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- 小さな街巡りがおもしろい!秋深まるスロバキアの旅
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エリア:
- ヨーロッパ>スロバキア>バンスカー ビストリツァ
- ヨーロッパ>スロバキア>スロバキアその他の都市
- テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2017/01/13 14:43
今回、秋が深まるチェコとハンガリー、そしてスロバキアを訪れる機会を得ました。
チェコは「百塔の町」プラハが有名ですし、ハンガリーといえば「ドナウの真珠」ブダペストが名高いです。それではスロバキアといえば何でしょう。あんまり日本人にはイメージが湧かないかもしれません。渡航前、友人にスロバキアのイメージを聞いてみたら「白人の美人」という返事がきました。うーむ。同感。まだまだ日本人には未知の国、スロバキアを少しばかりご紹介しようと思います。
スロバキアの広さは北海道の5分の3という、国土としては小さな国です。国土のほとんどが山岳地帯で、周辺国のリゾート地として人気です。実際、現地で案内していただいた日本人の方は夏に山登りをするのが楽しみの1つとのことでした。ひと夏でいくつも山を登るそうです。ほとんどの国民の趣味が山登りなのか、どうなのか、スロバキアの歩行者用の道路標識は距離ではなく、徒歩何分かという案内になっています。中には徒歩○時間で○○バス停に到着という標識があって笑いました。数時間歩いて目的地ではなく、やっとバス停にしか着かないなんて・・スロバキアの人は健脚です。小さなところに文化が垣間見えてとても興味深いです。
スロバキアの首都、ブラチスラバにもお城や大聖堂など、見どころが多いですがよりディープなスロバキアに触れるには、地方の小さな町へでかけるのがおすすめです。その中で私が訪れたのが、バンスカー・ビストリツァとバンスカー・シュティアヴニツァです。
<バンスカー・ビストリツァ>
旅行へ持っていくとずっしり重い地球の歩き方にも、わずか4ページしか割かれていない、バンスカー・ビストリツァ。14世紀から16世紀にかけて銅の生産は最盛期で、この町で採れた銅はヨーロッパ各地に輸出されていきました。やがて鉱山資源が枯渇していっても、18世紀後半からスロバキア民族運動の中心地としてこの町が盛り上がります。第二次世界大戦末期、ナチス・ドイツの支配に対してスロバキア人がおこした民族蜂起は、この町からおこりました。
バンスカー・ビストリツァへはブラチスラバから列車で3時間ほどです。ローカルな列車が旅情をそそります。駅はバンスカー・ビストリツァで下車するのではなく、1つ前のバンスカー・ビストリツァ・メスト(BANSKA BYSTRICA MESTO)で下車するのがポイント。バンスカー・ビストリツァで下車してしまうと、町の中心までは15分ほど歩かなくてはならなくなります。メスト駅で下車すると、川にかかる橋を渡って、しばらく歩くともう町の中心に出てしまいます。徒歩5分ほどです。
町の中心は、SNP広場。城と時計塔が建つ、シンプルで町の中心にしては静かな広場ですが、広場の周りにはカフェやレストランがあり、雰囲気がいいです。SNP広場から西へ延びるドルナー通りに並ぶ建物は、建築当時の様子をほぼ留めているといいます。ドルナー通りの突き当たりには、近代的なショッピングモールもあります。
次に向かったのは、バンスカー・シュティアヴニツァです。バンスカー・シュティアヴニツァはブラチスラバや、バンスカー・ビストリツァから列車を乗りついで向かうことは可能ですが、ファイブスタークラブのコースは、その間の移動に車を利用して、小さな村の観光をします。
☆木造教会☆
バンスカー・ビストリツァから車で10分ほど走ったところにある、フロンセック村には木造教会があり、世界遺産に指定されています。プロテスタントの教会で、建設の時にはカトリックから様々な条件が出されたといいます。木造にすること、釘などは使わず木材だけで建てること、高い塔を立てないこと、湿地の上に建てること・・・などなど、細かく制限がありました。教会は隣に住むおばあさんが管理していて、ちょっとしたガイドをしてくれます。祭壇のカラフルな画まで木でできているので、独特の雰囲気があります。
☆家庭料理☆
スロバキアのご家庭にお邪魔して、昼食をご馳走になりました。
スロバキアグルメ、鶏肉のスープです。鶏肉と一緒に野菜を煮て、小さなパスタが入っています。味が濃くなく、素材の味が生きた優しい味です。
メインは鹿肉。旦那様が狩りで狩ってきたそう。ブルーベリーソースをかけていただきます。こちらのお宅は庭も広く、食卓に家庭菜園で育った作物が並ぶことも少なくないそう。狩りで狩ってきたお肉と家庭菜園の野菜で食卓が彩られるとは、それだけで生活が充実していることがうかがえます。
☆ワイン蔵☆
スロバキアはワインが有名。スタラーホラという小さな村にはワイン蔵とワイン博物館があります。私が訪れた日は人っ子一人いませんでしたが、ワインのお祭りの日になるとどこからか人が集まってきて、スタラーホラが原宿の竹下通り状態になるそう。冷たい秋風が吹きぬける静かなスタラーホラが原宿のように人でごったがえす様子はなかなか想像できません。
蔵で作られたワインの色は、どちらかといえば白ワインですが、色も味もそれとは異なります。かなりのアルコール度数です。色はりんごジュースのような、少し黄みがかった色味。味は少し酸っぱいでしょうか。ワイン蔵を管理しているおばあさんは、私と同い年の孫をもつこともあってか、関西弁で表すとすると「ほれ飲み飲み」とばかりに嬉々として私にワインをすすめてくれました。おばあさんの期待に応えたいものの、先ほどご馳走になった昼食ですでにワインと強いお酒をいただいていた私はグラスの半分ほどしか飲めませんでしたが、風味豊かな美味しいお酒でした。
ワイン蔵の横には、伝統的な民族衣装や、おばあさんの若き日の写真プレートまで、興味深いものが博物館として多く展示されています。
<バンスカー・シュティアヴニツァ>
バンスカー・シュティアヴニツァはなんと、地球の歩き方で2ページしか割かれていません。どうしてでしょうか・・この町はユネスコ世界遺産に登録されている町で、18世紀に鉱山都市としてピークを迎えました。1年間に600kgもの金が採れたというから驚きです。小さいながらも居心地がよく、素朴な色とりどりの家々が目を楽しませてくれる、バンスカー・シュティアヴニツァ。町の中心は三位一体広場です。広場の周りにはカフェやレストランがあります。町には新城と旧城があり、坂が多い町の、長いメインの坂を上った先にある新城からは、まるで中世から時が止まったような景色が広がります。
有名なレストランがあります。このお店で出しているERBビールは、4つ星以上のホテルにしか卸していないとのこと。お店に入るとすぐに目に飛び込んでくる巨大な2つのビールタンクも特徴的です。お酒でだけでなく、お料理もおいしいです。ある家族が注文していたのは豚ひざ肉のローストで、そのビジュアルはお肉の塊にナイフが上からブサリと刺さっているという、なんとも刺激的なもの。チェコ料理ですが、複数で訪れた際にはぜひ注文してみたいです。私はお昼にさんざん家庭料理をたらふくご馳走になり、ワインもいただいたのでお腹がいっぱいで、ビールとサラダとスープだけ注文しましたが、それもボリュームたっぷりで、でもサラダは瑞々しく、かぼちゃのスープは濃厚で美味しかったです。
今回は、スロバキアの自然と素朴な村に癒される旅でありました。
スロバキアで出逢った人々は柔らかく笑い、動物と暮らし、草花を育てていました。どの家も庭が綺麗に整えらえていたのが印象的です。心の豊かさについてまた考えさせられました。またいつかスロバキアに再訪できたら、と思います。
スタッフおすすめ度
バンスカー・ビストリツァ★★★
小さいながらも居心地のよい町
バンスカー・シュティアヴニツァ★★★★
カラフルで目にも楽しい町。周辺の小さな村とも組み合わせて訪れたい。
(2016年11月 楠本悠子)
チェコは「百塔の町」プラハが有名ですし、ハンガリーといえば「ドナウの真珠」ブダペストが名高いです。それではスロバキアといえば何でしょう。あんまり日本人にはイメージが湧かないかもしれません。渡航前、友人にスロバキアのイメージを聞いてみたら「白人の美人」という返事がきました。うーむ。同感。まだまだ日本人には未知の国、スロバキアを少しばかりご紹介しようと思います。
曇ってるけど綺麗な町なんです。バンスカー・シュティアヴニツァ。
スロバキアの広さは北海道の5分の3という、国土としては小さな国です。国土のほとんどが山岳地帯で、周辺国のリゾート地として人気です。実際、現地で案内していただいた日本人の方は夏に山登りをするのが楽しみの1つとのことでした。ひと夏でいくつも山を登るそうです。ほとんどの国民の趣味が山登りなのか、どうなのか、スロバキアの歩行者用の道路標識は距離ではなく、徒歩何分かという案内になっています。中には徒歩○時間で○○バス停に到着という標識があって笑いました。数時間歩いて目的地ではなく、やっとバス停にしか着かないなんて・・スロバキアの人は健脚です。小さなところに文化が垣間見えてとても興味深いです。
スロバキアの首都、ブラチスラバにもお城や大聖堂など、見どころが多いですがよりディープなスロバキアに触れるには、地方の小さな町へでかけるのがおすすめです。その中で私が訪れたのが、バンスカー・ビストリツァとバンスカー・シュティアヴニツァです。
<バンスカー・ビストリツァ>
旅行へ持っていくとずっしり重い地球の歩き方にも、わずか4ページしか割かれていない、バンスカー・ビストリツァ。14世紀から16世紀にかけて銅の生産は最盛期で、この町で採れた銅はヨーロッパ各地に輸出されていきました。やがて鉱山資源が枯渇していっても、18世紀後半からスロバキア民族運動の中心地としてこの町が盛り上がります。第二次世界大戦末期、ナチス・ドイツの支配に対してスロバキア人がおこした民族蜂起は、この町からおこりました。
バンスカー・ビストリツァへはブラチスラバから列車で3時間ほどです。ローカルな列車が旅情をそそります。駅はバンスカー・ビストリツァで下車するのではなく、1つ前のバンスカー・ビストリツァ・メスト(BANSKA BYSTRICA MESTO)で下車するのがポイント。バンスカー・ビストリツァで下車してしまうと、町の中心までは15分ほど歩かなくてはならなくなります。メスト駅で下車すると、川にかかる橋を渡って、しばらく歩くともう町の中心に出てしまいます。徒歩5分ほどです。
町の中心は、SNP広場。城と時計塔が建つ、シンプルで町の中心にしては静かな広場ですが、広場の周りにはカフェやレストランがあり、雰囲気がいいです。SNP広場から西へ延びるドルナー通りに並ぶ建物は、建築当時の様子をほぼ留めているといいます。ドルナー通りの突き当たりには、近代的なショッピングモールもあります。
SNP広場
SNP広場
城
宿泊したホテルナーロドニ・ドム
舞台やライブも盛ん
次に向かったのは、バンスカー・シュティアヴニツァです。バンスカー・シュティアヴニツァはブラチスラバや、バンスカー・ビストリツァから列車を乗りついで向かうことは可能ですが、ファイブスタークラブのコースは、その間の移動に車を利用して、小さな村の観光をします。
☆木造教会☆
バンスカー・ビストリツァから車で10分ほど走ったところにある、フロンセック村には木造教会があり、世界遺産に指定されています。プロテスタントの教会で、建設の時にはカトリックから様々な条件が出されたといいます。木造にすること、釘などは使わず木材だけで建てること、高い塔を立てないこと、湿地の上に建てること・・・などなど、細かく制限がありました。教会は隣に住むおばあさんが管理していて、ちょっとしたガイドをしてくれます。祭壇のカラフルな画まで木でできているので、独特の雰囲気があります。
☆家庭料理☆
スロバキアのご家庭にお邪魔して、昼食をご馳走になりました。
スロバキアグルメ、鶏肉のスープです。鶏肉と一緒に野菜を煮て、小さなパスタが入っています。味が濃くなく、素材の味が生きた優しい味です。
メインは鹿肉。旦那様が狩りで狩ってきたそう。ブルーベリーソースをかけていただきます。こちらのお宅は庭も広く、食卓に家庭菜園で育った作物が並ぶことも少なくないそう。狩りで狩ってきたお肉と家庭菜園の野菜で食卓が彩られるとは、それだけで生活が充実していることがうかがえます。
デザートのアップルパイ
☆ワイン蔵☆
スロバキアはワインが有名。スタラーホラという小さな村にはワイン蔵とワイン博物館があります。私が訪れた日は人っ子一人いませんでしたが、ワインのお祭りの日になるとどこからか人が集まってきて、スタラーホラが原宿の竹下通り状態になるそう。冷たい秋風が吹きぬける静かなスタラーホラが原宿のように人でごったがえす様子はなかなか想像できません。
ペンションもある
蔵で作られたワインの色は、どちらかといえば白ワインですが、色も味もそれとは異なります。かなりのアルコール度数です。色はりんごジュースのような、少し黄みがかった色味。味は少し酸っぱいでしょうか。ワイン蔵を管理しているおばあさんは、私と同い年の孫をもつこともあってか、関西弁で表すとすると「ほれ飲み飲み」とばかりに嬉々として私にワインをすすめてくれました。おばあさんの期待に応えたいものの、先ほどご馳走になった昼食ですでにワインと強いお酒をいただいていた私はグラスの半分ほどしか飲めませんでしたが、風味豊かな美味しいお酒でした。
ワイン蔵の横には、伝統的な民族衣装や、おばあさんの若き日の写真プレートまで、興味深いものが博物館として多く展示されています。
ワイン蔵
伝統的なウエディングケーキ
<バンスカー・シュティアヴニツァ>
バンスカー・シュティアヴニツァはなんと、地球の歩き方で2ページしか割かれていません。どうしてでしょうか・・この町はユネスコ世界遺産に登録されている町で、18世紀に鉱山都市としてピークを迎えました。1年間に600kgもの金が採れたというから驚きです。小さいながらも居心地がよく、素朴な色とりどりの家々が目を楽しませてくれる、バンスカー・シュティアヴニツァ。町の中心は三位一体広場です。広場の周りにはカフェやレストランがあります。町には新城と旧城があり、坂が多い町の、長いメインの坂を上った先にある新城からは、まるで中世から時が止まったような景色が広がります。
カフェ
町の中心、三位一体の像
有名なレストランがあります。このお店で出しているERBビールは、4つ星以上のホテルにしか卸していないとのこと。お店に入るとすぐに目に飛び込んでくる巨大な2つのビールタンクも特徴的です。お酒でだけでなく、お料理もおいしいです。ある家族が注文していたのは豚ひざ肉のローストで、そのビジュアルはお肉の塊にナイフが上からブサリと刺さっているという、なんとも刺激的なもの。チェコ料理ですが、複数で訪れた際にはぜひ注文してみたいです。私はお昼にさんざん家庭料理をたらふくご馳走になり、ワインもいただいたのでお腹がいっぱいで、ビールとサラダとスープだけ注文しましたが、それもボリュームたっぷりで、でもサラダは瑞々しく、かぼちゃのスープは濃厚で美味しかったです。
今回は、スロバキアの自然と素朴な村に癒される旅でありました。
スロバキアで出逢った人々は柔らかく笑い、動物と暮らし、草花を育てていました。どの家も庭が綺麗に整えらえていたのが印象的です。心の豊かさについてまた考えさせられました。またいつかスロバキアに再訪できたら、と思います。
スロバキアのローカルレストランにて
スタッフおすすめ度
バンスカー・ビストリツァ★★★
小さいながらも居心地のよい町
バンスカー・シュティアヴニツァ★★★★
カラフルで目にも楽しい町。周辺の小さな村とも組み合わせて訪れたい。
(2016年11月 楠本悠子)
- ナポリを見て死ね?いやいや、他も見ないと死ねません!イタリアの風景・人に癒されまくりの旅
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>カプリ島
- ヨーロッパ>イタリア>シラクーサ
- ヨーロッパ>イタリア>イタリアその他の都市
- テーマ:世界遺産 グルメ 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2017/01/13 10:48
昔、イタリア嫌いなイタリア人の友人が「イタリアなんて何もないよ!良いところはピッツァくらいだね」と言った言葉が忘れられない。
それから私にとってイタリアとは、何もないけどロミオとジュリエットの国ぐらいの認識であって、まぁいつか行くことがあるとしても、ロミジュリごっこでもしに、舞台となったヴェローナぐらいかなと思っていた。
自ら行く可能性はほぼほぼ0パーセントであった国に、今回出張でお邪魔することになった。しかも行先はナポリ、カプリ、シチリア。
ロミオもジュリエットも短い人生の中、一度も行った事がないであろう行先。
家族には「いいやん、シチリア!ゴッドファーザーがいるよ!憧れのマフィアの聖地やで!」と送り出された。
いやいや。極道の妻になるのが夢だったのは小学生までの話であって、私ももういい大人である。イケメンマフィアに騙されないようにと、心新たに出発した。
そして数日後。
見知らぬイタリア人に誘われ、カフェでへらへらお茶をしている私がいた。
人生何があるか分からないから面白い。
残念ながらマフィアに会うことはありませんでしたが、景色・建築物の素晴らしさもさることながら、ほとんど言葉の通じない会話でありながらも、お茶を御馳走になり、夕食を御馳走になり、イタリア人の優しさにすっかり心奪われた今回の旅。
少しでも皆様のご旅行の参考になりますように。
まず訪れたのはカプリ島。
ナポリからフェリーで向かうのですが、事前にフェリーチケットはインターネットで購入済みだったので、簡単に乗ることができました。
カプリ島と言えば、青の洞窟。
青の洞窟と言えば、カプリ島。
沖縄にある青の洞窟にはよく遊びに行っていたので、ずっと本物はいかほどに美しいのかと興味があったのです。
それはそれは楽しみにしていた本家青の洞窟。
「今日はね、水位が高いからでないよ」
ええええ!カプリには一泊しかしないのに・・・ナンタルチヤ!サンタルチア!(最近の子には通じないギャグ)
急遽ガイドブックを取り出し、レストランのおじさんに聞いたお勧めハイキングコースへと出発した。
ハイキングコースは約2時間。ハイキングをする予定など毛頭なかった私は、重たいブーツで息を切らしながらコース途中にある心臓破りの階段を登ることになったが、このハイキングコースからの眺めも絶景!
そしてカプリの町並みはとても可愛らしくて、タイルやお花を使って上手に住んでいるお家を見ているだけで楽しくなってきます。
港のある中心地、カプリ地区はやはり観光客が非常に多く、色んなお店から日本語や韓国語で話しかけてもらいました。
滞在ホテルは、中心地からバスで20分程度かかるアナカプリ地区だったのですが、こちらは団体客がいないので、のんびりとお散歩することもできます。バスでの移動は少し面倒ですが、バスも頻繁に出ているので、宿泊はアナカプリ地区が正解なのかなという感じがしました。
青の洞窟に入れなかったらどうしよう・・ホテルで寝るか、などと考えていたのですが、全く問題なくカプリ島を楽しむことができました。
もし青の洞窟に入れなかった時のために、しっかりした靴を一足持っていかれるのをお勧めします。
その後訪れたシチリア島では、専用車・バス・列車を駆使して素朴で美しい島を満喫しました。
さて、そんなシチリアにある「パラッツォ・アドリアーノ」という街を、みなさんご存じでしょうか。
パレルモから車で約二時間もかかるその小さな街に行くには、専用車を利用しなくてはならず正直実際に行ってみるまで、ちょっとしんどいなどと考えていたのですが、車から降りた瞬間、映画のセットの中に迷い込んだような錯覚を覚えました。
それもそのはず、この街はある名作映画のロケ地として、公開から28年が経った今なお、世界中のファンが集まってくるのです。
映画好きでなくても一度は聞いたことがあるであろう「ニューシネマパラダイス」
イタリア国内だけではとどまらず、日本で上演された際にも大ヒットした、不朽の名作として知られるこの作品ですが、撮影時よりは多少建物はキレイになっているものの、ほぼ映画の中のままの姿を見ることができます。映画の中と同じく、素朴で優しそうな人たちが行きかう広場に立つと、今にも主人公トトが笑顔で走ってきそう。
町の中では、トトがエレナをくどいた教会や、トトの家を実際に見ることもできます。
残念ながら映画館は現在ありませんが、すぐ近くの建物で、主人公トト役をした俳優、カシオの親戚などが「ニューシネマパラダイス博物館」を運営しており、撮影当時の貴重な写真や小道具などを見ることができます。
「今でもこの町の唯一の娯楽は映画ですよ」と言われたら信じてしまいそうなくらい、大きなスーパもなければゲームセンターももちろん無い町の中には、とても心地いい静けさが流れていました。
少し遠いですが、映画ファンであれば是非お勧めの観光地です。
パレルモはシチリア2番目の都市というだけあり、見所がたくさんあって、一日では回れないくらいでした。
建築や歴史が分かっていればもっと面白かったと思うのですが、無知な私がみても素晴らしいと感じるものがたくさん。
そして、一風変わった観光地へも足を運んできました。
旧市街から少し離れた場所にあるそこは、入り口も小さくひっそりとしています。
そして、地下へと降りていくと、さっきまで外で大笑いしていた観光客たちも段々、神妙な顔つきになってくる。それもそのはず、そこに並んでいるのは8,000体ものミイラたちなのです。
カプチン派のカタコンベは、バスに乗って少しの距離にあります。
手を伸ばせば届きそうな距離にずらりと並ぶその姿は、最初はとても怖く難じるのですがそのうちにとても不思議な気持ちへと変わっていきます。
生きると云う事は死へと日々進んでいくことであって、生きている時間より死んでいる時間の方が圧倒的に長いという当たり前のことを気づかせてくれます。
そして二歳のままで時を止めてしまった少女のミイラは、1920年に亡くなったとは思えないほど、約100年の時を経た今でもなお、眠り続けているようにその姿をとどめていました。
写真撮影は禁止されていますが、日本ではなかなかできない体験でもありますので、お時間があれば足を運んでも面白いかもしれません。
今回の旅で、観光客が多い街や観光客相手の人には英語でも問題なく話すことができましたが、英語が通じない場面も多々ありました。
しかしそんな旅の中、たくさんの温かいイタリアの人達に助けていただき、無事に旅を終えることができました。
日本では考えられない事ですが、8時間もかかる列車移動で仲良くなった夫婦に夕食をご馳走になり、タクシーの運転手さんに朝ご飯をご馳走になるという、なんともありがたい経験もすることができました。どちらもほとんど英語は通じなかったのに、見ず知らずの私にこんなに良くしてくれる人たちの優しさにとても心が温かくなりました。
果たして逆の立場だったとして、そこまで旅行者に優しくなれるだろうか。自分自身を省みるいい機会にもなりました。
コーヒーとマフィンを御馳走してくれたタクシー運転手さんは、今までイタリアを出たことが無いそう。(と思う。片言なのでもしかしたら違うかも知れない)でも、日本は大好きだと言ってくれていた。(と思う)
日本は決して運転手さんが言うように良いところばかりの国ではないと思うのですが、今後彼が出会う日本人が、優しい彼の心を傷つけることの無いようにと心から祈るばかりです。
そして彼がしきりに言っていた「アーモンド!」「ナッツ!」という言葉が頭から離れない。
果たして、彼は私に何を伝えようとしていたのか。
彼の実家がアーモンド農園なのか、もしくはアーモンドは健康に良いよということなのか、アーモンドの花の季節はキレイだから見においでということなのか。
謎は謎のまま、彼は優しい笑顔で、旅立つ私を見送ってくれた。
世界に新たに一つ増えた謎は、いつかまた私をイタリアへ呼んでくれるかもしれない。
海外では特に、十分に安全に気をつけなくてはいけないが、こういった出会いも旅の醍醐味だと再認識。
旅とは観光地を見ることだけではないから面白い。
ローマやベネチアのTHE観光地を巡る旅行も、とても魅力的で楽しいと思いますが、素朴で優しい人たちが暮らすシチリアへのご旅行はいかがでしょうか。
パラッツォ・アドリアーノ★★★★★
是非映画を見た後に!映画を見れば必ず行きたくなるはずです。
カプリ★★★★
海が好きな人なら大満足のリゾート
イタリアの人たち★★★★★
出会った人達みな良い人でした。出会いに感謝。
(2016年11月 大野史子)
それから私にとってイタリアとは、何もないけどロミオとジュリエットの国ぐらいの認識であって、まぁいつか行くことがあるとしても、ロミジュリごっこでもしに、舞台となったヴェローナぐらいかなと思っていた。
自ら行く可能性はほぼほぼ0パーセントであった国に、今回出張でお邪魔することになった。しかも行先はナポリ、カプリ、シチリア。
ロミオもジュリエットも短い人生の中、一度も行った事がないであろう行先。
家族には「いいやん、シチリア!ゴッドファーザーがいるよ!憧れのマフィアの聖地やで!」と送り出された。
いやいや。極道の妻になるのが夢だったのは小学生までの話であって、私ももういい大人である。イケメンマフィアに騙されないようにと、心新たに出発した。
そして数日後。
見知らぬイタリア人に誘われ、カフェでへらへらお茶をしている私がいた。
人生何があるか分からないから面白い。
残念ながらマフィアに会うことはありませんでしたが、景色・建築物の素晴らしさもさることながら、ほとんど言葉の通じない会話でありながらも、お茶を御馳走になり、夕食を御馳走になり、イタリア人の優しさにすっかり心奪われた今回の旅。
少しでも皆様のご旅行の参考になりますように。
このサイズのピザも6ユーロ!
まず訪れたのはカプリ島。
ナポリからフェリーで向かうのですが、事前にフェリーチケットはインターネットで購入済みだったので、簡単に乗ることができました。
カプリ島と言えば、青の洞窟。
青の洞窟と言えば、カプリ島。
沖縄にある青の洞窟にはよく遊びに行っていたので、ずっと本物はいかほどに美しいのかと興味があったのです。
それはそれは楽しみにしていた本家青の洞窟。
「今日はね、水位が高いからでないよ」
ええええ!カプリには一泊しかしないのに・・・ナンタルチヤ!サンタルチア!(最近の子には通じないギャグ)
急遽ガイドブックを取り出し、レストランのおじさんに聞いたお勧めハイキングコースへと出発した。
ハイキングコースは約2時間。ハイキングをする予定など毛頭なかった私は、重たいブーツで息を切らしながらコース途中にある心臓破りの階段を登ることになったが、このハイキングコースからの眺めも絶景!
そしてカプリの町並みはとても可愛らしくて、タイルやお花を使って上手に住んでいるお家を見ているだけで楽しくなってきます。
ワンちゃん用のバー
可愛い呼び鈴
港のある中心地、カプリ地区はやはり観光客が非常に多く、色んなお店から日本語や韓国語で話しかけてもらいました。
滞在ホテルは、中心地からバスで20分程度かかるアナカプリ地区だったのですが、こちらは団体客がいないので、のんびりとお散歩することもできます。バスでの移動は少し面倒ですが、バスも頻繁に出ているので、宿泊はアナカプリ地区が正解なのかなという感じがしました。
青の洞窟に入れなかったらどうしよう・・ホテルで寝るか、などと考えていたのですが、全く問題なくカプリ島を楽しむことができました。
もし青の洞窟に入れなかった時のために、しっかりした靴を一足持っていかれるのをお勧めします。
その後訪れたシチリア島では、専用車・バス・列車を駆使して素朴で美しい島を満喫しました。
カターニアのフィッシュマーケット
生きてるカタツムリちゃん
ラグーザ
モディカ名物のチョコレート
花のじゅうたん祭りが行われるノート
さて、そんなシチリアにある「パラッツォ・アドリアーノ」という街を、みなさんご存じでしょうか。
パレルモから車で約二時間もかかるその小さな街に行くには、専用車を利用しなくてはならず正直実際に行ってみるまで、ちょっとしんどいなどと考えていたのですが、車から降りた瞬間、映画のセットの中に迷い込んだような錯覚を覚えました。
それもそのはず、この街はある名作映画のロケ地として、公開から28年が経った今なお、世界中のファンが集まってくるのです。
映画好きでなくても一度は聞いたことがあるであろう「ニューシネマパラダイス」
イタリア国内だけではとどまらず、日本で上演された際にも大ヒットした、不朽の名作として知られるこの作品ですが、撮影時よりは多少建物はキレイになっているものの、ほぼ映画の中のままの姿を見ることができます。映画の中と同じく、素朴で優しそうな人たちが行きかう広場に立つと、今にも主人公トトが笑顔で走ってきそう。
町の中では、トトがエレナをくどいた教会や、トトの家を実際に見ることもできます。
残念ながら映画館は現在ありませんが、すぐ近くの建物で、主人公トト役をした俳優、カシオの親戚などが「ニューシネマパラダイス博物館」を運営しており、撮影当時の貴重な写真や小道具などを見ることができます。
映画のままの広場
ニューシネマパラダイス博物館
映画で使われた小道具
原田マハの本が飾ってありました
「今でもこの町の唯一の娯楽は映画ですよ」と言われたら信じてしまいそうなくらい、大きなスーパもなければゲームセンターももちろん無い町の中には、とても心地いい静けさが流れていました。
少し遠いですが、映画ファンであれば是非お勧めの観光地です。
パレルモはシチリア2番目の都市というだけあり、見所がたくさんあって、一日では回れないくらいでした。
建築や歴史が分かっていればもっと面白かったと思うのですが、無知な私がみても素晴らしいと感じるものがたくさん。
パラティーナ礼拝堂
サン・カタルド教会
原田マハの本が飾ってありました
マルトラーナ教会
マリオネットも有名(怖い・・)
そして、一風変わった観光地へも足を運んできました。
旧市街から少し離れた場所にあるそこは、入り口も小さくひっそりとしています。
そして、地下へと降りていくと、さっきまで外で大笑いしていた観光客たちも段々、神妙な顔つきになってくる。それもそのはず、そこに並んでいるのは8,000体ものミイラたちなのです。
カプチン派のカタコンベは、バスに乗って少しの距離にあります。
手を伸ばせば届きそうな距離にずらりと並ぶその姿は、最初はとても怖く難じるのですがそのうちにとても不思議な気持ちへと変わっていきます。
生きると云う事は死へと日々進んでいくことであって、生きている時間より死んでいる時間の方が圧倒的に長いという当たり前のことを気づかせてくれます。
そして二歳のままで時を止めてしまった少女のミイラは、1920年に亡くなったとは思えないほど、約100年の時を経た今でもなお、眠り続けているようにその姿をとどめていました。
写真撮影は禁止されていますが、日本ではなかなかできない体験でもありますので、お時間があれば足を運んでも面白いかもしれません。
今回の旅で、観光客が多い街や観光客相手の人には英語でも問題なく話すことができましたが、英語が通じない場面も多々ありました。
しかしそんな旅の中、たくさんの温かいイタリアの人達に助けていただき、無事に旅を終えることができました。
日本では考えられない事ですが、8時間もかかる列車移動で仲良くなった夫婦に夕食をご馳走になり、タクシーの運転手さんに朝ご飯をご馳走になるという、なんともありがたい経験もすることができました。どちらもほとんど英語は通じなかったのに、見ず知らずの私にこんなに良くしてくれる人たちの優しさにとても心が温かくなりました。
果たして逆の立場だったとして、そこまで旅行者に優しくなれるだろうか。自分自身を省みるいい機会にもなりました。
コーヒーとマフィンを御馳走してくれたタクシー運転手さんは、今までイタリアを出たことが無いそう。(と思う。片言なのでもしかしたら違うかも知れない)でも、日本は大好きだと言ってくれていた。(と思う)
日本は決して運転手さんが言うように良いところばかりの国ではないと思うのですが、今後彼が出会う日本人が、優しい彼の心を傷つけることの無いようにと心から祈るばかりです。
そして彼がしきりに言っていた「アーモンド!」「ナッツ!」という言葉が頭から離れない。
果たして、彼は私に何を伝えようとしていたのか。
彼の実家がアーモンド農園なのか、もしくはアーモンドは健康に良いよということなのか、アーモンドの花の季節はキレイだから見においでということなのか。
謎は謎のまま、彼は優しい笑顔で、旅立つ私を見送ってくれた。
世界に新たに一つ増えた謎は、いつかまた私をイタリアへ呼んでくれるかもしれない。
海外では特に、十分に安全に気をつけなくてはいけないが、こういった出会いも旅の醍醐味だと再認識。
旅とは観光地を見ることだけではないから面白い。
ローマやベネチアのTHE観光地を巡る旅行も、とても魅力的で楽しいと思いますが、素朴で優しい人たちが暮らすシチリアへのご旅行はいかがでしょうか。
アーモンドの謎を解きに、また戻ってこれますように
パラッツォ・アドリアーノ★★★★★
是非映画を見た後に!映画を見れば必ず行きたくなるはずです。
カプリ★★★★
海が好きな人なら大満足のリゾート
イタリアの人たち★★★★★
出会った人達みな良い人でした。出会いに感謝。
(2016年11月 大野史子)
- 自由気ままに列車とバスでプラハからウィーンへ
-
エリア:
- ヨーロッパ>オーストリア>ウィーン
- ヨーロッパ>チェコ>チェスキー クルムロフ
- ヨーロッパ>チェコ>チェコその他の都市
- テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2017/01/13 10:25
今回は出張で東欧ヨーロッパのチェコおよびオーストリアを視察する機会を頂きました。
2週間前にお隣のポーランドを視察して帰国したばかりの10月末に、プラハ、クトナー・ホラ、チェスキークロムロフ、ザルツブルグ、ウィーンの5都市に行ってまいりました。
玄関口のプラハまでは、ヨーロッパ周遊の旅には最適の就航都市が多い、ターキッシュエアラインズを利用しイスタンブール経由で約18時間の旅でした。現在もイスタンブール乗継ぎの心配をされているお客様も多いですが、往復ともに乗継ぎでアタトゥルク国際空港を乗り継いでも、全く何も心配ありませんでした。
プラハ空港から市内までは、エアポートエキスプレス(AE)が片道60CZKで旧市街を通りプラハ本駅まで移動できます。また市内交通に欠かせないトラムやバスを利用するのに24時間の1日券又は72時間の3日券を滞在に合せて購入するとホテルへの移動や観光に便利でした。
初のチェコ、初のプラハは定番の観光からスタートしてみました。「王の道」と呼ばれる火薬塔からカレル橋を通ってプラハ城までの道のりからスタートしました。2500mに及ぶ歴史的な道は約4世紀にわたって歴代の王が戴冠パレードを行ってきた道だとの事です。
旧市街のお土産物屋、広場のレストランなどで一息つくのも良いかもしれない。
カレル橋に着くと人がごった返しており、ストリートパフォーマーや似顔絵描き職人を観ながら歩くのがとても楽しい。プラハ城へは新登城道を上るとプラハの街並みが一望できるのでお勧めです。
しかしプラハ城の入場の為のセキュリティチェックは、行列をなしているので、旧登城道から入るのがお勧めです。残念ながら訪問した日が丁度独立記念日の祝日の為、プラハ城は閉館時間が早く残念ながら、あまり見て回ることが出来ず、プラハを再度訪問する理由が出来てしまった。
翌日列車を利用し中部に位置する小さな都市クトナー・ホラへは片道約50分でプラハ本駅からクトナー・ホラ本駅にアクセスできる。世界遺産にも登録されている聖バルバラ教会を始め旧市街には見どころが沢山あるが、クトナー・ホラと言えば何とも珍しい墓地教会(納骨礼拝堂)が存在する。13世紀後半にエルサレムにある聖墓から持ち帰った一握りの土をここにまいたことから始まり、以来この協会は聖地とみなされ、埋葬を望むものたちの遺体がボヘミアだけでなく中央ヨーロッパから集まったと言われている。
現在の教会内部は見渡す限り、骨や骸骨が・・・4万人もの僧侶の骨で装飾されている。
教会の塔の上には、十字架とドクロマークがあるのもこの教会ならではないだろうか。
チェコ旅行といえば、必ずと言ってよいほどチェスキークロムロフを訪れる人が多く密かに外せないと思っていた。今回は、プラハ中心部の外れにあるNa Knizeciバスターミナルからバスを利用して移動することに・・・約3時間でチェスキークロムロフに到着する。
列車と違って嬉しいのは、乗換なしで行けることだ。バスの車内ではwifiやエンターテイメントのサービスもあり、あっという間に到着することが出来る。
景観の美しさと歴史的価値から世界遺産にも登録されたこの街の見どころは、旧市街全体が見所になっている。ヴルタヴァ川が旧市街を包むように流れ、お城を中心とした町並みが古城から望める。赤レンガ色の屋根が密集する美しい眺めに、写真を撮りすぎてしまいました。
チェコを後にして、オーストリアへはシャトルバスを利用して、途中トイレ休憩をはさみ3時間でザルツブルグに到着した。ミニバンのシャトルバスのお陰で、ホテルからホテルへの探さずに送迎で便利です。ユーロ圏の為、国境らしい国境もなくトイレ休憩のお店の通貨が€(ユーロ)に変化したことで、オーストリアに入国したことに気付いたほどだ。
ザルツブルグは、「塩の城」という意味の名を持つこの街は周囲の岩塩鉱から産出された塩の取引で繁栄を続けてきたが、夏には毎年音楽祭も開催され、音楽の都として知られている。音楽に縁のない自分でも知っているモーツァルト生誕の地として有名です。モーツァルトの生家、モーツァルトの住居、モーツァルト小橋、モーツァルト広場の像と音楽好きでなくとも街歩きが楽しめます。ホーエンザルツブルグ城塞からは町並みが楽しめます。
オーストリアの首都ウィーンへは、ザルツブルグ中央駅から列車で約2時間半で到着します。今回列車の移動で便利だったアプリをご紹介!「Rail Planner」のヨーロッパの鉄道検索、スケジュールを立てるのに大変助かりました。何といってもオフラインで使える優れもので、ヨーロッパの鉄道旅には欠かせません。ウィーンに着いたら、観光にも必須なウィーン48時間フリーパスを購入しました。トラム・地下鉄・バスと時間内は乗り放題で、滞在日数に併せて購入することをお勧めします。
ウィーンは首都だけに、観光スポットも点在し時間が足りないので、要所を抜粋して訪問しました。ウィーンと言ったら王宮、シェーンブルン宮殿、ベルヴェデーレ宮殿とハプスブルク家の栄華を感じることが出来ました。またシュテファン寺院の観光と共にケルントナー通り周辺のカフェ巡りで、旅の最後の至福の時間を堪能しました。
【スタッフおススメ度】
プラハ★★★★★ プラハの街歩きが楽しい
墓地教会(納骨礼拝堂)★★★★★ プラハから日帰りでクトナー・ホラへ
チェスキークロムロフ★★★★★ 天気の良い日に展望スポットへ
ザルツブルグ★★★★ 夏のザルツカンマーグートへ
ウィーン★★★★ 美味しいトルテを探しに。
(2016年11月 大道隆宏)
- ギリシャの白は資本家の罠?「二つの白」の秘密をたどる遺跡&リゾート浪漫紀行
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エリア:
- ヨーロッパ>ギリシャ>アテネ
- ヨーロッパ>ギリシャ>サントリーニ島
- テーマ:ビーチ・島 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2017/01/13 10:16
青く澄み切った地中海、リゾート地サントリーニ島のラグジュアリーな白、白亜のパルテノン神殿・・・
ギリシャと言われて思いつくのがそんなイメージなら、貴方は歴史上多く語られない大スキャンダルに騙されている可能性がある。
上で挙げたどちらかの白は後世の資本家によってつくられた「偽りの白」であることを、誰がどう予想できただろう。
●○●サントリーニ島●○●
“GREEK LOVE(ギリシャの愛)” という熟語が「男性同士の同性愛」を意味することはさておき、サントリーニ島はギリシャでNo.1のハネムーンの聖地。
サントリーニ島には二つの大きな町、フィラとイアがある。どちらも白で統一された建物が軒を連ねている。その美しさに引き込まれるように町並みをたどると、入り組んだ路地に迷い込んでしまう。にぎやかなフィラの町並みは、ギリシャのセンスが光るお土産物屋やタベルナ(伝統的なギリシャ料理店)がひしめき合っている。どの店もカラフルでおしゃれ。そのセンスがうらやましい。
断崖へ下るケーブルカーに乗って、クルーズ船の玄関口オールドポートへ向かう。フィラの向かいにある火山島、ネア・カメニやパレア・カメニへ向かうツアーもこの港から出発する。
奥に見えるのが火山島
オールドポート
ここから見上げるフィラの町は、まるで雪山のようだ。帰りは伝統のロバタクシーに乗って崖を登る。のんびりまったり揺られよう、という気でいたのだが、ロバは急に走ったり、急に立ち止まったり・・・ハラハラして意外と楽しい。笑顔でフィラに降り立った後、服から漂う獣の香りで我に返った。
町角にあるささやかな博物館には、サントリーニ島の出土品が展示されていた。土器のひとつひとつ、古代彫刻のひとつひとつが己の見てきた歴史を語りたがっているよう。展示室でじっと耳を澄ませ、ファンタジーの世界のような白い町並みが紀元前に育んだ知恵や文化、その繁栄のひみつを尋ねてみる。
フィラはサントリーニ島の中心となる町のため、主要交通機関のバス路線もこの町が基点。流しのタクシーはほとんどいない。
サントリーニ島もう一つの町、イアはフィラからバスで20分ほど。車窓からはどこか哀愁あるだだっ広い緑地や、きらきらと微笑むエーゲ海、荒々しい断崖や見事な地層を見ることができる。どうしてもリゾートのイメージが強いサントリーニ島だが、火山噴火によって生まれたため島全体が特徴的な地形を持っているらしい。ギリシャ各地の無骨な大地や穏やかな海のどこか神聖なコントラストが、喜怒哀楽にあふれた神々の物語を生み出したのも不思議じゃないように思えた。
夕刻が迫ると、島を訪れた旅人たちは皆イアの展望台を目指す。サンセットを見届けるためだ。ここでは夕陽が、白い町にゆっくりとオレンジの魔法をかけていく。それは世界一の美しさだと言う。この日はあいにく少し曇っていて、その様子は伺えなかった。
船も続々と集まってくる
なぜこの島の建物は白いのかガイドに尋ねると「昔は白いペンキが一番安かったから、みんな家を白で塗ったんだ。」とのこと。狙って白い色にしたわけではなく、何とも偶然に白い建物がそろってしまったらしい。安いのが白でよかったなあと笑いながら、ロマンチックにライトアップされたイアの町を後にした。
この島に滞在するなら、それが特別な旅行なら、断崖沿いのホテル宿泊はマストだろう。お部屋の真っ白なテラスからゆっくり海を眺める時間は、誰もが憧れる人生の贅沢。イアのラグジュアリーな断崖ホテルに宿泊すれば、世界一の夕陽をプレイベートな空間で楽しめるかもしれない。
カティキエスのテラス
カナヴェスイア&スイート
カナヴェスイア&スイート
カナヴェスイア&スイート
時間が許すのなら、ぜひ郊外の自然を訪ねて欲しい。赤い岩肌に囲まれたレッドビーチはまさに絶景。広いビーチではないが、いつまでものんびりできる。
300年の歴史をもつ家族経営のワイナリー、GAVALAS WINERYを訪れた。火山性の土壌が良質の葡萄を育てるそうで、この島でしか採れない品種もあるらしい。ひとやすみして、テイスティングを楽しむ。品がよくて飲みやすく、まろやかなサントリーニワイン。すっかり虜となってしまった。日本のワインコンテスト受賞歴もあるらしい。
サントリーニ島を訪れるまでは、東京ディズニーランドのような作為的に作られたリゾートのイメージがあった。しかし実際は、どことなく生活感も感じられる優しい自然にあふれた島だった。柄でもなく再訪の日を夢見ている自分がいる。
●○●アテネ●○●
アクロポリスの展望台より
今回の旅では、「ギリシャで最も美しい島」のひとつとも言われるコルフ島を訪れる予定だったのだが、管制塔のストライキを重なってしまい断念。ギリシャの国内線オペレーションはいつも不安定だ。まさか自分が巻き込まれるとは思っていなかったので大変残念だったが、アテネでの滞在時間が増えたのは嬉しい誤算だった。崇高で静謐、単純美であふれたギリシャ文明の世界をゆっくり満喫することができた。
パルテノン神殿
アテネで一番楽しみにしていたのは、やはりアクロポリス遺跡。アテネの中心部にありながら、この荒涼とした聖域だけ天界からひょいっと持ち上げられたような、不思議な場所だった。中でも一番見どころのパルテノン神殿は紀元前447年に建築が始まり、15年の歳月をかけて完成した。(現在は残念ながら補修中)
アクロポリス遺跡 プロピレア(全門)
アクロポリス遺跡 エレクティオン神殿
遺跡のねこ
パルテノン神殿に代表されるギリシャ建築は、白い大理石の円柱と水平に架け渡した梁が特徴。この様式は民主主義の象徴として、アメリカの大統領府や図書館、博物館、オーストリアの国会議事堂などに採用されている。
もうひとつ特徴として挙げられているのが「黄金比」。人体の寸法比を参考に考えられた美しく調和のある比率で、安定感や重厚さを生み、人間を意識的に惹きつける。1:1.618で表され、クフ王のピラミッドやパリの凱旋門などにもそれを見つけることができる。
近代建築の祖ル・コルビュジエもパルテノン神殿の黄金比に魅せられた一人。彼の提唱する現代建築の5要素のひとつ「ピロティ」はここから生まれた。彼の手掛けた建築群が世界遺産に登録されたことは記憶に新しい。
パルテノン神殿上部のレリーフ
エレクティオン神殿の彫刻オリジナル
こうしてみると、この遺跡はギリシャの起源だけではなく人間そのものの起源に近いような気がする。
とはいっても今この場所で眺めているパルテノン神殿は、古代の姿そのままというわけではない。もともと神像を奉納するための神室だったが、中世にはキリスト教の教会として利用されていた。その後イスラム教のモスクを経て、17世紀は爆薬の貯蔵庫となった。「まさかヨーロッパ建築の起源と言っても過言ではないパルテノン神殿を、敵国も爆破はできないだろう・・・」と高を括って爆薬の貯蔵庫にしたそうだが、予想は大きく外れベネチア軍に爆破された。
そしてオスマン帝国の支配下にあった18世紀、スルタンから許可を得たイギリスがパルテノン神殿の調査にかかり、多くの彫刻を切り取りイギリスへ持ち帰った。このコレクションは現在、大英博物館の至宝として長年愛されている。コレクションがイギリスからいつか返還されることを信じ、アクロポリス遺跡のすぐ横にある博物館には持ち去られたレリーフを飾るための、どこか悲しい展示室が用意されている。
パルテノン神殿のレリーフの展望室からは神殿が見える
イギリスにある部分はレプリカ
時は流れて21世紀、大英博物館の収蔵品調査により大スキャンダルが発覚した。パルテノン神殿や持ち去られた彫刻は当時の研究チームによって、もとの色がわからないよう金たわしでゴシゴシ削られていたことがわかったのだ。パルテノン神殿だけではなく、ギリシャ各地にあるいくつかの遺跡の色も削ったことがわかっている。
そもそも、古代ギリシャ文明が一気に開花したのは紀元前7世紀のこと。当時先進国だったエジプトへ傭兵として派遣されていたギリシャ人たちが一斉に帰国し、エジプトやアジアの色彩豊かな文化を広めたのがはじまりと言われている。もちろんパルテノン神殿もその影響を受けており、それ本来の姿は「どぎつい極彩色の神殿」だった。
当時の研究チームがパルテノン神殿の極彩色を削り取ったのは「その方が大衆にウケる」という恐ろしい理由。ロマン主義の時代から古代ギリシャ文明へ憧れがあったヨーロッパ人は「古代ギリシャ文明こそが我々の起源」と考えていた。崇高で静謐、単純美、そして白人文明の起源たる古代ギリシャには白がふさわしい、そう考えた大英博物館のパトロンにより計画は催行され、パルテノン神殿は現在私たちの知る姿に変貌を遂げた。なぜ今までこのことを自分は知らなかったのか、歴史の教科書で語られていないのか不思議なほどの大事件だ。
アクロポリスの博物館には本来の色を伝える展示がなかったのが残念だった。資料は全てイギリス側になるのだろうか。興味のある方はインターネット等で検索してみて欲しい。
展望台から見たアクロポリス遺跡
アクロポリス神殿に匹敵するほど興味深い場所があった。国立考古学博物館だ。中心部から少し離れた立地にあるが、アテネ近郊だけでなくギリシャ中から出土された品々が見学者を魅了する。世界史の教科書で見たことのあるようなものも多い。
ケーネ遺跡で出土された黄金のマスク
馬に乗る少年
トロイア戦争の一場面
ヘラクレスがアジプト王ブシリスを殺すシーン
古代ギリシャと一言で言っても、その期間は約2,000年、展示品の変遷は実に興味深い。神々の威厳ある彫刻や指輪、細密な装飾を施された壺など、もちろん全てが紀元前に制作されたもの。どれもデザインがとても洗練されていて、現代のデザインとしても通用するレベルに思う。言語の発達により人間の想像力は退化してしまったのでは・・・と疑いを持ってしまうほどのものだった。ただただ眺めているだけでも楽しい博物館巡りだが、ワンランク上の楽しみを知りたいなら、やはりギリシャ神話への知識を深めることがてっとり早いだろう。喜怒哀楽に溢れ、破天荒な神々の物語を知ることで、展示品にも愛着が湧いてくるはずだ。そして、その神々が愛した地方の遺跡へも足を運びたくなってしまう。気づけばギリシャの虜だ。
ポセイドンのブロンズ像
ディオニソスのテーブル台
アフロディテとパンとエロスの像
先進国の手に渡ることによって研究が進んだり、政治不安による暴動を免れたりしていることは事実だが、美術館が盗品倉庫になってはいけない。ましてや、姿かたちを変えられるようなことはあってはいけないと思う。過去の遺産はあるべき場所にあるのが一番だ。
大英博物館のレリーフがアクロポリス遺跡へ戻れば、古代ギリシャの神々の力でかつての彩色を取り戻すのではないか・・・そんな夢見がちなことを想像してしまうほど、古代浪漫あふれる旅だった。
メテオラの奇岩群にて
【スタッフおすすめ度】
●サントリーニ島 ★★★★★
白い町並みだけじゃない!火山爆発が作った不思議な大自然を満喫しよう。
●アクロポリス遺跡 ★★★★★
荒涼とした大地に建つ美しき神殿。隠された本当の歴史にも触れてみよう。
●国立考古学博物館 ★★★★★
古代の遺産に驚きの連続。ギリシャ神話の知識があればもっと楽しめる。
(2016年10月 仙波佐和子)
- 砂漠の流れ星に願いを★女子旅inモロッコ
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エリア:
- アフリカ>モロッコ>マラケシュ
- アフリカ>モロッコ>フェズ
- アフリカ>モロッコ>エッサウィラ
- テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2017/01/12 15:40
仕事帰りに出発できる便利な夜便を使い、途中乗り継ぎ、計24時間かけてカサブランカに到着。かれこれ2時間近くパスポートコントロールに並ぶ。同じ時間帯にいくつものフライトが到着するらしく、長蛇の列だった。
空港から鉄道駅まで40分ほど、そこから列車でマラケシュへ向かう。定刻から20分程遅れて列車がやってきた。まぁそんなものだろう。1等車は6人掛けのコンパートメント。スナックやお水の車内販売のカートも時々やってくる。
車内のアナウンスはアラビア語だが、マラケシュは終点なので、乗り過ごす心配はない。マラケシュに着いた頃にはもう夜になっていて、さすがにくたくただった。
小腹がすいている程度だったので、ホテルの近くでナッツを買ってきて食べた。お店のおじさんには英語はほとんど通じなかった。
翌朝、早朝からアザーンが鳴り響き、疲れでぐっすり眠っていたのに目が覚めてしまう、というのはよく聞く話だけれど、熟睡していてまったく聞いていなかった。
ジャマエルフナ広場
大道芸人や水売り、ヘビ使いなど様々な人たちが観光客の気をひく。夕方頃からは屋台が立ち並び、激しい客引き合戦がはじまる。大道芸人は見物する観光客を捕まえてはチップを手に入れる。チップは20〜50DHくらい、サービスしてくれたら多めに渡すのが良い。毎晩がお祭り騒ぎで、モロッコ中のエネルギッシュな人をみんな集めたような場所だ。もし疲れたら、周囲のカフェから広場を眺めるのも楽しい。2階や3階のテラス席に上がればフナ広場が一望できる。ジューススタンドやジェラートも美味しい。
スーク
たくさんのお店がひしめき合っていて、一度路地に入ったらきっと迷ってしまう。好みの一品を探し歩いたり、値切り交渉を楽しめる。できればいくつかお店をまわって、相場を確認してから買いたいところだ。クトゥビアの方にある伝統工芸館に行けば、値札が付いていて、質の良いものが多い。
お土産にはこんなものを買った。
マジョレル庭園
フランスの画家ジャック・マジョレルが造園し、後にイヴ・サンローランが買い取った庭園。ヤシやサボテンと、カラフルな鉢植え、そしてマジョレル・ブルーと呼ばれる綺麗な青色の建物が素敵で、落ち着ける場所。庭園内にカフェやブティックもある。フナ広場近くから1番のバスで約40分、片道4DH。徒歩だと30分くらい。バスは新市街の中心部を経由するので遠回りだった。料金は上がっても、タクシーの方が効率的だったと思う。
エッサウィラ
マラケシュから日帰りで行かれる港町。市場で採れたての魚を買って、焼いてもらって食べることができるのが魅力。エビを買って半分は焼いて、もう半分は生で頂いた。日本では高級魚のはずののどぐろが安い。この日は霧に包まれていて、神秘的に見えた。
展望台は改修工事中だが、スークがあって、おしゃれなセレクトショップもあって、イタリアンジェラート屋さんもある。時計塔のある港町って、いいなぁ。
マラケシュからの道中で、ワイナリーやアルガンオイルの工房を見学できる。モロッコはイスラムの国だけど、実はワインがおいしい。
マラケシュの次は、アトラス山脈を越えてワルザザートを目指す。アトラスの向こう側は、乾いた山の岩肌の間に細く川が流れていて、マラケシュとはまた違った景色だ。アトラス越えには時間がかかるが、道中で世界遺産のアイト・ベン・ハッドゥに立ち寄ることができる。
小川の向こうに、突如現れる存在感あるカスバがアイト・ベン・ハッドゥだ。カスバというのは砦になっている町のこと。複数の家族が住むこの村は正確にはカスバではなく、クサルと呼ばれる。とは言っても、今はたった4家族しかこの村には残っていないそうだ。赤茶色の日干しレンガで造られ、城壁の中からいくつも塔がのびている。まさに要塞といった雰囲気で、保存状態も良いため、『アラビアのロレンス』をはじめ、数々の映画のロケ地として使われた。迷路のような道、坂、そして階段。頂上まで登るのはちょっと大変だったが、塔に刻まれた模様がよくみえ、対岸の村や辺り一帯を見渡すことができる。
ワルザザートの町に一泊し、今回の旅のハイライトである砂漠へ向かうべくカスバ街道を進む。カスバ街道とは、ワルザザートからエルラシディアまでの、一千近いカスバが残る街道だ。車窓を流れていくレンガのカスバや、ダデス川沿いの渓谷の景色が美しい。
中でもトドラ渓谷はとても印象的だった。左右から迫り来るような岩の壁の迫力。その間に透き通った川が流れている。対岸の岩壁に押しつぶされそうな場所にホテルが建っている。
ようやく砂漠の入り口に到着。日焼け止めを塗って、スカーフを頭に巻いてもらい、ラクダの背中へ。サングラスも準備万端。ここから1時間半のキャメルライドだ。
一面の砂漠を見まわしたり、砂漠にのびるラクダの影に見入ったり、両手を離してみたり、写真撮影をしたり。そんなこんなで案外すぐ着いた。
キャンプにはいくつかテントが張ってあり、絨毯にベッドと電気がついている。中は割と暖かかった。
風が強いので、夕食は大きなテントで食べることに。野菜がごろごろ入ったタジンが美味しい。モロッコではタジンにたくさん野菜が入っているので、海外旅行中でも野菜を摂れるのが嬉しい。
食後はベルベル音楽を聴いて、みんなで楽器を演奏して、楽しいひと時を過ごす。ふと見上げると満天の星空が!キャンプのすぐ外の砂漠にでると、空いっぱいに溢れんばかりの星が輝いている。こんなに広い空とたくさんの星は今まで見たことがなかった。残念ながら、写真には写せなかったけれど。何度か流れ星がみえた。願い叶うかな。
翌朝、日の出を見にまた砂漠へ。とても幻想的な色合いだった。以前、チュニジアの砂漠にも行ったが、チュニジアでは砂漠と言っても色々な景色があった。モロッコのサハラ砂漠は、オレンジ色の砂丘の陰影、ラクダの列、ベルベル民族。こちらの方が、日本人のイメージに近い気がした。
砂漠から一気にフェズまで移動。道中、砂漠とはかけ離れた緑豊かな町や、湖があり、そのギャップに驚かされる。
イフラーンの町
そして青い町シャウエンへ。とても楽しみにしていた町で、でも半信半疑だったのだが、本当に青かった。壁、扉、窓までもが青く塗られている。ハッとするような目を引く青や、落ち着いたトーンの青、涼しい水色、サイダーのような淡い青などたくさんの青色に、カラフルなお土産が並んだり、黒猫が際立っていたり。町並みに夢中で、ひたすら路地を行ったり来たりしていた。
フェズでは半日しかなかったので、ガイドさんを頼んで観光した。メディナの入り組んだスークや、革に染色するタンネリが面白い。おすすめはブー・イナニア・マドラサだ。14世紀に建てられた神学校だが、壁に施された非常に繊細な彫刻に驚かされる。幾何学模様のモザイクタイルも美しく、あまりの繊細さについつい見入ってしまう。当時は2階に学生が住んでいたそうで、こんな綺麗な建物をいつも拝めるなんてうらやましい。
計11日間でモロッコの見どころを一気にまわったが、思っていた以上に色々な側面があり、エリアが変わると町の雰囲気もガラリと変わり、全く飽きることのない国だった。まだたくさんあるのであろうモロッコの知らない部分への興味もあり、そうでなくてもなんとなくまた行きたいと思わせるような、中毒性のある国だと感じた。この魅力を多くの人に味わってもらいたい。
オススメ度
マラケシュ・・・★★★★★エネルギッシュの凝縮された町
エッサウィラ・・・★★★★★とれたて魚の美味しい港町
サハラ砂漠・・・★★★★★まさにイメージ通りの砂漠、満天の星空が最高
シャウエン・・・★★★★★本当に青かった、かわいらしい町
フェズ・・・★★★★★メディナの迷路で迷い歩きが楽しい
(2016年10月 増田里紗)
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