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- 消滅するアラル海...消えないウズベキスタンの魅力...安倍首相も来たよ。
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エリア:
- アジア>ウズベキスタン>サマルカンド
- アジア>ウズベキスタン>タシュケント
- アジア>ウズベキスタン>ウズベキスタンその他の都市
- テーマ:ホテル・宿泊 世界遺産 自然・植物
- 投稿日:2016/01/05 15:17
今回は初の中央アジア、初の「スタン」であるウズベキスタンへの視察の機会をいただいた。なかなか個人的な旅行では、今まで候補にもあがってこなかったシルクロードの中間地点である。出発前にしっかりVISAの取得をして、十月の下旬のこの時期はウズベキスタン航空の直行便がお休みしているので、韓国の仁川を経由しアシアナ航空でタシケントまで約10時間、乗り継ぎがタイトな上、アシアナ航空の毎度の遅延の為ヒヤヒヤしたが無事乗り継ぎ、タシケントに到着した。現地で耳にした話では、来年からウズベキスタン航空が週3便に増便するらしい。フライトキャンセルが増えないか心配ではある。
仁川発タシケント行きの機内での事、ウズベキスタンの人であろう人達が、飛行機が離陸寸前だというのに空いている席を求めてウロチョロ、ウロチョロ。多数見受けられるほど落ち着きがない・・・ウズベキスタンに到着する前からそんな一面を垣間見ることが出来た。機内でウズベキスタンならではの、税関申告書を2枚も記入して到着に備える。
何と全ての外貨の持参金額を記入しなければならないなど厳しい。
また出国の際にも、記入が必要となるので保管用の1枚は大事に保管しておこう。
タシケントに到着後列なき列を並び、入国審査をするのだがキッチリ審査をするようで、
かなり時間を要した。長い時は1時間以上時間がかかるらしい。なおウズベキスタンは隣国も多く治安維持のため入国や出国、県境での検問などかなり念入りにやっているのが見受けられた。その甲斐もあって国内全土で治安が良好である。
バゲージを受け取り、税関申告書を2枚提出すると1枚返してくれるので、出国時まで大切に保管しなければならない。
また宿泊したすべての都市およびホテルでレジストレーションカードが発行され、これもパスポートに挟んで出国時にチェックしているようだが、紛失した1枚、予定外の民宿泊の為厳密には2枚足りなかったが、きちんとはチェックしていないようである。
また国際、国内、鉄道駅を含め利用者以外は立ち入り禁止の為、
荷物を受け取るとネームボードを持った空港係員が外のガイドまで連れて行ってくれるので、迷うことなく会うことが出来た。場合によっては、入国審査の手伝い(横入り)もしてくれるらしい。
インフレ?US$50分のスムの札束。
<アラル海と言う名の湖>
今回の目的は「アラル海」地球の歩き方に情報が少ないので、予備知識はほぼ皆無である。
首都タシケントに到着翌日、国内線を利用し、ウズベキスタンの西部の自治共和国であるカラカルパクスタン共和国の首都「ヌクス」に移動しアクセスする。
空港で待っていたローカルドライバーガイドの車をみてビックリ・・
おんぼろな古いセダンの車で行くようだ。後部座席に座る。
現地ドライバーと日本語ガイドがなにやら話している・・・ウズベク語?!なのでわからないが、ガイドに聞くと手配の内容ではジープで行くことになっているらしい。何故ならこの後道なき道の悪路を延々とドライブするのである。おんぼろの車では命の保証がない。
壊れたら最後、電波も人も何もない大地に置き去りである。
そんなこんなで、ドライバーチェンジである。いつ準備されるかわからないジープをひたすらホテルで待つこと、5時間ようやく新しい車のランドクルーザー当日手配で準備完了。
予定ではアラル海の湖畔でテント泊の予定だが、この時期は寒く氷点下の為、難しいそうであるが、その前に出発が5時間遅れで到着しても夜中なので、早くも予定変更の予感である。
何はともあれ、ひたすら走る事3時間半ほどで日が沈む前のムイナクに到着した。
ムイナクはもともと漁業でなりたっている地域であったが、今ではアラル海が完全に干上がり多数の漁船が放置され朽ち果てた姿は皮肉なことに船の墓場として有名になってしまった。またウズベキスタン側のアラル海と言うと一般にムイナクの船の墓場をイメージされる方が多い。ムイナクの村のはずれの小高い丘のモニュメントとともに錆びた鉄屑の漁船が放置されている。近くには博物館もあるので、変わり果てる前のムイナクの歴史をみることが出来る。
思った通り予定外の民宿で一泊し夜明け前にムイナクの町を後にして、アラル海の湖を目指す。ジープ(トヨタのランドクルーザー)で悪路の中を、道なき地平線が続く沙漠を進む。それにしても不思議なほど、ローカルドライバーが凄い!カーナビも地図もなければ、道もない!経験を頼りに真っ暗な道を進むこと4時間程すると消滅の危機に瀕するアラル海の湖畔に朝陽が昇るころ到着した。
かつて世界第4位の大きさを誇る湖だったアラル海もソ連による綿花栽培の用水として用いられたために半世紀で約5分の1に縮小してしまった。そして今なお縮小し続けている
アラル海は本当に消滅してしまうかもしれない。そしてアラル海を元の姿に戻すまでには、用水としての利用をやめたとしても70年もの歳月を要すると言われている。
泊まる予定だったテント。
道中には遥か昔の住居跡
何もない地平線を進む
スドチ・レイク
ラクダの行進にも出会う。
ちなみ予定ではアラル海が見渡せる丘の上にテントを張り一夜を過ごす予定だったが、昼間でも寒かった事を考えると、予定外が良かったのかも知れない。
なおアラル海は、塩分濃度が非常に濃いため夏の暖かい時期は、死海と同じように浮かびながら新聞を読むことが出来るらしい!!1泊2日の道中を含めトイレ・シャワーはないのであしからず。遺跡とは異なる新たな体験は思い出に残ります。
<カラ周り>
ヌクスからヒワへの移動日の事、道中カラ周りでもしてみる?!よくよく聞くと古代ホレズム文化を生み出したアムダリヤ川の流れを変えるたびに城を作り替え、1940年代に数百キロに渡り都城跡(カラ)が発見されて今なお点在している。アヤズ・カラにはユルタキャンプもあるので機会があれば宿泊してみるのも面白いだろう。キジル・カラ、トプラク・カラ、アヤズ・カラと3か所を周ったが観光客一人も会うことが出来なかったが、あまり知られていないウズベキスタンを見ることが出来ると思う。
日干しレンガで修復中のキジル・カラ
住民の居住区もあるトプラク・カラ
ユルタキャンプもあるアヤズ・カラ
<青の都 サマルカンド>
サマルカンド出身のタジク人の現地ガイドがポツリ。ウズベキスタンの国名を知らない人が多いらしい・・・しかしサマルカンドと言うと沢山の人がピンと来るほど有名な「サマルカンド」!!紀元前4世紀アレキサンダー大王が、その美しさに驚いたという長い歴史があるオアシス都市です。
レギスタン広場の3つのメドレセ(神学校)を始め、中央アジア最大級の「ビビハニムモスク」、イスラム教徒の聖地「シャヒジンダ廟群」など「青の都」と呼ばれる所以の外壁を覆う青いタイルのその独特の青色は、「サマルカンド・ブルー」と称えられとても美しい。
またナンの王様と言われるサマルカンド・ナンだけでなく、行列の出来るサマルカンドのプロフは激ウマでした。
大行列のブロフ屋さん
<タシケント>
タシケント観光の二日前に中央アジアを歴訪中の安倍首相がタシケント訪問し日本人墓地を訪れたそうだ。ソ連に抑留された日本人たちが遠い中央アジアのウズベキスタンまで流れ、治安の良いウズベキスタンの各地で安らかに眠っている。記念碑に刻まれた「鎮魂」そして石碑に漢字で刻まれた氏名・出身地には心の奥に刺さるもの感じずにはいられない。
また日本人が強制労働で見事な建物を作り上げたナヴォイ劇場も訪れて欲しい。その建物はタシケントの大地震でも唯一崩れなかったからこそ、ウズベキスタンの地でもメイド・イン・ジャパンの信頼や親日として好意を抱いてもらうことが出来ているのだろう。
しかしながら現在のウズベキスタンは、街中や車、電化製品を見ても間違いなく韓国が大勢を占めている。ちょうど安部さんも訪れたが日本とウズベキスタンが韓国と同等位には近い関係になってくれると非常にうれしく思う。
最後にウズベキスタンを旅行して分かった事があるので、これから旅行する方がいればぜひ日本語ガイド付きをお勧めしたい。やはり言葉の壁は高くウズベク語もしくはロシア語を話せないとかなり苦労する印象だ。しかしながらウズベキスタンの人はとても親切で愛嬌があり治安もとても良いので観光には最適です。
アラル海 ★★★★★ 地平線、水平線の大地が広がる。
サマルカンド ★★★★★ 鮮やかな青色は美しい。
タシケント★★★★★ 日本人の足跡を感じる事が出来る。
(2015年10月 大道 隆宏)
- 「聖地さえ 斜に構えれば USJ 異教徒女子の 秋、一人旅」 (心の短歌 ヨルダン・イスラエル・パレスチナ編)
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エリア:
- 中近東>イスラエル>エルサレム
- 中近東>ヨルダン>ワディ ラム
- 中近東>パレスチナ自治区>パレスチナ自治区その他の都市
- テーマ:ホテル・宿泊 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/01/05 15:13
今回の旅行先はヨルダンとイスラエル。イスラエルから旅の感想を記載する。
この旅行記のタイトルで聖地をまるでUSJのように思えてしまった、という件に関してはマサダとヤルデニットだけなのでそれを最初に述べておく。
キリストが洗礼を受けたヨルダン川にまつわるエトセトラ
ガリラヤ湖の南端、ヨルダン川に流れ出すヤルデニットと呼ばれる洗礼ポイントがあり、キリストがヨハネから洗礼を受けたとされる場所はさらに下流のジェリコ近郊にあるがこちらのほうがよく整備されていて巡礼者が多く訪れるのだ。洗礼を受けているところにビデオカメラを設け、その様子を出口で流し、希望者にはそのビデオを売る、というものだ。これってまるでウォータースライダーの写真を出口で見て記念に買うのと同じだ。もちろん信者たちは真剣で、一生記念として残るその様子を是非自国に持ち帰りたいというのが普通だと思う。出口にはヨルダン川の聖水や、洗礼を受けるときに着る衣装を売っていたり、またAHAVAの化粧品グッズが売っていたりと訪れる信者の気持ちと購買欲をくすぐる商品がいっぱい売っている。こうなると本当にUSJの「アトラクション」である。もちろん日本だって、神社のお参りだって同じじゃないかと言われてしまうかもしれない。確かにそうだ。でも日本のお寺や神社はもうちょっと厳かさがあって、少なくとも遊園地のアトラクションのようにはなっていない。またお参りする人の真剣さが全く違う。そこが私が違いを感じるところだった。
洗礼をうける信者達 それを見守る人々
洗礼の様子
聖水販売
ヤルデニットのお土産販売
みんなたくさん買っている
洗礼を受ける服の販売とその洗礼証明書
ヤルデニットの出口
巨大な要塞マサダ
マサダ国立公園は大きな標高400mの岩山の山頂に広がる遺跡で紀元前100年に造られた要塞だ。70年にローマ軍とユダヤ人が戦ったユダヤ戦争の最後の籠城戦でローマ軍への抵抗は2年以上も続いた。異教徒に辱めをうけることをよしとしなかった抵抗者は7人の女子供を除き、全員自決してしまう。ユダヤ人は全滅を再び繰り返さないという決意「ノー モア マサダ」というスローガンを語り継いできた。現在はここでイスラエル軍の入隊宣誓式が行われ、式の最後は「マサダは2度と陥落させない」という言葉で締めくくられるそうだ。
マサダの頂上へはロープウェイで行く
私が訪れたときにたまたまここでユダヤ人の成人式に幸運にも遭遇した。ユダヤ人の聖典トゥーラを持って練り歩く。家族や知人と楽団とともにマサダの要塞内を歌いながら練り歩く。歌詞の意味は分からないがたびたび「イスラエル」という言葉がでてくる。成人となる主役の男の子と目があったが何と幸せそうで誇らしげな顔だろうか。まっすぐにこちらを見つめる瞳とかわいい笑顔がとても印象的で今でも忘れられない。
13歳がユダヤ人男性の成人
家族知人で盛大に祝う
この要塞の頂上からみる景色は圧巻!
巨大な自然の要塞
遠くには死海が見える
住居跡なども残る
下の博物館やお土産屋さんの設備もすごく整っている。入ってから10分ほどのマサダについてのスライドショーがありその英語バージョンを見たのだが確か“WELCOME TO MASADA!”から始まってアメリカ英語でまさにUSJやディズニーランドのアトラクションばりの映像でそれを見たのちに先に進むようになっている。内容はユダヤ戦争でどのようにローマ兵士と戦ったかなど。お土産屋さんもアトラクションが終わったあとのグッズを売っている売り場とひけをとらない。「観光地」としての設備の充実具合、お金のかけ具合もパレスチナとはまるで違う。
イスラエルの入国事情
話は遡り、ヨルダンからイスラエルへ向かった日のこと。アレンビー橋での陸路で入国した。かの有名なイスラエルの入国で数時間かかるのは覚悟の上だ。ヨルダンにて出国税とバス代を払い、バスに乗って入国審査を行う。入国審査官は大きな体の男性で大きなボディピアスの穴が耳たぶにある。昔はやんちゃで悪さをしたけれど今となっては入国してくる人を厳しく取り締まる側になって、周りからは「あいつも変わったな、立派になったものだ」とか言われてるんだろうか、いや、ボディピアスはこちらではやんちゃなうちに入らないかも、でもユダヤ人の国家ならボディピアスはちょっとした不良がするに違いない、などとどうでもいいことを考えていたので、意外と緊張してなかったのだろう。あなたのピアスは超COOL!とか血迷ったことも言わないくらいの冷静さも残していた。私のパスポートは割と新しく、中東のスタンプもおされていないため、「ヨルダンの旅程は?イスラエルではどこに行くの?一人?エルサレムのホテルはどこ?英文の日程を見せて」などの質問くらいで割とすんなり入れた。残念ながらこれくらいの英会話ができない人はイスラエルには個人旅行ではなく添乗員がついている旅行をするしかない。もしかすると土曜のシャバット(安息日)のため彼らも早く帰りたかったかも?しれない。アンマンのホテルを出たのが08:00、エルサレムのホテルに到着したのが12:00だから割とスムーズにいったほうだとのこと。こんなとき丸顔でよかったと思う。丸顔は悪人には見られないのだ。
いよいよ憧れのエルサレム旧市街へ!!
今回エルサレムのホテルはオリーブツリー。4つ星ホテルで朝ごはんも充実していてネット環境も良い。すごく快適。ここの売店はAHAVAの製品が30%OFF で、AHAVAの死海の泥もしくは塩石鹸はここが一番安かったと思う。
欧米の団体客も多いオリーブツリー
到着した日は土曜日の正午くらいでちょうどシャバットだった。シャバットとは安息日で金曜の夕方から土曜の夕方まで。この間は全ての公共交通機関がストップする。車の通りもまばらだ。歩いて旧市街まで行ってみることにした。オリーブツリーの近くには有名なアメリカンコロニーホテルがあって、道路を挟むと正統派ユダヤ人のみがすむメア・シェアリーム地区。ダマスカス門まで歩いて10分から15分ほど。トラムが動いている時間だとダマスカス門駅まで二駅。ダマスカス門が近づくにつれ、アラブ色が強くなってくる。ムスリムが住むエリアはシャバット中も営業しているのだ。ダマスカス門に到着するとイスラエル軍の軍人が大きな機関銃をもって不審な人がいないかを見張っている。(476 シャバット中のダマスカス門の様子)怖い軍人に思えたが最後の方には慣れてきて聖墳墓教会(キリストのお墓があるところ)の道はこっち?など交番のお巡りさん扱いをしてしまう始末。でもびっくりしたのがヴィアドロロッサ(キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘へ歩いた道)を目の前にして、聖墳墓教会がどっちかその兵士はわからなかったのだ。たとえ所属1日目だとしても、ユダヤ人だからキリストのことをあまり知らないとしても、かの有名なヴィアドロロッサのどっちが聖墳墓教会に続くかはわかっているはずだろう。なんでだったんだろう。なぜこんなに多くの人が集まりこの道を往くのか考えないのだろうか。ダマスカス門から入った旧市街は他国のアラブの市場のよう。外国人用のお土産もあれば、地元の人用の生活用品、食品も売られていて懐かしいスパイスの香りが鼻孔をくすぐる。ああ、やっぱり私はこの雰囲気、香り、このアラブのマーケット、世界が大好きだ。そして太古から聖地であるこのエルサレムの地に立っていることを思うと感動で体が震えるのであった。ヴィアドロロッサをいくとムスリム地区の商店街も通るのだがそれがこの聖地の複雑な歴史をも思わせる。最終日の自由時間もこの旧市街とヴィアドロロッサを歩き何時間も歩いてへとへとに疲れていたがキリストが歩いたのは重い十字架を背負って、何度もひざまずいて歩いたことを思ってこんな疲れが何だ、負けるな、がんばれ、と自分を励ましながら歩くのだった。
お土産屋さんも多い旧市街のムスリム地区
旧市街は迷路のよう
アルメニア人地区は人気も少ない
アルメニア地区
キリストのお墓にはたくさんの人が列をなしている
嬉しい偶然!有名人(?)に遭遇!
マハネー・イェフダー市場はエルサレムの台所。色とりどりの野菜や果物、スパイス、お菓子など歩いてみるだけで楽しい。ここで顔見知り(?)に遭遇!
http://www.fivestar-club.jp/blog/traveler/archives/2014/12/post_638.html
FSCのスタッフ、山本がここに訪れた際のブログで後半にでてくるザクロをきるのがうまいおじちゃんを発見!!記念に一緒に撮影してもらった。
死海の浮遊体験
今回、ひょんなことで死海に浮くこととなった。ドライバーさんが一番おすすめなのがレオナルドクラブホテルの近くのビーチで、場所によっては死海の水は年々少なくなって水がビーチと水面が離れていて良くないとのことだ。以前ヨルダンに行ったときにも死海に訪れ、その時はデッドシースパに宿泊した。デッドシースパは下に泥がたまっていたけどここには泥はなかった。泥パックをする場合は買ってくる必要がある。死海に浮いたり、ビーチでのんびりしながらシーシャを吸ったりするのは楽しい。教会や遺跡めぐりだけではちょっと肩がこる、という人に是非おすすめ。(764 きれいなビーチ)(768 死海で浮いてみました)
イスラエルのコスメ事情
イスラエルのコスメで今日本でも人気なのがSABON だが、中でも一番人気の死海の塩を使ったボディスクラブは600グラムで日本では5500円だけど、エルサレムでは「SABON の会員登録をして二つ目が半額キャンペーン」みたいのをしていてそれを利用して半額くらいだ。海外に住んでいても問題ないそうで、金券クーポンみたいのをくれて「東京のSABONでもこの額面相当の金券として使えますよ」とのことだがそのクーポンはヘブライ語しか記載がないけど本当に日本のスタッフはわかってくれるかしら? いくつかコスメのお店を周ったけどみんな英語が上手で売り上手!しかもその売り子さんが美人で「私も使ってます」とか笑顔で言われたら買わないという選択肢はない。SABON 以外にも有名どころと言えばマドンナが愛用しているLARINEも旧市街近くのMAMILA MALLや繁華街のベン・イェフダー通りで手に入る。あと、ガミラシークレットというオリーブの石鹸も有名だそうなのだが残念ながらこちらは売っているところを見かけなかった。そもそもオリーブの石鹸が少なく、死海の泥石鹸、塩石鹸のほうが主流のようだ。ヨルダンの高速のサービスエリアでも死海グッズは売っているのだけどなんだろう、イスラエルのものは高級感が違う。どの国の女性もそうであるように化粧品は本当の効用よりもイメージが大事で「ここのブランドで、それなりのお金を払っているのだし効き目があるはず」と思いながら使うのが一番効果あるのだろう。見てくれもそれなりの高級感があって買う段階でわくわくさせてくれるようなのが売れる化粧品。それがヨルダンの死海コスメには足りないのだと伝えたい。余計なお世話かもしれないけど。
イスラエルの免税手続きについて
先述のマサダ国立公園やヨルダン川の洗礼のお土産屋さんの一角に有名なAHAVAの商品が置いてある。400シェケル(12000円くらい)以上の買い物が免税対象だ。以前日本に上陸したものの、いろんな団体の反対にあい撤退したようだ。この国での免税の方法は買ったお店でそれ用の書類を記入してもらう。それをチェックインする前の段階でVATの表示のあるカウンターにてその書類に判をおしてもらう。化粧品など液体の場合はこのあと預けるスーツケースの中に入れて、その書類だけ手元に残しておく。その後、航空会社のチェックイン、出国後に免税店エリアの一角にまたVATと書いたカウンターがあるのでそこに書類とパスポートを見せて、現金(USDかイスラエルシェケル)にて返してもらう。このような流れだった。
ヨルダン再訪の旅
ヨルダンの訪問は10年ぶり。前回はシリアとあわせて旅をしたがまたヨルダンに訪問することになるとは思わなかった。前回はぺトラと死海を旅行したので今回はワディラムで宿泊することとなった。
ワディラム宿泊のおすすめ!私だけのアラビアンナイト!
映画「アラビアのロレンス」の舞台となったワディラムの砂漠。4WDで砂漠を探検する。巨大な岩山と広大な砂漠の風景は進めば進むほど新しい表情を見せてくれ、かたときも目が離せない。
高台からワディラムを見下ろす
ロレンスの家
ロックブリッジ
絶壁
日帰りではなく宿泊してじっくりその魅力に迫り、夜は降るような星空を楽しめるプランがおすすめだ。本日の宿泊は通常のキャンプサイトより奥地にあり、4WDでしか行けない砂漠の真ん中にあるナイトラグジュアリーキャンプ。今回の宿泊はとてもユニークなお部屋に泊めさせてもらった。昔、デパートの屋上で、空気でふくらませたビニールの巨大なドームみたいな中で子供がぴょんぴょんとべる遊具があったが、それと同じ原理で部屋の上半分くらいが透明になっていて、ベッドから星空を眺められるお部屋に宿泊した。部屋の中にトイレもシャワーもあり、外から空気が送られてくるので少し乾燥するものの、こんなわくわくするお部屋に泊まることとなりドキドキだ。ベッドに寝転び部屋内の電気を消すと星空しか見えない。(ちょっと砂埃で汚れていたから外と全く同じ、というわけにはいかないけれど)なんて贅沢でロマンティックなお部屋なんだろう!しかし部屋自体が大きな風船のようになっていて、入り口は二重になっているので出入りするときは必ずどちらかを閉めていないと空気が漏れてしまい、部屋自体がペチャンコになってしまうのでご注意を。あと、荷物を置く場所は限られていてスーツケースひとつくらいしかあけるスペースがないので、二人で泊まる場合は一人分のスーツケースにまとめて置くのがよいと思う。このタイプのお部屋はまだ一部屋しかないが部屋を増やすことを計画しているそう。
外観はこんな感じ
ベッドの上には星空が広がる
普通の部屋はベドウィンのテントをイメージし、中はこだわり抜いた家具や寝具と落ち着いた雰囲気で、ここが砂漠の真ん中であることを忘れさせてくれ、至福のひとときを与えてくれる。
テントをイメージしたお部屋
美味しい料理とテントのレストラン
共同のトイレ・シャワー
ベドウィンのテントのような外観の部屋
目の前にはワディラムの岩山の風景が広がる
美しき街サルトで家庭訪問!
アンマンは都会なんだけど何となく味気なくてさほど見どころも少ない。今回はアンマン近郊にある小さな街サルトで他にはない面白い体験ができるとのことなので訪れることとなった。サルトはヨルダンで最も古い街の一つで黄色い石造りの家々が丘に沿ってたつ美しい街なのだが、ここでなんとヨルダン人の家庭訪問をさせてもらった。お母さんが料理をふるまってくれたのだが、印象に強く残っているのがマクルーベという炊き込みご飯で大きな鍋に炊きたてのご飯を大きなお盆の上を頭にのせ、頭の上で鍋をひっくり返すのだ!チキンも入っていて優しい味で日本人の口にもあう。今回の旅行で一番美味しい食事だった。それをヨルダン人の家でお母さんと一緒にいただくのだから喜びもひとしお。食事の後の伝統衣装をきての写真撮影をさせてもらった。大きな布を帯やピンでとめていく。日本の着物も大きな布をまとうのだけど、出来上がりはこんなに違います。おもしろいなぁ。
頭の上で大きな鍋をくるり
マクルーベ、おいしそう!
お母さんと一緒にいただきまーす
こんなに大きな布を・・・
お母さんに着せてもらいます
お母さんと記念撮影
また歴史ある美しいこの街での散策も楽しい。迷路のように入り組んだ路地と階段の先にはこの街の全景がわかる素晴らしい景色が私を待っていたのだった。
サルトは丘の上に家々が建つ
きれいなサルトの街並み
サルトは階段が多い
ムスリムとクリスチャンが住む街
戦争を繰り返す国へ
ヨルダンはシリアの隣にあって「治安は大丈夫?」と思う人もいるかもしれないが、ヨルダン自体は安全そのもの。現地の人は「ヨルダンは中東のスイス」と例えていた。
私は大好きな朝ドラの「あさが来た」の言葉をこの国に、また戦争をしている国に伝えたい。あさは折り合いのつかない炭鉱夫たちにピストルで脅す形で働かせることとなってしまったのだが、その日、夫の新次郎はあさに下記のように言うのだった。「相手を負かしたろと武器もつやろ、そしたら相手はそれに負けんようにもっと強い武器をもって、そしたらこっちはもっともっと強い武器を、ってこれは太古の昔からあほの男が考えるこっちゃ。あさはそんな力づくの男のやることではなくてもっとあんたなりのやり方(女性らしい“柔らかい“やり方)があるんとちゃいますか。」
暴力には暴力で対抗するのではなく、誰の命もおとすことなく、また、ラビンとアラファトが握手をしたようにお互いの手と手をとって、話し合って解決できる日が早く来てほしいと願うばかりである。
★★★★★ エルサレムの旧市街 フリータイムに自分で散策が面白い!!
★★★★ ベツレヘム、ジェリコ パレスチナとイスラエルの違いを自分の目で確かめよう
★★★★ 日帰りで死海浮遊体験(イスラエル) 教会めぐりとは違った楽しさ
★★★★ ワディラム 宿泊して自分だけのアラビアンナイトを!!
(2015年11月 辻理恵子)
- ついに時が動き出す!?旧世紀のレプリカ キューバの肖像
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エリア:
- カリブ海>キューバ>ハバナ
- カリブ海>キューバ>トリニダー
- カリブ海>キューバ>サンチャゴ デ キューバ
- テーマ:ホテル・宿泊 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/01/05 15:10
いつか行きたい国は突如、行かなければならない国となった。
パステルカラーのコロニアルな建物の前を、クラッシックカーが颯爽と走り去る。葉巻の煙とジャズが漂う街で、20世紀初頭という時代に飲み込まれる。
<ハバナ>
54年ぶりに米国との国交正常化を果たしたキューバ。首都ハバナの旧市街にあるのは洗練された美しさではなく、使い込まれた美しさ。生活感のある街の色はどこか懐かしい。
観光の中心オビスポ通りでは観光客と地元っ子が行き交い、お土産物屋にはイケメン革命家チェ・ゲバラTシャツやマラカス、木製の置物が並ぶ。一歩脇道へ入ると、活気溢れる生活エリア。大声で果物を売る屋台があったり、道端で車を修理する人がいたり…たくましい人々の生活風景は、映画のワンシーンのように美しい。バルコニーの洗濯物ですら、世界遺産の一部かと思うほどに存在感がある。
地味だがおすすめの場所は、アルマス広場の古本市。雨天以外の毎日開催されている。革命関連の書物はもちろん、財務大臣だったゲバラのサインの入った紙幣。大胆なグラフィックの政治プロパガンダ的ポスター。革命前からあるようなオールドクラシックな時計や、装飾品。ここに並ぶヴィンテージの品々は、この国のどんな歴史を見てきたのだろう。ひとつひとつの物語を想像すると、わくわくが止まらない!気づけばここへ毎日通っていた。
アルマス広場の古本市
<トリニダー>
キューバの心に最も近づけるのは、この町かもしれない。
照りつける太陽の下、カラフルな平屋の町並みをのんびり散策。疲れたらカフェでモヒートを一杯。一服したらまた、音楽に導かれるように歩き出す。気のむくままに、道端で人々とサルサを踊る。自分がイメージした通りのキューバは、ハバナよりもむしろトリニダーにあった。
バーから聴こえてくる生演奏に足取り弾ませていると、馬に乗ったお兄さんがあいさつをしてくれた。ジーンズにくたびれたネルシャツ、カーボーイハットをかぶり、いかにも客引きという出で立ち。戸惑いながらもあいさつを返すと、彼はそのまま街角のアグロ・メルカード(農産物市場)で豆を買い、どこかへ消えてしまった。客引きではなかったらしい。こんな場所が21世紀にまだあったなんて。
町は気取らない音楽にあふれ、旅人たちはただただ時の流れを楽しんでいる。アメリカとの国交正常化した現在、こんなに印象的な街並みのトリニダーでは、今すぐにでもハリウッドの撮影がはじまってもおかしくない。いにしえの時の流れは、いつか早まってしまうのだろうか。
せっかくキューバを訪れたのに、ハバナだけで過ごすのはもったいない!たとえ1泊でもトリニダーに滞在することができたら、キューバの印象がググッと変わってくるだろう。
<サンティアゴ・デ・クーバ>
「ハバナなんてキューバじゃない!本当のキューバはここサンティアゴだ!」
日曜日の昼下がり。迷い込んだ住宅地で、手持ち無沙汰なおじさんにつかまり熱烈な演説を聞くはめになった。(スペイン語だったので、ほとんど理解はできなかったが)
かつて首都として栄え、キューバ革命への第一歩が踏み出された地でもあるサンティアゴ・デ・クーバ。フィデル・カストロ前国家評議会議長が青年期を過ごした街であり、キューバ音楽のメッカだ。この街にあるのは植民地時代の面影を残す街並みと、空をなぞるような電線。蒸せ返るような暑さとひなびた坂道。どこかの家の一室から聞こえてくるバンドのリハーサル・・・確かに、ハバナよりもキューバっぽいかも!
街にはとにかくアジア人が少ない。いや、ほとんどいない。歩いているだけで前から後ろから、上から下から、いろんなところで声をかけられ、珍しがられる。これから公園でサルサを踊りに行かない?なんておじさんも。この街では現地の人と井戸端会議に花を咲かせ、思いっきり触れ合ってみるのがいいだろう。
素敵な笑顔の親子
お手製のキックボードで遊ぶ少年
おすすめのビュースポットは、ガイドブックにも記載のあるパドレ・ピコ(階段)。パステルカラーの町並みと雑然とした電線がなんともサンティアゴっぽい。雨上がりのパドレ・ピコは、アスファルトの湿り具合から人々の動線がわかる。階段に腰掛けて、いつまでもこの通りを眺めていたい思いだった。
パドレ・ピコ(階段)からの景色
<カサに泊まると、キューバをもっと好きになる!!>
碇を逆さまにしたようなカサのマーク
カサ(カサ・パティクラル)とは、キューバ人が個人宅を改装し、客室として提供している宿のスタイル。ホームステイと民宿の中間くらいの感覚の施設だ。政府からの許可を得ている家庭のみがカサを経営することができる。
はじめてのカサ体験はトリニダー。バスターミナルの入口にカサの客引きがずらりと並ぶ中、予約してあったカサのオーナーの息子さん(多分高校生くらい)は私の名前を書いた紙を持って待ってくれていた。合流し、ターミナルから徒歩10分のカサを目指す。彼は道すがら、町の中心部へ行き方やガイドブックには載っていない郊外のみどころを説明してくれた。
カサに着くとオーナーである彼のお父さん、お母さんが出迎えてくれた。このカサは3人家族。出かけるとき声をかけてくれたり、帰ると家族3人リビングでテレビを見ていたり、まるで実家に帰ったかのような、ほっこりした気持ちで宿泊することができた。
カサ お部屋のイメージ
カサのリビング
カサの中庭で朝食
カサのお父さんとお母さん
カサのルールは利用するカサによって、予約内容によってそれぞれ異なる。今回利用したカサはチェックイン後、家の鍵と部屋の鍵を渡してくれた。早朝散歩するのにも、夜遅くまでジャズバーで楽しむのにも、戸口の開け閉めのためにわざわざオーナーを呼びつけるわけにはいかない。まさか鍵を預けてくれるとは思わなかったのではじめは戸惑ったが、この鍵はすごく役立った。鍵は渡されず門限が決まっていたり、朝食の時間が決まっていたりするカサも他にはあるらしい。
朝食だけではなく、夕食もカサのお母さんの手料理を頂くのが絶対おすすめだ。一般的にキューバは外食の習慣がない。ほとんどのレストランが観光客向けで、美味しい店を見つけることは結構難しいと思う。それならカサのお母さんに夕食を作ってもらった方がいい。キューバの家庭料理を味わえるし、お母さんとも仲良くなれる。
カサで頂くキューバの家庭料理
トリニダーのカサは一軒につき客室一部屋のところが多いが、その他の都市では複数客室を持つカサもある。サンティアゴで利用したのは4部屋を持つ2階建ての大きなカサで、ちびまるこちゃんのような大家族がオーナー。赤ちゃんを抱いた奥さんがチェックインの対応をしてくれた。屋上へ上がるとブランコで遊ぶ小学生くらいの娘さんがいたり、その側でお兄さんがお隣さんと物々交換をしていたり。いろんな世代の生活を垣間見ることができたのはとても素敵だ。
未だに配給のある生活をしていて、皆配給手帳を持って配給所へ出かける。ここで低価格で購入できるのは油、塩、コーヒー、黒豆、卵、鶏肉、離乳食など・・・そういえば街で見かけた配給所はいつも人だかり。旅行客は近づけない雰囲気だった。街中は明らかに物資が不足している。野球大国としても知られているが、空港へ向かう途中に見たハバナのメインスタジアムはオンボロ。アメリカメジャーリーグでのプレーを夢見て亡命する野球選手もいると聞くが、あの設備をみると複雑な気持ちになる。
けれど、今の生活も不自由ばかりではない。学費は大学まで無料。医療費も無料だ。街では、世界がうらやむアメリカ製のクラシックカーが気取らない姿で行き交う。
素朴なこの国らしさは、経済封鎖の解除によって無くなってしまうかもしれない!なんて私たちの焦りは杞憂だったように思う。当のキューバ人たちは相変わらず、うらやましいほどに陽気でたくましく、したたか。そもそもあんな大国と対等の関係にあった国なのだから、みんな芯が強い。
世界が広がったことによって、これからキューバはどんな考え方と出会い、どう変化していくのだろうか。この国について考えることのひとつひとつが、気がつけば再訪の理由になっていた。
Welcome to my home, this is your home! と歓迎してくれたハバナのカサのお父さんと
【スタッフおすすめ度】
ハバナ旧市街★★★★・・・クラッシックカーが行き交う、時が止まったような世界遺産
トリニダー★★★★★・・・音楽にあわせて散策できる、美しい田舎町
サンティアゴ・デ・クーバ・・・ディープなキューバに会える!灼熱の革命の故郷
(2015年11月 仙波佐和子)
- ここは地の果てアルジェリア〜華麗なるミクスチャー〜
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エリア:
- アフリカ>アルジェリア>アルジェ
- アフリカ>アルジェリア>コンスタンチーヌ
- アフリカ>アルジェリア>アルジェリアその他の都市
- テーマ:世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/01/05 14:30
ここは地の果てアルジェリア〜華麗なるミクスチャー〜
初めて訪れたアルジェリアは北アフリカにあって一言に「中近東」とは言えない国だと思いました。
まず首都のアルジェは「北アフリカのパリ」と称えられるように、まるでフランス風の近代的な建物も多い中、それ以前のオスマントルコ時代の白亜の建物とバランスよく配置され、その地中海の青さと相まって街を歩いているだけでため息のでるほどの美しい景観の連続です。首都でありながらこのような美麗な街は世界でもローマ、ハバナ、プラハくらいでしょうか?個人的には観光客ばかりの本場パリよりもアルジェの雰囲気の方が私の好みです(もちろん私も観光客なので不遜な物言いとは思いますが、、、)。
更にアルジェリア第3の都市、コンスタンティーヌは深い谷に囲まれた中世の街並みで知られる街です。峡谷にいくつも架けられた巨大な橋越しにみるコンスタンティーヌの街は他に類をみないファンタジーさながらの世界です。
もちろんアルジェリアではローマ遺跡も忘れてはなりません。特にジェミラ遺跡は世界に数あるローマ遺跡の中でも世界最大を誇る遺構として知られています。広大な遺跡の中に立って、残された家屋や浴場、フォーラムに劇場など、さらには実際にゲームに興じたであろう石畳に残る窪みや落書きを見るとまるでローマ時代の人々がそこに生きているような感覚を覚えます。またティムガット遺跡はその存在を知られるまで長年砂に埋もれていたことから「アフリカのポンペイ」と称されますが、個人的には訪れたことのある本場のポンペイよりもティムガットの方が美しいと感じました。
アフリカでありながらまるでヨーロッパにいるような街並みや遺跡は、フランスやイタリアのそれ以上の美しさといっても過言ではなく、また時の支配者の変遷によって見られる建物の構造の移り変わりなど興味は尽きません。もちろん荒削りな大地と青く美しい地中海のコントラストはさすがにアフリカ!といえるような風景を見受けられます。
アルジェリアに惹かれるのは、隣にはモロッコやチュニジアという砂漠や遺跡、旧市街で知られる人気の観光国がありますがそれらとも明らかに違う、アフリカとヨーロッパさらにはかつてこの地を支配していったベルベル人、ローマ帝国、アラブ人、フランスの文化の調和のとれた程よいミックス感。それ故に、決して観光客向けに設備やインフォメーションが充実したとは言えないこのアルジェリアに対して、私のような外部の観光客も居心地のよさを覚えるのかもしれません。
今回、アルジェリアでの目的地は下記の5か所です。
・アルジェとその近郊(ティパサ、シェルシェル)
・コンスタンティーヌ
・ティムガット
・グーフィ峡谷
・ジェミラ
すべて外務省の危険度レベルは2なのが多少気になりますが、そこは信頼している現地旅行社とコンタクトもばっちり準備万端出かけてまいりました。実際、現地スタッフは気配りの行き届いた優秀な方も多く、アルジェリア旅行をお考えのお客様に安心してご旅行いただけると自信をもってお勧めできます。
余談ですが、本当はフランスの建築家ル・コルビュジエがインスピレーションを受けたとされる「ムザブの谷」にも行きたかったのですが、スケジュール上都合が合わず断念しました。帰国後あまりのアルジェリアの良さに感動し、「次にアルジェリアに行くときは絶対行こう」と心に決めたことは言うまでもありません。
11月4日
カタール航空にてアルジェ到着。
ドーハからアルジェのフライトは日本人の乗客は私のみであること以外は予想外にも混雑しており、何人かのアジア人も見かけた。話し声を聞くとどうやら中国人らしかった。きっと石油かゼネコン関連に働く人々だろうと思った。
英語表記がない入国カードをガイドブック参考になんとか書き上げ、パスポートと一緒に提出。アルジェリア入国。
入国は比較的スムーズだったが、機内に預けた荷物が出てくるに30分くらい待たされた。のんびりしているなぁ。
税関を抜けたゲートにて今回のガイドさんと合流。
ガイドさんは流暢なアメリカ英語を話し、爽やかな笑顔の小綺麗な出で立ちでアルジェリア人というよりもどことなく品がいいフランス人のように見えた。といっても典型的なアルジェリア人の顔がどういうものかがまだわかってはいないのだが。。。
次に両替所へ向かう。ガイドさんに相談し100ユーロは使うだろうという事で100ユーロを両替し11610アルジェリア・ディナール(AD)をゲット。もしADを使い切ってもドルやユーロであればホテルで両替できるそうだ。(でも結局100ユーロも使うことはなく、9日間のツアーで費やしたのは日本円で5000円未満。残りはチップとしてわたした。)
空港からダウンタウンへは車で15分程度。渋滞がひどい時は1時間半かかる事もあるそうだ。この日はラッキーで車はすいすい目的地まで流れた。
<アルジェ>
アルジェの写真を見せられた人は、ここが南仏などヨーロッパのどこか港街を思い浮かべるだろう。地中海の青さは吹き抜ける風の爽やかさを,折り重なる丘陵に這うように造られた白い街並みは朝夕この街を照らす太陽の輝かしさ感じさせる。港沿いの大通りには大統領宮殿、政府官庁、裁判所、国立博物館の堅牢なアーチをもった建物が並びながら、世間話に花を咲かせる男達の姿や、サッカーに夢中になる子供達、釣竿をもった人が行き交うのんびりとした光景。港の西側の小高い丘はカスバ(アラビア語で「城壁」)と呼ばれ16世紀に敵からの侵入を防ぐために造られた。フランスの攻撃を免れた中世の面影を残す歴史的な地区は世界遺産として登録されている。
今回の我々が歩いたのはアルジェのカスバの丘の上の交番から、カスバの麓の賑やかなマーケットが近くにあるケチョウア・モスクまで。
カスバを歩いているとすぐに目に飛び込んでくるのは海の美しさ。路地からひょいと顔を覗かせる地中海、その手前には白亜の街並みが折り重なるように眼下に迫ってくるようで鮮烈だ。道すがら聞こえてくるのは、学校が終わってじゃれ合いながら家路に向かう子供達の声。住宅の中からは工房で作業するトンカチの音や、キッチンの野菜を切る包丁の音、そして食べ物の匂い。ここで生活する人々の500年前と変わらない息遣いが聞こえてきそうだ。なお後から聞いた話だが、カスバは治安が悪いらしく一人歩きは避けてくださいとのことだった。なんでもひったくりなどするBAD BOYSがいるらしく、観光客は必ずガイドと付き添いで、歩くことができるコースも決められている
ガイドさんの案内で伝統的な木製の飾りを作っている工房にお邪魔した。このお家は3階建の伝統的なカスバの住宅様式で、住宅の中心が吹き抜けとなっており、そこから自然の光が差し込んでいる。モロッコのリヤドと構造的には近いが、それほど広々とした中庭はない。
もともと敵から身を守るために造られた要塞都市のため、広い中庭よりも身を寄せ合うよう生活できる居住空間が求められたのであろう。屋上のテラスからは隙間なくびっちり建てられたカスバの住宅と地中海の壮大な景観を望めた。
工房のご主人とガイドさんが世間話をしている時に、子供達が遊んでいるのを発見したので思わず写真をとってもいいかと身振りで合図。一人の女の子は家の中に隠れてしまったが、それでも興味があるらしく時々ドアの向こうから顔を覗かせる。そういったシャイな仕草が可愛らしい。結局、女の子の写真は撮れなかったが男の子は気前よく応じてくれたので、男の子達と一緒に記念撮影。
基本的に男性であれば、嫌な顔せずに写真を撮らせてくれる。女性、特に成人の女性は他のイスラム教の国同様、宗教的な考え方もあってなかなか写真は撮らせてもらえないようだ。また生活空間が映り込むような写真もあまり好ましくはないようだ。青い手すりが印象的なアルジェの街並み、その特徴的な外観に惹かれてテラスの写真を沢山とっていたのだが、ガイドさんにもうちょっと全体を撮るようにしたほうがいいとアドバイスをもらった。
カスバを抜け、次に向かったのはノートルダム寺院。白い外壁と緻密な装飾の施された青いタイル見事なアルジェの北部に位置する街のシンボル的な存在。フランス統治下の時に建てられた、現在アルジェで唯一の教会である。アルジェリアの9割がイスラム教徒であるが、外国からの移住者や駐在するビジネスマンなどがこの教会にお祈りに来ているそうだ。午後5時くらいまでであれば教会の内部に入れるということだったので、入らせてもらった。写真撮影が禁じられているのでお見せすることができないが、椅子までも真っ白な大理石で重厚感がある。この教会のある丘からはアルジェの街並みの全体が見渡せ、展望台のような街の憩いの場となっていた。
太陽が黄金色に街を染めていく頃、ホテルに向かって出発。車が行き交う狭い路地を抜けていくため、ホテルに着くことにはすっかり日も暮れてしまった。途中、美しい湾岸沿いの大通りで夜の街並みを撮影させてもらった。夜は夜で、良い雰囲気だ。
<ST ホテル>
アルジェの街の繁華街に位置するエレベーター付きの7階建て、3つ星ホテル。清潔感のある室内はいたってシンプル。バスタブ、セーフティーボックス、スリッパ、エアコンはなし。WIFIは無料だが、室内では電波あるものの全く弱く使いものにならなかった。レセプションの近くであれば弱いながらも使えた。テレビ、冷蔵庫、バスローブ、ドライヤー、暖房器具あり。私の部屋だけかもしれないがなぜかシャワーの蛇口がHOTとCOLDが逆に取り付けられていた。つまり温かいシャワーを浴びるために栓をHOT側(赤い印の方)にひねるのだが、一向に熱くならず、まさかと思いつつ青色側にひねると熱くなった(海外あるある)。
夕食は近くのホテルのレストランで。伝統的なアルジェリア料理をいただいた。
アルジェリア料理はコースのように、まずパンとスープが供され、それからサラダ、そしてメインという風に3種類の料金で構成されている、
まず私がいただいたのがショルバと呼ばれる、クスクスのような小さな麦の入ったトマト味のスープ。ミネストローネのような感じで日本人の舌にも合うと思う。体があったまる。そしてサラダ、アルジェリアの人々はサラダが好きらしく、基本的に昼・夜とも必ずといっていいほど出された。実際アルジェリアは農業国であるらしく、国民の四分の一が何らかの農業または家庭菜園に携わっているそうだ。それからピカタ・ドゥ・ボーという、いわゆる牛肉のステーキを頂く。日本のステーキは柔らかいものが多いが、こちらのステーキはアメリカンやオージービーフのような噛み応えのあるお肉。
イスラム圏のローカルの料理というと口に合わないものも多いが、どちらかというとアルジェリアの人々はヨーロピアンな味覚に近いかもしれない。あまり見慣れないような食べ物はなかった。しかしお酒はないお店がほとんど。
食事を終え、帰りに部屋で飲む用のコーラ(40AD)を買ってホテルに戻った。
11月5日
朝7時にホテルの朝食。ブッフェ形式だがあるのはフランスパンにクロワッサンなど4種類くらいのパンとゆで卵、そしてヨーグルトのみ。飲み物は紅茶、コーヒー、ジュースの3種類。「1日30品目を食べなさい」とよく聞くがこれでは赤点になりそうな献立である。
8時にホテルロビーにてガイドさんと合流。
この日はアルジェ郊外のティパサとシェルシェルを目指す。
<ティパサ>
アルジェから高速道路を走ること1時間、地中海沿いに世界遺産に指定された1世紀古代ローマ時代に隆盛を誇ったティパサと呼ばれる都市遺跡がある。ティパサを町として最初に築いたのは紀元前7世紀のフェニキア人。地中海の覇権争いに勝利したローマ帝国はここを海上交易の要所として繁栄させ、全盛期には1万人もの人々が生活していたそうだ。全長2300mの城壁に囲まれた街の中心には、ローマ神話の神・ジュピターを祀る祭壇、そこを交差点として東西に延びる石畳の街路と海へと続く道の先には、商店街や美しいモザイクの床が残る高級住宅街の面影を残している。その他、古代ローマ時代の街づくりには欠かせない闘技場、劇場、浴場、また20㎞以上離れた山からの引いた泉(貯水設備)まであったというから驚きだ。これらのティパサの発掘がされている部分はまだ45%ほどと言われており、残りの55%は海の下で眠っているというからその巨大さとそれを作り上げたローマ文明の叡智には感嘆するしかない。地中海の真っ青に広がる海と断崖沿いの古代ローマ遺跡のコントラストの美しい景色を見ながら、まだ見ぬ地中海に沈んだ残りの街並みに思いを馳せた。保存状態のよいモザイクやガラス細工などの出土品はすべてティパサの博物館に収められており、こちらも必見である。
ティパサの遺跡は、その風光明媚な景観から地元の人々の憩いの場となっており、一緒に写真を撮ったりしてつかの間の交流を楽しんだ。学生ぐらいの年代と思われる女の子に、「懇願」して待望の(?)女性と写真を撮らせてもらった際、日本の伝統や様式に興味があるという女の子がいた。日本から遠く離れたアルジェリア地で歴史的には縁もゆかりがない日本のことに関心があることに驚きと同時に嬉しかった。年齢はもちろん、文化や習慣、宗教観など共通項がほとんどないような国同士の人間がこうやって交流できるから旅行は楽しいなと再度実感したのだった。
昼食はティパサの海岸沿いのシーフードレストランで。ティパサの街中ではシーフードのレストランが軒を連ねており、いずれも店頭で焼いており魚の焼ける香ばしいいい匂いを歩行者に向けて放っているものだから否が応でも食欲がそそられる。アルジェリアでは魚介類は高級食材だそうだが、ひっきりなしにお客さんが来る。人気店なのだろう。近くの港の威勢のいい声を聞きながら新鮮なシーフードに舌鼓をうった。
<シェルシェル>
ティパサより西へ約30㎞、世界遺産には登録はされていないが、紀元前2世紀にはモロッコからジブラルタル周辺までを支配下に治めた、ベルベル人マウリ部族の王国、モーリタニア王国の首都カエサリアが置かれていたという町シェルシェルがある。現在は人口5000人程度の小さな港町。当時の面影を残すものとしては劇場やローマ広場などが見られるが損傷が激しく、ティパサのそれらよりも保存状態はよくはない。しかし町の博物館で見られるこの地の王であったユバ2世やその妻であるクレオパトラ・セレーネのなめらかな曲線をもつ美しい彫像、さらにはギリシャ神話に登場する「三美神」を描いた妖艶なモザイク画等、ティパサに展示されているものよりも緻密で見事だと感じた。
またシェルシェル郊外には、ユバ2世が建てた妻クレオパトラ・セレーネを埋葬したとされる直径61m、高さ32m巨大な墳墓がある。60本もの大きな石柱が使われ、敵からの侵入を防ぐ為に入口を装った穴があるなど興味深い。
ティパサ・シェルシェルの観光を終え、アルジェの空港へ向かう。
コンスタンティーヌへ向かう飛行機に乗るためだ。アルジェリア航空のチェックインを済ませ、昨日、今日とお世話になったガイドさん、ドライバーさんとは残念だがここでお別れ。名残惜しさをおさえ、出発ゲートへ向かう。
待合室では売店とコーヒーショップのみ。売店の女性にコーラを買うついでにインターネッットができるか聞いたところ、「まっすぐいったところWi-Fiのプレペイドカードの自販機があるからそこで購入して」と言われた。言われる通り、すすむと自販機があった。30分と1時間のカードがあり私は30分のカードを購入(250AD)。メールなどのチェックと今日行ったティパサ、シェルシェルについて調べた。
ボーディングタイムになっても、それらしいアナウンスはなく、待合室のフライト情報を表示するテレビのモニターは壊れていたのでちょっと心配だったが、コンスタンティーヌ行きの人々の列を見つけ、無事オンタイムで出発。フライトは約30分。コンスタンティーヌに到着。
荷物をピックアップしたあと、コンスタンティーヌの空港にて現地旅行社のスタッフ・サラ-さん、ドライバーさんと合流。
市内のレストランで遅めの夕食(牛肉の串焼き)を食べた。アルジェで食べたものよりもジューシーで美味しかった。
そして市内のホテルへ向かいチェックインを済ませ、就寝。
<イビス・コンスタンティーヌ>
市内中心部に建つモダンなホテル。世界チェーンのイビスだけのことはあり、室内は清潔で、デザインもシンプルながらおしゃれ。セーフティーボックス、エアコン、ドライヤー、無料のWIFIも完備。バスタブや冷蔵庫、スリッパ、バスローブはなかった。1階にはバーがあり、お酒も飲むことができる。
11月6日
朝7時に朝食。さすがイビスだけあって朝食は大変充実していた。まずパンの種類が10種類くらいあって、その他にもシリアルや生野菜、さらにヨーグルト各種揃っていた。それほど食べるつもりはなかったが、お腹いっぱいいただいた。
8時にホテルのロビーに集合。
この日はアミラさんという女性の英語ガイドが付き添ってくれた。このアミラさんがまたモデルのごとく美しい。このアミラさんをモデルにしてコンスタンティーヌの絶景をバックに何枚も写真を撮らせてもらった。
<コンスタンティーヌ>
コンスタンティーヌが旅人を魅了してやまないのは絶壁に囲まれたその孤立したような地形からであろう。街だけがえぐり取られたように深い渓谷に周りを囲まれたこの島のような都市は、その地形から難攻不落の軍事都市として恐れられ、かつてはキルタというヌミディア王国の都であった。コンスタンティーヌの街の名は、その後この地を治めたローマ皇帝・コンスタンティヌス1世からとられた。この由緒ある街のシンボルは巨大な4本の橋。すべて断崖絶壁を跨ぐように掛けられた見事なアーチに誰もが息をのむことだろう。またコンスタンティーヌを起点として世界遺産のティムガットやジェミラ遺跡にも足を延ばすことができることからアルジェリアに訪れるのであれば外すことができない必見のスポットだ
我々はまず、ホテルをでて徒歩で、コンスタンティーヌの旧市街へ向かう。
旧市街ではまず、オスマントルコの支配下に建てられたアフマドベイ宮殿に向かう。アフマドベイ宮殿はかつてオスマントルコの総督の邸宅だったらしく、スペインから輸入した見事なタイルに、イタリアから輸入したという大理石の石柱。当時の贅を尽くしたであろう見事な装飾品に目を奪われる。
宮殿を抜けて細い路地に入り込むと、いつの間にか賑やかな商店街に迷い込んでいた。今日は金曜日。イスラム教の休日にかかわらず精肉店やスパイスマーケット、乾物屋などは営業しており賑わっていた。アミラさんが言うには平日にもなるともっと人出が多く芋を洗うような状況になるそうだ。この辺りの商店はローマ時代のさらに前、フェニキア人の統治時代から1000年以上続いているところもあるというから驚きである。またかつてはユダヤ人街があり、シナゴークも旧市街の中に数カ所点在していたそうだ。
商店を抜けると、フランス統治時代に造られたという大通りに出た。この通り沿いの建物はどことなくヨーロッパ調のものが多い。コンスタンティーヌは歴史ある街だけに、その建物や街づくりからかつて領主国の面影を感じることができて興味深い。
昼食はドライバーさんの友人だというお店のサンドイッチを食べた。朝もたらふく食べたのに昼食も美味しかったので思いがけずたくさんいただいてしまった。
午後はコンスタンティーヌに掛かる橋の中で特に観光客に人気高い4ヵ所をじっくり見に行った。
①まず訪れたのはコンスタンティーヌ旧市街の近くに架かる1912年に完成されたというシディ・ラシッド橋。4つの主要な橋の内、全長400mにも及ぶ巨大な橋で27ものアーチをもち、もともとは水道橋として使われていた。大きく曲線を描いており、この橋のたもとからも美しいアーチを楽しむことができる。橋の下では蚤の市が行われ賑わっていた。建設当初は世界で最も高い石橋だったそうだ。
②次に向かったのは、ペレゴ橋。1917年から1925年に建設された高さ100m、長さ125mのコンスタンティーヌの中でも断崖絶壁の渓谷に架かり巨大な吊り橋である。この橋は車が通行できない歩道橋となっており、終日観光客で賑わっている。写真を撮るのであれば車が邪魔をしないのでおすすめだ。平日であれば橋の傍に展望台があって、この橋の全景を上空から眺められるのだが、あいにく金曜のためかなわなかった。
③3番目に訪れたのは、ローマ時代に水道橋としてかけられたアーチを1925年フランスが橋として再築したという、高さ100m、長さ35mのエルカンタラ橋。中央の巨大なアーチが特に目を引き、遠景からもその曲線美は確認出来る。
④最後に訪れたのはシディ・ムシド橋。1912年に竣工した高さ175m、長さ164mの巨大な吊り橋。約2㎞続く断崖絶壁のリュメール渓谷に架かるその姿はまさに絶景。数あるコンスタンティーヌにかかる橋の中でもひときわ美しいと言われている。橋のたもとの丘の上にある病院から名前が取られた。またその病院の近くには、凱旋門があり深い谷を見下ろせる絶景の展望台となっている。なお夜になると派手なライトアップをされ、地元の若者たちで昼間よりも賑わっていた。
橋を見た後はコンスタンティーヌの郊外に出かけた。
5分ほど車を走らせると見えてくるのは巨大なエミール・アブデルカブル・モスク。
天に向かって延びる対の尖塔、外壁は一面真っ白な大理石。玉ねぎ型の屋根とシンメトリーの外観はタージマハルを彷彿とさせる。内部も見学出来、外観に負けないほど豪華絢爛なつくりになっている。
さらに郊外に向けて車を走らせること20分、コンスタンティーヌの絶壁の光景から一転、のどかな田園風景が見渡せる小高い丘の上にあるのが紀元前1世紀に造られた初代ヌミディア王国のマッシニッサ王(KINGMASSINISSA)のものと思われる大きな墳墓。
壮大な景色の中爽やかな風が吹き抜け、気持ちがいい。家族連れやカップルなど多くの地元の人々が思い思いに過ごしていた。
コンスタンティーヌの街に戻り、ライトアップされる橋を見学し、ホテルへ戻った。
残念ながらアミラさんとはお別れ。アミラさんのお陰で魅力あふれるコンスタンティーヌの街が更に3割増しぐらい楽しめたような気がする。
この日は昼ご飯をたくさん食べてお腹は減っていないので、イビスホテルで軽めの夕食を食べ就寝。なおホテルにはビールがあった(400AD)、銘柄はハイネケンなどの海外銘柄がほとんどだった。ワインはローカルのものもあるようだ。ただしボトルでのオーダーのみ。
11月7日
朝8時にホテルを出発。
この日は、コンスタンティーヌから世界有数のローマ遺跡が残るティムガッドと「アルジェリアのコロラド」とも称されるグーフィ峡谷を立ち寄りつつ、ビスキラという街まで移動する。
<ティムガッド>
コンスタンティーヌを出発して果てしなく続くようなハイウェイをひた走ること3時間。まさかこんな辺鄙な田舎町に巨大なローマ遺跡が?と半信半疑だったが、入り口から見渡せるその緻密に計算されたその整然さと町の広大さに圧倒された。
ティムガットは西暦100年頃、トラヤヌス帝によって建てられたという退役軍人達のための12ヘクタールにもおよぶ町であった。遺跡の入り口から中心部まで延びる石畳の道と街を東西に分ける道の2本がこの町の大通り。この大通りには巨大な馬車が通ったと思われる2本の並行したわだちが硬い石にしっかり刻まれている。細い路地は碁盤の目のようにきちんと張り巡らされ、区画ごとに整備されている。町の中には半円形劇場や、神殿、いくつかの浴場、市場、公衆トイレ、そして図書館まで完備され、特に図書館はローマ遺跡で現存しているのはここティムガッドとトルコのエフェス遺跡にしかない貴重なものだ。当時の本は現代のようにたやすく手に入るものではなかった時代であるからここに住んでいた元軍人はよほどの知識人達なのであろう。このティムガッドの遺跡の中でも目を引くのは凱旋門。時のローマ皇帝トラヤヌス帝の栄誉を讃えて造られたという、石畳の先が続く先にある12メートルもの高さと大小3つの美しい曲線を誇る凱旋門はこの町の栄華を現在に伝えている。
しかし7世紀のベルベル人による侵略以降、ティムガッドがその輝きを取り戻すことはなかった。ティムガットが「発見」されるのはその1200年後、フランス統治時代に考古学者達によって発掘されるのを待たなければならない。サハラの侵食のため、人が寄り付かず都市化されなかったことが、良好な保存状態で維持された一因となっている。そういった意味ではイタリアのポンペイに相通じる部分があり、それが今日ティムガット「アフリカのポンペイ」と称される所以となっている。
この遺跡の石畳の一角にはこの町の住人が書いたと思われる落書きある。
「よく狩り、風呂に入り、仲間と戯れ、よく笑う。これが人生だ。(Hunting, bathing, playing, laughing—that's living)」
兵役を終えた元軍人のおじいさんが、浴場や図書館、公衆トイレなどで仲間と語らいながら平和な余生を過ごしたのがありありと目を浮かんだ。
ティムガットを後にして、グーフィに至る途中の街で昼食。
コンスタンティーヌのガイド、アミラ女史のオススメということで紹介してもらったレストランを目指した。レストラン自体はただいま改装中で、実際にはオーナーの自宅で食事をとることとなった。アルジェリア人のお家を見られることになってラッキーだと思った。
町のホテルでレストランの従業員と合流し、オーナーのご自宅へ。家へ招かれ、中を見せてもらうとあまりにハイセンスでびっくり。こんなにお洒落なお家はそうないはずだと思ってガイドさんに聞くが、これが一般的なアルジェリア人の家庭だという。一般家庭がこんなに生活感がないお洒落なお家のはずがないと、今でも私は思っているのだがどうだろうか。また韓国ドラマがテレビで放送されていたことに驚いた。アルジェリア人が韓国ドラマに感情移入している様子を想像してみたがシュールに思えた。アラビア語の吹き替えで放送されているようだ。ところで韓国ドラマの世界的な人気は凄まじい。インドやフィリピンでも韓国ドラマをみたような気がする。
肝心の食事に話を戻そう。
まず人参とデーツの酢漬けのサラダが前菜として供された。そしてメインはタジン鍋で出てきたクスクス。チキンやラム肉に、なずびに人参など一緒に蒸されたクスクスは味わい深く、モロッコで食べたそれと比べて美味しく感じた。クスクスは北アフリカの原住民族ベルベル人の伝統料理で、その起源はアルジェリアにあるという。モロッコやチュニジアでもポピュラーで、バターを加えるのはモロッコ風、オリーブオイルを加えるのがチュニジア風だそうだ。すでにクスクスを食べたことがある人も一度味比べのためにトライしてみては?
食後は精巧な銀細工の茶器で淹れた甘いミントティーを皆と一緒に頂いた。
食事を終え、目指すはグーフィ峡谷。
車窓から流れていく景色は深い渓谷を持つ曲がりくねった山道へと変わっていった。うねうねとした道を行くこと約2時間半。若干の車酔いを感じながらもようやくたどり着いたグーフィ峡谷の展望台。
<グーフィ峡谷>
その高さ200m、全長3㎞にも及ぶ巨大な谷。「アルジェリアのコロラド」と言われるだけに、大きな曲線を持つ岩肌と、何千年もの歴史を感じさせる積み重ねられた剥き出しの地層の織りなす風景はダイナミックだ。ちょうと夕刻とあって渓谷全体が黄金色に照らし出され、何ものにも例え難いほどの壮観な光景を演出していた。展望台から渓谷へ降りていく道があり、いろいろな角度から渓谷の眺望を楽しんだ。また4世紀にベルベル人が築いたとされる村の遺構が散見され、かつて住んでいたであろう廃屋からは、暮れゆく夕陽と相まって郷愁の念のようなものを感じた。
グーフィ峡谷から約1時間半。たどり着いたのはビスキラというビスキラ県の都。ガイドさんいわくビスキラの街にはあまりツーリストが宿泊するようなホテルはないが、街一番のホテルをおさえてくれたそうだ。
<エナックヒル>
交通の要所、ビスキラにある街の中では最も大規模なホテル。しかし国際的な基準から考えると星2つくらいだろう。ホテル内にはカフェやレストランが併設されているが、古さは否めない。室内はかなり広めにとられており、冷蔵庫、暖房器具、エアコン、テレビ、ドライヤーは完備。バスタブ、セーフティーボックス、スリッパ、バスローブはない。WIFIはあるが非常に弱く、室内では使い物にならない。レセプション付近でヤフーのトップページが開くまで1分くらいの遅さだ。シャワーは水圧があまりつよくなく不便だが、ほかにホテルがないのだからしょうがないだろう。
11月8日
この日はジェミラという、前日訪れたティムガッドと同じく世界遺産に認定されたローマ遺跡で知られる街を目指す。
8時にホテルを出発。ビスキラからジェミラへは一旦コンスタンティーヌ方面に戻るように移動し、市街に入る手前の道で西側にそれる。曲がりくねった山道と果てなく続くようなハイウェイを走ること5時間。ようやくジェミラに到着。その前に、もうすでに昼食の時間だ。
ジェミラのパーキングそばのレストランで、サラダとチキンの生姜焼き(?)、フライドポテトのセットメニューをいただく。お腹を満たしたところで、ジェミラ観光開始。
<ジェミラ>
コンスタンティーヌから西に約200㎞。アラビア語で「美しい」という名前をつけられたローマ時代の植民都市。1世紀にローマ軍の要塞として建設され、2〜3世紀に最盛を誇ったとされる。その緩やかな丘陵にそって造られた街並みは42ヘクタール、未発掘の部分も含めると70ヘクタール、なんとティムガッド遺跡の5倍以上に及ぶ巨大都市だ。他のローマ遺跡と違いジェミラには東西を結ぶ大通り(デクマヌス)はない。南北を貫くカルドにそって街づくりがなされ、北から南へ、つまり平地から高地にかけて拡大されていった。そのためフォーラム跡が2つ確認できるほか、ビーナス神殿、ジュピター神殿、セプティミウス・セウェルスの神殿などの複数の神殿を持ち、南の端にはキリスト教区やバシリカが造られるなど統治国によって見られる変遷が興味深い。
ちなみに7世紀に北アフリカ一体を征服したアラブ人はジェミラを「美しい」といい街の名前としたが、ティパサを「荒廃した街」と評していた。アラブ人は正直な人たちである。とは言えあくまで7世紀の話なので、ティパサの名誉のために申し上げると、現在ティパサに見られる青い海とローマ時代の遺跡のコントラストは他に類するものが無い必見の場所であることは間違いない。
遺跡に併設されたジェミラ博物館も見逃せない。
ギリシャ神話の神々の彫像のほか、出土品である計量器やランプ、家の装飾品、コインなど貴重な品々が展示されている。中でも見逃せないのは北アフリカ随一と呼ばれる素晴らしいモザイク画のコレクション。モザイク画だけで言えば、チュニジアのバルドー国立美術館に引けを取らないそうだ。保存状態も素晴らしく、ギリシャ神話をモチーフにしたであろう物語や当時の暮らしぶりを生き生きと今に伝えている。
博物館含め、観光に費やした時間は2時間半にも及んだ。
ティムガッドではくまなく歩いて1時間半ほどだったので、いかにジェミラが巨大なのかがわかる。しかも緩やかな斜面に建設されているのでまるでハイキングをしたような感じで、途中息が上がることもあった。観光がようやく終わって、ジェミラのガイドさんにどれくらいの時間あるきましたかねぇと聞いてみると、1時間ちょっとですねという。そのあと時間を確認したら1時間どころか3時間近いし、どれだけ体内時計がくるっているのだと思った。
ジェミラの観光を終え、この日の宿泊地であるセティフへ。
セティフまでは車で約1時間半。セティフはアルジェに抜けるための交通の要地であり、ビスキラと比べると街の規模は少し大きいようだ。街を歩かせてもらった。いわゆる観光地を魅了するような、アルジェのカスバやフランス風の建物や、コンスタンティーヌのような断崖絶壁や隙間なく建てられた古い街並みはここにはなく、普段のアルジェリアの姿を見た気がした。
<エル・ラビ>
エル・ラビはセティフの中心部、噴水のある広場沿いに建つホテル。ホテルのランクとしては2.5星であろうか。古さは否めない6階建ての中規模のホテル。室内には冷蔵庫、エアコン、テレビ、バスタブ完備。スリッパ、バスローブ、セーフティーボックスはない。WIFIは室内では使えないが、ロビーではそこそこの速さで使える。旅行6日目にして、空港以外でようやくまともにインターネットができる環境に身を置いた。
夕食はセティフの街を散歩した時に購入したパンとコーラ。
11月9日
セティフの朝はかなり冷える、標高が高いらしい。朝8時に我々はホテルをでて、アルジェに向け車を走らせる。
整備された幹線道路をひた走る。途中で道路の拡張工事のためか、2回ほど渋滞に巻き込まれたが難なくクリア。アルジェに到着したのは4時間後だった。
アルジェではコンスタンティーヌからお世話になったドライバーのモハメドさんとお別れ、アルジェのドライバーの車に荷物を入れ替えて出発。モハメドさんはいつも私の大きなボストンバックをホテルのフロントから部屋に運んでくれたり、率先して車のトランクに入れてくれたりと大変ジェントルマンな方であった。またセティフでは一人歩きをしたいという私に対して危険だからということで付き添って歩いてくれた。これからまた数時間かけてご自宅のあるコンスタンティーヌ方面に戻るということなので感謝とともに「安全運転で気をつけて」と伝えた。
アルジェのロードサイドのブロシェット屋さんにて昼食。
ブロシェットというのは鶏肉や牛肉、ソーセージの串焼きのことで、日本で言えば焼鳥屋である。店頭ではじゅうじゅうと炭火で炙った串焼きのいい香りを漂わせている。アルジェリアの人たちはこの焼き鳥に韓国のコチジャンのような唐辛子のペーストのようなものをつけて食する。適度に辛くこれがまた食欲を増進させるのだ。これにビールがあったら最高だろう。気づいたら今回の旅でビールを飲んだのはコンスタンティーヌのイビスホテルだけであった。
アルジェのホテルに到着。アルジェでは到着日と同じくSTホテルに宿をとった。
この日の午後は全く予定がないので、のんびりアルジェの街中を歩くことにした。とはいってもすでにアルジェの主要な観光は到着日にすでに終えているので、自分の歩ける範囲で面白そうなところを探した。
アルジェにはチュニジアのチュニスと同じ名前のバルドー国立美術館があるらしく、そこはホテルから徒歩で20分くらいなので、そこへ行くことにした。
道中、アルジェの街は平日ながらも大変人通りが多く賑わっていた。
アルジェの繁華街は、いわゆる日本でもよく見かけるような全世界的なチェーン店、つまりマクドナルドやスターバックスにKFC、それに衣類量販店のZARAやGAPなどは全く見かけない。代わりに若者の向けに、割と洒落たお店は多い。マクドナルドをアルジェリア風にアレンジしたCITY BURGERというハンバーガーチェーンを見かけた。洋服屋さんが少ないのはイスラムの女性に好まれるような服が世界的なアパレル量販店では売られていないからであろうか。しかしアルジェを歩く女性は、ほかの都市と比べて黒いスカーフをスッポリ頭から被っている人たちは少ないようだ。長い髪の毛を露わにして、さっそうと歩くキャリアウーマンのような女性もいるし、割と派手な格好したギャルもいる。つまりアルジェの女性が全くお洒落ではないことはなさそうだ。一方、幼稚園児の中でもスカーフをしている子供としていない子供がいる。両親の宗教観によるところだろうが、ある日娘が「今日はスカーフしたくないの」と言われた時その親御さんはどのように説得するのだろうと思いを巡らせた。いずれにしても、こと都市部では従来の習慣・風習というものが緩やかに変化していることは間違いないだろう。
坂道を上ったあたりに、アルジェのバルドー国立美術館はあった。
入場料の払おうとしたころ、入り口の女性が入場無料だという、これはラッキーと思いさっそく館内へ。まず目に飛び込んでくるのは真っ白の外壁に、スペイン風のタイルで装飾されたオスマン風のスタイル。コンスタンティーヌでみた宮殿と似た様式ではあるが、中庭がない分建物の構造に趣向が凝らされているようだ。3階建てではあるが中2階があり、メッカの方角を向いた祈り用の小さな部屋、さらにはキッチンのパンを焼くようの釜戸の上はハマム室になっているなど機能的な構造をもっている。しかし特に貴重な展示物があるわけでない(貸し出し中?)、ただオスマン風の瀟洒な邸宅の内覧といった感じであるので博物館とは言えず、すくなからずがっかりした。
バルドー国立美術館を後にして、海辺の大通りに向かった。
前にも書いたことだが、目の間に広がる地中海と美しいヨーロッパ調の立ち並ぶ大通りをみると、まさか自分が北アフリカにいることを忘れてしまう。私と同じ気持ちなのか、アルジェの港の見渡せる広場ではひがな一日ベンチに腰掛けているおじさん達が大勢いた。
ホテル戻り、コーラを飲んで少し休憩。
ここで今回の旅は酒をほとんど飲んでいないことに気づいた。そうすると酒が飲みたいという気持ちがムクムクと立ち上がり、ホテルのフロントに聞いた。この先の角を曲がって、100mもあるけば右側にレストラン・ユニバーシティという店があるからそこで飲める、という。メルシー、ムッシュと伝え、夜の街へ繰り出した。しかし目当ての店は見つからない。行き過ぎたかなと思い、引き返すが見当たらないので別の店の人に聞いたところ、定休日なのかやっていなかった。別のレストランに酒が飲めるところはないかと確認した。結果だいぶ歩いたがこの日は酒を飲むことはできなった。酒を飲む以前に、閉まりだすお店が多く19:30を過ぎた時点でシャッターを閉めたお店の方が大半だった。仕方なくバルドー国立美術館に向かう時に見つけたCITY BURGERにてチーズバーガーを食べてホテルに戻った。なかなか美味しかった。
11月10日
この日はアルジェを立ち日本へ向かう。
現地旅行社のサラーさんもバケーションと仕事を兼ねて東京に行くそうで大阪行きの私をドーハまでアテンドしてくれることに。
飛行機は午後3時過ぎの出発。お昼頃まではゆっくりできるだろうなと思っていたが朝10時に空港へ向かうという。なんでも渋滞がひどいからこれくらいに出ないと危ないそうだ。
10時までにホテルを出られるように準備。どれくらいの渋滞かと覚悟していたが15分程度で到着。ラッキーといえばラッキーだが空港で5時間以上待つ羽目に。
サラーさんとベンチでカタール航空のカウンターオープン時間まで空港ベンチで待つ。カタール航空のカウンターは出発4時間前くらいの時間にオープンしたので我々は早速チェックイン。
その後歩いて国内線ターミナルに移動し昼食を食べることに。なんでも国際線ターミナルは物価が非常に高いらしくターミナルを移動してでも国内線ターミナルに行った方がよいとのこと。国内線ターミナルのピッツェリアで一人一枚の直径12㎝もありそうなピザを平らげた。ピザにもアルジェリア風のコチジャンを塗る。なおピザは1枚250AD。なるほどかなりお得である。
その後、出国検査へ。出国カードを書かされる。その後搭乗までビールを飲んでサラ-さんと待つ。そうなのだ。国際線のカフェではビールが買えるのだ。600 AD。高い。でも飲みたいんだからしょうがない。
そうしてドーハからは我々はそれぞれの帰途に就いた。あっというまの9日間だった。
〜おまけ情報〜
治安:まずご旅行をお考えの方、すべての方が気にされるのは治安だと思うが、これがどうして全く危険を感じることなく過ごせた。もちろん何もなかったからそういえるのであるが、最低限のこと、つまり夜中の一人歩きや貴重品を身に着けて不用意に出歩くのをさけていただければ、用心する必要はあるがそこまで構えることはないように思った。
お金:ユーロかドルをもって空港で、またはホテルで両替できる。食事が込みのツアーであればほとんど使うことはない。食費も食べるものによるがハンバーガーやサンドイッチなどのファストフードであれば500AD(だいたい600円)で食べられる。お酒は多少高く1ボトル400ADほど。
言葉:基本的にはアラビア語かフランス語。英語はホテルや高級レストランなど観光客を相手にしている業種以外あまりしゃべれない。若い人は比較的英語は通じた。
WIFI:一部ホテルは無料で利用できるが非常に電波が弱い。もし常にネットに接続してなければない状況の方であれば予めSIM フリーの携帯を用意するなど対策を立てたい。
その他:ティムガットやジェミラに行く際は山道を行くため、酔いやすい方は酔い止めをお持ちいただくのがお勧め。チップの習慣はないそうだが、特別なサービスや気持ちよく過ごせたのであれば渡したほうがスマート。
〜お勧め度〜
・アルジェとその近郊(ティムガット、シェルシェル)★★★★★
・コンスタンティーヌ ★★★★★
・ジェミラ ★★★★★
・ティムガット ★★★★
・グーフィ峡谷 ★★★☆
(2015年11月 橋本康弘)
初めて訪れたアルジェリアは北アフリカにあって一言に「中近東」とは言えない国だと思いました。
まず首都のアルジェは「北アフリカのパリ」と称えられるように、まるでフランス風の近代的な建物も多い中、それ以前のオスマントルコ時代の白亜の建物とバランスよく配置され、その地中海の青さと相まって街を歩いているだけでため息のでるほどの美しい景観の連続です。首都でありながらこのような美麗な街は世界でもローマ、ハバナ、プラハくらいでしょうか?個人的には観光客ばかりの本場パリよりもアルジェの雰囲気の方が私の好みです(もちろん私も観光客なので不遜な物言いとは思いますが、、、)。
更にアルジェリア第3の都市、コンスタンティーヌは深い谷に囲まれた中世の街並みで知られる街です。峡谷にいくつも架けられた巨大な橋越しにみるコンスタンティーヌの街は他に類をみないファンタジーさながらの世界です。
もちろんアルジェリアではローマ遺跡も忘れてはなりません。特にジェミラ遺跡は世界に数あるローマ遺跡の中でも世界最大を誇る遺構として知られています。広大な遺跡の中に立って、残された家屋や浴場、フォーラムに劇場など、さらには実際にゲームに興じたであろう石畳に残る窪みや落書きを見るとまるでローマ時代の人々がそこに生きているような感覚を覚えます。またティムガット遺跡はその存在を知られるまで長年砂に埋もれていたことから「アフリカのポンペイ」と称されますが、個人的には訪れたことのある本場のポンペイよりもティムガットの方が美しいと感じました。
アフリカでありながらまるでヨーロッパにいるような街並みや遺跡は、フランスやイタリアのそれ以上の美しさといっても過言ではなく、また時の支配者の変遷によって見られる建物の構造の移り変わりなど興味は尽きません。もちろん荒削りな大地と青く美しい地中海のコントラストはさすがにアフリカ!といえるような風景を見受けられます。
アルジェリアに惹かれるのは、隣にはモロッコやチュニジアという砂漠や遺跡、旧市街で知られる人気の観光国がありますがそれらとも明らかに違う、アフリカとヨーロッパさらにはかつてこの地を支配していったベルベル人、ローマ帝国、アラブ人、フランスの文化の調和のとれた程よいミックス感。それ故に、決して観光客向けに設備やインフォメーションが充実したとは言えないこのアルジェリアに対して、私のような外部の観光客も居心地のよさを覚えるのかもしれません。
今回、アルジェリアでの目的地は下記の5か所です。
・アルジェとその近郊(ティパサ、シェルシェル)
・コンスタンティーヌ
・ティムガット
・グーフィ峡谷
・ジェミラ
すべて外務省の危険度レベルは2なのが多少気になりますが、そこは信頼している現地旅行社とコンタクトもばっちり準備万端出かけてまいりました。実際、現地スタッフは気配りの行き届いた優秀な方も多く、アルジェリア旅行をお考えのお客様に安心してご旅行いただけると自信をもってお勧めできます。
余談ですが、本当はフランスの建築家ル・コルビュジエがインスピレーションを受けたとされる「ムザブの谷」にも行きたかったのですが、スケジュール上都合が合わず断念しました。帰国後あまりのアルジェリアの良さに感動し、「次にアルジェリアに行くときは絶対行こう」と心に決めたことは言うまでもありません。
11月4日
カタール航空にてアルジェ到着。
ドーハからアルジェのフライトは日本人の乗客は私のみであること以外は予想外にも混雑しており、何人かのアジア人も見かけた。話し声を聞くとどうやら中国人らしかった。きっと石油かゼネコン関連に働く人々だろうと思った。
英語表記がない入国カードをガイドブック参考になんとか書き上げ、パスポートと一緒に提出。アルジェリア入国。
入国は比較的スムーズだったが、機内に預けた荷物が出てくるに30分くらい待たされた。のんびりしているなぁ。
税関を抜けたゲートにて今回のガイドさんと合流。
ガイドさんは流暢なアメリカ英語を話し、爽やかな笑顔の小綺麗な出で立ちでアルジェリア人というよりもどことなく品がいいフランス人のように見えた。といっても典型的なアルジェリア人の顔がどういうものかがまだわかってはいないのだが。。。
次に両替所へ向かう。ガイドさんに相談し100ユーロは使うだろうという事で100ユーロを両替し11610アルジェリア・ディナール(AD)をゲット。もしADを使い切ってもドルやユーロであればホテルで両替できるそうだ。(でも結局100ユーロも使うことはなく、9日間のツアーで費やしたのは日本円で5000円未満。残りはチップとしてわたした。)
空港からダウンタウンへは車で15分程度。渋滞がひどい時は1時間半かかる事もあるそうだ。この日はラッキーで車はすいすい目的地まで流れた。
<アルジェ>
アルジェの写真を見せられた人は、ここが南仏などヨーロッパのどこか港街を思い浮かべるだろう。地中海の青さは吹き抜ける風の爽やかさを,折り重なる丘陵に這うように造られた白い街並みは朝夕この街を照らす太陽の輝かしさ感じさせる。港沿いの大通りには大統領宮殿、政府官庁、裁判所、国立博物館の堅牢なアーチをもった建物が並びながら、世間話に花を咲かせる男達の姿や、サッカーに夢中になる子供達、釣竿をもった人が行き交うのんびりとした光景。港の西側の小高い丘はカスバ(アラビア語で「城壁」)と呼ばれ16世紀に敵からの侵入を防ぐために造られた。フランスの攻撃を免れた中世の面影を残す歴史的な地区は世界遺産として登録されている。
今回の我々が歩いたのはアルジェのカスバの丘の上の交番から、カスバの麓の賑やかなマーケットが近くにあるケチョウア・モスクまで。
カスバを歩いているとすぐに目に飛び込んでくるのは海の美しさ。路地からひょいと顔を覗かせる地中海、その手前には白亜の街並みが折り重なるように眼下に迫ってくるようで鮮烈だ。道すがら聞こえてくるのは、学校が終わってじゃれ合いながら家路に向かう子供達の声。住宅の中からは工房で作業するトンカチの音や、キッチンの野菜を切る包丁の音、そして食べ物の匂い。ここで生活する人々の500年前と変わらない息遣いが聞こえてきそうだ。なお後から聞いた話だが、カスバは治安が悪いらしく一人歩きは避けてくださいとのことだった。なんでもひったくりなどするBAD BOYSがいるらしく、観光客は必ずガイドと付き添いで、歩くことができるコースも決められている
カスバからのアルジェの街並み
太陽に照らされ一層白く見えるカスバの住宅
カスバのBAD BOYS達
ガイドさんの案内で伝統的な木製の飾りを作っている工房にお邪魔した。このお家は3階建の伝統的なカスバの住宅様式で、住宅の中心が吹き抜けとなっており、そこから自然の光が差し込んでいる。モロッコのリヤドと構造的には近いが、それほど広々とした中庭はない。
もともと敵から身を守るために造られた要塞都市のため、広い中庭よりも身を寄せ合うよう生活できる居住空間が求められたのであろう。屋上のテラスからは隙間なくびっちり建てられたカスバの住宅と地中海の壮大な景観を望めた。
カスバにある木製の装飾品工房
迷路のようなカスバ
建物の合間から除く地中海が美しい
工房のご主人とガイドさんが世間話をしている時に、子供達が遊んでいるのを発見したので思わず写真をとってもいいかと身振りで合図。一人の女の子は家の中に隠れてしまったが、それでも興味があるらしく時々ドアの向こうから顔を覗かせる。そういったシャイな仕草が可愛らしい。結局、女の子の写真は撮れなかったが男の子は気前よく応じてくれたので、男の子達と一緒に記念撮影。
基本的に男性であれば、嫌な顔せずに写真を撮らせてくれる。女性、特に成人の女性は他のイスラム教の国同様、宗教的な考え方もあってなかなか写真は撮らせてもらえないようだ。また生活空間が映り込むような写真もあまり好ましくはないようだ。青い手すりが印象的なアルジェの街並み、その特徴的な外観に惹かれてテラスの写真を沢山とっていたのだが、ガイドさんにもうちょっと全体を撮るようにしたほうがいいとアドバイスをもらった。
カスバに住む男の子
カスバのパン屋
カスバを抜け、次に向かったのはノートルダム寺院。白い外壁と緻密な装飾の施された青いタイル見事なアルジェの北部に位置する街のシンボル的な存在。フランス統治下の時に建てられた、現在アルジェで唯一の教会である。アルジェリアの9割がイスラム教徒であるが、外国からの移住者や駐在するビジネスマンなどがこの教会にお祈りに来ているそうだ。午後5時くらいまでであれば教会の内部に入れるということだったので、入らせてもらった。写真撮影が禁じられているのでお見せすることができないが、椅子までも真っ白な大理石で重厚感がある。この教会のある丘からはアルジェの街並みの全体が見渡せ、展望台のような街の憩いの場となっていた。
太陽が黄金色に街を染めていく頃、ホテルに向かって出発。車が行き交う狭い路地を抜けていくため、ホテルに着くことにはすっかり日も暮れてしまった。途中、美しい湾岸沿いの大通りで夜の街並みを撮影させてもらった。夜は夜で、良い雰囲気だ。
白亜の外壁とブルーのテラスが印象的な共同住宅
ノートルダム寺院 院内は撮影不可
ノートルダム寺院からの街並み
オレンジ色の街灯に染まるアルジェの街並み
<ST ホテル>
アルジェの街の繁華街に位置するエレベーター付きの7階建て、3つ星ホテル。清潔感のある室内はいたってシンプル。バスタブ、セーフティーボックス、スリッパ、エアコンはなし。WIFIは無料だが、室内では電波あるものの全く弱く使いものにならなかった。レセプションの近くであれば弱いながらも使えた。テレビ、冷蔵庫、バスローブ、ドライヤー、暖房器具あり。私の部屋だけかもしれないがなぜかシャワーの蛇口がHOTとCOLDが逆に取り付けられていた。つまり温かいシャワーを浴びるために栓をHOT側(赤い印の方)にひねるのだが、一向に熱くならず、まさかと思いつつ青色側にひねると熱くなった(海外あるある)。
ST ホテル
夕食は近くのホテルのレストランで。伝統的なアルジェリア料理をいただいた。
アルジェリア料理はコースのように、まずパンとスープが供され、それからサラダ、そしてメインという風に3種類の料金で構成されている、
まず私がいただいたのがショルバと呼ばれる、クスクスのような小さな麦の入ったトマト味のスープ。ミネストローネのような感じで日本人の舌にも合うと思う。体があったまる。そしてサラダ、アルジェリアの人々はサラダが好きらしく、基本的に昼・夜とも必ずといっていいほど出された。実際アルジェリアは農業国であるらしく、国民の四分の一が何らかの農業または家庭菜園に携わっているそうだ。それからピカタ・ドゥ・ボーという、いわゆる牛肉のステーキを頂く。日本のステーキは柔らかいものが多いが、こちらのステーキはアメリカンやオージービーフのような噛み応えのあるお肉。
イスラム圏のローカルの料理というと口に合わないものも多いが、どちらかというとアルジェリアの人々はヨーロピアンな味覚に近いかもしれない。あまり見慣れないような食べ物はなかった。しかしお酒はないお店がほとんど。
食事を終え、帰りに部屋で飲む用のコーラ(40AD)を買ってホテルに戻った。
11月5日
朝7時にホテルの朝食。ブッフェ形式だがあるのはフランスパンにクロワッサンなど4種類くらいのパンとゆで卵、そしてヨーグルトのみ。飲み物は紅茶、コーヒー、ジュースの3種類。「1日30品目を食べなさい」とよく聞くがこれでは赤点になりそうな献立である。
8時にホテルロビーにてガイドさんと合流。
この日はアルジェ郊外のティパサとシェルシェルを目指す。
<ティパサ>
アルジェから高速道路を走ること1時間、地中海沿いに世界遺産に指定された1世紀古代ローマ時代に隆盛を誇ったティパサと呼ばれる都市遺跡がある。ティパサを町として最初に築いたのは紀元前7世紀のフェニキア人。地中海の覇権争いに勝利したローマ帝国はここを海上交易の要所として繁栄させ、全盛期には1万人もの人々が生活していたそうだ。全長2300mの城壁に囲まれた街の中心には、ローマ神話の神・ジュピターを祀る祭壇、そこを交差点として東西に延びる石畳の街路と海へと続く道の先には、商店街や美しいモザイクの床が残る高級住宅街の面影を残している。その他、古代ローマ時代の街づくりには欠かせない闘技場、劇場、浴場、また20㎞以上離れた山からの引いた泉(貯水設備)まであったというから驚きだ。これらのティパサの発掘がされている部分はまだ45%ほどと言われており、残りの55%は海の下で眠っているというからその巨大さとそれを作り上げたローマ文明の叡智には感嘆するしかない。地中海の真っ青に広がる海と断崖沿いの古代ローマ遺跡のコントラストの美しい景色を見ながら、まだ見ぬ地中海に沈んだ残りの街並みに思いを馳せた。保存状態のよいモザイクやガラス細工などの出土品はすべてティパサの博物館に収められており、こちらも必見である。
ティパサの遺跡
地中海沿いの世界遺産 ティパサ
ティパサの遺跡は、その風光明媚な景観から地元の人々の憩いの場となっており、一緒に写真を撮ったりしてつかの間の交流を楽しんだ。学生ぐらいの年代と思われる女の子に、「懇願」して待望の(?)女性と写真を撮らせてもらった際、日本の伝統や様式に興味があるという女の子がいた。日本から遠く離れたアルジェリア地で歴史的には縁もゆかりがない日本のことに関心があることに驚きと同時に嬉しかった。年齢はもちろん、文化や習慣、宗教観など共通項がほとんどないような国同士の人間がこうやって交流できるから旅行は楽しいなと再度実感したのだった。
待望の女子
昼食はティパサの海岸沿いのシーフードレストランで。ティパサの街中ではシーフードのレストランが軒を連ねており、いずれも店頭で焼いており魚の焼ける香ばしいいい匂いを歩行者に向けて放っているものだから否が応でも食欲がそそられる。アルジェリアでは魚介類は高級食材だそうだが、ひっきりなしにお客さんが来る。人気店なのだろう。近くの港の威勢のいい声を聞きながら新鮮なシーフードに舌鼓をうった。
ティパサではシーフードレストランが軒を連ね美味しそうな香りを競うように放っている
焼き魚 ガイドさんはこの魚を赤、仏語で「ルージュ」と呼んでいた。
<シェルシェル>
ティパサより西へ約30㎞、世界遺産には登録はされていないが、紀元前2世紀にはモロッコからジブラルタル周辺までを支配下に治めた、ベルベル人マウリ部族の王国、モーリタニア王国の首都カエサリアが置かれていたという町シェルシェルがある。現在は人口5000人程度の小さな港町。当時の面影を残すものとしては劇場やローマ広場などが見られるが損傷が激しく、ティパサのそれらよりも保存状態はよくはない。しかし町の博物館で見られるこの地の王であったユバ2世やその妻であるクレオパトラ・セレーネのなめらかな曲線をもつ美しい彫像、さらにはギリシャ神話に登場する「三美神」を描いた妖艶なモザイク画等、ティパサに展示されているものよりも緻密で見事だと感じた。
またシェルシェル郊外には、ユバ2世が建てた妻クレオパトラ・セレーネを埋葬したとされる直径61m、高さ32m巨大な墳墓がある。60本もの大きな石柱が使われ、敵からの侵入を防ぐ為に入口を装った穴があるなど興味深い。
モーレタニア国王が建てたとされる巨大墳墓
シェルシェル博物館 三美神
ティパサ・シェルシェルの観光を終え、アルジェの空港へ向かう。
コンスタンティーヌへ向かう飛行機に乗るためだ。アルジェリア航空のチェックインを済ませ、昨日、今日とお世話になったガイドさん、ドライバーさんとは残念だがここでお別れ。名残惜しさをおさえ、出発ゲートへ向かう。
待合室では売店とコーヒーショップのみ。売店の女性にコーラを買うついでにインターネッットができるか聞いたところ、「まっすぐいったところWi-Fiのプレペイドカードの自販機があるからそこで購入して」と言われた。言われる通り、すすむと自販機があった。30分と1時間のカードがあり私は30分のカードを購入(250AD)。メールなどのチェックと今日行ったティパサ、シェルシェルについて調べた。
ボーディングタイムになっても、それらしいアナウンスはなく、待合室のフライト情報を表示するテレビのモニターは壊れていたのでちょっと心配だったが、コンスタンティーヌ行きの人々の列を見つけ、無事オンタイムで出発。フライトは約30分。コンスタンティーヌに到着。
荷物をピックアップしたあと、コンスタンティーヌの空港にて現地旅行社のスタッフ・サラ-さん、ドライバーさんと合流。
市内のレストランで遅めの夕食(牛肉の串焼き)を食べた。アルジェで食べたものよりもジューシーで美味しかった。
そして市内のホテルへ向かいチェックインを済ませ、就寝。
<イビス・コンスタンティーヌ>
市内中心部に建つモダンなホテル。世界チェーンのイビスだけのことはあり、室内は清潔で、デザインもシンプルながらおしゃれ。セーフティーボックス、エアコン、ドライヤー、無料のWIFIも完備。バスタブや冷蔵庫、スリッパ、バスローブはなかった。1階にはバーがあり、お酒も飲むことができる。
イビス・コンスタンティーヌ
11月6日
朝7時に朝食。さすがイビスだけあって朝食は大変充実していた。まずパンの種類が10種類くらいあって、その他にもシリアルや生野菜、さらにヨーグルト各種揃っていた。それほど食べるつもりはなかったが、お腹いっぱいいただいた。
8時にホテルのロビーに集合。
この日はアミラさんという女性の英語ガイドが付き添ってくれた。このアミラさんがまたモデルのごとく美しい。このアミラさんをモデルにしてコンスタンティーヌの絶景をバックに何枚も写真を撮らせてもらった。
<コンスタンティーヌ>
コンスタンティーヌが旅人を魅了してやまないのは絶壁に囲まれたその孤立したような地形からであろう。街だけがえぐり取られたように深い渓谷に周りを囲まれたこの島のような都市は、その地形から難攻不落の軍事都市として恐れられ、かつてはキルタというヌミディア王国の都であった。コンスタンティーヌの街の名は、その後この地を治めたローマ皇帝・コンスタンティヌス1世からとられた。この由緒ある街のシンボルは巨大な4本の橋。すべて断崖絶壁を跨ぐように掛けられた見事なアーチに誰もが息をのむことだろう。またコンスタンティーヌを起点として世界遺産のティムガットやジェミラ遺跡にも足を延ばすことができることからアルジェリアに訪れるのであれば外すことができない必見のスポットだ
我々はまず、ホテルをでて徒歩で、コンスタンティーヌの旧市街へ向かう。
旧市街ではまず、オスマントルコの支配下に建てられたアフマドベイ宮殿に向かう。アフマドベイ宮殿はかつてオスマントルコの総督の邸宅だったらしく、スペインから輸入した見事なタイルに、イタリアから輸入したという大理石の石柱。当時の贅を尽くしたであろう見事な装飾品に目を奪われる。
オスマントルコ時代に造られたアフマドベイ宮殿のドア
総督の提督といってもなかなか可愛らしい内装である
スペインから輸入したタイル
宮殿を抜けて細い路地に入り込むと、いつの間にか賑やかな商店街に迷い込んでいた。今日は金曜日。イスラム教の休日にかかわらず精肉店やスパイスマーケット、乾物屋などは営業しており賑わっていた。アミラさんが言うには平日にもなるともっと人出が多く芋を洗うような状況になるそうだ。この辺りの商店はローマ時代のさらに前、フェニキア人の統治時代から1000年以上続いているところもあるというから驚きである。またかつてはユダヤ人街があり、シナゴークも旧市街の中に数カ所点在していたそうだ。
コンスタンティーヌの旧市街のマーケットで
どちらが写真にうつるかでじゃれ合う果物屋さんの従業員
フェニキア人の時代に造られたという噴水 いまでもおいしい水がのめる
ハナカラギュウニュウー
商店を抜けると、フランス統治時代に造られたという大通りに出た。この通り沿いの建物はどことなくヨーロッパ調のものが多い。コンスタンティーヌは歴史ある街だけに、その建物や街づくりからかつて領主国の面影を感じることができて興味深い。
昼食はドライバーさんの友人だというお店のサンドイッチを食べた。朝もたらふく食べたのに昼食も美味しかったので思いがけずたくさんいただいてしまった。
午後はコンスタンティーヌに掛かる橋の中で特に観光客に人気高い4ヵ所をじっくり見に行った。
①まず訪れたのはコンスタンティーヌ旧市街の近くに架かる1912年に完成されたというシディ・ラシッド橋。4つの主要な橋の内、全長400mにも及ぶ巨大な橋で27ものアーチをもち、もともとは水道橋として使われていた。大きく曲線を描いており、この橋のたもとからも美しいアーチを楽しむことができる。橋の下では蚤の市が行われ賑わっていた。建設当初は世界で最も高い石橋だったそうだ。
シディ・ラシッド橋
シディ・ラシッド橋から見える旧市街の街
シディ・ラシッド橋の眼下に広がる谷
シディ・ラシッド橋とアミラさん
②次に向かったのは、ペレゴ橋。1917年から1925年に建設された高さ100m、長さ125mのコンスタンティーヌの中でも断崖絶壁の渓谷に架かり巨大な吊り橋である。この橋は車が通行できない歩道橋となっており、終日観光客で賑わっている。写真を撮るのであれば車が邪魔をしないのでおすすめだ。平日であれば橋の傍に展望台があって、この橋の全景を上空から眺められるのだが、あいにく金曜のためかなわなかった。
ペレゴ橋と私
ペレゴ橋
③3番目に訪れたのは、ローマ時代に水道橋としてかけられたアーチを1925年フランスが橋として再築したという、高さ100m、長さ35mのエルカンタラ橋。中央の巨大なアーチが特に目を引き、遠景からもその曲線美は確認出来る。
ペレゴ橋から見たエルカンタラ橋
ルカンタラ橋とアミラさん
④最後に訪れたのはシディ・ムシド橋。1912年に竣工した高さ175m、長さ164mの巨大な吊り橋。約2㎞続く断崖絶壁のリュメール渓谷に架かるその姿はまさに絶景。数あるコンスタンティーヌにかかる橋の中でもひときわ美しいと言われている。橋のたもとの丘の上にある病院から名前が取られた。またその病院の近くには、凱旋門があり深い谷を見下ろせる絶景の展望台となっている。なお夜になると派手なライトアップをされ、地元の若者たちで昼間よりも賑わっていた。
エルカンタラ橋からみたシディ・ムシド橋
シディ・ムシド橋から見える谷
シディ・ムシド橋から見える岩肌に沿った道路
シディ・ムシド橋
橋を見た後はコンスタンティーヌの郊外に出かけた。
5分ほど車を走らせると見えてくるのは巨大なエミール・アブデルカブル・モスク。
天に向かって延びる対の尖塔、外壁は一面真っ白な大理石。玉ねぎ型の屋根とシンメトリーの外観はタージマハルを彷彿とさせる。内部も見学出来、外観に負けないほど豪華絢爛なつくりになっている。
エミール・アブデルカブル・モスク
モスクでポーズを取ってくれたガイドのアミラさん
さらに郊外に向けて車を走らせること20分、コンスタンティーヌの絶壁の光景から一転、のどかな田園風景が見渡せる小高い丘の上にあるのが紀元前1世紀に造られた初代ヌミディア王国のマッシニッサ王(KINGMASSINISSA)のものと思われる大きな墳墓。
壮大な景色の中爽やかな風が吹き抜け、気持ちがいい。家族連れやカップルなど多くの地元の人々が思い思いに過ごしていた。
マッシニッサ王の墓
コンスタンティーヌの街に戻り、ライトアップされる橋を見学し、ホテルへ戻った。
残念ながらアミラさんとはお別れ。アミラさんのお陰で魅力あふれるコンスタンティーヌの街が更に3割増しぐらい楽しめたような気がする。
この日は昼ご飯をたくさん食べてお腹は減っていないので、イビスホテルで軽めの夕食を食べ就寝。なおホテルにはビールがあった(400AD)、銘柄はハイネケンなどの海外銘柄がほとんどだった。ワインはローカルのものもあるようだ。ただしボトルでのオーダーのみ。
11月7日
朝8時にホテルを出発。
この日は、コンスタンティーヌから世界有数のローマ遺跡が残るティムガッドと「アルジェリアのコロラド」とも称されるグーフィ峡谷を立ち寄りつつ、ビスキラという街まで移動する。
<ティムガッド>
コンスタンティーヌを出発して果てしなく続くようなハイウェイをひた走ること3時間。まさかこんな辺鄙な田舎町に巨大なローマ遺跡が?と半信半疑だったが、入り口から見渡せるその緻密に計算されたその整然さと町の広大さに圧倒された。
ティムガットは西暦100年頃、トラヤヌス帝によって建てられたという退役軍人達のための12ヘクタールにもおよぶ町であった。遺跡の入り口から中心部まで延びる石畳の道と街を東西に分ける道の2本がこの町の大通り。この大通りには巨大な馬車が通ったと思われる2本の並行したわだちが硬い石にしっかり刻まれている。細い路地は碁盤の目のようにきちんと張り巡らされ、区画ごとに整備されている。町の中には半円形劇場や、神殿、いくつかの浴場、市場、公衆トイレ、そして図書館まで完備され、特に図書館はローマ遺跡で現存しているのはここティムガッドとトルコのエフェス遺跡にしかない貴重なものだ。当時の本は現代のようにたやすく手に入るものではなかった時代であるからここに住んでいた元軍人はよほどの知識人達なのであろう。このティムガッドの遺跡の中でも目を引くのは凱旋門。時のローマ皇帝トラヤヌス帝の栄誉を讃えて造られたという、石畳の先が続く先にある12メートルもの高さと大小3つの美しい曲線を誇る凱旋門はこの町の栄華を現在に伝えている。
しかし7世紀のベルベル人による侵略以降、ティムガッドがその輝きを取り戻すことはなかった。ティムガットが「発見」されるのはその1200年後、フランス統治時代に考古学者達によって発掘されるのを待たなければならない。サハラの侵食のため、人が寄り付かず都市化されなかったことが、良好な保存状態で維持された一因となっている。そういった意味ではイタリアのポンペイに相通じる部分があり、それが今日ティムガット「アフリカのポンペイ」と称される所以となっている。
半円形劇場からの眺め
巨大な石柱の並ぶ神殿跡、ローマのパンテオンに匹敵する規模だったという
コンスタンティーヌから観光に来たという女性
この遺跡の石畳の一角にはこの町の住人が書いたと思われる落書きある。
「よく狩り、風呂に入り、仲間と戯れ、よく笑う。これが人生だ。(Hunting, bathing, playing, laughing—that's living)」
兵役を終えた元軍人のおじいさんが、浴場や図書館、公衆トイレなどで仲間と語らいながら平和な余生を過ごしたのがありありと目を浮かんだ。
ティムガットを後にして、グーフィに至る途中の街で昼食。
コンスタンティーヌのガイド、アミラ女史のオススメということで紹介してもらったレストランを目指した。レストラン自体はただいま改装中で、実際にはオーナーの自宅で食事をとることとなった。アルジェリア人のお家を見られることになってラッキーだと思った。
町のホテルでレストランの従業員と合流し、オーナーのご自宅へ。家へ招かれ、中を見せてもらうとあまりにハイセンスでびっくり。こんなにお洒落なお家はそうないはずだと思ってガイドさんに聞くが、これが一般的なアルジェリア人の家庭だという。一般家庭がこんなに生活感がないお洒落なお家のはずがないと、今でも私は思っているのだがどうだろうか。また韓国ドラマがテレビで放送されていたことに驚いた。アルジェリア人が韓国ドラマに感情移入している様子を想像してみたがシュールに思えた。アラビア語の吹き替えで放送されているようだ。ところで韓国ドラマの世界的な人気は凄まじい。インドやフィリピンでも韓国ドラマをみたような気がする。
一般的(?)なアルジェリア人のご家庭
伝統料理クスクス
肝心の食事に話を戻そう。
まず人参とデーツの酢漬けのサラダが前菜として供された。そしてメインはタジン鍋で出てきたクスクス。チキンやラム肉に、なずびに人参など一緒に蒸されたクスクスは味わい深く、モロッコで食べたそれと比べて美味しく感じた。クスクスは北アフリカの原住民族ベルベル人の伝統料理で、その起源はアルジェリアにあるという。モロッコやチュニジアでもポピュラーで、バターを加えるのはモロッコ風、オリーブオイルを加えるのがチュニジア風だそうだ。すでにクスクスを食べたことがある人も一度味比べのためにトライしてみては?
食後は精巧な銀細工の茶器で淹れた甘いミントティーを皆と一緒に頂いた。
食事を終え、目指すはグーフィ峡谷。
車窓から流れていく景色は深い渓谷を持つ曲がりくねった山道へと変わっていった。うねうねとした道を行くこと約2時間半。若干の車酔いを感じながらもようやくたどり着いたグーフィ峡谷の展望台。
<グーフィ峡谷>
その高さ200m、全長3㎞にも及ぶ巨大な谷。「アルジェリアのコロラド」と言われるだけに、大きな曲線を持つ岩肌と、何千年もの歴史を感じさせる積み重ねられた剥き出しの地層の織りなす風景はダイナミックだ。ちょうと夕刻とあって渓谷全体が黄金色に照らし出され、何ものにも例え難いほどの壮観な光景を演出していた。展望台から渓谷へ降りていく道があり、いろいろな角度から渓谷の眺望を楽しんだ。また4世紀にベルベル人が築いたとされる村の遺構が散見され、かつて住んでいたであろう廃屋からは、暮れゆく夕陽と相まって郷愁の念のようなものを感じた。
荒々しい断層をもつグーフィ渓谷の絶壁
ベルベル人のかつてくらした村が見える
グーフィ渓谷をみにきた若者グループ
グーフィ峡谷から約1時間半。たどり着いたのはビスキラというビスキラ県の都。ガイドさんいわくビスキラの街にはあまりツーリストが宿泊するようなホテルはないが、街一番のホテルをおさえてくれたそうだ。
<エナックヒル>
交通の要所、ビスキラにある街の中では最も大規模なホテル。しかし国際的な基準から考えると星2つくらいだろう。ホテル内にはカフェやレストランが併設されているが、古さは否めない。室内はかなり広めにとられており、冷蔵庫、暖房器具、エアコン、テレビ、ドライヤーは完備。バスタブ、セーフティーボックス、スリッパ、バスローブはない。WIFIはあるが非常に弱く、室内では使い物にならない。レセプション付近でヤフーのトップページが開くまで1分くらいの遅さだ。シャワーは水圧があまりつよくなく不便だが、ほかにホテルがないのだからしょうがないだろう。
エナックヒルホテル
11月8日
この日はジェミラという、前日訪れたティムガッドと同じく世界遺産に認定されたローマ遺跡で知られる街を目指す。
8時にホテルを出発。ビスキラからジェミラへは一旦コンスタンティーヌ方面に戻るように移動し、市街に入る手前の道で西側にそれる。曲がりくねった山道と果てなく続くようなハイウェイを走ること5時間。ようやくジェミラに到着。その前に、もうすでに昼食の時間だ。
ジェミラのパーキングそばのレストランで、サラダとチキンの生姜焼き(?)、フライドポテトのセットメニューをいただく。お腹を満たしたところで、ジェミラ観光開始。
ジェミラのパーキングそばのレストランにて昼食
<ジェミラ>
コンスタンティーヌから西に約200㎞。アラビア語で「美しい」という名前をつけられたローマ時代の植民都市。1世紀にローマ軍の要塞として建設され、2〜3世紀に最盛を誇ったとされる。その緩やかな丘陵にそって造られた街並みは42ヘクタール、未発掘の部分も含めると70ヘクタール、なんとティムガッド遺跡の5倍以上に及ぶ巨大都市だ。他のローマ遺跡と違いジェミラには東西を結ぶ大通り(デクマヌス)はない。南北を貫くカルドにそって街づくりがなされ、北から南へ、つまり平地から高地にかけて拡大されていった。そのためフォーラム跡が2つ確認できるほか、ビーナス神殿、ジュピター神殿、セプティミウス・セウェルスの神殿などの複数の神殿を持ち、南の端にはキリスト教区やバシリカが造られるなど統治国によって見られる変遷が興味深い。
ちなみに7世紀に北アフリカ一体を征服したアラブ人はジェミラを「美しい」といい街の名前としたが、ティパサを「荒廃した街」と評していた。アラブ人は正直な人たちである。とは言えあくまで7世紀の話なので、ティパサの名誉のために申し上げると、現在ティパサに見られる青い海とローマ時代の遺跡のコントラストは他に類するものが無い必見の場所であることは間違いない。
カラカラ帝の凱旋門
セプティミウス・セウェルスの神殿内部
セプティミウス・セウェルスの神殿
ジュピター神殿と像の半身部
とにかく広いジェミラ遺跡
遺跡に併設されたジェミラ博物館も見逃せない。
ギリシャ神話の神々の彫像のほか、出土品である計量器やランプ、家の装飾品、コインなど貴重な品々が展示されている。中でも見逃せないのは北アフリカ随一と呼ばれる素晴らしいモザイク画のコレクション。モザイク画だけで言えば、チュニジアのバルドー国立美術館に引けを取らないそうだ。保存状態も素晴らしく、ギリシャ神話をモチーフにしたであろう物語や当時の暮らしぶりを生き生きと今に伝えている。
ジェミラの博物館入口 ジュピター像の欠落した頭部
博物館含め、観光に費やした時間は2時間半にも及んだ。
ティムガッドではくまなく歩いて1時間半ほどだったので、いかにジェミラが巨大なのかがわかる。しかも緩やかな斜面に建設されているのでまるでハイキングをしたような感じで、途中息が上がることもあった。観光がようやく終わって、ジェミラのガイドさんにどれくらいの時間あるきましたかねぇと聞いてみると、1時間ちょっとですねという。そのあと時間を確認したら1時間どころか3時間近いし、どれだけ体内時計がくるっているのだと思った。
ジェミラの観光を終え、この日の宿泊地であるセティフへ。
セティフまでは車で約1時間半。セティフはアルジェに抜けるための交通の要地であり、ビスキラと比べると街の規模は少し大きいようだ。街を歩かせてもらった。いわゆる観光地を魅了するような、アルジェのカスバやフランス風の建物や、コンスタンティーヌのような断崖絶壁や隙間なく建てられた古い街並みはここにはなく、普段のアルジェリアの姿を見た気がした。
<エル・ラビ>
エル・ラビはセティフの中心部、噴水のある広場沿いに建つホテル。ホテルのランクとしては2.5星であろうか。古さは否めない6階建ての中規模のホテル。室内には冷蔵庫、エアコン、テレビ、バスタブ完備。スリッパ、バスローブ、セーフティーボックスはない。WIFIは室内では使えないが、ロビーではそこそこの速さで使える。旅行6日目にして、空港以外でようやくまともにインターネットができる環境に身を置いた。
エル・ラビホテル
夕食はセティフの街を散歩した時に購入したパンとコーラ。
11月9日
セティフの朝はかなり冷える、標高が高いらしい。朝8時に我々はホテルをでて、アルジェに向け車を走らせる。
整備された幹線道路をひた走る。途中で道路の拡張工事のためか、2回ほど渋滞に巻き込まれたが難なくクリア。アルジェに到着したのは4時間後だった。
アルジェではコンスタンティーヌからお世話になったドライバーのモハメドさんとお別れ、アルジェのドライバーの車に荷物を入れ替えて出発。モハメドさんはいつも私の大きなボストンバックをホテルのフロントから部屋に運んでくれたり、率先して車のトランクに入れてくれたりと大変ジェントルマンな方であった。またセティフでは一人歩きをしたいという私に対して危険だからということで付き添って歩いてくれた。これからまた数時間かけてご自宅のあるコンスタンティーヌ方面に戻るということなので感謝とともに「安全運転で気をつけて」と伝えた。
アルジェのロードサイドのブロシェット屋さんにて昼食。
ブロシェットというのは鶏肉や牛肉、ソーセージの串焼きのことで、日本で言えば焼鳥屋である。店頭ではじゅうじゅうと炭火で炙った串焼きのいい香りを漂わせている。アルジェリアの人たちはこの焼き鳥に韓国のコチジャンのような唐辛子のペーストのようなものをつけて食する。適度に辛くこれがまた食欲を増進させるのだ。これにビールがあったら最高だろう。気づいたら今回の旅でビールを飲んだのはコンスタンティーヌのイビスホテルだけであった。
アルジェのホテルに到着。アルジェでは到着日と同じくSTホテルに宿をとった。
この日の午後は全く予定がないので、のんびりアルジェの街中を歩くことにした。とはいってもすでにアルジェの主要な観光は到着日にすでに終えているので、自分の歩ける範囲で面白そうなところを探した。
アルジェにはチュニジアのチュニスと同じ名前のバルドー国立美術館があるらしく、そこはホテルから徒歩で20分くらいなので、そこへ行くことにした。
道中、アルジェの街は平日ながらも大変人通りが多く賑わっていた。
アルジェの繁華街は、いわゆる日本でもよく見かけるような全世界的なチェーン店、つまりマクドナルドやスターバックスにKFC、それに衣類量販店のZARAやGAPなどは全く見かけない。代わりに若者の向けに、割と洒落たお店は多い。マクドナルドをアルジェリア風にアレンジしたCITY BURGERというハンバーガーチェーンを見かけた。洋服屋さんが少ないのはイスラムの女性に好まれるような服が世界的なアパレル量販店では売られていないからであろうか。しかしアルジェを歩く女性は、ほかの都市と比べて黒いスカーフをスッポリ頭から被っている人たちは少ないようだ。長い髪の毛を露わにして、さっそうと歩くキャリアウーマンのような女性もいるし、割と派手な格好したギャルもいる。つまりアルジェの女性が全くお洒落ではないことはなさそうだ。一方、幼稚園児の中でもスカーフをしている子供としていない子供がいる。両親の宗教観によるところだろうが、ある日娘が「今日はスカーフしたくないの」と言われた時その親御さんはどのように説得するのだろうと思いを巡らせた。いずれにしても、こと都市部では従来の習慣・風習というものが緩やかに変化していることは間違いないだろう。
坂道を上ったあたりに、アルジェのバルドー国立美術館はあった。
入場料の払おうとしたころ、入り口の女性が入場無料だという、これはラッキーと思いさっそく館内へ。まず目に飛び込んでくるのは真っ白の外壁に、スペイン風のタイルで装飾されたオスマン風のスタイル。コンスタンティーヌでみた宮殿と似た様式ではあるが、中庭がない分建物の構造に趣向が凝らされているようだ。3階建てではあるが中2階があり、メッカの方角を向いた祈り用の小さな部屋、さらにはキッチンのパンを焼くようの釜戸の上はハマム室になっているなど機能的な構造をもっている。しかし特に貴重な展示物があるわけでない(貸し出し中?)、ただオスマン風の瀟洒な邸宅の内覧といった感じであるので博物館とは言えず、すくなからずがっかりした。
バルドー国立美術館を後にして、海辺の大通りに向かった。
前にも書いたことだが、目の間に広がる地中海と美しいヨーロッパ調の立ち並ぶ大通りをみると、まさか自分が北アフリカにいることを忘れてしまう。私と同じ気持ちなのか、アルジェの港の見渡せる広場ではひがな一日ベンチに腰掛けているおじさん達が大勢いた。
ホテル戻り、コーラを飲んで少し休憩。
ここで今回の旅は酒をほとんど飲んでいないことに気づいた。そうすると酒が飲みたいという気持ちがムクムクと立ち上がり、ホテルのフロントに聞いた。この先の角を曲がって、100mもあるけば右側にレストラン・ユニバーシティという店があるからそこで飲める、という。メルシー、ムッシュと伝え、夜の街へ繰り出した。しかし目当ての店は見つからない。行き過ぎたかなと思い、引き返すが見当たらないので別の店の人に聞いたところ、定休日なのかやっていなかった。別のレストランに酒が飲めるところはないかと確認した。結果だいぶ歩いたがこの日は酒を飲むことはできなった。酒を飲む以前に、閉まりだすお店が多く19:30を過ぎた時点でシャッターを閉めたお店の方が大半だった。仕方なくバルドー国立美術館に向かう時に見つけたCITY BURGERにてチーズバーガーを食べてホテルに戻った。なかなか美味しかった。
欧州調のアルジェの街並み
街中も賑やか
まるで南仏のよう
11月10日
この日はアルジェを立ち日本へ向かう。
現地旅行社のサラーさんもバケーションと仕事を兼ねて東京に行くそうで大阪行きの私をドーハまでアテンドしてくれることに。
飛行機は午後3時過ぎの出発。お昼頃まではゆっくりできるだろうなと思っていたが朝10時に空港へ向かうという。なんでも渋滞がひどいからこれくらいに出ないと危ないそうだ。
10時までにホテルを出られるように準備。どれくらいの渋滞かと覚悟していたが15分程度で到着。ラッキーといえばラッキーだが空港で5時間以上待つ羽目に。
サラーさんとベンチでカタール航空のカウンターオープン時間まで空港ベンチで待つ。カタール航空のカウンターは出発4時間前くらいの時間にオープンしたので我々は早速チェックイン。
その後歩いて国内線ターミナルに移動し昼食を食べることに。なんでも国際線ターミナルは物価が非常に高いらしくターミナルを移動してでも国内線ターミナルに行った方がよいとのこと。国内線ターミナルのピッツェリアで一人一枚の直径12㎝もありそうなピザを平らげた。ピザにもアルジェリア風のコチジャンを塗る。なおピザは1枚250AD。なるほどかなりお得である。
その後、出国検査へ。出国カードを書かされる。その後搭乗までビールを飲んでサラ-さんと待つ。そうなのだ。国際線のカフェではビールが買えるのだ。600 AD。高い。でも飲みたいんだからしょうがない。
そうしてドーハからは我々はそれぞれの帰途に就いた。あっというまの9日間だった。
〜おまけ情報〜
治安:まずご旅行をお考えの方、すべての方が気にされるのは治安だと思うが、これがどうして全く危険を感じることなく過ごせた。もちろん何もなかったからそういえるのであるが、最低限のこと、つまり夜中の一人歩きや貴重品を身に着けて不用意に出歩くのをさけていただければ、用心する必要はあるがそこまで構えることはないように思った。
お金:ユーロかドルをもって空港で、またはホテルで両替できる。食事が込みのツアーであればほとんど使うことはない。食費も食べるものによるがハンバーガーやサンドイッチなどのファストフードであれば500AD(だいたい600円)で食べられる。お酒は多少高く1ボトル400ADほど。
言葉:基本的にはアラビア語かフランス語。英語はホテルや高級レストランなど観光客を相手にしている業種以外あまりしゃべれない。若い人は比較的英語は通じた。
WIFI:一部ホテルは無料で利用できるが非常に電波が弱い。もし常にネットに接続してなければない状況の方であれば予めSIM フリーの携帯を用意するなど対策を立てたい。
その他:ティムガットやジェミラに行く際は山道を行くため、酔いやすい方は酔い止めをお持ちいただくのがお勧め。チップの習慣はないそうだが、特別なサービスや気持ちよく過ごせたのであれば渡したほうがスマート。
〜お勧め度〜
・アルジェとその近郊(ティムガット、シェルシェル)★★★★★
・コンスタンティーヌ ★★★★★
・ジェミラ ★★★★★
・ティムガット ★★★★
・グーフィ峡谷 ★★★☆
(2015年11月 橋本康弘)
- 「地上の天国見つけてきました。岩と海を両方楽しむ旅はいかがでしょう」
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エリア:
- アジア>スリランカ>シギリア
- インド洋>モルディブ>モルディブ(アイランドリゾート)
- テーマ:ビーチ・島 世界遺産
- 投稿日:2016/01/05 14:28
今回以上に私にドストライクな旅行先があるだろうか。いや、あるまい。
本当に私の好きなものしか無い旅であった。なので、もしこの旅行記を読んで心の琴線が少しでも震えた方には、是非私と同じルートで旅行に行っていただきたい。
美しい涅槃仏に出会い、絶品の海に包まれ、文化と自然、バックパッカーとリゾート気分をふんだんに盛り込んだ今回の旅行先、スリランカとモルディブ。
モルディブ行くなら、スリランカに寄らなきゃもったいない!
リア充アイランドと思われがちなモルディブで、(出発前まで私もそう思っていた)あの場にいた誰よりも楽しんだ自信のある私。
スリランカでも涅槃仏の前、シギリアロックの頂上で小一時間座り続けた私。
女子旅、一人旅にも是非お勧めしたいです!
反リア充実(※仕事や恋愛全てが充実している人のことをリア充と言うらしいですよ。住みにくい世の中ですね)な私が行く、素敵な涅槃仏、孤独な王様、この世のものとは思えない海に出会う旅、どうぞ皆様のご旅行の参考になりますように。
涅槃仏、それは釈迦が入滅する様子を仏像として表したものである。
何を隠そう、私は涅槃仏が大好きで、バンコクのワット・ポーを訪れた際には腰が砕けたという、まぁまぁ重度の患者なのである。
そんな涅槃仏フェチにはたまらない、なんと2000年以上もずっと大切にされている涅槃仏がスリランカにはあるらしい。
これは見たい・・!
と言うことで、ギュウギュウ詰めだった旅程にダンブッラ石窟寺院も追加してもらった。
実際行ってみて、その美しさに震えた。
窮屈な洞窟の中に、約14メートルの涅槃仏があるのですが、時間を感じさせない程、色がとっても鮮やか!
これはスリランカ独特の特徴らしいですが、足の裏が真っ赤に染められ、美しい花模様が書かれている。そしてその足元には、ブッダの十大弟子の1人であるアナンダの像があるのに感動!
常にブッダの傍でその説法を余すことなく聞き、後世へ伝えた彼が、今でもずっと傍で静かに座っているなんて素敵だと思いませんか?
(ちんぷんかんぷんな人は、聖☆おにいさんを読んで勉強しましょう)
ダンブッラは階段と坂を上った先にあるので、スニーカーで行くのがお勧めです。
そして、スリランカと言えば、一番有名なのがシギリアロック。
そして、今回の出張での一番の難所。
そう、私は高所恐怖症なのです。行った人はみんな口を揃えて「いや、全然問題ないですよ〜。階段めっちゃ古いし狭いですけどね!」と言う。
観覧車にも乗れない私には正直荷が重すぎる。ガイドさんにその旨を伝え、とりあえずいつでもリタイアさせてくれと約束を取り付け、往復約2時間のシギリア登石へ!
結果、それなりに怖いけど、登った先にはちゃんとそれを上回る素晴らしいものが待ってくれていました。
シギリヤレディに逢うために登る螺旋階段は、膝が震えるほどに怖かったけど、四つん這いでどうにか登り切り、そこに居並ぶ美女18人は流石の一言。この美女たちの正体は謎に包まれているが、黒人やアジア人らしき美女もいて、みんなとってもミステリアス美女!以前は500人もの美女が描かれていたというのだから、それはそれは圧巻な眺めであっただろうと感じる反面、こんな高い場所に絵を描いた職人魂にも心が震えました。
ジャングルの中にポツンと座っている巨大な岩山、シギリアロック。
権力に目がくらんだのか、父親を殺してまで王座についたカーパシャという王は、この巨大な岩山の頂上に王宮を建設した。最期は弟に殺されそうになり、自ら命を絶った王は、今でも狂気の王として語り継がれている。
「こんなジャングルに囲まれた寂しい場所に王宮を築き、家族にも嫌われ、彼はとても寂しい人だったのかも知れないですね。彼は孤独な王でした」
そんな前情報が吹っ飛ぶくらい、頂上は素敵な場所だった。
私が王様だったとしてもここに宮殿建てると思う。
風がよく吹いて、どこまでも静かな頂上からは、どこまでも見渡すことができる。
頂上には王様用のプールや、美女たちをはべらしていたハーレム室まであり、こんな素敵な場所に王宮を建てて、美女とプールに入っていたなんて、全然話に聞いていた「孤独な王」とはイメージが違うんだけど!
しかも彼はシギリアロックに登る時は、殿様の籠みたいなもので登っていたというのだから、かなり贅沢なリア充の部類に入るのではなかろうか。
とにかく私はこの場所がスリランカで一番好きだった。
彼がこんな場所に宮殿を建てるなんて、突拍子もないことを考えつかなかったら、私もこの素晴らしい景色に出会えていなかった。そう考えると、彼が実際にこの場所で何を思っていたかは今となっては知る由もないが、お父さんを殺してしまったことを悔やみながらも、キレイなお姉さんたちと静かにこの場で心穏やかに暮らしていたのだと信じたい。
さて、スリランカで仏像と王にメロメロになったあとは、大好きな海に出会うためにモルディブへ!!!
素潜り、ダイビング、サーフィン、ライフセービング、魚とり、ロックラグビー、海に関するものは大概大好きな私がモルディブ!しかも水上コテージ!
これは忙しくて充実した滞在になりそうだ!
いちゃいちゃする相手もいない一人旅、徹底的に海を楽しんでこようではないですか!
今回私は、「ジュメイラヴィッタベリ」と「コンスタンスムーフシ」の二つのリゾートを訪れました。どちらもとっても素敵なリゾートだったので、是非皆様にも訪れていただきたいです。
★ジュメイラヴィッタベリ
空港のあるマーレからスピードボートで約20分と、抜群のアクセスの良さでありながら、素晴らしいハウスリーフととっても居心地の良い雰囲気がここのリゾートのポイントです。
また、全ヴィラにプライベートプールがついており、全てのお部屋のプライバシーは、木を利用してさりげなく守られています。
水上ヴィラは、200平方メートルと非常に大きく、床にグラス窓は付いているし、まるで海に浸かっているように見えるプールはあるし、まさに天国!
そして噂に名高いハウスリーフを体験するため、さっそく海へ!
水上ヴィラからは直接海にアクセスでき、わくわくしながらいざジャンプイン!!
いやー、もう流石としか言いようのないほどに素晴らしいハウスリーフがそこには広がっていました。
水上ヴィラからすぐのところなので、泳力に自身の無い人でも問題ありません。
また、少し泳ぐとドロップオフがあるので、そこまで泳げばウミガメが見られることもあるそうです。
ジュメイラヴィッタベリは、スタッフが本当にフレンドリーで、その対応はディズニーランドのキャストのよう。
どう動いたらお客様が楽しく過ごせるかを常に考えて動いてくれるので、本当に居心地良く過ごすことができました。
もちろんレストランやスパも一流。まるで小さい村の中に住んでいるように滞在を楽しめる、アットホームな極上リゾートでした。
★コンスタンスムーフシ
マーレから水上飛行機で約25分のリゾート、コンスタンスムーフシ。
マーレで飛行機を待っている間は、コンスタンスリゾート専用のラウンジで飲み物や軽食をいただくことができます。
水上飛行機は運転席が丸見えな小さいもので、その外観はジブリ作品に出てきたものとそっくり。
空から見る海も絶品!こんなに美しい海があったなんて!
コンスタンスムーフシは、どちらかというと、賑やかなイメージ。
レストランだけでなく、バーのドリンクも無料だからでしょうか。みんなすごく自由に楽しそうにしていました。
そう、コンスタンスムーフシのポイントは、オールインクルーシブであること。
モルディブは一島一リゾートのため、お食事も必然リゾート内のホテルやバーで召し上がっていただくことになります。しかし、リゾートではビール一缶が約9ドル、昼食で約20〜40ドル、それにリゾート税などがかかります。しかし、ここではそんな心配は全くなし、朝昼晩の食事に加え、バーでの軽食やお食事時のアルコールを含むドリンク(一部除外有)、お部屋のミニバーなど全て料金に含まれています!また、お食事だけではなく、シュノーケリングセットやモーターを使わないウォータースポーツなども含まれていますので、追加代金を気にせず思い切り遊ぶことができるのです。
オールインクルーシブだから、お食事の質はそんなによくないんだろうな・・と思っていたのですが、もう本当に全て美味しいお食事でした!
日本のお客様だと、あまり長期で滞在される方はいらっしゃいませんが、一か月単位で滞在する方たちのために、オールインクルーシブには含まれていないレストランや、豊富なアクティビティもたくさん用意されており、お客様を飽きさせない工夫をそこかしこに感じることができました。
そんな中で、私はシュノーケルツアーとダイビング、サンライズヨガのアクティビティに参加させていただきました。
ヨガは写真が無いのですが、インドからやってきた先生がマンツーマンで教えてくれました。全身筋肉痛になりましたが、海と風の音を聞きながらするヨガは最高!
シュノーケリングツアーでは、リゾートからボートで15分程のポイントへ。
言葉を無くすような世界がそこには広がっていました。
ダイビングはハウスリーフで一本潜りましたが、大好きなウミウシも見つけ、こちらも大満足!
もし天国という場所があるのなら、こうあって欲しい。
携帯も音楽も本も必要無い。ただ海の上で過ごす、そんな夢のような時間がモルディブにはありました。
「ゆっくりしている暇なんて無いですよー!できるだけ色々な事を体験してこないともったいないですよ」と出発前に手配会社の方に言われていたが、現地のホテルマネージャーの方は「何もしないことを楽しんでくださいね。ただ座って海と風を感じるだけでいいんですよ。ここでは心が喜ぶままに過ごしてください」と言ってくださった。
何となく日本とモルディブの違いを感じた一言でしたが、どうしても、折角旅行に行ったなら様々なアクティビティに参加して、写真を撮りまくる事に重きを置きがちになってしまいますが、ここはそういう場所ではないようです。
出張で来させていただいている身の上のため、そんな事は許されませんが、できることならカメラもアイフォンも全部部屋に置いて、体全部で純粋にこの空気を楽しむのも最高の贅沢かもしれません。
今回、スリランカとモルディブという、近いけれども全然タイプの違う旅先へ行き、一気に二つの旅行ができたようなお得な気持ちになりました。
町のマーケットを見たり、岩山を登ったり、バックパッカー的な旅行の楽しみも満たされ、海の上で何もせずに波音を聞くというリゾート旅行の楽しみも満たされ、心身ともに本当にリセットされるのを感じました。
今日もシギリアロックの頂上には爽やかで静かな風が吹き、モルディブではあの美しい海が輝いているのかと思うだけで、今でも心がきらきらしてきます。
孤独な王が作った岩山の上の宮殿、母なる海が作り上げた極上の珊瑚と魚の楽園、そんな地上の天国に出会いに、次のご旅行先にはスリランカとモルディブのゴールデンコンビはいかがでしょうか。
シギリアロック ★★★★★
高所恐怖症でも何でも、登ってみれば価値がわかります。
ジュメイラヴィッタベリ ★★★★★
文句なしの極上リゾート。キッズクラブも充実しているので、ファミリーにもおススメ。
ジュメイラヴィッタベリ ★★★★★
オールインクルーシブでコスパ抜群。シーズンに行けば、マンタやジンベイにも会えます。
(2015年10月 大野史子)
本当に私の好きなものしか無い旅であった。なので、もしこの旅行記を読んで心の琴線が少しでも震えた方には、是非私と同じルートで旅行に行っていただきたい。
美しい涅槃仏に出会い、絶品の海に包まれ、文化と自然、バックパッカーとリゾート気分をふんだんに盛り込んだ今回の旅行先、スリランカとモルディブ。
モルディブ行くなら、スリランカに寄らなきゃもったいない!
リア充アイランドと思われがちなモルディブで、(出発前まで私もそう思っていた)あの場にいた誰よりも楽しんだ自信のある私。
スリランカでも涅槃仏の前、シギリアロックの頂上で小一時間座り続けた私。
女子旅、一人旅にも是非お勧めしたいです!
反リア充実(※仕事や恋愛全てが充実している人のことをリア充と言うらしいですよ。住みにくい世の中ですね)な私が行く、素敵な涅槃仏、孤独な王様、この世のものとは思えない海に出会う旅、どうぞ皆様のご旅行の参考になりますように。
さて、どこまでがプールでどこからが海でしょう
涅槃仏、それは釈迦が入滅する様子を仏像として表したものである。
何を隠そう、私は涅槃仏が大好きで、バンコクのワット・ポーを訪れた際には腰が砕けたという、まぁまぁ重度の患者なのである。
そんな涅槃仏フェチにはたまらない、なんと2000年以上もずっと大切にされている涅槃仏がスリランカにはあるらしい。
これは見たい・・!
と言うことで、ギュウギュウ詰めだった旅程にダンブッラ石窟寺院も追加してもらった。
ゴールデンブッダ
美しい足裏
壁画も美しい
実際行ってみて、その美しさに震えた。
窮屈な洞窟の中に、約14メートルの涅槃仏があるのですが、時間を感じさせない程、色がとっても鮮やか!
これはスリランカ独特の特徴らしいですが、足の裏が真っ赤に染められ、美しい花模様が書かれている。そしてその足元には、ブッダの十大弟子の1人であるアナンダの像があるのに感動!
常にブッダの傍でその説法を余すことなく聞き、後世へ伝えた彼が、今でもずっと傍で静かに座っているなんて素敵だと思いませんか?
(ちんぷんかんぷんな人は、聖☆おにいさんを読んで勉強しましょう)
ダンブッラは階段と坂を上った先にあるので、スニーカーで行くのがお勧めです。
菩提樹
そして、スリランカと言えば、一番有名なのがシギリアロック。
そして、今回の出張での一番の難所。
そう、私は高所恐怖症なのです。行った人はみんな口を揃えて「いや、全然問題ないですよ〜。階段めっちゃ古いし狭いですけどね!」と言う。
観覧車にも乗れない私には正直荷が重すぎる。ガイドさんにその旨を伝え、とりあえずいつでもリタイアさせてくれと約束を取り付け、往復約2時間のシギリア登石へ!
結果、それなりに怖いけど、登った先にはちゃんとそれを上回る素晴らしいものが待ってくれていました。
想像以上の美人
ライオンの入り口。今は足だけしか残っていないが、昔は頭まであったそう
昔は下部分の石の階段を利用していたらしい。命知らずだなぁ。
シギリヤレディに逢うために登る螺旋階段は、膝が震えるほどに怖かったけど、四つん這いでどうにか登り切り、そこに居並ぶ美女18人は流石の一言。この美女たちの正体は謎に包まれているが、黒人やアジア人らしき美女もいて、みんなとってもミステリアス美女!以前は500人もの美女が描かれていたというのだから、それはそれは圧巻な眺めであっただろうと感じる反面、こんな高い場所に絵を描いた職人魂にも心が震えました。
ジャングルの中にポツンと座っている巨大な岩山、シギリアロック。
権力に目がくらんだのか、父親を殺してまで王座についたカーパシャという王は、この巨大な岩山の頂上に王宮を建設した。最期は弟に殺されそうになり、自ら命を絶った王は、今でも狂気の王として語り継がれている。
「こんなジャングルに囲まれた寂しい場所に王宮を築き、家族にも嫌われ、彼はとても寂しい人だったのかも知れないですね。彼は孤独な王でした」
王宮跡
王様用のプール
頂上からの眺め
そんな前情報が吹っ飛ぶくらい、頂上は素敵な場所だった。
私が王様だったとしてもここに宮殿建てると思う。
風がよく吹いて、どこまでも静かな頂上からは、どこまでも見渡すことができる。
頂上には王様用のプールや、美女たちをはべらしていたハーレム室まであり、こんな素敵な場所に王宮を建てて、美女とプールに入っていたなんて、全然話に聞いていた「孤独な王」とはイメージが違うんだけど!
しかも彼はシギリアロックに登る時は、殿様の籠みたいなもので登っていたというのだから、かなり贅沢なリア充の部類に入るのではなかろうか。
とにかく私はこの場所がスリランカで一番好きだった。
彼がこんな場所に宮殿を建てるなんて、突拍子もないことを考えつかなかったら、私もこの素晴らしい景色に出会えていなかった。そう考えると、彼が実際にこの場所で何を思っていたかは今となっては知る由もないが、お父さんを殺してしまったことを悔やみながらも、キレイなお姉さんたちと静かにこの場で心穏やかに暮らしていたのだと信じたい。
狭い階段
さて、スリランカで仏像と王にメロメロになったあとは、大好きな海に出会うためにモルディブへ!!!
素潜り、ダイビング、サーフィン、ライフセービング、魚とり、ロックラグビー、海に関するものは大概大好きな私がモルディブ!しかも水上コテージ!
これは忙しくて充実した滞在になりそうだ!
いちゃいちゃする相手もいない一人旅、徹底的に海を楽しんでこようではないですか!
今回私は、「ジュメイラヴィッタベリ」と「コンスタンスムーフシ」の二つのリゾートを訪れました。どちらもとっても素敵なリゾートだったので、是非皆様にも訪れていただきたいです。
★ジュメイラヴィッタベリ
お出迎えの演奏
空港のあるマーレからスピードボートで約20分と、抜群のアクセスの良さでありながら、素晴らしいハウスリーフととっても居心地の良い雰囲気がここのリゾートのポイントです。
また、全ヴィラにプライベートプールがついており、全てのお部屋のプライバシーは、木を利用してさりげなく守られています。
水上ヴィラは、200平方メートルと非常に大きく、床にグラス窓は付いているし、まるで海に浸かっているように見えるプールはあるし、まさに天国!
水上ヴィラ
グラス窓
水上ヴィラ
プライベートプール
そして噂に名高いハウスリーフを体験するため、さっそく海へ!
水上ヴィラからは直接海にアクセスでき、わくわくしながらいざジャンプイン!!
いやー、もう流石としか言いようのないほどに素晴らしいハウスリーフがそこには広がっていました。
水上ヴィラからすぐのところなので、泳力に自身の無い人でも問題ありません。
また、少し泳ぐとドロップオフがあるので、そこまで泳げばウミガメが見られることもあるそうです。
ジュメイラヴィッタベリは、スタッフが本当にフレンドリーで、その対応はディズニーランドのキャストのよう。
どう動いたらお客様が楽しく過ごせるかを常に考えて動いてくれるので、本当に居心地良く過ごすことができました。
もちろんレストランやスパも一流。まるで小さい村の中に住んでいるように滞在を楽しめる、アットホームな極上リゾートでした。
★コンスタンスムーフシ
マンタかエイ
マーレから水上飛行機で約25分のリゾート、コンスタンスムーフシ。
マーレで飛行機を待っている間は、コンスタンスリゾート専用のラウンジで飲み物や軽食をいただくことができます。
水上飛行機は運転席が丸見えな小さいもので、その外観はジブリ作品に出てきたものとそっくり。
空から見る海も絶品!こんなに美しい海があったなんて!
水上飛行機
空から見た海
コンスタンスムーフシは、どちらかというと、賑やかなイメージ。
レストランだけでなく、バーのドリンクも無料だからでしょうか。みんなすごく自由に楽しそうにしていました。
そう、コンスタンスムーフシのポイントは、オールインクルーシブであること。
モルディブは一島一リゾートのため、お食事も必然リゾート内のホテルやバーで召し上がっていただくことになります。しかし、リゾートではビール一缶が約9ドル、昼食で約20〜40ドル、それにリゾート税などがかかります。しかし、ここではそんな心配は全くなし、朝昼晩の食事に加え、バーでの軽食やお食事時のアルコールを含むドリンク(一部除外有)、お部屋のミニバーなど全て料金に含まれています!また、お食事だけではなく、シュノーケリングセットやモーターを使わないウォータースポーツなども含まれていますので、追加代金を気にせず思い切り遊ぶことができるのです。
オールインクルーシブだから、お食事の質はそんなによくないんだろうな・・と思っていたのですが、もう本当に全て美味しいお食事でした!
日本のお客様だと、あまり長期で滞在される方はいらっしゃいませんが、一か月単位で滞在する方たちのために、オールインクルーシブには含まれていないレストランや、豊富なアクティビティもたくさん用意されており、お客様を飽きさせない工夫をそこかしこに感じることができました。
水上ヴィラ
お部屋のミニバーもオールインクルーシブ
夜はバーにてパフォーマンスも
そんな中で、私はシュノーケルツアーとダイビング、サンライズヨガのアクティビティに参加させていただきました。
ヨガは写真が無いのですが、インドからやってきた先生がマンツーマンで教えてくれました。全身筋肉痛になりましたが、海と風の音を聞きながらするヨガは最高!
シュノーケリングツアーでは、リゾートからボートで15分程のポイントへ。
言葉を無くすような世界がそこには広がっていました。
ダイビングはハウスリーフで一本潜りましたが、大好きなウミウシも見つけ、こちらも大満足!
もし天国という場所があるのなら、こうあって欲しい。
携帯も音楽も本も必要無い。ただ海の上で過ごす、そんな夢のような時間がモルディブにはありました。
「ゆっくりしている暇なんて無いですよー!できるだけ色々な事を体験してこないともったいないですよ」と出発前に手配会社の方に言われていたが、現地のホテルマネージャーの方は「何もしないことを楽しんでくださいね。ただ座って海と風を感じるだけでいいんですよ。ここでは心が喜ぶままに過ごしてください」と言ってくださった。
何となく日本とモルディブの違いを感じた一言でしたが、どうしても、折角旅行に行ったなら様々なアクティビティに参加して、写真を撮りまくる事に重きを置きがちになってしまいますが、ここはそういう場所ではないようです。
出張で来させていただいている身の上のため、そんな事は許されませんが、できることならカメラもアイフォンも全部部屋に置いて、体全部で純粋にこの空気を楽しむのも最高の贅沢かもしれません。
今回、スリランカとモルディブという、近いけれども全然タイプの違う旅先へ行き、一気に二つの旅行ができたようなお得な気持ちになりました。
町のマーケットを見たり、岩山を登ったり、バックパッカー的な旅行の楽しみも満たされ、海の上で何もせずに波音を聞くというリゾート旅行の楽しみも満たされ、心身ともに本当にリセットされるのを感じました。
今日もシギリアロックの頂上には爽やかで静かな風が吹き、モルディブではあの美しい海が輝いているのかと思うだけで、今でも心がきらきらしてきます。
孤独な王が作った岩山の上の宮殿、母なる海が作り上げた極上の珊瑚と魚の楽園、そんな地上の天国に出会いに、次のご旅行先にはスリランカとモルディブのゴールデンコンビはいかがでしょうか。
ヒトデちゃん、また会いましょう!
シギリアロック ★★★★★
高所恐怖症でも何でも、登ってみれば価値がわかります。
ジュメイラヴィッタベリ ★★★★★
文句なしの極上リゾート。キッズクラブも充実しているので、ファミリーにもおススメ。
ジュメイラヴィッタベリ ★★★★★
オールインクルーシブでコスパ抜群。シーズンに行けば、マンタやジンベイにも会えます。
(2015年10月 大野史子)
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