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- マッドマンに会いたい!忘れざる太平洋戦争と民族を巡る、パプアニューギニア!
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エリア:
- オセアニア>パプアニューギニア>ポートモレスビー
- オセアニア>パプアニューギニア>ラバウル
- オセアニア>パプアニューギニア>ゴロカ
- テーマ:マリンスポーツ 歴史・文化・芸術 自然・植物
- 投稿日:2017/01/13 16:15
パプアニューギニアと聞いてどんなイメージを持つだろうか。
第二次世界大戦、多種多様な民族、つい数十年前まで石器時代のような暮らしをしていた未開の土地・・・
そんなイメージを抱いていた。とにかく謎に満ちた国!いつかは行ってみたいと心の隅で思っていたものの、まさかその機会が訪れようとは!
ありがたい事に視察旅行で憧れのパプアニューギニアに行く機会を頂いた。
ついこないだまで石器時代の暮らしをしていたと聞くと、どれほどの秘境かと思うが実は日本からはとても近い。
成田から週に2便も直行便が飛んでいて、6時間ほどで首都、ポートモレスビーに到着した。時差はたったの1時間。あまりにあっさりと到着するので、秘境にやって来たという感じは全くしない。
早朝到着であるにもかかわらず、タラップに降りると南国らしいムァツとっした熱気に包まれた。
イミグレーションで、これまたあっさりとビザを取得。(ビザは2016年12月現在、無料)
パプアニューギニアに入国する際、気を付けなければならないのは食べ物の持ち込みだ。生モノ類以外は持ち込みが許可されているが、入国カードの“食べ物をもっていますか”の問いに“いいえ”として、万が一スーツケースからお菓子など見つかろうもんには、罰金を取られるかもしれない。私たちのグループも4名中3名はスーツケースをあけられていたので、高確率でスーツケースの中身チェックがあるだろう。
さて今回は・・・
初日 日本発
2日目 ポートモレスビー着後、朝食
空路にてラバウル、戦跡めぐり
3日目 AM:ドルフィンウォッチング
空路にてポートモレスビーへ
4日目 空路にてゴロカへ
マッドマン・ダンスショー観光
5日目 帰国
という、5日間の限られた日程だ。
2日目
国内線でラバウルへ。ラバウルはソロモン諸島を攻略するための一大基地として、9万にも及ぶ航空隊員が派兵された。ラバウルを占領した日本軍は、ガダルカナルなどの戦いに向け、至る所に地下要塞も作ったのだ。
海から約200mも離れたところに作られた大発格納庫には5隻の船が今も格納されたままだ。爆撃機は現在、緑と花とヤシの木に囲まれている。かつて人々の命を奪っていた恐ろしい殺戮マシーンであったことを忘れ、ようやく平和な眠りについたようだった。
大発格納庫
爆撃機
あの山本五十六が戦死する前日まで作戦会議をしていた海軍司令部地下壕、山本バンカーへ。地下に潜ると壁には、慰霊に来た人の名前や山本五十六が作戦会議をしていた際の地図などがそのままに残されていた。中は空気が通らないので蒸し暑く、ものの数分でじっとりと汗をかき始める。こんな環境で兵士たちは過ごしていたのか・・・
山本バンカー
小橋桟橋にむかうと、朽ち果てた日本戦からだいぶして遊ぶ子供たちに出会った。
小橋桟橋で遊ぶ子供たち
魚雷
戦車
ゼロ戦
緑に囲まれた爆撃機や、朽ちた戦艦で遊ぶ子供たち・・・あまりの今の平和さとのギャップに、戦争がいかに無意味だったのかと胸が締め付けられる思いになる。
3日目
ドルフィンウォッチングへ
ラバウルには戦跡以外にも見所は多い。
今日はガラッと気分を変えて、ドルフィンウォッチングへ出かけた。
天候は曇天…イルカが見れるのか、波は荒くないのか、不安がよぎるが、いざ出航!
ボートから海水に触れてみると、想像以上に水温が高い。31度くらいあるそうだ。
15分くらい走ればイルカの集まるポイントに着くという事だが、目当ての場所に着くもイルカは見当たらない。別のポイントにボートを走らせるが、途中、限界に達した雨雲から大粒の雨が。スコールを抜けさらに30分ほど走ったところで、ようやくイルカの群れに出会う事が出来た!
イルカの群れ
ボートの先頭の左右に鉄の棒を装着。そこに大きなネットをつけ、ネット上にドボン!
ネットに捕まりながら、船がゆっくりとイルカの群れを探して進んでくれる。イルカは船と並走して遊ぶのだそうだ。すごい近くにイルカが!すごい、私、一緒に泳いでる〜(実際にはネットに捕まっているだけで泳いでないが)
イルカの群れ
インストラクターさんの言葉を借りると、目の前はまるでナショナルジオグラフィックの世界。海の中でイルカの鳴き声が聞こえたことに超感動!
そして次なる目的地、ポートモレスビーへ。
また国内線に乗らなければならない・・・のだが、どうやらオーバーブッキングをしているようで、私たちが飛行機に搭乗できたのはなんと出発時刻の10分前。
このフライトに乗れないと、楽しみにしていたゴロカに行けなくなってしまうのでほっと胸をなでおろした。
首都ポートモレスビーは想像以上に都会だった。
ちょうどU-20のFIFA女子ワールドカップが開催されていて、日本はくしくも準決勝でフランスに敗れたところだった。
そんな中、ポートモレスビーを車窓観光していると、作りかけの立派なサッカー場が。現地スタッフ曰く、今回のワールドカップに向けて新しいサッカー場をつくっていたのだが、途中で資金が足りなくなり、ゴール裏の観客席が1面作れなかったそう。FIFAに見せたら、こんなところで試合は出来ない(当たり前(笑))と言われ、4面のうち、1面が足りないまま放置されているのだそうだ。
だってこれじゃ、チケット買わなくても外からよく見えるもんね。チケット買う意味ないよね。なんで途中でお金なくなっちゃうんだろ、パプアニューギニア人て面白いな。
ここで現地スタッフの方から聞いた面白い小話をもう一つ。
パプアニューギニアに来て驚かされるのは、人々の人懐こさ。カメラを向けると誰でも微笑んでくれて、気軽に話しかけてくれる。本当に邪気を感じないのだ。みんなとても優しい。でも彼らは喜怒哀楽の感情が非常に激しいのだそう。ケンカになると弓や槍を持ち出す人が未だにいて(狩りかよ!)、夫婦げんかで家を燃やすとか、逃げてきた近隣の嫁さんを匿ったら、夫が押しかけてきて包丁沙汰になったりすることもあったらしい。後日その夫婦は豚をもって謝罪に来たという。彼らにとっての豚とは、時に結納金、時に部族間の闘争を収めるための保証の品である。またもしも仮に交通事故を起こして、相手が瀕死の重傷に陥った場合、ドライバーの起す行動は、まず逃げること。逃げて安全を確保するのだ。なぜかというと、悪いことをしたドライバーが、周りの人たちからリンチに合うため。結局ドライバーに暴行した人たちは法の下に裁かれるのだが、世間の目は違う。あぁ、あれはドライバーが悪いよ、周りの人に殴り殺されても仕方ない、と判断するらしい。
今のこの時代でも本当に精霊や黒魔術を信じているし、いろいろな意味でピュアで混じりけが無いのだ。
カメラを向けると屈託のない笑顔を返してくれる人々
4日目
最後の目的地にして、最大の目的地、ゴロカへ。
ゴロカもまた国内線を使うのだが、ここでもまたトラブル。2時間前に空港に着くが、待てど暮らせどチェックインが出来ない。あっという間に搭乗時間30分前で、それでもまだチェックインできそうな見込みがない。というか列はこの1時間、全く進んでいない。
現地スタッフの方が航空会社の偉い人に電話をかけてくれ、列に並ぶ人を無視して、別ルートからチェックインをさせてもらい、事なきを得た。
オーバーブッキングで人が溢れているのかと思いきや、出発10分前に機材に乗り込むと、半分以上空いているではないか!なんだったんだ!?とイラッとした気持ちにさせられるが、ここパプアでそんなことに腹を立ててもしょうがない。無事に乗れたことに感謝し、心にくすぶる疑問マークは消し去った。
ゴロカ空港のバゲージクレームはかなり質素
ゴロカの標高は約1500mなので、これまでとうって変ってとても涼しい!とはいえ日中の日差しはすさまじく、油断しているとかなり日に焼けてしまう。
本日ゴロカではマッドマンによるショーを見に行く。
マッドマンとはアサロ渓谷に住む人々が泥を塗って戦いに挑んだとき、相手部族が亡霊と思い込み逃げて行ったことに由来している。マッドマンはあまり強い部族ではなかったが、その独特な風貌で、戦わずして土地の奪還に成功したのだ。
マッドマンの部族が暮らす村
まずはスパイが偵察に来る・・・
マッドマンは音も立てずにやって来る
マッドマン
子供のマッドマンもいる!
泥のマスクは意外と重い
音もなくマッドマンが現れ、観客に向かってサービスをしてくれる。
前にばかり気を取られていると、背後の竹やぶからもマッドマンが現れてびっくり!
時々手に持った葉っぱを目の前にかざす仕草をしている。何か意味があるのかと思ったら、ただ単に蚊をよけているだけ(笑)。
マッドマン達は心優しく、日本人の私たちに向け、日本流のお辞儀で来てくれたことへの感謝の意を表してくれた。
お辞儀するマッドマン
ショーを楽しんだ後は、伝統料理のムームーランチ。土の上にバナナの皮をひき、そこに葉っぱやイモ、チキン(チキンは彼らにとってはめったに食べられない御馳走)を蒸し焼きにしたものだ。
ムームーランチの準備をしてくれるマッドマン達・・・優しい
ムームーランチ
キャベツ、カボチャの葉、シダなどたくさんの葉っぱが入っている。シダ((;゜Д゜)!と思って恐る恐る食べてみたけど、無味無臭。それよりもタピオカイモが、もさもさしていて、とても食べるのが辛かった。ゴロカ名産のさつまいもは甘くて美味。
アサロ渓谷から戻り、ローカルマーケット見学。
とても活気があって、人がごった返している。ムームーランチでおなじみのシダもたくさん売っていた。
活気あふれるゴロカマーケット
こうしてあっという間の5日間が過ぎた。
今回初めてのパプアニューギニアだったが、早くも次に行きたい場所、見たい民族、体験したいお祭りなどが頭の中を巡っている。
そう遠くない将来、この笑顔あふれる島で、国内線のチェックインの遅さにイライラしつつも、それを楽しんでいる自分がいる気がしてならない。
マッドマンの村にて
オススメ度
ラバウル ★★★★★ 日本人が忘れてはいけない過去。海のアクティビティーも楽しい。
ポートモレスビー ★★ 観光する場所はあまり多くない、治安もあまりよくない
ゴロカ ★★★★★ マッドマンは必見!その他、多様な民族が多く暮らしている。
(2016年11月 久保井奈々子)
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エリア:
- オセアニア>パプアニューギニア>ゴロカ
- オセアニア>パプアニューギニア>パプアニューギニアその他の都市
- テーマ:観光地 ハイキング・登山 自然・植物
- 投稿日:2017/01/13 15:01
〜セピック、パリンベ、チャンブリ、アイボム、カンガナム、ウェワク、マプリック、ゴロカ、アサロ、ケマセ、マッドメン、クロコダイルマン〜
今回機会あって、おそらく世界でもっとも石器時代に近いであろうパプアニューギニアの最深部・セピック川中流域の集落に行ってきました。世界中に秘境といわれる地域は多数ありますが、今回訪れたパプアニューギニアセピック川中流域では最近まで首狩が行われていたというのですから誰が見ても間違いなく秘境中の秘境です。うっそうと繁る広大なジャングルの中を静かに蛇行する大河セピックは全長1,000kmを超え、その流域には小さな村落が点在し、土着の文化が根強く残っています。精霊信仰、精霊の家、プリミティブアート(原始美術)や独自の生活様式を守る民族たち・・・。何世紀に渡り文明と隔絶してきた神秘のエリアでは我々の想像を絶する世界を体感することができます。
今回の旅程は以下の通りです。
11月2日
21:05分:成田発ニューギニア航空でポートモレスビーへ
11月3日
04:55:ポートモレスビー着。入国審査・税関審査。トランジットホテルで朝食休憩
09:00:ニューギニア航空・国内線でゴロカへ。
10:00:ゴロカ着。ホテルにて昼食後アサロ渓谷のマッドメンの村訪問
11月4日
09:00:ケマセ村奇石・洞窟探検ツアー
11月5日
09:35:ニューギニア航空・国内線でポートモレスビーへ。
10:45:ポートモレスビー着。トランジットホテルでランチ休憩
15:10:ニューギニア航空・国内線でウェワクへ。
17:20:ウェワク着。
11月6日
午前:大きな荷物をウェワクのホテルに預け、パグイに移動。
午後:カヌーでセピック川を下り、パグイからパリンベ村へ。精霊の館「ハウスタンバラン」訪問
11月7日
終日:ミドルセピック流域の村訪問ツアー
チャンブリ村、アイボム村、カンガナム村を訪問しマーケット、精霊の館「ハウスタンバラン」、シンシン鑑賞
11月8日
午前:カヌーでパグイへ
午後:マプリックのアバンガイ村にて精霊の館「ハウスタンバラン」、シンシン鑑賞後ウェワクへ。
11月9日
11:05:ニューギニア航空・国内線でポートモレスビーへ。
12:55:ポートモレスビー着。トランジットホテルでランチ休憩
14:10:ポートモレスビー発ニューギニア航空で成田へ。
19:55:成田着。
ゴロカ近郊のアサロ渓谷訪問ツアーに関してはすでにほかスタッフの報告がありますので割愛させて頂き、今回は上記の旅程のうち、2泊3日のセピック中流域・カヌーサファリの様子をメインに報告いたします。
痛快!冒険心をくすぐるセピック川カヌーサファリ
ウェワクで前泊した翌朝07:30頃、ツアーをオーガナイズするSepik Adventure Toursのガイドさんが笑顔でお出迎えしてくれた。天気は快晴!まずはセピック川流域の旅の玄関口パグエイまでセピック・ハイウエーを車で約4時間の旅。舗装された道路脇に民家が見え始めるとやっとパプアニューギニアに来た気分になってなんだか興奮してくる。初めは快適に走っていたのだが、このハイウエー、進むにしたがって道路があなぼこだらけで、とにかく揺れる。途中フルーツマーケットなどに立ち寄って休憩をとったのち、やっとパグエイに到着。ここで2時間ほどランチ休憩を取り、迎えのガイドさんが到着したので、いよいよセピック川へ乗り出す。モーター付きのカヌー(一本の丸太をくくり抜き作られる丸木舟)で川を下るのですが、これが爽快!!大きなセピック川を、ジャングルや水辺を飛ぶ鳥、時折見える高床式住居の村を眺めながら進む体験は最高。時々カヌーですれ違う人や岸辺にいる人たちがみんな手を振ってくれる。しばらくすると、ショートカットだと言ってジャングルの中の細い川(もともとは道)に入ってくれた。時にサバイバルナイフで水草をカットし丈の高い水草が茂っている中を縫うようにして上流を目指す。熱帯雨林の中をカヌーで進んで行くその体験は、まさにアドベンチャー!現実だとは信じられないようなその光景に私は圧倒され、この上なく興奮しました。
そして夕方ごろ、今回2泊の宿をとるパリンベ村に到着した。基本的に電気も水道もない集落でのウルルン滞在の始まりです。ここでの滞在がどのようなものなのか、これからどんなものを見ることができるのか考えるとワクワクがとまりません。
ここパリンベ村は高床式の草葺屋根の原始的な家が数件建つ小さな集落です。早速村の村長さんと挨拶。村の人たちはみんな親切で奥ゆかしくはにかみ屋が多い。川で水遊びに興じる子供たちも愛嬌がありとても可愛らしい。セピック訪問前に心配していた蚊は想像していたほど多くはなかったのですがそれでも多少いるので長袖や蚊取り線香、マラリア予防薬の服用はやはり必須です。蚊帳やマッドレスは用意してくれます。ホームステイとして村人と同じ家に滞在するのではなく、基本的にはゲストハウス用に用意された比較的新し目の高床式の家が旅行者の滞在先となります。あくまで訪問者向けに建てたものではあるものの施設は文明社会とはかけ離れた原始的なものでホテルに滞在するよりもずっと刺激的でテンションもあがります。早速家の内部へ。内部は質素で家の中には、調理器具や食器、少しの衣類やバッグ、寝具にソーラーライトがあるだけという感じでTV などはありません(ただ最近は携帯電話だけは持っている村人やお金のあるところは発電機を持っている家もあるそうです。)水道はないため、顔や手を洗ったりする場合は、雨水をためる貯水タンクの水を利用する形となります。ただしゲストの飲料水としては使えないため、ゲスト用には内地から持ってきたミネラルウオーターを用意しているのでご安心ください。ただしシャワーなどはないため、体を洗いたい場合はセピック川で沐浴するしかありません。トイレもありますが、小屋の中に盛り土を作りその上に便座を載せた簡易的なものです。文明社会とは分断された集落での生活は慣れるまで一見不便を感じますが、慣れてしまえば住めば都です。自然を壊すことなくその懐に抱かれながら生活する彼らの生活が心地よく感じるかもしれません。
精霊の館ハウスタンバランへ。クロコダイルマンとの遭遇!!
仕切られたゲスト用の部屋に荷物を置き、カヌーで近くのハウスタンバラン見学に連れて行ってもらいました。セピック川流域には村落が点々とありますが、それぞれ異なる部族が住み、今も伝統的な生活様式を守っています。中でも有名なのが精霊の館ハウスタンバランです。祭祀(タンバラン)を司る館(ハウス)という意味で、精霊信仰に基づく独特の文化の中心的存在です。この館には祖先の霊や自然全ての精霊が降臨すると信じられていて、数々の伝統的な秘儀が伝えられています。特に、部族の男にとって重要な場所で、女性の子宮だと考えられていて、そこで成人になるための痛みを伴う通過儀礼(イニシエーション)を受け、部族の一員になるための様々な教育が施されるのです。セピック流域に数多いワニ信仰の場合、男たちはある年齢(15歳前後)に達すると、ハウスタンバランの2階に集められ、鋭く尖った竹で体中を傷つけられます。血まみれになりあまりの痛さに気絶し、やがてその傷が突起となって体に刻まれるころ、彼らは一人前の男(クロコダイルマン)となるのです。そんな神聖な場所の為原則女性や他部族の立ち入りを厳しく禁止していますが、一部のハウスタンバランでは観光客は入ることが認められているそうです。
パリンベ村には2つのハウスタンバランがあり、村の奥に突如現れる大きな建物は、他の建物とは全く異なる圧倒的な神秘的雰囲気をまとっていました。薄暗い内部にあるおびただしい数の仮面もまた、ある種異様とも言える独特な神聖さを醸し出していました。
はしごを注意深く登り二階へ上ると、十数名の村人が待機していました。その中によく見ると背中に突起状の傷が無数にある男がいました。クロコダイルマンです。興奮してシャッターを切りましたが撮影する場合は10〜20キナのチップを要求されますのでご注意ください。内部にある仮面やストーリーボード、ハウスタンバランのパーツなどの民芸品を製作できる人は信仰の変化とともに年々減ってきており、そのほとんどが一点もので貴重です。比較的安価で購入することができるため、気にいったものがあれば機会を逃さずその場で購入されることをおすすめします。
見学後、ゲストハウスへ戻り夕食。さすがにセピックの食事は外国人の口に合わないのであろう。ガイドさんは船に積んであった食料を持ち込んで食事を作りはじめる。チキンとスチームライス、デザートにパイナップルを出してもらった。そして、蚊が多いため、蚊帳の中に用意してくれた布団へ入り午後10時頃就寝した。
夜のセピック川へ。クロコダイルハンティングツアーに大興奮!!
翌朝村で飼っているニワトリの鳴き声で起床。サンドイッチの朝食後、カヌーで村のマーケットへ。不定期で行われるそうで、各家庭で収穫した果物などを持ち寄った青空市。ビートルナッツやウオーターメロン、スイカ、ココナツ、パイナップル、サクサクなどが並んでいて家族総出できているためかなり賑わっていました。その後、釜戸などの土製品の制作でしられるアイボム村へ行き、続いてチャンブリ湖までカヌーで進み、チャンブリ村を訪問し、パリンベとは雰囲気が異なるハウスタンバランを見学しました。その後、カンガナム村へ。ここでは高さ15mはあろうかという古代の神殿のようなハウスタンバランを見学。内部には様々な彫刻やペイントがなされていて、同時に神社の境内のような、張りつめた空気も感じました。中には数名クロコダイルマンもいました。ここでシンシンを見学しました。建物の下の方で大きな民族太鼓の音が「ポンポンポン」と聞こえてきてシンシンが始まった。脚を交互に音に合わせて持ち上げ踊る。仮面に取り付けられた真っ赤な花が揺れ、2人の微妙に異なる動きが一体となってシンシンをつくり出す。これでその年の収穫などを祝うのだそうです。ガイドさんの話では9月の収穫祭ではかなり大きなスケールのシンシンが見られるらしい。乾季ではあるが、シンシンを見るならばその時期がベストのようです。 その後、その後パリンベの宿へ戻りました。夕食まで時間があったので宿帳の書き込みを見ていたら、夜のセピック川で行うクロコダイルハンティングが絶対参加すべきとの書き込みを発見し、急遽ガイドさんに頼んでアレンジしてもらった。夕食後、クロコダイルハンティングが得意だと豪語する村長さんと船頭さんと3人で夜のセピック川へ繰り出す。蚊が多いと踏んで虫よけ対策をばっちりしていったが、思ったほどかに悩まされることはありませんでした。月明かりの中懐中電灯で遠くからクロコダイルが身を隠しそうな岸辺を照らし、光に反射して光るクロコダイルの目を手掛かりに探すというアナログな捕獲方法でしたが、夜のセピック川をクルーズしているだけでも神秘的で刺激的な体験でした。なかなか見つからないため半ばあきらめかけていたその時村長が何かを叫び槍を岸辺に放ちました。クロコダイルがいたというのです。しかもかなり大きいクロコダイルが。槍を放った場所へカヌーを近づけます。緊張感が半端じゃありません。そんな大きなクロコダイルに襲われたら丸木舟にのる我々はたまったものではありません。残念ながら取り逃がしたようですが、約2時間の夜のハンティング体験はスリリングで貴重な体験となりました。ちなみに蛇足となりますが、私がパグイへ戻る日の夕方よりパリンベ村の対岸のカンガナム村でガチのイニシエーションがありました。イニシエーションのスケジュールは事前にはわからず通常旅行者は見ることはできません。今回もこの日の夜突然ガイドより500キナ(約2万円)であのクロコダイルマンの儀式を生でみるチャンスがあることを知らされたのです。私はスケジュールの関係でみることができませんでしたがたまたまパリンベで会った日本人女子Yさんは迷った挙句大枚をはたいてこの儀式を見たそうで、想像を絶する神秘的な光景にめちゃくちゃ感激したそうです。うらやましい!!通常村などいく場合、仮面などの民芸品の購入以外はお金を使うことがないため大金を両替し持参することはないかと思いますがこんなこともあるので、ある程度両替しそれなりの現金を持参していたほうがいいかもしれません。
漫画” マッドメン”の世界へ!異空間のハウスタンバラン内に潜入!!
翌日朝、セピックをあとにしパグイヘ。出発まで村の子供たちとトランプで遊びました。名残惜しい思いを旨に村をあとにしました。カヌーの上で心地よい風を受けながら、2日間の記憶が走馬灯のようによみがえってきます。11時頃パグイに到着。ガイドにお礼をいってお別れです。パグイでボックスランチを食べている間にSepik Adventure Toursのガイドさんと合流。ウェワクへ戻る前に、マプリックにある村に立ち寄ってもらいました。ここのハウスタンバラン(精霊の家)は、漫画” マッドメン”(諸星大二郎著) に出てくるのです。マプリックでは、ビッグマン(村のリーダー)をはじめとして複数の人が案内してくれた。このハウスタンバランは道路のすぐ横にあって秘境感がないのが残念でしたがそれを吹き飛ばすくらいその存在感はすごかったです。セピック川沿いの村でもいつつかハウスタンバランを訪れましたが入口の装飾的にはマプリックのものが一番であろう。少し色はくすんでいるものの、圧倒的な大きさと佇まいは独特な神聖な雰囲気を出していました。裏に回るように言われてそちらから入ると、中には暗い中に男たちと太鼓。さらに奥に行くように促され、壁で隔てられた先に一面樹皮絵で飾られた部屋があった。真ん中にチーフだという等身大の像があり、両側に化粧と衣装で全身を包んだ若い男性が二人、黙って立っている。目をとじてリズムを取るように体を揺らしていてなんだか神話の世界へ紛れ込んだような気分だった。熱気と暗闇の雰囲気にのまれて夢中でシャッターをおしたのは言うまでもない。このハウスタンバランは男性しか入れず(観光客は別)、年に2回の収穫祭などで使用するとのこと。
そこから狭い入口をとおって外へでると、最初に見た三角形の正面に出た。そこでまた化粧した男女のパフォーマンスを見せてもらう。こちらも見ごたえ十分でした。
ウェワクへ戻り帰国の途へ。
高床式の原始的な家に住み、手漕ぎのカヌーで魚を釣り、ジャングルの一部を開拓して農業を営む、精霊を信仰し、巨大な精霊の館ハウスタンバランでイニシエーションが行われる・・・。なんだか日本の原始時代にタイムスリップしたようなセピックでの日々。「われわれは生かされている。自然の力によって・・・」そんなパリンベ村の村長さんの言葉が忘れられない。文明社会で失われてしまった大切なものがここには残っている。そんなことを感じた2日間での体験をこの先ずっと忘れることはないだろう。弊社でもセピックを訪れるツアーを催行しておりますので一度訪れてみてはいかがでしょうか。きっと忘れられない貴重な体験となるはずです。
お勧め度
ミドルセピック 5つ星
秘境中の秘境!想像を絶する神秘的な体験をしたい方におすすめです
アサロ渓谷のマッドメンの村訪問 4つ星
泥人間マットメンの村はパプアへ行ったら必ず訪れたい
ケマセ村奇石・洞窟探検ツアー 3つ星
奇石・洞窟がある森の中の探検も楽しいが愛嬌がある村人との交流も楽しい
(2016年11月 渡邊竜一)
マプリックのハウスタンバランにて
カンガナム村のハウスタンバランにて
クロコダイルマンと記念撮影
今回機会あって、おそらく世界でもっとも石器時代に近いであろうパプアニューギニアの最深部・セピック川中流域の集落に行ってきました。世界中に秘境といわれる地域は多数ありますが、今回訪れたパプアニューギニアセピック川中流域では最近まで首狩が行われていたというのですから誰が見ても間違いなく秘境中の秘境です。うっそうと繁る広大なジャングルの中を静かに蛇行する大河セピックは全長1,000kmを超え、その流域には小さな村落が点在し、土着の文化が根強く残っています。精霊信仰、精霊の家、プリミティブアート(原始美術)や独自の生活様式を守る民族たち・・・。何世紀に渡り文明と隔絶してきた神秘のエリアでは我々の想像を絶する世界を体感することができます。
今回の旅程は以下の通りです。
11月2日
21:05分:成田発ニューギニア航空でポートモレスビーへ
11月3日
04:55:ポートモレスビー着。入国審査・税関審査。トランジットホテルで朝食休憩
09:00:ニューギニア航空・国内線でゴロカへ。
10:00:ゴロカ着。ホテルにて昼食後アサロ渓谷のマッドメンの村訪問
11月4日
09:00:ケマセ村奇石・洞窟探検ツアー
11月5日
09:35:ニューギニア航空・国内線でポートモレスビーへ。
10:45:ポートモレスビー着。トランジットホテルでランチ休憩
15:10:ニューギニア航空・国内線でウェワクへ。
17:20:ウェワク着。
11月6日
午前:大きな荷物をウェワクのホテルに預け、パグイに移動。
午後:カヌーでセピック川を下り、パグイからパリンベ村へ。精霊の館「ハウスタンバラン」訪問
11月7日
終日:ミドルセピック流域の村訪問ツアー
チャンブリ村、アイボム村、カンガナム村を訪問しマーケット、精霊の館「ハウスタンバラン」、シンシン鑑賞
11月8日
午前:カヌーでパグイへ
午後:マプリックのアバンガイ村にて精霊の館「ハウスタンバラン」、シンシン鑑賞後ウェワクへ。
11月9日
11:05:ニューギニア航空・国内線でポートモレスビーへ。
12:55:ポートモレスビー着。トランジットホテルでランチ休憩
14:10:ポートモレスビー発ニューギニア航空で成田へ。
19:55:成田着。
ゴロカ近郊のアサロ渓谷訪問ツアーに関してはすでにほかスタッフの報告がありますので割愛させて頂き、今回は上記の旅程のうち、2泊3日のセピック中流域・カヌーサファリの様子をメインに報告いたします。
痛快!冒険心をくすぐるセピック川カヌーサファリ
セピック川カヌーサファリ
セピック川カヌーサファリ
パリンベ村に到着
パリンベ村の素朴な住居
ゲストハウスではガイドさんが料理してくれる
蚊帳つきのゲストハウス
カヌーで奥地へ進む
ウェワクで前泊した翌朝07:30頃、ツアーをオーガナイズするSepik Adventure Toursのガイドさんが笑顔でお出迎えしてくれた。天気は快晴!まずはセピック川流域の旅の玄関口パグエイまでセピック・ハイウエーを車で約4時間の旅。舗装された道路脇に民家が見え始めるとやっとパプアニューギニアに来た気分になってなんだか興奮してくる。初めは快適に走っていたのだが、このハイウエー、進むにしたがって道路があなぼこだらけで、とにかく揺れる。途中フルーツマーケットなどに立ち寄って休憩をとったのち、やっとパグエイに到着。ここで2時間ほどランチ休憩を取り、迎えのガイドさんが到着したので、いよいよセピック川へ乗り出す。モーター付きのカヌー(一本の丸太をくくり抜き作られる丸木舟)で川を下るのですが、これが爽快!!大きなセピック川を、ジャングルや水辺を飛ぶ鳥、時折見える高床式住居の村を眺めながら進む体験は最高。時々カヌーですれ違う人や岸辺にいる人たちがみんな手を振ってくれる。しばらくすると、ショートカットだと言ってジャングルの中の細い川(もともとは道)に入ってくれた。時にサバイバルナイフで水草をカットし丈の高い水草が茂っている中を縫うようにして上流を目指す。熱帯雨林の中をカヌーで進んで行くその体験は、まさにアドベンチャー!現実だとは信じられないようなその光景に私は圧倒され、この上なく興奮しました。
そして夕方ごろ、今回2泊の宿をとるパリンベ村に到着した。基本的に電気も水道もない集落でのウルルン滞在の始まりです。ここでの滞在がどのようなものなのか、これからどんなものを見ることができるのか考えるとワクワクがとまりません。
ここパリンベ村は高床式の草葺屋根の原始的な家が数件建つ小さな集落です。早速村の村長さんと挨拶。村の人たちはみんな親切で奥ゆかしくはにかみ屋が多い。川で水遊びに興じる子供たちも愛嬌がありとても可愛らしい。セピック訪問前に心配していた蚊は想像していたほど多くはなかったのですがそれでも多少いるので長袖や蚊取り線香、マラリア予防薬の服用はやはり必須です。蚊帳やマッドレスは用意してくれます。ホームステイとして村人と同じ家に滞在するのではなく、基本的にはゲストハウス用に用意された比較的新し目の高床式の家が旅行者の滞在先となります。あくまで訪問者向けに建てたものではあるものの施設は文明社会とはかけ離れた原始的なものでホテルに滞在するよりもずっと刺激的でテンションもあがります。早速家の内部へ。内部は質素で家の中には、調理器具や食器、少しの衣類やバッグ、寝具にソーラーライトがあるだけという感じでTV などはありません(ただ最近は携帯電話だけは持っている村人やお金のあるところは発電機を持っている家もあるそうです。)水道はないため、顔や手を洗ったりする場合は、雨水をためる貯水タンクの水を利用する形となります。ただしゲストの飲料水としては使えないため、ゲスト用には内地から持ってきたミネラルウオーターを用意しているのでご安心ください。ただしシャワーなどはないため、体を洗いたい場合はセピック川で沐浴するしかありません。トイレもありますが、小屋の中に盛り土を作りその上に便座を載せた簡易的なものです。文明社会とは分断された集落での生活は慣れるまで一見不便を感じますが、慣れてしまえば住めば都です。自然を壊すことなくその懐に抱かれながら生活する彼らの生活が心地よく感じるかもしれません。
精霊の館ハウスタンバランへ。クロコダイルマンとの遭遇!!
パリンベ村のハウスタンバラン
パリンベ村のハウスタンバラン
ハウスタンバラン内に待機する男たち
ハウスタンバラン内に並ぶ仮面の数々
ハウスタンバラン内の仮面
ハウスタンバラン内の仮面
ハウスタンバラン内の木彫
クロコダイルマン
夕暮れのセピック川は神秘的
仕切られたゲスト用の部屋に荷物を置き、カヌーで近くのハウスタンバラン見学に連れて行ってもらいました。セピック川流域には村落が点々とありますが、それぞれ異なる部族が住み、今も伝統的な生活様式を守っています。中でも有名なのが精霊の館ハウスタンバランです。祭祀(タンバラン)を司る館(ハウス)という意味で、精霊信仰に基づく独特の文化の中心的存在です。この館には祖先の霊や自然全ての精霊が降臨すると信じられていて、数々の伝統的な秘儀が伝えられています。特に、部族の男にとって重要な場所で、女性の子宮だと考えられていて、そこで成人になるための痛みを伴う通過儀礼(イニシエーション)を受け、部族の一員になるための様々な教育が施されるのです。セピック流域に数多いワニ信仰の場合、男たちはある年齢(15歳前後)に達すると、ハウスタンバランの2階に集められ、鋭く尖った竹で体中を傷つけられます。血まみれになりあまりの痛さに気絶し、やがてその傷が突起となって体に刻まれるころ、彼らは一人前の男(クロコダイルマン)となるのです。そんな神聖な場所の為原則女性や他部族の立ち入りを厳しく禁止していますが、一部のハウスタンバランでは観光客は入ることが認められているそうです。
パリンベ村には2つのハウスタンバランがあり、村の奥に突如現れる大きな建物は、他の建物とは全く異なる圧倒的な神秘的雰囲気をまとっていました。薄暗い内部にあるおびただしい数の仮面もまた、ある種異様とも言える独特な神聖さを醸し出していました。
はしごを注意深く登り二階へ上ると、十数名の村人が待機していました。その中によく見ると背中に突起状の傷が無数にある男がいました。クロコダイルマンです。興奮してシャッターを切りましたが撮影する場合は10〜20キナのチップを要求されますのでご注意ください。内部にある仮面やストーリーボード、ハウスタンバランのパーツなどの民芸品を製作できる人は信仰の変化とともに年々減ってきており、そのほとんどが一点もので貴重です。比較的安価で購入することができるため、気にいったものがあれば機会を逃さずその場で購入されることをおすすめします。
見学後、ゲストハウスへ戻り夕食。さすがにセピックの食事は外国人の口に合わないのであろう。ガイドさんは船に積んであった食料を持ち込んで食事を作りはじめる。チキンとスチームライス、デザートにパイナップルを出してもらった。そして、蚊が多いため、蚊帳の中に用意してくれた布団へ入り午後10時頃就寝した。
夜のセピック川へ。クロコダイルハンティングツアーに大興奮!!
村の青空市
村の青空市
村の子供たち
チャンブリーのハウスタンバラン
チャンブリーのハウスタンバラン
ハウスタンバラン内にあるクロコダイルの模型
カンガナムのハウスタンバラン
奇妙な仮面
ヤム・シンシン
ヤム・シンシン
ヤム・シンシン
クロコダイルハンティングツアー
ワニと私
愛嬌たっぷりの子供たち
イニシエーションの儀式の準備がされている村のハウスタンバラン
翌朝村で飼っているニワトリの鳴き声で起床。サンドイッチの朝食後、カヌーで村のマーケットへ。不定期で行われるそうで、各家庭で収穫した果物などを持ち寄った青空市。ビートルナッツやウオーターメロン、スイカ、ココナツ、パイナップル、サクサクなどが並んでいて家族総出できているためかなり賑わっていました。その後、釜戸などの土製品の制作でしられるアイボム村へ行き、続いてチャンブリ湖までカヌーで進み、チャンブリ村を訪問し、パリンベとは雰囲気が異なるハウスタンバランを見学しました。その後、カンガナム村へ。ここでは高さ15mはあろうかという古代の神殿のようなハウスタンバランを見学。内部には様々な彫刻やペイントがなされていて、同時に神社の境内のような、張りつめた空気も感じました。中には数名クロコダイルマンもいました。ここでシンシンを見学しました。建物の下の方で大きな民族太鼓の音が「ポンポンポン」と聞こえてきてシンシンが始まった。脚を交互に音に合わせて持ち上げ踊る。仮面に取り付けられた真っ赤な花が揺れ、2人の微妙に異なる動きが一体となってシンシンをつくり出す。これでその年の収穫などを祝うのだそうです。ガイドさんの話では9月の収穫祭ではかなり大きなスケールのシンシンが見られるらしい。乾季ではあるが、シンシンを見るならばその時期がベストのようです。 その後、その後パリンベの宿へ戻りました。夕食まで時間があったので宿帳の書き込みを見ていたら、夜のセピック川で行うクロコダイルハンティングが絶対参加すべきとの書き込みを発見し、急遽ガイドさんに頼んでアレンジしてもらった。夕食後、クロコダイルハンティングが得意だと豪語する村長さんと船頭さんと3人で夜のセピック川へ繰り出す。蚊が多いと踏んで虫よけ対策をばっちりしていったが、思ったほどかに悩まされることはありませんでした。月明かりの中懐中電灯で遠くからクロコダイルが身を隠しそうな岸辺を照らし、光に反射して光るクロコダイルの目を手掛かりに探すというアナログな捕獲方法でしたが、夜のセピック川をクルーズしているだけでも神秘的で刺激的な体験でした。なかなか見つからないため半ばあきらめかけていたその時村長が何かを叫び槍を岸辺に放ちました。クロコダイルがいたというのです。しかもかなり大きいクロコダイルが。槍を放った場所へカヌーを近づけます。緊張感が半端じゃありません。そんな大きなクロコダイルに襲われたら丸木舟にのる我々はたまったものではありません。残念ながら取り逃がしたようですが、約2時間の夜のハンティング体験はスリリングで貴重な体験となりました。ちなみに蛇足となりますが、私がパグイへ戻る日の夕方よりパリンベ村の対岸のカンガナム村でガチのイニシエーションがありました。イニシエーションのスケジュールは事前にはわからず通常旅行者は見ることはできません。今回もこの日の夜突然ガイドより500キナ(約2万円)であのクロコダイルマンの儀式を生でみるチャンスがあることを知らされたのです。私はスケジュールの関係でみることができませんでしたがたまたまパリンベで会った日本人女子Yさんは迷った挙句大枚をはたいてこの儀式を見たそうで、想像を絶する神秘的な光景にめちゃくちゃ感激したそうです。うらやましい!!通常村などいく場合、仮面などの民芸品の購入以外はお金を使うことがないため大金を両替し持参することはないかと思いますがこんなこともあるので、ある程度両替しそれなりの現金を持参していたほうがいいかもしれません。
漫画” マッドメン”の世界へ!異空間のハウスタンバラン内に潜入!!
マプリックのハウスタンバラン
ハウスタンバラン内部でのダンス
ハウスタンバラン内部でのダンス
ハウスタンバラン内部の独特の雰囲気がなんともいえない
ハウスタンバラン内部の独特の雰囲気がなんともいえない
ハウスタンバラン内部の独特の雰囲気がなんともいえない
ハウスタンバラン前でのシンシン
ハウスタンバラン前でのシンシン
ハウスタンバラン前でのシンシン
翌日朝、セピックをあとにしパグイヘ。出発まで村の子供たちとトランプで遊びました。名残惜しい思いを旨に村をあとにしました。カヌーの上で心地よい風を受けながら、2日間の記憶が走馬灯のようによみがえってきます。11時頃パグイに到着。ガイドにお礼をいってお別れです。パグイでボックスランチを食べている間にSepik Adventure Toursのガイドさんと合流。ウェワクへ戻る前に、マプリックにある村に立ち寄ってもらいました。ここのハウスタンバラン(精霊の家)は、漫画” マッドメン”(諸星大二郎著) に出てくるのです。マプリックでは、ビッグマン(村のリーダー)をはじめとして複数の人が案内してくれた。このハウスタンバランは道路のすぐ横にあって秘境感がないのが残念でしたがそれを吹き飛ばすくらいその存在感はすごかったです。セピック川沿いの村でもいつつかハウスタンバランを訪れましたが入口の装飾的にはマプリックのものが一番であろう。少し色はくすんでいるものの、圧倒的な大きさと佇まいは独特な神聖な雰囲気を出していました。裏に回るように言われてそちらから入ると、中には暗い中に男たちと太鼓。さらに奥に行くように促され、壁で隔てられた先に一面樹皮絵で飾られた部屋があった。真ん中にチーフだという等身大の像があり、両側に化粧と衣装で全身を包んだ若い男性が二人、黙って立っている。目をとじてリズムを取るように体を揺らしていてなんだか神話の世界へ紛れ込んだような気分だった。熱気と暗闇の雰囲気にのまれて夢中でシャッターをおしたのは言うまでもない。このハウスタンバランは男性しか入れず(観光客は別)、年に2回の収穫祭などで使用するとのこと。
そこから狭い入口をとおって外へでると、最初に見た三角形の正面に出た。そこでまた化粧した男女のパフォーマンスを見せてもらう。こちらも見ごたえ十分でした。
ウェワクへ戻り帰国の途へ。
高床式の原始的な家に住み、手漕ぎのカヌーで魚を釣り、ジャングルの一部を開拓して農業を営む、精霊を信仰し、巨大な精霊の館ハウスタンバランでイニシエーションが行われる・・・。なんだか日本の原始時代にタイムスリップしたようなセピックでの日々。「われわれは生かされている。自然の力によって・・・」そんなパリンベ村の村長さんの言葉が忘れられない。文明社会で失われてしまった大切なものがここには残っている。そんなことを感じた2日間での体験をこの先ずっと忘れることはないだろう。弊社でもセピックを訪れるツアーを催行しておりますので一度訪れてみてはいかがでしょうか。きっと忘れられない貴重な体験となるはずです。
ケマセ村奇石・洞窟探検ツアー
マッドメンと記念撮影
お勧め度
ミドルセピック 5つ星
秘境中の秘境!想像を絶する神秘的な体験をしたい方におすすめです
アサロ渓谷のマッドメンの村訪問 4つ星
泥人間マットメンの村はパプアへ行ったら必ず訪れたい
ケマセ村奇石・洞窟探検ツアー 3つ星
奇石・洞窟がある森の中の探検も楽しいが愛嬌がある村人との交流も楽しい
(2016年11月 渡邊竜一)
- 人の還る場所~極彩色のパプアニューギニア~
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エリア:
- オセアニア>パプアニューギニア>カビエン
- オセアニア>パプアニューギニア>ラバウル
- オセアニア>パプアニューギニア>ゴロカ
- テーマ:ハイキング・登山 マリンスポーツ 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/01/04 17:07
5月末、念願のパプアニューギニアに行く機会を得た。
パプアニューギニアが「発見」されたのは1950年代後半。オーストラリア統治時代、豪州の地方行政官がゴロカショー(各部族がシンシンを踊り続け競い合う祭り)を主催したことでパプアニューギニアの世にも珍しい部族の風習が全世界に知られることとなった。それでも発見されたのはごく一部の部族たちだけで、内陸部の地域では険しい山々やジャングル、マラリアが行く手を阻み、60年代まで欧米諸国に発見されることのなかった部族もいる。つまり戦争が終わり、日本が高度経済成長真っ只中の時代においても原始時代の生活をしているような人々がいたということになる。数十年ときを経た今でも、部族の伝統を守り続け特有な衣装やユニークなダンスを披露してくれる。
また彼らはその素朴さも失っていない。見知らぬ同士でも挨拶を交わす。部族抗争のあった名残か、敵意がないことを示す意味でも挨拶が日常となっているそうだ。もちろん観光客に対してもすべての人々が暖かい笑顔でむかえてくれる。外国人観光客と見るやふっかけてくる商売人や自己保身のために都合のいい嘘をつくガイドはここにはいない。
そして手付かずの自然、人の手が入っていない沿岸地域の美しいビーチやハイランド地方の山々。さらには極楽鳥やポッサムなど世にも珍しい動植物。各国を行き尽くしたダイバーや写真家がパプアには何度も訪れるという。一度来訪したらその魅力に取り付かれずにはいられない魅惑に溢れた国なのだ。
蛇足だが私とパプアニューギニアの出会いは10数年前の大学生時代。とある写真を見て衝撃を受けた。それはザ・ポップグループというイギリスの70年代UKポストパンク・ニューウェーブ期を代表するロックバンドのレコードのジャケットだった(もちろん私が後追いした時はCDだったが)。マッドマンの集団が奇声をあげながら今にも飛び上がらんばかりの写真だった。当時は「マッドマン」という言葉も知らなかった私は、スピーカーから飛び出すポップグループの粗暴で原始的且つリズミカルな音楽性にも驚愕した。グループ名と相反した商業主義からかけ離れた音楽性はマッドマンの写真と相まって私の心に突き刺さった。当時大学の休みに合わせてバックパッカーの真似事をしていた私は、いつかマッドマンのような文明がいまだ届いていないような民族に会ってみたいと思うようになっていった。
次なるマッドマンとの出会いは弊社に就職したとき。何気なくパンフレットをめくっていたときに、CDのジャケットと同じような姿の民族の写真が。マッドマンは一般な観光旅行でも出会えることを知った。(ぜひ「最後の警告」でググってみてください。)
いつかマッドマンに出会えることを夢見て旅行社に勤務し続けようやくこの機会を得ることが出来た。
私が旅した行程は下記の通り。
1日目 夜成田発
2日目 ゴロカ観光
3日目 ゴロカ観光
4日目 ラバウルへ移動
5日目 ラバウル戦跡観光
6日目 ラバウルにてシュノーケリング、その後ケビエンに移動
7日目 ケビエン観光
8日目 帰国
1日目 ホノルル気分
午後、伊丹空港から成田空港行きの全日空に乗り込む。
定刻通りに成田空港に到着。成田空港では全日空は第1ターミナルに到着。
荷物を受け取って国際線の搭乗手続きをしようと出発フロアに移動。
しかし今回利用するニューギニア航空は第2ターミナルだった。成田空港の無料ターミナル移動バスはあるものの第3ターミナルもできたことでターミナル間の移動に思ったよりも時間を要した。乗り継ぎ時間には十分猶予を持っていたので良かったものの成田乗り継ぎの際は国内線の到着ターミナルは要確認だと再認識した。
第2ターミナル内の無料のラウンジで時間を潰し、午後7時にニューギニア航空にチェックイン。ポートモレスビー到着後そのままゴロカに乗り継ぎだが荷物は一旦ポートモレスビーにて受け取るようだ。
成田の出国手続きを終え、出発ゲートへ。ポートモレスビー行きのゲートは71番。向かいの72番ホノルル行きと同じフロアになっており、明らかに行くお客さんの層とテンション違いがちょうど真ん中あたりでぱっくりわかれており、異様な雰囲気。ホノルル行きのお客さんはすでに自撮り棒なんか取り出してキャピキャピしている。一方でポートモレスビー行きは帽子を目深に被り静かに座っている人が多い。おぉぉ、すでに旅は始まっているなぁとその光景を見て興奮気味の私。
ほぼ定刻通りに機内へ乗り込む。期待した以上に立派なテレビがついており、日本の映画も数本あった。食事も美味しく満足。
2日目 モコモコ
約6.5時間のフライトの後、ポートモレスビーに到着。
入国審査はパプアニューギニア国民とそれ以外の国籍のビザ保持者とビザなしの3レーンにわかれていた。私はアライバルビザを取得するためにビザなし(アライバルビザ取得)の列に並ぶ。英文の日程表を見せるとなんと無料でビザ取得できた(2014年の初め頃から無料になったそうだ。また英文の日程表でなくてEチケットでも最後の出発日が確認できるものであればいいらしい)。
荷物検査は思っていたよりも厳しい。カバンの中はもちろんスーツケースも開けられる。入国カードの税関申告の欄に食べ物を持ち込んでいるか否かの項目があるので、なにか持ち込むのであれば必ず「はい」にチェックすること。他の項目は多額の現金を持ち込んでいるかどうかなど一般的には全て「いいえ」の質問ばかりなので食べ物の欄も「いいえ」にしそうだが、虚偽申告と難癖をつけられることもあるそうなので注意。
ポートモレスビーではPNGジャパン現地代表をしていらっしゃる上岡さんと合流。国内線にチェックインを済ませ、両替。1週間の滞在の場合だとは2万円はあったほうがいいとの情報を聞いていたので2万円を両替。
乗り継ぎ時間にかなり余裕があるため空港近くのゲートウェイというホテルに朝食を食べに行くことに。そのゲートウェイホテルの朝食が朝6時から開くそうなのでそれまで空港のベンチで上岡さんにパプアのことをいろいろ伺っていた。そこへ私と同じニューギニア航空に搭乗していたと思われる上岡さんとお知り合いの日本人の女性がいらっしゃった。上岡さんはその方を私に、旅行作家さんなんですよ、と紹介していただいた。あまり私は本を読まないため存じ上げず申し訳ないなぁと思っていたら、なんと私が空港の待ち時間で読んでいたパプアニューギニアについての本の著者の山口さんであった。出発前に電子書籍の中から今回の旅に役立ちそうな本をいくつか購入した中に山口さんの著書があり、ついつい読み入ってしまいパプアニューギニア到着前に読み終えていたのだった。私のような若輩者が上岡さんと山口さんというパプアニューギニアについての超エキスパートの方とご一緒出来るなんて幸運なことだろう。(実際、山口さんの作品はこの紀行文を書くのにもためになりました。ありがとうございます。)
ホテルでパンとコーヒーの朝食をいただき(20キナ、約1000円)、空港へ戻り国内線の搭乗手続き。国内線の荷物検査も結構厳しい。上岡さんにはありがたいことに搭乗ゲートまでお見送りしていただいた。
ゲートウェイホテルのレストラン
ゴロカ行きの飛行機
<ゴロカ>
パプアニューギニアの中で真っ先に訪れるべき町を挙げるのであればゴロカであろう。800を超える言語と多様な民族が存在するというパプアニューギニアおいて中には、観光客に神聖な舞踊を見せることは古代から伝承されたしきたりに背くこととしてタブー視する部族も数多いが、その点ゴロカでは奇抜でユニークな民族達の踊りと暮らしを手軽に垣間見ることができる貴重な村が多数存在する。その部族の中でも特に有名なのがマッドマンだ。およそ10キロもあると言われる大きな泥のマスク。全身には泥を塗り、まるで亡霊か精霊のような出で立ち。もちろん観光は少数民族だけではない。パプアニューギニア最高峰・ウィルヘルム山登山の拠点であり、賑わいを見せる町中の青空市場、名産のコーヒー工場。そして一大観光地であるにも関わらずそこに住まう素朴でフレンドリーな人々にきっとあなたも魅了されるはず。
ポートモレスビーからゴロカは約1時間のフライト。
到着したゴロカの空港はこれまで旅した中でも、これが本当に空港?と聞きたくなるほどの小屋のような建物。もちろん荷物を受け取るベルトコンベアはないので空港のスタッフがテーブルの上にどんと置き、一つ一つ渡していく。素朴だなぁ。
素朴なゴロカ空港
ゴロカの空港ではPNGジャパンのゴロカ支店の見形さんがいらっしゃってくださった。ゴロカの街は空港を中心に広がっており、すぐ近くにスーパーマーケットに携帯電話ショップや銀行、郵便局さらにラジオ局がある。空港を中心に街が形成されているのは飛行機が主な交通手段だというパプアニューギニアならでは。
ポートモレスビーの空港付近は全く見かけなかった赤土と緑の山々のコントラストと人々のエネルギー溢れるカオスな雰囲気をゴロカではすぐに感じられ、パプアニューギニアに来たことを実感した。
空港から車で約2分のホテル、パシフィックガーデンホテルにチェックイン。
<パシフィックガーデンホテル>
ゴロカの中心部に位置する自然に囲まれたロッジ風のホテル。ゴロカ周辺の部族をモチーフにしたアート作品が展示されておりなかなかお洒落。広めの室内にはテレビに冷蔵庫、湯沸し器、アイロン、ドライヤーがあり、いたって清潔。室内で無料のWIFIもあるが速度は遅い。バスタブはなくシャワーのみ。水圧は強くないがお湯は比較的すぐに出た。スリッパやセーフティーボックスはなかった。レストランではソフトドリンクはもちろんビールもあった。食事も美味しい。
しばらくホテルでシャワーを浴びて休んだ後、昼食のジンジャービーフ(30キナ、約1500円)を食べて、午後の観光に出発。
パシフィックガーデンホテルお部屋
パシフィックガーデンホテル外観
パシフィックガーデンホテルのレストランはなかなか旨い
<グルポカ山ハイキングとモコモコダンス>
ホテルから唯一の舗装された道を走ること約20分。赤土むき出しの脇道の前に車を停める。ここが村の入り口だとは、一般の通りすがりの人たちには分からないだろう。
車を降り乾燥した土埃が舞い上がる道を歩くこと数分、グルポカ山の麓にあるコレコレト村の村人たちの姿が見えてくる。
村人たちにアピヌンと挨拶すると向こうも柔らかい笑顔であいさつを返してくれる。パプアニューギニアの公用語ビジン語の挨拶「アピヌン」とはアフタヌーンが訛った言葉らしい。なので基本英語が元になっており簡単な英単語さえわかればなんとなく現地の人ともコミュニケーションが図れる。
村ではこれからグルポカ山を案内してくれるという部族の少年がすでに伝統的な出で立ちで我々を待っていた。大事な部分を守るためのバナナの葉っぱで作ったまわしをつけている以外は裸で、全身には泥や炭で描いたボディーペイント。否が応でも期待が高まる(何が?)。
コーヒーやバナナ、サツマイモの農園のある山道を抜け、急勾配の坂道を登ること数十分。途中、生贄を捧げるために使ったとされる岩場がある。村から豚や人間をこの山の中腹まで連れてきて殺してその頭を岩の上に置くことで、神からのパワーを授けられると信じられていたそうだ。また人食を行ったと言われる洞窟もある。カニバリズムについて話にはよく聞くことはあるが、ここがその現場ですと言われると、俺生きて帰れるかなぁ、となんだか暗い気持ちになった。山から帰ったら食事の準備なんかしていて、今日の食材は「俺」だったりするのかなぁとマンガみたいなことを考えた。
ガイドの男の子
さすがは戦士だけあってどんどん登って行く
さすがは戦士だけあってどんどん登って行く
畑の農作物や途中の説明を聞きながらゆっくり山を登ったので、トータル1時間ほどだろうか、頂上に到着した。グルポカ山の頂上には十字架があり、カトリック信者が多い現在はお祈りの場としても使われるそうだ。頂上からはゴロカ一帯の、険しい山並みの連なる壮大な風景を一望できる。なぜゴロカからポートモレスビーまでの幹線道路が敷かれておらず、飛行機での移動手段がメインなのかが理解できる光景である。
グルポカ山からのゴロカの眺め
カニバリズムのおこなれたという洞窟
グルポカ山頂上
帰り道
下山して村に戻ると、次はモコモコダンスを見せてくれるという。モコモコダンスとは何だろう?と思いながらも村の広場まで連れてこられ、木製の手作りベンチに腰掛けてしばらく待つ。広場の中心では焚き火がパチパチを音を立てて煙が上がり始めた。そうすると煙の奥から全身ボディーペイントの仮面をつけた戦士が現れた。両手には槍のような武器を持っている。ダンスといっても機敏な激しいものではなく、身体を上下させたり槍を突き上げて小走りしたりするのがほとんど。徐々にこちらに近づいてきて、小声でモコモコ言っていることに気づいた。モコモコモコモコ…..モコッ!!.... モコモコモコモコ…..モコッ!!と時々何かを思い出したように後ろを振り返る。そのするうちに別の戦士も集まり大所帯になった。大人数になっても踊り方は先ほどと同じ。仮面の戦士が中心となって皆口々にモコモコ言いながら身体を上下に揺らし小走りする。
モコモコダンスは部族闘争の戦いから村に帰還した男たちが、祝いの踊りとして行うそうで、男女の出会いの儀式の意味もあるそうだ。勇ましさというよりも我々旅行者から見ると可愛らしさを感じるかもしれない。
煙の中から現れる
モコモコモコ・・・・
人数が増えた
モコ言いながら小走り
モコモコモコ・・・・・モコッ
モコモコダンスのメンバー
モコモコダンスのメンバー
モコモコズのメンバーと
モコモコダンスのメンバーの股間
モコモコダンスを楽しんだ後は村人ハンドメイドのお土産を物色する。パプアニューギニアのカバンとして知られるビルムや貝殻のネックレスなどが売られていた。こういう観光地ではかなり商売熱心だったりするものだが、パプアニューギニアの人々はあまり押し付けがましくなく、何も買わなくともフレンドリーな笑顔を振りまいてくれるのが嬉しい。素朴な人々にあって私の心も洗われたような気分になってコレコレト村を後にした。
コレコレト村の女の子
コレコレト村の男性
町中のスーパーマーケットに立ち寄り、飲み物を購入してホテルに戻った。
夜はホテルのレストランでヒレ肉のペッパーソースステーキ(50キナ 2500円)とビール(10キナ 500円)で夕食。
この日私の頭のなかはモコモコモコ・・・と、つい口からでそうなほどモコモコダンスのことが忘れられなかった。
3日目 ザ・マッドダンス
朝8時半に朝食。イングリッシュブレックファースト(38キナ 1900円)。
9時にガイドさんと合流して観光に出発。
この日はマッドマンダンスとシンブー地方の伝統文化を観光する予定だ。
まず向かったのは町中のマーケット。昨日ガイドさんにマーケットで写真を撮らせて!とお願いしたのだ。
マーケットで最初に向かったのはビートルナッツ売り場。日本語だと檳榔。台湾でセクシーなお姉さんが売っているやつというと知っている方も多いかもしれない。ビートルナッツを口の中でくちゃくちゃしながらマスタードの茎に石灰をつけかじる。口の中でこれらの3つが混じり合うとなぜか口の中で真っ赤になる。タバコのような嗜好品だそうで噛んでいるとフワフワとした陶酔感をえられるそうだ。口の中に溜まった水分をペッ、ペッと吐き捨てるため道のいたるところには赤い唾の跡が。景観的によろしくないので公共の場ではブアイ禁止の張り紙をちらほら見かける。私もトライしようと思ったが今から観光に行くのに口の中を真っ赤にしたくなかったのでビートルナッツを少しかじっただけで諦めた。
ブアイ実際噛んで見せてくれた男性 うれしそうだ
マスタードの茎を売るおじさん
ゴロカのB級グルメストリート
ゴロカの娯楽 ダーツ
マーケットではダーツ屋さんも見かけた。町の人たちの数少ない娯楽の一つのようで数多くの大人の男性がダーツに興じていた。五本投げて規定の点数よりも良いスコアが取れたなら賞金や景品がもらえるそうだ。私もトライしたがまず的に当てるのが精一杯。それに比べ地元のおじさんたちはすべて的の中に的中させていた。うまいなぁ。
ゴロカのマーケットでは写真を撮っていると、いろんな人から俺もとってくれ、俺もとってくれと言われる。それを見たまた別の人から、俺をとってくれ攻撃が始まる。見形さんは申し訳なさそうな声で、消していいですよ、おっしゃってくれた。
ゴロカのマーケット
ビートルナッツ売りのおばさん
髭のおじいさん
芋をたべていたおじいさん
こら!俺のバナナも撮ってくれ
たのまれてとった写真1
たのまれてとった写真2
たのまれてとった写真3
たのまれてとった写真4
たのまれてとった写真5 ほかにもたくさん
マーケットを後にしてマッドマン観光に向かう途中、ハイランドハイウェイで最も標高が高いダウロ峠へ。標高は約2500m。ここまで来ると全く気温が違う。その後、ガイドさんの知り合いにハイランド地方の伝統的なお家を見せてもらった。ハイランド地方は標高の高さから朝夜は冷え込む。そのため円形のお家を作り室内の真ん中には焚き火ができるスペースがある。
ハイランド地方の伝統的な住宅
草木も生き生きしているようにみえる
<マッドマンダンスとムームー料理>
ついにこの時がやってきた。自分の目でマッドマンを確かめる時が!パプアニューギニアに来たのはこのマッドマンダンスを見るためだといっても過言ではない。
アサロ渓谷の村に到着。ゴロカで一番の観光地だというのに大げさな看板などは一つもない。村に入るとまずハワイでいうレイのような花の首飾りをかけてくれて歓迎してくれる。その後村の案内を受け、サツマイモやトウモロコシ、ババナ、レモンの農園や村の内部を一通り見学した。見学が終わるとマッドマンダンスの行われる広場まで連れて行かれる。
まず登場したのは弓矢を持った戦士。獲物を狙っているようでそろりそろりと近づいてくる。獲物を発見!と思ったら獲物は私のようで弓を引いて追いかけてきた。観光客のつかみはこれでOKなのだろう。
狩りのパフォーマンスのあとは火おこしのパフォーマンス。太い木の枝と木の皮の摩擦で、枯れ木にものの数分で見事に火をつけた。火おこしのパフォーマンスはこれまで何度か他の国でも見たが最も原始的な道具にもかかわらず短時間であったように思う。昨日のモコモコダンスと同様に枯れ葉に火をつけ煙がもくもくと上がるとマッドマンのシンシン開始。
煙の向こうから現れたマッドマン。動きはスローモーション。マッドマンの表情はそれぞれ個性的で怒っているような顔や笑っているような顔、おとぼけ顏や無表情まで様々だ。手には弓や槍、長く尖った爪に棍棒など様々な武器。焚き火の燃える音だけが聞こえる静寂の中、物音も立てずに迫り来るマッドマン。我々はこれらがパフォーマンスだと分かっているから少しコミカルに思えるがこれが日の暮れた時間帯に行われたらどうだろう。暗闇の中から現れた白いマッドマン達は神秘的で神の使いか自然の精霊のように感じられただろう。
マッドマンダンス
無言
日本にもこういう怖い人いますよね
爪が伸びてる
マッドマンの成り立ちを説明しよう。部族闘争がさかんな時代、土地を奪われた部族がアサロ渓谷の沼地まで追いやられたところから始まる。沼地で偶然転んだ戦士。身体中が泥だらけになった。そこへ追いかけてきた敵対する部族はその真っ白な身体に驚いて、お化けだと勘違いして逃げていったそうだ。
昨日訪れたグルポカ山では生贄を捧げていた場所があったというから、ここに住む部族達は自然の中に神の存在を信じていたと考えて間違いはないだろう。彼らにとって自然や人間を超越した精霊や亡霊というものは畏怖の対象だったのである。
そのため マッドマンダンスと言いながらも、お化けなので音も立てないし動きもゆっくりなのである。モコモコダンスは戦士の踊りであり求愛の要素もあったからマッドマンのそれとはそもそも目的が違うのだ。
今度は暗闇の時間帯にマッドマンショーを見てみたいと思った。
マッドマン達と集合写真を撮ったあとはみんなでムームー料理。
ムームー料理とはイモや鶏肉、野菜をバナナの葉を幾重にも重ね、その上から焼いた石で覆い蒸し焼きにする料理である。イモや野菜はすべて地のもので来客や祝いの席では鶏肉や魚が入ることもあるそうだ。バナナの葉っぱの芳しい香りに誘われて美味しくいただく。パパイヤやパイナップルなどの果物も美味しい。
村の人々に別れを告げ、次なる目的地に移動する。
マッドマン達と集合写真
マッドメン
マッドマン
ムームーはなこうやって食べるのがうまいんだ!
どうだ!
ムームーに狂喜するマッドメンと村人
<シンブー地方の伝統文化観光>
マッドマンの村から車で数分。シンブーというゴロカのあるイーストハイランド州の隣の州の民族の伝統を伝える村がある。
村のガイドさんが村の中を一通り案内してくれる。例にもれずこの村も農園に溢れ、美しく手入れされている。
村の広場で最初に披露されたのが歓迎の踊り。これまで踊るのは男性ばかりだったので半裸の女性が出てきてびっくりした。紐状のスカートに、腕には花の飾り、首には貝殻のネックレス、頭には鳥のカラフルな羽。これまでの男性的なシンプルな装飾から一転華やかな衣装だ。
次に顔のペイントを実演してくれる。植物や泥など自然の素材でメイクをする。もちろん私もペイントしてもらった(割と現地の人がウケてくれるのでこのままホテルに戻るまでメイクはとらなかった)。
そして植物から繊維を取り出し糸を紡ぐ方法や弓矢の実演、伝統的な楽器の実演を見せてくれる。かつて楽器は仲間を呼ぶ手段として使われていたが今は携帯があるので、こういった楽器は悲しいかな、今つかうことはないそうだ。そして男女が互い違いに座って歌を歌うカリムレックというお見合いの儀式に参加し、最後に演者全てが集まってシンシンをして終了。
シンブー州の伝統メイク
植物から繊維を取り出し編み物を作る
自然と手元より胸に視線が行く
シンブー州の伝統的な弓矢の実演
シンブー州の伝統的な楽器の実演 低くビィィィィンという
怒ってる?
怒ってない
くわっ
これにて今回のゴロカの観光は終了。明日はラバウルに旅立つ。
4日目 穏やかな人々
フレンチトーストの朝食(28キナ)をとったあと朝8時15分にホテルの入り口にて見形さんと合流。町中の空港へ。
この日はゴロカからポートモレスビーを乗り継いでラバウルへ。
ゴロカの空港にてチェックイン。通常だと国内線同士の乗り継ぎだとそのまま目的地(今回の場合はラバウル)までスルーでチェックインできるそうなのだがこの日はシステムダウンらしくポートモレスビーで一旦荷物を引き取って再度チェックインしてくれとのことだった。
見形さんと2日間お世話になったガイドのアレックスに別れを告げて一路ポートモレスビーへ。
約1時間のフライトのあと空港では現地人の係の方がお出迎え。荷物をピックアップして、ラバウル行きにチェックイン。ラバウル行きの出発まで約4時間あるので、初日と同様、ゲートウェイホテルのエアコンが効いたレストランで出発の時間までレポートを書いたり本を読んだりして過ごした。
ボーディングタイムの45分前にホテルから空港へ向けて出発。今回もお見送りのスタッフの方が搭乗するまで見届けてくれた。アナウンスはあるものの何を言っているか分からず、電光掲示板もないのでこうしてスタッフの方が来てくれるのは心強い。
ラバウル行きはゴロカ行きよりも少し広めの2-3の配列だった(ゴロカ行きは2-2)の配列。といってもゴロカ行きの方が便数が多い。
約1時間半のフライトの末、ラバウルにオンタイムで到着。飛行機から降りると海に囲まれているからか湿った生温かい空気がほほを撫でつけるのを感じた。到着した飛行機はラバウルに経由したあとそのままケビエンに飛び立つ。
空港ではこの日宿泊するココポビーチバンガローリゾートのスタッフが迎えに来ていてくれた。ラバウルではゴロカでは見ることがなかったヤシの木がたくさん並んでいた。ラバウルに関しては小説などで多少馴染みがあったのでここを拠点として日本軍がガダルカナル島での死闘を戦ったと思うと胸から込み上げるものがあった。
元々は日本軍の戦闘機の発着地だったというラバウル空港
<ココポビーチバンガローリゾート>
ラバウル空港から約15分。ココポの町の中心部にココポビーチバンガローリゾートはある。ココポビーチバンガローリゾートはその名の通りブランチ湾のビーチに面した数棟のバンガローを要するリゾートホテルだ。レセプションは中央の建物で行う。バンガローは木製の温かみのある造りでかなり広め。天井にはシーリングファン、テラスからの眺めはパーシャールシービュー。バスタブ、ドライヤーやスリッパはないが冷蔵庫、セーフティーボックス、アイロン、湯沸かし器、エアコンも完備。室内ではWIFIは使えないがメインビルディングのロビーやレストランでは無料で使える。レストランからのビーチの景観も素晴らしく、リラックスしたひとときを過ごせること間違いなし。かつて福岡に住んでいたという日本語を話せる現地スタッフもおり何かと安心。
ココポビーチバンガローリゾート
ココポビーチバンガローリゾートのレストラン
ホテルのチェックインを終えて、ホテル周辺をうろうろ散歩。ホテルに面しているビーチ沿いをあてもなく歩いた。
野生的な雲と山の形、それに重なるように生い茂った深緑、そして夕日に照らされて金色に輝く海。幻想的な風景が続く中、地元の人々や国内の旅行者が思い思いに過ごしている様子を眺めた。そこには戦争という言葉など微塵も感じさせない穏やかで幸せな笑顔が溢れていた。
ホテルに戻り夕食のガーデンサラダとフライドポテトを食べた(12キナx2)。
ホテル近くのビーチにて 子供
ホテル近くのビーチにて 貝をほっていた女性
ホテル近くのビーチにて つりに興じる男性 つれていなかった
「これが我が家の自家用車」
5日目 ジロー戦
朝8時半に朝食のトーストとフルーツを食べてロビーに集合。
英語のうまいローレンスとかつて香川県に住んでいたという日本語は下手だけど気のいいガイド、チャーチルの二人のホテルスタッフと一緒にラバウルの戦跡を巡った。
<ラバウルの戦跡観光>
ラバウルはパプアニューギニアの北東部に浮かぶ、ニューブリテン島の北部に位置する小さな港町。ヤシの木が生い茂るトロピカルな植物相とタブルブル火山、ブルカン火山など噴煙を上げる光景はまさに映画の世界のようだ。このラバウルは第二次世界大戦時に日本軍が南太平洋諸島への侵攻の一大拠点としてガダルカナルの戦いなどに挑んだことで知られている。連合軍の最新鋭の兵器、豊かな物資と豊富な人員を前に日本軍はただ消耗を強いられ疲弊していくなか、輸送路を断たれた日本軍になす術はなく、終戦まで連合軍に占領されることはなかった。そのため町の中には戦時中のバンカーや爆撃機など貴重な戦跡が状態良く数多く残っている。
ココポ戦争博物館
展示の中で大部分を占めるのが第二次世界大戦時に日本軍が残していった軍事品の数々。戦車に高射砲、大砲、飛行機のエンジンにコクピットまで。ラバウル中に散らばっていたものを集めてきたらしい。中でも目を引くのはゼロ戦の綺麗な残骸。思ったよりも小さい。ガイドがゼロ戦のことをジロー戦、ジロー戦と呼ぶのでまさか設計者の堀越二郎への敬意からゼロ戦をあえてジロー戦と呼ぶことがここでは一般的なのか、と思ったがただ訛っていただけだった。
ズパパパパパパ!!!!
おちゃめな管理人
戦車1
戦車2
ブルーラグーン(又の名をワーフトンネル)
青く透き通った入り江のそばにあるトンネルで、かつて日本軍が食料を備蓄したり生活する場としても活用したそうだ。奥にはさらに深いトンネルがあり別のトンネルとつながっている。いまはコウモリたちの巣窟となっている。
艀の格納トンネル(又の名を大発トンネル)
波止場と本船の間を往復する小型船の格納庫。奥は暗闇となって見えにくいが5隻格納しているらしい。特に一番手前のトンネルから見える艀は状態が良い。
5隻も格納されているトンネル
トンネル近くに住む人
ラバウル旧飛行場
かつて日本軍が使っていた東飛行場。1990年代の相次ぐ噴火により都市機能を北部のラバウルから南東に約20キロ離れたココポに移転した。空港も同様で今は全く使っておらずそのためさら地状態。近くに爆撃機の残骸(連合軍からの通称から現地の人々からはBetty Bomberとも呼ばれている)がある。苔むしたその姿からはかつての殺戮兵器だったころの面影はなく、むしろ芸術的な気品さえ感じられる。
ベティボンバー
ベティボンバー付近を掃除するいかついおじさん
南太平洋戦没者の碑
日本政府とパプアニューギニア政府が共同で建立した、南太平洋で命を落とした戦士たちの記念碑。シンプルなつくり。
ヤマモトバンカー
海軍司令部の地下壕。連合艦隊司令長の山本五十六がブーゲンビル島上空にて撃墜されるまでここで指揮をとっていたそうだ。中は10畳くらいの広さのスペースで幾つかの司令室らしき小部屋に枝分かれしている。じっとしているだけで汗が出てくるくらい蒸し暑い。
山本バンカー
山本バンカー内
ニューギニアクラブ
ヤマモトバンカーのすぐ近くには日本軍の士官食堂だったニューギニアクラブがある。現在はオーストラリア軍、ドイツ軍、日本軍の資料館となっている。もともとはドイツ統治下時代の建物で現在は90年代に改築されたもの。
その後、ラバウルの町のメインストリートであったという大通りに未だ一軒だけ営業しているというラバウルホテルにて昼食。ラバウルホテルのレストランはチャイニーズコロニアル的な内装で、食事も鶏肉とインゲンなどの野菜炒めで中華風だった。
ラバウルレストランの中華料理
集合時間まで少し時間があるのでテレビを見る。パプアニューギニアのテレビチャンネルは一つだけであった。そのテレビ番組では中学生くらいの算数の授業を中継していた。内容は半径7cmの円の面積を求めよ、など幾つかの問いがあり各2分の制限時間が与えられる。時間になるとクラスの生徒が先生にあてられる。昼間に誰が見るんだこんなテレビ。
昼食の間、雨が一気にザザぁとふってきた。すぐに弱まったが午後からは小雨が降る中の観光となった。
昼食後、ラバウルのマーケットをそぞろ歩き。売っているものはゴロカとあまり変わらない。変わったものとしては巻きスカートのラプラプやタバコの葉っぱは細切れでなくて束で売られていたこと。
ラバウルのマーケットの女性
ゴロカよりもこじんまりしているマーケット
ラプラプうりのおばさん
たぶんファンキーなおばさん
マルマルアン展望台
ラバウルのマーケットを車で山道を走ること10分。ラバウル全景を見渡せるスポットへ。火山の形が美しい。
ラバウル全景
スズキバンカー
ラバウルから約1時間、ココポを抜け、さらに南に悪路の中車を走らせる。誰もこないような寂しげな海岸沿いにスズキバンカーと呼ばれる掩蔽壕がある。終戦後、このバンカーの中からミイラが発見された。どうやら戦時中、このバンカーに隠れて敵の攻撃から身を潜めていたらしい。しかし爆撃による攻撃か、もしくは飢えによってなくなり、ミイラ化した遺体がこのバンカーから発見された。身の回りのものからはスズキという名前はわかったそうだ。ガイドブックやWEB上には細かい情報はなく、ガイドのチャーチルに聞いてもそれ以上のことは分からなかった。
スズキバンカー
悲しげな流木
ビタパカ戦争墓地
オーストラリア兵士の合葬墓地。日本のものよりよく手入れされている。
ビタパカ戦争墓地
戦時中の日本の兵器や施設は日本では滅多に目にするとはないため私のような戦争を知らない世代にも興味深く見ることができた。しかし思ったよりも保存に関しては現地人に任せっきりなのが気になった。日本、そして全世界の負の遺産として状態よく維持できないものだろうか。特にゼロ戦や爆撃機の残骸など誰かが装甲をはがしたりすることもできなくはない。それに雨ざらしになっているので今後このままだと腐食が進んで原型をとどめられるのも時間の問題だろう。
地元の小学生と遭遇
一緒に記念撮影
ホテルに戻る途中スーパーマーケットに立ち寄って飲み物を買う。この日の夕食も昨日と同じガーデンサラダとフレンチフライ。
6日目 シャローゼロ
朝6時に起床。この日は半日シュノーケリングツアーに参加する。
朝食後、朝7時にフロントに集合。昨日と同じチャーチルと一緒にホテル面しているビーチへ。すでに小型のモーター船がスタンバイしている。
<半日シュノーケリングツアー>
ラバウルの海は美しい珊瑚礁と豊かな生態系を持つ世界屈指のダイビング・シュノーケリングスポットである。途中イルカ達の華麗な泳ぎで歓迎を受けながら、ホテルからモーターボートで移動すること約40分、ピジョン島に到着。その名の通り島の住人は鳥のみの無人島。ピジョン島は大小の2つの島からなり、島付近は潮の流れが良く、水質は大変クリア。手付かずの珊瑚礁やクマノミなどカラフルな魚達が突然の来訪者達を楽しませてくれる。浅瀬からドロップオフポイントまでバラエティ豊かな地形のためシュノーケリング初心者でもOK。お昼ご飯も持ってきてここでピクニックランチもいいだろう。
ラバウルの海の楽しみはこれだけではない。旧日本軍の南太平洋の一大拠点であった歴史から数多くの沈没船が未だ海底に眠っている。そのためダイバー達にはレックダイビング(沈没した戦闘機や輸送船などの難破船を見ることを目的としたダイビング)のメッカとして知られているのだ。その多くが海底の30mから40mなど初心者には難しい深さなので気軽には見ることはできないが、ラバウル新空港近くにシャローゼロ(shallow zero)と呼ばれる水深約3mに沈んだゼロ戦の残骸を見ることができるポイントがある。もちろんシュノーケリングでも、水面からもかつて世界最強と恐れられていたその雄姿を確認できる。
火山と地元の漁師
イルカも見れる
イルカと追いかけっこ
見事なサンゴ礁に囲まれた ピジョン島
火山とピジョン島
シャローゼロ
昨日と今日のラバウル観光でラバウルの歴史と自然を地上からも水中からも満喫したこととなった。
ホテルに戻ったのは11時。部屋に戻りチェックアウトの準備。
12時に部屋をチェックアウトした後はケビエン行きの飛行機に乗るため、午後3時までホテルのレストランにて休憩。
3時前にホテルをでてラバウル新空港へ。
ラバウル空港からケビエン行きの飛行機に乗り込み35分のフライト。
これまでよりも一層こじんまりしている素朴なケビエン空港に到着。
空港ではリセナンアイランドリゾートのスタッフ、野崎さんが迎えに来てくれていた。預け荷物を手渡しで受け取り、リセナンアイランドリゾートへ。
ケビエン空港
黄昏の船乗り場
<リセナンアイランドリゾート>
ケビエン空港から車とボートで約30分。見えてくるのが緑のヤシの木に囲まれたリセナンアイランドリゾート。一目見てここがオシャレなリゾート島だと分かる人はいないはず。島内には高い建物だけでなく、街灯ももちろんない。電気はあるものの、雨水を再利用するためホットシャワーはなく自然の熱を利用したシャワーという環境に配慮したつくり。夜は静かな波の音が心地よく響き、朝は鳥の声で目覚める。一つの島に、それもたった7部屋しかない、まさに自然と一体になった感覚を体験できるリゾートと言えるだろう。
また見渡す限りの白い砂とペパーミントグリーンの海、貴重な青珊瑚の群生が目の前に広がる世界指折りの美しいスポットとして知られ、オーストラリアのダイビング雑誌では2012年から2年連続でベストダイビングアイランドにも選ばれた経歴がある。更には時には夕食には巨大なロブスターや牡蠣、刺身まで供されることもあるという。ダイバー、シュノーケラー憧れの島ありながら日本人スタッフもいるというお勧めの隠れ家的リゾートなのだ。
室内は可愛らしい、温もりのある室内には虫除けの蚊帳とシーリングファンがある程度のシンプルな造り。冷蔵庫、ドライヤー、スリッパ、テレビ、湯沸かし器などはない。WIFIはオフィス周辺であれば無料で利用できる。
リセナンアイランドリゾート
近海でとれたロブスター 特別な食事ではなく普通の夕食です。
夜7時に夕食を食べにレストランへ。
レストランではこんなに大きいの初めて見たくらいのロブスター。
結婚式場でも食べたことのない大きさに興奮。
7日目 牡蠣と海ブドウと私
朝7時半に朝食。トーストとシリアル、目玉焼き。
シュノーケリングギアをレンタルしてコテージの前のビーチにてシュノーケリングをして楽しんだ。
朝10時にホテル前のビーチからシュノーケリングツアーに出発。
リセナンアイランドリゾートにいたカニ
どこまでも犬かきで追いかけてくるリセナンアイランドリゾートの飼い犬
<マングローブ牡蠣採りとBBQ&ラル島のシュノーケリングツアー>
まず向かうのはホテルからボートに揺られ約30分、マングローブの生い茂る島。ただ船に乗っているだけでは面白くない、移動中はルアーフィッシングしながらお昼のメインディシュを釣り上げるのがケビエン流。マングローブ林に到着。ここで目にするのが岩牡蠣ならぬマングローブ牡蠣。日本の牡蠣よりも大ぶりなマングローブ牡蠣はナイフで枝からこそぎ落とす。近辺の岩場では、これまた日本人の大好物、海ぶどうが自生している。食べる分だけの牡蠣と海ぶどうを仕入れたら、BBQの舞台ラル島へルアーフィッシングをしながら向かう。ラル島は徒歩5分で一周できるくらいのサイズの無人島。枯れ木を集め火をおこすところからスタート。ホテルから準備してきた食材をBBQスタイルで皆とワイワイ調理。牡蠣は生でも焼きでもお好みで。食後は腹ごなしに手付かずの珊瑚と多種多様な魚が溢れる透明な海でシュノーケリング。まさにケビエンの自然にどっぷり浸かったワイルドな体験だ。
マングローブ牡蠣
牡蠣ハンター
海ブドウもある
ラル島でBBQ ロブスターはホテルから持参
リセナンアイランドに到着したのは午後4時過ぎ。
シャワーを浴びたあとはビーチへ赴き、暮れなずむ夕日を見ながらリラックスしたひと時を過ごす。
この日の夕食は大きな白身魚。
8日目 義務教育
5:50のポートモレスビー行きのフライトに乗るため、朝4時にリセナンアイランドを出発。野崎さんが朝食のサンドイッチを持たせてくれた。
ボートと車を乗り継ぎ空港へ。まだ真夜中の海上を高速で爆走するモーターボートはジェットコースターのようにスリル満点だった。
ケビエン発の飛行機は往路と同様、ラバウルを経由してポートモレスビーへ。同日で成田行きに乗り継ぐ予定だが、国際線へのスルーチェックインはできなかった。
ポートモレスビーに到着後、一旦ポートモレスビーにて荷物の受け取りと国際線のチェックインを済ませる。成田行きのフライトまでかなり時間があるのでPNGジャパンのエミリーさんがポートモレスビーにて簡単な市内観光をしてもらった。
<ポートモレスビー市内観光>
もし乗り継ぎに充分時間があるのなら是非ポートモレスビーでの市内観光をお勧めしたい。特にバードサンクチュアリと言われるパプア国内から珍しい鳥類を集めた公園は国内外の観光客に大人気。こじんまりした園内に放し飼いをしており、餌付けしているためパプアの国鳥である極楽鳥を間近で見られることも。
手付かずの自然と原始時代からの風習を守る民族がいる一方で、高度経済成長を遂げるポートモレスビー。ウォーターフロントエリアには大型スーパーマーケットが建ち、高層ビル群を建設中だ。パプアニューギニアの経済的な一面を知ることになるだろう。
観光終了後、空港に到着しドライバーさんからの見送りを受け、お別れ。
成田行きはほぼ定刻通りに出発。
8日間パプアニューギニアを旅して、人間の原風景というものがあれば、パプアニューギニアこそがそれそのものなのではないかという気がした。損得勘定などない素朴でフレンドリーな人々、そして自然を畏れ神のスピリットを信じ、借り物でない独自の文化をもち続ける彼らを見ると彼らが特殊な慣習・文化をもっているのではなく、我々が不自然な生き方をしている気がした。先輩社員のほめ言葉を借りるなら「義務教育にして日本人全員いかせたい」と思わせた国である。
本来の自分の心のありようを確かめるという意味で、心の洗濯をするには最適な国だと思う。人間はやっぱりいいね。
予算・物価・お土産
物価は日本と同程度か少し高い。食事の予算は飲み物込みで1回40キナ程度(2000円)。お酒を飲むのであれば1缶10キナするので多めに心がけよう。チップは不要。お土産はブルーマウンテンコーヒーの粉末パックが人気で1つ15キナほど。ホテルや外国人観光客が利用するお店では大抵ビザかマスターのクレジットカードが利用できる。
ネット環境
ホテルでは無料のWIFIが大抵利用できるが、速度は大変遅い。SIMカードは空港や町中の至る所に売られている。
治安
ガイドと歩く分には全く問題ない。しかし特に都市部(ポートモレスビー)では一人歩きは控えたい。もし行きたい場所があるのであればガイドやドライバーに相談しよう。地方(ゴロカなど)では一人歩きする場合には夜中や暗い時間帯は控え、高価なカメラや時計はせず、手持ちのお金もごく一部に心がけよう。
マラリア
ポートモレスビーやハイランド地方では不要。セピック川・フライ川流域ではマラリア予防薬の服用をお勧めする。またそれ以外の地域でも念のため服用をしたほうが確実だが副作用もあるため服用しない観光客も多い。その場合は虫除けスプレーや蚊取り線香、長袖・長ズボン、黒の洋服を着ないように徹底したい。
今回の旅行ではパプアニューギニア政府観光局の山田様、ニューギニア航空の鈴木様、そして文中にもお名前を出させていただいた現地にてご活躍中の皆様の御協力にて無事終えることができました。心より御礼申し上げます。
(2015年5月 橋本康弘)
- 人の還る場所~極彩色のパプアニューギニア~
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エリア:
- オセアニア>パプアニューギニア>カビエン
- オセアニア>パプアニューギニア>ラバウル
- オセアニア>パプアニューギニア>ゴロカ
- テーマ:ハイキング・登山 マリンスポーツ 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/01/04 17:07
5月末、念願のパプアニューギニアに行く機会を得た。
パプアニューギニアが「発見」されたのは1950年代後半。オーストラリア統治時代、豪州の地方行政官がゴロカショー(各部族がシンシンを踊り続け競い合う祭り)を主催したことでパプアニューギニアの世にも珍しい部族の風習が全世界に知られることとなった。それでも発見されたのはごく一部の部族たちだけで、内陸部の地域では険しい山々やジャングル、マラリアが行く手を阻み、60年代まで欧米諸国に発見されることのなかった部族もいる。つまり戦争が終わり、日本が高度経済成長真っ只中の時代においても原始時代の生活をしているような人々がいたということになる。数十年ときを経た今でも、部族の伝統を守り続け特有な衣装やユニークなダンスを披露してくれる。
また彼らはその素朴さも失っていない。見知らぬ同士でも挨拶を交わす。部族抗争のあった名残か、敵意がないことを示す意味でも挨拶が日常となっているそうだ。もちろん観光客に対してもすべての人々が暖かい笑顔でむかえてくれる。外国人観光客と見るやふっかけてくる商売人や自己保身のために都合のいい嘘をつくガイドはここにはいない。
そして手付かずの自然、人の手が入っていない沿岸地域の美しいビーチやハイランド地方の山々。さらには極楽鳥やポッサムなど世にも珍しい動植物。各国を行き尽くしたダイバーや写真家がパプアには何度も訪れるという。一度来訪したらその魅力に取り付かれずにはいられない魅惑に溢れた国なのだ。
蛇足だが私とパプアニューギニアの出会いは10数年前の大学生時代。とある写真を見て衝撃を受けた。それはザ・ポップグループというイギリスの70年代UKポストパンク・ニューウェーブ期を代表するロックバンドのレコードのジャケットだった(もちろん私が後追いした時はCDだったが)。マッドマンの集団が奇声をあげながら今にも飛び上がらんばかりの写真だった。当時は「マッドマン」という言葉も知らなかった私は、スピーカーから飛び出すポップグループの粗暴で原始的且つリズミカルな音楽性にも驚愕した。グループ名と相反した商業主義からかけ離れた音楽性はマッドマンの写真と相まって私の心に突き刺さった。当時大学の休みに合わせてバックパッカーの真似事をしていた私は、いつかマッドマンのような文明がいまだ届いていないような民族に会ってみたいと思うようになっていった。
次なるマッドマンとの出会いは弊社に就職したとき。何気なくパンフレットをめくっていたときに、CDのジャケットと同じような姿の民族の写真が。マッドマンは一般な観光旅行でも出会えることを知った。(ぜひ「最後の警告」でググってみてください。)
いつかマッドマンに出会えることを夢見て旅行社に勤務し続けようやくこの機会を得ることが出来た。
私が旅した行程は下記の通り。
1日目 夜成田発
2日目 ゴロカ観光
3日目 ゴロカ観光
4日目 ラバウルへ移動
5日目 ラバウル戦跡観光
6日目 ラバウルにてシュノーケリング、その後ケビエンに移動
7日目 ケビエン観光
8日目 帰国
1日目 ホノルル気分
午後、伊丹空港から成田空港行きの全日空に乗り込む。
定刻通りに成田空港に到着。成田空港では全日空は第1ターミナルに到着。
荷物を受け取って国際線の搭乗手続きをしようと出発フロアに移動。
しかし今回利用するニューギニア航空は第2ターミナルだった。成田空港の無料ターミナル移動バスはあるものの第3ターミナルもできたことでターミナル間の移動に思ったよりも時間を要した。乗り継ぎ時間には十分猶予を持っていたので良かったものの成田乗り継ぎの際は国内線の到着ターミナルは要確認だと再認識した。
第2ターミナル内の無料のラウンジで時間を潰し、午後7時にニューギニア航空にチェックイン。ポートモレスビー到着後そのままゴロカに乗り継ぎだが荷物は一旦ポートモレスビーにて受け取るようだ。
成田の出国手続きを終え、出発ゲートへ。ポートモレスビー行きのゲートは71番。向かいの72番ホノルル行きと同じフロアになっており、明らかに行くお客さんの層とテンション違いがちょうど真ん中あたりでぱっくりわかれており、異様な雰囲気。ホノルル行きのお客さんはすでに自撮り棒なんか取り出してキャピキャピしている。一方でポートモレスビー行きは帽子を目深に被り静かに座っている人が多い。おぉぉ、すでに旅は始まっているなぁとその光景を見て興奮気味の私。
ほぼ定刻通りに機内へ乗り込む。期待した以上に立派なテレビがついており、日本の映画も数本あった。食事も美味しく満足。
2日目 モコモコ
約6.5時間のフライトの後、ポートモレスビーに到着。
入国審査はパプアニューギニア国民とそれ以外の国籍のビザ保持者とビザなしの3レーンにわかれていた。私はアライバルビザを取得するためにビザなし(アライバルビザ取得)の列に並ぶ。英文の日程表を見せるとなんと無料でビザ取得できた(2014年の初め頃から無料になったそうだ。また英文の日程表でなくてEチケットでも最後の出発日が確認できるものであればいいらしい)。
荷物検査は思っていたよりも厳しい。カバンの中はもちろんスーツケースも開けられる。入国カードの税関申告の欄に食べ物を持ち込んでいるか否かの項目があるので、なにか持ち込むのであれば必ず「はい」にチェックすること。他の項目は多額の現金を持ち込んでいるかどうかなど一般的には全て「いいえ」の質問ばかりなので食べ物の欄も「いいえ」にしそうだが、虚偽申告と難癖をつけられることもあるそうなので注意。
ポートモレスビーではPNGジャパン現地代表をしていらっしゃる上岡さんと合流。国内線にチェックインを済ませ、両替。1週間の滞在の場合だとは2万円はあったほうがいいとの情報を聞いていたので2万円を両替。
乗り継ぎ時間にかなり余裕があるため空港近くのゲートウェイというホテルに朝食を食べに行くことに。そのゲートウェイホテルの朝食が朝6時から開くそうなのでそれまで空港のベンチで上岡さんにパプアのことをいろいろ伺っていた。そこへ私と同じニューギニア航空に搭乗していたと思われる上岡さんとお知り合いの日本人の女性がいらっしゃった。上岡さんはその方を私に、旅行作家さんなんですよ、と紹介していただいた。あまり私は本を読まないため存じ上げず申し訳ないなぁと思っていたら、なんと私が空港の待ち時間で読んでいたパプアニューギニアについての本の著者の山口さんであった。出発前に電子書籍の中から今回の旅に役立ちそうな本をいくつか購入した中に山口さんの著書があり、ついつい読み入ってしまいパプアニューギニア到着前に読み終えていたのだった。私のような若輩者が上岡さんと山口さんというパプアニューギニアについての超エキスパートの方とご一緒出来るなんて幸運なことだろう。(実際、山口さんの作品はこの紀行文を書くのにもためになりました。ありがとうございます。)
ホテルでパンとコーヒーの朝食をいただき(20キナ、約1000円)、空港へ戻り国内線の搭乗手続き。国内線の荷物検査も結構厳しい。上岡さんにはありがたいことに搭乗ゲートまでお見送りしていただいた。
ゲートウェイホテルのレストラン
ゴロカ行きの飛行機
<ゴロカ>
パプアニューギニアの中で真っ先に訪れるべき町を挙げるのであればゴロカであろう。800を超える言語と多様な民族が存在するというパプアニューギニアおいて中には、観光客に神聖な舞踊を見せることは古代から伝承されたしきたりに背くこととしてタブー視する部族も数多いが、その点ゴロカでは奇抜でユニークな民族達の踊りと暮らしを手軽に垣間見ることができる貴重な村が多数存在する。その部族の中でも特に有名なのがマッドマンだ。およそ10キロもあると言われる大きな泥のマスク。全身には泥を塗り、まるで亡霊か精霊のような出で立ち。もちろん観光は少数民族だけではない。パプアニューギニア最高峰・ウィルヘルム山登山の拠点であり、賑わいを見せる町中の青空市場、名産のコーヒー工場。そして一大観光地であるにも関わらずそこに住まう素朴でフレンドリーな人々にきっとあなたも魅了されるはず。
ポートモレスビーからゴロカは約1時間のフライト。
到着したゴロカの空港はこれまで旅した中でも、これが本当に空港?と聞きたくなるほどの小屋のような建物。もちろん荷物を受け取るベルトコンベアはないので空港のスタッフがテーブルの上にどんと置き、一つ一つ渡していく。素朴だなぁ。
素朴なゴロカ空港
ゴロカの空港ではPNGジャパンのゴロカ支店の見形さんがいらっしゃってくださった。ゴロカの街は空港を中心に広がっており、すぐ近くにスーパーマーケットに携帯電話ショップや銀行、郵便局さらにラジオ局がある。空港を中心に街が形成されているのは飛行機が主な交通手段だというパプアニューギニアならでは。
ポートモレスビーの空港付近は全く見かけなかった赤土と緑の山々のコントラストと人々のエネルギー溢れるカオスな雰囲気をゴロカではすぐに感じられ、パプアニューギニアに来たことを実感した。
空港から車で約2分のホテル、パシフィックガーデンホテルにチェックイン。
<パシフィックガーデンホテル>
ゴロカの中心部に位置する自然に囲まれたロッジ風のホテル。ゴロカ周辺の部族をモチーフにしたアート作品が展示されておりなかなかお洒落。広めの室内にはテレビに冷蔵庫、湯沸し器、アイロン、ドライヤーがあり、いたって清潔。室内で無料のWIFIもあるが速度は遅い。バスタブはなくシャワーのみ。水圧は強くないがお湯は比較的すぐに出た。スリッパやセーフティーボックスはなかった。レストランではソフトドリンクはもちろんビールもあった。食事も美味しい。
しばらくホテルでシャワーを浴びて休んだ後、昼食のジンジャービーフ(30キナ、約1500円)を食べて、午後の観光に出発。
パシフィックガーデンホテルお部屋
パシフィックガーデンホテル外観
パシフィックガーデンホテルのレストランはなかなか旨い
<グルポカ山ハイキングとモコモコダンス>
ホテルから唯一の舗装された道を走ること約20分。赤土むき出しの脇道の前に車を停める。ここが村の入り口だとは、一般の通りすがりの人たちには分からないだろう。
車を降り乾燥した土埃が舞い上がる道を歩くこと数分、グルポカ山の麓にあるコレコレト村の村人たちの姿が見えてくる。
村人たちにアピヌンと挨拶すると向こうも柔らかい笑顔であいさつを返してくれる。パプアニューギニアの公用語ビジン語の挨拶「アピヌン」とはアフタヌーンが訛った言葉らしい。なので基本英語が元になっており簡単な英単語さえわかればなんとなく現地の人ともコミュニケーションが図れる。
村ではこれからグルポカ山を案内してくれるという部族の少年がすでに伝統的な出で立ちで我々を待っていた。大事な部分を守るためのバナナの葉っぱで作ったまわしをつけている以外は裸で、全身には泥や炭で描いたボディーペイント。否が応でも期待が高まる(何が?)。
コーヒーやバナナ、サツマイモの農園のある山道を抜け、急勾配の坂道を登ること数十分。途中、生贄を捧げるために使ったとされる岩場がある。村から豚や人間をこの山の中腹まで連れてきて殺してその頭を岩の上に置くことで、神からのパワーを授けられると信じられていたそうだ。また人食を行ったと言われる洞窟もある。カニバリズムについて話にはよく聞くことはあるが、ここがその現場ですと言われると、俺生きて帰れるかなぁ、となんだか暗い気持ちになった。山から帰ったら食事の準備なんかしていて、今日の食材は「俺」だったりするのかなぁとマンガみたいなことを考えた。
ガイドの男の子
さすがは戦士だけあってどんどん登って行く
さすがは戦士だけあってどんどん登って行く
畑の農作物や途中の説明を聞きながらゆっくり山を登ったので、トータル1時間ほどだろうか、頂上に到着した。グルポカ山の頂上には十字架があり、カトリック信者が多い現在はお祈りの場としても使われるそうだ。頂上からはゴロカ一帯の、険しい山並みの連なる壮大な風景を一望できる。なぜゴロカからポートモレスビーまでの幹線道路が敷かれておらず、飛行機での移動手段がメインなのかが理解できる光景である。
グルポカ山からのゴロカの眺め
カニバリズムのおこなれたという洞窟
グルポカ山頂上
帰り道
下山して村に戻ると、次はモコモコダンスを見せてくれるという。モコモコダンスとは何だろう?と思いながらも村の広場まで連れてこられ、木製の手作りベンチに腰掛けてしばらく待つ。広場の中心では焚き火がパチパチを音を立てて煙が上がり始めた。そうすると煙の奥から全身ボディーペイントの仮面をつけた戦士が現れた。両手には槍のような武器を持っている。ダンスといっても機敏な激しいものではなく、身体を上下させたり槍を突き上げて小走りしたりするのがほとんど。徐々にこちらに近づいてきて、小声でモコモコ言っていることに気づいた。モコモコモコモコ…..モコッ!!.... モコモコモコモコ…..モコッ!!と時々何かを思い出したように後ろを振り返る。そのするうちに別の戦士も集まり大所帯になった。大人数になっても踊り方は先ほどと同じ。仮面の戦士が中心となって皆口々にモコモコ言いながら身体を上下に揺らし小走りする。
モコモコダンスは部族闘争の戦いから村に帰還した男たちが、祝いの踊りとして行うそうで、男女の出会いの儀式の意味もあるそうだ。勇ましさというよりも我々旅行者から見ると可愛らしさを感じるかもしれない。
煙の中から現れる
モコモコモコ・・・・
人数が増えた
モコ言いながら小走り
モコモコモコ・・・・・モコッ
モコモコダンスのメンバー
モコモコダンスのメンバー
モコモコズのメンバーと
モコモコダンスのメンバーの股間
モコモコダンスを楽しんだ後は村人ハンドメイドのお土産を物色する。パプアニューギニアのカバンとして知られるビルムや貝殻のネックレスなどが売られていた。こういう観光地ではかなり商売熱心だったりするものだが、パプアニューギニアの人々はあまり押し付けがましくなく、何も買わなくともフレンドリーな笑顔を振りまいてくれるのが嬉しい。素朴な人々にあって私の心も洗われたような気分になってコレコレト村を後にした。
コレコレト村の女の子
コレコレト村の男性
町中のスーパーマーケットに立ち寄り、飲み物を購入してホテルに戻った。
夜はホテルのレストランでヒレ肉のペッパーソースステーキ(50キナ 2500円)とビール(10キナ 500円)で夕食。
この日私の頭のなかはモコモコモコ・・・と、つい口からでそうなほどモコモコダンスのことが忘れられなかった。
3日目 ザ・マッドダンス
朝8時半に朝食。イングリッシュブレックファースト(38キナ 1900円)。
9時にガイドさんと合流して観光に出発。
この日はマッドマンダンスとシンブー地方の伝統文化を観光する予定だ。
まず向かったのは町中のマーケット。昨日ガイドさんにマーケットで写真を撮らせて!とお願いしたのだ。
マーケットで最初に向かったのはビートルナッツ売り場。日本語だと檳榔。台湾でセクシーなお姉さんが売っているやつというと知っている方も多いかもしれない。ビートルナッツを口の中でくちゃくちゃしながらマスタードの茎に石灰をつけかじる。口の中でこれらの3つが混じり合うとなぜか口の中で真っ赤になる。タバコのような嗜好品だそうで噛んでいるとフワフワとした陶酔感をえられるそうだ。口の中に溜まった水分をペッ、ペッと吐き捨てるため道のいたるところには赤い唾の跡が。景観的によろしくないので公共の場ではブアイ禁止の張り紙をちらほら見かける。私もトライしようと思ったが今から観光に行くのに口の中を真っ赤にしたくなかったのでビートルナッツを少しかじっただけで諦めた。
ブアイ実際噛んで見せてくれた男性 うれしそうだ
マスタードの茎を売るおじさん
ゴロカのB級グルメストリート
ゴロカの娯楽 ダーツ
マーケットではダーツ屋さんも見かけた。町の人たちの数少ない娯楽の一つのようで数多くの大人の男性がダーツに興じていた。五本投げて規定の点数よりも良いスコアが取れたなら賞金や景品がもらえるそうだ。私もトライしたがまず的に当てるのが精一杯。それに比べ地元のおじさんたちはすべて的の中に的中させていた。うまいなぁ。
ゴロカのマーケットでは写真を撮っていると、いろんな人から俺もとってくれ、俺もとってくれと言われる。それを見たまた別の人から、俺をとってくれ攻撃が始まる。見形さんは申し訳なさそうな声で、消していいですよ、おっしゃってくれた。
ゴロカのマーケット
ビートルナッツ売りのおばさん
髭のおじいさん
芋をたべていたおじいさん
こら!俺のバナナも撮ってくれ
たのまれてとった写真1
たのまれてとった写真2
たのまれてとった写真3
たのまれてとった写真4
たのまれてとった写真5 ほかにもたくさん
マーケットを後にしてマッドマン観光に向かう途中、ハイランドハイウェイで最も標高が高いダウロ峠へ。標高は約2500m。ここまで来ると全く気温が違う。その後、ガイドさんの知り合いにハイランド地方の伝統的なお家を見せてもらった。ハイランド地方は標高の高さから朝夜は冷え込む。そのため円形のお家を作り室内の真ん中には焚き火ができるスペースがある。
ハイランド地方の伝統的な住宅
草木も生き生きしているようにみえる
<マッドマンダンスとムームー料理>
ついにこの時がやってきた。自分の目でマッドマンを確かめる時が!パプアニューギニアに来たのはこのマッドマンダンスを見るためだといっても過言ではない。
アサロ渓谷の村に到着。ゴロカで一番の観光地だというのに大げさな看板などは一つもない。村に入るとまずハワイでいうレイのような花の首飾りをかけてくれて歓迎してくれる。その後村の案内を受け、サツマイモやトウモロコシ、ババナ、レモンの農園や村の内部を一通り見学した。見学が終わるとマッドマンダンスの行われる広場まで連れて行かれる。
まず登場したのは弓矢を持った戦士。獲物を狙っているようでそろりそろりと近づいてくる。獲物を発見!と思ったら獲物は私のようで弓を引いて追いかけてきた。観光客のつかみはこれでOKなのだろう。
狩りのパフォーマンスのあとは火おこしのパフォーマンス。太い木の枝と木の皮の摩擦で、枯れ木にものの数分で見事に火をつけた。火おこしのパフォーマンスはこれまで何度か他の国でも見たが最も原始的な道具にもかかわらず短時間であったように思う。昨日のモコモコダンスと同様に枯れ葉に火をつけ煙がもくもくと上がるとマッドマンのシンシン開始。
煙の向こうから現れたマッドマン。動きはスローモーション。マッドマンの表情はそれぞれ個性的で怒っているような顔や笑っているような顔、おとぼけ顏や無表情まで様々だ。手には弓や槍、長く尖った爪に棍棒など様々な武器。焚き火の燃える音だけが聞こえる静寂の中、物音も立てずに迫り来るマッドマン。我々はこれらがパフォーマンスだと分かっているから少しコミカルに思えるがこれが日の暮れた時間帯に行われたらどうだろう。暗闇の中から現れた白いマッドマン達は神秘的で神の使いか自然の精霊のように感じられただろう。
マッドマンダンス
無言
日本にもこういう怖い人いますよね
爪が伸びてる
マッドマンの成り立ちを説明しよう。部族闘争がさかんな時代、土地を奪われた部族がアサロ渓谷の沼地まで追いやられたところから始まる。沼地で偶然転んだ戦士。身体中が泥だらけになった。そこへ追いかけてきた敵対する部族はその真っ白な身体に驚いて、お化けだと勘違いして逃げていったそうだ。
昨日訪れたグルポカ山では生贄を捧げていた場所があったというから、ここに住む部族達は自然の中に神の存在を信じていたと考えて間違いはないだろう。彼らにとって自然や人間を超越した精霊や亡霊というものは畏怖の対象だったのである。
そのため マッドマンダンスと言いながらも、お化けなので音も立てないし動きもゆっくりなのである。モコモコダンスは戦士の踊りであり求愛の要素もあったからマッドマンのそれとはそもそも目的が違うのだ。
今度は暗闇の時間帯にマッドマンショーを見てみたいと思った。
マッドマン達と集合写真を撮ったあとはみんなでムームー料理。
ムームー料理とはイモや鶏肉、野菜をバナナの葉を幾重にも重ね、その上から焼いた石で覆い蒸し焼きにする料理である。イモや野菜はすべて地のもので来客や祝いの席では鶏肉や魚が入ることもあるそうだ。バナナの葉っぱの芳しい香りに誘われて美味しくいただく。パパイヤやパイナップルなどの果物も美味しい。
村の人々に別れを告げ、次なる目的地に移動する。
マッドマン達と集合写真
マッドメン
マッドマン
ムームーはなこうやって食べるのがうまいんだ!
どうだ!
ムームーに狂喜するマッドメンと村人
<シンブー地方の伝統文化観光>
マッドマンの村から車で数分。シンブーというゴロカのあるイーストハイランド州の隣の州の民族の伝統を伝える村がある。
村のガイドさんが村の中を一通り案内してくれる。例にもれずこの村も農園に溢れ、美しく手入れされている。
村の広場で最初に披露されたのが歓迎の踊り。これまで踊るのは男性ばかりだったので半裸の女性が出てきてびっくりした。紐状のスカートに、腕には花の飾り、首には貝殻のネックレス、頭には鳥のカラフルな羽。これまでの男性的なシンプルな装飾から一転華やかな衣装だ。
次に顔のペイントを実演してくれる。植物や泥など自然の素材でメイクをする。もちろん私もペイントしてもらった(割と現地の人がウケてくれるのでこのままホテルに戻るまでメイクはとらなかった)。
そして植物から繊維を取り出し糸を紡ぐ方法や弓矢の実演、伝統的な楽器の実演を見せてくれる。かつて楽器は仲間を呼ぶ手段として使われていたが今は携帯があるので、こういった楽器は悲しいかな、今つかうことはないそうだ。そして男女が互い違いに座って歌を歌うカリムレックというお見合いの儀式に参加し、最後に演者全てが集まってシンシンをして終了。
シンブー州の伝統メイク
植物から繊維を取り出し編み物を作る
自然と手元より胸に視線が行く
シンブー州の伝統的な弓矢の実演
シンブー州の伝統的な楽器の実演 低くビィィィィンという
怒ってる?
怒ってない
くわっ
これにて今回のゴロカの観光は終了。明日はラバウルに旅立つ。
4日目 穏やかな人々
フレンチトーストの朝食(28キナ)をとったあと朝8時15分にホテルの入り口にて見形さんと合流。町中の空港へ。
この日はゴロカからポートモレスビーを乗り継いでラバウルへ。
ゴロカの空港にてチェックイン。通常だと国内線同士の乗り継ぎだとそのまま目的地(今回の場合はラバウル)までスルーでチェックインできるそうなのだがこの日はシステムダウンらしくポートモレスビーで一旦荷物を引き取って再度チェックインしてくれとのことだった。
見形さんと2日間お世話になったガイドのアレックスに別れを告げて一路ポートモレスビーへ。
約1時間のフライトのあと空港では現地人の係の方がお出迎え。荷物をピックアップして、ラバウル行きにチェックイン。ラバウル行きの出発まで約4時間あるので、初日と同様、ゲートウェイホテルのエアコンが効いたレストランで出発の時間までレポートを書いたり本を読んだりして過ごした。
ボーディングタイムの45分前にホテルから空港へ向けて出発。今回もお見送りのスタッフの方が搭乗するまで見届けてくれた。アナウンスはあるものの何を言っているか分からず、電光掲示板もないのでこうしてスタッフの方が来てくれるのは心強い。
ラバウル行きはゴロカ行きよりも少し広めの2-3の配列だった(ゴロカ行きは2-2)の配列。といってもゴロカ行きの方が便数が多い。
約1時間半のフライトの末、ラバウルにオンタイムで到着。飛行機から降りると海に囲まれているからか湿った生温かい空気がほほを撫でつけるのを感じた。到着した飛行機はラバウルに経由したあとそのままケビエンに飛び立つ。
空港ではこの日宿泊するココポビーチバンガローリゾートのスタッフが迎えに来ていてくれた。ラバウルではゴロカでは見ることがなかったヤシの木がたくさん並んでいた。ラバウルに関しては小説などで多少馴染みがあったのでここを拠点として日本軍がガダルカナル島での死闘を戦ったと思うと胸から込み上げるものがあった。
元々は日本軍の戦闘機の発着地だったというラバウル空港
<ココポビーチバンガローリゾート>
ラバウル空港から約15分。ココポの町の中心部にココポビーチバンガローリゾートはある。ココポビーチバンガローリゾートはその名の通りブランチ湾のビーチに面した数棟のバンガローを要するリゾートホテルだ。レセプションは中央の建物で行う。バンガローは木製の温かみのある造りでかなり広め。天井にはシーリングファン、テラスからの眺めはパーシャールシービュー。バスタブ、ドライヤーやスリッパはないが冷蔵庫、セーフティーボックス、アイロン、湯沸かし器、エアコンも完備。室内ではWIFIは使えないがメインビルディングのロビーやレストランでは無料で使える。レストランからのビーチの景観も素晴らしく、リラックスしたひとときを過ごせること間違いなし。かつて福岡に住んでいたという日本語を話せる現地スタッフもおり何かと安心。
ココポビーチバンガローリゾート
ココポビーチバンガローリゾートのレストラン
ホテルのチェックインを終えて、ホテル周辺をうろうろ散歩。ホテルに面しているビーチ沿いをあてもなく歩いた。
野生的な雲と山の形、それに重なるように生い茂った深緑、そして夕日に照らされて金色に輝く海。幻想的な風景が続く中、地元の人々や国内の旅行者が思い思いに過ごしている様子を眺めた。そこには戦争という言葉など微塵も感じさせない穏やかで幸せな笑顔が溢れていた。
ホテルに戻り夕食のガーデンサラダとフライドポテトを食べた(12キナx2)。
ホテル近くのビーチにて 子供
ホテル近くのビーチにて 貝をほっていた女性
ホテル近くのビーチにて つりに興じる男性 つれていなかった
「これが我が家の自家用車」
5日目 ジロー戦
朝8時半に朝食のトーストとフルーツを食べてロビーに集合。
英語のうまいローレンスとかつて香川県に住んでいたという日本語は下手だけど気のいいガイド、チャーチルの二人のホテルスタッフと一緒にラバウルの戦跡を巡った。
<ラバウルの戦跡観光>
ラバウルはパプアニューギニアの北東部に浮かぶ、ニューブリテン島の北部に位置する小さな港町。ヤシの木が生い茂るトロピカルな植物相とタブルブル火山、ブルカン火山など噴煙を上げる光景はまさに映画の世界のようだ。このラバウルは第二次世界大戦時に日本軍が南太平洋諸島への侵攻の一大拠点としてガダルカナルの戦いなどに挑んだことで知られている。連合軍の最新鋭の兵器、豊かな物資と豊富な人員を前に日本軍はただ消耗を強いられ疲弊していくなか、輸送路を断たれた日本軍になす術はなく、終戦まで連合軍に占領されることはなかった。そのため町の中には戦時中のバンカーや爆撃機など貴重な戦跡が状態良く数多く残っている。
ココポ戦争博物館
展示の中で大部分を占めるのが第二次世界大戦時に日本軍が残していった軍事品の数々。戦車に高射砲、大砲、飛行機のエンジンにコクピットまで。ラバウル中に散らばっていたものを集めてきたらしい。中でも目を引くのはゼロ戦の綺麗な残骸。思ったよりも小さい。ガイドがゼロ戦のことをジロー戦、ジロー戦と呼ぶのでまさか設計者の堀越二郎への敬意からゼロ戦をあえてジロー戦と呼ぶことがここでは一般的なのか、と思ったがただ訛っていただけだった。
ズパパパパパパ!!!!
おちゃめな管理人
戦車1
戦車2
ブルーラグーン(又の名をワーフトンネル)
青く透き通った入り江のそばにあるトンネルで、かつて日本軍が食料を備蓄したり生活する場としても活用したそうだ。奥にはさらに深いトンネルがあり別のトンネルとつながっている。いまはコウモリたちの巣窟となっている。
艀の格納トンネル(又の名を大発トンネル)
波止場と本船の間を往復する小型船の格納庫。奥は暗闇となって見えにくいが5隻格納しているらしい。特に一番手前のトンネルから見える艀は状態が良い。
5隻も格納されているトンネル
トンネル近くに住む人
ラバウル旧飛行場
かつて日本軍が使っていた東飛行場。1990年代の相次ぐ噴火により都市機能を北部のラバウルから南東に約20キロ離れたココポに移転した。空港も同様で今は全く使っておらずそのためさら地状態。近くに爆撃機の残骸(連合軍からの通称から現地の人々からはBetty Bomberとも呼ばれている)がある。苔むしたその姿からはかつての殺戮兵器だったころの面影はなく、むしろ芸術的な気品さえ感じられる。
ベティボンバー
ベティボンバー付近を掃除するいかついおじさん
南太平洋戦没者の碑
日本政府とパプアニューギニア政府が共同で建立した、南太平洋で命を落とした戦士たちの記念碑。シンプルなつくり。
ヤマモトバンカー
海軍司令部の地下壕。連合艦隊司令長の山本五十六がブーゲンビル島上空にて撃墜されるまでここで指揮をとっていたそうだ。中は10畳くらいの広さのスペースで幾つかの司令室らしき小部屋に枝分かれしている。じっとしているだけで汗が出てくるくらい蒸し暑い。
山本バンカー
山本バンカー内
ニューギニアクラブ
ヤマモトバンカーのすぐ近くには日本軍の士官食堂だったニューギニアクラブがある。現在はオーストラリア軍、ドイツ軍、日本軍の資料館となっている。もともとはドイツ統治下時代の建物で現在は90年代に改築されたもの。
その後、ラバウルの町のメインストリートであったという大通りに未だ一軒だけ営業しているというラバウルホテルにて昼食。ラバウルホテルのレストランはチャイニーズコロニアル的な内装で、食事も鶏肉とインゲンなどの野菜炒めで中華風だった。
ラバウルレストランの中華料理
集合時間まで少し時間があるのでテレビを見る。パプアニューギニアのテレビチャンネルは一つだけであった。そのテレビ番組では中学生くらいの算数の授業を中継していた。内容は半径7cmの円の面積を求めよ、など幾つかの問いがあり各2分の制限時間が与えられる。時間になるとクラスの生徒が先生にあてられる。昼間に誰が見るんだこんなテレビ。
昼食の間、雨が一気にザザぁとふってきた。すぐに弱まったが午後からは小雨が降る中の観光となった。
昼食後、ラバウルのマーケットをそぞろ歩き。売っているものはゴロカとあまり変わらない。変わったものとしては巻きスカートのラプラプやタバコの葉っぱは細切れでなくて束で売られていたこと。
ラバウルのマーケットの女性
ゴロカよりもこじんまりしているマーケット
ラプラプうりのおばさん
たぶんファンキーなおばさん
マルマルアン展望台
ラバウルのマーケットを車で山道を走ること10分。ラバウル全景を見渡せるスポットへ。火山の形が美しい。
ラバウル全景
スズキバンカー
ラバウルから約1時間、ココポを抜け、さらに南に悪路の中車を走らせる。誰もこないような寂しげな海岸沿いにスズキバンカーと呼ばれる掩蔽壕がある。終戦後、このバンカーの中からミイラが発見された。どうやら戦時中、このバンカーに隠れて敵の攻撃から身を潜めていたらしい。しかし爆撃による攻撃か、もしくは飢えによってなくなり、ミイラ化した遺体がこのバンカーから発見された。身の回りのものからはスズキという名前はわかったそうだ。ガイドブックやWEB上には細かい情報はなく、ガイドのチャーチルに聞いてもそれ以上のことは分からなかった。
スズキバンカー
悲しげな流木
ビタパカ戦争墓地
オーストラリア兵士の合葬墓地。日本のものよりよく手入れされている。
ビタパカ戦争墓地
戦時中の日本の兵器や施設は日本では滅多に目にするとはないため私のような戦争を知らない世代にも興味深く見ることができた。しかし思ったよりも保存に関しては現地人に任せっきりなのが気になった。日本、そして全世界の負の遺産として状態よく維持できないものだろうか。特にゼロ戦や爆撃機の残骸など誰かが装甲をはがしたりすることもできなくはない。それに雨ざらしになっているので今後このままだと腐食が進んで原型をとどめられるのも時間の問題だろう。
地元の小学生と遭遇
一緒に記念撮影
ホテルに戻る途中スーパーマーケットに立ち寄って飲み物を買う。この日の夕食も昨日と同じガーデンサラダとフレンチフライ。
6日目 シャローゼロ
朝6時に起床。この日は半日シュノーケリングツアーに参加する。
朝食後、朝7時にフロントに集合。昨日と同じチャーチルと一緒にホテル面しているビーチへ。すでに小型のモーター船がスタンバイしている。
<半日シュノーケリングツアー>
ラバウルの海は美しい珊瑚礁と豊かな生態系を持つ世界屈指のダイビング・シュノーケリングスポットである。途中イルカ達の華麗な泳ぎで歓迎を受けながら、ホテルからモーターボートで移動すること約40分、ピジョン島に到着。その名の通り島の住人は鳥のみの無人島。ピジョン島は大小の2つの島からなり、島付近は潮の流れが良く、水質は大変クリア。手付かずの珊瑚礁やクマノミなどカラフルな魚達が突然の来訪者達を楽しませてくれる。浅瀬からドロップオフポイントまでバラエティ豊かな地形のためシュノーケリング初心者でもOK。お昼ご飯も持ってきてここでピクニックランチもいいだろう。
ラバウルの海の楽しみはこれだけではない。旧日本軍の南太平洋の一大拠点であった歴史から数多くの沈没船が未だ海底に眠っている。そのためダイバー達にはレックダイビング(沈没した戦闘機や輸送船などの難破船を見ることを目的としたダイビング)のメッカとして知られているのだ。その多くが海底の30mから40mなど初心者には難しい深さなので気軽には見ることはできないが、ラバウル新空港近くにシャローゼロ(shallow zero)と呼ばれる水深約3mに沈んだゼロ戦の残骸を見ることができるポイントがある。もちろんシュノーケリングでも、水面からもかつて世界最強と恐れられていたその雄姿を確認できる。
火山と地元の漁師
イルカも見れる
イルカと追いかけっこ
見事なサンゴ礁に囲まれた ピジョン島
火山とピジョン島
シャローゼロ
昨日と今日のラバウル観光でラバウルの歴史と自然を地上からも水中からも満喫したこととなった。
ホテルに戻ったのは11時。部屋に戻りチェックアウトの準備。
12時に部屋をチェックアウトした後はケビエン行きの飛行機に乗るため、午後3時までホテルのレストランにて休憩。
3時前にホテルをでてラバウル新空港へ。
ラバウル空港からケビエン行きの飛行機に乗り込み35分のフライト。
これまでよりも一層こじんまりしている素朴なケビエン空港に到着。
空港ではリセナンアイランドリゾートのスタッフ、野崎さんが迎えに来てくれていた。預け荷物を手渡しで受け取り、リセナンアイランドリゾートへ。
ケビエン空港
黄昏の船乗り場
<リセナンアイランドリゾート>
ケビエン空港から車とボートで約30分。見えてくるのが緑のヤシの木に囲まれたリセナンアイランドリゾート。一目見てここがオシャレなリゾート島だと分かる人はいないはず。島内には高い建物だけでなく、街灯ももちろんない。電気はあるものの、雨水を再利用するためホットシャワーはなく自然の熱を利用したシャワーという環境に配慮したつくり。夜は静かな波の音が心地よく響き、朝は鳥の声で目覚める。一つの島に、それもたった7部屋しかない、まさに自然と一体になった感覚を体験できるリゾートと言えるだろう。
また見渡す限りの白い砂とペパーミントグリーンの海、貴重な青珊瑚の群生が目の前に広がる世界指折りの美しいスポットとして知られ、オーストラリアのダイビング雑誌では2012年から2年連続でベストダイビングアイランドにも選ばれた経歴がある。更には時には夕食には巨大なロブスターや牡蠣、刺身まで供されることもあるという。ダイバー、シュノーケラー憧れの島ありながら日本人スタッフもいるというお勧めの隠れ家的リゾートなのだ。
室内は可愛らしい、温もりのある室内には虫除けの蚊帳とシーリングファンがある程度のシンプルな造り。冷蔵庫、ドライヤー、スリッパ、テレビ、湯沸かし器などはない。WIFIはオフィス周辺であれば無料で利用できる。
リセナンアイランドリゾート
近海でとれたロブスター 特別な食事ではなく普通の夕食です。
夜7時に夕食を食べにレストランへ。
レストランではこんなに大きいの初めて見たくらいのロブスター。
結婚式場でも食べたことのない大きさに興奮。
7日目 牡蠣と海ブドウと私
朝7時半に朝食。トーストとシリアル、目玉焼き。
シュノーケリングギアをレンタルしてコテージの前のビーチにてシュノーケリングをして楽しんだ。
朝10時にホテル前のビーチからシュノーケリングツアーに出発。
リセナンアイランドリゾートにいたカニ
どこまでも犬かきで追いかけてくるリセナンアイランドリゾートの飼い犬
<マングローブ牡蠣採りとBBQ&ラル島のシュノーケリングツアー>
まず向かうのはホテルからボートに揺られ約30分、マングローブの生い茂る島。ただ船に乗っているだけでは面白くない、移動中はルアーフィッシングしながらお昼のメインディシュを釣り上げるのがケビエン流。マングローブ林に到着。ここで目にするのが岩牡蠣ならぬマングローブ牡蠣。日本の牡蠣よりも大ぶりなマングローブ牡蠣はナイフで枝からこそぎ落とす。近辺の岩場では、これまた日本人の大好物、海ぶどうが自生している。食べる分だけの牡蠣と海ぶどうを仕入れたら、BBQの舞台ラル島へルアーフィッシングをしながら向かう。ラル島は徒歩5分で一周できるくらいのサイズの無人島。枯れ木を集め火をおこすところからスタート。ホテルから準備してきた食材をBBQスタイルで皆とワイワイ調理。牡蠣は生でも焼きでもお好みで。食後は腹ごなしに手付かずの珊瑚と多種多様な魚が溢れる透明な海でシュノーケリング。まさにケビエンの自然にどっぷり浸かったワイルドな体験だ。
マングローブ牡蠣
牡蠣ハンター
海ブドウもある
ラル島でBBQ ロブスターはホテルから持参
リセナンアイランドに到着したのは午後4時過ぎ。
シャワーを浴びたあとはビーチへ赴き、暮れなずむ夕日を見ながらリラックスしたひと時を過ごす。
この日の夕食は大きな白身魚。
8日目 義務教育
5:50のポートモレスビー行きのフライトに乗るため、朝4時にリセナンアイランドを出発。野崎さんが朝食のサンドイッチを持たせてくれた。
ボートと車を乗り継ぎ空港へ。まだ真夜中の海上を高速で爆走するモーターボートはジェットコースターのようにスリル満点だった。
ケビエン発の飛行機は往路と同様、ラバウルを経由してポートモレスビーへ。同日で成田行きに乗り継ぐ予定だが、国際線へのスルーチェックインはできなかった。
ポートモレスビーに到着後、一旦ポートモレスビーにて荷物の受け取りと国際線のチェックインを済ませる。成田行きのフライトまでかなり時間があるのでPNGジャパンのエミリーさんがポートモレスビーにて簡単な市内観光をしてもらった。
<ポートモレスビー市内観光>
もし乗り継ぎに充分時間があるのなら是非ポートモレスビーでの市内観光をお勧めしたい。特にバードサンクチュアリと言われるパプア国内から珍しい鳥類を集めた公園は国内外の観光客に大人気。こじんまりした園内に放し飼いをしており、餌付けしているためパプアの国鳥である極楽鳥を間近で見られることも。
手付かずの自然と原始時代からの風習を守る民族がいる一方で、高度経済成長を遂げるポートモレスビー。ウォーターフロントエリアには大型スーパーマーケットが建ち、高層ビル群を建設中だ。パプアニューギニアの経済的な一面を知ることになるだろう。
観光終了後、空港に到着しドライバーさんからの見送りを受け、お別れ。
成田行きはほぼ定刻通りに出発。
8日間パプアニューギニアを旅して、人間の原風景というものがあれば、パプアニューギニアこそがそれそのものなのではないかという気がした。損得勘定などない素朴でフレンドリーな人々、そして自然を畏れ神のスピリットを信じ、借り物でない独自の文化をもち続ける彼らを見ると彼らが特殊な慣習・文化をもっているのではなく、我々が不自然な生き方をしている気がした。先輩社員のほめ言葉を借りるなら「義務教育にして日本人全員いかせたい」と思わせた国である。
本来の自分の心のありようを確かめるという意味で、心の洗濯をするには最適な国だと思う。人間はやっぱりいいね。
予算・物価・お土産
物価は日本と同程度か少し高い。食事の予算は飲み物込みで1回40キナ程度(2000円)。お酒を飲むのであれば1缶10キナするので多めに心がけよう。チップは不要。お土産はブルーマウンテンコーヒーの粉末パックが人気で1つ15キナほど。ホテルや外国人観光客が利用するお店では大抵ビザかマスターのクレジットカードが利用できる。
ネット環境
ホテルでは無料のWIFIが大抵利用できるが、速度は大変遅い。SIMカードは空港や町中の至る所に売られている。
治安
ガイドと歩く分には全く問題ない。しかし特に都市部(ポートモレスビー)では一人歩きは控えたい。もし行きたい場所があるのであればガイドやドライバーに相談しよう。地方(ゴロカなど)では一人歩きする場合には夜中や暗い時間帯は控え、高価なカメラや時計はせず、手持ちのお金もごく一部に心がけよう。
マラリア
ポートモレスビーやハイランド地方では不要。セピック川・フライ川流域ではマラリア予防薬の服用をお勧めする。またそれ以外の地域でも念のため服用をしたほうが確実だが副作用もあるため服用しない観光客も多い。その場合は虫除けスプレーや蚊取り線香、長袖・長ズボン、黒の洋服を着ないように徹底したい。
今回の旅行ではパプアニューギニア政府観光局の山田様、ニューギニア航空の鈴木様、そして文中にもお名前を出させていただいた現地にてご活躍中の皆様の御協力にて無事終えることができました。心より御礼申し上げます。
(2015年5月 橋本康弘)
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