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- マナ島からHappiness! 〜「あきないんだよ、これが」という幸福(下)〜
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エリア:
- 南太平洋>フィジー>マナ島
- テーマ:ビーチ・島
- 投稿日:2015/06/08 13:23
Bula ブラ! ピタ室長です!
今週もマナ島のダイビング・ショップ、アクアトレック・マナの現地インストラクター よしさんの写真とメッセージによる フィジーの happiness をお届けします!
「あきないんだよ、これが」という幸福(下)
朝、目が覚めるとタパ柄のカーテン越しに僅かな光がみえる。夜明けにはまだ少し時間はあるけど、早起きの鳥たちは既に鳴きはじめている。外に出ると椰子の木の向こうに少しづつ明るくなる空があり、その日によって雲があったり無かったりする。やがて日が昇り、一日がはっきり始まる。太陽が昇る位置は季節によって違う。去年まで毎週朝日の写真を撮っていて、週ごとにも確実に朝日が昇る位置と時間が変わっていくことに気付いた。晴れの日には空が青く美しく、雨の日には島中の緑が輝やく。島の周辺はビーチでその先には海がある。
このビーチと海が僕の職場で毎日そこで日没頃までの時間を過ごす。
夕日が沈み、マジックアワーの不思議さに包まれたあとに夜が始まる。夜になると暗くなるという当たり前のことをここに来てから実感するようになった。暗いからこそ星や月の明るさが強調され、オリオンや南十字など知っている星座をはっきり見つけることができる。波の音を聴きながらそんな星を見ているとこの暗さこそが贅沢だと思う。星も太陽と同じようにいつもその位置を移動させている。ここでは流れ星も珍しくない。流星群が近づくと短い時間にいくつも見えることもある。それぞれの流れ星はほんの一瞬で燃え尽きてしまうからその間に願い事を三度唱えるのは至難の業で、何度かやってみたけど出来たためしがない。
考えてみると流れ星というのは空に光がさっと流れる、それだけのこと。都会の明かりにくらべたらなんとも地味で愛想のないものだ。こんなことの何がありがたいのか。この光がもっと長く、しばらく空を飛びまわって、それがいつもならどんなに見事だろうかと、想像してみてすぐにやめる。きっとそうじゃないからいいのだ。流れ星を見る場所に行けばいつでも同じ流れ星をゆっくり見ることができるなら、最初は良くてもすぐに飽きてしまうと僕は思う。
ここでは、陸も空も海の中もいつも一瞬ごとに表情を変えている。それが劇的な変化のときもあれば、これまでのことを知った上でよく見ないとわからないほどの僅かな変化であったりもする。ひとつだけはっきりいえることは、ここには全く同じ光景は二度と現れないということだ。今日咲く花は昨日の花と違い、今日出会う魚は去年の魚と違う。朝の光景も夕焼けもいつもいつも違う表情を見せてくれる。
そんな自然と宇宙までここでは身近にあって、その上で僕の生活に必要な最小限のものと、好きな映画のDVDや落語のCDそれから本もたっぷりあるのだから。
飽きないんだよ。これが。
2015-06-08
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- マナ島 Happiness
- マナ島からHappiness! 〜「あきないんだよ、これが」という幸福(上)〜
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エリア:
- 南太平洋>フィジー>マナ島
- テーマ:ビーチ・島
- 投稿日:2015/06/01 10:25
Bula ブラ! ピタ室長です!
今週もフィジー、マナ島のダイビング・ショップ、アクアトレック・マナの現地インストラクター よしさんのフィジーの happiness をお届けします!
「あきないんだよ、これが」という幸福(上)
この島に暮し始めて18年。「小さな島に長く住んでいてあきませんか」とこれまで何度聞かれたか覚えていない。
質問に対する僕の答え方はそのつど違っていた筈だけど、心の中ではいつもこう答えていた。「あきないんだよ、これが」と。
Mana boys
これは僕の趣味というか生き方の問題でもあるけど、ここは決してなにもないところではない。言い出せばないものはいっぱいあるけど、それはどこにいてもそうだろうから、何でもあるところのほうが珍しいだろうし、もっと言えばなんでもあるところなんてこの世に存在しないと僕は思っている。東京には何でもあると言った人がいるけれど、その人にとっての欲しいものがだいたい揃っているというくらいの意味だろう。そういう意味では、この島は僕にとってはなんでもあると言えなくもない。実際にはある特定のものがなかなか手に入らなくて困ることもよくあるのだけど、困ることが「ある」というのも悪くない。
物があってもなくても人は飽きるものだと僕は思っている。ある人が「田舎はいいね」と言ったらその土地の人が「田舎は飽きる」とこたえたという。話しかけたひとは飽きるほどの時間をそこで過ごすことなく、答えた人は既にじゅうぶん飽きていたのだろう。いくら素晴らしいものでも、人はやっぱり飽きるのだ。
一生かかっても全部身につけることができないくらいの服や靴を持っている人が世の中にはたくさんいる。その人たちは、素晴らしい靴や服にあき続けるかわりに、美しいものを買うことには飽きることがないのだ。だからそんなに持っていても無駄などという意見は本質から外れている。飽きることによって退屈したくないというそれだけのことなのだから。
僕がそれほど大きくないこの島にずっと暮していても飽きないのは、靴や服を毎日のように買い続けている行為に似ているかもしれない。服や靴のかわりに僕はいつもここで手に入れているもの、それが小さな幸福かもしれない。(次週に続く)
2015-06-01
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- Happiness マナ島
- マナ島からHappiness! 〜マジックアワーの幸福〜
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- 南太平洋>フィジー>マナ島
- テーマ:ビーチ・島
- 投稿日:2015/05/25 10:34
Yadra ヤンドラ! ピタ室長です!
月曜日は、マナ島のダイビング・ショップ、アクアトレック・マナの現地インストラクター
よしさん フィジーの happiness をお届けします!
マジックアワーの幸福
僕の職場はビーチに面しているので開け放った入り口から海や空がよく見える。海に出るためにその入り口から毎日何度も出たり入ったりしているのだが、夕方になるとメールやフェイスブックのチェックのために中にいることが多い。
マジックアワー;日没後の数十分程。光源となる太陽が姿を消しているため限りなく影の無い状態になる。光景全体が柔らかく金色に輝いて見える時間。
日没の前後になると開け放った入り口から入る光が変わる。僕はその光にひきつけられるようにして外へ出る。この島の夕日は美しく毎日見ていても飽きることはないが、僕がもっと好きなのはその後の光景だ。一日をともに過ごした太陽を見送ったあと、僕をとりまくすべてのものが金色をおびるように見えるほんわずかの時間は、夢と現実の隙間にいるように思えてしかたない。特にそのとき僕の視界に誰もいなければこの星に自分一人だけになってしまったような気がする。たった一人の淋しさとこの特別な時と場所を独り占めしているという喜びの入り混じった不思議な感覚を柔らかな金色のひかりに包まれて僕は戸惑いながらも楽しんでいる。
2015-05-25 きゃくのよしみ
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- マナ島 Happiness
- マナ島からHappiness! 〜続・幸福の白い島〜白い砂にほんのり紅を・・・〜
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- 南太平洋>フィジー>マナ島
- テーマ:ビーチ・島
- 投稿日:2015/05/18 16:53
Bula ブラ!ピタ室長です!
今週もマナ島のダイビング・ショップ、アクアトレック・マナの現地インストラクター よしさんの写真とメッセージによる フィジーの happiness をお届けします!
続・幸福の白い島〜白い砂にほんのり紅を・・・
先週はサンドケイという島の砂がどうして白いのかという話を書いた。
遠くから観る砂は、太陽の光を反射して眩しいほどに白く、ごく稀に僕にはほんのりとピンクっぽく見えることもある。実際に上陸してその砂の上に立って見ると白っぽいけど決して真っ白ではなく、しゃがんでもっと近くで観ると、色々なものが混ざって砂になっていることがわかる。
まだ粗い砂、 色々なものが含まれている
さらによく観ると所々に真っ赤な小さなかけらがあることに気付く。
クダサンゴの骨格
これはクダサンゴと呼ばれる刺胞動物の一種の骨格で、白い骨格を持つサンゴの中にあって、その赤い色はとてもよく目立つ。ここで砂になっているほかのサンゴ同様にサンゴ礁を作る役割を果たす造礁サンゴのひとつではあるが、ほかのものとはかなり遠い種で、ほとんどのサンゴが日中はポリプを閉じているのにクダサンゴは活発に活動している。白い小さな触手が閉じたり開いたりする様子はダイビングやスノーケルでもよく見かける綺麗なもので、僕はしばらく眺めていても飽きることがない。その白い花のようなサンゴの打ち上げられた骨格が、この赤いかけらだとはなかなか思いつかない。小さな塊を手にとって見ると赤い管状のものが集まっているのがわかる。それがクダサンゴという名前の由来なのだ。数センチの大きな塊も見つかるがやがてこれもさらに砕かれて赤い砂粒になっていく。この砂が白い砂粒に混ざることにより、ほんの僅かながら砂が赤みをおびる。サンドケイのリーフには元気なクダサンゴがたくさん生息しているので、ほかのサンゴ同様に波などの力で打ち上げられて砕かれ砂になるということが日々行なわれているに違いない。そんなこと想像しながら、元気に生きているクダサンゴをスノーケリングで観察したり砂の中から赤いクダサンゴを探したりするのは、とても楽しい。
この島が赤みをおびてピンクっぽく見えるのは、この赤いサンゴのせいなのだろうか、それとも僕の気のせいなのだろうか。
2015-05-18 きゃくのよしみ
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- マナ島 Happiness
- マナ島からHappiness! 〜幸福の白い島〜 ♪プレゼント付♪
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エリア:
- 南太平洋>フィジー>マナ島
- テーマ:ビーチ・島
- 投稿日:2015/05/11 09:26
Yadra ヤンドラ! ピタ室長です!
今週もマナ島のダイビング・ショップ、アクアトレック・マナの現地インストラクター よしさんの フィジーの happiness をお届けします!
幸福の白い島
マナ島の沖にサンドケイと呼ばれる砂の島がある。正確にはサンゴ礁でできた島の上に砂が溜まってそこだけ海面から出ているという状態で、風向きや波の力そして干満の差によって高くなったり低くなったり大きくなったり小さくなったりはするけれど、完全に消えてしまうことはない。
高くなったり
低くなったり
この砂の成分はほとんどがサンゴでできている。波の力などで折られたサンゴが波打ち際に運ばれ、そこでまた波の力で翻弄されることにより、互いにあたったり擦られたりしてさらに細かく粉砕される。他にも貝殻やウニの殻やある種の海藻が枯れたものや僅かに魚類などの骨も含まれている。これらのほとんどが白いから、サンゴ礁の砂はこんなに白いのだ。
つまりこの島の砂は動物や植物でできているということ。さらに海中では、ブダイと呼ばれる魚の仲間が死んだ珊瑚についている海藻を食べるために、サンゴの石灰質の部分まで強い歯で削り取って食べている。食料として消化するのは海藻の部分だけなので、残ったサンゴは細かく削られて糞として排出される。時々ブダイが泳ぎながら煙のようなものを出す姿を観ることがあるが、それがサンゴの粉末でありそのまま白い砂となる。たくさんのブダイが毎日これを繰り返すのだから、彼らの作る砂はかなりの量になる。彼らもまた砂作りの大事な担い手なのだ。
そうしてできた砂の上を泳いだり、また砂の無人島に上陸して遊ぶ僕たちは、自然とそこに住む生き物たちの営みと命の上にいるということであり、良く観ると僕らのほかにも海鳥が休み、カニが穴を掘って生活している。そんな島がその気になれば泳いでいける距離にあるというのはたいへんな幸福である。
海鳥の足跡
カニの家
但し、なかなかその気にはならないのでいつもはボートで出かけているのだけれど・・・。
2015-05-11 きゃくのよしみ
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- マナ島 Happiness
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