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- モンレアーレ(イタリア・シチリア島)
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>イタリアその他の都市
- テーマ:歴史・文化・芸術
- 投稿日:2010/09/07 18:49
- コメント(0)
シチリア島の州都パレルモから南に約10kmの地点にモンレアーレという小さな町があります。しかし小さな町でありながら、パレルモに劣らないぐらいの観光客の姿が見られます。それはこの町にある一軒のすばらしい建築に負うところが大きいでしょう。今日はそんなモンレアーレを紹介します。
モンレアーレの町が築かれたのは、パレルモがアラブ人勢力に占拠され、キリスト教勢力が止むを得ず山間部に追われた9世紀ころだと言われています。アラブ人達がシチリア島を勢力下においていた約250年の間、この地はキリスト教信仰の中心だったのです。
その後12世紀に入って北方からやってきたノルマン人達によってシチリア島におけるキリスト教徒の主権が回復され、パレルモに壮大な大聖堂が建てられました。しかしながら、宗教勢力の力に対抗するかのように12世紀末に世俗の君主であったノルマン王によって建設されたのがモンレアーレの大聖堂です。この地を選んだ理由は、アラブ人の支配時代にこの場所が信仰の拠り所になっていたからではないかと考えられています。
こうしてモンレアーレの町の大きさにそぐわない立派な大聖堂が建設されました。この大聖堂は、アラブ建築と西洋建築が融合した独特のノルマン様式で彩られ、今日でもイタリアで最も特異な大聖堂のひとつに数えられます。ファサードは、左右非対称の塔が立っていて奇異に映ります。内部は煌びやかなモザイクで彩られています。パレルモにある王宮内のパラティーナ礼拝堂も素晴らしいですが、モンレアーレの大聖堂も何ら見劣りしません。規模ではこちらが上でしょう。内部は東方教会と西方教会の建築様式が混ざったような形で壁から天井、後陣に至るまで黄金のモザイクが施されています。
大聖堂に付属して回廊もあります。この回廊もまたイタリアを代表する回廊のひとつです。その規模と建築において見る者の目を惹きつけずにはいられません。約230組の柱が50m四方の庭をぐるっと囲んでいて、どこから見ても絵になる場所です。回廊の上方には大聖堂のファサードにあったような塔がここでも見られます。
大聖堂や回廊を出たら、町をちょっと覗いてみるのも良いかもしれません。かつてこの一帯はオレンジ、オリーブの栽培で栄えましたが、現在では陶芸が町の主力産業のひとつに成長しました。バスで訪れた際の駐車場から大聖堂がある町の中心に至る道にも陶芸店がたくさん並んでいます。以前にご紹介したトリナ・クリアも並んでいるのをよく見かけます。是非ウィンドウショッピングも楽しんでみて下さい。
モンレアーレの町が築かれたのは、パレルモがアラブ人勢力に占拠され、キリスト教勢力が止むを得ず山間部に追われた9世紀ころだと言われています。アラブ人達がシチリア島を勢力下においていた約250年の間、この地はキリスト教信仰の中心だったのです。
その後12世紀に入って北方からやってきたノルマン人達によってシチリア島におけるキリスト教徒の主権が回復され、パレルモに壮大な大聖堂が建てられました。しかしながら、宗教勢力の力に対抗するかのように12世紀末に世俗の君主であったノルマン王によって建設されたのがモンレアーレの大聖堂です。この地を選んだ理由は、アラブ人の支配時代にこの場所が信仰の拠り所になっていたからではないかと考えられています。
こうしてモンレアーレの町の大きさにそぐわない立派な大聖堂が建設されました。この大聖堂は、アラブ建築と西洋建築が融合した独特のノルマン様式で彩られ、今日でもイタリアで最も特異な大聖堂のひとつに数えられます。ファサードは、左右非対称の塔が立っていて奇異に映ります。内部は煌びやかなモザイクで彩られています。パレルモにある王宮内のパラティーナ礼拝堂も素晴らしいですが、モンレアーレの大聖堂も何ら見劣りしません。規模ではこちらが上でしょう。内部は東方教会と西方教会の建築様式が混ざったような形で壁から天井、後陣に至るまで黄金のモザイクが施されています。
大聖堂に付属して回廊もあります。この回廊もまたイタリアを代表する回廊のひとつです。その規模と建築において見る者の目を惹きつけずにはいられません。約230組の柱が50m四方の庭をぐるっと囲んでいて、どこから見ても絵になる場所です。回廊の上方には大聖堂のファサードにあったような塔がここでも見られます。
大聖堂や回廊を出たら、町をちょっと覗いてみるのも良いかもしれません。かつてこの一帯はオレンジ、オリーブの栽培で栄えましたが、現在では陶芸が町の主力産業のひとつに成長しました。バスで訪れた際の駐車場から大聖堂がある町の中心に至る道にも陶芸店がたくさん並んでいます。以前にご紹介したトリナ・クリアも並んでいるのをよく見かけます。是非ウィンドウショッピングも楽しんでみて下さい。
- タグ:
- イタリア パレルモ モンレアーレ
- オートラント(イタリア)
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>ナポリ
- テーマ:歴史・文化・芸術
- 投稿日:2010/07/27 12:57
- コメント(1)
イタリア半島のかかとの部分、アドリア海とイオニア海に挟まれた半島東端の小さな町、オートラント。
ギリシャ人によって東方の文化がもたらされ、その後はイタリアのオリエントへの玄関口として、ビザンツやロンゴバルト諸侯が覇を競う要衝となりました。
11世紀半ば、ノルマン系の王がオートラントを支配すると、ロマネスク様式の大聖堂の建設が始まりました。
イタリア+ノルマン+ロマネスク教会といえば、シチリアのモンレアーレの大聖堂がピンと来ますが、ここも同じく。
天井ではなく床を、金色ではなく天然色であることの違いや、絵の表情の違いはありますけれども、教会内部の見所がモザイクという点が似ているなーと思うポイント。
さてそのモザイクですが、主題は二頭の象の背中から伸びる生命の樹。
アダムとイブの誕生から人間の失落、ノアの招命に始まり、様々な生き物、そしてキリスト教以前のヘレニズムの神々や、アレキサンダー大王などがおおらかに混ざり合っています。
宙に浮くことができない私たちには、納得いく写真をとるのはなかなか難しいのですが、これはまさにモザイクの傑作!
じっくり楽しみたい一枚です。
個人的にはこの腕の長ーいイブが好き。ヨガみたいなポーズも気に入りです。
【ブログ:ロマネスク通信より】
http://bit.ly/9kZlRm
ギリシャ人によって東方の文化がもたらされ、その後はイタリアのオリエントへの玄関口として、ビザンツやロンゴバルト諸侯が覇を競う要衝となりました。
11世紀半ば、ノルマン系の王がオートラントを支配すると、ロマネスク様式の大聖堂の建設が始まりました。
イタリア+ノルマン+ロマネスク教会といえば、シチリアのモンレアーレの大聖堂がピンと来ますが、ここも同じく。
天井ではなく床を、金色ではなく天然色であることの違いや、絵の表情の違いはありますけれども、教会内部の見所がモザイクという点が似ているなーと思うポイント。
さてそのモザイクですが、主題は二頭の象の背中から伸びる生命の樹。
アダムとイブの誕生から人間の失落、ノアの招命に始まり、様々な生き物、そしてキリスト教以前のヘレニズムの神々や、アレキサンダー大王などがおおらかに混ざり合っています。
宙に浮くことができない私たちには、納得いく写真をとるのはなかなか難しいのですが、これはまさにモザイクの傑作!
じっくり楽しみたい一枚です。
個人的にはこの腕の長ーいイブが好き。ヨガみたいなポーズも気に入りです。
【ブログ:ロマネスク通信より】
http://bit.ly/9kZlRm
- タグ:
- イタリア プーリア
- チンクエテッレ(イタリア)
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>ラ・スペツィア
- テーマ:観光地 世界遺産
- 投稿日:2010/07/15 14:00
- コメント(0)
イタリア西部からフランスに至る海岸線は、「リヴィエラ海岸」と呼ばれて、世界中から多くの人を惹き付けています。フランス側ではニース、カンヌやモナコ、イタリア側ではサン・レモやポルトフィーノが有名です。リヴィエラ海岸の特にイタリア側では、ジェノヴァの南方地点で砂浜が途切れ、複雑に入り組んだ海岸線に変貌します。その入り組んだ海岸線の間に位置するのがチンクエ・テッレです。チンクエ・テッレとはイタリア語で「5つの村」を意味し、北からモンテ・ロッソ・アル・マーレ、ヴェルナッツァ、コルニーリア、マナローラとリオ・マッジョーレの5つの村の総称です。
チンクエ・テッレの歴史は、11〜12世紀頃まで遡る事が出来ます。前述の通り、ジェノバ以西のリヴィエラ海岸は砂浜が続く直線的な海岸線であるのに対し、チンクエ・テッレの海岸線は非常に入り組んでいます。また、断崖が海岸線に迫っているので、前も後も守るのに適していました。決して住み良い地形ではありませんが、人々がこの地に定住するようになったのは、このような背景からだと思われます。
その後は田舎の漁師村として、細々とした営みで今日まで至りました。そしてその営みが効を奏して、昔ながらの風情を残す村として世界遺産に登録されました。世界遺産登録後、観光客が増える傾向にありますが、ヴェネツィアやフィレンツェ辺りと比べればまだまだ人も素朴、町並みも素朴、カフェで飲むカプチーノの値段も素朴です。
チンクエ・テッレの村々では、漁業が生業の中心です。断崖が海岸線に迫っている為、農業に適した用地がほとんどないためです。チンクエ・テッレと言えば、紺碧のリグーリア海やカラフルな家並みをイメージされる方も多いかと思いますが、実際に足を運んでみると、意外に畑が多い事に驚きます。断崖が海岸線に迫っている為に、人々は限られた耕地を工夫して段々畑を築き、オリーブ、ブドウやかんきつ類を栽培しています。無駄な土地は微塵もないくらい、家のない場所は畑でびっしり埋められています。
決して広くはないブドウ畑で採れたブドウから作られるこの地の名物のシャケトラというワインは、イタリアでもかなりプレミアなワインです。
このシャケトラというワインは白の甘口デザートワインに分類され、主に食後に飲まれます。イタリア半島の反対側(東側)に位置するバッサーノ・デル・グラッパで生産されるグラッパに流通量では及びませんが、大量生産できない稀少なワインであるが故、富裕層も珍重してきたワインです。必ず在庫がある訳ではないようですが、チンクエ・テッレを訪れたら、ちょっとエノテカ(酒屋)を覗いて、このワインを探してみても良いでしょう。物にもよりますが、20〜30ユーロぐらいのお値段で購入する事も可能です。海際だけあって、もちろんお食事もお楽しみです。段々畑から採れたオリーブオイルは、潮風から魚介類に合う風味を受けたと言われる事もあるぐらい魚介類に特に合うそうですが、真相はどうでしょうか。
チンクエ・テッレでもう一つ紹介したいのが「愛の小道」と呼ばれる散策路です。この「愛の小道」は、5つの村の中で最南端に位置するリオ・マッジョーレ(Rio Maggiore)とその次のマナローラ(Manarola)間を結ぶ散策路です。
愛の小道は、徒歩で20分前後で歩ききってしまうぐらいの道です。「愛の小道」と呼ばれるようになった起源は定かではありませんが、道の途中には恋人達のモニュメントが作られたりして、地元の人々としては恋人達が逢瀬を重ねたロマンティックな道という説を定着させようとしているようです。名前はどうあれ、平坦な遊歩道なので、晴れた日には美しい海と前後に見える町の風景をご堪能頂けます。
【ブログ:地中海欧羅巴くらぶより】
http://bit.ly/ayG16f
チンクエ・テッレの歴史は、11〜12世紀頃まで遡る事が出来ます。前述の通り、ジェノバ以西のリヴィエラ海岸は砂浜が続く直線的な海岸線であるのに対し、チンクエ・テッレの海岸線は非常に入り組んでいます。また、断崖が海岸線に迫っているので、前も後も守るのに適していました。決して住み良い地形ではありませんが、人々がこの地に定住するようになったのは、このような背景からだと思われます。
その後は田舎の漁師村として、細々とした営みで今日まで至りました。そしてその営みが効を奏して、昔ながらの風情を残す村として世界遺産に登録されました。世界遺産登録後、観光客が増える傾向にありますが、ヴェネツィアやフィレンツェ辺りと比べればまだまだ人も素朴、町並みも素朴、カフェで飲むカプチーノの値段も素朴です。
チンクエ・テッレの村々では、漁業が生業の中心です。断崖が海岸線に迫っている為、農業に適した用地がほとんどないためです。チンクエ・テッレと言えば、紺碧のリグーリア海やカラフルな家並みをイメージされる方も多いかと思いますが、実際に足を運んでみると、意外に畑が多い事に驚きます。断崖が海岸線に迫っている為に、人々は限られた耕地を工夫して段々畑を築き、オリーブ、ブドウやかんきつ類を栽培しています。無駄な土地は微塵もないくらい、家のない場所は畑でびっしり埋められています。
決して広くはないブドウ畑で採れたブドウから作られるこの地の名物のシャケトラというワインは、イタリアでもかなりプレミアなワインです。
このシャケトラというワインは白の甘口デザートワインに分類され、主に食後に飲まれます。イタリア半島の反対側(東側)に位置するバッサーノ・デル・グラッパで生産されるグラッパに流通量では及びませんが、大量生産できない稀少なワインであるが故、富裕層も珍重してきたワインです。必ず在庫がある訳ではないようですが、チンクエ・テッレを訪れたら、ちょっとエノテカ(酒屋)を覗いて、このワインを探してみても良いでしょう。物にもよりますが、20〜30ユーロぐらいのお値段で購入する事も可能です。海際だけあって、もちろんお食事もお楽しみです。段々畑から採れたオリーブオイルは、潮風から魚介類に合う風味を受けたと言われる事もあるぐらい魚介類に特に合うそうですが、真相はどうでしょうか。
チンクエ・テッレでもう一つ紹介したいのが「愛の小道」と呼ばれる散策路です。この「愛の小道」は、5つの村の中で最南端に位置するリオ・マッジョーレ(Rio Maggiore)とその次のマナローラ(Manarola)間を結ぶ散策路です。
愛の小道は、徒歩で20分前後で歩ききってしまうぐらいの道です。「愛の小道」と呼ばれるようになった起源は定かではありませんが、道の途中には恋人達のモニュメントが作られたりして、地元の人々としては恋人達が逢瀬を重ねたロマンティックな道という説を定着させようとしているようです。名前はどうあれ、平坦な遊歩道なので、晴れた日には美しい海と前後に見える町の風景をご堪能頂けます。
【ブログ:地中海欧羅巴くらぶより】
http://bit.ly/ayG16f
- タグ:
- チンクエテッレ イタリア 世界遺産
- カルタジローネ(イタリア/シチリア島)
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア
- テーマ:街中・建物・景色 世界遺産
- 投稿日:2010/06/03 20:39
- コメント(0)
「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々」
シチリアの南島部にはこの名前が冠せられた世界遺産があります。町々と言うのは合計8つの町で構成されている為ですが、その8つの町の中でも特に名が高いのが、ラグーサ、ノートと今回ご紹介するカルタジローネです。
カルタジローネは人口僅か数万人の小さな町ですが、他の7つの町と同様に後期バロック様式による調和の取れた建築が並ぶ町並みが印象的です。そしてこの町には他の町にはない特別な物があります。陶芸です。
実はカルタジローネ周辺から採れる粘土は、陶器向きで非常に良質な事で知られています。古くは紀元前の時代から古代ギリシア人達も利用していたという話もあるぐらいです。中世の時代にはスペインから伝わったマヨルカ焼きの技法が取り入れられ、今日の色鮮やかな陶器の源流が形成されました。
この陶芸の技術が生かされているのが町の名所サンタ・マリア・デル・モンテの大階段です。この階段は全部で142段あり、下から眺めると壮観です。しかし、この階段の本当のみどころは遠くから眺める事ではありません。近くから眺める事です。それと言うのもこの大階段の蹴り上げの部分に一段一段異なる142通りの装飾が施されているのです。それも陶芸の技術を生かしたマヨルカ焼きのタイルで。
ツアーで立ち寄った場合、上からは行けないので通常下側から階段を見上げるポイントにご案内します。その後出来る限り自由時間もお取りしておりますので、少々きついですが一番上まで登ってみても良いでしょう。もちろん蹴り上げ部分の装飾を楽しみながら。最上部にはこの階段の名前の由来となっているサンタ・マリア・デル・モンテ教会が静かに佇んでいます。上部から下を見下ろすと、大階段が滑らかな斜面のように見えて結構面白いです。
一般的にはあまり立ち寄らないカルタジローネは実は魅惑一杯の宝箱のような隠れたシチリアの名所です。
【ブログ:地中海欧羅巴くらぶより】http://bit.ly/ayG16f
シチリアの南島部にはこの名前が冠せられた世界遺産があります。町々と言うのは合計8つの町で構成されている為ですが、その8つの町の中でも特に名が高いのが、ラグーサ、ノートと今回ご紹介するカルタジローネです。
カルタジローネは人口僅か数万人の小さな町ですが、他の7つの町と同様に後期バロック様式による調和の取れた建築が並ぶ町並みが印象的です。そしてこの町には他の町にはない特別な物があります。陶芸です。
実はカルタジローネ周辺から採れる粘土は、陶器向きで非常に良質な事で知られています。古くは紀元前の時代から古代ギリシア人達も利用していたという話もあるぐらいです。中世の時代にはスペインから伝わったマヨルカ焼きの技法が取り入れられ、今日の色鮮やかな陶器の源流が形成されました。
この陶芸の技術が生かされているのが町の名所サンタ・マリア・デル・モンテの大階段です。この階段は全部で142段あり、下から眺めると壮観です。しかし、この階段の本当のみどころは遠くから眺める事ではありません。近くから眺める事です。それと言うのもこの大階段の蹴り上げの部分に一段一段異なる142通りの装飾が施されているのです。それも陶芸の技術を生かしたマヨルカ焼きのタイルで。
ツアーで立ち寄った場合、上からは行けないので通常下側から階段を見上げるポイントにご案内します。その後出来る限り自由時間もお取りしておりますので、少々きついですが一番上まで登ってみても良いでしょう。もちろん蹴り上げ部分の装飾を楽しみながら。最上部にはこの階段の名前の由来となっているサンタ・マリア・デル・モンテ教会が静かに佇んでいます。上部から下を見下ろすと、大階段が滑らかな斜面のように見えて結構面白いです。
一般的にはあまり立ち寄らないカルタジローネは実は魅惑一杯の宝箱のような隠れたシチリアの名所です。
【ブログ:地中海欧羅巴くらぶより】http://bit.ly/ayG16f
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