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- 旅エッセイ〜そろそろインドに行く季節。。。
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エリア:
- アジア>インド>ムンバイ
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 ホテル・宿泊
- 投稿日:2011/09/16 02:13
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今月末からインドへ行く。
今回は仕事がらみでもあるのだが、それが済めばあとはフリー。
一ヶ月ほどインドをまわって、経由地である香港に寄って帰国する予定だ。
今回のインドでの最大の目的は念願の野生のトラを見ること。
もう長い間の目標だった。今回は決してハズさないつもりでいる。。。
地球を代表する猛獣系は、……野生の、ということだが、ほとんど見ている。
あと見ていないのはインドのトラとアメリカのピューマと、ヒマラヤの雪豹くらいだろうか……??
それにしてもよくインドに行くよなぁ。
特にインドが大好きってわけでもないんだけど。。。やっぱりなにか縁があるのだろう。
もう何回目のインドになるだろ。
8回目……かな? ……8回!
といっても毎回長旅してるわけじゃない。
初めてインドの地に立ったのは、ケニアへ行くためのトランジットだった。
トランジットのためにどうしてもボンベイ(今じゃムンバイと呼ばれてるけど、ボンベイという響きの方がクールだと思う)で一泊しなければならなかった。
最近ではケニアへ行くときはドバイ経由がメジャーだが、あの頃はアフリカ行くならエアインディア、が常識だった。欧州まわりはかなり高額だったから。
そういうわけで初めて訪れたインドの町はボンベイだった。
正直、度肝を抜かれた。
今も鮮明に覚えている。
夜遅くボンベイの空港に着いたのだが、あの生ぬるい空気と大きいけれど殺風景な暗い空港。到着ロビーの玄関を出たところのフェンスに群がるインド人。玄関のライトは暗かったのでインド人の大群はただただ不気味だった。
そしてなんといってもあのニオイだ。
めっちゃくそ臭い。充満する排泄物と饐えたニオイ。生ぬるく蒸し暑い暗い空気のなかでニオイが生きもののように蠢いているようだった。
これが、インドか。
その頃はまだ海外経験が浅かった私は、ケニアへのツアーに参加していた。
ツアーが用意したバスに乗り、ホテルへ向かう。
空港を離れはしたが、辺りは真っ暗だった。
バスのライトがかろうじて前方を照らしているだけ。道の両側がどうなっているのかさっぱりわからない。ただの空き地なのか畑なのか、人がいるのかいないのか。
ただ、バスの開け放した窓からは強烈なニオイが流れこんでくる。
その汚物のニオイは空港にいたときよりも倍以上強い。
窓を閉めたかったが、閉めようとしてもぴくりとも動かない。……インドのバスとはこういうものかと早々に受け入れた。
やがてぽつんぽつんと明かりが見え始め、バスは市内に入ったようだった。
時刻は何時頃だったろう。。。午後9時か10時か……遅いといってもそれほど遅い時間ではなかったはずだ。が、電灯の少ない通りに人の気配はなく、店はすべてぴっちりシャッターが降りている。
確かボンベイはインド第二の商業都市だったはず。そんな町でもインドは夜が早いのか……。
突然斜め前方で黒いかたまりがどよん、と動いた。そのかたまりがバラける。
バスがその脇を通り過ぎるとき、どきりとした。
そのかたまりは人だったのだ。
かろうじて見えたそれは、リヤカーのようなものを中心に人が集まっていたようだ。暗闇に同化してよくわからなかったが、地べたに何人もの人が寝転がっていた。
びっくりした。
路上で寝るなんて。
なんで?
はじめは友人同士で遊んでいるのかと思った。が、その後ホテルに着くまでにいくつもの黒いかたまりを見ることになった。
ホテルに着くころには、彼らが路上生活者であるということに、当時はまだウブだった私もさすがに気付くことができた。
これが、インドか。
あのときはケニアのことで頭がいっぱいでインドのことはどうでもよく、しかも一泊のトランジットだったのでほとんど何の知識もなかった。宿泊したホテルがインド一有名なホテルグループ、タージの5ツ星ホテル タージマハルだということをあとから知ったくらいだ。
広く豪華な部屋からは目の前にインド門が見え、海が見えた。
朝、テラスに立つと昨夜とはまるで違うインドの町の風景が眼下に見下ろせた。
しかし素晴らしいビューもロケーションも、あいかわらずのニオイにかき消された。
ただ昨夜の排泄物のニオイとはまた違う、排気ガスや腐った魚、ゴミといった強い生活臭だ。
このニオイは、その日一日ボンベイを観光したが、常につきまとっていた。
このニオイがインドのニオイなのだろう。おえ、耐えられん。
服にもばっちりインド臭がつき、ケニアへ行ってから早々に洗濯したのはいうまでもない。
寺院や公園、有名なボンベイのビーチを観光した。
公園では本物の蛇使いがいてウケた。
本当に笛を吹くと、壺からコブラが出てくるのだ。
なんだかコブラが可哀そうだった。
とにかく暑くて臭くてぐったりだった。
どこへ行っても物乞いが寄ってくるし、ビーチでは男同士が手をつないだり肩を抱いて歩いているし。インドってのはゲイが多いのか?? ……インドの文化も習慣も知らなかった私には不思議なことがいっぱいだった。
そして再び度肝を抜かれた。
ボンベイのビーチ沿いをバスで走っているときだった。
渋滞でクルマの流れが途絶えたとき、何台か先の黒塗りのハイヤーに犬が一匹近づいていくのが、バスの窓から見えた。
ハイヤーの後部座席には年配のヨーロピアンの男女が二人乗っている。
脚の長い、痩せた黒い大きな犬だった。
犬はハイヤーのすぐそばまで来ると、後ろ足で立ち、前足をハイヤーの後部座席の窓にかけた。
食べ物でもおねだりしているのか。それにしても大きな犬だ。。。
渋滞はじりじりと動き始め、やがて私の乗っているバスはハイヤーの近くまで進んでいった。
--そのときの衝撃は今も忘れられない。
犬だと思っていたその生きものは、少年だった。
足腰が立たない、四つん這いでしか歩けない人間の子供だったのだ。
少年は棒のように細い脚をふんばり、からだを起して、窓に手をかけ、ハイヤーのヨーロピアンに必死に物乞いしていた。
年配のヨーロピアンは、ぴっちり締まった窓の内側からどうしてよいかわからないような顔で少年を眺めていた。
ドライバーが運転席の窓を開け、少年に怒鳴った。
少年はその怒鳴り声を聞くと、腕を窓から離し、再び四つん這いになった。膝をつかない、本当の4本足の動物のように。
少年は首を垂れながら、クルマの間をすり抜け、そのままビーチへと降りていった。
私はショックでしばらく呆然としていた。
これが、インドの現実なのか。
タージマハルホテルをチェックアウトし、空港へ向かう。
私のバスはツアー会社が手配したバスだから、ツアー客しか乗っていない。が、突然一人の日本人の女の子が乗って来た。彼女はドライバーと軽く言葉を交わすとシートに座る。
彼女はクルタ(インド人女子のふだん着。このときは名前も知らなかった)を着ていた。
バスは出発し市内を抜けていく。
空港へ近づくにつれ、例の強烈な排泄物のニオイが漂い始めた。
いったいどうしてこんなニオイがするのだろう。
やがてその原因が突如として目の前に現れた。
それは巨大なスラムだった。
空港の周りは一大スラム地域だったのだ。
薄いベニヤに汚れた幌をかぶせただけのテントが無数にひしめきあっている。
下半身まるだしで走り回る幼児、側溝で用を足す大人たち……。ゴミの山、飛びまわるハエ、くすぶる火。
私は身をかたくして窓越しにその風景を見つめていた。
テレビではなく、ライブの風景なのだ。
そのとき、さっきの日本人がドライバーに声をかけ立ちあがった。ドライバーはバスを止め、ドアを開ける。彼女は礼をいうとバスを降り、瞬く間にスラムの中へ入っていった。
それもまた衝撃だった。
彼女はいったい何者なのだろう。今思えば、彼女はきっとJICAあたりのボランティアだったのかもしれない……。
こんなスラムがあることも、あんな日本人がいることも--インドなのだ。
たった一泊のボンベイ滞在だったが、すでにインドの洗礼を受けたといっていいかもしれない。
その日の夜、私は無事ケニアのナイロビに着いた。
空港を出たときはちょうど雨が上がったばかりで、その空気はとてもみずみずしく、芳しかった。インドとは全然違うと心底思ったのを覚えている。
この2年後に再びケニアへのトランジットでボンベイに寄ったが、そのときはスラムが縮小されており、さらにその数年後に訪れたときはきれいに撤去されていた。
あの強烈な汚物臭をもう嗅ぎたいとは思わないが、巨大スラムを見ておいたことは、自分のためになったと思う。
まぁあのときはその後何度もインドへ足を運ぶことになるとは、まったく思っていなかったけれど。。。。。。
今回は仕事がらみでもあるのだが、それが済めばあとはフリー。
一ヶ月ほどインドをまわって、経由地である香港に寄って帰国する予定だ。
今回のインドでの最大の目的は念願の野生のトラを見ること。
もう長い間の目標だった。今回は決してハズさないつもりでいる。。。
地球を代表する猛獣系は、……野生の、ということだが、ほとんど見ている。
あと見ていないのはインドのトラとアメリカのピューマと、ヒマラヤの雪豹くらいだろうか……??
それにしてもよくインドに行くよなぁ。
特にインドが大好きってわけでもないんだけど。。。やっぱりなにか縁があるのだろう。
もう何回目のインドになるだろ。
8回目……かな? ……8回!
といっても毎回長旅してるわけじゃない。
初めてインドの地に立ったのは、ケニアへ行くためのトランジットだった。
トランジットのためにどうしてもボンベイ(今じゃムンバイと呼ばれてるけど、ボンベイという響きの方がクールだと思う)で一泊しなければならなかった。
最近ではケニアへ行くときはドバイ経由がメジャーだが、あの頃はアフリカ行くならエアインディア、が常識だった。欧州まわりはかなり高額だったから。
そういうわけで初めて訪れたインドの町はボンベイだった。
正直、度肝を抜かれた。
今も鮮明に覚えている。
夜遅くボンベイの空港に着いたのだが、あの生ぬるい空気と大きいけれど殺風景な暗い空港。到着ロビーの玄関を出たところのフェンスに群がるインド人。玄関のライトは暗かったのでインド人の大群はただただ不気味だった。
そしてなんといってもあのニオイだ。
めっちゃくそ臭い。充満する排泄物と饐えたニオイ。生ぬるく蒸し暑い暗い空気のなかでニオイが生きもののように蠢いているようだった。
これが、インドか。
その頃はまだ海外経験が浅かった私は、ケニアへのツアーに参加していた。
ツアーが用意したバスに乗り、ホテルへ向かう。
空港を離れはしたが、辺りは真っ暗だった。
バスのライトがかろうじて前方を照らしているだけ。道の両側がどうなっているのかさっぱりわからない。ただの空き地なのか畑なのか、人がいるのかいないのか。
ただ、バスの開け放した窓からは強烈なニオイが流れこんでくる。
その汚物のニオイは空港にいたときよりも倍以上強い。
窓を閉めたかったが、閉めようとしてもぴくりとも動かない。……インドのバスとはこういうものかと早々に受け入れた。
やがてぽつんぽつんと明かりが見え始め、バスは市内に入ったようだった。
時刻は何時頃だったろう。。。午後9時か10時か……遅いといってもそれほど遅い時間ではなかったはずだ。が、電灯の少ない通りに人の気配はなく、店はすべてぴっちりシャッターが降りている。
確かボンベイはインド第二の商業都市だったはず。そんな町でもインドは夜が早いのか……。
突然斜め前方で黒いかたまりがどよん、と動いた。そのかたまりがバラける。
バスがその脇を通り過ぎるとき、どきりとした。
そのかたまりは人だったのだ。
かろうじて見えたそれは、リヤカーのようなものを中心に人が集まっていたようだ。暗闇に同化してよくわからなかったが、地べたに何人もの人が寝転がっていた。
びっくりした。
路上で寝るなんて。
なんで?
はじめは友人同士で遊んでいるのかと思った。が、その後ホテルに着くまでにいくつもの黒いかたまりを見ることになった。
ホテルに着くころには、彼らが路上生活者であるということに、当時はまだウブだった私もさすがに気付くことができた。
これが、インドか。
あのときはケニアのことで頭がいっぱいでインドのことはどうでもよく、しかも一泊のトランジットだったのでほとんど何の知識もなかった。宿泊したホテルがインド一有名なホテルグループ、タージの5ツ星ホテル タージマハルだということをあとから知ったくらいだ。
広く豪華な部屋からは目の前にインド門が見え、海が見えた。
朝、テラスに立つと昨夜とはまるで違うインドの町の風景が眼下に見下ろせた。
しかし素晴らしいビューもロケーションも、あいかわらずのニオイにかき消された。
ただ昨夜の排泄物のニオイとはまた違う、排気ガスや腐った魚、ゴミといった強い生活臭だ。
このニオイは、その日一日ボンベイを観光したが、常につきまとっていた。
このニオイがインドのニオイなのだろう。おえ、耐えられん。
服にもばっちりインド臭がつき、ケニアへ行ってから早々に洗濯したのはいうまでもない。
寺院や公園、有名なボンベイのビーチを観光した。
公園では本物の蛇使いがいてウケた。
本当に笛を吹くと、壺からコブラが出てくるのだ。
なんだかコブラが可哀そうだった。
とにかく暑くて臭くてぐったりだった。
どこへ行っても物乞いが寄ってくるし、ビーチでは男同士が手をつないだり肩を抱いて歩いているし。インドってのはゲイが多いのか?? ……インドの文化も習慣も知らなかった私には不思議なことがいっぱいだった。
そして再び度肝を抜かれた。
ボンベイのビーチ沿いをバスで走っているときだった。
渋滞でクルマの流れが途絶えたとき、何台か先の黒塗りのハイヤーに犬が一匹近づいていくのが、バスの窓から見えた。
ハイヤーの後部座席には年配のヨーロピアンの男女が二人乗っている。
脚の長い、痩せた黒い大きな犬だった。
犬はハイヤーのすぐそばまで来ると、後ろ足で立ち、前足をハイヤーの後部座席の窓にかけた。
食べ物でもおねだりしているのか。それにしても大きな犬だ。。。
渋滞はじりじりと動き始め、やがて私の乗っているバスはハイヤーの近くまで進んでいった。
--そのときの衝撃は今も忘れられない。
犬だと思っていたその生きものは、少年だった。
足腰が立たない、四つん這いでしか歩けない人間の子供だったのだ。
少年は棒のように細い脚をふんばり、からだを起して、窓に手をかけ、ハイヤーのヨーロピアンに必死に物乞いしていた。
年配のヨーロピアンは、ぴっちり締まった窓の内側からどうしてよいかわからないような顔で少年を眺めていた。
ドライバーが運転席の窓を開け、少年に怒鳴った。
少年はその怒鳴り声を聞くと、腕を窓から離し、再び四つん這いになった。膝をつかない、本当の4本足の動物のように。
少年は首を垂れながら、クルマの間をすり抜け、そのままビーチへと降りていった。
私はショックでしばらく呆然としていた。
これが、インドの現実なのか。
タージマハルホテルをチェックアウトし、空港へ向かう。
私のバスはツアー会社が手配したバスだから、ツアー客しか乗っていない。が、突然一人の日本人の女の子が乗って来た。彼女はドライバーと軽く言葉を交わすとシートに座る。
彼女はクルタ(インド人女子のふだん着。このときは名前も知らなかった)を着ていた。
バスは出発し市内を抜けていく。
空港へ近づくにつれ、例の強烈な排泄物のニオイが漂い始めた。
いったいどうしてこんなニオイがするのだろう。
やがてその原因が突如として目の前に現れた。
それは巨大なスラムだった。
空港の周りは一大スラム地域だったのだ。
薄いベニヤに汚れた幌をかぶせただけのテントが無数にひしめきあっている。
下半身まるだしで走り回る幼児、側溝で用を足す大人たち……。ゴミの山、飛びまわるハエ、くすぶる火。
私は身をかたくして窓越しにその風景を見つめていた。
テレビではなく、ライブの風景なのだ。
そのとき、さっきの日本人がドライバーに声をかけ立ちあがった。ドライバーはバスを止め、ドアを開ける。彼女は礼をいうとバスを降り、瞬く間にスラムの中へ入っていった。
それもまた衝撃だった。
彼女はいったい何者なのだろう。今思えば、彼女はきっとJICAあたりのボランティアだったのかもしれない……。
こんなスラムがあることも、あんな日本人がいることも--インドなのだ。
たった一泊のボンベイ滞在だったが、すでにインドの洗礼を受けたといっていいかもしれない。
その日の夜、私は無事ケニアのナイロビに着いた。
空港を出たときはちょうど雨が上がったばかりで、その空気はとてもみずみずしく、芳しかった。インドとは全然違うと心底思ったのを覚えている。
この2年後に再びケニアへのトランジットでボンベイに寄ったが、そのときはスラムが縮小されており、さらにその数年後に訪れたときはきれいに撤去されていた。
あの強烈な汚物臭をもう嗅ぎたいとは思わないが、巨大スラムを見ておいたことは、自分のためになったと思う。
まぁあのときはその後何度もインドへ足を運ぶことになるとは、まったく思っていなかったけれど。。。。。。
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