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今日も旅する!!ファイブスタークラブ世界探検隊

~お客様の代わりにファイブスタークラブ社員が世界中をチェックしてレポートしてきました。~

プロフィール

ニックネーム:
ファイブスタークラブ
居住地:
東京都
会社名:
ファイブスタークラブ
会社英字名:
Five Star Club
会社所在地:
東京都
会社電話番号:
03-3259-1511
業種:
旅行業
自己紹介:
1.全コース1名より催行保証。ツアーキャンセルはありません。(ごく一部のコースを除く)
2.アレンジ自由自在。延泊や減泊、ホテルグレードUP、航空会社指定、何でもできます。
3.基本的に少人数でのツアーで団体旅行のわずらわしさはありません。(ごく一部のコースを除く)
3.遊牧民のゲルにホームステイやサハラ砂漠でキャンプなど、その国でしかできないユニークなオリジナルツアーを企画。
3.毎週土曜日、各方面の専任スタッフが説明会を実施。疑問、質問は何でもどうぞ。(予約制)

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ひとりぼっちのあいつ
Message in a bottle フロム エクアドル〜沖縄にUSJができる〜
エリア:
  • 中南米>エクアドル>ガラパゴス諸島
  • 中南米>エクアドル>キト
  • 中南米>エクアドル>グアヤキル
テーマ:世界遺産 自然・植物 動物 
投稿日:2015/03/30 15:44
ひとりぼっちのあいつ


これはすごい坂道のキト旧市街


顎を休ませるゾウガメ


ウミイグアナとアシカ


エクアドルから帰宅後、妻からの一言「沖縄にUSJができるって」の言葉に驚いた。沖縄とUSJとは私の中ではジャガイモとシャーペンの芯の違いくらいイメージのかけ離れたものである。

ところで今回の旅行先のエクアドルはガラパゴス諸島で知られる国である。
エクアドルは私にとっては「一生に一度は行ってみたいが実際はなかなか行けない旅行先」場所である。何故ならエジプトやマチュピチュに行くツアーよりも更にその1段階、2段階も予算がかさむからだ。(ちなみにその私の中の同じカテゴリーにチリのイースター島も含まれる。)

今回、そのあらゆる人々一度は行きたいと思っているだろうエクアドルのガラパゴス諸島に行く貴重な機会を得た。こんな機会は一生に一度もないため、一人で行くのももったいなく思い、父も誘った(もちろん二つ返事で参加した)。

おそらく日本に何千万人といるだろうガラパゴス諸島旅行者予備軍の方々のプランの手助けになれば幸いである。

●今回の行程(3月中旬)
1日目 キト着 キト泊
2日目 キト旧市街&赤道観光 キト泊
3日目 キトからサンクリストバル島へ サンタクルス号乗船 午後サンクリストバル島 プンタピット観光 船内泊
4日目 午前サンタフェ島観光、サウス・プラザ島観光 船内泊
5日目 終日サンタクルス島観光 船内泊
6日目 エスパニューラ島観光 午前プンタ・スアレス、午後ガードナー・ベイ 船内泊
7日目 クルーズ下船 バルトラ空港からグアヤキルへ グアヤキル観光後 空港へ



1日目
朝5時半に家をでて伊丹空港を目指す。31年間生きてきて生まれて初めて使う伊丹空港。いたって普通の国内空港だがこれまで仕事で何度もお客様に使っていただいているのでなんだか感慨深い。
今回キトまでのフライトはアメリカン航空を使う。伊丹から成田までの日本国内線は同じワンワールドのJAL。
伊丹空港のカウンターには国際線乗り継ぎ用の専用カウンターがあり、国際線乗り継ぎのお客はそのカウンターで手続きを行う。伊丹からキトまではスルーでボーディングパスがでて荷物のタグもキトまでだった(伊丹でもらえた搭乗券は成田空港到着後、アメリカン航空搭乗口でアメリカン航空の搭乗券に引き換えた。また荷物はダラスにて引き取った後すぐまた預ける)。

伊丹空港でトイレに行っている間にアナウンスで、ビジネスクラスが+1000円でアップグレードできると、父が聞いたというので試しに乗ってみることに。1時間少しの距離で飲み物しかでないがフルフラットで快適だった。

成田空港到着後、道なりにすすむとバゲージクレームに着く。荷物は受け取らないのでそのまま税関をぬけてすぐ右手に国際線出発口がある。荷物検査と出国手続きを終えて、搭乗口へ。

アメリカン航空は定刻通り出発、前日あまり寝ていなかったので飛行機では熟睡。
ダラス到着後。3年前ほどに同じくダラス空港で入国検査を受けたことあるが今回再訪してびっくり。すべてキオスクのような専用電子端末で入国手続きが行われ、その後ランダムで半数の人が有人のカウンターにて再度チェックを受ける流れになっていた。そのため大幅に時間が短縮できて以前みたいに2時間ほどの乗り継ぎでも焦ることはなくなった。ダラスでは一旦荷物を取り出して再度預ける。その後手荷物検査を受けて搭乗口へ。
変わったのは乗り継ぎだけでなく、空港のインフォメーションスタッフもカウボーイのような西部開拓時代の出で立ちでなかなか面白くなっていた。
そしてマイアミを経てキトへ。
キト出発が1時間ほど遅れてしまったがこれくらいの遅れであればなんのその。ほぼ予定通りに到着してホッと一安心。キトの空港では特に難しいことを聞かれることなく、税関も厳しくはなかった(食べ物をたくさん持ってきていたので少しびくびくしていた)。

税関を抜けたところで今回お世話になる現地スタッフ(石倉さん)と合流。エクアドルではそのままドルが使えるので特に両替などはせず、そのままホテルへ。キト市内のホテルまで約50分。去年できたという新しい空港とハイウェイを抜け、キト市内へ。
夜10時を越えたキト市内には人はほとんどいない。こちらの人はあまり出歩かないのだろうか。

この日宿泊するメルキュールに到着。

<メルキュールアラメダ>
空港から約50分。キト新市街に位置する4つ星ホテル。5つ星ホテルと見まごうような品のある広々とした立派なエントランス。ウェルカムドリンクのサービスクーポンが嬉しい。室内はスーツケースを広げるには十分なゆとりのある造りになっており、バスタブもある。もちろんミニバーやドライヤー、セーフティボックス、湯沸かし、無料のWIFIもある。スリッパはない。またキトは日中涼しいためエアコンはない。ホテルそばにはメルカド・デ・インディヘナ(先住民族のマーケット)や国立博物館、ショッピングセンターもあり、観光に便利。

メルキュールアラメダのお部屋


メルキュールアラメダの外観


すでに0時をまわっていたのでこの日はそのまま就寝。

2日目

朝、5時に目がさめる。時差ぼけの影響だろう。
少しの早いがお腹が空いたので6時半には朝食を食べ、集合時間の9時まではのんびり過ごした。
9時に石倉さんと合流。

<キト市内観光>
何と言っても外せないのはアンデス山脈の名峰に囲まれた美しきキトの旧市街。キトはボリビアのラパスに次いで2番目に標高高い首都(2800m)としても知られており、キト旧市街はガラパゴス諸島と並び、世界で最も古く登録された世界遺産の一つである。これはキトの人々の誇りにもなっている。
かつてインカ帝国の都市として栄え、16世紀スペイン統治時代に設計された街並みは、独立広場を中心に大統領府や市庁舎などの行政機関が立ち並び、格子状に整然と広がっている。旧市街の保存状態としては中南米一と言われており、中世にタイムスリップしたかのような錯覚を味わえる。キトの旧市街に宿をとってライトアップされる街並みを楽しむのも大変お勧め。

大統領府


椅子を運ぶおじさん


お茶を売っていたおじさん


お土産売りのインディヘナ


真面目な衛兵が着るのはエクアドルカラーの軍服


サンフランシスコ教会は金ぴか


中でもキトの旧市街を特徴付けているのは点在する急勾配の斜面。山並みに歴史的な建造物が広がるキトならではの風景。旧市街まで来たならパネシージョの丘にも是非訪れてほしい。キト旧市街から約180mの高さのこの丘からは山なりに歴史ある建物が立ち並ぶ壮大なキトの展望を楽しめる。

パネシージョの丘でエクアドル風ドーナツをたべた


パネシージョの丘からのバジリカ教会


市街に立ち並ぶ教会を見て歩くのも面白い。建立された時代によってゴシック様式、バロック様式など様々にミックスされている。特に興味深いのは街のどこからでもその大きな時計台が見えるキトのシンボル、バジリカ教会。1892年に着工された比較的新しい教会で、外観はパリのノートルダム教会を彷彿とさせるゴシック様式。このファサードが大変ユニーク。ここではガーゴイルの代わりにガラパゴスやアマゾンにちなんだ動物たちが魔除けとして上空から我々を見下ろしているのである。

バジリカ教会


バジリカ教会の魔除けのイグアナ


バジリカ教会内部


祈りをささげるおばあさん


キト旧市街をあるいていると目につくのは警官の数。南米というと治安面を心配される方も多いかもしれない。しかしキトは中南米一安心して歩ける古都とも言われており、旅行者の安全確保に力をいれている。もちろん自己管理は必要だが、美しいこの旧市街をきままにそぞろ歩きできるのは他の中南米にはない嬉しいポイント。

キト市街から車で走ること50分。ここにエクアドルの名前の由来となった場所がある。17世紀にフランスの調査隊がここを赤道と定義したとされ、大変立派な赤道記念碑が建てられている。スペイン語で赤道は「ECUADOR」、つまりエクアドルは赤道の国なのだ。赤道が通っている国であれば世界各国あるはずだが、世界でもっとも古く制定され、また首都にも近いという意味ではやはりエクアドルの右にでる国はないのだろう。
しかしこの赤道記念碑、近年の科学技術の発展により、実は正確には赤道直下でないことがわかった。実際には赤道とされる地点から200m離れた場所に本当の赤道があるとされ、赤道直下を私有地としてもつ家主はそこに赤道博物館を建設し、観光客で賑わいを見せている。ほかにも赤道直下を私有地としてもつ家主もいくつかいるはずだが、この博物館のオーナーの商売が上手だったということだろう。

on the 赤道


悪戦苦闘するおじさん


卵を立たせると証明書をもらえます


お昼は赤道記念碑のそばのエクアドル料理屋さんで。
エクアドル風シュラスコはブラジルのそれとは違い、ご飯の上に薄い牛肉のステーキとアボガト、フライドポテト、揚げバナナ、目玉焼きなどをトッピングしたワンプレート料理。
フリターダスはエクアドルの幕の内弁当的な存在。トウモロコシや豚肉のフライ、アボガト、フライドポテト、ジャガイモ団子のようなジャピンガチョなどの盛り合わせ。
チキンのスープには大ぶりの鶏肉とゆで卵、ジャガイモ。あっさりした味わい。

エクアドルビール


エクアドルのシュラスコ


キト市内に戻ったのは午後4時頃。帰りにスーパーマーケットに立ち寄ってもらい、妻に頼まれていたキヌア、日本で買うよりも安そうなココアの粉を購入。どちらも500gで2.5$くらい。

石倉さんとお別れし、1人でキトの街をぶらぶら。
ホテルからほど近い、メルカド・デ・インディヘナへ。そこへ突然雨が降ってきた。3月は雨季で、午後3時くらいから降り出すそうである。
メルカド・デ・インディヘナはその名の通り、インディヘナ(先住民族)達が開くマーケット。お土産物に最適な織物やTシャツをはじめアクセサリーやチョコレートも売っており、エクアドルのお土産は大抵ここで揃えることができる。私は自分の記念にTシャツを購入。7ドルのところを5ドルにしてもらった。

雨が小雨になったところでホテルに戻る。時差ぼけと高山病の兆候か、眠くなってきたので、この日は夕方に就寝。

3日目
朝4時に朝食をとり、朝5時のクルーズスタッフの迎えを待つ。係員の方がやってきて、用意されたバスに乗り込む。どうやら我々が一番初めのお客のようだ。その後、ヒルトンなどいくつかのホテルを経由して乗客はバスいっぱいになる。そして空港へ向かう。
キト空港の国内線ターミナルに到着。ガラパゴス行きの場合はスーツケースなど機内預けの荷物をまずX線に通す必要がある。
その後、入島管理の窓口にて1人20ドルを支払い、入島申請書を受け取る。
ラン航空のチェックインなどはクルーズのスタッフがすべて行ってくれて、搭乗券を受け取るだけ、あとは各自搭乗ゲートまで移動し、ボーディングを待つ。
今回利用した、サンクリストバル空港行きのラン航空はグアヤキル空港を経由する。グアヤキルではそのまま飛行機の中で待機。キトを出発して3時間35分。ようやくガラパゴス諸島に上陸。

外国人用の入島管理窓口に並び、ここで入島税100ドルを支払い、簡単な荷物のチェックを受ける。実はかなりの量のおやつと食料を持ってきていたので、持ち込みに厳しそうなガラパゴスでは没収されるかなと思ったが大丈夫だった。

空港にて荷物を受け取ると空港外にクルーズのスタッフが待機している。
クルーズの乗客達を乗せて、船着場へ出発。5分くらいで船着き場に到着。

バスを降りると潮の香りのいっぱい広がる。桟橋まで歩く途中に人だかりができているなと思って目を凝らすとなんとアシカがお出迎え。しかも呑気にお昼寝。ガラパゴスの動物は人を恐れないと聞いたことがあるが、到着初日から嬉しいサプライズだ。

桟橋からはゴムボートに乗って、今回4泊5日の船旅をお世話になるサンタクルス号に乗船。

ウェルカムドリンクをいただいた後はそれぞれの部屋にチェックイン。
私達はM10というツインベットのお部屋を利用。

<サンタクルス号の設備>
広大な海原を見渡せる丸型の窓、真っ白な壁にブルーのクッション、上品な木目の調度品。これからのクルーズ気分を盛り上げてくれているような、勇ましくもかわいらしいデザイン。室内には内線用の電話機に、電源2つ、エアコン、セーフティボックスがある。また個室のトイレとシャワーまで完備。テレビ、スリッパはない。WIFIは無料で利用可能だが常に海上を移動しているため非常に弱い。ミニバーもないが、船内ではコーヒーやお茶、その他ちょっとしたクッキーなどの軽食はいつでも飲み食い自由。バーではもちろんお酒も飲める。その他、広々したパブリックスペースに、ビジネスルーム、売店、ミニライブラリー、屋上のデッキにはバーの他にジャグジーまで完備している豪華客船である。
なおサンタクルス号の定員は90人まで、今回我々も入れて参加者はおよそ80人なのでほぼ満室である。

サンタクルス号 二人部屋


ダブルベッドの部屋もあった


トリプルベッドの部屋も


気分が高まる丸っこい窓


バスルーム


電源やポット、iPhoneなどに接続できるスピーカーもあります


チーム分けのボード


パブリックスペースとバー


お土産屋さん


ジャグジーも


いい天気だなぁ


荷物を整理しているとオリエンテーションを行うというアナウンス(もちろん室内にもスピーカーがあるためどこにいても聞こえる)。
国立公園や船の中でのルールなど一通りの説明を受けた後は昼食。
フィットチーネのパスタや七面鳥のローストなど盛りだくさんの昼食を楽しんだ後は、避難訓練。

避難訓練を終えると、この日の目的地であるプンタピット(プンタ岬)に到着した、というアナウンス。
早速半ズボンとTシャツに着替え、カメラとタオルをスタンバイ。ウェットランディング(小型船に乗り換え浜辺にて上陸する方法、濡れるためこの名で呼ばれる)用のサンダルとハイキング用の靴もパッキングした。

小型船での上陸のため、予め振り分けられた班ごとに呼ばれる。私達はイグアナチームだった。1班は最大14人ほど。

<サンクリストバル島 プンタピット(プンタ岬)>
楽しみ方:トレイルハイキング(3時間)
見られる動物:ナスカカツオドリ、アオアシカツオドリ、アカアシカツオドリ、アシカ、グンカンドリなど。(3種類の中カツオドリ見られるのはここだけ)。

小型船に乗り込み。まずはプンタピット周辺を30分ほどクルーズ。周囲にはアシカのコロニーがあり、自然のままのアシカ達を見ることができる。生の自然のアシカを早速の目の当たりにして大興奮。続いてアカメカモメを間近にとらえることができた。
その後、ウェットランディングにてプンタピット上陸。海底まで見渡せるような美しいエメラルドグリーン海とキメの細かい白砂ビーチだ。ピンタピットのトレイルコースは浜辺からすぐ。岩場の急斜面の道を歩くのでしっかりした靴を履くことをお勧めする。山道を登ること30分、切り立った山に囲まれた、眺望の良いポイントに到着。変わった動物達の生態にばかり気を取られがちだが、景観の美しさもガラパゴス諸島の魅力の一つである。さらに先に進むとアカアシカツオドリのコロニーを発見。クチバシの青色と足元の赤のビビッドなコントラスト。アカアシカツオドリの撮影に気を取られているとスズメのような大きさのアオメバトが近づいてくる。人間を恐れない、自然そのままの鳥の姿を見た。
3時間ほどのハイキングを楽しみ、船に戻る。

サンタクルス号を見下ろす


眺望がいいプンタピットのトレイル


まるでオーストラリアやアメリカのような台地



しばし休憩した後、軽いウェルカムパーティーが開かれ、乗組員の紹介が行われた。その後夕食。
夕食は3コースのディナー。前菜のサラダ、スープに肉・魚・ベジタリアンから選べるメインにデザートがついていた。彩り豊かでどこかのホテルで食べるものと遜色ないレベルだ。
1テーブル4〜6人用になっているので我々のように2人できている場合はどなたかと同席になる。カルフォルニアからきた年配のご夫婦のグループがいらっしゃってその方達とお話しをした。これまでもクルーズの旅行を何度もしていらっしゃったようでアラスカのクルーズはとても感動的だったとのこと。自分にもう少し語学力があったら会話も弾んだのにな、と海外にきていつもながら思うのだった。

ディナーの一例


4日目
初めて船内で迎えた朝。朝食は7時15分から開始。目玉焼き、ベーコン、生野菜にフルーツなどホテルで出されるようなインターナショナルなもの。

8時に午前中の観光がスタート。

<サンタフェ島>
楽しみ方:ハイキング(2時間)、シュノーケリング(1時間)
見られる動物:サンタフェリクイグアナ(固有種)、アシカ、数種類のフィンチなど。シュノーケリングではウミガメやシャーク、エイが見られた。

まずはサンタフェ島の周辺を軽くクルーズしてからウェットランディングにて上陸。昨日のプンタピットと違うのは浜辺には沢山のアシカ達。白浜のハーレムとなっており、近づいて写真も撮れる。ビーチからトレイルスタート。高低差はないのでプンタピットのようにハードではない。しばらく歩くと岩山に広がるのは巨大なウチワサボテンの林。ガラパゴス諸島の中でもこのサンタフェのウチワサボテンは大ぶりで大きいものだと幹の直径は1.2mを超えるほどだそうだ。そのウチワサボテンの実が落ちてくるのを今か今かと待ち構えているのがサンタフェリクイグアナ。一般的なガラパゴスリクイグアナよりも背中の突起が尻尾まで続くのが特徴だ。2時間程度のハイキングを終え、一旦島に戻る。希望者はグラスボートかシュノーケリングを選び、サンタフェ島周辺で1時間ほど楽しむことができる。なおシュノーケリングギアは貸し出し無料。私達はシュノーケリングを楽しんだ。ゴムボートで潜るまで移動し、ガイドさんとともに幾つかのポイントを周遊する。そんなにシュノーケリングが得意ではなかったが、年配の方が多いためか、親切に比較的ゆっくり移動してくれたので、難しくはなかった。写真を見せられないのが残念だが、アシカが泳ぐのを間近に見ることができたのは感動的だった。ガラパゴスは動物達の見ることがメインという考えだったのだが、この素晴らしく美しい青い海で野生の動物たちと一緒に泳げるのもこのガラパゴス諸島の知られざる大きな魅力である。

サンタフェ島上陸!


集合写真


サンタフェのウチワサボテンはイグアナに食べられないように背が高く進化


撮影会


昼食の後はサウス・プラザ島に上陸。

<サウス・プラザ島>
楽しみ方:ハイキング(3時間)
見られる動物:ガラパゴスリクイグアナ、アシカ、サボテンフィンチ、アカメカモメなど。運が良ければハイブリットと呼ばれる新種のイグアナが見られることも。

サンタクルス島から僅か400mの沖合に見られる全長500mほどの小さな島。ガラパゴス諸島の中でも最もリクイグアナの生息数が多いという、まさにリクイグアナの聖地。地表を覆うような赤茶色のセスビウムとウチワサボテンの林の織りなす風景。火山起源でなく隆起によってできた島のため、地表の硫黄分が少なく、豊かに実を結ぶサボテンが多いそうだ。イグアナにはテリトリーがあるらしく、サボテンの木の下ではイグアナ同士の縄張り争いも見ることができる。一方、アシカにも縄張り争いがあるらしく、島の端、断崖絶壁の場所にもアシカがいる。海辺に生息するアシカがなぜここまで?実は縄張り争いに負けたアシカはこのような島の端っこに身を寄せることもあるのだそう。しかし、陸上生物ではないアシカが、陸から歩いて島の果てまで移動することは並大抵のことではないはず。その努力があればいつか巻き返せるさ、とそっと孤独なアシカにエールを送った。

サボテンをついばむサボテンフィンチ


やすらかに眠るアシカ 寝息が聞こえることも


セスビウムが広がる


セスビウムの中を我が物顔であるくリクイグアナ


仲睦まじき事は善き事かな


サボテンの木に登って実を食べるイグアナ


5日目
この日はサンタクルス島に上陸する。

<サンタクルス島>
楽しみ方:観光・買い物・カヤック・サイクリングなど(8時間程度)
見られる動物:(ダーウィン研究所にて)ゾウガメ、リクイグアナ

ガラパゴス諸島の中でも最大の人口をもつ町、プエルトアヨラの船着き場に降り立つ。今日は1日このプエルトアヨラにて過ごす。プエルトアヨラはおそらくガラパゴス諸島に滞在する旅行客は必ず立ち寄るだろう。空港が近くにあるだけでなく、ダーウィン研究所のある町として知られているからだ。
ダーウィン研究所のスターと言えば、ロンサム・ジョージ。しかし彼はすでに3年前にこの世を去っていた。ロンサム・ジョージが亡くなってから観光客も減ったというから恐るべき影響力のロンサム。
ロンサム・ジョージとはビンタ島の生き残りのガラパゴスゾウガメのことである。ガラパゴスゾウガメは11の島に15亜種に分化しており、すでに4種は絶滅し、最後の生き残りであったロンサム・ジョージも亡くなり5種が絶滅したことになる。
ロンサム・ジョージが亡くなって、代わりにスターダムにのし上がったのはディエゴ。ディエゴの由来はサンディエゴ。そう、アメリカのサンディエゴである。実はディエゴはエスパニョーラ島出身でアメリカ・サンディエゴ動物園に保護されていたが、子孫繁栄のためにこのガラパゴスに舞い戻り、多くの子孫を残しているという。そんなディエゴをガラパゴスの人々は尊敬の念を込めて彼を呼ぶ「スーパーディエゴ」と。

交尾でなく男の子どうしが遊んでいるだけらしい


なぜか他のカメに登ろうとするカメが多数


ダーウィン研究所のスター ディエゴ



ダーウィン研究所を見学したあとは、プエルトアヨラの町をぶらぶら。メインストリートにはお土産屋さんやレストラン、カフェ、ダイビングショップが軒を連ねている。クルーズ船に乗っているとお土産を買う時間があまりないため、お店を冷やかして歩くのも久々で楽しい。またレストランやネットカフェではWIFI環境が整っており、メールのチェックなどが出来るのも嬉しい。クルーズ船で購入できない日用品や個人的なお菓子などをここで購入するのもいいだろう。

プエルトアヨラのお洒落な墓地


魚市場でおこぼれを待つアシカたち


可愛らしいプエルトヨラの街並み


町を散策した後は希望者だけサイクリング。
実は我々もサイクリングをする予定だったが、バス乗車中に降り出した雨が土砂降りになったことで気が変わった。同じグループの何名かはそれでもサイクリングをすることにびっくり。
外国人の根性というか、好奇心というか、なんでも体験してやろうという心意気は大したものである。日本人はこういうところを見習わなくてならないなぁとしぶしぶ思った。
我々はサイクリングをする人たちの一足先に目的地のサトウキビ農場へ。
ガラパゴス諸島の主な農作物であるサトウキビ畑では、砂糖の他にお菓子や蜜や蒸留酒などを生産しており、それらを見学することができる。
サイクリスト達が農場に到着したあとは一緒に昼食の会場へ。
昼食はローカルレストラン、クルーズ始まって以来の地上での食事である。

食事が終わった後はその後のアクティビティーに、カヤック又はゾウガメ見学のいずれかを選択することができる(もちろん船に戻ることもできる)。

雨が降っていたのでカヤックには誰も参加せず、私達も含めほとんどがゾウガメ見学に出発した。
ゾウガメ見学のスポットはエル・チャト。エル・チャトはもともとゾウガメを見るための場所ではなく、農場であった。本来、家畜の牛のために草花を育成したのだが、どこからか野生のゾウガメ達が集まるようになったそうだ。今やゾウガメ農場と言われても差し支えないほど沢山のゾウガメ達が集まってくる。
中には巨大なゾウガメもいるので、記念撮影にはこれ以上ないポイントである。

エル・チャトにて そこらへんにカメがいます


エル・チャトのあとは各自フリー。クルーズ船お迎えのゴムボートは1時間おきで運行するのでそれに合わせてクルーズ船に戻るのも、続けて町を散策してもいい。つかの間買い物とネットを楽しみ、クルーズ船に戻った。

夕食のあとは地元バンドの演奏とローカルダンスショーがあった。
ローカルダンスショーに出ていた女の子は何とビックリ、プエルトアヨラのネットカフェの受付の女の子だった。本当にローカル。

6日目
早朝、日の出を船上から鑑賞した。

ガラパゴスの美しい日の出


今日も一日が始まりますね


この日はエスパニョーラ島を観光。午前と午後で2つのポイントから上陸する。

<エスパニョーラ島 プンタ・スアレス>
楽しみ方:ハイキング(3時間)
見られる動物:ウミイグアナ、アシカ、ナスカカツオドリ、アオアシカツオドリ、ヨウガントカゲ、オオイワガニ、アシカなど(4月〜12月の繁殖期のみガラパゴスアホウドリ)

エスパニョーラ島はガラパゴス諸島内では最南端に位置し、海鳥が集まることから海鳥の楽園とも呼ばれる。またこの島で見られるウミイグアナは赤と緑の色鮮やかな種類を見られることで知られている。
ウェットランディングにてプンタ・スアレスに上陸。桟橋から沢山のアシカとカラフルなウミイグアナがお出迎え。じっとしているウミイグアナ。硬い鱗と厚い唇、背中を走る突起、しっかりした鉤爪、塩分が硬く付着した鼻の先。見れば見るほど同じ祖先をもつリクイグアナとの違いを実感する。
主に海藻を食べるというウミイグアナ。それもそのはず、このエスパニョーラ島はウチワサボテンやセスビウムといった実の厚い植物はない。距離的には大きく変わらないはずだが、住む場所の環境に応じてこうも姿を変えていくものなのだろうか。もちろん何百年とかけた結果であるが、この地球に生きる生物の生命力のなんと尊いことだろう。

ウミイグアナの楽園 エスパニョーラ島


仲睦まじき事は善き事かな2


孤高のアシカ


勇ましいウミイグアナ


泳ぐウミイグアナ


ナスカカツオドリと雛


船に戻り一休み。昼食の前にガラパゴスの歴史の講義。
午後は同じエスパニョーラ島のガードナー・ベイを観光。

<エスパニョーラ島ガードナー・ベイ>
楽しみ方:ウォーキング(1時間)、シュノーケリング(1時間)
見られる動物:アシカ
数キロもありそうなさらさらの真っ白な浜辺と浮き通るような青く澄んだ海、そしてそのビーチを我が物顔でゴロンと寝転ぶおびただしいアシカ達。美しいビーチはアシカ達にとってもまさに楽園のようである。ここのアシカはのんびりしているので記念撮影にもってこいのスポット。水着をもってきてアシカ達と泳いでもいい。
なお希望者はガードナー・ベイの観光前にシュノーケリングができる。サンタフェ島でのシュノーケリングよりも深いポイントを泳ぐ。沢山の魚とともにアシカを見ることができた。

ガードナー・ベイ


か、かわいい


シュノーケリングが終わった後はビールが最高 4ドル


午後の観光のあとは、明日の下船の準備についてのガイダンス。
清算方法や荷物の出し方、チップの渡し方についての説明などがあった。

7日目
朝7時起床。この日がクルーズをチェックアウトする日である。
8時までに朝食を終え荷物をパッキングして部屋を出なければならない。事前に配られたタグを荷物につけてキャビンの外に置いておけば空港まで運んでくれる。
8:30にこのクルーズ中にスタッフが撮った写真のスライドショー開始。皆で思い出に浸る。
10:00に空港のあるバルトラ島へ下船開始。ちなみにドライランディング。
バスの乗り換え5分くらい。バルトラ空港に到着。比較的新しめの空港で中にはお土産屋さんが沢山あった。

ラン航空のチェックインを終えて待合室へ。往路と同じくこの飛行機もグアヤキル経由のキト行きとなっている。我々はアメリカン航空のグアヤキルOUTにしているのでグアヤキルまでのチケットをうけとる。

ほぼ定時に飛行機は離陸。
グアヤキルに到着。道中仲良くなったアメリカ人、オーストラリア人、イギリス人の旅行者に機内で別れを告げてグアヤキル空港の中へ。

税関を抜けてガイドさんと合流。
グアヤキルではアメリカン航空との乗り継ぎで約7時間の待ち時間があるためその間に観光を予め頼んでおいた。

<グアヤキル観光>
もしエクアドルに訪れる機会があればガラパゴス諸島やキトはもちろんだが是非グアヤキルにも訪れてほしい。山岳地方で標高が2800mある政治の中心・キトとは対照的に海岸地方のグアヤキルはたった海抜400mのエクアドルで最も人口の多い経済都市。気候はもちろん食生活や歩いている人々の服装や人種も異なる。空港から20分の旧市街に見所は凝縮している。カラフルな町並みが美しい「エクアドルのファベーラ」とも称されるサンタアナの丘、グアヤス川沿いの2.4km続く市民の憩いの遊歩道・マレコン2000、グアヤキル中のイグアナが熱帯の木々を目当てに集まるセミナリオ公園、別名「イグアナ公園」。またグアヤキルの名物カニ料理「カングレホ」も是非賞味したい。1杯2ドル程度。硬い甲羅を棒で叩き割って味わう。ただしカングレホ禁漁の時期が3月中旬の1週間程度と9月中頃から1ヶ月程度あるそうなのでご注意を。もし禁漁の時期に当たった場合はハイバと呼ばれる高級カニを食べるのもいいだろう。カングレホよりも少し値は張るが身がしっかりしておりカングレホよりも美味しいとされる。ハイバは年中味わうことができる。また海岸都市グアヤキルではエクアドル近海で獲れたマグロなど、日本へ輸出する前の鮮度の良い魚介類を食べられることから寿司や刺身が美味しいことで知られている。
晴れた日はカラフルで美しいサンタアナの丘


イグアナ公園ではみんな木に登っていました


身のしっかりしたハイバはカングレホと同じく小槌で叩き割って賞味します


私達が訪れた日のグアヤキルはあいにくの雨で尚且つカングレホ禁漁時期であったが短時間でグアヤキルの旧市街の車窓観光と名物のハイバに舌鼓。大満足の内容となった。
過去に痛ましい事件が起こったグアヤキルだが街を知り尽くしたガイドとドライバーさんがいれば気軽に楽しめる。用心するに越したことはないが、キトやガラパゴスだけではもったいない。是非トランジットの数時間だけでも時間をとって滞在したい街だ。

夕食の後はそのまま空港へ。
アメリカン航空にチェックインしマイアミとロサンゼルスを乗り継ぎ、日本を目指す。

これにて私達のエクアドルの旅は終了。

最後にガラパゴス旅行でのアドバイス。

<個人的にガラパゴス諸島でのお勧めスポット>
今回の私の訪れた島はサンクリストバル島、サンタフェ島、サウス・プラザ島、サンタクルス島、エスパニョーラ島の5島。
最も印象的だったのはウミイグアナと大量の鳥たちとアシカを一挙に見ることができるエスパニョーラ島。シュノーケリングポイントもあるのがうれしい。次にガラパゴス諸島で一番の大きな町・プエルトアヨラとダーウィン研究所を擁するサンタクルス島。ダーウィン研究所では各島のゾウガメと農園での野生のゾウガメも見ることができゾウガメ三昧の島だった。

<クルーズとアイランドホッピング>
ガラパゴス諸島での観光の方法は2つ。船内で宿泊しながら4泊5日などで観光するクルーズ型とサンタクルス島などホテルがある島に宿泊しながら小型船で各島を巡るアイランドホッピングがある。それぞれのメリットとデメリットを認識しながらツアーを選びたい。

クルーズ船のメリット
・常に同じ部屋に宿泊しているので島を移動する時でも荷物を整理する必要ない。
・食事中や就寝中に移動をするので効率的な観光ができる(アイランドホッピングでは行くことができないより人里から離れたより自然のままの島にいくことができる)。
・ガイド(ナチュラリスト)や船内スタッフの質が高い。
・常にハイクオリティの食事が給される
・同じクルーズに参加している旅行者と過ごす時間が多いため仲良くなる。
・船内のサービス(例えばランドリーサービスやガラパゴスの歴史講習会など)が充実している。
・支払いをその都度する必要がない。(最終日に精算)

クルーズ船のデメリット
・ホテルと比べると部屋は狭いことが多い。
・就寝時など長時間の移動中は揺れを少なからず感じるので船酔いしやすい。
・ブッフェタイプの食事ではあるがワンパターン。
・同じクルーズの参加者はほとんど英語圏なので、英語の心得がないとコミュニケーションが図れない。
・料金が高い。

アイランドホッピングのメリット
・船酔いが少ない。
・自分で食べるものをある程度選択できるなど自由度が高い。
・クルーズよりも料金が安い。
・クルーズのように他の乗客と四六時中一緒にいることはないためプライベート感がある。

アイランドホッピングのデメリット
・訪れる島によっては移動時間がながい。そのため訪問できる島が限られる。
・島を変えて宿泊する場合は荷物の移動が面倒。
・夕食など自分でレストランを探す必要がある。
・安いだけの現地ツアーに参加すると質の悪いガイドに当たることもある。

<クルーズのスケジュール>
06:45 起床
07:00〜08:00 朝食
08:30 下船開始、上陸観察
11:30 帰船
12:30〜13:30 昼食(昼食の前に説明会があることも)
15:00 下船開始、上陸観察
18:30 帰船
19:30 予定説明会など
20:00〜21:00 夕食

<ガラパゴスの気候>
ガラパゴスの気候は雨季と乾季に分けられるが、赤道直下にあるので、年間を通じて快適。ガラパゴスの自然の変化に照らし合わせて旅行を計画する事ができればなお楽しみも増す。
雨季:12月〜5月ごろ。特に1月から3月頃は最も暑い時期に当たるが、平均気温はそれでも28度位。シュノーケリングなどアクアアクティビティに最適。雨季とはいっても、短時間に静かに降る程度で一日中雨が降り続けることはない。雨の多い時期には、植物が青々と葉を茂らせる。
乾季:5月〜12月ごろ。霧が多くガルーアシーズンとも呼ばれる乾季にあたる。霧が多く曇りがちになるため肌寒く気温の低い日が続く。7月から9月頃の平均気温は23度位。但し、日中の気温は高く、日差しもさすがに強いので、日焼けには注意。繁殖行動や抱卵する親鳥などは3月から8月頃に多く見られ、繁殖期の後半になると、ヒナや幼鳥が多く見られる。

<ガラパゴスへの持ち物> ◎必須、○できれば

◎お金(アメリカドル、クルーズの場合、入島税などで少なくとも120ドル以上は現金が必要です)
○防水のビニールバック
◎スニーカー(山道、岩場、濡れた場所を歩くことも)
◎サンダル(水泳、砂浜上陸時に必要)
○長ズボン
○船内用の靴(スニーカーでも兼用できます。)
◎半ズボン
◎ウィンドブレーカー(雨に備えて)
◎長袖・半袖シャツ
◎洗面用具(船内には石鹸・タオルはございます)
◎靴下
◎日焼け止め
◎帽子
○虫よけ
◎サングラス
◎カメラ(予備バッテリー)
◎水着
大体皆さんこんな服装です


<クルーズに含まれているもの>
クルーズ中の全食事、飲料水
ナチュラリスト・ガイド
空港/桟橋間送迎
シュノーケリングレンタル代

<クルーズに含まれていないもの>
ガラパゴス国立公園入島税
チップ(ガイド,クルー,バーなど)
飲み物代(ジュース、アルコール飲料)、その他個人的費用
ウェットスーツレンタル代、医療代

<ツアーを終えて>
やはりガラパゴス諸島は行く価値のある素晴らしい場所であった。閉ざされた世界で独自の進化を遂げた生き物達。彼らには天敵がいないため人間を恐れることはない。人間に脅かされる前の地球が生まれたときのような自然なままの生き物たちがこの島にはいる。そしてその美しい自然を守ろうとする人々がいることも感銘を受けた。地球が何百年とかけて作り上げた生き物たち。それらを同じ地球上の生物である人間が絶滅させてはならないように思う。ダーウィンの進化論の根拠となった生き物たちを見ていると我々人間の過去と未来について思い巡らされた。
一方、意外な発見だったのはガラパゴス諸島での海のアクティビティー。ガラパゴス諸島での目的は動物鑑賞であると思い込んでいたが、ガラパゴス諸島の美しい澄んだ海でのシュノーケリングは鮮やかな魚たちはもちろん、亀やアシカ達とも泳げることに驚いた。透き通るような海でのシュノーケリングであれば他の国でもできるが亀やアシカと気軽に泳げる場所はそうそうないだろう。海だけでなくプンタピットなどで見た、火山が造り出した見事な景観も忘れがたいことを付け加えたい。
前後に宿泊したキトやグアヤキルもおまけと考えていたのが申し訳ないくらいに楽しめた。

しかし同時に見られることを期待していた動物が一部見られなかった。例えばガラパゴスアホウドリは4月から12月頃のエスパニョーラ島にて繁殖するため、3月の中旬に訪れた今回には見ることはできなかった。またグンカンドリは生息地がサンクリストバル島とイザベラ島に生息地が限られていた(サンクリストバル島には初日午後のみ立ち寄ったがその機会には見ることができなかった)。
同じように生息地が限られている動物としてはガラパゴスペンギンがいる。熱帯地方に唯一生息している珍しいペンギンだがイザベラ島の東側など見ることができる場所は片手で数えられる程度だ。
見たい動物の選定とそれに合わせたツアープランの重要性を強く感じた。更に滞在方式もクルーズや島のホテルに宿泊など一口にガラパゴス諸島観光といってもその楽しみ方とルートは多岐に渡る。
(行程を工夫して安く行こうと思えばペルーのツアーと同じくらいか少し高いくらいで行けることも今回わかった。)

沖縄にUSJができることは大いに結構なことだが、エクアドルのガラパゴスと同じく観光客が年々増加したとしても、何百年かけて形成された自然を壊すことなく、それでいて多くの人々が沖縄固有の自然を楽しむことの起点になればと願う。

スタッフおすすめ度
ガラパゴス諸島 ★★★★★L 動物達の楽園、シュノーケリングなどアクアスポーツやハイキングも楽しい!
キト ★★★★★ 世界遺産登録1号 中南米有数の美しい旧市街
グアヤキル ★★★ シーフードがおいしい港町

(2015年3月 橋本康弘)

ブータン国王夫妻
50年前にタイムトリップ!?神秘の国、ブータン
エリア:
  • アジア>ブータン>ティンプー
  • アジア>ブータン>パロ
  • アジア>ブータン>プナカ
テーマ:観光地 街中・建物・景色 温泉・露天風呂 
投稿日:2015/03/30 15:39
ブータン国王夫妻


幸せの国ブータン!つい何年か前、若き国王夫妻が来日したことで、その国の名を耳にした人も多いはず。そう、某有名プロレスラーにどことなく似た雰囲気のある、あの国王!
今回、ブータンに行く機会を得た。

トランジットのためバンコクで1泊したのち、ブータン唯一の国際空港、パロへ。
徐々に高度を下げ、険しい山の中を切り裂くように降りていく機体。この着陸の様、まさに神秘の国にふさわしい!!と密かに機内で興奮。実はこの空港、周りを囲むヒマラヤの高い山々と短い滑走路のため、世界でも着陸の難しいパイロット泣かせの空港として有名。
普段は通路側をリクエストするが、窓側にして大正解。さらに言うと左側の窓側がベスト!天気が良ければ雲の上にヒマラヤの山が見えるのだ。
窓から見えるヒマラヤ!


ブータン到着!!!
この日からゾン・ラカンなど寺院漬けの毎日のスタートだ。
パロから途中、標高3200mのドチュラ峠を越え、プナカを目指す。プナカは1955年にティンプーが通年の首都になるまで、ブータンの冬の首都であった県である。
各県にはゾンと呼ばれる、寺院と行政の役割を持った建物がある。かつての首都であったプナカのゾンは、ブータンでも2番目に古く、それはそれは見事の一言に尽きる。
なんと、現国王の結婚式もここで行われたのだそうだ。
記憶が混同するほどにたくさんの寺院を見たが、プナカ・ゾンは一番鮮明に記憶が残っている。
プナカ・ゾン


川に挟まれて作られた、プナカ・ゾン


プナカ・ゾンにいた修行僧

プナカを後にし、本日の宿がある、ワンデュ・ポダンへ。
途中、市場を見学。ブータン人の大好きな唐辛子が売られていた。
ブータンの人々は素朴だ。日本人に顔つきが似ているのだけども、少し色が黒い。
伝統衣装の「ゴ」や「キラ」を着ていなければ、色の黒い日本人に見えてしまう。
カメラを向けると恥ずかしがらずに写真を撮らせてくれた。
あとやたらと野良犬が多く、我が物顔で道路に寝そべっている。襲ってくることはなく、吠えることもなく、死んでいるのでは?と疑うほど、ただただ寝ている。
ワンデュ・ポダン近郊の市場


ブータンの伝統的な家々


学生は皆、伝統衣装が制服


あ、起きた(笑)!


3日目、ワンデュ・ポダンより3350mのペレラ峠を越え、トンサへ。
トンサでももちろんゾン。
トンサ・ゾンは500年以上も前に原型がつくられ、何度かの拡張を経て、ブータン最大のゾンとなった。
谷に沿うように建てられており、侵入者を防ぐ見張り穴のようなものもあり、まるで要塞のようであった。
なお、ゾンでは皆、正装が定められている。
民族衣装のゴは普段からも来ている人は多いが、ゾンに参拝するときはさらに白い布をかけなければならない。女性もキラを着て、肩から布をかけている。
観光客とて同様で、過度な肌の露出は許されない。脱帽で、タンクトップや短パン、サンダルはNGだ。


トンサ・ゾン


正装のガイドさん


トンサ・ゾンにいたお坊さん


小学生たちと一緒に


この日から2泊、ブムタン谷にあるジャカルへ宿泊。
ブムタンは4つの谷からなる地方であるが、実際にブムタンという町は存在しない。
集落のほとんどは標高2500Mクラスなので、結構冷える。
ホテルの部屋には薪ストーブがあり、これで暖をとるのだ。火を燃やすのは大人になってもなぜかわくわくしてしまう。
部屋の薪ストーブ


ここで、ブータンの食事を紹介したい。
ブータン料理は世界一辛いと言われていて。唐辛子や山椒をふんだんに使っている。
米は白米よりも赤飯を好み、肉でも野菜でも乾燥させて食べることが多い。
レストランでもホテルでも観光客向けにアレンジしたメニューを出してくれるので、極端に辛い料理には、特別リクエストをしない限りは出会わない。
ただどこに行っても同じようなメニューばかりで非常に飽きる。特にまずいものはいが、特においしいものもない…。もっとこう、味にも料理にもバリエーションが欲しいものだ。
そしてここブムタンはソバで有名。ホテルで朝、ソバ粉パンケーキが出てきたが、びっくりするくらいおいしくなかった。そば粉でおいしく食べられるのはクレープの厚みが限界ではなかろうか。パッサパサのモッサモサで、そば粉そのものを咀嚼しているような気分だった。4枚積み上げられたそば粉パンケーキは頑張って1枚だけコーヒーで胃袋に押し込んだ。
ただ料理はイマイチなことが多いが、レストランでもホテルでもブータン人のホスピタリティーは素晴らしい!ということだけは主張しておきたい。
外国人向け料理


たまにこんなオシャレな料理に巡り合えることもある


終日のブムタン谷観光



ジャカル・ゾン


ジャカルの学生さん


クジェ・カラン


ワンデュ・チョリン御殿


そして、どんなものかと楽しみにしていたホームステイ!
ホストファミリーに会いに、ポプジカという標高3300mの村を目指した。
一般的な農家のおうちはこんな感じ。

ここでホームステイ


昔ながらのキッチン


ブータンの人々は、年に1〜2回ほど、家にお坊さんを呼び朝から夕方5時くらいまでお経をあげてもらうのだそうだ。
そのため、どこの家にも立派な仏間がある。


ホストファミリー宅でお経をあげているお坊さん


ホストファミリー宅でブータン農家式お風呂「ドツォ」を体験した。

たき火で石を焼き


一度水で汚れを落とし


浴槽へ


体の芯までポッカポカ!


ドツォ


お風呂に入るのも一苦労だな。面白い体験だった。
お風呂に入ったら、ホストファミリーと一緒に夕餉の時間
まるで映画で見る昔の日本の食卓のようだ。薪ストーブを囲んで家族みんなでいただきます。
和やかにご飯を食べていたら、突然の停電!!
実はこの村に電気が通ったのは3年前。ちなみにブータンでテレビ放送やインターネットが始まったのはなんと15年前!
この地方では電気が地下を通っているため、停電の度に配線どこだ〜?と地下を探すので復旧に時間がかかるのだそうだ。
非常用の小さなソーラー電気の明かりを頼りに、民族衣装の着付けをしてもらった。

夕ご飯




ホストファミリーと一緒に夕食

女性が着るのはキラ


男性のゴも着てみた


暑いときはこう着る


お部屋


ファミリーとの暖かな夕食を食べ、ガイドさんを通じていろいろな話をした。
親日家のご家族だったようで、受け入れているのは日本人だけなのだ、私たちは日本人が大好きだと言ってくれた。なんだかうれしい。

そして翌朝はおばあちゃんの読経で目が覚めた(笑)。
ホストファミリーに別れを告げ、首都ティンプーまで約4時間のドライブ。
ブータンの道路はまだまだ発展途中である。
いろいろな区間で工事をしていて、ある目的地まで行くための唯一の道が3〜5時間くらい閉鎖され、その合間合間に、1時間通行が許される。しかもその通行可能時間がよく変わるので、時間が読みにくい。通行が許可されている時間に間に合わないと、何もないところで何時間も待たされるわけだ。
ポプジカ〜ティンプー間も3つの工事ポイントがあり、残り7分のところで、ギリギリ通過したが、内心ヒヤヒヤだった。
また工事中の道は険しく、車のすれ違いもままならない場所もある。また、前の車が見えなくなってしまうほど、砂埃がすさまじい。
でも住んでいる人には旅行者の勝手だと思われるが、この不便さにやはりブータンらしさを感じてしまう。

首都ティンプー!
人口も多く、近代的な建物の建築ラッシュが進んでいるという。
とはいえ、建物はすべてブータンらしい様式だし、首都とは思えないほど自然が溢れている。
メインロードにこの国唯一の信号がある。しかもそれは手旗信号!!

集団住宅


手旗信号


タシチョ・ゾン


メモリアルチョルテンでマニ車を廻す人たち


メモリアルチョルテンに参拝に来ていた人


ティンプーから車で走ること約40分、空港のあるパロに戻ってきた。
観光最終日は、ブータン最大の観光地、タクツァン僧院へ。
ここからトレッキングが始まる。去年マチュピチュに行ったとき、ワイナピチュ登山を経験し、二度とこういうことはしたくない、と思っていたがいとも簡単にその二度目は訪れた。運動が大嫌い、富士山は登るものではなく眺めるものだと思う私の、3時間半にも及ぶ苦闘。

悲しくなるほど高いところにあるタクツァン僧院


この日はとても天気が良く真っ青な空、緑の山々のコントラストがそれはもう素晴らしかった。そんな景色を楽しむ余裕は最初の5分で消え失せ、あとは黙々と足を上げて降ろしての繰り返し。
馬で登る人もいるので、道は馬糞に溢れている。
疲れながらも馬糞を踏むことへの抵抗感。馬糞を避け変なステップになるので、疲れに拍車がかかる。
道は当然整地されておらず、急斜面になるので、履きなれた靴を。そしてできれば馬糞を踏んでも気にならない靴を(もしくは心を)。
ガイドさん曰く、急斜面で落馬の可能性があり、馬の扱いに慣れていない日本人には絶対お勧めできない。馬にとってもハードだしかわいそう、とのこと。
虫の息で第一展望台にたどり着いた。
第一展望台からの眺めはこんな感じ。まだまだ遠い…。これでは納得してもらえない。

第一展望台の馬止め


第一展望台からの眺め


ここでお茶を飲み、クッキーをいただき、さらなる高みへ。
ガイドさんに心配され、どうする?行くの辞める?と聞かれた。でも私にはタクツァン僧院のガイドブックのようにきれいに写真に撮るというミッションがあるのだ、と説明すると、ガイドさんがなんと、僕一人で行って写真を撮ってくるという天使のような提案をもちかけた。
えぇっ、いいのん?!
と心を強く揺さぶられたが、申し訳ない思いが勝ち、第二展望台へ向けて歩き始めた。
そしてさらに45分程のトレッキングを経てついにたどり着いた〜!!



第一展望台からの眺め


タクツァン僧院


断崖の中にへばりつくように立つ、僧院。
実は、一度火事で焼失してしまったそう。2004年に再建が完了したそうだが、資材の運搬などはたくさんのボランティアの人が参加したのだという。
私なんて手ぶらで登るだけでもこれだけ文句が噴出するのに、志願して資材を持って登った人たちはなんて立派なのでしょう。
僧院までは第二展望台からさらにV字に800段以上の絶壁階段を上り下りしなければならない。それを往復だ。
が、私にはそんな余力は残っていない。残してない。私のゴールはここです、と第二展望台にて高らかに宣言そして、下山。
あんな苦しかった山道も帰りはラクラク。景色を楽しむ余裕もあり、抜けるような青空を楽しんだ。標高が高いため眼球も日に焼けるようで、翌日は目が充血していた。サングラス持参を持参した方がよいであろう。
ホームステイ先の男の子と


このメインイベントをもって、私のブータン研修は終了した。
日本やほかの海外に比べ、極端に物資が少ないなと思うし、旅行客を受け入れる体制は到底、他国の水準には達していない。
でも豊かさとは、簡単にモノが手に入ること、電気があって便利な生活を送れることとはコールではないのだな、と改めて気付かされる旅であった。
心の豊かな人たち、独特のリズムで生活する人たち、信心深く仏教とともに生きる人たち。
幸せの国ブータンの、“幸せ”の意味が分かった気がした。

スタッフおすすめ度
プナカ ★★★★★ 数あるゾンの中でもプナカ・ゾンは見応えがある
ジャカル ★★★ 街は小さいが周辺の棚田や大自然が美しい
ポプジカ ★★★★★ のどかな湿地帯の散策とファームステイがお勧め
ティンプー ★★★★ ブータンの首都。近代的なブータンを見られる場所
パロ ★★★★★ ブータン最大の観光地、タクツァン僧院がある

(2015年3月 久保井奈々子)

太陽の神殿
ビバ!メキシコ&キューバ 世界遺産 駆け巡りツアー
エリア:
  • カリブ海>キューバ>ハバナ
  • 中南米>メキシコ>メキシコシティ
  • 中南米>メキシコ>ビヤエルモーサ
テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2015/03/30 15:32
今回の旅先はメキシコ&キューバ。まずはメキシコシティを目指します。成田からの直行便を利用しました。
中心部へは車で40分ほど。ジャガランタの花が出迎えてくれました。ジャガランタを初めて見てテンションは上がります。






<メキシコシティ歴史地区>
メキシコシティはアステカ帝国とスペイン植民地時代の旧跡、現代文化が融合した大都市です。
アステカ時代は湖上に浮かぶ都市で、スペイン軍の記録には「夢幻の世界はこれか・・・」と記されているほど、当時高い文明をもっていました。植民地時代はアステカ時代の建物の石材でスペイン風の町が築かれ、現在はそのエリア(ソカロ地区)が歴史地区となり現在でも重厚な建築が立ち並んでいます。
ベジャス・アルテス宮殿


カテドラル


国立宮殿


カテドラル奥にあるアステカ時代の遺跡


三文化広場 アステカ、中世、現代の建物が一度に見える


夜はマリアッチで楽しいひと時。チャロと呼ばれる衣装を身に着けた楽団の演奏を聴くことができます。
心地よい歌声と生演奏はなぜだか少しなつかしいような気になりました。






<ティオティワカン遺跡>
紀元前2世紀ごろ建造されたメキシコ最大の宗教都市国家。最盛期には20万人以上の人口がいたと推定され、繁栄を築いていましたが8世紀には滅亡してしまいました。どこに消えてしまったのか解明はされておらず、
謎は深まります。それぞれの建築物は一分の隙もなく建てられていて、高い数学、天文学の知識を操っていたと想像されます。実際登ってみても2000年前の建築とは想像できず、最近つくられたものと言われても、そうなんだ、と納得してしまいそうな素晴らしい遺跡です。
頂上では何かのパワーをもらおうと儀式(?)を行っている観光客もいました。


太陽のピラミッド


階段の傾斜


太陽のピラミッド頂上にて


死者の道と月のピラミッド


<パレンケ遺跡>
メキシコシティから空路拠点の町、ビジャエルモーサへ。パレンケ遺跡はさらに車で2時間。
パレンケはマヤ古典期後期を代表する遺跡でその中に神殿や宮殿が残されています。この遺跡は滅亡から約800年もの間ジャングルに埋もれていました。現在発掘されているのはその一部で、すべて発掘されるとどんな規模になるのか想像もつかないものでした。建築物の数々は、数字の7にちなんだもの(階段、扉の数など)が含まれていて、どこが7になるのか探すのも面白いかもしれません。
遺跡内には水路や運動場、スポーツの観覧席、トイレなどもあり高い生活レベルが想像されます。
また数々残されているレリーフも興味深く、古代文明にちなんだ、中国の龍、エジプト風なども残されていました。神殿を一つ一つ登るのは大変ですが、見る価値は十分あります。
頭蓋骨の神殿のレリーフ


宮殿跡


発掘前と発掘後


太陽の神殿


十字架の神殿からの眺め


エジプト風レリーフ


レリーフを元にした手書きのお土産


古代人風の衣装を着た売り子さん


まだまだ見たいところはありますが、後ろ髪を引かれつつメキシコをあとにし、カリブの真珠と言われるキューバへ。最近はアメリカとの国交正常化に向けて何かと話題です。
現地のかたは心待ちにしている様子でした。

・キューバ編
<オールドハバナとその要塞群>
旧市街はアルマス広場を中心にコロニアルな町並が立ち並んでいます。メキシコシティの歴史地区にた重厚な建物もありますが、カラフルに彩られた町並はカリビアンな雰囲気を醸し出しています。
旧国会議事堂


劇場


ホテル アンボスムンドス


アルマス広場の古本市


また青い海には不似合いですがいくつかある要塞は植民地時代この地がいかに重要だったかがうかがえます。
旧市街には素敵なお店も多いので、ブラブラ散歩も楽しいものです。また町にはクラシックカーをいたるところで見かけることができますが、これは個人のタクシーなので観光客も気軽に乗ることができます。記念にドライブも一興です。
モロ要塞


要塞から市内の眺め


当時の兵士風






クラシックカーいろいろ








かわいい看板の数々

<ビニャーレス渓谷>
キューバの内陸には山脈が走り自然が豊かな国でもあります。渓谷とはいってもお椀型の山が点在している変わった景観のカルスト地形で周辺にはタバコ農園が広がっています。ビニャーレスはハバナから日帰りツアーが多いのですが、時間があれば是非1泊していただきたい。朝に現れる霧はこの渓谷を何とも言えない幻想的な世界へいざないます。今回は残念ながら霧は現れず・・・、ですが日の出から刻一刻と変わる景色もすばらしく、じっと見ていたい気持ちになりました。周辺には洞窟や大きな壁画もあり自然の多様性を楽しむことができます。




ビニャーレス渓谷(日中)






ビニャーレス渓谷(早朝)


タバコ小屋






インディオ洞窟




ムラル壁画


タバコ小屋ととっくりヤシ


・番外編
<キューバのキャバレー>
ハバナは革命前、カリブのモンテカルロと言われラテンアメリカ最大の歓楽街でした。今でもハイレベルなライブやショーを楽しむことができます。今回はもっとも有名で最大規模のキャバレーを体験してきました。
きらびやかな衣装や迫力のあるカリビアンミュージック、素晴らしいダンスやパフォーマンスに我を忘れ、カメラのシャッターを切ってしまいました。まるで夢の世界です。










魅惑のトロピカーナショー


<チェ・ゲバラ>
キューバに行ったらここで是非写真を撮りたいゲバラの肖像。近年カミーロの肖像もできました。






<ヘミングウェイ>
「老人と海」のモデルとなった海、コヒマル。のんびりとした雰囲気に創作意欲を掻き立てられる気持ちが少しわかるような気がします。ここでゆっくり過ごしてみたいものです。










ラテンのまぶしい太陽を浴びて心身が健康になった気がした今回の旅。メキシコもキューバもこれから注目のディスティネーションです。今度はスペイン語を勉強して再度訪れたいと心から思ったのでした。

おすすめ度
メキシコシティ歴史地区 ★★★★
ティオティワカン遺跡 ★★★★
パレンケ遺跡 ★★★★★
ハバナ旧市街 ★★★★★
ビニャーレス渓谷 ★★★★

(2015年3月 平田真美)

xmas
『タリンとヘルシンキのクリスマス・マーケット』   
エリア:
  • ヨーロッパ>エストニア>タリン
  • ヨーロッパ>フィンランド>ヘルシンキ
テーマ:買物・土産 お祭り・イベント 歴史・文化・芸術 
投稿日:2015/03/30 15:27


「タリンのクリスマス・マーケットのお店に並べられたミニチュアの置き物」

エストニアのタリンと、フィンランドのヘルシンキのクリスマス・マーケットに行きました。
「クリスマス・マーケット」というと、その発祥の地とされるドレスデンをはじめ、ドイツ各地のものや、オーストリアのウイーンや、近頃はパリのクリスマスマーケットなども知られてきましたが、タリンと、ヘルシンキでも開かれています。

エストニアは、日本ではまだまだ馴染みの少ない国ですが、引退した大関 把瑠都の出身国、ということで知られています。
1991年に、旧ソ連からバルト三国の他の2国(ラトビアとリトアニア)とともに独立しました。

「タリン・旧市庁舎前のラエコヤ広場で開かれていたクリスマス・マーケット」


ボクが乗った飛行機はタリン空港に夕方17:00に到着しました。タリンは北緯59度。北欧フィンランドとはバルト海のフィンランド湾をはさんで向かい合う位置にあり、緯度が高いので、冬は夕方5時頃までには太陽が沈み長い夜の闇に包まれます。
ボクがタリンの街に着いた時は、すでに辺りは真っ暗。でも、旧市街の真ん中にあるラエコヤ広場に行くと、クリスマス・マーケットが華やかに開かれ、街の人々がたくさん集まっていました。

「仮設のカウンターでホットワインを手におしゃべりする人々」


街の人たちの多くは、手に手に紙コップのホットワインを持ち、ある人は歩きながら、またある人は広場に設けられた木造りのカウンターで、湯気を立てるホットワインを飲んでは買い物をしたりおしゃべりして楽しんでいます。
この時期にしては暖かく、小雨がぱらついていましたが、人々はフードをかぶるだけで傘も差さずにいます。
ボクも、7ユーロを払って、紙コップのホットワインを受け取りましたが、なんとまあ、その甘いこと。クランベリーのワインで、ベリーらしい酸っぱさもありましたが、甘さが格別。でもその温かい甘さが、冷えた身体を内側からホコホコと温めてくれました。
「ミニチュアの置き物やマグネットの店」


「長靴や猫のマフラーの店」


「帽子の店」


「毛織物(ミトンやセーター)の店」


並んだお店は、みんな、年に1度しか開かれないマーケットのためにしては立派な構えで、観光客向けのおみやげになるようなものを多く売っていました。
でも、マーケットに来た人の口を楽しませるお店も、ホットワインの他、ソーセージを炒めたもの、フライドポテトの店や、子供向けの大きなアメを売っている店など並んでいました。

「ホットワインの店」


「炒め物の料理の店」


「アメの店」


広場には、街の観光名所を巡る、蒸気機関車の列車を模したバスもやってきます。また広場の真ん中では舞台が作られ、子供たちを中心にダンスや楽器の演奏が披露されていました。舞台の前では、ホットワインを手にした人たちがいっぱい見ていました。
「観光用の列車を模したバス」


「舞台で踊る子供たち」


タリンから飛行機で約30分。バルト海のフィンランド湾をひとまたぎすると、フィンランドの首都ヘルシンキに着きます。こんどは昼間にヘルシンキのクリスマスマーケットを訪れました。
ヘルシンキのクリスマスマーケットは、ヘルシンキ大聖堂前の元老院広場で開かれています。ここは、街の中心で、ヘルシンキの中でも最も古くからの歴史を持つエリアです。

「ヘルシンキのクリスマスマーケット」


立ち並ぶお店は、タリンのものよりさらに立派で、とても一時期だけの臨時の露店とは思えない造りです。また、売っている商品の種類がタリンのマーケットより多く、海産物の店や、なんと鍛冶屋さんまでありました。
「お菓子の店」


「ろうそくの店」


「手作りの毛糸のサンタ」


「鍛冶屋の店」


「ベビーカーで買い物をする家族連れ」


広場の真ん中にはメリーゴーラウンドが設置されていて、たくさんの子供たちも遊びに来ています。
「ヘルシンキ大聖堂とメリーゴーラウンド」


「メリーゴーラウンドで楽しむ子供連れ」


「遊び終わって帰る子供たち」


ヘルシンキのクリスマスマーケットはタリンのマーケットより、観光客向けではなく、地元の街の人たち向けの色合いが強いと感じました。

フィンランドは、サンタクロースの故郷といわれるロバニエミや、オーロラ、ムーミンワールドなどを目当てに訪れる観光客が多いですが、クリスマスの時期に旅行されるなら、ぜひ、クリスマスマーケットに立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

おすすめ度
タリン ★★★★
たっかい城壁に囲まれた旧市街の中は、中世の町がそっくりそのまま残っています。
城壁の上の展望台から眺める景色もすばらしく、世界遺産登録にナットクです。

ヘルシンキ★★★
歴史を感じさせる古い建物が、広い通りに沿って整然と並ぶ町並みは、「北欧の古都」というイメージそのまま。買い物や食事も楽しく、フィンランドの旅を演出してくれる町です。


(2014年12月 小澤誠)

ドブロヴニク
まさにアドレア海の真珠・ドブロヴニク これからのヨーロッパの本命はバルカン半島なのだ。
エリア:
  • ヨーロッパ>クロアチア>ドブロブニク
  • ヨーロッパ>ボスニア・ヘルツェゴビナ>モスタル
  • ヨーロッパ>マケドニア>オフリド
テーマ:街中・建物・景色 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2015/03/30 15:18


ヨーロッパの南東部に位置するバルカン諸国(アルバニア、ブルガリア、マケドニア、セルビア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、スロベニア、ギリシャ等)はまだまだ日本人には馴染みが薄いが、その歴史は古く古代にさかのぼる。西暦前はマケドニア王国の時代、4〜9世紀は東ローマ帝国、12〜13世紀はブルガリア帝国、16〜19世紀はオスマン帝国が統治し、その後はオーストリア・ハンガリー帝国とロシア帝国の勢力争いの場となり、第2次世界大戦後は王制が廃止され共和制に移行した。1989年にはベルリンの壁崩壊に象徴される冷戦が終結され東欧革命が起り、その影響を受ける。ただ、多民族国家であるユーゴスラビアは共産主義国ではあったがソ連とは異なる独自の共産主義を推進していた。1980年チトー大統領の死後、各民族の不満は高まり、冷戦終結の影響もあり構成していた6つの共和国は独立にいたる。6つの共和国とは、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアである。今回の出張はその中の4カ国、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニアと鎖国状態が長かったアルバニアへの初体験の旅である。

スコピエ城塞


石橋


スタラ・チャルシャ


観光看板

マザーテレサ記念館


第1の訪問国マケドニアは、1991年に旧ユーゴスラビア連邦から平和的に独立した唯一の国家である。その名のとおり長い歴史を持つ国だが古代マケドニア王国の人々と直接の連続性はない。民族はマケドニア人が約65%、アルバニア人が25%を占める。人口は200万人強。言語はマケドニア語が68%、アルバニア語が25%、トルコ語が3%、セルビア・クロアチア語が2%である。宗教は正教会が70%、イスラム教が29%、その他が1%である。首都、スコピエは1963年の地震によって市内の80%が破壊されてしまい、震災後の都市計画の大部分はなんと日本人都市計画家「丹下健三」によって策定された。最も人気の観光スポットである「スコピエ城塞」はおおよそ復元され保存されている。ヴァルダル川に架かる石橋(カメン・モスト)は1451年から1469年にメフメト2世によって造られたが、東岸にあるバルカン半島の中でも最大級のスタラ・チャルシャ(オールドバザール)と西岸のマケドニア広場を結んでいる。スコピエはマザーテレサの生誕の地として知られ18歳までここで過ごした。彼女の業績を記念するための記念館が2009年にオープンされている。マケドニア広場の中央には勇敢なアレキサンダー大王の像が見守り、ヴァルダル川沿いには新しいマケドニア博物館、オペラハウス、国立劇場等が建立され見事な景観を造り出している。歩きやすいように街歩きの看板が30ヶ所のおすすめポイントを示している。できたら1泊はしてじっくり街を歩くことをお薦めする。それだけの価値はある。

オフリドの町


聖ソフィア大聖堂


国立博物館


サミュエル要塞

湖からの旧市街


次はスコピエから3時間ほどで保養地として有名なオフリドに到着。中世には、聖キリルとメトディウスの弟子である聖クリメントと聖ナウムがこの地で布教活動を行い、以来オフリドはスラヴ世界におけるキリスト教文化の中心地として栄えた。1979年にはユネスコ世界遺産の複合遺産に登録され、マケドニア屈指の観光地としてにぎわっている。特に旧市街は見所満載だ。湖に沿って入っていくと、上階部分がせり出した白い建物の国立博物館があり、しばらく進むと聖ソフィヤ大聖堂、岬の先の聖ヨハネ・カネオ教会と続く。坂の上にはフレスコ画で有名な聖クレメント教会やイコン博物館がある。丘の上にはサミュエル要塞があり、ここからの町と湖の眺めは圧巻だ。仕上げはボートにのり、湖から眺めると旧市街全体が見渡すことができる。
第2の訪問国・アルバニアは第2次世界大戦後にほぼ鎖国状態となり1978年から完全な鎖国状態となった。1991年に「アルバニア共和国」に改称し、1992年の総選挙によって非共産政権が誕生した。しかし1997年のネズミ講の破綻で経済は混乱に陥った。その後は経済回復を続け、2000年にWTO加盟、2014年6月よりEU加盟候補国となっている。宗教構成はイスラム教70%、アルバニア正教会20%、ローマ・カトリック10%。民族はアルバニア人が大部分を占めている。

スカンデルベグ広場


ジャミーア・エトヘム・ベウトと時計台


首都、ティラナは17世紀にオスマン朝によって築かれ、隊商ルートの要衝として発展し、1920年に首都になった。スカンデルベグ広場が街の中心であり、国立歴史博物館、ジャミーア・エトヘム・ベウト、時計台、国立美術館が建ち並び、見所は集中している。



ベラディ城


神女就寝教会


コソボからも学生たち




千の窓の町


ティラナから車で2時間で世界遺産のベラディに着く。2008年に世界遺産登録されたベラディの見所は2つ。1つはベラディ城。紀元前4世紀に砦は築かれ、現在も多くの人が生活している。城内にはいくつか教会があり、その中の神女就寝教会は現在「オヌフリ・イコン博物館」として公開されており見ごたえがある。コソボからも学生たちが観光に来る人気の場所だ。2つ目は「千の窓の町」と呼ばれるゴリツァ地区。斜面を埋め尽くすようにレンガ色の屋根と白い壁の家が建ち並んでいる。博物館都市の名にふさわしい景観だ。宮崎駿監督の映画に出てきそうなメルヘンチックな町である。
第3の訪問国・モンテネグロは2006年6月に独立した。前身のモンテネグロ共和国は1991年から始まったユーゴスラビア紛争においてもセルビアと歩調を合わせ最後までユーゴスラビア連邦共和国から離脱しなかった。1999年のコソボ紛争後、通貨や関税に関してセルビアから徐々に独立しようとする動きが強まっていった。そして2006年5月にセルビアからの分離独立の可否を問う国民投票が実施され、6月に国際的にも独立が認められた。宗教は正教会が約75%、イスラム教が約18%。民族構成はモンテネグロ人が約43%、セルビア人が約32%、ボシュニャク人が約8%。言語は60%以上がセルビア語のモンテネグロ方言である。国名のモンテネグロとはヴェネツィア語の「黒い山」を意味し、自国では同じ意味のツルナ・ゴーラと呼ぶ。



旧市街


スロヴェンカ・ビーチ


旧市街・教会


首都のポドゴリツァを経由して、モンテネグロ屈指のリゾートタウン「ブドヴァ」を訪れる。600mのスロヴェンカ・ビーチと、城壁に囲まれた旧市街の組み合わせは心を開放させる。旧市街はほんの1時間もすれば歩いてまわれるほどで、教会や博物館、お土産や等がきれいに納まっている。



旧市街


聖トリプン大聖堂


聖ルカ教会


城壁


ブドヴァから車で40分もすれば、世界遺産の「コトル」に着く。コトルはアドリア海沿岸の複雑に入り組んだ湾の最も奥に位置している。背後には険しい山がそびえ、山に沿って城壁が築かれ、堅固な要塞都市として栄えた。旧市街の見所は何と言っても「聖トリプン大聖堂」だろう。ロマネスク様式の教会は威風堂々とこの町を見守っている。規模は小さいが「聖ルカ教会」「聖ニコラ教会」も見逃せない。時間があれば是非とも挑戦してほしいのが「城壁」登りだ。高さは最高で20m、長さは4.5km。頂上からは旧市街のみならず、遠くの入り組んだ湾まで望むことができる。
第4の訪問国はクロアチア。1991年に6月に独立するが、領内に多く住むセルビア人はその独立に反対し、セルビア人の保護を目的に、ユーゴスラビア連邦軍がクロアチアに介入することとなる。このクロアチア紛争は1995年まで続き、多くの犠牲者とセルビア人難民を生み出した。2013年には正式にEUに加盟し、近年多くの観光客が訪れている。宗教はローマ・カトリックが88%、そのほかセルビア正教など。民族構成はクロアチア人89.6%、セルビア人4.5%。言語はクロアチア語である。ただ、セルビア語、ボスニア語とは方言程度の違いしかない。

アドレア海の真珠・ドブロヴニク


路上パフォーマンス


旧市街


ドブロヴニクの新郎・新婦


ロープウエイ




夕焼けに染まった旧市街


今回は「アドレア海の真珠」と呼ばれるクロアチアきっての観光地「ドブロヴニク」を訪問。町はアドレア海に突き出した旧市街と、スルジ山の裾野に広がる新市街からなるが、見所は旧市街だ。オレンジ色の瓦屋根を頂いた家がぎっしり並び、敷き詰められた大理石が細い路地まで延びている。1991年のクロアチア紛争によりかなりの被害を受け、今もなお弾痕があちこちに見られるが戦後修復が進み昔の美しい町に戻り、1994年に世界遺産に再登録された。およそ500m四方の町はどこを歩いても中世の町にスリップした錯覚を覚える。それは現代風に洗練された旧市街だ。ロープウエイでスルジ山に登れば、まさにアドレア海の真珠と形容された景観に圧倒される。朝焼けに染まった旧市街、夕焼けに染まった旧市街、どの瞬間でもずっと見続けていたいものがそこにある。
最後、第5の訪問国ボスニア・ヘルツェゴビナはボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国(セルビア人共和国)の二つの構成体からなる連邦国家である。44%のイスラム教徒中心のボシュニャク人(旧ムスリム人)や、17%のローマ・カトリック教徒主体のクロアチア人はユーゴスラビアからの独立を望み、33%のセルビア人が反対する中、国民投票を決行し1992年独立を宣言した。しかし翌月には反対するセルビア人との間で軍事衝突に発展した。いわゆるボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は1992年4月1日から1995年12月14日まで3年半以上にわたり全土で戦闘が繰り広げられた。NATOによるセルビア人勢力に対する空爆が実施されたり、カーター元アメリカ大統領の仲介により停戦が実現したりした後、パリで和平が公式に合意(デイトン合意)され戦闘は終結した。領土配分はボスニア・ヘルツェゴビナ連邦が51%、スルプスカ共和国が49%とされ、それぞれ独自の議会が設けられている。今はEU加盟が3民族の共通の目標とされており、国旗にもそれが現れている。言語はボスニア語、クロアチア語、セルビア語であるが、実際には住民は民族の別にかかわらず地域ごとの方言を話している。

ブラガイ


スターラ・デルヴィッシュカ・テキヤ


ドブロヴニクから国境を超え、車で2時間半でブラガイに着く。ブナ川沿いに築かれたブラガイはローマ以前から砦が築かれていた歴史ある町だ。イスラム教の修道院「スターラ・デルヴィッシュカ・テキヤ」は切手のデザインにも使われており、有名な観光スポットだ。





スターリ・モスト(石橋)


旧市街


ブラガイから北へ12kmあがると、北世界遺産に登録されている「モスタル旧市街」に到着。モスタルはヘルツェゴビナ地方の政治・経済・文化の中心だが、その名を有名にしているのはネレトヴァ川にかかるアーチ型の石橋・トルコ建築の傑作「スターリ・モスト」である。この橋から伝統のジャンプ大会が行われるが、タイミングがよければ美しい「白鳥跳」が見られるかもしれない。この橋は紛争中の1993年に破壊されたが、ユネスコの協力で2004年に復元された。旧市街は16世紀からキャラバン・ルートの町として栄え、古い建物はオスマン朝時代を偲ばせる。



サラエヴォの街並み


バシチャルシア


トンネル博物館


さらに2時間弱でボスニア・ヘルツェゴビナの首都・サラエヴォに到着。1984年には冬季オリンピックが開催された街でもある。最近ではその名を有名にしたのは、元日本サッカー監督「オシム」さんの出身地によるところが大きい。よく街で見かけるとガイドのメヒックさんの話なので、もしかして会えるかもと期待して街を回った。旧市街の中心にあるバシチャルシア(職人街)は赤いレンガの古い家が建ち並び、オリエントの雰囲気を醸し出している。イスラム教、カトリック、正教会、ユダヤ教の各宗教施設が並びあう様は、多民族・多宗教が交じり合ったサラエヴォの魅力である。平日にもかかわらず沢山の観光客で旧市街で溢れ、観光客もその出身はまた国際色豊かであった。しかしながら、紛争の跡は弾痕としてビルのあちこちに残っている。2度と紛争を起こさないために、空港の近くに「トンネル博物館」がある。旧ユーゴスラビア連邦軍に包囲されていたが、このトンネルのおかげで物資の輸送が可能になった。当時のトロッコ、武器、等が展示されている。オシムさんには会えなかったけれど、活気溢れる街に出会えて満足だった。 バルカン諸国はまだまだ日本人にはなじみが少ないが、見所も多く、文化・宗教・民族が交じり合った魅力的なとっておきの国々だ。次のヨーロッパはぜひともバルカン半島へ。

おすすめ度
ドブロヴニク★★★★★
アドリア海の真珠の名にふさわしい旧市街。クロアチアに行くならここは絶対はずせません。
サラエヴォ★★★★
オリエンタルムード溢れる街は買い物にも食べ歩きにも、もちろん観光にも期待をうらぎりません。
コトル★★★★
アドリア海沿岸の複雑に入り組んだ湾の最も奥に、こんな素敵な町があるとは驚きです。
モスタル★★★
ネレトヴァ川にかかるアーチ型の石橋・トルコ建築の傑作「スターリ・モスト」は見逃せません。


2014年10月
本山泰久

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