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- ヨルダン&エジプト遺跡巡り!ペトラ遺跡と中部エジプトを歩き尽くす旅
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エリア:
- 中近東>ヨルダン>ペトラ
- アフリカ>エジプト>カイロ
- アフリカ>エジプト>エジプトその他の都市
- テーマ:世界遺産 グルメ 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/03/11 15:10
カタール航空で羽田から12時間でドーハへ。そしてアンマンへ約3時間。今回の目的は2つの憧れの遺跡を訪れること!その1つ目がペトラ遺跡です。
アンマン空港からペトラ遺跡の町ワディ・ムーサまで車で約3時間。ペトラの宿はペトラ遺跡に近いホテルにしたので、徒歩圏内でとても便利です。
ペトラ遺跡はヨルダンで最初の世界遺産で、紀元前1世紀〜紀元後1世紀頃に建設されたナバタイ人の首都で、それ以降の遺跡も含めて巨大な遺跡群となっています。
ペトラにはナバタイ人より以前に、1万年前から集落があったようで、ジェリコ同様、中東で最古の歴史を持っています。その後、エドム人がユダヤとの争いを繰り返し、紀元後6世紀にはナバタイ人がペトラに定住し始めます。遊牧民族のナバタイ人やベドウィンは、インドから地中海に向かうキャラバン隊がこの地を通る際に安全を保証することで生活していました。ナバタイ人はアラビア語を話していたため、彼らの使うナバタイ文字は、その後アラブ圏に広まり、アラビア文字の起源となっています。アラビア文字はペルシャ語やウルドゥー語でも使われているので、現在では世界のあちこちで使われています。
また、ローマ帝国の時代にはその支配を受けたため、現在のペトラ遺跡にはローマらしい劇場や列柱通りも残っています。
入口から少しのところにジン・ブロックスと呼ばれる立方体の石のお墓や、エジプトのオベリスクのような塔を持つお墓が見えてきます。ここの景色だけでも充分見応えがあるのですが、さらにシークの入口が見えてきます。
シークとは1.2kmもある岩山の裂け目で、ここを通らなければ中には行かれないので、難攻不落の要塞と考えられていました。ナバタイ人はこの水の少ない地域で、治水に長けていて、紀元前4世紀末には地下貯水槽に雨水を貯め、広大な砂漠を移動しても不自由しなかったそうです。飲用水路と灌漑用水路に分け、飲料水の濾過や高低差で水圧を調整したりもしていたとか…その技術はローマ帝国に併合されてもローマが改良する余地のない程だと言うから、その時代の最先端だったのでしょう。シークの左右の壁沿いには、そんな高度な技術を持つナバタイ人の水路の跡が見られます。
この水路を辿って進んで行くと、狭くなった岩山の隙間から徐々にあれが見えてきます!
そう、待ちに待ったエル・ハズネ!高さ45mもの巨大な彫刻の壁が目の前に。細かな彫刻が美しく、ペトラ遺跡で最も壮麗と言われています。
映画「インディージョーンズ」の舞台として使われたのが有名ですね。映画ではこの奥に幾つもの罠が仕掛けられていて、聖杯へと辿り着くのですが、実際にはそんな空間はなく、広間とその奥にお墓がありますが、入ることはできません。でも入口だけでも綺麗で見応えがあります。
エル・ハズネからさらに進んだところで、左手の階段を上がって犠牲祭壇へ続くルートがあります。トレッキングコースではありますが、看板の雰囲気からしてそんなに遠くなさそうだったので、とりあえず行ってみることに。進んでみると、滑って落ちたら重傷は免れないと思われる崖沿いの道をひたすら登ります。
予想以上に長い。しんどい。途中でベドウィンがロバに乗らないかとしつこく話しかけてくる。ということで、もう疲れたし、犠牲祭壇の一部が見えたので、ここでやめました。
充分な景色だったし、引き返して次に行きます。
元のルートに戻って先に進むと、右手に王家の墓が5つ並んで造られています。一番右の壷の墓に登ってみたり。ここは景色が良いです。
柱廊通りを進み、カスル・アル・ビントと言われる神殿へ向かいます。この途中の大神殿も広くて、浴場があったり、床が六角形の石でできていたりと、面白いです。テメノス・ゲートで俗世から区別された神聖な神殿、カスル・アル・ビント。結構ボロボロで風情があるけれど、正面しかみることはできません。
そしてここがバシンレストラン。
お昼はここでランチにするか、ホテルでランチボックスを頼んで持ってくるか、だと思います。この先のエド・ディルまでの道のりが長いので、休憩しておくのがおすすめです。他にペトラ遺跡内で休憩できるのは、多くはないけれど所々にあるカフェや、お土産を売っているベドウィンのおばあちゃんがお茶を勧めてくれたりもします。シークから先の道中はほとんど日陰がなくて、特にお昼前後は日差しが痛いです。湿気が無いのであまり汗はかかないですが、帽子は必須です。
バシンレストランからエド・ディルまでは、砂で登りにくいところや、階段状の岩場で、この時が一番暑くてしんどかったです。
普段の運動不足を後悔しながら、休んだり、歩いたり、また休んだり。途中、ベドウィンのお土産屋さんが声をかけてきますが、登るのに必死でそれどころじゃないんです。ふと、風が強いところに出たと思ったら、前方にカフェを発見。カフェ前で人が写真を撮っていたので、そっちを振り返ると、エド・ディルだー!
息を切らして、カフェまでもうひと頑張り。私もエド・ディルの写真を撮って、エド・ディルを眺めながらしばし休憩。造りはエル・ハズネよりずっとシンプルだけど、エド・ディルの方が大きく、陽の光をあびてどーんと構えている感じがします。高台から観ると、さらに絵になります。
さらにカフェの裏にはパノラマスポットがあるらしいのです。疲れたので行くか迷ったけれど、カフェのおじさんに聞いたら歩いて5分だというので行くことに。
ここも滑って落ちたら、もう帰って来られなそうな崖が…でもこの先はトップオブザワールドらしい。
確かにすごい渓谷の景色。この崖の先端ならもっと見晴らしが良さそうだったのですが、強風に煽られて落ちるような気がしました。
帰りは空が曇ってきて暑くもなく、下り坂で気持ちにも余裕があったからか、あっという間にバシンレストランまで戻って来ました。夕方には風も強く肌寒くなり、ウインドブレーカーがあったら良いくらいでした。犬、猫など動物も結構います。
ペトラ遺跡内ではベドウィンのおにいちゃん達がロバや馬車、ラクダに乗らないかと、諦めずに話しかけてきます。日本のやっかいな客引きと同じか、それ以上に諦めが悪いです。でもベドウィンをまじまじと観察するチャンス。パイレーツオブカリビアンの船長みたいな人もいれば、ごく普通の若者も。
帰りは名残惜しく、エル・ハズネの前のカフェでしばらくゆっくりしてから、帰りました。バラ色に見えるかな?
ペトラでのごはんはビジターセンターから歩いて5分くらいの、ここのアラブ料理がおいしかったです。レンズ豆のスープに、ケバブ。
翌日はさらに天気が崩れ、朝から雨。外に出るとかなり寒く、セーターを持ってきて正解でした。
ペトラから死海への道中、寒いところでは気温はなんと0度。雪まで降ってきました。まさかヨルダンで雪を見るとは思ってもみなかったです。
標高の低い死海は気温も高く、17度ありましたが、それでも死海に浮かべる程あたたかくはなく、風も強くて、ビーチに観光客は皆無。とりあえず足まで入って、あとは死海の泥パックをしていました。
死海にぷかぷか浮かべなかったのは残念だけど、その後デッドシースパホテルで食べたランチが美味しかったので、だいぶ満足しました。ペトラのレストランではスイーツは切らしていると言われて、ありつけなかったのですが、死海ではバーミエ、アダイフ、たぶんフティールなど色々な種類を食べられました。
この日は悪天候でペトラ遺跡は入場不可になっていたそうなので、昨日行っておいてよかった。
その後、アンマン近くのジェラシという遺跡へ。雨が降ったり止んだりでしたが、人も多すぎず見応えのある興味深いローマ遺跡。途中で勝手にガイドし始めた少年にいらっとしましたが、遺跡内はちゃんとしたローカルガイドのマフムードさんがしっかり案内してくれました。
ハドリアヌスの凱旋門の向こうには競馬場があり、その先のビジターセンターから遺跡内へ入っていきます。入ってすぐの南側にはゼウス神殿があり、フォルムと呼ばれる卵形の広場から、北門まで約600メートルの列柱通りが続きます。列柱通りから横に入って行くと、大聖堂やアルテミス神殿、幾つもの教会、もう一つの劇場が配置されています。全体はだいぶ広さがあるので、晴れていたらもっともっと歩き回りたかったです。
ヨルダンの次はエジプトへ。ずっと運転してくれたサミーさんともお別れです。ガイドさんと言ってもいいくらい、ヨルダンのことや観光地のことを教えてくれました。
アンマンからカイロまで、ロイヤルヨルダン航空でたった1時間半。日本語対応は流石に無いけれど、各シートにモニター付きで、簡単な機内食もまあまあ、そして機内が綺麗でした。
到着後、左奥の赤い看板のところで入場券のごとくお手軽にビザのシールを買って、ここで両替もできます。その後、右側の列に並んで入国。
エジプトではカイロの空港からほど近いホリデイ・イン・シティスターズに宿泊。館内はお部屋も含めWiFi無料です。カイロ最大のショッピングモール、シティスターズに隣接していて便利。このモールは夜24時まで営業していて、600近くもの店舗が入っているんです。ブランドの洋服や靴はもちろん、家電製品、本、お土産やちょっとしたスーパー、レストラン街やフードコート、ジュエリーや家具まで。平日でも大賑わいのショッピングモールです。
割と質の良いものが揃っていて、値札もついているのでぼったくられる心配もありません。新館と本館があり、広すぎて迷ってしまう程でが、お土産ものが集まっているエリアでお買い物したり、エジプト料理店も入っているので夜ご飯を食べに行ったり、帰りのフライトまでの空き時間にうろうろしたり、カイロっ子と仲良くなったり出来るところ。
そしてレストラン街にチョコレートスイーツのお店を発見。カイロの女子達が大皿に山盛りのパンケーキを囲んでいました。私はチョコレートブラウニーのクレープを。これで700円くらいなので、お腹いっぱい食べたいなら、コシャリなんかはもっと安い値段でたくさん食べられます。エジプト人の甘い物好きは女子に限らないようで、男子やファミリーでも甘ーいスイーツを囲んでいました。
街中のスイーツ屋さんはこんな感じ。店先で調理しているところも。
エジプト料理はトマトベースの鳥、豚、野菜など。モロヘイヤスープが美味しく、個人的に日本に帰ったら作りたいエジプト料理No.1!
エジプトでの今回の目的地は中部のミニヤの遺跡。カイロからミニヤまでは車で片道約4時間とちょっと長旅なので、なんと早朝5:30出発。カイロから離れると、安全のため警察も同行です。
まずベニハッサンへ。ここにはいくつものお墓が残っていて、そのうち4つの地方豪族のお墓に入ることができます。お墓まではこの階段を登らなければなりません。とは言っても、ペトラを歩いた距離に比べれば、大したことありせん。観光客が少ないので、おじさんが一緒に行って鍵を開けてくれます。
残念ながらお墓の中は撮影禁止。内部には地方豪族の生活が描かれています。壁一面に農業や漁業、ベッド作りなどの風景が描かれ、そしてそれらを捧げ物にする図になっています。なかでも特徴的なのが、この時期に流行ったらしいレスリングのレリーフ。かなりの種類がびっしりと描かれています。
現地の方にいただいた画像ですが、こんな感じです。
道の脇を流れる運河の水面に向こう岸が写って、さらにその向こうにはナイル川の恩恵を受けた緑の地が広がる、綺麗な眺めです。
そして、ペトラ遺跡ともう一つの行ってみたかった遺跡、テルエルアマルナへ。ここはアマルナ芸術が栄えたかつての都です。元々はテーベ(ルクソール)に都を置いていましたが、神官の癒着が進んでいた為、新王国時代の第18王朝、アメンホテプ4世は、神官の影響力を弱めようと、都をテーベからテルエルアマルナへ遷しました。テーベではアメン神を最高神とする多神教だったのですが、遷都と共にアテン神の唯一神信仰に変え、王自身の名前もイクナートン(アクエンアテン)に改名ました。アメンホテプ4世の名前に「アメン」と入っていたのが、アクエンアテンでは「アテン」が入っていますこれは世界で最初の宗教改革と言われています。
彼の時代には、芸術の分野でも改革がなされ、それまでの理想的な形式にこだわった芸術様式から、自由な表現や写実的なものが重視されるようになった為、この時代固有の特徴的な顔立ちや描写がされた貴重な芸術でもあります。
(エジプト考古学博物館のイクナートン像)
しかし、アクエンアテンに反対する神官達によって彼は暗殺され、テルエルアマルナの都も壊されてしまったのです。彼の治世はわずか10年あまり。テルエルアマルナはその間だけの都で、破壊されて放棄されてしまいました。切ないですね。アクエンアテンの次の王が日干しレンガ (トゥト・アンク・アメン)です。名前からもアメン神信仰に戻ったのが分かります。
テルエルアマルナでは墓や宮殿跡を見ることができますが、ここもお墓の内部は写真に残せず、破壊された為に残る遺跡も多くはありません。それでも歴史的にとても意味のある場所なので、定期的に観光客がやってくるそうです。
チケット売り場でチケットを買うと、ここのお墓も普段は閉まっているので、おじさんも私達の車でお墓までついてきます。途中で電気の電源を入れて、お墓を開けてくれました。
これも現地の方に頂いた画像ですが、イクナートンの名前は削られても、左上の太陽は神を表すので残されて、神々しい光が描かれています。
日干しレンガの宮殿跡は道のすぐそばにありますが、ひとつひとつのお部屋や柱の跡、木材が残っている部分を見ることができます。
ガイドをしてくれたアビールさんが遺跡や歴史に詳しく、とてもとても楽しい観光でした。
ミニヤからの帰りは渋滞に巻き込まれ、カイロ市内からホテルまで2時間半近くもかかりました。普段は10分の道でも、渋滞すると数時間かかることもあるとか…
また、2度目のサッカラにも行ってきました。ジョセル王の階段ピラミッドのコンプレックスがやっぱりいいですね。階段ピラミッドは修復中です。
この日は霧がかっていて、道中でギザやアブシールのピラミッドは見えませんでしたが、ジョセル王のピラミッドのところから、ダハシュールのピラミッドがかすかに見えました。
最近、カイロのエジプト考古学博物館ではカメラチケットが導入されました。なんと50エジプトポンドで、館内の写真撮影がOKになります。ただしツタンカーメンの部屋と、別料金のミイラ室での撮影は禁止、フラッシュはどこもNGです。広い博物館は全部まわるには1日ではとても足りませんが、写真を撮っても良いというのが新鮮で楽しかったです。
(クフ王の小さな像)
カノポス壷(ミイラを作って、内蔵を入れる壷)は動物や神の顔が付いているものが多いですが、これは全部ツタンカーメンの顔。
あの有名なツタンカーメンの黄金の椅子。王妃アンケセナーメンとサンダルを片方ずつ履いている仲睦まじい場面。
かわいい動物シリーズ。動物のミイラもあります。
ペトラ&ミニヤの遺跡巡りはやっと行かれた場所で、私にとってはとにかく楽しい旅でした。十分満足したのですが、やっぱりまた行きたい、何度行っても良いんだよなぁと実感しました。
オススメ度
ペトラ・・・★★★★★ 何日もかけて見たいペトラ遺跡
死海・・・★★★ この時期はまだ寒かったけど、次回は浮いてみたい!
カイロ・・・★★★★★ 観光もショッピングも盛りだくさん!エネルギッシュな街
ミニヤ・・・★★★★★ 遺跡や歴史好きの人におすすめ。事前の下調べかガイドさんがいると良い。
サッカラ・・・★★★★★ 初期のピラミッドや遺跡がたくさんあって最高
(2016年2月 増田里紗)
- 進撃の巨大クルーズ「海上を動く巨大ホテル」
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エリア:
- カリブ海>プエルトリコ>サンファン
- カリブ海>セントマーチン(サンマルタン)>セントマーチン(サンマルタン)
- カリブ海>セントルシア>セントルシア島
- テーマ:クルーズ 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/03/11 15:04
カリブ海
カリブ海に停泊するカーニバル・リバティ
カリブ海クルーズ、何と響きのいいフレーズだろう。真っ青な海、常夏の気候、陽気なカリビアンの人々、究極のリゾートの日々が想像できる。今回は幸運にも7泊8日のクルーズの出張を拝命した。私でいいのだろうかと自問自答したが社命なら仕方がない。思いっきり楽しんでこよう。
モロ要塞
モロ要塞
サンファン大聖堂
サンファン・ゲート
サンクリスト要塞
前日は、翌日の出航のため出発港のサンファンに泊る。プエルト・リコのオールド・サンファンはスペイン風の街並み、石畳の道路、2つの要塞に囲まれたまるでテーマパークのような街だ。世界遺産のモロ要塞。街の東側はサンクリスト要塞。その間にはサンファン大聖堂、カサブランカ、サンファンゲート等、カリブのエキスが詰まった濃い街だ。もしクルーズが中止になったとしても見合うだけのものがここにはある。
カーニバル・リバティ
キャビン
オープニングパーテイ
1日目、いよいよ乗船。15:00過ぎには多くの人が並んでいる。今回のクルーズ船は「カーニバル・リバティ」。11万トン、全長290m、定員2976名の巨大客船だ。何時間もかけて途切れなく人が吸収されていく。夕食後、21:00から早速屋上の甲板でオープニングパーティが始まる。皆ノリノリである。はたしてこのノリノリに、この年寄りがついていけるか心配だ。でも日本にも「踊りゃなそんそん」と言う言葉がある。気遅れせず頑張っていこう。夜、22:00にいよいよ出航だ。
セントトーマス島とカリブ海
メイゲンズ・ベイ・ビーチ
シャーロット・アマリ
2日目朝、第一の目的地「セントトーマス島」に到着。09:00から島内観光のオプショナルツアーに参加。以降、島に到着の度にオプショナルツアーに参加するが、時間的にも費用的にもツアーに参加したほうが効率的だ。セントトーマスはアメリカ領バージン諸島の一つ。先ずは島が一望できるビーコンポイントへ。一面に広がる海の景色は絵葉書のようだ。りっぱなお土産屋があるのはタックス・ヘブン(免税)なのだから当然なのかもしれない。次はビュー・ポイントへ。眼下に我々の船「カーニバル・リバティ」がその雄姿を見せている。島の北側(太平洋側)からは、高級別荘やゴルフコースが見える。お金持ちにはまさに天国だ。町の中心はシャーロット・マアリ。ビーチに沿って沢山の店が並んでいる。買い物天国だ。停泊港の近くにも、ヘブンサイトモールがあり、乗船客には便利だ。
クルーズのプール
ミニゴルフコース
ジョギングコース
セクシー度コンテスト
カジノ
ロビーでのライブ
ダイニングルーム
3日目は、次の寄港地のバルバドス島へは1日以上かかるため船上で完全フリー。とは言っても心配ご無用。すること満載なのである。大小いくつものプール、ジャグジープール、ミニゴルフ、ジョギングコート、バスケットボール、バレーボールコート、卓球と何でも揃っている。日中にはイベントで「男性のセクシー度コンテスト(肥満度?)」もあり、セクシーダンスやセクシーシャワーの様子で観客は大いに盛り上がっていた。やはり日本人はアメリカ人には勝てないかも。夜は、毎日本格的なショーがある。ビッグバンドの演奏、著名なシンガーのものまねショー、ロックショー、ラスベガスショー等。メインロビーでの15:00から深夜までライブをはじめ、5階のカジノフロアーのライブバンド、ピアノの弾き語り等、自分の好みに合わせて選べばいい。とは言っても、クルーズの醍醐味はビーチチェアーに横になり、海を眺めながらのんびりすることだろう。ゆっくり本でも読むのが最も贅沢な過ごし方かもしれない。普段できないことをすることが極楽の過ごし方かもしれない。私の場合は、好きな読書と、オーストラリア出身のカントリーシンガー「ポール」にはまったことである。琵琶湖のミシシッピ号でライブをしていたこともあり、日本通の彼の歌は素朴で元気をくれる。「いとしのエリー」の英語バージョンを私のために歌ってくれるのだから超感激だ。
チェンバレン橋
元・国会議事堂
セントメリー教会
4日目は08:00にバルバドス島に到着。コーストパラダイスツアーに参加。この島はビーチももちろんいいが、何といってもブリッジタウンがいい。元イギリス領だけにイギリス風の街並みが色濃く残っている。チェンバレン橋を中心に街は広がっていくが、歩く人を意識しなければ、まるでイギリスの街を歩いている錯覚に陥る。今は博物館になっている元「国会議事堂」、「セントメリー教会」、「オールドタウンホール」を見ていると本当にここがどこか疑ってしまう。カリブ海に面した西海岸には高級別荘地が建ち並び、太平洋に面した東海岸は波が高くうねっている。
セント・マークス家
セント・マークス家のベランダからの眺め
カリブ・バティック
マリゴット・ベイ
ヨットハーバー
滑走路
ラム酒工場で試飲
5日目はバルバドス島から少し戻って「セントルシア島」へ。ツアー最初のポイントは「セント・マークス家」。白亜の豪邸で見晴らしのいい場所に建っている。いかにお金持ちだったか偲ばれる。次はバティックハウス。インドネシアから技術が輸入され、今では島の主要な産業になっている。色がカラフルで欧米人には好まれるかもしれない。次はカリブ海で一番きれいとガイドが豪語しているマリゴット・ベイへ。海はどこの海も遜色ないが、なるほどここの湾は小さく可愛らしい。高価なヨットが数多く停泊し、人気の高さが伺える。こじんまりした湾と飛行機の滑走路、周りの景色とのバランスがいいのが理由の一つだろう。仕上げはラム酒工場で一杯飲んで、気分はすっかりカリビアン。
プリム・ストーン要塞
プリム・ストーン要塞
ロミー・マノアー
カリブ海と大西洋
カリブのイケメン猿回し
カリブのイケメンと子供
カリブのイケメンと私
6日目は「セントキッツ島」。この島の見所は何といっても「プリム・ストーン要塞」。規模も大きい。海賊や他国からの侵略に備えて大砲が沢山装備されている。戦いのための要塞が、今は観光の役に立っているいるとは皮肉な話だ。ロミー・マノマーは昔のプランテーションの名残り。巨大な富が一握りに人に集中していた。もう一つのハイライトは、右がカリブ海、左は大西洋のクリフ・ポイントだ。観光名所だけに猿回しやらロバのりがいたが、ちょいとカリブのイケメンと記念撮影などしてみた。
フィリップス・バーグのビーチ
フィリプス・バーグのビーチの海賊の人形
マリゴの町
セントルイス砦
セントルイス砦
セントルイス砦から見たマリゴの町
セントルイス砦からみた景色
7日目は最後の島「セントマーチン」。2つの国が同じ島にあるという変わった島で、島の下側はオランダサイドでカリブ海に面している。フィリップス・バーグは中心の町で、沢山の店・レストランが並び、クルーズから下船した客でにぎわっている。フランス側の中心の町は「マリゴ」。どことなくフランスの香りがするおしゃれな町だ。セントルイス砦は今はすっかり古びてしまってほとんど形を残していないが、美しいマリゴの町を眺めるには絶好の場所だ。この島は飛行機が真上を飛ぶマホベイビーチでも有名だ。
シェフの挨拶
ラストディナーパーティ
ドラとマイケルとローランド
今夜はクルーズ最後の晩だがサプライズが待っていた。夕食後シェフの挨拶が終わると同時に、ホールのスタッフたちが一斉に踊り始めた。階段で、テーブルの周りで、お客を囲んで、なつかしの名曲「悲しみのジェットプレーン」に合わせて踊りまくる。友達になった、ドラもマイケルもローランドも一緒だ。お客とスタッフの心が完全に一つになった瞬間だ。
ラストショー
出演者集合写真
出演者と記念撮影
シンガーの「ポール」
ポールと
夜のショーも最後のショーだけに大いに盛りあがった。プロのシンガーだけでなく、クルーズスタッフがプレスリーやマドンナやフランクシナトラ等に扮し、ショーの後はロビーでお客と記念撮影と最後の晩にふさわしいエンディングになった。最後はもちろん友達の「ポール」のデスペラードを聞きながら名残尽きない感に浸った。
船上からの夕日
きさくなクルー
ドラとマイケルと一緒に
8日目、いよいよ下船の日だ。最初は退屈を持て余し、一体どうなるかと心配したが全くの杞憂に終わった。数々の毎日のプログラム、オプショナルツアー、アクティビティー、そして何もしないでもいい時間が存在すること。あと3〜4日は欲しいところだ。忙しい現代人には是非ともおすすめだ。ただ、びっくりしたのは、アメリカ・中米の人たちはよく食べる。3時のおやつがハンバーガーだったり、ピザだったり。モンゴリアンバーベキューにはどんな時間も長蛇の列だ。ブッフェにはどの時間も人だかり。私もソフトクリームの誘惑には2回負けたけど、引っ切り無しに人が来る。これでは体の大きいのも合点がいく。アメリカンフットボールの選手か相撲取り級の人が本当に多い。日本人は超スリムに見えること間違いなし。ただ、油断していると段々彼らに近づくかもしれない。今回はカーニバル・リバティの気取らない、温かい、飽きさせない旺盛なサービス精神意に感謝。外人の多くが、率先して参加して、自分で楽しみを作っていく、そんな前向きな態度にある意味、見習う必要があると実感した。最後に一言、出発前に買った海水パンツは次回のクルーズの時には絶対使うぞ!
スタッフおすすめ
○カーニバル・リバティ ★★★★★
充実した施設と気取らない、温かい、飽きさせないサービスにあふれたクルーズ
○プエルト・リコ オールド・サンファン ★★★★★
スペイン風の街並み、石畳の道路、2つの要塞に囲まれたまるでテーマパークのような街
○セントルシア ★★★★
この島のマリゴット・ベイはカリブ海で一番きれいと評判。小さく可愛らしい湾には高
価なヨットが数多く停泊している。
○セントマーチン ★★★★
2つの国が同じ島にあるという変わった島で、島の下側はオランダサイドでカリブ海に面
し、上側のフランス側のマリゴはおしゃれな町だ。この島は飛行機が真上を飛ぶマホベ
イビーチでも有名。
2016年1月
本山泰久
- 美しき北の都市ハノイに古の都の姿をとどめる中部フエ・ホイアン、南ベトナムのハイライト・ホイアン!ベトナム縦断1800kmの旅!〜2016冬編
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エリア:
- アジア>ベトナム>フエ
- アジア>ベトナム>ハロン湾
- アジア>ベトナム>ホイアン
- テーマ:世界遺産 グルメ 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/03/11 14:59
私が海外に来たなと実感する瞬間は空港を出た瞬間の匂いである。
そして今回もちょっとむっとするような甘いような…そんな匂いを感じた時に私のベトナムの旅は始まった。
学生時代にバックパッカーをやっていた私は東南アジアには何度か赴いていたのだか、ベトナムに至っては今回が初渡航ということになる。
ベトナム北南縦断の旅。
今回はどんな人と出会い、どんな景色があって、どんな気持ちになるのだろう…昂る気持ちは抑えられない。
今回の旅程
1日目 成田—ハノイ (飛行時間約6時間) 空港到着後、ホテルへ
2日目 車にてハロン湾へ ジャンク船バイトー号に乗船 船中泊
3日目 世界遺産ハロン湾クルーズ 下船後ハノイへ戻りホテルへ
4日目 ハノイ—フエ (飛行時間) 空港到着後、世界遺産フォンニャ乳洞観光。後ホテルへ
5日目 終日:古都フエ観光 ハイバントンネルを越えホイアンのホテルへ
6日目 終日:世界遺産ホイアン&ミーソン観光 後、ダナンのホテルへ
7日目 ダナンにてホテル見学 後、ダナン—ホーチミン 空港到着後、ホテルへ
8日目 終日:大河メコンデルタクルーズとクチ地下トンネル
9日目 深夜 ホーチミン—成田 日本到着
1日目
成田-ハノイ間は飛行時間約6時間のフライトである。私が使用したベトナム航空はハノイ・ホーチミン共に成田から毎日直行便が出ているのでとても便利である。
空港に到着し、ガイドさんと合流。空港は人が多く、ちゃんと合流できるのか不安だったがガイドさんはわかりやすく名前の書かれたボードを掲げており問題なく合流することができた。
空港からホテルへは1時間弱程で到着した。
ホテルへ到着し、疲労がどっと出てきたがせっかくだからと重い腰をあげ、ハノイを歩いてみることにした。ハノイに行ったらハノイ大聖堂を観に行くと決めていたので早速そこに向かうが方向音痴で地図が読めない二重苦の私にとってそれは容易い道のりではなかった。道で右往左往していると二人のベトナム人が声をかけてきてくれ、大聖堂まで案内してくれた。
ハノイ大聖堂に到着する。
年季の入った大聖堂は大きく、とても美しかった。ちょうどミサの時間に合わせて行ったので、内観が見られたことに加えて、礼拝の様子も見ることができた。それはとても厳かで美しい空間だった。
その後、地元の美味しいフォーをごちそうになってホテルへ戻った。
現地で仲良くなったベトナム人の二人と
まだ大きな観光をしていない一日目であったが、ベトナム人のやさしさや空気に触れて早くも満足感を得つつ、眠りについた。
2日目
この日は朝の8時にガイドさんがホテルまで迎えに来てくれて観光がスタートした。今日はハロン湾一日観光である。
ハノイから車で4時間少し行った所にハロン湾はある。北ベトナムのハイライトと言えるハロン湾は2000個の島からなり、世界自然遺産にも登録されている。
すっかり眠っていた私がガイドに起こされて目にしたものは、美しい奇岩達でありハロン湾の絶景であった。
船中泊は何度か経験したことがあったが、それはすべて雑魚寝スペースで寝るようなお粗末な船であり、当然お風呂もついていなかった。今回泊まることとなった船はバイトー号の中でも一番の豪華客船であった。
船の中は綺麗な内装が施されていて、とても清潔且つ重厚感ある船内。そしてなんと言っても窓やデッキから眺めるハロン湾…情緒溢れるハロン湾を船上から眺められるなんて、なんて優雅な旅だろう。
小さな船に乗り換えてスンソト洞窟(Suong sot)とティートップ島(Ti top)に行った。
スンソト洞窟はハロン湾で一番大きいとだけあって、その大きさや深さには感嘆の声をあげずにはいられなかった。
光の当て方や色使いが絶妙。
ハロン湾は龍が降りるところという意味があるみたいだが、この洞窟には龍の骨があった。長い長い時間を掛けて作られた鍾乳洞は、現在の美しさのみならず、ここまでに至るまでのあまりにも長い年月を思うとロマンを感じた。
ティートップ島はロシア人のTi topという人とホーチミンさんが訪れたという過去からこの名前になったという。何段もある石段を登って行くとハロン湾を一望できるスポットへ行き着く。この石段が割とキツく、みんな息を切らせながら登っていた。様々な人種の人々が行き交っては励まし合っている光景は面白くもあり、心が温まるものでもあった。
船に戻り、少しずつ夜に浸食されていくハロン湾をデッキから眺めた。日々の喧噪や邪念を忘れさせてくれる—そんな力がハロン湾にはあるのかもしれない。
そんなことを想いながらハロン湾での夜は更けていった。
3日目
窓から見えるハロン湾が朝を知らせてくれた。
ビュッフェ式の朝ご飯を済まし、下船までデッキでハロン湾を堪能した。
ハロン湾の最大の魅力は一つとして同じ顔を持たないところかもしれないなと思う。同じハロン湾の景色であっても少し場所を移動すれば違う景色であるし、同じ場所であっても刻一刻と時を刻むごとに違う顔を見せてくれる。
下船し、レストランで食事を済ました。ハロン湾で採れた海の幸はとても美味しかった。ハロン湾に別れを告げ、ハノイへ戻りこの日は終わった。
4日目
フエへ。ということで朝早く起床し、ハノイ空港へ向かった。
朝は割と道が空いていて、早めに空港に着いた。ガイドさんとお別れをし、フエ行きの飛行機に乗った。ハノイからフエの飛行時間は1時間ちょっとで、機内サービスはお水のみ。離陸と同時に眠っていたらあっという間に到着した。
空港を出るとハノイより暖かく、南に少し下ったなあと実感した。
フエ空港でガイドさんと合流し、そのまま車でフォンニャ洞窟へ向かった。フエ空港からフォンニャ洞窟は片道約210kmで4時間程の距離である。
2003年に世界遺産登録されたフォンニャ洞窟は、小さな小舟に乗って入るのだが、これがまたよい。小舟に乗ったらすぐ洞窟というわけでなく、洞窟まで15分くらい掛かる。その景色がとてもよく、小さな村での人々の生活を垣間みたり、すれ違う小舟に乗った人と笑顔を交わしたり…そんな時間を過ごすことができる。
やがて大きな山にぽっかり空いた穴が見えてくる。
いよいよか!と思いながらゆっくりゆっくり進んで入って行く。
洞窟内に入るとそこは異空間。薄明かりが洞窟内部を照らし、水面を照らす。そこにはかきわけて進んでいく自らのボートが水を切る音しかせず、限りない静寂だった。
「すごい…」私が言葉にのせて表現できる中では一番しっくりくるが、もう少しボキャブラリーが豊富な人だったらもっともっとこの素晴らしさを伝えられるかもしれない。
想像してたスケールを超えていた。遥に超えていた。
人が立つと洞窟の大きさが際立つ。
ここにはかつてチャオプラ王朝が住んでいたと言われている。それはここに文字が残っているからだそうな…そして戦争が激しかった時は防空壕として使われたそうだ。それを思うとこの洞窟が刻んできた本当に長い年月を感じ、感慨深い気持ちになった。
私の写真技術が未熟なため、実際の1割の魅力を写せてない。このダイナミックさは行かないときっとわからないので、是非とも足を運ばせて頂きたい所だ。
ここからの道のりは長く、ホテル到着まで約5時間掛かった。すっかり疲れ果てていたが、フォンニャでの感動は私の疲れを払拭してくれるのであった。
5日目
本日は古都フエ観光。ベトナム最期の王朝があったフエは、どことなく厳かな雰囲気が漂っていて、とても静かで落ち着いたところだ。フエは1993年にベトナムで初めて世界遺産登録をされた。ゆったりと流れるフォーン川のほとりに王宮や寺院などが点在するフエを歩いているとタイムスリップしたような感覚がした。
ミンマン帝廟やトゥドック帝廟、カイデイン帝廟と帝廟をめぐった。
中でも私が気に入ったのはカイディン帝廟で、12代目の皇帝の帝廟である。
ヨーロッパに留学していた経験を持つ12代目皇帝はの帝廟は、他の帝廟に比べ西洋の文化があわさったようなつくりになっている。西洋に偏るわけでもなく、東洋と西洋の文化をうまく融合させてできたこの帝廟は本当に美しく、細部までこだわってつくられていて、すぐに好きになった。
一つとして同じ絵が存在しない壁。
天井に描かれた龍の絵。
その後、フエの生活を垣間見ることができるドンバ市場に行った。
先ほどまでの雰囲気とは全く違った雑多な雰囲気。ここに住む人たちのエネルギーを肌で感じた。
市場はずっと歩いていても飽きがこない。
その後王宮をまわり、ティエンムー寺に行きドラゴンボートに乗った。
王宮はその広さだけでなく、そこから見えるフラッグタワーを見たときに感動した。
そのむかし、ここがベトナムの中心だったことを実感した。
フエの一日観光が終わり、ホイアンへ向かった。
ハイバンントンネル完成後は、フエとホイアン、そしてダナンへのアクセスがとてもよくなったそうだ。疲れもあり、寝ているとホイアンに到着した。
夕食後、ホイアンの町を歩いた。
あんなに今日はもう疲れたから早めにホテルに戻って眠りたいと思っていたのに、色とりどりのランタンに彩られたホイアンの町に到着した時にはすっかり忘れてしまっていた。
とてもかくにも!すてき!ホイアン!
そんな感じで私はこの旅行中でというか2016年始まって1番テンションがあがったかもしれない。
ノスタルジーホイアン、水面に煌々と光る明りが反射してどこを切り取っても美しい。
多くの人がホイアンの夜の町を楽しんでいた。
ホイアンにはカフェやお土産屋さんがところせましに並んでいるので、いつまでも居てしまう…
名残惜しい気持ちは残しつつも、またいつか絶対ホイアンに来るぞと誓ってホテルへ戻った。
6日目
本日はミーソン遺跡とホイアン散策。個人的にベトナム中部の雰囲気がとても好きだということもあって、この日の観光は特にテンションが高かった。
ミーソン遺跡まではホイアンの旧市街から1時間程で到着する。ミーソン遺跡はチャンパ王国の聖地だった場所で、四方は山に囲まれている。そしてこの遺跡は1999年に世界遺産にも登録されている。
海のシルクロードの中継地点としてチャンパ王国は2世紀後半〜17世紀の間栄えたとされる。かつてはベトナム南部に強い勢力を持っていたが、現在はその数もかなり少なくなっているとのこと。
ミーソン遺跡は何個かのグループによって年代別に分けられているが、そのすべてを私達は見る事はできない。自然崩壊に加えベトナム戦争時に解放軍が基地として使用し、アメリカがここを空爆したことによって、かなり崩壊が進んでしまった為だ。しかし山々に囲まれた静かな土地に根付いた草花に埋もれた遺跡からは、900年に渡ってチャンパ王国の聖地であったことがひしひしと伝わってきた。
昼食を挟み、ホイアンの町を再び歩いた。
昨日感じたノスタルジアな雰囲気はありつつも、夜のホイアンとはまた違う、どこか優しく懐かしいような町並み。
ここホイアンはチャンパ王朝の時代には中国やインドを結ぶ中継貿易都市として栄え、その後はアジアとヨーロッパの交易の中心地として繁栄した。日本人町もつくられていたが、江戸幕府の行った鎖国政策を境に日本人町は衰退し華僑の人が多く移り住んだ。その為、建築や町並みは中国南部の色が濃く、独特な雰囲気を醸し出している。
この町の中でもひときわ多くの観光客がにぎわっている場所が来遠橋、通称日本橋である。この橋は日本人によって作られたと考えられており、ベトナムの2万ドン札にも印刷されている。橋の両側には猿と犬の像が鎮座している。これは申年に造りはじめ、戌年に造り終えたからだと言われている。この猿犬が実に奇妙な顔をしていて、なんだか愛くるしいのである。
この町の建物の多くは木造建築物で、間口が狭く奥に長い作りとなっている。
情緒溢れる木造建築、そして内部の彫刻に思わず見とれてしまう…
ここでは数カ所でこのように内部見学ができるのでとても楽しい。
少し歩いて行くと福建会舘と呼ばれる集会所がある。ここは華僑の人々の集会場で、現在も活用されている。会館内には大きな渦巻き線香がいくつもぶら下がり、お願いが書いてある紙と一緒に吊るされている。
多くの人がここを訪れて願掛けをしてくのだとか。
日本にも絵馬というものがあるように、願う心は万国共通なのかもしれない。
その後も小一時間散策し、岐路に着いた。
ホイアンは一度でも楽しいけれど、二度行くべき町だと一人ごちてしまう程ホイアンの町は魅力的であった。夜と昼の顔を持った町ほど楽しい町などない。
お土産屋さんも多く立ち並び、カフェも多いので遺跡ばかりじゃ…という方もここに立ち寄ってお店めぐりをするのもいいだろう。
ダナンのホテルで眠りにつく時、また遠くない未来に私はホイアンに来るだろうな、と朧げにそう思った。
7日目
生憎の雨。本日はダナンのホテルを見学させていただいた。
行く先々のホテルスタッフが「ここから見える景色は本当はもっといいのに残念ね」と言っていたが、雨であっても海を見下ろすように建っているホテルや、目の前がプールに海!となっているホテルの数々ロケーションの悪さを十分にカバーする室内であったり、スタッフのおもてなしであった。
せっかく東南アジアという地域をセレクトしたのだったら、少しグレードアップしてちょっとした贅沢をしてもいいな、いやすべきだと思った。いくら少々値が張るとはいえども日本で同じようなグレードのホテルに泊まることを考えたら安い。そして最高のロケーション。ダナンリゾートはそんな願いを叶えてくれる素敵な場所だ。
ホテル見学を終え、少し時間があったのでダナン大聖堂に行った。ちょうどミサの時間だったので、内部も見る事ができた。私の海外に行く時の大きな楽しみは宗教関連の場所を訪れることなので、今回はハノイに次いでダナンのミサも見る事ができ本当に満足した。
仏教徒が7割近くを占めるベトナムであるが、フランス統治時代の影響もあってか教会も多く見かける。当たり前だがベトナムはタイやカンボジア、ラオスなどともまた違っていて東南アジアひとくくりにはできないなとしみじみ思った。
その後食事を済まし、ダナン夜発のフライトで南ベトナムである最後の目的地ホーチミンへ到着した。また一段と暖かくなって、いよいよ南にきたと思った。
8日目
ホーチミンはやっぱり暑い。朝から今までの土地とは違う暑さを感じた。
今日はクチ地下トンネルとメコン川クルーズ観光!
今までベトナムには訪れたことはなかったが、ベトナムと言えばアオザイとベトナム戦争のイメージが強くあり、ベトナム戦争関連の観光地等にいつか行きたいと思っていたので、今回クチ地下トンネルを観光できると聞いてとても楽しみにしていた。
ホーチミン市内から約2時間でクチ地下トンネルに到着する。日曜日ということもあってか観光客は多かった。
漠然としたイメージはあったものの、実際訪れてみるとその造りや発想すべてに驚く。元々肥沃な土地であったクチで生活する人々のほとんどは農民であり、武器とは無関係な世界に住んでいる人であった。最新鋭の武器や爆弾を使用して攻撃してくるアメリカに立ち向かうにはあまりにも差があったはずだが、アメリカが落とした爆弾を再利用して武器を作ったり、鎌(これが本当にただの鎌!)で250kmに及ぶ地下トンネル、そして生活空間を作り見事にアメリカ軍に勝利した。トンネルには多くの仕掛けや工夫がしてあって、見ていて飽きがこなかった。ベトナム人の結束力や忍耐力、そして絶対に負けないという信念をひしひしと感じた。
トンネル内はとても狭く、小柄なベトナム人でなければかなりキツい。
クチ地下トンネルの観光を終え、近くのレストラン(皇太子も訪れた)で食事を済ました。名物であるエレファントフィッシュは見た目とは裏腹にとても美味しかった。
<img0889.jpg>
レストラン周辺には池が作られており、そこに咲いた蓮の花がとてもきれいだった。
蓮の花にカメラを向けていると、「素敵なアオザイを着ているけどいったいどこで買ったんだ?」と興味深々なベトナム人達がやってきて、半ば無理やり素敵な蓮池をバックに撮影会が始まった。
ベトナムの国花である蓮の花。
せっかくアオザイを買ったのでこちらにも写真を…
ちなみに帰国後、これから日本でも普通に着られるわ〜と意気揚々と話していた私であったが、「普通には無理だと思うけどいいんじゃない?」という一言で日本では確実に浮くということを知り次のベトナム旅行までお蔵入りとなった。
食事を終えて2時間程車で移動し、メコン川クルーズに到着した。
エンジンボートに乗って、中州にある島に渡った。決して便利と言えないこの土地では多くの植物や果物、動物を飼って生活を営んでいるようであった。
ニシキヘビを巻いてみたり、この島特製のヤシの木で作った工芸編等のお土産屋さんをのぞいてみたり、とても楽しく充実した時間となった。
ニシキヘビを巻いた感想としては、生ぬるいよりは冷たいぬめぬめした重ためのうねうね動く物体が体に巻きついてくる(しかもなかなか離れない)けど、可愛い。
そしていよいよメコン川クルーズ!ということで小さな手漕ぎボートに乗って、木々が生い茂る小さな川を進んで行く。この旅行では多くの場所でボートや船に乗ってきたが、その土地土地で違った景色が広がっていて、ここは熱帯特有の景色が広がっていた。この川が遠く離れた中国から流れてきているものだと思うと感慨深い気持ちになった。
メコン川クルーズを終え、ホーチミン市内に戻って夕食を終えた。
深夜のフライトで帰国すべく、空港に向かう。
ホーチミン市内から空港までは夜間であれば30分ちょっとで到着する。
北から南まで約1800km。南北横断の旅が終わる。
四季がある北の都市ハノイ、ベトナム中部に位置する歴史溢れる都市フエ、ホイアン、そして青く広い海がある都市ダナン。熱帯気候の南の都市ホーチミン。すべての都市に色があって、違う空気が漂っていた。
様々な表情を感じられた南北ベトナム旅。多くの世界遺産、やさしいベトナムの人々。色濃く残るベトナムが辿ってきた歴史-
私はベトナムという一つの国を、少しだけ知った。そしてベトナムという一つの国がとても好きになった。
(2016年1月 三田村彩萌)
そして今回もちょっとむっとするような甘いような…そんな匂いを感じた時に私のベトナムの旅は始まった。
学生時代にバックパッカーをやっていた私は東南アジアには何度か赴いていたのだか、ベトナムに至っては今回が初渡航ということになる。
ベトナム北南縦断の旅。
今回はどんな人と出会い、どんな景色があって、どんな気持ちになるのだろう…昂る気持ちは抑えられない。
今回の旅程
1日目 成田—ハノイ (飛行時間約6時間) 空港到着後、ホテルへ
2日目 車にてハロン湾へ ジャンク船バイトー号に乗船 船中泊
3日目 世界遺産ハロン湾クルーズ 下船後ハノイへ戻りホテルへ
4日目 ハノイ—フエ (飛行時間) 空港到着後、世界遺産フォンニャ乳洞観光。後ホテルへ
5日目 終日:古都フエ観光 ハイバントンネルを越えホイアンのホテルへ
6日目 終日:世界遺産ホイアン&ミーソン観光 後、ダナンのホテルへ
7日目 ダナンにてホテル見学 後、ダナン—ホーチミン 空港到着後、ホテルへ
8日目 終日:大河メコンデルタクルーズとクチ地下トンネル
9日目 深夜 ホーチミン—成田 日本到着
1日目
成田-ハノイ間は飛行時間約6時間のフライトである。私が使用したベトナム航空はハノイ・ホーチミン共に成田から毎日直行便が出ているのでとても便利である。
空港に到着し、ガイドさんと合流。空港は人が多く、ちゃんと合流できるのか不安だったがガイドさんはわかりやすく名前の書かれたボードを掲げており問題なく合流することができた。
空港からホテルへは1時間弱程で到着した。
ホテルへ到着し、疲労がどっと出てきたがせっかくだからと重い腰をあげ、ハノイを歩いてみることにした。ハノイに行ったらハノイ大聖堂を観に行くと決めていたので早速そこに向かうが方向音痴で地図が読めない二重苦の私にとってそれは容易い道のりではなかった。道で右往左往していると二人のベトナム人が声をかけてきてくれ、大聖堂まで案内してくれた。
ハノイ大聖堂に到着する。
年季の入った大聖堂は大きく、とても美しかった。ちょうどミサの時間に合わせて行ったので、内観が見られたことに加えて、礼拝の様子も見ることができた。それはとても厳かで美しい空間だった。
その後、地元の美味しいフォーをごちそうになってホテルへ戻った。
現地で仲良くなったベトナム人の二人と
まだ大きな観光をしていない一日目であったが、ベトナム人のやさしさや空気に触れて早くも満足感を得つつ、眠りについた。
2日目
この日は朝の8時にガイドさんがホテルまで迎えに来てくれて観光がスタートした。今日はハロン湾一日観光である。
ハノイから車で4時間少し行った所にハロン湾はある。北ベトナムのハイライトと言えるハロン湾は2000個の島からなり、世界自然遺産にも登録されている。
すっかり眠っていた私がガイドに起こされて目にしたものは、美しい奇岩達でありハロン湾の絶景であった。
船中泊は何度か経験したことがあったが、それはすべて雑魚寝スペースで寝るようなお粗末な船であり、当然お風呂もついていなかった。今回泊まることとなった船はバイトー号の中でも一番の豪華客船であった。
船の中は綺麗な内装が施されていて、とても清潔且つ重厚感ある船内。そしてなんと言っても窓やデッキから眺めるハロン湾…情緒溢れるハロン湾を船上から眺められるなんて、なんて優雅な旅だろう。
小さな船に乗り換えてスンソト洞窟(Suong sot)とティートップ島(Ti top)に行った。
スンソト洞窟はハロン湾で一番大きいとだけあって、その大きさや深さには感嘆の声をあげずにはいられなかった。
光の当て方や色使いが絶妙。
ハロン湾は龍が降りるところという意味があるみたいだが、この洞窟には龍の骨があった。長い長い時間を掛けて作られた鍾乳洞は、現在の美しさのみならず、ここまでに至るまでのあまりにも長い年月を思うとロマンを感じた。
ティートップ島はロシア人のTi topという人とホーチミンさんが訪れたという過去からこの名前になったという。何段もある石段を登って行くとハロン湾を一望できるスポットへ行き着く。この石段が割とキツく、みんな息を切らせながら登っていた。様々な人種の人々が行き交っては励まし合っている光景は面白くもあり、心が温まるものでもあった。
船に戻り、少しずつ夜に浸食されていくハロン湾をデッキから眺めた。日々の喧噪や邪念を忘れさせてくれる—そんな力がハロン湾にはあるのかもしれない。
そんなことを想いながらハロン湾での夜は更けていった。
3日目
窓から見えるハロン湾が朝を知らせてくれた。
ビュッフェ式の朝ご飯を済まし、下船までデッキでハロン湾を堪能した。
ハロン湾の最大の魅力は一つとして同じ顔を持たないところかもしれないなと思う。同じハロン湾の景色であっても少し場所を移動すれば違う景色であるし、同じ場所であっても刻一刻と時を刻むごとに違う顔を見せてくれる。
下船し、レストランで食事を済ました。ハロン湾で採れた海の幸はとても美味しかった。ハロン湾に別れを告げ、ハノイへ戻りこの日は終わった。
4日目
フエへ。ということで朝早く起床し、ハノイ空港へ向かった。
朝は割と道が空いていて、早めに空港に着いた。ガイドさんとお別れをし、フエ行きの飛行機に乗った。ハノイからフエの飛行時間は1時間ちょっとで、機内サービスはお水のみ。離陸と同時に眠っていたらあっという間に到着した。
空港を出るとハノイより暖かく、南に少し下ったなあと実感した。
フエ空港でガイドさんと合流し、そのまま車でフォンニャ洞窟へ向かった。フエ空港からフォンニャ洞窟は片道約210kmで4時間程の距離である。
2003年に世界遺産登録されたフォンニャ洞窟は、小さな小舟に乗って入るのだが、これがまたよい。小舟に乗ったらすぐ洞窟というわけでなく、洞窟まで15分くらい掛かる。その景色がとてもよく、小さな村での人々の生活を垣間みたり、すれ違う小舟に乗った人と笑顔を交わしたり…そんな時間を過ごすことができる。
やがて大きな山にぽっかり空いた穴が見えてくる。
いよいよか!と思いながらゆっくりゆっくり進んで入って行く。
洞窟内に入るとそこは異空間。薄明かりが洞窟内部を照らし、水面を照らす。そこにはかきわけて進んでいく自らのボートが水を切る音しかせず、限りない静寂だった。
「すごい…」私が言葉にのせて表現できる中では一番しっくりくるが、もう少しボキャブラリーが豊富な人だったらもっともっとこの素晴らしさを伝えられるかもしれない。
想像してたスケールを超えていた。遥に超えていた。
人が立つと洞窟の大きさが際立つ。
ここにはかつてチャオプラ王朝が住んでいたと言われている。それはここに文字が残っているからだそうな…そして戦争が激しかった時は防空壕として使われたそうだ。それを思うとこの洞窟が刻んできた本当に長い年月を感じ、感慨深い気持ちになった。
私の写真技術が未熟なため、実際の1割の魅力を写せてない。このダイナミックさは行かないときっとわからないので、是非とも足を運ばせて頂きたい所だ。
ここからの道のりは長く、ホテル到着まで約5時間掛かった。すっかり疲れ果てていたが、フォンニャでの感動は私の疲れを払拭してくれるのであった。
5日目
本日は古都フエ観光。ベトナム最期の王朝があったフエは、どことなく厳かな雰囲気が漂っていて、とても静かで落ち着いたところだ。フエは1993年にベトナムで初めて世界遺産登録をされた。ゆったりと流れるフォーン川のほとりに王宮や寺院などが点在するフエを歩いているとタイムスリップしたような感覚がした。
ミンマン帝廟やトゥドック帝廟、カイデイン帝廟と帝廟をめぐった。
中でも私が気に入ったのはカイディン帝廟で、12代目の皇帝の帝廟である。
ヨーロッパに留学していた経験を持つ12代目皇帝はの帝廟は、他の帝廟に比べ西洋の文化があわさったようなつくりになっている。西洋に偏るわけでもなく、東洋と西洋の文化をうまく融合させてできたこの帝廟は本当に美しく、細部までこだわってつくられていて、すぐに好きになった。
一つとして同じ絵が存在しない壁。
天井に描かれた龍の絵。
その後、フエの生活を垣間見ることができるドンバ市場に行った。
先ほどまでの雰囲気とは全く違った雑多な雰囲気。ここに住む人たちのエネルギーを肌で感じた。
市場はずっと歩いていても飽きがこない。
その後王宮をまわり、ティエンムー寺に行きドラゴンボートに乗った。
王宮はその広さだけでなく、そこから見えるフラッグタワーを見たときに感動した。
そのむかし、ここがベトナムの中心だったことを実感した。
フエの一日観光が終わり、ホイアンへ向かった。
ハイバンントンネル完成後は、フエとホイアン、そしてダナンへのアクセスがとてもよくなったそうだ。疲れもあり、寝ているとホイアンに到着した。
夕食後、ホイアンの町を歩いた。
あんなに今日はもう疲れたから早めにホテルに戻って眠りたいと思っていたのに、色とりどりのランタンに彩られたホイアンの町に到着した時にはすっかり忘れてしまっていた。
とてもかくにも!すてき!ホイアン!
そんな感じで私はこの旅行中でというか2016年始まって1番テンションがあがったかもしれない。
ノスタルジーホイアン、水面に煌々と光る明りが反射してどこを切り取っても美しい。
多くの人がホイアンの夜の町を楽しんでいた。
ホイアンにはカフェやお土産屋さんがところせましに並んでいるので、いつまでも居てしまう…
名残惜しい気持ちは残しつつも、またいつか絶対ホイアンに来るぞと誓ってホテルへ戻った。
6日目
本日はミーソン遺跡とホイアン散策。個人的にベトナム中部の雰囲気がとても好きだということもあって、この日の観光は特にテンションが高かった。
ミーソン遺跡まではホイアンの旧市街から1時間程で到着する。ミーソン遺跡はチャンパ王国の聖地だった場所で、四方は山に囲まれている。そしてこの遺跡は1999年に世界遺産にも登録されている。
海のシルクロードの中継地点としてチャンパ王国は2世紀後半〜17世紀の間栄えたとされる。かつてはベトナム南部に強い勢力を持っていたが、現在はその数もかなり少なくなっているとのこと。
ミーソン遺跡は何個かのグループによって年代別に分けられているが、そのすべてを私達は見る事はできない。自然崩壊に加えベトナム戦争時に解放軍が基地として使用し、アメリカがここを空爆したことによって、かなり崩壊が進んでしまった為だ。しかし山々に囲まれた静かな土地に根付いた草花に埋もれた遺跡からは、900年に渡ってチャンパ王国の聖地であったことがひしひしと伝わってきた。
昼食を挟み、ホイアンの町を再び歩いた。
昨日感じたノスタルジアな雰囲気はありつつも、夜のホイアンとはまた違う、どこか優しく懐かしいような町並み。
ここホイアンはチャンパ王朝の時代には中国やインドを結ぶ中継貿易都市として栄え、その後はアジアとヨーロッパの交易の中心地として繁栄した。日本人町もつくられていたが、江戸幕府の行った鎖国政策を境に日本人町は衰退し華僑の人が多く移り住んだ。その為、建築や町並みは中国南部の色が濃く、独特な雰囲気を醸し出している。
この町の中でもひときわ多くの観光客がにぎわっている場所が来遠橋、通称日本橋である。この橋は日本人によって作られたと考えられており、ベトナムの2万ドン札にも印刷されている。橋の両側には猿と犬の像が鎮座している。これは申年に造りはじめ、戌年に造り終えたからだと言われている。この猿犬が実に奇妙な顔をしていて、なんだか愛くるしいのである。
この町の建物の多くは木造建築物で、間口が狭く奥に長い作りとなっている。
情緒溢れる木造建築、そして内部の彫刻に思わず見とれてしまう…
ここでは数カ所でこのように内部見学ができるのでとても楽しい。
少し歩いて行くと福建会舘と呼ばれる集会所がある。ここは華僑の人々の集会場で、現在も活用されている。会館内には大きな渦巻き線香がいくつもぶら下がり、お願いが書いてある紙と一緒に吊るされている。
多くの人がここを訪れて願掛けをしてくのだとか。
日本にも絵馬というものがあるように、願う心は万国共通なのかもしれない。
その後も小一時間散策し、岐路に着いた。
ホイアンは一度でも楽しいけれど、二度行くべき町だと一人ごちてしまう程ホイアンの町は魅力的であった。夜と昼の顔を持った町ほど楽しい町などない。
お土産屋さんも多く立ち並び、カフェも多いので遺跡ばかりじゃ…という方もここに立ち寄ってお店めぐりをするのもいいだろう。
ダナンのホテルで眠りにつく時、また遠くない未来に私はホイアンに来るだろうな、と朧げにそう思った。
7日目
生憎の雨。本日はダナンのホテルを見学させていただいた。
行く先々のホテルスタッフが「ここから見える景色は本当はもっといいのに残念ね」と言っていたが、雨であっても海を見下ろすように建っているホテルや、目の前がプールに海!となっているホテルの数々ロケーションの悪さを十分にカバーする室内であったり、スタッフのおもてなしであった。
せっかく東南アジアという地域をセレクトしたのだったら、少しグレードアップしてちょっとした贅沢をしてもいいな、いやすべきだと思った。いくら少々値が張るとはいえども日本で同じようなグレードのホテルに泊まることを考えたら安い。そして最高のロケーション。ダナンリゾートはそんな願いを叶えてくれる素敵な場所だ。
ホテル見学を終え、少し時間があったのでダナン大聖堂に行った。ちょうどミサの時間だったので、内部も見る事ができた。私の海外に行く時の大きな楽しみは宗教関連の場所を訪れることなので、今回はハノイに次いでダナンのミサも見る事ができ本当に満足した。
仏教徒が7割近くを占めるベトナムであるが、フランス統治時代の影響もあってか教会も多く見かける。当たり前だがベトナムはタイやカンボジア、ラオスなどともまた違っていて東南アジアひとくくりにはできないなとしみじみ思った。
その後食事を済まし、ダナン夜発のフライトで南ベトナムである最後の目的地ホーチミンへ到着した。また一段と暖かくなって、いよいよ南にきたと思った。
8日目
ホーチミンはやっぱり暑い。朝から今までの土地とは違う暑さを感じた。
今日はクチ地下トンネルとメコン川クルーズ観光!
今までベトナムには訪れたことはなかったが、ベトナムと言えばアオザイとベトナム戦争のイメージが強くあり、ベトナム戦争関連の観光地等にいつか行きたいと思っていたので、今回クチ地下トンネルを観光できると聞いてとても楽しみにしていた。
ホーチミン市内から約2時間でクチ地下トンネルに到着する。日曜日ということもあってか観光客は多かった。
漠然としたイメージはあったものの、実際訪れてみるとその造りや発想すべてに驚く。元々肥沃な土地であったクチで生活する人々のほとんどは農民であり、武器とは無関係な世界に住んでいる人であった。最新鋭の武器や爆弾を使用して攻撃してくるアメリカに立ち向かうにはあまりにも差があったはずだが、アメリカが落とした爆弾を再利用して武器を作ったり、鎌(これが本当にただの鎌!)で250kmに及ぶ地下トンネル、そして生活空間を作り見事にアメリカ軍に勝利した。トンネルには多くの仕掛けや工夫がしてあって、見ていて飽きがこなかった。ベトナム人の結束力や忍耐力、そして絶対に負けないという信念をひしひしと感じた。
トンネル内はとても狭く、小柄なベトナム人でなければかなりキツい。
クチ地下トンネルの観光を終え、近くのレストラン(皇太子も訪れた)で食事を済ました。名物であるエレファントフィッシュは見た目とは裏腹にとても美味しかった。
<img0889.jpg>
レストラン周辺には池が作られており、そこに咲いた蓮の花がとてもきれいだった。
蓮の花にカメラを向けていると、「素敵なアオザイを着ているけどいったいどこで買ったんだ?」と興味深々なベトナム人達がやってきて、半ば無理やり素敵な蓮池をバックに撮影会が始まった。
ベトナムの国花である蓮の花。
せっかくアオザイを買ったのでこちらにも写真を…
ちなみに帰国後、これから日本でも普通に着られるわ〜と意気揚々と話していた私であったが、「普通には無理だと思うけどいいんじゃない?」という一言で日本では確実に浮くということを知り次のベトナム旅行までお蔵入りとなった。
食事を終えて2時間程車で移動し、メコン川クルーズに到着した。
エンジンボートに乗って、中州にある島に渡った。決して便利と言えないこの土地では多くの植物や果物、動物を飼って生活を営んでいるようであった。
ニシキヘビを巻いてみたり、この島特製のヤシの木で作った工芸編等のお土産屋さんをのぞいてみたり、とても楽しく充実した時間となった。
ニシキヘビを巻いた感想としては、生ぬるいよりは冷たいぬめぬめした重ためのうねうね動く物体が体に巻きついてくる(しかもなかなか離れない)けど、可愛い。
そしていよいよメコン川クルーズ!ということで小さな手漕ぎボートに乗って、木々が生い茂る小さな川を進んで行く。この旅行では多くの場所でボートや船に乗ってきたが、その土地土地で違った景色が広がっていて、ここは熱帯特有の景色が広がっていた。この川が遠く離れた中国から流れてきているものだと思うと感慨深い気持ちになった。
メコン川クルーズを終え、ホーチミン市内に戻って夕食を終えた。
深夜のフライトで帰国すべく、空港に向かう。
ホーチミン市内から空港までは夜間であれば30分ちょっとで到着する。
北から南まで約1800km。南北横断の旅が終わる。
四季がある北の都市ハノイ、ベトナム中部に位置する歴史溢れる都市フエ、ホイアン、そして青く広い海がある都市ダナン。熱帯気候の南の都市ホーチミン。すべての都市に色があって、違う空気が漂っていた。
様々な表情を感じられた南北ベトナム旅。多くの世界遺産、やさしいベトナムの人々。色濃く残るベトナムが辿ってきた歴史-
私はベトナムという一つの国を、少しだけ知った。そしてベトナムという一つの国がとても好きになった。
(2016年1月 三田村彩萌)
- それでもまだ地球はアメリカを中心にまわっている〜アメリカ横断紀行・下〜
-
エリア:
- 北米>アメリカ西部>ヨセミテ国立公園
- 北米>アメリカ西部>セドナ
- 北米>アメリカ東部>ニューヨーク
- テーマ:世界遺産 歴史・文化・芸術 自然・植物
- 投稿日:2016/03/11 14:52
これまで南米の帰りにアメリカ本土の都市に数泊したことはありましたが、どっしり腰を据えて(?)西から東へと観光したのは今回が初めてです。あまりに広大で魅力的な見どころが点在する国ですからやはり西海岸だけでなく東海岸も、さらには自然も見たいということでサンフランシスコ・ラスベガス・グランドサークル・ワシントン・ニューヨークを巡って参りました。
何かにつけ「アメリカの凋落」という言葉を聞く昨今ですが、今回旅行してみてこんなにエキサイティングな国があるのか、というのが私の正直な感想です。もちろんグランドキャニオンに代表される大自然も見逃せませんが、一番引きつけられたのは街とそこに住む人々のエネルギーです。それはアメリカの大都市には必ず近郊に世界的な有名大学と企業があることが影響しているように思います。世界中の優秀で意欲ある若い人たちがアメリカの大都市に必然的に集まり、世界最先端の技術に携わり、革新的なアイデアをもつベンチャー企業や新しいビジネスを立ち上げます。そしてアメリカで成功を収めたビジネスモデルやブランドは世界中に飛び火していきます。
事実、街を歩くと何を売っているお店かよくわかず思わず足を止めてしまうようなお店が多数あります(特にニューヨーク)。結局それは何かさっぱりわからないのですが、それは日本人である我々がまだ見ぬ新しいビジネスやムーブメント、カルチャーのお店であるからなわけです。10年後同じ店の前に来たら足を止めることはないかもしれませんが、アメリカの街はおそらく更に先をいっていることでしょう。
中国やインド、さらにブラジル、ロシアなどの大国が経済的に影響力を増し相対的にアメリカの存在は薄れたとはいえ、アメリカに住む裕福そうな中国人やインド人、ヒスパニックの人の数を目の当たりにすると、やはり意欲的な優秀な人材はアメリカを目指している気がします。国外の有能な人々を受け入れ変化しながら巨大化する国、アメリカ。その寛容さが失われない限り、世界の主導権を握るのはしばらくアメリカのままだと思いました。
〜スケジュール〜
12/25 サンフランシスコ着・観光 【サンフランシスコ泊】
12/26 ヨセミテ観光 【サンフランシスコ泊】
12/27 サンフランシスコ観光 ラスベガスへ【ラスベガス泊】
12/28 セドナ観光 【ラスベガス泊】
12/29 (1日目)グランドサークル1泊2日 【カイエンタ泊】
12/30 (2日目)グランドサークル1泊2日 ワシントンDCへ【機中泊】
12/31 ワシントンDC観光 【ワシントンDC泊】
1/1 ワシントンDC観光 【ワシントンDC泊】
1/2 ニューヨークへ ブルックリン観光 【ニューヨーク泊】
1/3 ブルックリン・マンハッタン観光 【ニューヨーク泊】
1/4 ニューヨーク発、帰途へ
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12月25日
早朝、サンフランシスコの空港に降り立つ。
ホノルルからサンフランシスコのフライトは約5時間。食事は一度たりとも出てこなかった。日本からホノルルは1回の夕食と軽食にアルコールが無料だったことを考えれば、えらいサービスの違いである。アルコールはまだしも機内食は出るだろうと想定していたので、サンフランシスコ空港に到着するなり、非常に空腹感を感じた。
アメリカ本土の空港はどれも判でおしたように似ている。没個性的だ。それに一旦搭乗エリアから出てしまうとお店がほとんどなくなってしまう。あるのはスターバックスのみである。スターバックス、嫌いじゃないけどサンドイッチ類がやけに高い。日本のも高いが、アメリカの空港で買うサンドイッチは10ドル近くするので日本と比べても格段に高い。それでもスターバックスしかないので明るくなるのを退屈なコーヒーとパンを食べながら過ごす。空が明るくなってきたところでサンフランシスコの中心部を目指して出発。できるだけ経費を浮かそうと、ローカルバス・サムトランズを利用。空港からダウンタウンを結ぶバスは292番で1人2.5$でダウンタウン行ける。約1時間の移動だが、それで2.5$。なおハワイでは時間内であれば無料で1回に限り乗り継ぎ可能だが、サンフランシスコでは時間内であれば何回も乗り継ぎ自由なのである。それで2.5$は格安だと思うのだがどうでしょう。アメリカは食品に関してはすべて日本のも倍近くするが、ことローカルバスに代表される、公共交通機関に関しては驚くほど安い。
サンフランシスコのバス停 地面に停車するバスの便名が書いてある
サンフランシスコではバスを使いこすことがマスト
公式には一度2.5$で乗車すれば2時間後まで何度でも乗継できるバス切符、しかし3時間後、4時間先までで発券してくれるバスの運転手が多いため正直$14のバス1日券はいらない。。。。
まず向かったのはこの日のホテル、UTAH INN。
カルトレイン駅徒歩圏内のダウンタウンエリアの2つ星ホテル。1階はバー、2階より上層部がホテルになっている。エレベーターは備え付けられていないので重い荷物の場合は苦労する。フロントのスタッフは感じはいいがインターホンを押してもすぐに出てこないことがあるなど3つ星以上のホテルより当然ながらサービスは劣る。室内は比較的綺麗で、シャワーとトイレは共同。シャワーは温度調整が難しいなど苦労することも多いがホテル料金が高いサンフランシスコにおいては助かる存在ではある。なお室内にはシーリングファンと洗面台、無料のWIFIが利用できる。
我々はダウンタウンにてバスを降りた後、スーツケース転がしながらUTAH INNに到着。しかしホテルのフロントドアが開かない。インターホンを何度も押すが応答がない。おかしいなと思いつつ、その場でしばらく待つ。今日はクリスマスの25日。今日到着したばかりなのでわからないがサンフランシスコの街は静かだ。交通量もすくない。もしかしてクリスマスに家族と過ごすことを何より大事にするアメリカなら24日の夜から25日の昼近くまでホテルスタッフ不在にしていることはありえない話ではない、という考えが頭をよぎった。もともと2つ星クラスの安宿なのでホテルの警備や決まりごともキッチリしていないのだろう。しかたなく近くのカフェを探してホテルのドアが開くのを待つことに。しかしここで思わぬトラブルが。25日なのであらゆるお店が閉店しているのだ。個人経営のお店はもちろん、あのマクドナルドもサブウェイも(空港のスターバックスやフィッシャーマンズワーフ近くのマクドナルドなどは営業していた)。しかたなく駅近くの小さな売店でサイドウィッチとコーラを買い2人で駅のベンチで食べて時間を潰す。
10:30ごろ、もう一度ホテルに向かい、インターホンを押す。すると応答がありドアを開けてくれる。万が一ホテルが休みだったらどうしようと思いもあったので良かった。フロントの男性はインド系の男性で眠たそうだった。もしかしてホテルには駐在していたけど寝ていたのか?私の予約が通っているかを確認したあと、荷物を駅に置いているからすぐ戻る、と私は言い残して駅で待つ妻の元へ。その後無事チェックインを終えて、荷物を部屋の中へ。お昼近くになってようやくサンフランシスコにて自由な時間を取ることができた。
我々がまず向かったのはゴールデンゲートブリッジ。
<ゴールデンゲートブリッジ>
サンフランシスコのシンボルであり、世界中で最も有名な橋といってもいいこの全長2737mの橋は1930年住民の熱い思いから建設が決定され、また建設費用も橋の利用者などサンフランシスコ住民から賄われたため現在いくつもの橋がかかったサンフランシスコの中でもひときわ愛着を持って語られ続けられている。さらに当時、建設は不可能に思われた橋としても知られている。この海峡は霧が多く、冷たい突風が吹き荒れる、さらに両岸の地形は複雑さを極めていた。死と隣り合わせの4年半もの建設作業の末1937年ようやく完成したゴールデンゲートブリッジは2012年に開通75周年を迎えた。75年を過ぎてもなお世界中から観光客が押し寄せるほど人気のある橋はそうないだろう。100周年、いや200周年を迎えようが世界中から愛されていることだろう。
ゴールデンゲートブリッジ
ゴールデンゲートブリッジ生みの親 ジョセフ・ストラウス
<フィッシャーマンズワーフ>
ゴールデンゲートブリッジのあとに向かったのはこれもサンフランシスコで外せないスポット、フィッシャーマンズワーフ。ゴールデンゲートブリッジのたもとのバス停から約30分バスに乗り、身寄りの停留所から10分程度歩く。途中に有名チョコブランド・ギラデリのレンガ造りの工場を販売所やカフェなどにリノベーションした一画のギラデリ・スクエア、さらに海洋国立歴史公園ではサンフランシスコの昔ながらの港町を彷彿させるビーチがあるので立ち寄るのも面白いだろう。フィッシャーマンズワーフのエリアに差し掛かると郊外の静けさとは打って変わって観光客に溢れ賑わいを見せていた。お土産屋さんはもちろんファストフードやカフェ、レストランにホテル。人気の観光地につきもののお店は全て揃っている。街中の明るいネオンは煌びやかに輝き、道行く人は何か楽しげに語らいながら片手にはクラムチャウダーや屋台の食べ物を持ち食べて歩いていく。ほかの人が美味しそうに食べているのを見ると無性に食べたくなる。まずはサンフランシスコを代表する料理、クラムチャウダーで有名なボゥディンへ。ここのクラムチャウダーは、これもサンフランシスコ名物のすっぱいパン、サワードゥブレッドをくりぬいた穴の中に入れて食べるスタイル。すでに長蛇の列であったが辛抱。注文と支払い(約9$)のあと、ピックアップの場所にてしばし待つ。なんとか混雑した中から空きのあるテーブルを確保して本場のクラムチャウダーにありつく。とろりとした濃厚なクラムチャウダーは身体がポカポカあったまる。クリーミーでマイルドな味が酸味のあるパンとの相性もバッチリ。美味しくいただいた。ところが皆このパンはすべて食べないで残す人が多数。クラムチャウダーに量に対してパンが大きすぎるのも理由だと思うが、あまり酸味のあるパンが口に合わないのだろう。その土地の名物というものは味よりも優先度が上であるのだなあと感じた。つまり名物であれば、多少味はイマイチだとしても、並んででも皆さん食べたいのである。
クラムチャウダーだけでは私の食欲は満たされないので次のサンフランシスコグルメを探す。行列の出来ている屋台があったのでそこに並んでカラマリ&チップスを購入(10$)。カラマリとはイカリングのフライのことである。港町のサンフランシスコでは海産物を食べたいと思っていたので食べられてよかった。もちろん美味しいのではあるが値段は少し高いなぁ。
ボゥディンのクラムチャウダーをテイクアウト
フィッシャーマンズといえばカニマーク
フィッシャーマンズワーフの賑やかなエリアを通り過ぎると倉庫街の風景へと変わっていく。倉庫街といっても現在はお洒落なブティックやレストランにリノベーションされており、歴史あるその外観を見ているのも楽しい。しばらく港沿いを歩いてバスに乗り込みホテルへ。
この日の観光は終了。
思ったよりサンフランシスコの街は広く、バスと言えども移動に時間がかかった。そのためなんとなく計画していたものよりもあまり動き回れなかったので最終日に持ち越し。明日は1日ヨセミテ観光だ!
12月26日
ヨセミテ観光の集合時間が朝の7時15分のため、6時に起床。昨日ガソリンスタンドの売店で買っておいたカップラーメンを食べて出発した。
なおヨセミテ観光に参加するのは私だけ、妻はサンフランシスコ市内をもっと観光したいということで留守番。ツアー集合場所はマリオット・マーキスホテル、宿泊先のホテルから徒歩10分くらい歩いた。ホテルロビーにて集合時間ちょうどに迎えが来た。
他に一箇所ピックアップのホテルに立ち寄った後、30人乗り用のバンに乗り換えた。この日は大盛況。ほぼ満席であった。
<ヨセミテ観光>
ツアーが出発したのは7:45前後。
バンはベイブリッジを経由して郊外へ。ベイブリッジからはゴールデンゲートブリッジの姿が見えた。その後、緑豊かな郊外の街を抜けると、今度は禿山だらけの風景になる。ガイドさん曰く、これがサンフランシスコ本来の姿で、市内にある緑は新しく植えた木だそうだ。なんでもサンフランシスコは雨がほとんど降らないのでヨーロッパ人がサンフランシスコに住みつくまではこの地に緑はほとんどなかったという。
出発して1時間後、トイレ休憩。実際にはドライフルーツのお店のトイレを借りているだけなのだが、皆さんドライフルーツを買っていくのでなかなかいい商売ではないだろうか。
その後もう一度トイレ休憩を挟み、ヨセミテ国立公園へ向かう。サンフランシスコがまるで夏か秋のような風景だったのが徐々に雪世界へと変わってゆく。
公園入り口まであと数十メートルというところで入場を待つ車の長蛇の列。結局入場までかかった時間は1時間。その間に昼食の幕の内弁当が配られ、皆バスの中で長めの食事。夏の時期もさらにこれ以上の列になるそうだが、これだけの行列は今の時期ではかなり多い方だそうだ。
しかし四季折々の季節楽しめるヨセミテでは冬に来たとしてもがっかりする必要はない。冬は冬で雪化粧をした特別なヨセミテの姿を見ることができる。ガイドさんが言うにはこの日は天気も良く雪もいい具合に積もっているためヨセミテの雪景色に中では最高のものが見えるそうだ。そう言われると期待が高まる。
まず入り口から少し走った橋でチェーンを取り付け。そう、公園内を走行する際、雪の積もり具合によるがチェーン取り付けが義務付けられる。レンタカーできた人なんかはチェーンのことを知らず仕方なく引き返す人もいるそうだ。またチェーンの取り付け方がわからず立ち往生することもあるそうなのでレンタカーで行かれる方はご注意を。
最初に降り立ったのはVARIED VEWと呼ばれるEl Capitanのビューポイントへ。
El Capitanはヨセミテ国立公園に入場口から最も近い位置にあるため、目に入る瞬間、旅行客は圧倒されるはずだ。谷底から996mの高さへ垂直にそそり立つEl Capitanは、花崗岩の一枚岩としては世界最大である。その姿は入場者をヨセミテの世界にいざなってくれることだろう。
VARIED VEWエルキャピタンと奥に見えるハーフドーム
おおきなつらら
次にストップしたのはEl Capitanとその向かいにあるブライダルベールの滝のビューポイント。ブライダルベールの滝は約189mの細く柔らかなその水流のため風で煽られて霧のように吹き上がるため、花嫁のヴェールに例えられた。
3番目にストップしたのはHALF DOME。絶景ポイントであるマーセド川に架かる橋から撮影。マーセド川を下にしてそびえ立つHALF DOME。まるでナイフで切り落としたかのような面をもつHALF DOMEはヨセミテのシンボルとも言える。見る角度や時間帯によって様々に表情を変えるHALF DOMEは旅行客を惹きつけてやまない。アウトドアブランドのノースフェイスのロゴはこのHALF DOMEがモチーフとなっている。
ジャイアントセコイア
THE NORTH FACEのロゴのモチーフとなったハーフドーム
そして今回の最終目的地であるヨセミテビレッジに到着。旅人は皆、ヨセミテビレッジを起点にトレッキングに出かけるなどの行動をとる。我々はここで1時間自由時間をとった。私はまずヨセミテ滝へ向かう。ヨセミテ滝は全長739mの世界第3位の落差をもつ巨大な滝である。滝は3部分に分かれており、上部のアッパー滝、真ん中はカスケード、一番下がローワー滝。トレイルをすすめばローワー滝の目の前まで行けるそうだがそうすると全体の流れが見えなくなるため遠方から見るのがオススメ。滝に近づくにつれ時たま氷河が削るバリバリバリバリというと轟が森の中に響き、あたり一面静寂に包まれる。
ヨセミテ滝を楽しんだあとはセンチネル橋周辺。このあたりはHALF DOMEを見るには絶景のポイントとして知られている。お土産屋さんに立ち寄ることもできないくらい時間めいっぱい写真撮影行なった。
全長739m 世界第3位の落差をもつ巨大なヨセミテ滝
雪化粧のヨセミテヴァレー
さよなら ハーフドーム
帰り道に3箇所撮影ポイントに立ち寄ることができた。
まずはEl Capitanの麓。El Capitanをしたからなめるように撮影したそして次は良くパンフレットにも使われるというカテドラルロックとEl Capitanが同時に一枚の風景におさまるというバレービュー。まさに絶景だ。
雄大なエルキャピタン
青空の中 美しい白さが際立つエルキャピタン
カテドラルロックとエルキャピタンが一枚の風景におさまるバレービュー
最後にガイドさんがヨセミテ滝の一部、カスケードの目の前でバンを停めてチェーンを外す。その間、そのカスケードを撮影。あっという間の3時間だったが夢のような体験だった。
帰りは マーセド近くのリビングストンという小さな町のサービスエリアのような場所にてトイレ休憩、帰りの休憩は一度きり。
ヨセミテからサンフランシスコへの帰りの道は日が暮れたあとは真っ暗。街灯も少ない上にもちろん建物が少ないので前の車のテールランプめがけて走っているような感じ。そのため車内は真っ暗で、ほかの乗客は時差ボケのせいか、大体眠っていた。
20:30ごろにサンフランシスコに到着。
帰りはホテル近くのホールフーズで降ろしてもらい、遅い夕食を購入。 妻の待つホテルに戻った。
12月27日
この日は朝9時に起床し10時過ぎにホテルをチェックアウト。
サンフランシスコ観光最後の日だ。この日の夜にラスベガス行きの飛行機にてラスベガスへ向かう。
初日の観光ではこなせなかったサンフランシスコで訪れてみたかった場所へ向かう。
まず向かうはヘイトアシュベリー。
<ヘイトアシュベリー>
ヘイトアシュベリーはヒッピー文化の聖地と言われる。ヒッピーとは既存の社会体制を否定し、自然回帰を目指すスタイルを持つ人々である。ジョンレノンやジャニスジョプリン、グレイトフルデッドなど様々なミュージシャンやアレンギンズバーグ、サンリンジャー、デニスホッパー、スティーブジョブズなどヒッピー的なバックボーンから生まれた文化人・起業家は数知れない。このヘイトアシュベリー付近にはレア物のレコードやオリエンタルな雰囲気漂うアジア雑貨、さらに古着を売る店をはじめ、日本でいうと裏原系のようなインディペンデントなブティックも数多い。フィッシャーマンズワーフは旅行者向けに造られた一画であったのに対してヘイトアシュベリーは各店のオーナーが自己主張しあっているエリアに感じた。
ヒッピー文化の聖地 ヘイトアシュベリー
ラスプーチンレコード
ヘイトアシュベリー近くにあった可愛らしい家
次に向かったのはThe Mill というコーヒーショップ。サンフランシスコはブルーボトルなどサードウェーブと呼ばれるコーヒームーブメントの発祥の地とされており、一風変わったスタイルのカフェが多い。The Millの店内はまるで倉庫を改装したようなレンガ造りで開放感のある広さ。コーヒー豆の焙煎機があり何人かのスタッフが忙しそうに働いている。またこのコーヒーショップを特徴づけているのは店内でパンを作っているのである。つまりコーヒー専門店とベーカリーが一緒になったような店なのである。朝8時に焼きあがるという全粒粉のパンのトーストとそれに合うコーヒーを提供してくれる。
The Mill サードウェーブ・コーヒーショップ
全粒粉のパンのトーストとそれに合うコーヒーを提供してくれる
The Millを後にして向かったのがロンバードストリート。
<ロンバードストリート>
世界一曲がりくねった坂道と評されるこの通りは、坂道が多いサンフランシスコの街中でも極めて急勾配であったため車で通行できるようにS字カーブをつくったのがその始まりとされる。
ロンバードストリートの目の前を通るサンフランシスコ名物ケーブルカー
世界一曲がりくねった坂道 ロンバードストリート
坂道がすごい
そこから歩いでフィッシャーマンズワーフへ歩いて行く。フィッシャーマンズワーフはサンフランシスコ初日の夜にも訪れたが昼間の様子もみて見たかったため再訪した。昼間は夜間よりも人が少なく港町の趣がグッと増すので夜よりも私は昼間の方が好きだ。またフィッシャーマンズワーフを代表するレストラン&ショッピングスポット、ピア39では無数のアシカたちをはっきり見ることができる。これも昼間ならではの景色である。なぜこんなにサンフランシスコにアシカが住み着いたというと1989年の地震の影響でエサの豊富にある湾沖にやってきて天敵がいないこの地に住み着いたそう。なおアシカたちは夏の間は繁殖のため南へ移動するため見えなくなるので注意。
お昼のフィッシャーマンズワーフ
フィッシャーマンズワーフに住みつくアシカ
脱出不可能の監獄島 アルカトラズ島
それからトラムにのって湾岸沿いベイブリッジの眺めが美しいオイスターバーWaterbar へ。サンフランシスコに来たら生ガキを食べたいと前々から思っていた。以前サンフランシスコ訪れたが妻が市内でカキを1$で食べたと自慢してきたのだ。物価の高いアメリカでカキを1$で食べられるはずがないと思っていたのだが、妻が実際レストランで撮影してきた綺麗に盛られた生カキを見ると「サンフランシスコに着いたら生カキ」が私のサンフランシスコ滞在の目的の一つと化した。サンフランシスコではオイスターバーが比較的多くあり、各店ともハッピアワーを設けているためその時間帯であれば格安でカキを食べられるのがその理由である。ホテルに近く評判のよいオイスターバーWaterbar を選んだのは大正解であった。窓から見えるベイブリッジの眺望は美しく、カキももちろん美味しい。白ワインのグラスが1杯9$なのはちと高いがこの眺望と味であれば元以上のものはとれた。サンフランシスコ最後の夕食は大満足で締めくられた。
1カキ1$のオイスターバーWaterbar ベイブリッジの眺めも最高
夕刻のベイブリッジ
その後ホテルに戻り預けていた荷物をピックアップ。ローカルバスで空港へ向かう。
ラスベガス空港へ向かうフロンティア航空はターミナル1。チェックインを終えて1.5時間ディレイではあるが無事出発。ラスベガス行きのフライトは満席であった。皆さん新年をラスベガスで迎え、運だめしをラスベガスでするのだろうか。
12月28日
午前1時にさしかかろうとするところの真夜中、ラスベガスの地に降り立つ。
ラスベガス空港は潔い。空港に入るなりスロットマシンがある。バゲージクレームのエリアにもスロットマシンが。空港からラスベガスに来た!という気分になる。没個性的だと思っていたアメリカ本土の空港だがラスベガスの空港はいいなぁ。
到着後即バゲージクレームで運だめし!
預け荷物を引き取り、シャトルバス乗り場へ。シャトルバスは24時間運行しているはずだがすでにカウンターは閉まっていた。タクシー乗り場のスタッフに確認したところ、向こうのシャトルバスが待機している場所へ行ってみれば?とのこと。言われるがままシャトルバスの近くに行くと、恰幅の良いスーツの女性がおり、ストラトスフィアホテルに行きたいのだけどと言うと、もちろんという感じで荷物を引き受けてくれた。徐々に同じシャトルバスに乗るお客さん集まり合計9人、計3組になったところで出発。シャトルバスの料金は8$のはずだが、ストラトスフィアホテルはストリップの北側のためか10$と言われた。
空港から近い順のホテルにお客を降ろしていき、我々が最後にストラトスフィアホテル到着した。
<ストラトスフィアホテル>
ラスベガスのメイン通りストリップの北の端に位置するストラトスフィアタワー。観光名所でもあるここはホテルも併設している。中心地から離れており、繁華街へのアクセスはよくないためホテルの料金が少し安めである。ラスベガス市内での観光をあまり重視しない場合であればおすすめ。ホテル周辺にはコンビニやファミリーレストランが多少、ホテルの2階にはファストフードやレストランが充実している。ホテルのゲストはタワーへの無料入場がうれしい。室内はかなり清潔。無料のWIFI、ドライヤー、エアコン、バスタブ、セーフティーボックスがある。冷蔵庫、スリッパはない。
ホテルの入口はすべてカジノエリアから始まる
ストラトスフィアホテル
ラスベガスのホテルはすべて入り口にカジノがあるようで、まずはカジノの誘惑をかわしホテルの受付にたどり着かなければならない。
これは後から知ったことだが、ラスベガスはお客に長く居させるために様々な工夫を凝らしている。気持ちを高ぶらせるようなライティングや絨毯、時間を忘れさせるために時計はおかない、気を大きくさせるために無料でアルコールの提供をする。また休憩用のイスは一切置かない。歩き疲れたお客が座るのはスロットマシンのイスで、そこで賭けてみようかなと気になるらしい。
ようやくフロントを見つけてチェックイン。
小腹がすいてきたので、ホテル外のコンビニエンスストアでホットドックと明日のツアー中の食料と水を調達する。ホテルで食事を終えるとすでに午前3時半をまわっていた。
この日はセドナへの日帰りツアーに参加する予定だ。ツアーの出発は朝4時半。悠長に構えていたがシャワーを浴び、着替え、急いで集合場所へ向かう。
<セドナ日帰り観光>
集合時間は若干すぎていたがまだ迎えは来ていなかったようだ。胸を撫で下ろす。午前4:45位にお迎えがきて、他のホテルへお客さんをピックアップ。駐車場に移動し、14人乗りのバンに乗り換えてさらに別のホテルにお迎えに行く。バンは満員御礼。いざセドナへ。
寝られなかった分、セドナまでの移動中に睡眠をとる。移動時間は約4時間、往復とも2回ずつ休憩がある。ラスベガスの街を超えると荒野が延々と続く。
セドナに近づくにつれて赤茶けた大地と大きな岩山が目の間に見えてくる。
セドナはネイティブアメリカンの聖地であり、ネイティブアメリカンの民族にはこの地に立つだけで先祖からエネルギーや波動を受け取れる場所(Vortex ボルテックス)と考えていた。セドナのこの特殊な地形は川の流れによるものや地震によるものではなく、地殻変動による隆起が原因でこのような不思議な光景をもつ場所になったそうだ。つまりネイティブアメリカンのいう大地のパワーが渦巻く場所(Vortex ボルテックス)であることは科学的にもあながち間違いではないのだ。
もともとは小さな町であったが、1970年代には自然回帰を求める新しいライフスタイルが提唱され、多くの人々がボルテックスを求め、このセドナを訪れるようになった。その後数多くのアーティストやスピリチュアルな人々がボルテックスを求め移住してきたそうだ。日本でも2000年代からの占いブームによってオーラの集う場所としてテレビに取り上げられ注目された。占いブームが落ち着いた今も日本からの訪問客は多いようだ。
まず降りたのは呼び鈴の形に似ていることからベルロックと称される岩石とその隣にある裁判所の形に似ていることからコートハウスビュートと呼ばれる岩山のビューストップへ。
裁判所の形に似ている コートハウスビュート
4大ボルテックスの一つ ベルロック
その後、これもベルロックと同じく4大ボルテックスの一つ、カセドラルロックのビューポイントへ。ベルロックは男性性のボルテックスを持つとされる一方このカセドラルロックは女性性のボルテックスが強い岩石だと言われている。
女性性のボルテックスが強い カセドラルロック
雄大な景色の連続 セドナ
3番目のビュースポットは、赤い岩壁に囲まれたホーリークロス教会。1955年に建てられたカソリックの教会である。この教会からの展望も素晴らしい。子供を抱くマリア像のような形の岩石が見つかったことが、この像付近に教会を設立するきっかけとなったそうだ。なお鷲の頭に見える岩石や、世界で最も高価な住宅と言われるセドナの中心部にある10億円相当の豪邸もここからじっくり眺めることもできる。
赤い岩壁に囲まれたホーリークロス教会
10億円の豪邸とカセドラルロック
カセドラルロックの眺望
最後のビュースポットは4大ボルテックスの一つに数えられる、エアポートメサからの景色。ここからはディズニーランドにあるアトラクションのアイデアの元になったといわれるビックサンダー、さらにその形が似ていることからコーヒーポットロックと呼ばれる岩石の雄大な眺望を楽しむことができる。個人的にはビックサンダーの地層がグラデーションを描くように美しくはっきりと見えるためエアポートメサからの景色が私は中でも気に入った。
エアポートメサからビックサンダーの眺め これも4大ボルテックスの一つ
すぐ近くにはアメリカの国旗が誇らしげにはためいていた
エアポートメサを後にし、アップタウンにて昼食のため、1時間ほど自由行動。
我々はフードコートにてタコスとフィッシュ&チップスを注文。展望がよいテラス席近くの場所で贅沢なランチタイム。こうして雄大な景色を見ながら食事をしていると、日帰りでセドナ観光をしていることが大変もったいないことのように思えた。天気は申し分ないほどの青空であるが、これが夕方オレンジ色に染まる時間帯、そして夜中星空が輝きだす時間帯、さらに早朝の黄金色の朝日を浴びた時のセドナの表情を私は見ることができないのである。もしこれからセドナを観光しようとしている方がいらっしゃれば時間の許す限り、1泊以上の滞在をおすすめしたい。
セドナの街 アップタウン
セドナを巡回するトロリー
ランチしながらこの景色・・・このまま石になりたい
ネバダ時間で14時ごろ、セドナを後にしてラスベガスへ向かう。途中、アメリカ文化の発祥の地とよばれるルート66の街セリグマンを経由した。ルート66は幾多の小説や映画の舞台であり、ファストフードやモーテルなどの文化はこのルート66から生まれたと言われている。またディズニー映画のカーズのモデルとなった街はこのセリグマンとのことで、街にはカーズのキャラクターを模したような車が並べられていた。
目が入れられたのは映画化される前らしい
ラスベガス到着は午後6時半ごろ。私たちはストラトスフィアホテルではなく、ラスベガスの中心地であるフォーコーナーにて降車させてもらう。
フォーコーナーはラスベガスでもっとも歴史あるホテル、フラミンゴや噴水ショーで有名なベラッジオのある十字路のことである。
まずはラスベガス観光の定番あるベラッジオの噴水ショーへ。噴水ショーはホテルの前にて無料で観られるとあって、多くの人で賑わっている。私は前の方に陣取って噴水ショーを満喫した。
ベラッジオから歩いて向かったのはホテル、ミラージュ。ミラージュもベラッジオと同じく、ホテル前にて無料の噴水ショーを行っている。ただし同じ噴水のショーであっても、ミラージュの方がベラッジオよりも趣向を凝らしており、ミラージュは火山の噴火をモチーフにしている。水と炎を使い火山の噴火を表現しており、その演出が見事だ。私はミラージュのショーの方が面白いと感じた。実際、観客の数もミラージュの方が多いように見受けられた。
ベラッジオの噴水ショー
豪華絢爛過ぎるシーザースパレス
ベラッジオから反対車線に渡り向かったのはイタリアのベネチアをテーマにした巨大なホテル、ベネチアン。ベネチアンではカジノにチャレンジした。といっても無料でもらえるカクテルを目当てなので、1セントのスロットマシンでちびちびかけてなんとかカクテルを配るお姉さんに来てもらおうとスロットマシンをプレイしているが一向に現れない。無料のアルコールは頻繁に配るものではないらしいので、アルコールが目当てであればカジノに金をつぎ込むより売店で購入する方が安上がりかもしれない。
カジノをしているふり 無料のお酒を待つ
ヴェネチアンホテルの天井
ベネチアンからストリップを循環するバスに乗り、ストラトスフィアホテルへ。
コンビニで昨日も購入したサークルKのホットドック(お気に入り)で夕食。その後、ストラトスフィアホテルのゲストであれば無料で入場できるというストラトスフィアタワーへ。
実はあまり期待していなかったのだが、なかなかこのストラトスフィアタワーの眺望は面白かった。ラスベガスはこのタワーよりも高い建物がないので周辺一面を見渡せる。また山もないため、平坦でどこまでも続くような夜景が満喫できるのだ。時間帯のせいか子供達も少なく、照明は暗めでお酒を出すようなバーもあり、ロマンティックでもあった。もしカップルやご夫婦でラスベガスへ訪れる機会があればタワーに行かれることをおすすめしたい。
ラスベガス名物インスタントウェディング
ホテルへ戻り、明日の出発のため荷物整理に取り掛かる。
明日も朝4時半集合なのだ。。。。。
12月29日
この日はグランドサークルの1泊2日ツアーに参加する。アンテロープキャニオン、ホースシューベンド、モニュメントバレー、グランドキャニオンを観光する盛りだくさんの内容である。
ストラトスフィアタワーの展望台を観光して、お風呂に浸かって、歯を磨いていたりしている間にいつの間にか午前1時を回っている。
1時から2時まで仮眠し、セドナで撮影した写真を整理し、荷物の整理をして朝の4時半の集合時間までの時間を過ごした。
朝4時にホテルのチェックアウトを終え、荷物をホテル入り口のベルデスクに預ける。明後日まで預かって欲しいというとベルデスクのスタッフは慣れて感じで「グランドキャニオンのツアーに参加するんだね」というふうに気前よく預かってくれた。ガイドブックに荷物を預ける際は荷物1つ1日につきチップを渡すようにと記載があったので5$渡した。
アメリカに旅行していると小銭(1$、5$、10$札)がすぐになくなっていく。チップはもちろん、バス料金などはお釣りがでないことが多いので、細かなお金がないと損をすることも。日本で予め用意しておくのがベストだが滞在先がラスベガスであれば心配は無用。手数料無料の両替機がカジノにあるのだ。我々はここぞとばかりに小額紙幣を今後の旅行のためにいくつもつくり、財布をぱんぱんにしておいた。
カジノ内にある超便利な両替機
<グランドサークル1泊2日ツアー>
4時半の集合時間のはずだが4時50分の段階でまだ来ない。現地の緊急連絡先へと連絡するとどうやら集合時間を間違えて伝えられたみたいで正確には5時15分とのことだった。チェックアウトしてしまったので仕方なくそのまま待つ。
5時15分ほぼちょうどにお迎えがきて、出発。
今日のバンも昨日と同じく満員御礼。やはり年末なだけに多くの人が休みを利用してツアーに参加しているようだ。
我々がまず向かったのはアンテロープキャニオン。途中、ユタ州のハリケーンという街で途中休憩を挟んで約4時間半のドライブ。到着したのは11時頃。
ここでラスベガス滞在中の時差に関して注意をしたい。
昨日のセドナの場合もそうだが、ラスベガスのあるネバダ州とグランドキャニオンなどがあるアリゾナ州はもともと1時間の時差があり、アリゾナ州のほうが1時間進んでいる。またアリゾナ州はサマータイムを導入していないため、3月中旬から11月初旬までは時差がなくなる。アリゾナ州のフェニックス空港などの飛行機を利用する場合やツアーの集合時間は要注意。しかしややこしいことにナバホ族居住地はサマータイムを導入している。とにかくアリゾナ州は時間に関してはややこしいといいことは頭に入れておいておしい。
<アンテロープキャニオン>
アリゾナ州ナバホ居住地のスロット・キャニオン。スロット・キャニオンとは気の遠くなるような長い時間、雨水と砂丘が積み重なり固まってできた砂岩の亀裂に雨水が鉄砲水となり、岩を削ってできた峡谷のこと。美しくしなやかな曲線が織り成す空間とそこにわずかな隙間から差し込む光が幻想的な景観をつくりだす。
アンテロープキャニオンにはアッパーとロウワーの2箇所あり、アッパーは全長150mの短めのコース、よく絶景の写真集などで紹介されるビーム(空から光が差し空間を明るく照らす現象)はアッパーでよく見られる現象である。そのため写真を撮ることが目的であればアッパーをおすすめするが、頻繁にみられるのは太陽が真上に上がる春から秋にかけての正午前後のみだ。ロウワーは全長400mにも及ぶ長さであり、アッパーと比べて深く狭い。距離が長い分、様々なアンテロープキャニオンの表情楽しめるのと時間帯と季節にさほど左右されないのがメリットだ。
この時期のアッパーではビーム現象はみられないとのことだったので、我々はロウワーを観光する。ナバホのガイドが道案内をしてくれる。狭い中階段を登ったり下ったりするのでしっかりした靴や汚れてもいいような動きやすい服装を選びたい。またカメラもできるだけ広角ほうがいいだろう。幻想的な景観のアンテロープキャニオンを間近にしてみると、まるで絹がそのまま固まったようなに刻んだようなやわらかな線に気付くはず。そして差し込む光の加減により、砂岩は極端にその表情を変える。自然がつくりだす景観というのはここまで繊細なものなのかと驚嘆した。
最後にナバホ族のガイドが、アンテロープキャニオンが形成された変遷を実演してくれて、約1時間におよぶ観光は終了。
その後、中華料理の昼食を挟み車で約10分、到着したのはホースシューベンド。
アンテロープキャニオンのそばの火力発電所 あまりの煙の大きさに事故だとおもった
ロウワーアンテロープに入場
光の加減で様々な表情を見せるロウワーアンテロープキャニオン
女性の頭にも見える
光が洞窟内を幻想的に照らす
まるでシルクを押しあてたような美しい流線
ナバホ族のガイドがアンテロープキャニオンの成り立ちを説明
<ホースシューベンド>
グランドキャニオン上流にあるコロラド川がまるで馬蹄のように曲がった地形のためこの名前がついた。コロラド川が巨大な岩山を侵食し、川の内側・外側ともほぼ垂直に切り立った断崖絶壁の絶景が形成されている。緑のコロラド川と赤茶けた大地のコントラストの美しさに圧倒されることだろう。足を踏みはずそうなら真っ逆さまに転落しかねない危険な場所であるので、よほどの怖いもの知らずの人でない限り崖には近づかないほうが賢明である。
腰が引けているし目がいっちゃっています
滑り落ちて死人がでているというのに無謀な人
車を駐車場にとめ約1km、砂の道を歩くとホースシューベンドの姿が見えてきた。
広がる絶景、崖の近くまでいくと腰が引けてしまう。
期待以上に感動したという意味ではこの旅行のナンバーワンといってもいいかもしれない。写真では遠近感がつかみづらく、スケールに気付かなかったが、実物を見るとその光景には絶句してしまう。
ホースシューベンドを最後にこの日の観光は終了。本当はモニュメントバレーの観光をこの日に行う予定だったがこの時期は17時頃には暗くなってしまうのでホースシューベンドから約2時間、モニュメントバレー近くのナバホ族の街・カイエンタにて宿泊。
<ハンプトン・イン>
ナバホ族の街・カイエンタにあるヒルトン系列のホテル。ホテルの質としては3.5星位だが、さすがヒルトンのマネジメントだけあってサービスが充実している。無料の水やコーヒー、お茶にお湯、さらには果物のサービスまであった。室内には無料のWIFIのほか、エアコン、バスタブ、ドライヤーあり。セーフティーボックスやスリッパはない。ホテルにはレストランも併設している。周辺にはマクドナルドやバーガーキングくらいしかないので経済的に夕食を済ませたい場合は途中の売店であらかじめ購入のこと。
明日のモニュメントバレーの日の出に備えて早めの就寝。
12月30日
朝5時半に起床し、出発の準備。
朝日に照らされるモニュメントバレーを観光するためである。
7時半に朝日が昇り始めるためカイエンタのホテルの出発は朝6時45分。朝6時から朝食がスタートするため6時ちょうどくらいにレストランへ。朝食を頬張り、部屋に戻って歯を磨いてチェックアウトのため荷物を持ってフロントへ。他の参加者の方も準備万端予定時間通りに出発した。
カイエンタから約30分のドライブでモニュメントバレーに到着。だんだんと空は白けてきた。
<モニュメントバレー>
アメリカを、いや地球上のあらゆる自然現象を代表する美しき岩の彫刻、モニュメントバレー。澄み渡るブルーの空と赤茶けた大地とそそり立つ巨大な岩石、そこはまるで西部開拓時代。そのあまりに印象的な風景は数多くの映画、CMのロケ地として使われた。あたかも記念碑が並んでいるようなこの摩訶不思議な地形が生まれたのは3千年前にも遡る。ロッキー山脈の造山活動により隆起した2億7千万年前の地層が風化・侵食されたという。ナバホ族の聖地であり、現在もナバホ人が居住し、公園内を管理している。そのため一部エリアはナバホ人が運営するツアーでのみしか立ち入ることができない。
モニュメントバレーの駐車場に到着した我々はまず、展望台にて朝日を待つ。
展望台にはモニュメントバレーに立つ唯一のホテル、ビューホテルがある。ただし料金はモニュメントバレー近郊のホテルに比べるとかなり高いらしく、一部のツアーを除き、私達が泊まったカイエンタのホテルなどを利用することが多いそうだ。カイエンタのホテルでもモニュメントバレーまで近いため朝日は見ることはできるが、夕焼けや夜のモニュメントバレーは見られないのでどうしてもその時間のモニュメントバレーを見たいのであればこのホテルに泊まるしかない。
暗闇の中から黄金色の輝きを放ちながら昇る太陽を見ると、なぜか心身ともエネルギーに溢れるように感じるから不思議だ。心身がフレッシュに感じ、爽やかな気分になる。日本で日常生活をしていると日の出を見ることはない。すでに太陽は昇っていて、私にとって太陽の光はせわしない1日の始まりを意味し、時に疎ましくさえある。当然なことのように感じていたが、朝日が昇り夜だった世界に光を照らし出してくれることはなんと幸福なことだろう。
モニュメントバレーにて朝日を待つ
徐々に赤く染まっていく
モニュメントバレーから昇る朝日
朝日が昇り、モニュメントバレーが燃えるような赤に変わりゆくころ、我々はナバホ族のドライバーが案内するバレードライブに出発した。バレードライブとは文字どおり広漠たる荒野をビュート(残丘)の合間を縫って4WDでドライブするというもの。バレードライブでは高さ300m以上もあるというビュートの近くへ寄ってくれるため、その巨大さが身をもって実感できる。また展望台からでは見えないビュートが数多く存在し、モニュメントバレーが一枚の写真では収まることのない壮大なスケールをもつ場所であることがわかるはずだ。
まず降り立ったのがジョン・フォード・ポイント。西部劇映画の巨匠、ジョン・フォード監督が好んで映画に使ったという場所。3人の修道女が祈りを捧げているような姿に例えられるビュートなどを見ることができる。
左側の3本の石柱がスリーシスターズ
メリックビュート
2番目訪れたのがトーテムポールポイント。まるでトーテムポールのような長細い石柱が並んでいる様子から名がつけられた。高いもので150mの高さがある。またトーテムポールの反対側にはまるで角砂糖を落っことしたようなキューブと呼ばれる岩石がある。微妙なバランスで立っているため、いつ崩れてもおかしくはなさそうである。
トーテムポール
キューブ
3番目に立ち寄ったのがアーティストポイント。ここからの景色全てがアートに見えることから名付けられた。
最後にジャンプして写真をとるとダイナミックにとれるというポイントへ連れて行ってもらいガイドにそれぞれ撮影してもらった。あらゆる角度からビュートを堪能した我々は大満足。ナバホ族のドライバーにチップ(1人3$)を渡す。
モニュメントバレーを後にして向かうのはグランドキャニオン。途中キャメロンという街にて昼食のためナバホ族の郷土料理のレストランへ。
ガイドさんがオススメしてくれた、ナバホ族スタイルのタコスとステーキを2人でシェアした。ナバホ族の主食は、外はカリカリ中はモチモチとした揚げパン。揚げパンの上にサルサや牛肉をのせた料理が私達のテーブルにサーブされる。かなりボリュームがあるのと揚げパンが多少胃に重いので完食する人はあまり多くはないそうだが大変美味しい。なおナバホ族移住地では酒は販売されておらず、このレストランも例外ではない。
レストランを後にして、グランドキャニオンへ向かう。キャメロンからは車で30分ほどでサウスリムの南ゲートに到着。
<グランドキャニオン>
世界で最も有名な大渓谷、グランドキャニオン。その絶景はなんと東西にわたり446Km、東京から琵琶湖までの距離に相当する長さ。広大な大地が7000万年前の地殻変動によって隆起し、4000万年前から侵食・風化を繰り返していると言われている。最深部の地層は20億年前の地層と言われており地質学的に貴重なものである。ランドキャニオン国立公園はコロラド川を隔てて北側のノースリムと南側のサウスリムに分けられる。ノースリムの方が標高が高く積雪のシーズンには閉鎖されてしまう。対してサウスリムはホテルや道路、展望などが整備され、年中オープンしているため一般的なツアーではサウスリムを訪れる。
我々はサウスリムの東口から入場。
まずストップしたのがリーパンポイント(LIPAN POINT)。リーパンポイントは峡谷の幅がもっとも狭い場所(それでも16km)のため谷の奥底まで見渡せる絶景ポイントと言われている。ホースシューベンドでも感じたことだが、写真で見るよりもずっと感動した。写真で見るとコロラド川は3mほどの広さしかないように見えるが実は60mの大河であるらしい。
グランドキャニオン リーパンポイント
見ているだけで鳥肌がたってくる絶景
車に乗り込みリーパンポイントから20分ほど。次に訪れたのがヤバパイポイント。ガイドが一押しするもっとも恐怖を感じる絶景ポイントである。一枚の岩が崖に突き出ている箇所がある。まるで宙に浮いているような絶景の写真を撮影することができるが、希望者は少ない。
見ているとこっちもハラハラしてしまうヤバパイポイント
最後に立ち寄ったのがサウスリムビレッジ。サウスリムビレッジには売店、ホテル、展望台、さらにトレイルなど旅行者の起点になる場所だ。展望もさることながらグランドキャニオンにまつわるグッズ販売店や110年前に創業したEL TOVAR HOTELに訪れるのもの面白い。特にEL TOVARは西部開拓時代の瀟酒な邸宅風でありタイムスリップしかたのような雰囲気に浸ることができる。
ブライトエンジェルポイント
西部開拓時代の瀟酒な邸宅ホテル EL TOVAR
長いようで短かった1泊2日のツアーはこれにて終了。
セドナの時にも立ち寄ったルート66の街・セリグマンで休憩し、ラスベガスへ向かった。
ジョン・ラセターのサイン
ホテル到着は午後7時ごろ。
預けておいたスーツケースなどを引き取り、ストラトスフィアホテルのタクシー乗り場から空港へ。ホテルから空港へは約25$。チップ込みで30$を支払った。
搭乗するのはLCCのスピリット航空。
スピリット航空では預け荷物はもちろん、貴重品以外の手荷物も有料。カウンターで対面でのチェックインも有料という徹底ぶり。機内でも「スピリットの機内でタダなのは空気だけ」という冗談にも聞こえないアナウンスで機内は笑いの渦へ。
空港内のウェンディーズにて夕食を食べた後、夜行便でワシントンのボルチモア空港へ向かう。
12月31日
朝7時にワシントンDC近くの空港、ボルチモアに到着。同じアメリカだがラスベガスのあるネバダ州とワシントンDCでは3時間の時差があるので、7時といえども体内時計は午前4時の真夜中である。
ボルチモア空港からは無料のシャトルバスで空港駅へ。
空港駅からワシントン中心のユニオン駅へは2種類の列車がある。
アムトラックとマークである。アムトラックであれば15$、マークであれば7$。所要時間も乗り場も同じの列車で、こんなに料金が違うのに普通マークを選ぶと思うのだがどうなのだろう。どういうシチュエーションでアムトラックを選ぶのかが知りたい。
列車に乗り込み約40分、ユニオン駅に到着。
スタイリッシュなショッピングモールのようなユニオン駅を抜け、この日のホテル、ハンプトンインへは歩いて移動する。
<ハンプトン・イン>
グランドサークル1泊2日ツアーでも使ったハンプトン・イン。ユニオン駅からは徒歩20分程度。ここワシントンでも質・サービス共に申し分なかった。コーヒー、お茶、お湯は無料。室内ではもちろんWIFI無料で冷蔵庫、バスタブ、ドライヤー、レンジ、セーフティーボックスも完備。近くにコンビニ的なものはないが、スーパーマーケットのセーフウェイが徒歩5分にある。スミソニアン博物館のあるモール地区までは徒歩15分ほど。
まだ朝の9時とあってチェックインはできないので、荷物だけ置かせてもらい。ワシントンDCの観光へでかける。
<ワシントンDC>
アメリカの首都、ワシントンDC。アメリカ独立戦争後、発足した新連邦政府の首都をどこに決定するかは大きな問題であった。初代大統領ワシントンの就任式は、名実ともに政治・経済の中心地であったニューヨークにておいて行われたが、独立戦争において多額の負債を抱えたニューヨーク州をはじめとした北部の都市は困窮する。独立戦争のために抱えた負債を新政府が肩代わりすることになったが、それに反対したのが、ヴァージニア州など負債のない南部。それまでの歴史と政治の中心であった北部、経済的な余裕があり首都を南寄りに置きたい思惑のある南部。妥協案としてメリーランド州とヴァージニア州に挟まれたポトマック川湖畔にコロンビア特別区ワシントンを設置したのだった。恒久的な首都の役割を果たすため大統領官邸、国会議事堂、最高裁判所などの政府機関をはじめ機能的に配置した都市として計画的に進められ、実際首都として起動したのは首都に制定されてから8年後のことであった。8年越しの都市建設の結果、ワシントンDCは超大国アメリカに相応しい自由で開放的な雰囲気をもった特別な場所になることに成功したのはご存知のとおりである。
ワシントンDCは政治の中心の都市であるとともに、地球と人類の遺産を網羅する世界最大の博物館群を有する都市でもある。その多くはイギリス出身科学者・スミソンが遺産を基金として造られたため、「スミソニアン博物館」と一括りにされる。ワシントンDCの国立公園ナショナルモールの通り沿いには国立航空宇宙博物館、国立アメリカ歴史博物館、国立自然史博物館、ナショナルギャラリーを始めてとして、国立アフリカ美術館、国立アメリカ・インディアン博物館、国立公文書館など。変わったところでは肖像画美術館、郵便博物館、ホロコースト記念博物館、スパイ博物館まである。しかも素晴らしいことにそのほとんどの博物館・美術館の入場は無料である。これはアメリカ政府の財源と寄付・寄贈、出版物・ミュージアムショップからの利益によって賄われているためである。
ワシントンDCはホワイトハウスや国会議事堂など政府機関、さらにキング牧師の演説のあったリンカーン記念堂などの歴史的な場所、および世界でもっとも大規模で多岐に渡る博物館・美術館群をもつ、アメリカ史の観光という点では最も重要な都市と言っても過言ではない。
ホテルをでて私たちがまず向かったのはホワイトハウス。意外に小さくてびっくりした。近くのアイゼンハワー行政府ビルや財務省の建物の方が重厚感があり立派に見えるのは、ホワイトハウスが邸宅だからだろうか。おそらくクリスマス休暇でオバマ大統領はハワイにいると思うので、一緒に年を越せないのは残念だ。
FBI本部
意外に小さかったホワイトハウス
次に向かったのは国会議事堂。ホワイトハウスではツアーは現在行っていないが、国会議事堂は無料のツアーを行なっており、WEBで事前申請が可能だ。国会議事堂の内部に入場するにはツアーに参加しなければならない。我々は12時に予約をしていたので予約時間の30分前に到着するように国会議事堂正面裏手のビジターセンターへ向かう。ビジターセンター入り口で荷物検査。食べ物と液体は一切中に持ち込みができないので注意しよう(カメラはOK)。その後、受付でツアー参加者の証であるシールを受け取り、見えるように服の上から貼り付ける。まず国会議事堂についてのオリエンテーションのビデオ(10分ほど)を見せられて、15人ほどのグループに分けられ、ヘッドフォンを渡される。あまりに参加人数の多いツアーなのでガイドの説明が皆に聞こえるように配慮されているのだ。ツアーは40分ほど、もちろん英語のみ。彫刻の広間や議事堂内の絵画の説明があるだけで実際の議場などはツアーに含まれなかったので多少残念ではあった。また議事堂のドーム部分は修復中であったためワシントンDCの中でも最もシンボリックな景観を拝めなかったのも心残りではある。なお改築終了は2016年中を予定しているとのこと。
国会議事堂内部見学ツアーWEBで予約可能 無料です。
国会議事堂を後にし、向かったのは国立航空宇宙博物館。以前ワシントンDCに滞在したことのある妻のオススメの博物館の一つ。1903年、人類初の動力飛行に成功したライト兄弟のフライヤーから宇宙船や日本の零戦まで、航空機に関しての歴史と軌跡を解説・展示している。まず飛行機やスペースシャトルの一部が実物大で展示されているのに圧倒される。さらにミサイル、月の石、スペースシャトル内部の展示などの貴重かつ膨大なコレクションに驚かされる。まるでテーマパークに来たかのようにワクワクできる博物館である。
国立航空宇宙博物館
資料的な価値のある本物の飛行機が所狭しと並ぶ
その後、ナショナルギャラリーに入場。アメリカのみならずイタリア美術、13〜20世紀のヨーロッパ絵画のコレクションをもつ世界最大級の美術館。主な収蔵品はレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、エル・グレコ、ルーベンスにレンブラント、フェルメールなど誰もが知る有名な画家の作品が収められている。
膨大な作品集をもつナショナルギャラリー
夜行便で今朝ワシントンに到着した上に、ホテルで休むことなくそのまま観光にきた我々はこの膨大な作品の前に疲れてしまい、午後4時近くになってホテルにチェックインできるだろうということで、ナショナルギャラリーを早々に立ち去りホテルで休憩をすることにした。入場無料だからできるわざである。
ホテルで休憩した後、近くのスーパーマーケット・セーフウェイで買い出し。
またこの日は大晦日なので、ワシントンDCの中で賑やかな場所に行こうということで、もっとも飲食店多いエリア、デュポンサークル周辺へ歩いて向かう
時刻は夜8時過ぎ、しかしワシントンDCの街中は大晦日であることを全く思わせないような静寂ぶり。大騒ぎしているのはニューヨークだけなのだろうか。
一部のホテルでパーティーをしているようだが、不特定多数の人々が集まりカウントダウンをするような場所はなく、いそいそとホテルに戻りスーパーで買ったお惣菜をつつきながら、ニューヨークでのカウントダウン中継する歌番組を見てしっぽり新年を迎えた。
大みそかにも関わらず繁華街のデュポンサークルも静か
1月1日
アメリカの元旦。
日本みたいな正月番組はないようで、正月らしい音楽も街中を騒ぎ立てない。一部のお店はお休みをとるお店もあるが博物館や美術館、レストランのほとんどは元旦も営業。日本みたいにお祭り騒ぎやイベントをすることも都市柄なのかあまりなさそうだ。これはこれで落ち着いていていいと思う。日本はクリスマスも正月も何事も経済的な面が優先されすぎる。
遅めの朝食を食べて、ホテルを出る。
ホテル近くのバス停でバスに乗り(1.75$)まず向かったのはリンカーン記念館。歴代アメリカ大統領でもっとも偉大な大統領と言われるほど未だ人気の高いそうだ。ギリシャ神殿風の建物の奥には椅子に腰掛けた巨大なリンカーン像。大理石で作られたこの像の高さは5.8m。精巧に作られた像の目線は、国会議事堂とその先を見つめているようだ。壁にはゲティスバーグでの有名な演説が刻み込まれている。なおリンカーン記念堂は様々な演説に利用されており1963年のマーティン・ルーサー・キングの演説もここで行われた。
リンカーン記念館近くにある国立科学アカデミー アインシュタイン像
精巧で巨大なリンカーン像
ワシントン記念塔とカモ
リンカーン記念館を後にして入場したのが、国立アメリカ歴史博物館。アメリカの歩んだ歴史をゆかりの品を紹介しつつテーマごとに展示している博物館。個人的にはアメリカのイノベーションと題した展示物が面白かった。ファストフードの海外展開とそのローカライズに初めて成功したマクドナルドの日本の看板。コンピューターに初めて採用されたマウス。焼き菓子からヒントを得たというワッフルソールのナイキ初期のスニーカー。世界で初めて開発されたというGM社の電気自動車。最近のものだとiPodやiPhoneの初期のモデルも展示されていた。
国立アメリカ歴史博物館 iPodにウォークマンも
その後、私の妻一押しの国立自然博物館へ。2009年の映画「ナイトミュージアム2」の舞台にもなった。スミソニアン協会が所有する資料の90%以上のコレクションをもつという博物館。先カンブリア時代の化石に始まり鉱物・宝石の展示、さらには恐竜の骨から鳥や魚、動物の剥製、生きている昆虫や蝶などの標本、さらにはミイラにアメリカや他国の貨幣、IMAXでの映像上映など挙げだすときりがない。私が特に気に入ったのはモアイ像。イースター島にいった妻が言うにはイースター島でみるよりもモアイ像に近づけるそうだ。国立自然博物館内のカフェテリアにて昼食。
イースター島よりも近い距離で見られるモアイ像
国立自然博物館には巨大動物のはく製もおおい
持つものは不幸になるという45カラットのホープダイアモンド
鑑賞を続けるのにも疲れてきたのでホテルに戻ろうということで、最後にもう一つホテル近くの国立肖像画美術館へ向かう。途中、面白そうな建物があったので興味本位で入場するとリンカーン博物館とも言える、「ピーターセンハウス」であった。ピーターセンハウスとはフォード劇場にてリンカーンが狙撃されたあと、瀕死のリンカーンが運び込まれた劇場向かいの民宿である。リンカーンの生い立ちや功績と暗殺後の狙撃犯も含めての事件も含めて解説されている。いかにアメリカ人とってリンカーンが尊敬されているかがわかる博物館だ。入場も無料である。
そして本来の目的地である国立肖像画美術館へ。肖像画をメインで収集しているちょっと変わった美術館。年代ごとの政治・芸能・文化の著名人の肖像画、さらにはスポーツ選手の特集など様々な肖像画が展示されている。日本でも有名な人はもちろんあまり知られていない人まで様々だ。なお現代芸術などを展示するスミソニアン・アメリカ美術館も併設されている。
国立肖像画美術館
現代芸術もある
ようやくホテルに到着。1日でミュージアムを4件もまわってきた。日本ではなかなかできない。入場が無料であると、入場券を購入するのに並ばなくてよいのが何より楽だった。少し飽きたら気軽に他へ移動できるのも気に入った。こんなに大規模な博物館・美術館を維持しながらも入場を無料にするというアメリカの心意気に感動した私だった。
1月2日
朝6時半に起床して出発の準備と朝食。
朝8時に出発するニューヨーク行きのバスに乗るためだ。
バスはワシントンDCのチャイナタウンのエリアから出発する。7時40分くらいにバス乗り場に到着。すでにバス乗り場には列ができていた。まずバスの待合室の中のカウンターでチェックインを行ってからバスに乗車。バスに乗る人々の人種は多種多様であった。中国人、インド人、アフリカ系など
ワシントンDCを8時に出発してニューヨークに到着したのは12:30。途中1回、サービスエリアにて休憩があった。
私は2回目、妻は3回目のニューヨークである。
ニューヨークのマンハッタン、イーストビレッジの辺りで乗客は降ろされる。そこから我々は地下鉄駅に向かいニューヨークの宿をとったクイーンズに向かう。
クイーンズはマンハッタン島から見て東側の地区だ。
地下鉄はシングルライド(1回乗車券)で3$。これまでの都市と比べると交通公共機関の移動費は高めである。最寄りの駅でおりて、ホテルへ向かう。
<カントリー・イン&スイート>
クイーンズ地区にある3つ星ホテル。ホテルから地下鉄までは徒歩4分程度だが駅からホテルまではお店が少ないので夜中の一人歩きは不安を感じる方もいるかもしれない。ホテル隣にはガソリンスタンドがあり、スーパーが併設されているのでちょっとした買い物には便利。室内は清潔で特に古さは感じさせない。冷蔵庫、エアコン、ドライヤー、レンジ、バスタブあり。セーフティーボックスはない。無料のWIFIはあるにはあるがホテルロビーのエリアしか電波は拾えない。
クイーンズのカラフルな街並み
ホテルチェックイン後、ワシントンで買っておいたカップラーメンで昼食。
そしてホテルをでてニューヨークの観光に出発。
<ブルックリン>
我々が向かったのはウィリアムズバーグ。前回、ニューヨークに訪れた時はマンハッタンに宿をとったため、ブルックリンに行くこともなかったが最近ブルックリンの話題を耳にすることが多くなってきたと感じ、マンハッタンよりもまずブルックリンに訪れたかった
ブルックリン区のウィリアムズバーグは近年注目が集まるブルックリンの中でも流行に敏感なエリア。年々高まるマンハッタンの地価の高騰を受け、イーストビレッジに住んでいた若いデザイナーや料理家がこのウィリアムズバーグに移り住んだと言われている。センスはあるけれども資金的にマンハッタンに店を出すのは難しい、そんな若いエネルギー溢れる挑戦的なニューヨーカー達がこのエリアにこぞって店をだし、今やアパレルブランドのみならずカフェやレストランの激戦区となっている。
ブルックリン ウィリアムズバーグのレストラン
ウィリアムズバーグに来たなら避けては通れないのがブルックリンブームの火付け役の一つであるクラフトビール工場「ブルックリン・ブリュワリー」。せっかくニューヨークに来たなら出来立てのローカルビールが飲みたい!とやってきた我々を待ち受けていたのは長蛇の列。ここまで来て引き下がれないと思いつつ寒空の中40分近く待つ羽目に。中に入りようやく生ビールをいただく(1杯5$)。この工場でしか飲めないというディフェンダーという種類だ。フルーティで口当たりは軽く、後味はほんのりビターなコクが残るという深みのある味わい。ブルックリン地区はドイツ移民が多く住んでいた地域であるため、芳醇で味わい深いビールが生み出されたと言われている。長時間ビールのために寒い中待っただけあってかなり美味く感じた。
アメリカンビールのトレンドを変えたブルックリン・ブリュワリー
ここでしか飲めないというディフェンダー
ブルックリン・ブリュワリーを後にして向かったのはビール工場の隣にある「ワイスホテル」。古い縫製工場をホテルにリノベーションしたというレンガ造りのお洒落な外観。このホテルを有名にしているのが6階のルーフトップバー。ブルックリンにはマンハッタンのような摩天楼はないため、実はニューヨークの夜景を見るのに最適なのだ。このワイスホテルの屋上から見えるイーストリバー越しマンハッタンの夜景はロマンティックと大評判。しかし我々がワイスホテルの前に到着したころにはちょうど夕食どきということで、すでにルーフトップバーに入ろうとする観光客で列をなしていた。ブルックリン・ブリュワリーで並び疲れたので、ワイスホテルはパスすることにした。残念。
そして個人的に思いれがあるのが次に向かった「ラフ・トレード」。もともとはロンドンを拠点にするレコード・CDショップ兼オルタナティブロック系のレーベルである。そのレコードショップのニューヨーク支店がここだ。特に1970年代後半から1980年代前半にかけてのこのレーベルの勢いはすごかった(もちろん後追い)。才能あるアーティストを次々と発掘し、歴史的な名盤に数えられる作品をリリースし続けた。ポップグループ、スミス、スクリッティ・ポリッティ、最近だとリバティーンズ。ラフ・トレードがリリースした企画盤もよく聞いた。店内に流れる音楽やプッシュしている音楽は私好み。今の時代も受け継がれるこのセンス、やっぱ好きだわラフ・トレード。大学時代にCDの貸し借りをした友人用にお土産のトートバッグを購入した。
有名レコードレーベルのNY支店 ラフ・トレード
ここでしか飲めないというディフェンダー
そして日本でも一部高級食材店で取り扱いのある「マスト・ブラザーズ」へ。マスト・ブラザーズはカカオとサトウキビのみを原材料として利用し、すべての工程をショコラティエ作るという「BEAN TO BAR」の徹底的なこだわりのチョコレート・ショップ。店内に入ると甘くてほろ苦いカカオの香りが漂い、チョコレート屋の概念を覆す高級ブティックのような内装とディスプレイに驚く。一枚板チョコが約10ドルという日本では考えられない価格設定にまた驚く。店内では希望すれば試食もできる。私達は板チョコを購入しなかったが代わりに大きめのチョコチップクッキーを購入(4$)。クッキーの甘しょっぱい味は最近のブルックリンのトレンドらしい。近くのデリカテッセンでコーヒーをテイクアウトし、クッキーをちびちび食べ、時折あまじょっぱい口の中へオーガニックコーヒーで流し込んだ。
BEAN TO BARの徹底的なこだわりのチョコレート・ショップ マスト・ブラザーズ
ウィリアムズバーグ橋を歩いて渡り、マンハッタンへ。
この日の夕食はイーストビレッジのKATZへ。KATZはそのあまりにボリューミーなパストラミ・サンドイッチが有名なデリカテッセン。創業は1888年の老舗で店内に入ると沢山の著名人との写真が飾られている。かつては13$程度だったパストラミサンドは、お店自身が名所と化してしまったことと周囲の再開発で地価が高騰してしまったことから今は20$ほどへ値上げ。しかし20$払ってでもそのサンドイッチ食べ応え充分。サンドイッチには巨大なピクルスがつくので女性2名であれば2人でシェアしてちょうどいいくらいであろう。パストラミはおつまみにも抜群なので是非ビールと一緒に注文して楽しんでほしい。
ウィリアムズバーグ橋のたもとにあったパブリックアート
KATZのパストラミサンド
KATZを後にしてホテルへ戻る。あまりに楽しいニューヨーク再訪。ニューヨークは奥が深い。
1月3日
ニューヨーク2日目、朝9時近くに起床し朝食後10時にホテルをでて観光へ。
<ブリックリン・ダンボ地区とマンハッタン>
まず向かったのがダンボ(DUMBO)。ダンボとはDOWN UNDER THE MANHATTAN BRIDGE OVERPASSの頭文字、つまりマンハッタンブリッジ高架下のエリアの通称である。マンハッタン橋のたもとから見えるマンハッタンの高層ビル群の美しい眺望を楽しむために川沿いの公園は多くの人々が訪れていた。かつてはマンハッタンからのアクセスが良さからこの辺りのエリアは倉庫街・工場街として発展した。しかし1970年代後半からニューヨーク近辺での製造業が衰退し始めたのを契機に変貌し始め、廃工場や古い倉庫の外観を利用したギャラリーや飲食店、インテリアショップなどが続々とオープンし今やニューヨークを代表する観光地の一つとなっている。
まずダンボ地区のコーヒーショップ、ブルックリン・ロースティング・カンパニーへ。ここは倉庫を改築したような巨大なサードウェーブコーヒーのカフェ。焙煎所を店内に備え、常に香ばしいコーヒーの香りが漂う。ここでコーヒーを購入して、歩いてマンハッタンブリッジとブルックリンブリッジのたもとに広がる大きな公園、ブルックリン・ブリッジ・パークへ。
ブルックリン・ブリッジ・パークはイーストリバー沿いに広がる開放感溢れる公園である。家族連れや観光客の憩いの場所である。ここからマンハッタンの景色を楽しみ、ブルックリン橋を歩いてマンハッタンへ向かう。
倉庫のようなコーヒーショップ、ブルックリン・ロースティング・カンパニー
ブルックリン ダンボ地区から見るブルックリンブリッジの眺望
ブルックリン・ブリッジ・パーク
ブルックリンブリッジはロウアーマンハッタンとブルックリンのダンボを繋ぐ、世界で初めて鋼鉄製のワイヤーを使った吊り橋。アメリカで最も古い吊り橋の一つで開通は1883年まで遡る。前日にウィリアムズバーグブリッジも渡ったが、ブルックリンブリッジの方が金網が少ないため景色がよく見えた。橋を渡るのであればブルックリンブリッジがオススメ。
眺望のよいブルックリンブリッジは歩いて渡るのが人気
サイクリングロードとしても人気のブルックリンブリッジ
ブルックリンブリッジを渡った後はアメリカ旅行の最後を記念してアメリカらしいところで食べようということでウルフギャングス・ステーキハウスへ。最近東京の六本木にも支店を開いたというニューヨークの有名ステーキ店である。私はリブステーキ・ケイジャン風味をオーダー。サーブされた肉はさすがアメリカだけありスケールが違う。厚切りの熟成肉のカリッとした焼き上がりとジューシーな食感。最後にふさわしい食事だった。
ウルフギャングス・ステーキハウス
トライベッカから見えたカラフルなマンション
トライベッカの街並み
豪快なランチを終えた後、向かったのがマンハッタンの南端のバッテリーパーク。ここから自由の女神像を近くで見るためのフェリーに乗船する。スタテンアイランドフェリーはスタテンアイランドとマンハッタンを往復するフェリー。本来は自由の女神像を見るためのフェリーではなく、公共交通機関のため24時間運行でなんと運賃は無料。自由の女神像が立つリバティアイランドには上陸はしないが自由の女神像やマンハッタンの夜景を気軽に楽しめるとあって観光客に人気だ。間近に見たい方はリバティアイランドに上陸するスタチュー・クルーズやヘリコプターでの遊覧飛行など楽しみ方もいろいろ。
バッテリーパークのリス
無料のスタテンアイランドフェリーからみる自由の女神
フェリーからみるマンハッタン
スタテンアイランドからマンハッタンに戻ってきた我々が向かったのが、トレーダー・ジョーズというスーパーマーケット。明日の夕方にニューヨークを発つのでお土産はこの日中に買っておきたい。トレーダー・ジョーズは前回もニューヨーク滞在の際に訪れたことのあるスーパーマーケットなのだがいつも混んでいる。それもそのはず、扱う商品はオーガニックなものばかり。しかもほぼ自社製造のプライベートブランド。お値段は他のスーパーと比べてかなり据え置きとなっている。もちろん味よい。
お土産を買い揃え、ホテルに戻る。
ホテルにてスーパーで購入したチーズとインスタント麺の夕食。
1月4日
朝8時に起床して朝食とチェックアウトの準備。
この日私は夕方の便で日本に向けて出発する。妻は仕事を辞めてきたのでもう少しアメリカの滞在を楽しんで帰国する予定だ。
チェックアウトし妻は次の宿へ荷物を置いておく間、私はタイムズスクエアへ向かう。
<タイムズスクエア>
タイムズスクエアに何かがあるわけではないのだが、ニューヨークに来たからにはやはり立ち寄りたくなる場所だ。以前ニューヨークに訪れた際は夜でとにかく寒かった。今回訪れた日も同じくらい寒い日だった。昼間にもかかわらずタイムズスクエアは渋谷のスクランブル交差点と新宿東口を合わせてもかなわないくらいのネオンと巨大ビジョンで囲まれており、この一画にいると今が昼なのか夜なのか分からなくなってくる。世界中の企業がタイムズスクエアに店や広告を出したがり、訪れる度に宣伝する企業や出店している店は変わり、ここに来る度に時が流れていることを実感する。
タイムズスクエア駅地下鉄のモザイク
タイムズスクエアは昼でもネオンがまぶしい
妻とはゼイバーズで待ち合わせ。ゼイバーズとはアッパー・ウエスト・サイド店を構える老舗のスーパーマーケットである。昨日トレーダー・ジョーズで買い物をした後トレーダーズに来たのだが営業時間が夜の7時くらいには閉めてしまうらしく、すでにやっていなかったのだ。ここのサーモンが美味しいと評判との口コミをネットで妻が見たらしく行ってみたいらしい。そう言われると食べたくなってきてしまう私ものこのこついて行くことにした。
ゼイバーズの鮮魚コーナーではサーモンの切り身をその場でさばいてくれる。
クォーターパウンドで約10$。クラッカーも買って、ホテルでコーヒーを入れたタンブラーとともにセントラルパークへ移動しピクニックランチ。
とにかく広いセントラルパーク。都会のど真ん中にこれほど巨大な公園をつくるなんてさすが自然が大好きなアメリカ人。日本だったらこんな一等地を公園にするかな?高層ビル群を作り上げるか、巨大なシッピングセンターなどの複合施設をつくりお金が集まるような場所にするだろう。
その後、妻と別れ私はJFK空港へ。無事何事もなくアメリカ旅行を終えたのだった。
(2015年12月 橋本康弘)
- 75ヵ国くらい旅行して初めてハワイに行ってきました〜アメリカ横断紀行・上〜
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エリア:
- ハワイ>オアフ島>ホノルル
- ハワイ>ハワイ島>ハワイ島
- テーマ:買物・土産 世界遺産 グルメ
- 投稿日:2016/03/11 14:47
人生初ハワイです。
弊社ファイブ・スター・クラブは辺境への個人旅行手配から始まった旅行会社です。そのため新卒で入社した私たちの様な社員は、ハワイに見向きもしなかった旅行好きやバックパーカーあがりのスタッフが多く、弊社の中ではハワイはアフリカや南米よりも「辺境の地」ともいえるのです。しかし海外旅行先としてド定番のハワイ。海外旅行を専門としている会社のスタッフとしては避けては通れない道です。お客様からも「ここはハワイのワイキキのようなところ?」のようなハワイ例えで聞かれることも多く、その時はなんとなくお茶を濁していていましたが、これからは胸を張って答えられるというものです。
また前々からハワイに対する妄想は私の中で膨らんでいました。何しろリピーター率が50%以上、どこにでも行けるであろうお金持ちな有名芸能人だって年末はハワイを選びます。あの世界中旅したと思われる沢木幸太郎も結局ハワイが一番好きだというのです。テレビの旅番組もハワイばかりです。なぜグルジア(ジョージア)、エチオピア、ラオスも旅行先として大変面白い場所であるにも関わらず、ハワイが何度も特集されるのでしょうか?それはハワイがよほど素晴らしい場所だからに間違いありません。そんな期待を胸にホノルルのあるオアフ島とハワイ第2の人口を誇るハワイ島に旅立ちました。
〜スケジュール〜
12/18 日本発・ホノルル着・観光 【ホノルル泊】
12/19 カイルアへ 【ホノルル泊】
12/20 ノースショアへ 【ホノルル泊】
12/21 ホノルル観光 【ホノルル泊】
12/22 ハワイ島へ 【ヒロ泊】
12/23 ワイピオ渓谷とホノカア観光 【ヒロ泊】
12/24 ハワイ火山国立公園とコナ観光 コナ発アメリカ本土へ
〜アメリカ横断紀行・下に続く〜
12月18日
伊丹空港から成田乗り継ぎのユナイテッド航空ホノルル行きへ。
クリスマスまで1週間も前にもかかわらず全席満席なのはやはりホノルル行きならではなのだろうか。ホノルル行きは人気路線でありながら意外にもテレビモニターがついておらず、一昔前のジャンボジェット機のような趣だった(ビジネス席のみTVがついていた)。我々は運良く後方の並び2席を陣取って一路ホノルル前で向かった。ホノルルまでは約6時間半。日本からバンコクへの直行便と同じくらいだ。毎度使うカタール航空、エミレーツ航空や南米に行くためのアメリカ線と比べればほんとに些細な距離である。近所と言っても差し支えない。アメリカ系の航空会社でありながら成田/ホノルル線はビールやワインが無料なのが嬉しい。また照り焼きチキンの機内食もなかなか美味しかった。
朝6時半、オンタイムで無事ホノルルへ到着。
しかしいくら日付変更線のマジックだとしても、同日の19時に成田を出たのに朝6時に着くのは驚きだ。同じ日がもう一度朝から楽しめるのだから。これからホノルル行きの飛行機は「身近なタイムマシン」と呼ぼうと思った。一方で、これまで時差ぼけというものを心底苦痛に感じたことは一度もなかったが、ハワイから日本に帰るのはさぞ時差ぼけに悩まされるだろうと思った。ハワイが夜中の23時の時、日本は18時だ。ハワイから日本に帰ってもまたハワイに出発した時間とほぼ同時刻に日本に到着するわけである。
12月のホノルルの空港はパプアニューギニアやフィジーでも感じたようなしっとり海の水分を含んだ暖かさで、真冬の日本から来た我々をほっこり包んでくれた。また空港で用いられている木材を使用した温かみのある調度品は伝統技巧を駆使したと思われる匠の品々でいかにも「南国に来た」という気分にさせてくれる。
そんな南国気分の我々を一瞬にして打ちのめしてくれたのは、入国審査のとき。妻と二人で入国審査を受けた後、二人して審査官に連れて行かれる。特段怪しいことはこれまでもしたことはもちろんないのだが、私のパスポートにイエメン、アルジェリアをはじめとして中近東のスタンプが押されすぎているというのが大きな理由である。これまでもアメリカ入国の際は何度か別室に連れて行かれたことがあるので薄々予感はしていたものの(他の国ではほとんどない)、まさか楽園・ハワイでこのようなこととなるとは。しかも妻も道連れ。理由を説明しようやく1時間後解放。常夏の楽園・ハワイはそれでもアメリカである、と事実をイヤというほど突きつけられた出来事であった。イエメンやアルジェリアに行く旅行好きはハワイには一般的に行かないのだろうか。ともかくファーストインプレッションとして最悪の部類に入った我々のハワイの旅はこうして始まった。
ホノルル空港からは乗り合いのシャトルバスでホテルへ向かう。ホノルル空港ではまず市内までどうやって行くが大事な問題である。ホテルしか予約していない我々にとっては公共バスかタクシー、レンタカー、それともシャトルバスかになるわけだが、公共バスはスーツケースの持ち込みはNGなので適さない。タクシーは市内まで約40$、さらにチップやスーツケースなど荷物の詰め込みに追加料金がかかるとなると我々には少し高い(そもそも空港から市内まで20分たらずなのに高すぎるとおもいませんか?)。レンタカーも考えたには考えたが運転に不慣れでもあるし、2人で1日1万円程度の金額は安いとは言えない。駐車料金も考慮するとお得ではなかった。結局、市内まではシャトルバスを利用し、オアフ島を散策するには公共バスを利用することにした。公共バスは一応オアフ島の観光スポットを網羅しているし、1回の乗り継ぎまでであれば一律2.5$で乗れる。場合によってはオアフ島を一周しても2.5$で行けるのだから驚きだ。
シャトルバスは同じエリアの乗客を降ろしながら各ホテルへ向かうので、空港を出てから約30分かかって、最初のホテル、SEASIDE HAWAIIAN HOSTELに到着
<SEASIDE HAWAIIAN HOSTEL>
ワイキキビーチまで徒歩7分ほど、観光客で賑わうクヒオ通りから一転、ひっそりとした裏路地にあるホステル。もちろんハワイに来たからには私だってホステルに好き好んで泊まりたくはないがハワイ中心部で安ホテルを探すのは至難の技である。ハワイに来たからには最初の数日は観光に費やすだろうということで2泊はこのホテルにした。酔っ払いが入ってこないように入口には頑丈な門がある。チェックインのために我々は門に備え付けられたブザーを鳴らして中に入れてもらう。一通り設備の説明を聞いて部屋へ。部屋は個室ではあるものの、ドミトリーの奥に部屋があるため、自分の部屋に入るのにいちいちドミトリーの住民に挨拶しないとならないのが億劫だが、まあしょうがない。トイレ・シャワーはもちろん共同である。朝食はパンとワッフル、コーヒー、紅茶、水が無料。キッチンもあるので食費が高いハワイでは助かる。WIFIは無料で使える(あまり強くない)。
チェックインは12時からできるとのことだったので、スーツケースなどの荷物を預け身軽な格好でホノルル観光に乗り出した。
ホステルを後にした我々は、早朝の機内食から何も食べていなかったので、まず朝食を食べるために、ワイキキビーチまでぶらぶら。途中、ハワイのコンビニの代表格とも言えるABCマートがあり、そこで水とバナナを購入しとりあえず空腹を満たす。妻がスパムむすびで有名な店があるというのでその「IYASUME」でプレーンのスパムむすびと、玉子焼きとキュウリとのスパムむすびを購入した。2つで4.5$くらい。それらをもってワイキキビーチのデューク・カハナモク像の前のベンチで食べる。ハワイの空の下、海の前で食べるスパムむすびはもちろん美味しい。玉子とキュウリのスパムむすびはキュウリのシャリっとした食感と玉子焼きの甘みとスパムの相性が見事で大変美味であった。
スパムむすび
軽く朝食を済ませた我々は次の行き先を思案していると、目の間にピンクラインと書かれた二階建てのバスが目の前の停留所に止まった。バスの車体にはJCBカードを見せればタダになるとの文字。どこに行くかはわからないが日本人観光客向けのバスが辺鄙なところに行くはずもないのでとりあえずバスに乗り込んだ。もちろん席は2階に陣取る。ピンクラインのパンフレットを読むとどうやらアラモアナショッピングセンターに立ち寄るようなのでそこで降りることにした。まさかハワイ到着初日からショッピングセンターに来るとは思わなかったが、私はハワイに来てまずやりたいことがあるのでちょうど良い。それはシムフリーの携帯を買ってハワイとアメリカ本土で使える携帯会社で契約することだ。早速アラモアナショッピングセンターで妻と集合場所と時間を決めて解散した後に私が向かったのは携帯ショップ。店員にアメリカと日本で使えるシムフリーの携帯を買いたいと相談し、またどこの携帯会社がいいかもアドバイスをもらった。携帯を購入した後は、AT&Tという携帯会社の店舗に訪れた。旅行期間が20日間である旨とアメリカ全土で使うこととネットの利用がメインであることを伝えて一番私に合うプランを選んでもらった。1ヶ月有効の5ギガまで通信ができる60ドルのプランで安いとは言えないが、今回のようなバックパック的な旅行の場合、常時つながる携帯電話を持つことは何よりの助けになる。このくらいの出費はやむを得ないだろう。
アラモアナショッピングセンターからは同じくピンクラインのバスでホステルの最寄りのバス停で降りて、ホステルへ向かう。12:30ごろホステルでチェックインを済ませた後はシャワーを浴びて一休み。夜行便で到着したため妻は疲れたようでぐっすり眠っていた。私もつられて昼寝。
起きたのは午後4時ごろ。そろそろ朝のスパムむすびで蓄えたカロリーが底をつきそうだったので、近くで評判のレストランを探す。チーズケーキファクトリーという有名店があるらしくそこに行くことにした。夕食時になると、行列ができるほどの人気ぶりらしいが、まだ夕方前のため並ぶことなく入れてラッキー。店名からも分かるとおりチーズケーキが有名な店だがパスタやピザなんかも売られている。私達はビール一杯ずつとチーズケーキ一つ、ピザとサラダのランチセットを一人前オーダーした。チーズケーキとピザとサラダは一人前にしては巨大すぎてシェアするにはちょうど良かった。もちろん美味しかった。チップ込み2名で56ドル。
ここはアメリカ とにかくビックサイズ
そのあとはワイキキビーチを散歩しホノルルズーを抜けた場所にあるJAMES AFTER BEACH CLUBという日本の旅行雑誌に紹介されていた洋服屋でTシャツを購入。これがなかなか洒落ており日本で着ていても恥ずかしくない。私はよく海外の旅行先でTシャツを購入するがハワイでは生地と柄、サイズの三拍子揃った気が利いているTシャツがたくさん売られている。
その後ヒルトンホテルで金曜の夜のみ繰り広げられる花火を見るためにホノルルビーチへ歩いて戻る。しかし降り出した雨が徐々に強くなり、花火の始まる19:00過ぎても始まる気配がなかった。しかたなく雨宿りも兼ねてワイキキのお店をウインドウショッピングする。そうしていると雨脚も弱まりだし、爆発音が空に響いた。花火が始まったようだ。しかし高層ビルに隠れて花火がよく見えない。花火をよく見ようとビーチまで行くも、時すでに遅し。ビーチに到着した時にはすでに終わっていた。がっかりしたが、帰り道フルーツのアイスクリームで有名な「高橋果実店」に立ち寄りジューシーなフルーツアイスを購入。うきうきした気分の中、ホテルに戻った。
最初の印象は悪かったけど、やっぱハワイいいかも。
高橋果実店の手作りアイス
12月19日
ドアのノックする音で目をさます。
そうだ、昨日部屋の電球がつかず修理を頼んでいたのだ。私は眠気まなこでいかつい刺青を入れたハンチング帽の細身のおじさん出迎えた。おじさんは電動ドライバーで電球の取り付け部分のネジを外し中のケーブルを繋げ直し再度ネジを締め直した。電球が灯るのを確認して、ここを強く引っ張らないように、と注意し出て行った。
ホステルの朝食である食パンとワッフルとコーヒーを食べて、観光に行く準備を整えた。
この日はカイルアに向かう。
<カイルア>
カイルアはホノルルから車で30分、戸建ての家が並ぶローカルな街だ。街はタウンエリアとビーチエリアに分かれており、タウンエリアにはパンケーキで有名なboots&kimo’sなど美味しくて安い隠れた名店が多いことで知られている。またハワイ発のインディペンデントなブランドやセレクトショップも目白押しで歩いているだけで楽しい。ビーチエリアではシュガーパウダーのような白砂とターコイズブルーの海が美しいウォータースポーツ盛んなカイルアビーチと「全米で最も美しい海」にも選ばれたというラニカイビーチの2つが有名である。駐車場やシャワーなど観光客向けに設備が充実したカイルアビーチから徒歩15分、住宅街の路地裏にあるラニカイビーチはまさに穴場スポット。遠くに見えるモクヌイ島とモクイキ島が風光明媚な景観を作り出している。
あのオバマ大統領もバカンスの際にはハワイのこのカイルアにて家を借りて、数十日滞在するという。ホノルルとはまた違った魅力を持つカイルアの街は今やホノルルに次いでハワイの人気観光地となっている。
カイルアのボーリング場
私達はアラモアナショッピングセンターからバスを乗り換え、カイルアに向かった。まず訪れたのはカイルアでのグルメといえば外せないboots&kimo’s。ここのマカデミアナッツソースをかけたパンケーキは有名で行列が絶えないという(もちろん日本人だらけ)。すでにランチの時間は過ぎていたがやはり混雑しており待つこと30分、ようやく入店。注文はもちろんマカデミアナッツソースのパンケーキ。お店の人には悪いが1人前を2人でシェアした。温かいマカデミアナッツのソースが濃厚で3枚重ねのパンケーキを2人でペロリと平らげた。ソースの上に振りかけられたマカデミアナッツのチップの食感もいいアクセントになっている。
Aloha Sunday
boots&kimo’s
その後カイルアのメンズショップAloha SundayでTシャツを購入。妻はカイルア大型スーパー、ターゲットにてお土産を物色。カイルアの街を満喫した後、歩いてカイルアビーチとラニカイビーチへお散歩。風が強い日だったが、そのおかげでウォータースポーツに勤しむ地元の人々の姿を見ることができた。
帰りはバスの乗り継ぎ時間を利用してカイルアのオーガニック系スーパー、wholefoodsにてワインとグラノーラを購入してホノルル行きのバスに乗り込む。
カイルアビーチ
言葉はいらない
ギターおじさん
ラニカイビーチ
余談だが、ハワイのローカルバスを使う時にスマホとグーグルマップが大変役に立つ。グーグルマップは目的地までの順路をリアルタイムなバスのスケジュールも含めて教えてくれるので、かなり複雑化しており且つ定時に発着しないハワイのバスを使いこなすにはなくてはならないツールだと感じた。特に観光客が少ない場所や週末になるとバスの本数も限られているので、時間を有効活用するためにぜひバス旅を考えている方には常時ネット接続しているスマホを持っておくことをお勧めする 。
無事ホノルルの街中に到着。この日は日本から持ってきたインスタントラーメンを共同キッチンでつくり夕食。Wholefoodsで購入したワインで乾杯。毎日外食で胃が疲れてくるのでこういった簡単な料理をするのは節約にもなり、胃も休まり一石二鳥だ(といってもまだ2日目だ)。
12月20日
この日はオアフ島を1周するために朝6時半に起床。7時にチェックアウトする。通常はキッチンに自由に食べていい食パンやワッフルが置いてあるのだが、ホステルのスタッフがまだ起きていないのか何も置いてなかったので空腹のまま出発。
ホステルの宿泊は2泊で終了。次の2泊はAQUA ALOHA SURF WAIKIKIというホステルから徒歩7分くらいの宿をとった。ハワイ4泊ともホステルはさすがにどうかと思ったからだ。それでもAQUA ALOHA SURF WAIKIKIもすごく立派なホテルというわけでもなくて星でいうと3つ星ほど。しかしこれでも1泊20,000円近くするからハワイ旅行というのはどんどん放っておくとお金がなくなる。多くの日本人がハネムーンとしてここに来るのがよく分かる。観光、ホテルの充実度もさることながら物価が高いので、ハネムーンとして来ないと豪勢な旅行はできない。他のアジア圏であればここまでのお金を費やさなくても豪華な旅行はできるがハワイとなるとそうもいかない。
< AQUA ALOHA SURF WAIKIKI >
クヒオ通りのABCマートとレストラン、まきの茶屋を挟んだ通りに位置するビルディングタイプの中級ホテル。1階には中華レストラン、ホテル内には小さいながらもプールやスパも備えている。室内は2名で利用するにはそこそこの広さ。バスタブはなくシャワーのみだがキッチンやドライヤー、冷蔵庫、無料のWIFI、テラスなども備えている。豪華ではないがホステルはちょっと、という方にはおすすめできるホテルである。なお朝食は中華レストランの中の朝食でなく、宿泊者用にパンや卵など軽食のビュッフェがある。
ホテルに荷物を預けたあと観光に出発。
バスをダウンタウンで乗り換えて1時間。まず到着したのはドール・プランテーション。その名の通りあのバナナなどの果物で有名な食品企業ドールの管理するパイナップルプランテーションである。今は農園というよりはドールの発祥の地の一つとして観光客用レジャー施設になっている。パイナップルをホノルルまで運んだとされる蒸気機関車を模した子供向けの鉄道やパイナップル畑の迷路、もちろんパイナップル畑も見学できる。初めは、こんな施設楽しめるの?と半信半疑で見学していたが、パイナップルの実のなり方を生まれて初めて肉眼で見られて、尚且つ日本語での解説も充実しているので大変興味深く過ごした。帰りはもちろんカットされた生のパイナップルを購入してバスを待つ間美味しくいただいた。
パイナップルの実り方はご存じですか?外国人観光客も興味津々です
パイナップル農家の看板
ドール・プランテーションからバスに揺られて20分くらい。到着したのはハレイワ。
<ハレイワ>
ハレイワはオアフ島の北部ノースショアエリアに位置する小さな町だ。先日訪れたカイルアもローカル感ただようハワイの小さな町だが、カイルアはどちらかというと下町で実際に人がそこに住んでおり生活感が漂うような雰囲気があるが、ハレイワは日常忙しくしているシティ暮らしのビジネスマンが週末にエスケープする田舎な雰囲気。そのため実際にそこに住んでいそうな人はあまりおらず、週末を家族で過ごそうという人たちがカフェやレストラン、ビーチで思い思いに過ごしていた。ハレイワタウンではカイルアよりもとんがったお店は多くないが、ノースショアと書かれたTシャツ売るお土産屋さんやアイスシェイブのお店など見て歩いているだけでも楽しめるお店が多い。
ハレイワタウン
私達はまずハレイワビーチパークで海辺を気が向くまま歩いた。パドルボートを楽しむ人達が数人いるだけの静かな海だ。どちらかというと波は少ないためか年齢層は高めで、昨日のカイルアのビーチよりも静かな落ち着いた雰囲気だ。そして隣のハレイワアリビーチまで徒歩15分ほどかけて歩いた。アリビーチはウミガメがよく出現するビーチとして知られている。あいにくこの日は週末のためかビーチが家族連れで賑わっており、ウミガメは子供達にいじめられるのを恐れて出てくるのをやめたのかもしれない。
昼食はハレイワタウンにて週末限定で屋台を出すというフリフリチキンのお店で弁当をテイクアウトした。フリフリチキンはハワイのローカル料理で簡単に言えばチキンの丸焼きである。フリフリとは回転するという意味らしい。弁当の内容はチキンの丸焼きの半身とコールスロー、ライス付きで8.5$。焼きたてのチキンは香ばしくて大変美味しかった。
昔サーフィンの映像が好きでよくサーフィン映画のDVDを見ました 実際にはやりません
レインボーをよく見ます
サーフショップの犬
フリフリチキン弁当
ハレイワの街をぶらぶら歩いたあとバスに乗りオアフ島を更に北上した。バスはオアフ島の最北端のタートルベイから東海岸周りでホノルルへ向かう。東海岸の美しい景観を楽しみながら移動。
途中、ワイアホレビーチパーク付近にて下車。ワイアホレは東海岸の北と南を結ぶ丁度真ん中あたりに位置する。この辺りは映画「ジュラシックパーク」のロケ地に使われたそうだ。なるほど、いかにも恐竜が出てきそうな、手付かずの自然がのこる雄大な風景だ。左手にはまるで屏風のように広がる険しいコオラウ山脈、右手にはオアフ島沖に浮かぶ無人島・チャイナマンズハット。ビーチパークと言っても開発は頓挫しるそうでこれといった施設はないが、綺麗なビーチだけではない違ったハワイの一面を覗かせてくれる場所であった。
コオラウ山脈が屏風のように広がる
ワイアホレビーチパーク傍の道路 味がありますね
ワイアホレにてしばし景色を堪能したあとは再度バスに乗り込みダウンタウンにて下車。ダウンタウンはハワイの政治・経済の中心地らしく高いビルが立ち並ぶ。ハワイというよりはロサンゼルスのダウンタウンの一角のような雰囲気で、ここではハワイアンミュージックは不似合いであろうと思った。ダウンタウンではカメハメハ大王像を見た。意外に小さい。また険しく厳しい威厳のある顔つきなのが、デューク・カハナモク像とは対照的であり、あまりハワイらしくはないかもしれない。険しい表情でカメハメハ大王がいるのはビジネス街のダウンタウンであることを考えると、バカンス気分で一日中いるんじゃないよという意味においては逆に良いのかもしれないと思った。そして徒歩でアロハタワーへ。アロハタワーはホノルルの港近くに建つ、高さ55mのスペイン風の時計塔。あまり高くはないので町からも他のビルに遮られて目立たない。またホノルル市街地からのアクセスはさほど良くはないので恐らく訪れない人が大半であろう。しかし無料で展望台まで上れ、アロハタワーの周りには古き良きハワイの港町を再現したレトロチックなマーケットが立ち並んでいるのでアラモアナやホノルルの賑やかしい雰囲気にも飽きたら近場のここに脚を伸ばすのも良いだろう。私達はあいにくアロハタワーの入場時間に間に合わなかったが美しい夕陽を港から眺めることができた。
ハワイで突っ立っていたサンタクロース
まるで挑発しているかのようなカメハメハ大王像 モデルは美男の家臣であって本人ではないそうですがそれで本人はいいのでしょうか。
アロハタワー近くで夕日鑑賞
近代的な建物が多いダウンタウン
ホノルル市街地に戻りこの日の夕食を24時間営業のワイラナコーヒーハウスという言わば日本のファミレスのようなレストランでとる。いかにもアメリカのダイナーというレトロな風貌のこのレストランを有名にさせているのは、10$ほどで食べられるパンケーキ食べ放題。妻はこれが目的で私をこのレストランに連れてきたのだ。妻はパンケーキ食べ放題、私はハンバーガーとサラダバーのセットをチョイス。最初に妻の注文分としてパンケーキ3枚と卵2つのベーコンエッグがどどんとテーブルに並ぶ、これだけで一人前だが、パンケーキはおかわり自由。いくらパンケーキが好きだと言ってもパンケーキは量を食べる料理でもない。私は少しもらったがせいぜい2枚あたりが限度だと思う。2人分の料理と一杯ずつのビールでチップ入れて30$ほどだから料金としてはかなり良心的な部類である。これもおそらく人気の理由なのであろう
ワイラナコーヒーハウスからはピンクラインのバスがすでに終わっていたのでホテルへは歩いて帰った。
パンケーキ食べ放題セット
ハワイといえばKona Brewing Companyのビール
12月21日
ホノルル4日目。明日は早朝にホノルルを発つので実質最後のホノルル滞在である。ホテルのあまり美味しくない朝食を食べる。5つ星ホテルならともかくハワイの3つ星ホテルの朝食に期待した私が馬鹿なのか。ホステルの朝食のレベルとあまり変わらなかった。もし3ツ星ホテルに滞在するのであれば朝食なしのホテルを選んでハワイのローカルなお店で美味しい朝食やブランチを楽しんだ方が賢明かもしれない。
この日はレンタサイクルを使い、バスでは行きにくいお店を巡ることにした。レンタサイクルは1日15ドル。ハワイでのサイクリングは思った以上にややこしい。まず自転車は歩道に乗り上げて通行してはならず車道を走らなければならないため、大型車がバンバン隣をかすめる。特に中心部では一方通行や信号、観光客が多いため難儀した。しかしホノルルの街を自転車で軽快に走ることは何事にも代えがたい清々しい体験であったことは間違いない。
<ダイヤモンドヘッド>
自転車を借りてまず向かったのはダイヤモンドヘッド。私がハワイに訪れたなら必ず登山したいと思っていたのがここである。ホノルル市街から登山口へは途中の坂道を含めて約30分。登る前からすでに汗だくである。 カルデラの入り口であるトンネルに自転車を止めていざ出発。
ガイドブックによると登山にかかる時間も約30分とガイドブックにあったので、さほど気負わず気軽な気持ちで登り始めた。しかし足元の岩場は滑るし、道は狭く、後半になるにつれ急な坂道と長すぎる昇り階段の連続で、登頂時には精根を使い果たしたように疲れた。それでもダイヤモンドヘッドからのハワイの景色はこの上ない素晴らしい雄大なもので身も心も洗われたように感じ、それまでの疲労感もどこかに吹き飛んでしまった。
ダイヤモンドヘッドの展望台からの眺め
ダイヤモンドヘッドから下山道
ダイヤモンドヘッドを下山して次に向かうは、妻が行きたいと言っていたポキの名店Ono seafood productsとマラサダが人気のLeonard’s へ。ポキはハワイ風マグロの漬けのことである。Ono seafood productsは数種類味付けをしたポキをご飯にのせたポキ丼を弁当として販売している。マラサダはいわゆるハワイ生まれのドーナツである。プレーンのマラサダはもちろん、中にカスタードクリームが入ったマラサダが人気だ。このLeonard’sのお店のパッケージや外観はなかなかかわいい。それらをLeonard’s向かいのスーパーのベンチで食べた。今のところこのポキ丼とマラサダの昼食がオアフ島で食べた中で一番美味しいかもしれない。
マラサダの名店
その後、ダイヤモンドヘッドの姿をこの目ではっきり見たいのでダイヤモンドヘッドを見るためのベストロケーションを探す。
まず向かったのはワイキキビーチの東の端の向かい、ダイヤモンドヘッドの麓にあるカピオラニ・リージョナル・パーク。この公園、とにかく広い。サッカー場やラグビー場、テニスコートがいくつかあるのだが、そんなものでは埋まらないほどの広大さ。妻はピクニックようの敷物をもってきてゴロンと横になってリラックス。私はダイヤモンドヘッドのナイスな写真をおさめるために奔走。カピオラニ・リージョナル・パークは観光客が少なくダイヤモンドヘッドそのもの撮影できるのがうれしい。
次に向かったのはワイキキビーチ。ベタな場所ではあるがワイキキビーチからダイヤモンドヘッドの角度の良さは見事としか言いようがない。もちろんこのあたりのホテルに宿泊してダイヤモンドヘッドビューの部屋に宿泊するのが最も贅沢なダイヤモンドヘッドの景色なのだろう。しかしそんなところには泊まれないのでワイキキビーチを歩きながらベストポジションを探し歩いた。結果、私が一押しするのがワイキキの中ほどにある桟橋からのダイヤモンドヘッド。ここからだと海と砂浜が向かいに位置するのでダイヤモンドヘッドとハワイのビーチが美しく一枚の写真におさまるのだ。もしダイヤモンドヘッドが好きでハワイに行く方がいれば是非試してほしい。
カピオラニ・リージョナル・パークからのダイヤモンドヘッド
ワイキキビーチの桟橋からのダイヤモンドヘッド
自転車を返却したあとお土産を物色するためにアラモアナショッピングセンターへ。といってもアラモアナは素通りして近くにあるウォルマートとドン・キホーテへ。私はお土産をハワイでは買うつもりはないのでドン・キホーテで妻を待つことに。何気なしにドン・キホーテの店内をうろついていたが、これまで幾つかの見たスーパーの部類の中ではかなりお得感のあるお値段のものが多かった。もし少しでも安くお土産を購入するつもりであればドン・キホーテはおすすめだ(妻が言うにはウォルマートも同じくらい安かったそうだ)。
最後のホノルルの夕食は上司のおすすめの店であるGoofy café&dineへ。
私はハワイらしくロコモコ、妻はフルーツいっぱいのアサイーボウルを食べた。
アサイーボウル
そうして、最後のホノルル夜は更けていった。
12月22日
朝5時に起床。この日は朝8時にコナ行きのフライトに乗るために6時にホテル前に集合してシャトルバスを待つ。シャトルバスは朝6時20分頃にやってきて、ホノルル空港へ我々を送ってくれた。
コナまでのフライトはハワイアン航空。
ハワイアン航空は当日空港にて預け荷物の申請をするようで、キオスクでチェックイン手続きと荷物の申請と決済ができる。23キロまでの預け荷物であれば25$。我々は荷物を2つ機内へ預けたので2人で計50$。
比較的厳しいセキュリティチェックを終えて搭乗ゲートへ。ホテルの朝食を食べることができなかったので、空港のバーガーキングで1セットを購入して、ボーディングを待つ間にお腹を満たす。
ホノルルからコナへのフライトは定時通りに運行。日本語の機内誌があったので45分のフライトもさほど苦にはならなかった。
コナ空港到着。荷物を引き取ったものの我々は途方にくれることとなった。
コナ空港に到着後レンタカーを借りる予定だったが、まず空港内にはレンタカーのオフィスが一つもないのだ。レンタカーを借りる人はすべて事前に予約をすませ、予約した各レンタカー会社が運行する空港シャトルバスに乗り込み、窓口に行くのである。事前に日本で予約しておくべきだったがこの場で後悔しても仕方がない。空港のインフォメーションカウンターにレンタカー会社の電話番号リストをもらう。インフォメーションスタッフはホリデーシーズンだから車を見つけるのは難しいかもしれないとのこと。
ハワイ島を個人で観光する場合、レンタカーを借りるのが一般的である。ホノルルのように島全体にバス路線が張り巡らされてはおらず、ホノルルのあるオアフ島と今回降り立ったハワイ島では約3倍ハワイ島の方が大きい。タクシーで巡ることもできなくはないが、すべてをタクシーで訪れるのは無理がある。時間があれば自分で行けるところは自力で移動して、部分部分でタクシーやツアー会社の助けを求めることもできるだろうが、今回2泊しかしない中ではそれも難しい。
とりあえずレンタカー会社に片っ端から電話していこうと考えていたが、最初にリストされていたレンタカー会社、ALAMOに車がまだ残っているようなので、シャトルバスに乗り込みオフィスに向かった。
ALAMOのオフィスはすでに旅行客で賑わっていた。受付には何組かが列をなしていた。我々も列に加わり、受付の手続きをうける。期間と車種とオプションの希望を伝え、日本の免許証やパスポートを提示した。提示された料金をみて目玉が飛び出そうになった。なんと650$ほど。1日のレンタカー代金150$とオプションの保険が1日50$程度、さらに税金もかかる。自分でできることは自分でやって安く抑えようということでガソリンは満タン返し、カーナビはつけずスマホグーグルマップで代用。
受付を済ませて早速、車の元へ。車はヒュンダイのセダン。
外国での運転も初めてである上に、日本車以外の車ももちろん運転したこともない。左ハンドルの席にすわり、震える手で一つ一つ日本車との操作の違いを確認していく。不安な気持ちのまま、ハワイ島の宿泊先であるヒロに向けて出発。
島の西側にあるコナから西側にあるヒロまで約2時間のドライブ。
幸いにもレンタカー会社のある空港付近は交通量が多くはないので、スムーズに流れる。また郊外にでると道なりの直線の道が続くため、徐々に運転にも慣れてきた。
目の前に広がる青空、大きな雲、生き生きと生い茂った緑の大地。車がハワイ島の中心へ近づくにつれ、緑の大地は徐々に溶岩でできた黒い台地へと移り変わってゆく。何もかもが日本で見る風景と違う。
周り一面溶岩に囲まれた台地に車を停めて休憩。溶岩でできた大地を踏みしめて歩く。よく見てみると全く不毛な大地ではないようで時折変わった植物の花や芽を見ることができた。ハワイ島が火山の島であることを実感するとともに、こんな場所でも力強く生きる生命の崇高さを思わぬ場所で感じた。さらに車を走らせると家がぽつぽつと姿を見せ始め、いつしか商店が立ち並ぶようになり交通量も増えてきた。ヒロに到着したのだ。
ホテルのある中心部に車を停め、チェックインをした。
苔むした火山大地
ヒロの街をドライブ中
<HILO BAY HOSTEL>
ヒロの中心部、美容室の2階にあるHILO BAY HOSTEL。ホステルではあるが古いながらも手入れが行き届いた家具、そして木製の温かみのある床や壁からはこのホステルがひとつのアンティーク作品のような雰囲気を感じた。ロビーはこのホステルの中でもっとも広い空間となっており、他のホステルのようにいくつものベッドが並べられ、共有部分に十分なスペースがないというようなことはしていない。そのため宿泊客はロビーで情報交換をしたり、パソコンを開いてフェイスブックに写真をアップしたりして、ドミトリーや自室にこもることよりもこの開放感のあるロビーにいることを好んでいるようだ。キッチン、シャワー、トイレは共同。私達はプライベートルームに宿泊したところ部屋には冷蔵庫、扇風機があった。なお室内でも無料のWIFIが利用できた。駐車場はないので車で来た場合は路肩に停めておくことになる。
妻は早朝の起床とあってか眠いそうで、私だけで1時間ヒロの街をぶらぶらした。
<ヒロ>
ヒロはホノルルに次ぐハワイ第2の都市にしては、こじんまりした穏やかな海辺の町だ。日系人が作り上げた街ともいわれており、どことなく街行く人々に親近感を覚えることだろう。ダウンタウンにはアーケード続く商店街の通りがいくつかあるくらいであとはバスターミナルや中規模のスーパーマーケット、それに古い映画館と津波に関しての博物館がある。また意外かもしれないが常夏の楽園ハワイにおいて、ヒロは雨降りの街として知られており、年間降水量は3000mを超える。これは東京の年間降水の約2倍である。私が訪れた日の天気もあいにく雨模様で何度か雨に降られた。といってもずっと降りっぱなしではなく、降ってはやみ降ってはやみの繰り返しで、時折青空がのぞく。
ヒロをホノルルと例えるのであれば、ホノルルの陽気さとは対照的なダークサイドなハワイ。曇り空の灰色と1900年代に建てられた街並みはどこか映画にもなりそうな雰囲気を醸し出している。それはそれでカッコいい。ホノルルのような大きなショッピングモールや有名チェーン店、娯楽的なお店はなく、夕方になれはおおよそのお店は閉まってしまうので住んでいる人にとっては退屈と感じているかもしれない。
映画に出てきそうなヒロの街並み
雰囲気ありますね
曇り空が様になります
ヒロの街を散歩した後は、ホステルに戻る。
昼ごはんを食べていないので、どこか行こうと思案する。ヒロの街はさほど見るべきものは多くはないので、ここから比較的近いマウナロア マカダミアナッツ工場とCAFÉ 100にいくことにした。
マウナロア マカダミアナッツ工場はその名の通りマウナロアというマカデミアナッツブランドの工場であり、観光客向けの工場見学を行っている。マウナロアのロゴはハワイに行っていなくとも一度は見たことはあるのではないのではないだろうか。ヒロの街からは車で約20分。工場内にはお土産コーナーはもちろん、マカデミアナッツの実際の生産過程をビデオで解説(日本語吹き替えあり)してくれる。それだけではなく、植物園やアイスクリームパーラー、もちろんマカデミアナッツの試食コーナーもあり盛りだくさん。実際感心したのは、いかに硬いマカデミアナッツの殻を割るのか、それにどのようにチョコレートをマカデミアにコーティングするのかを工場で実際の工程を見ながら学べるため大変興味深い。これまでマカデミアナッツに深い関心があったわけではないのだが(ほとんどの人はそうだと思うけど)割と楽しめた。
満足してマカデミアナッツについて学んだ後はCAFÉ 100へ向かう。CAFÉ 100はロコモコの発祥の地と言われており、ヒロのグルメを語る上で外せないお店である、もっともシンプルなロコモコはなんと3$ほど。透明なプラスチックのタッパーに入れられた熱々のロコモコは、ご飯の上にソースとハンバーグ、目玉焼きがのったごくシンプルなもの。味もシンプル。シンプルなので人によっては深みがないということで期待はずれということを口コミに書く人もいたが、私達は美味しいと感じた。雰囲気としては吉野家の牛丼に近い。吉野家の牛丼について心底美味しいと感じる人がいるのも理解できるし、その一方で「たかが牛丼」という考えもわかる。自分の価値観が覆るほどの味ではないが、これはこれで愛すべきミニマルである。
定評のあるマカダミアナッツブランド
マウナロア マカダミアナッツ工場にて
これが元祖ロコモコだ!
その後は妻のリクエストでLOW INTERNATIONA FOODとTWO LADIES KITCHENへ向かう。ヒロ市内から少し郊外へ抜けた場所に位置するこれら2つのお店はハワイ島のローカルなお店の中では知られたお店であるらしい。
LOW INTERNATIONA FOODはインターナショナルと冠している割にはローカル感が漂うお店だ。基本的にはパンとクッキーのお店ではあるが、ご飯ものの定食やハンバーガーなどの軽食もそろう老若男女通える大衆食堂のような場所。有名なのはカラフルな食パンのレインボーブレッドである。このピンク色はグアバを原料にしているらしい。あいにくレインボーブレッドの生の食パンは売り切れていたがレインボーブレッドのトーストであれば作ることはできるらしい。なぜ生の食パンは売り切れていて、トーストなら可能なのであろう?冷凍していた分があるのだろうか。レインボーブレッドのトーストは見た目の派手さもあって、もちもちとした食感が楽しいパンであった。
その後は訪れたTWO LADIES KITCHENはモチ屋さんである。店内の工場で製造しており、大福はもちろん、マンゴーやパイナップルなどハワイらしいフレイバーのモチをはじめ、苺大福やたい焼きまで販売している。ヒロの人々が手土産としてよくこのTWO LADIES KITCHENのモチを利用するそうだ。我々はカラフルなわらび餠を購入した。
キモかわいい虹パン
ホステルに戻り、キッチンで日本から持ってきた日清やきそばをつくる。それに ヒロのスーパーマーケットで購入したトルティーヤチップスにアボガドのペーストをディップしてこの夜の夕食として食べた。
12月23日
朝8時に起床し、朝ごはんとしてレトルトのおかゆを食べる。日本出発前にイオンで購入した100円のレトルトにしてはなかなか美味しい。
この日はハワイ島の北部、ワイピオ渓谷とホノカアを散策する。
島の東側の海岸線を望みながらヒロの市街を快走する。右には広大な海が広がり、左側には鬱蒼と茂るジャングルのような山や森が時折顔をのぞかせる。名前も付いていないようななんでも無いようなところにこのような雄大な自然を垣間見られるのはやはりハワイの大地ならではなのだろう。運転しているだけで清々しい気分にさせてくれる。これがオアフ島のドライブであればこうは感じなかったかもしれない。
約1時間のドライブの後、DONNA’S COOKIESというヒロのスーパーマーケットへも卸しているローカルなクッキー屋の工場直売所に立ち寄る。ここでは出来立てのクッキーを試食させてくれる。試食したらお気に入りのクッキーを小袋で(5$)販売してくれるので小腹が空いた時におすすめ。3リットルも入りそうなジャー(瓶)に詰めたクッキーをいくつも購入していくリピーターのお客もいた。お店の人も感じがよくて楽しい雰囲気が伝わってくるようだった。
有名なクッキー工場 定評のあるブランドだけに詰め方にも力が入ります。
再び車に乗り込み走り続けること約45分。到着したのはワイピオ渓谷。
<ワイピオ渓谷>
断崖絶壁の絶景スポット、ワイピオ渓谷はハワイの王族の住んだとされる神聖な場所であり、かつてはここで政治も執り行われていたそうだ。豊かな自然に囲まれており、津波がこのエリアを襲った時にも死者が出なかったのは王族のマナ(霊力)がこの谷を守ったからだと伝えられている。日本で言えば伊勢のような場所だろうか。たしかに人間では作り得ない雄大な景色は神々しいものを感じる。なお車で行けるのはビューポイントまで。4WDやツアーであればさらに谷の奥底まで観光ができるそうだ。
絶景のワイピオ渓谷
ワイピオ渓谷を後にして、ヒロ方面へ戻る。
次に訪れたのはホノカア。
<ホノカア>
映画や小説の「ホノカアボーイ」の舞台になった場所であるためホノカアの名前を聞いたことのある人は多いのではないのだろうか。作品の舞台であるものの街の規模はごく小規模。100mほどのメインストリート沿いの両脇に商店街ならぶだけ。もともとはサトウキビ産業で栄えた町であった。サトウキビ農園が1994年に閉鎖されてからは、現在産業と言える産業はないがワイピオ渓谷に観光にする人々が立ち寄る町へと変化している。
昼ごはんを食べるために町をぶらぶらする。お土産屋さんにアンティーク雑貨のお店、古着屋さん、そしてオシャレなカフェにレストラン。小さい村ではあるがひとつひとつのお店に個性があって、そぞろ歩きだけで楽しい気分になる。町の雑貨屋さんにはおじさん3人組がずっと店の前のベンチで座っている。いるいるこういうおじさん、どこの田舎にも仲良しの友達同士、ずっとベンチでお喋りしている人たち。それがなんだかこのホノカアの景色に溶け込んでいて様になっていたので写真を撮らせてもらった。また映画「ホノカアボーイ」の実際にロケ舞台になったというホノカア・ピープルズ・シアターにお邪魔した。日系移民の方がこの町に娯楽を提供したいという思いから建てたという映画館。1930年にオープンしたが1988年に閉館。その2年後、惜しむ町の人々の思いから復活を遂げ、現在は映画のみならずライブや公演のイベントスペースに活用されているそうだ。この日はイベント準備のため、館内のカフェはおやすみ。本来は入れないのだが特別にオーナーの方に中に入れさせてもらい写真を撮らせてもらった。使い込まれた館内のテーブルや壁は歴史を感じさせ、とても居心地が良さそうだ。オリジナルTシャツを購入して、映画館を後にした。ホノカアのスーパーマーケットで弁当を購入して、海の見える坂道でお昼ご飯。
ホノカアボーイの舞台 ホノカア・ピープルズ・シアター
映画はみたと思うのだが思い出せない
ホノカアの町を抜けて、ヒロへ向けて再び出発。
ヒロからワイピオ渓谷へ行く際に、いくつかビューポイントがあったので、そこに立ち寄ることにした。
訪れたのはラウパホエホエ・ビーチパーク。
<ラウパホエホエ・ビーチパーク>
ヒロの町からおよそ30分の距離にあるラウパホエホエは1946年津波で甚大な被害を被ったエリアである。その際、24人もの学生の尊い命が津波により奪われてしまった。この公園は被害のあった学校跡地に造られたものである。海岸沿いへ下る山道の途中では、津波がここまで到達したことを告げるパネルが見受けられた。巨大な波が岩石に打ち砕かれ飛沫となり細かい泡になって消えていく。故郷の日本海のことを思い起こさせる。日本海側で育った私のような裏日本の人間にとって海は陽気なものというよりも厳しく無慈悲なものという思いがある。そういう意味においてはオアフ島よりもハワイ島には個人的なシンパシーを感じる。
なぜ人は石を積み重ねたいのだろう、そういえば鴨川にもこういう人がいた
泡立つ海岸
ラウパホエホエ・ビーチパーク
ヒロに舞い戻った我々が次に向かったのはヒロ市内にあるレインボー滝とヒロ大神宮。
レインボー滝はヒロ市内近くに位置する観光スポットだ。落差24mの小規模の滝であるが、よく虹が滝にかかるためこの名がついた。あいにくこの日はその姿を見ることはできなかったが。。。
ヒロ大神宮はヒロ中心部から車で10分、住宅街の中にある神社である。この神社はハワイの中だけでなく、海外でもっとも古い神社だ。1960年の大津波で倒壊した際には再建のための奉納した人々の名前のリストがあり、中には名だたる政治家や財界人が見受けられた。
レインボー滝
ヒロ大神宮のお守り
ヒロの市内に戻った後は次の日の食事のためスーパーで買い出し。
ホテルでは夕食として日本から持ってきたレトルトのカレーをスーパーマーケット購入したパンにつけて食べた。
12月24日
クリスマスイブ。特にクリスマスイブだからといってもヒロの町は浮き足立ったところはない。朝食は昨日と同じレトルトのおかゆとレーズンの入ったクッキー。クッキーはホステルのスタッフが多めに買ったようで宿泊客に分けてくれたのだ。mありがたい。
ホテルは8:30にチェックアウト。この日は見るべきものが多く、夜にはレンタカーを返却しコナ空港へ戻らなければならないため、早めの出発をする。2泊しかしていないが名残惜しい素敵なホステルだった。
まず向かったのはハワイ火山国立公園。
<ハワイ火山国立公園>
ヒロから車で約1時間。ハワイ島のハイライトのひとつと言えるのがこの国立公園である。ハワイ州の中で唯一世界遺産に指定されており、ハワイの神話の中で火の女神ペレが宿る地として古くから神聖な、スピリチュアルな場所として人々に崇められてきた。キラウエア火山を含む2つの活火山を擁し、その広さは1,335㎢に及ぶと言われている。この規模の国立公園は、ハワイはおろかアメリカ本土にもないほどの広さだという。そのため溶岩によって形成された荒野や洞窟、海岸線の展望、さらには生い茂った熱帯雨林とそこに自生する動植物など多種多様な自然と、我々が住む惑星がおりなす破壊と創造のプロセスを目の当たりにできる。また自然愛好家達に向けて幾多のトレイルコースを整備しているため、1日観光しても見飽きることはないだろう。そのため国立公園内にはホテルも備えられている。1983年からずっと噴火を続けて火山であるので危険かと思われるかもしれないが、大規模な噴火はごくまれで流れ出す溶岩の速度も非常に遅いため、世界一安全な火山とも言われている。
主に国立公園内は車で移動する。入園料は乗用車1台につき15$。園内に入るとまずビジターセンターが見えてくる。そこでこの国立公園の概要とトレッキングコースの案内や滞在時間に応じての観光ルートも紹介している。
ビジターセンターにてお手洗いを済ませて後向かったのはサーストン溶岩トンネル。鬱蒼とした熱帯雨林を抜けると現れるサーストン溶岩トンネルは全長300mほど。一見普通のトンネルだが、なんと表面の溶岩だけが固まり、中のマグマが液体のまま流れ出したためにできた、まさに自然の力だけで造られた洞窟なのである。車も通れそうなほどの巨大なトンネルが重機の力でなく自然に発生したというのは驚きというほかない。
変わった植物
ダイナミックに曲がった木
山盛りのシダ
サーストン溶岩トンネル
その後、我々は車を走らせチェーン・オブ・クレーターズ・ロードへ。このチェーン・オブ・クレーターズ・ロードというのはその名の通り「道」ではあるがその車窓越しに見える景色の圧倒的なこと!溶岩が造りだした果てしない台地の向こうに見えるのは真っ青な太平洋。道路沿いのところどころには展望台や、ウォーキングスポットがあり、ゆっくりと流れだした溶岩が徐々に固まり溶岩特有のどろりとした形状のままになっているのが面白い。中にはヒダのように折り重なってそのまま固まってしまったもの、渦巻きのようなものやスライムか液体金属のようにツルツルとした丸みを帯びたものまである。チェーン・オブ・クレーターズ・ロードは溶岩の溜まりで行き止まりになるまで約30kmも続く。
チェーン・オブ・クレーターズ・ロードを引き返して向かったのはキラウエア火山の噴火口の展望台。常に白い噴煙をもくもくと上げている展望台はこの国立公園で最も人気の場所だ。展望台の隣にはトーマス・ジャガー博物館という、ハワイ火山観測所を設立した学者から名付けられた博物館がある。展示物は火山活動でできた物質や火山観測の歴史、ペレをはじめとしたハワイの神話における神々についてである。
約4時間の観光で少し駆け足気味であったが、充分満喫できた。我々は食料を少し持ってきていたので問題なかったが、公園内では食料を売っている売店やレストランが一つも見当たらなかったので食料と水は入園前に調達しておくことをお勧めする。また公園内は大変広いのでガソリンも余裕がある状態で出発したい。
うずまきのような形で固まった溶岩
不吉な光景
スライムのようにまるみをおびた溶岩
あまりに広大な溶岩台地
常に煙を上げているキラウエア火山
国立公園を後にした我々が次に向かったのはプナルウ黒砂海岸。
<プナルウ黒砂海岸>
プナルウ黒砂海岸はハワイ島の最南端に近い場所にあるその名の通り黒砂の砂浜を持つビーチだ。一般的にハワイのビーチというとまるでシュガーパウダーのような白いさらさらのビーチが思い浮かぶが、このビーチは砕けた溶岩でできた砂であるため真っ黒である。しかしこのビーチが観光客に知られている理由はもっと別な理由がある。それはウミガメがこのビーチによく出没するそうだ。前回のオアフ島ではあいにくカメを見ることはできなかったので、期待はさほどしていなかったのだがウミガメちゃんを無事発見。甲羅を乾かしているところらしく、目をつむって一休み中だ。オアフ島でできなかったことが思わぬところで出来たので大変嬉しい気持ちでビーチを後にし、コナへ向かう。
ウミガメさん
<コーヒーファーム>
ハワイ島を発つ前に是非立ち寄りたかったところがある。それはコーヒーファームだ。ハワイ島の南東側、カイルア・コナのから南の沿岸部はコーヒー栽培に理想的な立地であり、大小合わせて500もの農園が集まっているためコーヒーベルトと呼ばれているほどのコーヒーの有名産地だ。私自身コーヒーは好きでよく飲むので、本当に美味しいコナコーヒーが飲みたいと思っていた。今回訪れたのはグリーンウェルコーヒー農園。1850年から続いている老舗である。あいにく最終の農園ツアーすでに終了してしまったのでコーヒーのテイスティングだけさせてもらった。ローストの加減や豆の種類、香りづけにより10種類以上のコーヒーを用意しており、すべて試飲できる。また1袋1万円近くするようなコーヒー豆まであり、そのテイスティングは5$かかるのだが折角なので試させてもらった。正直1万円の価値があるかどうかは私にはわからなかったが飲み続ければなにかわかるのかもしれない(第六感が目を覚ますのかもしれない)。試飲させてもらった中では一番しっくりきたミディアムローストの粉を購入した。
1万円のコーヒーを召し上がれ
実はもう一箇所、時間が許せば立ち寄りたい場所があった。それはコナ・ブリューイング・カンパニーである。一度は耳にしたことはあるかもしれない。そうホノルルのレストランでも供されるハワイのビールとして最も知られているビール会社である。車の運転できているのでもちろんドライバーは飲めないが私か妻のどちらかだけでも出来立てのビールを飲めればと考えていた。しかし工場直営なのにそこまで安くもなく、工場見学も時間外だったのでレストランだけ見ただけにとどめた。
まだ飛行機の出発までしばらく時間があったのでアリイ・ドライブでの散歩を楽しんだ。アリイ・ドライブはミニ・ホノルルといった趣のビーチ沿いに多種多様なお店が並ぶ賑やかな通りである。私達は教会の駐車場に車をとめて、ビーチで沈みゆく夕陽をみつめた。ABCマートにて空港で食べるための夕食のサラダを購入して空港へ。途中、ガソリンスタンドで給油しレンタカーを返却した。
ロマンチックな二人
それぞれの空を見つめる二人・・・
日本でも運転がままならない2人での3日間のドライブだったがいろいろ行けて楽しかった。また事故に遭わず本当に良かった。
コナ空港にてユナイテッド航空、サンフランシスコ行きにチェックイン。予定時刻通り飛行機はハワイ島を経ち、我々のハワイへの旅は終わった。アメリカ本土の旅へと続く。
〜ハワイの旅を終えて〜
初めてのハワイは楽しかった。おいしいローカルフード、お洒落なお店、ダイヤモンドヘッドにも感動した。
ハワイがここまで人気なのは日本との距離感が絶妙だからかもしれない。常夏のポリネシアの島でありながらアメリカ西海岸の風を感じ、人々もアロハ・スピリッツでどことなくフレンドリー、日本語が通じるお店も多く、日本人が多いだけに「よそ者」とみられることもない。
例えばハネムーンや家族、気心の知れた仲間同士で、仕事を放りだしてのんびりするには最適だと思う。ホノルルはあまりにツーリスティックなのでカイルアかノースショアのコンドミニアムに滞在して気ままにレンタカーなぞ借りて1週間ほど過ごすのはとても素敵なことだろう。ただ私は貧乏性なのか、なにもしないのが耐えられないタチなので、それはしばらくはいいかなと思った。なので今回ののんびりホノルルのオアフ島+大自然観光のハワイ島の2島コンビネーションはハワイ初心者の私にとって大変よい組み合わせだった。もし1週間時間があってまたハワイにいくのであればマウイ島とラナイ島に行ってみたい。
ホノルル・ダイヤモンドヘッド ☆☆☆☆☆ ワイキキビーチから眺めるダイヤモンドヘッドは筆舌つくしがたい
ハワイ火山国立公園 ☆☆☆☆☆ 破壊と創造・・・生ける惑星・地球のほとばしる血流
カイルア・ノースショア ☆☆☆☆
ヒロ ☆☆☆☆
ワイピオ・ホノカア ☆☆☆☆
(2015年12月 橋本康弘)
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