に少しばかりキレイな石ころの様にも思えてきてしまう。何だってこんな物が、そんな価値があるのだろうか。
 知能が高く好奇心の強いカラスは、光る物を収集する癖があるそうだ。果たして人間は・・・。

 何はともあれ、これだけの宝石を我々の様な庶民が目にできるのは、これが一生のうちで最初で最後。
 ありがたい物を見せて頂きました。

 宝石博物館を出て、バザールなどをぶらぶらしていると、バザールの一角にウェディングドレスをディスプレイされたウェディング・ドレス屋街を発見。

 ディスプレイされたウェディングドレスは、我々が想像する西洋のドレスそのもので、白やピンクでどれも腕を出し、物によっては胸元まで露になるような物もある。

 女性は街ではすっぽり体を隠すチャドルの着用が法律で義務付けられているイランだが、結婚式に限ってはこんなボディーラインがくっきり浮き出て肌を露出するドレスを着ているとは。

 そんなウェディングドレス姿の新婦が拝めるのは、やはり新郎新婦の身内だけなのだろうか。一体、イランの結婚式とはどの様に行われるのだろう。

 その真相は不明だが、宝石よりも興味がわく今日の出来事だった。


【食事】

朝:ナン、干杏
昼:ソーセージサンド、マッシュルームサンド
夜:羊の脳ミソのサンドイッチ
「宝石博物館」ペルシャの宝もの 1

【トラベルメモ】

1US$≒約8000Rl(イラン・リアル)
・宝石博物館 入場料30000RL、開館日時は、必ず最新の情報を確認すること。

【宿】
(テヘラン)Hotel Mehl 35000Rl/W-1室・シャワー付

テヘラン 街歩き1
テヘラン 街歩き (イラン)テヘラン
エリア:
  • 中近東>イラン>テヘラン
テーマ:街中・建物・景色 
投稿日:2001/06/15 12:33
 4車線の一本の道、一車線ごとに互い違いに、走る車の向きが違っている。
 交差点に備え付けられている信号はほとんど機能しておらず、ただ点滅を繰り返すのみ。
 車の溢れる車道から、頻繁にオートバイが人が行き交う歩道を乗り上げ走ってくるの道を渡る時も歩道を歩っている時も常に気が気でない。

 実は我々、テヘランを訪れるのは今回が2度目。
 人と車が雑然と溢れるその姿を見て、「変わってないな。」と言うのがその感想。

テヘラン 街歩き1

 今日は、そんなイランの首都テヘランの街歩きから、幾つかのシーンを一コマずつ切り取ってみました。

 今日金曜日はイスラム教の休息日。
 女性にチャドルを着用させて、法律をもって顔も体もそのラインを隠させる程厳格なイスラム教国イラン。
 金曜日は、全てのお店や交通機関までもが休んでしまうのではないかと恐れていたのだが、実際はさにあらず。
 閉まっているお店も多いが、意外にも開店している店も少なくない。
 それどころか、休日につき、人出や車が少ない分、街中を散歩し易いと言うものだ。

 厳格なイスラム教国イラン、街中、国中、イスラム教一色かと思っていたら、テヘランの街角に小ぎれいな三角屋根の教会(アルメニア教会)の姿もちらほら。
 ただ、女性のチャドル着用での外出はこの国の法律、キリスト教徒であっても例外ではない。教会内に限っては、スカーフを取ってお祈りしているそうだ。

テヘラン 街歩き3

 テヘランのオフィス街にあるザブジ・マーケット。 みそ、醤油、お酢にワサビにインスタント食品、ここにはあらゆる日本食品が輸入されて売られている。
 かつて日本に出稼ぎに来ていたイラン人が、そのコネクションで日本の食品を輸入して販売しているようだが、市場に何軒も軒を連ねる日本食品屋、そこに積まれた日本食品。ここイランで一体誰がこれらの店舗が成り立つ程、日本食品を購入していくのだろうか。
 「いらっしゃいませ。」
店員のイラン人も、流暢な日本語で迎えてくれる。

 「Down with U.S.A.(アメリカを撃ちおとせ)!」
大きなビルの側面にでかでかと書かれた文字。アメリカ国旗の星の部分から爆弾が落下する絵まで描かれている。

テヘラン 街歩き2

 記憶に残る、反米を唄える学生らにアメリカ大使館が占拠され、大使館員らが人質になった事件。
 そのアメリカ大使館、いまだに再開されず廃墟のまま。アメリカ大使館は今もイランには存在しない。

 元アメリカ大使館の建物の入口の壁にもDown with U.S.A.の文字。廃墟の元アメリカ大使館を、ワゴンで乗りつけた中国人が何やら工事を行っている。
 写真を撮ろうとしたら管理員らしき男の人に丁重に静止されてしまった。
 思うように外資が入らず、数年ぶりに訪れた我々に変わってないと思わせた事も、この再開されないアメリカ大使館と無縁ではないだろう。

 そんなイランも、最近はさすがに開放路線を取り始めたそうだ。
 銀行等では、OLとして働く女性の姿を多く見掛ける。通りで目にする若い女性の中にはキチンと体の線を隠したチャドルではなく、色のあるおしゃれなコート風のものや、ボディーラインが出るワンピースなどを着ている者も少なくない。

 一見、昔と変わらなく見えたイランだが、がわずかずつではあっても、着実に新しい風が吹いているようだ。


【食事】

朝:ナン、干杏
昼:ジュージェケバブ(鶏肉の焼肉のライスのせ)、サフランアイス
夜:ナン、シュークリーム

【トラベルメモ】

1US$≒約8000Rl(イラン・リアル)

【宿】
(テヘラン)Hotel Mehl 35000Rl/W-1室・シャワー付

NoPhoto
事故!! (トルコ)ドゥ・バヤ・ズィット→ギュルブラック→(イラン)テヘラン
エリア:
  • 中近東>トルコ>ドウバヤジット
  • 中近東>イラン>テヘラン
テーマ:鉄道・乗り物 
投稿日:2001/06/14 12:29
 昨夕、マクーを出た我々を乗せた夜行バスは、深夜日付をまたいでも快調にテヘランへ向かって走り続けている。
 事は順調に運んでいる様に思えた。

 エアコンの効いた車内でニ人ともウトウトしていたその時、
 「キキーッ」
突然バスは右に、そして左に大きく蛇行。そして
 「ドカン!!」
激しい衝撃音。

 停車したバスから、慌てて運転手と乗務員が飛び降りて行く。

 窓から身を乗り出して外を見てみると、対抗車線の路肩に停車したバスの後方に片側のボディーを大きくくぼませた乗用車がひっくり返っている。
 「事故だ!」

 状況から見ると、前方の車をムリに追い越そうとした我々のバスが、対抗車線に出て、対向車の側面に衝突したようだ。

 ひっくり返った乗用車からかつぎ出される男、見た目には大事には到っていないようだ。

 我々のような旅をしていて最も心配なのは、治安や病気より、事故だ。交通秩序が整っていない国で移動中、事故に遭う確率は決して低くない。

 我々もこの旅で、幾度も谷底へ落ちたバスやトラック、無残に焼け転げ、骨だけになったワゴン、その他多くの事故の跡を目にし、その度、旅の安全を祈って来た。
 だがついに自分達の乗るバスが事故に巻き込まれ・・・いや、事故の当事者となってしまった。

 「我々の身に何も無かった事は不幸中の幸いだった。」
と、バスの中で事故処理が終わるのをひたすら待つ。

 やがて現場にはパトカーが到着し、警官、目撃者、当事者らが輪を作って話し合っている。もちろんヤジウマ達も、辺りに車を停め、様子をうかがっている。
 不幸中の幸いだったとは言え、一体バスはいつ再出発していつテヘランへたどり着ける事やら、これは長くかかりそうだ。

 途方に暮れて車内で待ちぼうけする事2時間余り。後から来た同じ会社のテヘラン行のバスに乗り移り、ようやく旅はまた動き始める。
 ふうっ。もしあの事故で大事に到っていたら・・・

 「運転手さん、安全運転でお願いしますよ!!」

 朝、何とか無事にテヘランに到着、胸をなでおろす。


【食事】

朝:スミット、干杏
昼:シュークリーム、メロンジュース、干杏
夜:ナン、干杏

【トラベルメモ】

1US$≒約8000Rl(イラン・リアル)

【宿】
(テヘラン)Hotel Mehl 35000Rl/W-1室・シャワー付

アララット山 ノアの方舟伝説1
アララット山 ノアの方舟伝説(49カ国目イラン入国) (トルコ)ドゥ・バヤ・ズィット→ギュルブラック→(イラン)バザルガン→マクー→テヘラン
エリア:
  • 中近東>トルコ>ドウバヤジット
  • 中近東>イラン>イランその他の都市
テーマ:街中・建物・景色 
投稿日:2001/06/13 12:15
 朝の日差しに誘われて夜行バスのなかで目を覚ますと、窓の外、荒涼たる乾いた大地の中に、ドドーンとそびえる雪帽子をかぶったアララット山の姿が目に飛び込んで来る。

アララット山 ノアの方舟伝説1

 白銀の山頂からカラカラの裾野までくっきりと浮かび上がるアララット山、何でもノアの方舟が辿り着いた地だとの説もあるそうだ。
 その説について詳しい事は知らないが、ほとんど砂漠のようなこの地にどうやって舟がやって来たと言うのだろう?おまけに地中海に面した中東の地からはかなり離れている。

 それはともかく、アララット山が目の前と言う事は、どうやら我々は確かにトルコとイランの国境近くまでやって来たようだ。

 イラン国境近くのトルコ側のドゥバヤスィットの街には、顔に小さなヘンナの様な化粧をワンポイントほどこし、ベルベル人の衣装にも似たヘリに飾り糸をたらしたスカーフを頭に巻いた、恐らくクルド系の女性の姿が目を引く。

 これまでヨーロッパからトルコに至るまで、国境越えはいたってシンプルでスムーズだったため、今回のイランへの国境越えは久しぶりの仰々しいものになった。

 まずはトルコ出国。

 ドゥバヤスィットのから国境のギュルブラックまで、ミニバスを乗り継ぎ、トラックが行列する脇をイミグレーションオフィスまで歩く。

 イミグレオフィスが近づいてくると、Junkoはモロッコで買っておいた黒いチャドルを着用。
チャドルというのは、イスラムの女性が着用するくるぶしまでのダボッとしたかぶりのワンピースの事で、厳格なイスラム教国のイランでは、外国人観光客であっても女性はチャドルを着用しスカーフを顔にかぶり、完全に体のラインと顔のラインを隠さなければいけないのだ。

アララット山 ノアの方舟伝説2

 実はJunko、この暑さと乾燥のせいだろう、体調が良くない。やっとの思いで歩いているのに、その上、着ている物を全て脱ぎ捨ててしまいたい程の炎天下に、このチャドル着用は弱り目にたたり目だ。

 パスポートに出国スタンプを貰い、トルコを無事出国。
 だが、イラン側のイミグレオフィスの扉の前は人だかりが出来ている。

 やがて扉の向こうからイミグレ官が登場。待っている人達のパスポートを回収し、また去って行く。
 更にしばらくすると扉の向こうにパスポートを手にしたイミグレ官の姿が再び現れる。一人一人名前を呼ばれた順にパスポートを受け取り、ようやくイランへ入国。

 イミグレオフィスの建物に入っている銀行でトルコの通貨からイランの通貨への両替を申し出るが、そこではUSドルしか両替できないと言われる。
 仕方なく、イミグレオフィスの出口にたむろする闇両替屋とエクスチェンジ。この先、バスに乗ったりするのに必要なイランマネーはどうしても必要なのだ。
 こんな風に国境で闇両替するのもアフリカ以来。ヨーロッパ〜トルコではなかった。、久しぶりの事だ。

 イラン側国境のイミグレから最初の街、バザルガンまで2kmあまり。背後にそびえるアララット山を背に、強烈な日差しの下、だらだらとした長い下り坂を、荷物を背負ってよちよちと歩く。
 チャドルを着させられた体調の良くないJunkoはもうふらふらだ。

 バザルガンからはタクシーでマクーへ。テヘラン行のバスはマクーからしか出ていないのだ。

 マクーのバスターミナルの待合室で、汗をしたたらせながらバスを待っていると、
 「もう我慢できない!!」
Junkoがチャドルを脱いで、ベンチの上に寝転がっている。
 そんな姿をもし厳しいポリスにでも見つかったりしたら・・・女性のチャドル着用はイランでは戒律であると同時に法律なのだ。

 砂漠の国、イランの旅はまだまだ始まったばかりだよ。
 テヘランまでは体調の悪いJunkoの為に、エアコン付の夜行バスのチケットを買っておいたから。

 涼しい車内でゆっくり休んで、暑いだろうが、テヘランからはまたチャドルを被ってがんばろう!!


【食事】

朝兼昼:スミット、干杏
夜:パン、干杏

【トラベルメモ】

1US$ ≒ 1100000TL(トルコ・リラ)
1US$≒約8000Rl(イラン・リアル)
・ドゥバヤジット→ギュルブラック(ミニバス)30分 1250000tl
・ギュルブラック→バザルカン(徒歩)30分 歩きたくない人はタクシー、乗合もある。
・バザルカン→マクー(タクシー)30分 1000Rl/3人乗合で1人当り
・マクー→テヘラン(夜行バス/エアコン付)16:30発、翌8:00着 25000Rl

・要イランビザ 我々はトルコ・イスタンブールで取得

【宿】
上記マクー→テヘラン夜行バス

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