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- ヨルダン&エジプト遺跡巡り!ペトラ遺跡と中部エジプトを歩き尽くす旅
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エリア:
- 中近東>ヨルダン>ペトラ
- アフリカ>エジプト>カイロ
- アフリカ>エジプト>エジプトその他の都市
- テーマ:世界遺産 グルメ 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/03/11 15:10
カタール航空で羽田から12時間でドーハへ。そしてアンマンへ約3時間。今回の目的は2つの憧れの遺跡を訪れること!その1つ目がペトラ遺跡です。
アンマン空港からペトラ遺跡の町ワディ・ムーサまで車で約3時間。ペトラの宿はペトラ遺跡に近いホテルにしたので、徒歩圏内でとても便利です。
ペトラ遺跡はヨルダンで最初の世界遺産で、紀元前1世紀〜紀元後1世紀頃に建設されたナバタイ人の首都で、それ以降の遺跡も含めて巨大な遺跡群となっています。
ペトラにはナバタイ人より以前に、1万年前から集落があったようで、ジェリコ同様、中東で最古の歴史を持っています。その後、エドム人がユダヤとの争いを繰り返し、紀元後6世紀にはナバタイ人がペトラに定住し始めます。遊牧民族のナバタイ人やベドウィンは、インドから地中海に向かうキャラバン隊がこの地を通る際に安全を保証することで生活していました。ナバタイ人はアラビア語を話していたため、彼らの使うナバタイ文字は、その後アラブ圏に広まり、アラビア文字の起源となっています。アラビア文字はペルシャ語やウルドゥー語でも使われているので、現在では世界のあちこちで使われています。
また、ローマ帝国の時代にはその支配を受けたため、現在のペトラ遺跡にはローマらしい劇場や列柱通りも残っています。
入口から少しのところにジン・ブロックスと呼ばれる立方体の石のお墓や、エジプトのオベリスクのような塔を持つお墓が見えてきます。ここの景色だけでも充分見応えがあるのですが、さらにシークの入口が見えてきます。
シークとは1.2kmもある岩山の裂け目で、ここを通らなければ中には行かれないので、難攻不落の要塞と考えられていました。ナバタイ人はこの水の少ない地域で、治水に長けていて、紀元前4世紀末には地下貯水槽に雨水を貯め、広大な砂漠を移動しても不自由しなかったそうです。飲用水路と灌漑用水路に分け、飲料水の濾過や高低差で水圧を調整したりもしていたとか…その技術はローマ帝国に併合されてもローマが改良する余地のない程だと言うから、その時代の最先端だったのでしょう。シークの左右の壁沿いには、そんな高度な技術を持つナバタイ人の水路の跡が見られます。
この水路を辿って進んで行くと、狭くなった岩山の隙間から徐々にあれが見えてきます!
そう、待ちに待ったエル・ハズネ!高さ45mもの巨大な彫刻の壁が目の前に。細かな彫刻が美しく、ペトラ遺跡で最も壮麗と言われています。
映画「インディージョーンズ」の舞台として使われたのが有名ですね。映画ではこの奥に幾つもの罠が仕掛けられていて、聖杯へと辿り着くのですが、実際にはそんな空間はなく、広間とその奥にお墓がありますが、入ることはできません。でも入口だけでも綺麗で見応えがあります。
エル・ハズネからさらに進んだところで、左手の階段を上がって犠牲祭壇へ続くルートがあります。トレッキングコースではありますが、看板の雰囲気からしてそんなに遠くなさそうだったので、とりあえず行ってみることに。進んでみると、滑って落ちたら重傷は免れないと思われる崖沿いの道をひたすら登ります。
予想以上に長い。しんどい。途中でベドウィンがロバに乗らないかとしつこく話しかけてくる。ということで、もう疲れたし、犠牲祭壇の一部が見えたので、ここでやめました。
充分な景色だったし、引き返して次に行きます。
元のルートに戻って先に進むと、右手に王家の墓が5つ並んで造られています。一番右の壷の墓に登ってみたり。ここは景色が良いです。
柱廊通りを進み、カスル・アル・ビントと言われる神殿へ向かいます。この途中の大神殿も広くて、浴場があったり、床が六角形の石でできていたりと、面白いです。テメノス・ゲートで俗世から区別された神聖な神殿、カスル・アル・ビント。結構ボロボロで風情があるけれど、正面しかみることはできません。
そしてここがバシンレストラン。
お昼はここでランチにするか、ホテルでランチボックスを頼んで持ってくるか、だと思います。この先のエド・ディルまでの道のりが長いので、休憩しておくのがおすすめです。他にペトラ遺跡内で休憩できるのは、多くはないけれど所々にあるカフェや、お土産を売っているベドウィンのおばあちゃんがお茶を勧めてくれたりもします。シークから先の道中はほとんど日陰がなくて、特にお昼前後は日差しが痛いです。湿気が無いのであまり汗はかかないですが、帽子は必須です。
バシンレストランからエド・ディルまでは、砂で登りにくいところや、階段状の岩場で、この時が一番暑くてしんどかったです。
普段の運動不足を後悔しながら、休んだり、歩いたり、また休んだり。途中、ベドウィンのお土産屋さんが声をかけてきますが、登るのに必死でそれどころじゃないんです。ふと、風が強いところに出たと思ったら、前方にカフェを発見。カフェ前で人が写真を撮っていたので、そっちを振り返ると、エド・ディルだー!
息を切らして、カフェまでもうひと頑張り。私もエド・ディルの写真を撮って、エド・ディルを眺めながらしばし休憩。造りはエル・ハズネよりずっとシンプルだけど、エド・ディルの方が大きく、陽の光をあびてどーんと構えている感じがします。高台から観ると、さらに絵になります。
さらにカフェの裏にはパノラマスポットがあるらしいのです。疲れたので行くか迷ったけれど、カフェのおじさんに聞いたら歩いて5分だというので行くことに。
ここも滑って落ちたら、もう帰って来られなそうな崖が…でもこの先はトップオブザワールドらしい。
確かにすごい渓谷の景色。この崖の先端ならもっと見晴らしが良さそうだったのですが、強風に煽られて落ちるような気がしました。
帰りは空が曇ってきて暑くもなく、下り坂で気持ちにも余裕があったからか、あっという間にバシンレストランまで戻って来ました。夕方には風も強く肌寒くなり、ウインドブレーカーがあったら良いくらいでした。犬、猫など動物も結構います。
ペトラ遺跡内ではベドウィンのおにいちゃん達がロバや馬車、ラクダに乗らないかと、諦めずに話しかけてきます。日本のやっかいな客引きと同じか、それ以上に諦めが悪いです。でもベドウィンをまじまじと観察するチャンス。パイレーツオブカリビアンの船長みたいな人もいれば、ごく普通の若者も。
帰りは名残惜しく、エル・ハズネの前のカフェでしばらくゆっくりしてから、帰りました。バラ色に見えるかな?
ペトラでのごはんはビジターセンターから歩いて5分くらいの、ここのアラブ料理がおいしかったです。レンズ豆のスープに、ケバブ。
翌日はさらに天気が崩れ、朝から雨。外に出るとかなり寒く、セーターを持ってきて正解でした。
ペトラから死海への道中、寒いところでは気温はなんと0度。雪まで降ってきました。まさかヨルダンで雪を見るとは思ってもみなかったです。
標高の低い死海は気温も高く、17度ありましたが、それでも死海に浮かべる程あたたかくはなく、風も強くて、ビーチに観光客は皆無。とりあえず足まで入って、あとは死海の泥パックをしていました。
死海にぷかぷか浮かべなかったのは残念だけど、その後デッドシースパホテルで食べたランチが美味しかったので、だいぶ満足しました。ペトラのレストランではスイーツは切らしていると言われて、ありつけなかったのですが、死海ではバーミエ、アダイフ、たぶんフティールなど色々な種類を食べられました。
この日は悪天候でペトラ遺跡は入場不可になっていたそうなので、昨日行っておいてよかった。
その後、アンマン近くのジェラシという遺跡へ。雨が降ったり止んだりでしたが、人も多すぎず見応えのある興味深いローマ遺跡。途中で勝手にガイドし始めた少年にいらっとしましたが、遺跡内はちゃんとしたローカルガイドのマフムードさんがしっかり案内してくれました。
ハドリアヌスの凱旋門の向こうには競馬場があり、その先のビジターセンターから遺跡内へ入っていきます。入ってすぐの南側にはゼウス神殿があり、フォルムと呼ばれる卵形の広場から、北門まで約600メートルの列柱通りが続きます。列柱通りから横に入って行くと、大聖堂やアルテミス神殿、幾つもの教会、もう一つの劇場が配置されています。全体はだいぶ広さがあるので、晴れていたらもっともっと歩き回りたかったです。
ヨルダンの次はエジプトへ。ずっと運転してくれたサミーさんともお別れです。ガイドさんと言ってもいいくらい、ヨルダンのことや観光地のことを教えてくれました。
アンマンからカイロまで、ロイヤルヨルダン航空でたった1時間半。日本語対応は流石に無いけれど、各シートにモニター付きで、簡単な機内食もまあまあ、そして機内が綺麗でした。
到着後、左奥の赤い看板のところで入場券のごとくお手軽にビザのシールを買って、ここで両替もできます。その後、右側の列に並んで入国。
エジプトではカイロの空港からほど近いホリデイ・イン・シティスターズに宿泊。館内はお部屋も含めWiFi無料です。カイロ最大のショッピングモール、シティスターズに隣接していて便利。このモールは夜24時まで営業していて、600近くもの店舗が入っているんです。ブランドの洋服や靴はもちろん、家電製品、本、お土産やちょっとしたスーパー、レストラン街やフードコート、ジュエリーや家具まで。平日でも大賑わいのショッピングモールです。
割と質の良いものが揃っていて、値札もついているのでぼったくられる心配もありません。新館と本館があり、広すぎて迷ってしまう程でが、お土産ものが集まっているエリアでお買い物したり、エジプト料理店も入っているので夜ご飯を食べに行ったり、帰りのフライトまでの空き時間にうろうろしたり、カイロっ子と仲良くなったり出来るところ。
そしてレストラン街にチョコレートスイーツのお店を発見。カイロの女子達が大皿に山盛りのパンケーキを囲んでいました。私はチョコレートブラウニーのクレープを。これで700円くらいなので、お腹いっぱい食べたいなら、コシャリなんかはもっと安い値段でたくさん食べられます。エジプト人の甘い物好きは女子に限らないようで、男子やファミリーでも甘ーいスイーツを囲んでいました。
街中のスイーツ屋さんはこんな感じ。店先で調理しているところも。
エジプト料理はトマトベースの鳥、豚、野菜など。モロヘイヤスープが美味しく、個人的に日本に帰ったら作りたいエジプト料理No.1!
エジプトでの今回の目的地は中部のミニヤの遺跡。カイロからミニヤまでは車で片道約4時間とちょっと長旅なので、なんと早朝5:30出発。カイロから離れると、安全のため警察も同行です。
まずベニハッサンへ。ここにはいくつものお墓が残っていて、そのうち4つの地方豪族のお墓に入ることができます。お墓まではこの階段を登らなければなりません。とは言っても、ペトラを歩いた距離に比べれば、大したことありせん。観光客が少ないので、おじさんが一緒に行って鍵を開けてくれます。
残念ながらお墓の中は撮影禁止。内部には地方豪族の生活が描かれています。壁一面に農業や漁業、ベッド作りなどの風景が描かれ、そしてそれらを捧げ物にする図になっています。なかでも特徴的なのが、この時期に流行ったらしいレスリングのレリーフ。かなりの種類がびっしりと描かれています。
現地の方にいただいた画像ですが、こんな感じです。
道の脇を流れる運河の水面に向こう岸が写って、さらにその向こうにはナイル川の恩恵を受けた緑の地が広がる、綺麗な眺めです。
そして、ペトラ遺跡ともう一つの行ってみたかった遺跡、テルエルアマルナへ。ここはアマルナ芸術が栄えたかつての都です。元々はテーベ(ルクソール)に都を置いていましたが、神官の癒着が進んでいた為、新王国時代の第18王朝、アメンホテプ4世は、神官の影響力を弱めようと、都をテーベからテルエルアマルナへ遷しました。テーベではアメン神を最高神とする多神教だったのですが、遷都と共にアテン神の唯一神信仰に変え、王自身の名前もイクナートン(アクエンアテン)に改名ました。アメンホテプ4世の名前に「アメン」と入っていたのが、アクエンアテンでは「アテン」が入っていますこれは世界で最初の宗教改革と言われています。
彼の時代には、芸術の分野でも改革がなされ、それまでの理想的な形式にこだわった芸術様式から、自由な表現や写実的なものが重視されるようになった為、この時代固有の特徴的な顔立ちや描写がされた貴重な芸術でもあります。
(エジプト考古学博物館のイクナートン像)
しかし、アクエンアテンに反対する神官達によって彼は暗殺され、テルエルアマルナの都も壊されてしまったのです。彼の治世はわずか10年あまり。テルエルアマルナはその間だけの都で、破壊されて放棄されてしまいました。切ないですね。アクエンアテンの次の王が日干しレンガ (トゥト・アンク・アメン)です。名前からもアメン神信仰に戻ったのが分かります。
テルエルアマルナでは墓や宮殿跡を見ることができますが、ここもお墓の内部は写真に残せず、破壊された為に残る遺跡も多くはありません。それでも歴史的にとても意味のある場所なので、定期的に観光客がやってくるそうです。
チケット売り場でチケットを買うと、ここのお墓も普段は閉まっているので、おじさんも私達の車でお墓までついてきます。途中で電気の電源を入れて、お墓を開けてくれました。
これも現地の方に頂いた画像ですが、イクナートンの名前は削られても、左上の太陽は神を表すので残されて、神々しい光が描かれています。
日干しレンガの宮殿跡は道のすぐそばにありますが、ひとつひとつのお部屋や柱の跡、木材が残っている部分を見ることができます。
ガイドをしてくれたアビールさんが遺跡や歴史に詳しく、とてもとても楽しい観光でした。
ミニヤからの帰りは渋滞に巻き込まれ、カイロ市内からホテルまで2時間半近くもかかりました。普段は10分の道でも、渋滞すると数時間かかることもあるとか…
また、2度目のサッカラにも行ってきました。ジョセル王の階段ピラミッドのコンプレックスがやっぱりいいですね。階段ピラミッドは修復中です。
この日は霧がかっていて、道中でギザやアブシールのピラミッドは見えませんでしたが、ジョセル王のピラミッドのところから、ダハシュールのピラミッドがかすかに見えました。
最近、カイロのエジプト考古学博物館ではカメラチケットが導入されました。なんと50エジプトポンドで、館内の写真撮影がOKになります。ただしツタンカーメンの部屋と、別料金のミイラ室での撮影は禁止、フラッシュはどこもNGです。広い博物館は全部まわるには1日ではとても足りませんが、写真を撮っても良いというのが新鮮で楽しかったです。
(クフ王の小さな像)
カノポス壷(ミイラを作って、内蔵を入れる壷)は動物や神の顔が付いているものが多いですが、これは全部ツタンカーメンの顔。
あの有名なツタンカーメンの黄金の椅子。王妃アンケセナーメンとサンダルを片方ずつ履いている仲睦まじい場面。
かわいい動物シリーズ。動物のミイラもあります。
ペトラ&ミニヤの遺跡巡りはやっと行かれた場所で、私にとってはとにかく楽しい旅でした。十分満足したのですが、やっぱりまた行きたい、何度行っても良いんだよなぁと実感しました。
オススメ度
ペトラ・・・★★★★★ 何日もかけて見たいペトラ遺跡
死海・・・★★★ この時期はまだ寒かったけど、次回は浮いてみたい!
カイロ・・・★★★★★ 観光もショッピングも盛りだくさん!エネルギッシュな街
ミニヤ・・・★★★★★ 遺跡や歴史好きの人におすすめ。事前の下調べかガイドさんがいると良い。
サッカラ・・・★★★★★ 初期のピラミッドや遺跡がたくさんあって最高
(2016年2月 増田里紗)
- 「聖地さえ 斜に構えれば USJ 異教徒女子の 秋、一人旅」 (心の短歌 ヨルダン・イスラエル・パレスチナ編)
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エリア:
- 中近東>イスラエル>エルサレム
- 中近東>ヨルダン>ワディ ラム
- 中近東>パレスチナ自治区>パレスチナ自治区その他の都市
- テーマ:ホテル・宿泊 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/01/05 15:13
今回の旅行先はヨルダンとイスラエル。イスラエルから旅の感想を記載する。
この旅行記のタイトルで聖地をまるでUSJのように思えてしまった、という件に関してはマサダとヤルデニットだけなのでそれを最初に述べておく。
キリストが洗礼を受けたヨルダン川にまつわるエトセトラ
ガリラヤ湖の南端、ヨルダン川に流れ出すヤルデニットと呼ばれる洗礼ポイントがあり、キリストがヨハネから洗礼を受けたとされる場所はさらに下流のジェリコ近郊にあるがこちらのほうがよく整備されていて巡礼者が多く訪れるのだ。洗礼を受けているところにビデオカメラを設け、その様子を出口で流し、希望者にはそのビデオを売る、というものだ。これってまるでウォータースライダーの写真を出口で見て記念に買うのと同じだ。もちろん信者たちは真剣で、一生記念として残るその様子を是非自国に持ち帰りたいというのが普通だと思う。出口にはヨルダン川の聖水や、洗礼を受けるときに着る衣装を売っていたり、またAHAVAの化粧品グッズが売っていたりと訪れる信者の気持ちと購買欲をくすぐる商品がいっぱい売っている。こうなると本当にUSJの「アトラクション」である。もちろん日本だって、神社のお参りだって同じじゃないかと言われてしまうかもしれない。確かにそうだ。でも日本のお寺や神社はもうちょっと厳かさがあって、少なくとも遊園地のアトラクションのようにはなっていない。またお参りする人の真剣さが全く違う。そこが私が違いを感じるところだった。
洗礼をうける信者達 それを見守る人々
洗礼の様子
聖水販売
ヤルデニットのお土産販売
みんなたくさん買っている
洗礼を受ける服の販売とその洗礼証明書
ヤルデニットの出口
巨大な要塞マサダ
マサダ国立公園は大きな標高400mの岩山の山頂に広がる遺跡で紀元前100年に造られた要塞だ。70年にローマ軍とユダヤ人が戦ったユダヤ戦争の最後の籠城戦でローマ軍への抵抗は2年以上も続いた。異教徒に辱めをうけることをよしとしなかった抵抗者は7人の女子供を除き、全員自決してしまう。ユダヤ人は全滅を再び繰り返さないという決意「ノー モア マサダ」というスローガンを語り継いできた。現在はここでイスラエル軍の入隊宣誓式が行われ、式の最後は「マサダは2度と陥落させない」という言葉で締めくくられるそうだ。
マサダの頂上へはロープウェイで行く
私が訪れたときにたまたまここでユダヤ人の成人式に幸運にも遭遇した。ユダヤ人の聖典トゥーラを持って練り歩く。家族や知人と楽団とともにマサダの要塞内を歌いながら練り歩く。歌詞の意味は分からないがたびたび「イスラエル」という言葉がでてくる。成人となる主役の男の子と目があったが何と幸せそうで誇らしげな顔だろうか。まっすぐにこちらを見つめる瞳とかわいい笑顔がとても印象的で今でも忘れられない。
13歳がユダヤ人男性の成人
家族知人で盛大に祝う
この要塞の頂上からみる景色は圧巻!
巨大な自然の要塞
遠くには死海が見える
住居跡なども残る
下の博物館やお土産屋さんの設備もすごく整っている。入ってから10分ほどのマサダについてのスライドショーがありその英語バージョンを見たのだが確か“WELCOME TO MASADA!”から始まってアメリカ英語でまさにUSJやディズニーランドのアトラクションばりの映像でそれを見たのちに先に進むようになっている。内容はユダヤ戦争でどのようにローマ兵士と戦ったかなど。お土産屋さんもアトラクションが終わったあとのグッズを売っている売り場とひけをとらない。「観光地」としての設備の充実具合、お金のかけ具合もパレスチナとはまるで違う。
イスラエルの入国事情
話は遡り、ヨルダンからイスラエルへ向かった日のこと。アレンビー橋での陸路で入国した。かの有名なイスラエルの入国で数時間かかるのは覚悟の上だ。ヨルダンにて出国税とバス代を払い、バスに乗って入国審査を行う。入国審査官は大きな体の男性で大きなボディピアスの穴が耳たぶにある。昔はやんちゃで悪さをしたけれど今となっては入国してくる人を厳しく取り締まる側になって、周りからは「あいつも変わったな、立派になったものだ」とか言われてるんだろうか、いや、ボディピアスはこちらではやんちゃなうちに入らないかも、でもユダヤ人の国家ならボディピアスはちょっとした不良がするに違いない、などとどうでもいいことを考えていたので、意外と緊張してなかったのだろう。あなたのピアスは超COOL!とか血迷ったことも言わないくらいの冷静さも残していた。私のパスポートは割と新しく、中東のスタンプもおされていないため、「ヨルダンの旅程は?イスラエルではどこに行くの?一人?エルサレムのホテルはどこ?英文の日程を見せて」などの質問くらいで割とすんなり入れた。残念ながらこれくらいの英会話ができない人はイスラエルには個人旅行ではなく添乗員がついている旅行をするしかない。もしかすると土曜のシャバット(安息日)のため彼らも早く帰りたかったかも?しれない。アンマンのホテルを出たのが08:00、エルサレムのホテルに到着したのが12:00だから割とスムーズにいったほうだとのこと。こんなとき丸顔でよかったと思う。丸顔は悪人には見られないのだ。
いよいよ憧れのエルサレム旧市街へ!!
今回エルサレムのホテルはオリーブツリー。4つ星ホテルで朝ごはんも充実していてネット環境も良い。すごく快適。ここの売店はAHAVAの製品が30%OFF で、AHAVAの死海の泥もしくは塩石鹸はここが一番安かったと思う。
欧米の団体客も多いオリーブツリー
到着した日は土曜日の正午くらいでちょうどシャバットだった。シャバットとは安息日で金曜の夕方から土曜の夕方まで。この間は全ての公共交通機関がストップする。車の通りもまばらだ。歩いて旧市街まで行ってみることにした。オリーブツリーの近くには有名なアメリカンコロニーホテルがあって、道路を挟むと正統派ユダヤ人のみがすむメア・シェアリーム地区。ダマスカス門まで歩いて10分から15分ほど。トラムが動いている時間だとダマスカス門駅まで二駅。ダマスカス門が近づくにつれ、アラブ色が強くなってくる。ムスリムが住むエリアはシャバット中も営業しているのだ。ダマスカス門に到着するとイスラエル軍の軍人が大きな機関銃をもって不審な人がいないかを見張っている。(476 シャバット中のダマスカス門の様子)怖い軍人に思えたが最後の方には慣れてきて聖墳墓教会(キリストのお墓があるところ)の道はこっち?など交番のお巡りさん扱いをしてしまう始末。でもびっくりしたのがヴィアドロロッサ(キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘へ歩いた道)を目の前にして、聖墳墓教会がどっちかその兵士はわからなかったのだ。たとえ所属1日目だとしても、ユダヤ人だからキリストのことをあまり知らないとしても、かの有名なヴィアドロロッサのどっちが聖墳墓教会に続くかはわかっているはずだろう。なんでだったんだろう。なぜこんなに多くの人が集まりこの道を往くのか考えないのだろうか。ダマスカス門から入った旧市街は他国のアラブの市場のよう。外国人用のお土産もあれば、地元の人用の生活用品、食品も売られていて懐かしいスパイスの香りが鼻孔をくすぐる。ああ、やっぱり私はこの雰囲気、香り、このアラブのマーケット、世界が大好きだ。そして太古から聖地であるこのエルサレムの地に立っていることを思うと感動で体が震えるのであった。ヴィアドロロッサをいくとムスリム地区の商店街も通るのだがそれがこの聖地の複雑な歴史をも思わせる。最終日の自由時間もこの旧市街とヴィアドロロッサを歩き何時間も歩いてへとへとに疲れていたがキリストが歩いたのは重い十字架を背負って、何度もひざまずいて歩いたことを思ってこんな疲れが何だ、負けるな、がんばれ、と自分を励ましながら歩くのだった。
お土産屋さんも多い旧市街のムスリム地区
旧市街は迷路のよう
アルメニア人地区は人気も少ない
アルメニア地区
キリストのお墓にはたくさんの人が列をなしている
嬉しい偶然!有名人(?)に遭遇!
マハネー・イェフダー市場はエルサレムの台所。色とりどりの野菜や果物、スパイス、お菓子など歩いてみるだけで楽しい。ここで顔見知り(?)に遭遇!
http://www.fivestar-club.jp/blog/traveler/archives/2014/12/post_638.html
FSCのスタッフ、山本がここに訪れた際のブログで後半にでてくるザクロをきるのがうまいおじちゃんを発見!!記念に一緒に撮影してもらった。
死海の浮遊体験
今回、ひょんなことで死海に浮くこととなった。ドライバーさんが一番おすすめなのがレオナルドクラブホテルの近くのビーチで、場所によっては死海の水は年々少なくなって水がビーチと水面が離れていて良くないとのことだ。以前ヨルダンに行ったときにも死海に訪れ、その時はデッドシースパに宿泊した。デッドシースパは下に泥がたまっていたけどここには泥はなかった。泥パックをする場合は買ってくる必要がある。死海に浮いたり、ビーチでのんびりしながらシーシャを吸ったりするのは楽しい。教会や遺跡めぐりだけではちょっと肩がこる、という人に是非おすすめ。(764 きれいなビーチ)(768 死海で浮いてみました)
イスラエルのコスメ事情
イスラエルのコスメで今日本でも人気なのがSABON だが、中でも一番人気の死海の塩を使ったボディスクラブは600グラムで日本では5500円だけど、エルサレムでは「SABON の会員登録をして二つ目が半額キャンペーン」みたいのをしていてそれを利用して半額くらいだ。海外に住んでいても問題ないそうで、金券クーポンみたいのをくれて「東京のSABONでもこの額面相当の金券として使えますよ」とのことだがそのクーポンはヘブライ語しか記載がないけど本当に日本のスタッフはわかってくれるかしら? いくつかコスメのお店を周ったけどみんな英語が上手で売り上手!しかもその売り子さんが美人で「私も使ってます」とか笑顔で言われたら買わないという選択肢はない。SABON 以外にも有名どころと言えばマドンナが愛用しているLARINEも旧市街近くのMAMILA MALLや繁華街のベン・イェフダー通りで手に入る。あと、ガミラシークレットというオリーブの石鹸も有名だそうなのだが残念ながらこちらは売っているところを見かけなかった。そもそもオリーブの石鹸が少なく、死海の泥石鹸、塩石鹸のほうが主流のようだ。ヨルダンの高速のサービスエリアでも死海グッズは売っているのだけどなんだろう、イスラエルのものは高級感が違う。どの国の女性もそうであるように化粧品は本当の効用よりもイメージが大事で「ここのブランドで、それなりのお金を払っているのだし効き目があるはず」と思いながら使うのが一番効果あるのだろう。見てくれもそれなりの高級感があって買う段階でわくわくさせてくれるようなのが売れる化粧品。それがヨルダンの死海コスメには足りないのだと伝えたい。余計なお世話かもしれないけど。
イスラエルの免税手続きについて
先述のマサダ国立公園やヨルダン川の洗礼のお土産屋さんの一角に有名なAHAVAの商品が置いてある。400シェケル(12000円くらい)以上の買い物が免税対象だ。以前日本に上陸したものの、いろんな団体の反対にあい撤退したようだ。この国での免税の方法は買ったお店でそれ用の書類を記入してもらう。それをチェックインする前の段階でVATの表示のあるカウンターにてその書類に判をおしてもらう。化粧品など液体の場合はこのあと預けるスーツケースの中に入れて、その書類だけ手元に残しておく。その後、航空会社のチェックイン、出国後に免税店エリアの一角にまたVATと書いたカウンターがあるのでそこに書類とパスポートを見せて、現金(USDかイスラエルシェケル)にて返してもらう。このような流れだった。
ヨルダン再訪の旅
ヨルダンの訪問は10年ぶり。前回はシリアとあわせて旅をしたがまたヨルダンに訪問することになるとは思わなかった。前回はぺトラと死海を旅行したので今回はワディラムで宿泊することとなった。
ワディラム宿泊のおすすめ!私だけのアラビアンナイト!
映画「アラビアのロレンス」の舞台となったワディラムの砂漠。4WDで砂漠を探検する。巨大な岩山と広大な砂漠の風景は進めば進むほど新しい表情を見せてくれ、かたときも目が離せない。
高台からワディラムを見下ろす
ロレンスの家
ロックブリッジ
絶壁
日帰りではなく宿泊してじっくりその魅力に迫り、夜は降るような星空を楽しめるプランがおすすめだ。本日の宿泊は通常のキャンプサイトより奥地にあり、4WDでしか行けない砂漠の真ん中にあるナイトラグジュアリーキャンプ。今回の宿泊はとてもユニークなお部屋に泊めさせてもらった。昔、デパートの屋上で、空気でふくらませたビニールの巨大なドームみたいな中で子供がぴょんぴょんとべる遊具があったが、それと同じ原理で部屋の上半分くらいが透明になっていて、ベッドから星空を眺められるお部屋に宿泊した。部屋の中にトイレもシャワーもあり、外から空気が送られてくるので少し乾燥するものの、こんなわくわくするお部屋に泊まることとなりドキドキだ。ベッドに寝転び部屋内の電気を消すと星空しか見えない。(ちょっと砂埃で汚れていたから外と全く同じ、というわけにはいかないけれど)なんて贅沢でロマンティックなお部屋なんだろう!しかし部屋自体が大きな風船のようになっていて、入り口は二重になっているので出入りするときは必ずどちらかを閉めていないと空気が漏れてしまい、部屋自体がペチャンコになってしまうのでご注意を。あと、荷物を置く場所は限られていてスーツケースひとつくらいしかあけるスペースがないので、二人で泊まる場合は一人分のスーツケースにまとめて置くのがよいと思う。このタイプのお部屋はまだ一部屋しかないが部屋を増やすことを計画しているそう。
外観はこんな感じ
ベッドの上には星空が広がる
普通の部屋はベドウィンのテントをイメージし、中はこだわり抜いた家具や寝具と落ち着いた雰囲気で、ここが砂漠の真ん中であることを忘れさせてくれ、至福のひとときを与えてくれる。
テントをイメージしたお部屋
美味しい料理とテントのレストラン
共同のトイレ・シャワー
ベドウィンのテントのような外観の部屋
目の前にはワディラムの岩山の風景が広がる
美しき街サルトで家庭訪問!
アンマンは都会なんだけど何となく味気なくてさほど見どころも少ない。今回はアンマン近郊にある小さな街サルトで他にはない面白い体験ができるとのことなので訪れることとなった。サルトはヨルダンで最も古い街の一つで黄色い石造りの家々が丘に沿ってたつ美しい街なのだが、ここでなんとヨルダン人の家庭訪問をさせてもらった。お母さんが料理をふるまってくれたのだが、印象に強く残っているのがマクルーベという炊き込みご飯で大きな鍋に炊きたてのご飯を大きなお盆の上を頭にのせ、頭の上で鍋をひっくり返すのだ!チキンも入っていて優しい味で日本人の口にもあう。今回の旅行で一番美味しい食事だった。それをヨルダン人の家でお母さんと一緒にいただくのだから喜びもひとしお。食事の後の伝統衣装をきての写真撮影をさせてもらった。大きな布を帯やピンでとめていく。日本の着物も大きな布をまとうのだけど、出来上がりはこんなに違います。おもしろいなぁ。
頭の上で大きな鍋をくるり
マクルーベ、おいしそう!
お母さんと一緒にいただきまーす
こんなに大きな布を・・・
お母さんに着せてもらいます
お母さんと記念撮影
また歴史ある美しいこの街での散策も楽しい。迷路のように入り組んだ路地と階段の先にはこの街の全景がわかる素晴らしい景色が私を待っていたのだった。
サルトは丘の上に家々が建つ
きれいなサルトの街並み
サルトは階段が多い
ムスリムとクリスチャンが住む街
戦争を繰り返す国へ
ヨルダンはシリアの隣にあって「治安は大丈夫?」と思う人もいるかもしれないが、ヨルダン自体は安全そのもの。現地の人は「ヨルダンは中東のスイス」と例えていた。
私は大好きな朝ドラの「あさが来た」の言葉をこの国に、また戦争をしている国に伝えたい。あさは折り合いのつかない炭鉱夫たちにピストルで脅す形で働かせることとなってしまったのだが、その日、夫の新次郎はあさに下記のように言うのだった。「相手を負かしたろと武器もつやろ、そしたら相手はそれに負けんようにもっと強い武器をもって、そしたらこっちはもっともっと強い武器を、ってこれは太古の昔からあほの男が考えるこっちゃ。あさはそんな力づくの男のやることではなくてもっとあんたなりのやり方(女性らしい“柔らかい“やり方)があるんとちゃいますか。」
暴力には暴力で対抗するのではなく、誰の命もおとすことなく、また、ラビンとアラファトが握手をしたようにお互いの手と手をとって、話し合って解決できる日が早く来てほしいと願うばかりである。
★★★★★ エルサレムの旧市街 フリータイムに自分で散策が面白い!!
★★★★ ベツレヘム、ジェリコ パレスチナとイスラエルの違いを自分の目で確かめよう
★★★★ 日帰りで死海浮遊体験(イスラエル) 教会めぐりとは違った楽しさ
★★★★ ワディラム 宿泊して自分だけのアラビアンナイトを!!
(2015年11月 辻理恵子)
- ヨルダンからイスラエルを越えてきました。-私的聖地巡礼の旅-
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エリア:
- 中近東>イスラエル>死海
- 中近東>ヨルダン>ペトラ
- テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2014/12/19 17:34
ついにやってきた。
高校生の頃から、いつかこの目で見たいと思い続けたペトラ遺跡へ。
ペトラ遺跡は心踊るバラ色の遺跡だった。
アンマンから車で約3時間。その道中のほとんどは荒涼とした砂漠地帯。
ペトラ遺跡のゲートそばにあり、遺跡に最も近いホテル、ペトラゲストハウスにチェックイン。
ホテルでローカルガイドさんと落ち合い、早速遺跡見学へ出発。
まず見えてくるのは聖霊が宿ると伝えられる墓、ジンブロックス。
右手に3つの巨大なモニュメントが建っている。そして左手にはエジプトのオベリスクを模したようなバーブ・アッシーク・トリクリニウム。
エルハズネへと続くシークに差し掛かかる頃には、いつエルハズネが見えるのかと期待がどんどん高まってくる。
しかしこの峡谷は長さ1.2Kmと意外と長い。途中、下半身だけ残った巨大なキャラバンの像や、ナバタイ人の知識の高さが窺える水路跡など、おもしろい。
そして、ガイドさんのエルハズネ、チラ見せ案内の後、岩影から現れたのがバラ色のエルハズネ!会いたかったー‼
しかし、ペトラ遺跡はエルハズネだけではなかった。
さらにさらに奥には王家の墓や大神殿、円形劇場など、巨大建造物が次から次へと姿を現わす。
なんと、まだ発掘されたのは全体の1%に過ぎないらしい。
どれだけ大きな都市だったのか想像すらできない…。
夜は、ペトラ・バイ・ナイトへ。
20:30にゲート前に集合して、かすかなロウソクの火に灯された道をエルハズネ目指してゆっくりと徒歩で進む。真っ暗なエルハズネ前の広場は何百ものロウソクで埋め尽くされていて幻想的な雰囲気。
広場に座り、振舞われたミントティーを飲みながら、ウードの音色に耳をすませる。
暗闇のなかにぼんやりと浮かぶエルハズネ。2000年前のナバタイ人の生活が蘇ってくるようだ。なんとも神秘的な夜会に感動。
翌日は、極上の休日を過ごすべく死海のリゾートへ。
ケンピンスキーホテルに滞在した。
円形のインフィニティプール
チェックインをしたら、早速プライベートビーチへ。
初めての死海浮遊体験。
12月初めだが、日中は20度を超える暖かさ。
そして、死海の中はもっと温かかった。
心配していたほどのテクニックも必要なく、あっという間にプカリと浮かぶ。
カナヅチな私でも、スイスイと平泳ぎ。
溺れかけても….
ほらこの通り!
ベタですが、本も読めます。
ケンピンスキーのプライベートビーチ
なんとも楽しい体験に興奮した。
死海で遊んだ後は、ホテルのスパで泥パック。
死海に沈む夕陽を眺めながら、ジンジャーティーをいただく至福のひと時。
時間があれば2泊はしたいところ。
ただ、予想外のハエの多さには少し辟易するかもしれない。
翌日は、少し緊張の国境越え。
アレンビー橋を渡り、イスラエルへ入国。
ヨルダン側での出国審査は、まずパスポートコントロールの建物へ入り、係員に出国税の10jodを支払う。パスポートはそのまま係員に預けておく。
建物前には国境越えのバスが待機していて、係りの人にバスのチケット7jodと預け荷物代1.5JODを支払い、バスに乗り込む。待つこと約15分。バスの中でパスポートが返却され、出発。バスは前方も横も後方もカーテンがしてあり、ほとんど外が見えない。なんだか物々しい雰囲気だ。
カーテンの隙間からは、荒涼とした大地が広がっていた。走ること約10分でイスラエルに到着。早速のヘブライ語に感激してしまう。
そこからの入国審査は戦場のよう。
まず、荷物を預ける所では、人々の怒号が飛び交い荷物が宙を舞う。
なんとか窓口で荷物のタグをもらい、パスポートをチェックしたあとはセキュリティチェック。その後パスポートコントロールへ向かう。入国審査は質問攻め。誰と来たのか、ヨルダンにはどれくらいいたのか、イスラエルではどこに行くのか、なぜベツレヘムへ泊まるのか……等々。
そこを抜けると、またパスポートチェックがあり、もう一度入国審査のチェックがある…。
ようやく荷物をピックアップし、最後に荷物検査の長蛇の列。到着後から1時間以上かかり、やっとこさ出口に向かった。
パスポートにイスラエルのスタンプを押さないように、出入国ではこのような証明書がもらえる。
国境でピックアップしてもらったドライバーさんの車でパレスチナ自治区からエルサレムに入り、もう一度パレスチナ自治区へ。
ベツレヘムにやってきた。
イスラエル入国の第一印象は街も大地も白い!
これは、建物はすべてイスラエル産のライムストーンで作るように規制があるかららしいと知った。
カタカナのようなかわいいヘブライ語が並ぶ街から、パレスチナ自治区となるベツレヘムに入った途端にアラビア語表記の街並みに変わる。複雑なバックグラウンドを持つ国に入ったことを実感する。
ホテルにチェックイン後、フリータイムにベツレヘムを散策してみる。
イスラエルとパレスチナ自治区を隔てる分離壁
初めての街、そしてパレスチナということで少し緊張しながら歩いたが、人々が優しすぎて驚いた。
道を尋ねれば親切に教えてくれる。カメラを向ければ笑顔。日本で得るニュースから勝手に想像していた悲愴感は全くなかった。
名物のローカルフード、ファラフェルを食べながら、ぶらぶらと街の中心となるキリストの聖誕教会を目指す。聖誕教会前のメンジャー広場には巨大なツリーが飾られ、クリスマスムード満点。
聖誕教会裏にあるミルクグロットヘ。かわいらしいマリア伝説の残る真っ白い教会を訪れた。ちょうどシスターたちのお祈りの時間で、教会に響き渡る美しい歌声を聴くことができた。
そしてミルクグロットで居合わせた陽気なナイジェリア人たちと大声で歌いながら広場まで戻ってきた。
アジアより整然、
ヨーロッパより混沌。
長く深い歴史のある町特有の、少し近寄りがたさもかもし出すエルサレム。
いざ、聖なる街へ!!
オリーブ山からは旧市街が一望できる。ひときわ目立つのが金色に輝く岩のドーム。
イスラエルのライムストーンを使っていて、旧市街は白く輝いている。
嘆きの壁は真ん中に仕切りがあり、男女別になっている。
嘆きの壁にて、にわかユダヤ教徒になりお願い事を書いた紙を壁の間に挟み込む。
ヴィアドロローサを辿り、イエスキリストに心を寄せる。
キリストが三度目につまづいた地点の柱には、人々の手あかがびっしりとついている。
旧市街の中のムスリム地区。
今回、案内してくれたガイドさんは、エルサレム(イスラエル)に住むパレスチナ人でイスラム教徒。ドライバーさんは、同じくエルサレム(イスラエル)に住むパレスチナ人でクリスチャン。頭が混乱してきた。
パレスチナ人はパレスチナ自治区にしか住めないんじゃないの?
パレスチナ人でもクリスチャン?イスラム教徒じゃないの?
そして、2人で話している言語はアラビア語?
複雑なようでとてもシンプルなこと。宗教が違えど、ここキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地エルサレムでは宗教による差別も偏見もないようだ。
ただ、旧市街にはアラブ人が多く住み、新市街にはユダヤ人が多く住んでいるらしい。
また、イスラエルに住むイスラエル人はパレスチナに入ることはできず、パレスチナに住むパレスチナ人はイスラエルに入ることはできない。どちらもビザのような許可証がいるらしい。
2日目は、ガイドさんなしのフリータイムで昨日は入れなかった神殿の丘からスタート。
黄金に輝く岩のドーム
旧市街のスークをぬけ、ダマスカス門へ。
トラムに乗って新市街へ移動。
広々とした通りにオープンテラスのカフェ。
まるでヨーロッパの都市のよう。
新市街の台所、マハネー・イェフダー市場へ。
ビールの調査。ベツレヘムではパレスチナ産ビールしか見なかったが、
イスラエルビールは意外と種類が豊富。しかし、ヘブライ語のみの表示で全く読めない。
俺のザクロ切りテクニックを見ていけ、というドヤ顔のオヤジさん。
市場の中におしゃれなカフェを発見。
色使いがかわいい。
ユダヤ人男性が頭につけるキッパ。
さすがに、こんなのつけている人はいない。。。
超正統派ユダヤ教徒の住むメアリージェム地区へ。
カメラを向けると睨まれるので、どうしても隠し撮りのようになってしまう。
超正統派ユダヤ人の兄弟。
もしゃもしゃの長いもみあげがトレードマーク。
もみあげは生まれてから一度も切らないそう。
ランチは日本食に手を出してみた。
味噌汁の出汁がしっかりきいていておいしい。
蕎麦にはなぜか、ごま油が入っている。
おしゃれな雑貨屋さんのお姉さん。
最新ショッピングモール、マミラへ。
ブランドショップから、イスラエル人デザイナーのジュエリーショップミハエルネグリン、コスメショップなど、とてもおしゃれなエリア。
18歳から男女共に兵役義務のあるイスラエル。至る所で銃を持った若い兵士を見かける。
こうでもしないと国を守れないのかもしれない。イスラエルの置かれている状況に胸が痛んだ。
何ともかわいらしいヘブライ語
今、治安・情勢の最も気になるヨルダンとイスラエルを訪れてみて、
思った以上に安心して旅ができることを再確認した。
そしてイスラエルに関しては、何も知らないのだということを実感させられた。
こんなに知的好奇心をくすぐられる場所に来たのは初めてだ。
驚きと興奮の連続!面白すぎるイスラエル、たった3日の滞在では全く足りなかった。
エルサレムは、また行きたい町ランキング、ナンバー1にあっさりと躍り出た。
【スタッフおすすめ度】
エルサレム・・・★★★★★ 絶対的聖地。旧市街の中は入り組んでいるので1日はガイ
ドさんと街歩きをするのがおすすめ。
ベツレヘム・・・★★★★ キリスト教の聖地だがパレスチナ自治区。エルサレム
とはまた違ったアラブ色の強い町並みがおもしろい
ペトラ遺跡・・・★★★★ 一度は自分の目で見てみたいバラ色に輝くエル・ハズネ。
死海・・・・・・ ★★★★ どんなカナヅチさんでも浮くことができる不思議な海。癒しと驚きの極上リゾート。
(2014年12月 山本みな)
高校生の頃から、いつかこの目で見たいと思い続けたペトラ遺跡へ。
ペトラ遺跡は心踊るバラ色の遺跡だった。
アンマンから車で約3時間。その道中のほとんどは荒涼とした砂漠地帯。
ペトラ遺跡のゲートそばにあり、遺跡に最も近いホテル、ペトラゲストハウスにチェックイン。
ホテルでローカルガイドさんと落ち合い、早速遺跡見学へ出発。
まず見えてくるのは聖霊が宿ると伝えられる墓、ジンブロックス。
右手に3つの巨大なモニュメントが建っている。そして左手にはエジプトのオベリスクを模したようなバーブ・アッシーク・トリクリニウム。
エルハズネへと続くシークに差し掛かかる頃には、いつエルハズネが見えるのかと期待がどんどん高まってくる。
しかしこの峡谷は長さ1.2Kmと意外と長い。途中、下半身だけ残った巨大なキャラバンの像や、ナバタイ人の知識の高さが窺える水路跡など、おもしろい。
そして、ガイドさんのエルハズネ、チラ見せ案内の後、岩影から現れたのがバラ色のエルハズネ!会いたかったー‼
しかし、ペトラ遺跡はエルハズネだけではなかった。
さらにさらに奥には王家の墓や大神殿、円形劇場など、巨大建造物が次から次へと姿を現わす。
なんと、まだ発掘されたのは全体の1%に過ぎないらしい。
どれだけ大きな都市だったのか想像すらできない…。
夜は、ペトラ・バイ・ナイトへ。
20:30にゲート前に集合して、かすかなロウソクの火に灯された道をエルハズネ目指してゆっくりと徒歩で進む。真っ暗なエルハズネ前の広場は何百ものロウソクで埋め尽くされていて幻想的な雰囲気。
広場に座り、振舞われたミントティーを飲みながら、ウードの音色に耳をすませる。
暗闇のなかにぼんやりと浮かぶエルハズネ。2000年前のナバタイ人の生活が蘇ってくるようだ。なんとも神秘的な夜会に感動。
翌日は、極上の休日を過ごすべく死海のリゾートへ。
ケンピンスキーホテルに滞在した。
円形のインフィニティプール
チェックインをしたら、早速プライベートビーチへ。
初めての死海浮遊体験。
12月初めだが、日中は20度を超える暖かさ。
そして、死海の中はもっと温かかった。
心配していたほどのテクニックも必要なく、あっという間にプカリと浮かぶ。
カナヅチな私でも、スイスイと平泳ぎ。
溺れかけても….
ほらこの通り!
ベタですが、本も読めます。
ケンピンスキーのプライベートビーチ
なんとも楽しい体験に興奮した。
死海で遊んだ後は、ホテルのスパで泥パック。
死海に沈む夕陽を眺めながら、ジンジャーティーをいただく至福のひと時。
時間があれば2泊はしたいところ。
ただ、予想外のハエの多さには少し辟易するかもしれない。
翌日は、少し緊張の国境越え。
アレンビー橋を渡り、イスラエルへ入国。
ヨルダン側での出国審査は、まずパスポートコントロールの建物へ入り、係員に出国税の10jodを支払う。パスポートはそのまま係員に預けておく。
建物前には国境越えのバスが待機していて、係りの人にバスのチケット7jodと預け荷物代1.5JODを支払い、バスに乗り込む。待つこと約15分。バスの中でパスポートが返却され、出発。バスは前方も横も後方もカーテンがしてあり、ほとんど外が見えない。なんだか物々しい雰囲気だ。
カーテンの隙間からは、荒涼とした大地が広がっていた。走ること約10分でイスラエルに到着。早速のヘブライ語に感激してしまう。
そこからの入国審査は戦場のよう。
まず、荷物を預ける所では、人々の怒号が飛び交い荷物が宙を舞う。
なんとか窓口で荷物のタグをもらい、パスポートをチェックしたあとはセキュリティチェック。その後パスポートコントロールへ向かう。入国審査は質問攻め。誰と来たのか、ヨルダンにはどれくらいいたのか、イスラエルではどこに行くのか、なぜベツレヘムへ泊まるのか……等々。
そこを抜けると、またパスポートチェックがあり、もう一度入国審査のチェックがある…。
ようやく荷物をピックアップし、最後に荷物検査の長蛇の列。到着後から1時間以上かかり、やっとこさ出口に向かった。
パスポートにイスラエルのスタンプを押さないように、出入国ではこのような証明書がもらえる。
国境でピックアップしてもらったドライバーさんの車でパレスチナ自治区からエルサレムに入り、もう一度パレスチナ自治区へ。
ベツレヘムにやってきた。
イスラエル入国の第一印象は街も大地も白い!
これは、建物はすべてイスラエル産のライムストーンで作るように規制があるかららしいと知った。
カタカナのようなかわいいヘブライ語が並ぶ街から、パレスチナ自治区となるベツレヘムに入った途端にアラビア語表記の街並みに変わる。複雑なバックグラウンドを持つ国に入ったことを実感する。
ホテルにチェックイン後、フリータイムにベツレヘムを散策してみる。
イスラエルとパレスチナ自治区を隔てる分離壁
初めての街、そしてパレスチナということで少し緊張しながら歩いたが、人々が優しすぎて驚いた。
道を尋ねれば親切に教えてくれる。カメラを向ければ笑顔。日本で得るニュースから勝手に想像していた悲愴感は全くなかった。
名物のローカルフード、ファラフェルを食べながら、ぶらぶらと街の中心となるキリストの聖誕教会を目指す。聖誕教会前のメンジャー広場には巨大なツリーが飾られ、クリスマスムード満点。
聖誕教会裏にあるミルクグロットヘ。かわいらしいマリア伝説の残る真っ白い教会を訪れた。ちょうどシスターたちのお祈りの時間で、教会に響き渡る美しい歌声を聴くことができた。
そしてミルクグロットで居合わせた陽気なナイジェリア人たちと大声で歌いながら広場まで戻ってきた。
アジアより整然、
ヨーロッパより混沌。
長く深い歴史のある町特有の、少し近寄りがたさもかもし出すエルサレム。
いざ、聖なる街へ!!
オリーブ山からは旧市街が一望できる。ひときわ目立つのが金色に輝く岩のドーム。
イスラエルのライムストーンを使っていて、旧市街は白く輝いている。
嘆きの壁は真ん中に仕切りがあり、男女別になっている。
嘆きの壁にて、にわかユダヤ教徒になりお願い事を書いた紙を壁の間に挟み込む。
ヴィアドロローサを辿り、イエスキリストに心を寄せる。
キリストが三度目につまづいた地点の柱には、人々の手あかがびっしりとついている。
旧市街の中のムスリム地区。
今回、案内してくれたガイドさんは、エルサレム(イスラエル)に住むパレスチナ人でイスラム教徒。ドライバーさんは、同じくエルサレム(イスラエル)に住むパレスチナ人でクリスチャン。頭が混乱してきた。
パレスチナ人はパレスチナ自治区にしか住めないんじゃないの?
パレスチナ人でもクリスチャン?イスラム教徒じゃないの?
そして、2人で話している言語はアラビア語?
複雑なようでとてもシンプルなこと。宗教が違えど、ここキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地エルサレムでは宗教による差別も偏見もないようだ。
ただ、旧市街にはアラブ人が多く住み、新市街にはユダヤ人が多く住んでいるらしい。
また、イスラエルに住むイスラエル人はパレスチナに入ることはできず、パレスチナに住むパレスチナ人はイスラエルに入ることはできない。どちらもビザのような許可証がいるらしい。
2日目は、ガイドさんなしのフリータイムで昨日は入れなかった神殿の丘からスタート。
黄金に輝く岩のドーム
旧市街のスークをぬけ、ダマスカス門へ。
トラムに乗って新市街へ移動。
広々とした通りにオープンテラスのカフェ。
まるでヨーロッパの都市のよう。
新市街の台所、マハネー・イェフダー市場へ。
ビールの調査。ベツレヘムではパレスチナ産ビールしか見なかったが、
イスラエルビールは意外と種類が豊富。しかし、ヘブライ語のみの表示で全く読めない。
俺のザクロ切りテクニックを見ていけ、というドヤ顔のオヤジさん。
市場の中におしゃれなカフェを発見。
色使いがかわいい。
ユダヤ人男性が頭につけるキッパ。
さすがに、こんなのつけている人はいない。。。
超正統派ユダヤ教徒の住むメアリージェム地区へ。
カメラを向けると睨まれるので、どうしても隠し撮りのようになってしまう。
超正統派ユダヤ人の兄弟。
もしゃもしゃの長いもみあげがトレードマーク。
もみあげは生まれてから一度も切らないそう。
ランチは日本食に手を出してみた。
味噌汁の出汁がしっかりきいていておいしい。
蕎麦にはなぜか、ごま油が入っている。
おしゃれな雑貨屋さんのお姉さん。
最新ショッピングモール、マミラへ。
ブランドショップから、イスラエル人デザイナーのジュエリーショップミハエルネグリン、コスメショップなど、とてもおしゃれなエリア。
18歳から男女共に兵役義務のあるイスラエル。至る所で銃を持った若い兵士を見かける。
こうでもしないと国を守れないのかもしれない。イスラエルの置かれている状況に胸が痛んだ。
何ともかわいらしいヘブライ語
今、治安・情勢の最も気になるヨルダンとイスラエルを訪れてみて、
思った以上に安心して旅ができることを再確認した。
そしてイスラエルに関しては、何も知らないのだということを実感させられた。
こんなに知的好奇心をくすぐられる場所に来たのは初めてだ。
驚きと興奮の連続!面白すぎるイスラエル、たった3日の滞在では全く足りなかった。
エルサレムは、また行きたい町ランキング、ナンバー1にあっさりと躍り出た。
【スタッフおすすめ度】
エルサレム・・・★★★★★ 絶対的聖地。旧市街の中は入り組んでいるので1日はガイ
ドさんと街歩きをするのがおすすめ。
ベツレヘム・・・★★★★ キリスト教の聖地だがパレスチナ自治区。エルサレム
とはまた違ったアラブ色の強い町並みがおもしろい
ペトラ遺跡・・・★★★★ 一度は自分の目で見てみたいバラ色に輝くエル・ハズネ。
死海・・・・・・ ★★★★ どんなカナヅチさんでも浮くことができる不思議な海。癒しと驚きの極上リゾート。
(2014年12月 山本みな)
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