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- 地震から復興へ Kia Kaha (その2)
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エリア:
- テーマ:その他
- 投稿日:2011/03/24 17:14
- コメント(2)
液状化現象で、地盤沈下が起こりエイボン川の水が以前ならそうそう
こない場所まで溢れていた。 本当に地盤沈下がしたのだと実感した。
地震で、下水が川に流れ込んだので、当分は川に近寄らないようにとの
注意の看板がエイボン川岸に立っていた。
下水が使えない家庭向けに、ケミカルトイレが支給され、その中の物を
捨てに行く場所が、設置され出した。 前回9月4日の地震の時には
なかったが、今回は、仮説トイレ以外にケミカルトイレも登場した。
ただ、これが機能するまでの間は、裏庭に穴を掘り、そこで用をたす
人も沢山いました。
こちらは、トレイラーを改装した、シャワー施設。 これも今回の地震で
水が使えなく、シャワーを浴びれない人のために、初登場しました。
タオルだけ持って行けば、後は全て無料で提供してもらえます。
トレーラーの中は、カーテンで脱衣所とシャワー室に仕切ることが出来、
一度に男女5人づつが使える仕組みになっています。
別角度からのシャワー施設。ちなみに、地震対策本部には、これの
トイレタイプがありました。 日本もこのようなものがあるのでしょうか?
市中心商業地区に人出が沢山とられていましたが、少し余裕が出てきたのか
郊外の危険な建物の解体作業が始まって来ました。
大きな通りの角地にあり、交通渋滞を引き起こす原因にもなっていました。
学校などが再開し、街の復興が進むにつけ、交通量も増えて交通を妨げる
危険な建物の撤去は速やかにされるのが望ましいことです。
今週、2回目のコミュニティー地震復興説明会が行われています。
市役所、警察、消防、EQC、病院などの各関係者からの報告が
ありました。
2月22日の地震の後、テレビの露出がすごく一躍有名人になった、
Jeremy Borland氏。 地震の記者会見や政府発表の時に
手話通訳として登場します。
- 地震から復興へ Kia Kaha
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エリア:
- テーマ:その他
- 投稿日:2011/03/18 16:46
- コメント(2)
地震の後、手入れをしていない芝生にスミレの花が咲いていた。
液状化現象で、砂に埋まったポットからシクラメンの花が・・・
地割れの底からも、小さな葉が・・・
公園では、地震前のような平和さが・・・
子供の中学校も再校、ニュージーランドと日本の国旗が掲げてあった。
日本のことを心配しているクライストチャーチ市民が本当に多いです。
今日、ハグレー公園で、追悼式があり、沢山の市民が集まりました。
イギリスからも、ウイリアム王子が参列され、スピーチの最後の言葉が、
Kia Kaha(マオリ語) 「強くなって」でした。
今日を境に、クライストチャーチは市民一丸となって、復興へと向かった
気がしました。
日本の東北地方も早くその日が来ることを、願ってなりません。
Kia Kaha
- クライストチャーチ地震(2月22日) その3
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エリア:
- テーマ:その他
- 投稿日:2011/03/10 16:32
- コメント(2)
Corner of River Road & Banks Avenue (3月3日撮影)
道が大きく陥没していた場所の補修工事が始まっていました。
上のと同じ場所、エイボン川も気持ち綺麗になって来たようですが、
もとの美しい川にはまだ戻っていませんでした。
Corner ofLinwood Avenue & Aldwins Road
イースト・ゲートショッピングモールの角
街郊外では、このような古い建物のお店の被害が目立っています。
イースト・ゲートショッピングモールも大きな被害があったようで
只今閉鎖されています。
友達の家の裏庭で・・・地震のことを忘れる一時。
友達の犬とお散歩、子供たちは動物に癒されています。 車が走ると
砂塵が舞う場所もありますが、犬と散歩出来るこの地域は恵まれた
場所です。
我が家の近くまで、電気の復旧工事が来ました。 昨日、地震発生から
16日ぶりに我が家に電気が戻りました。 水と下水は依然に使えない
状態です。
Corner of Gloucester & Woodham Road
ここも古い建物を使ったお店が並んだ場所でした。
イースト・ゲートショッピングモールの入り口、立体駐車場に
も被害が出たようです。
Corner of Ferry Road & Mathesons Road
AMIスタジアム(旧ジェード・スタジアム) 今年の9月、10月に
あるラグビーのワールドカップがクライストチャーチで開催できるか
今問題になっています。 外から見る分には大きな被害が出たようには
見えません。
Moorhouse Avenueにある、旧クライストチャーチ駅。 時計は9月4日の
午前4時35分の地震の時間を指したまま。 その地震の後に板で補強を
されていたので、今回崩れないですんだのかも・・・
Moorhouse Avenue側から見たMadras Street
Moorhouse Avenue側から見たMadras Street
この先は、商業中心地の立ち入り禁止地区になっています。
その禁止地区ギリギリの所のスーパーは営業していました。 昨日から
鮮魚コーナーに魚も並ぶようになりました。
シャーリーテニスクラブのコート、液状化の影響でコートがボコボコ
でした。
クライストチャーチの各地で、今回の地震に関して集会がありました。
市長のボブ・パーカーと手話通訳の女性
ここに集まった人々は、今回の地震でも被害大きかった住人が集まり
ました。 前日、ジョン・キー首相の被災住民を無視した、同じ場所に
家を再建出来ない人がでるというニュースを聞いていたため、集まった
人々の目は冷たく感じました。 そして、肝心のその件には、パーカー
市長は深く触れず、午後3時に重大な発表があると逃げ、ニュースを
見る限りそんな発表もありませんでした。
- クライストチャーチ地震(2月22日) その2
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エリア:
- テーマ:その他
- 投稿日:2011/03/08 12:37
- コメント(0)
地震発生から2週間が過ぎました。 昨日、月曜日から復興へ向けて人々が動き出した感じがして来ました。 学校も、徐々に今週から再開していくようです。
クライストチャーチ市を東西に大きく分けると、東側の地区に被害が大きく
西側の地区に被害が少なかったといえます。 東側は地盤が弱く、震源地に
も近かったことが今回の被害を大きくしたようです。
ドライブウエーに大きな段差が発生していました。
9月4日にもずれていましたが、今回は完全に土台から家がずれています。
家の庭に大きな地割れが走っていました。 この地割れから左側が大きく
左に動いたようで、土台も一緒に動いた結果、上部の家が残されて家が
傾いたようです。 家の中に立つと床が傾いているのが足の裏から伝わって
きます。
土台のある地面が大きく動いたのが良く分かります。
フェンスの被害も9月の時よりひどい状態になっていました。
地震発生の翌日のエイボン川、水かさもあり、水が依然と濁っていました。
クライストチャーチ市を東西に大きく分けると、東側の地区に被害が大きく
西側の地区に被害が少なかったといえます。 東側は地盤が弱く、震源地に
も近かったことが今回の被害を大きくしたようです。
ドライブウエーに大きな段差が発生していました。
9月4日にもずれていましたが、今回は完全に土台から家がずれています。
家の庭に大きな地割れが走っていました。 この地割れから左側が大きく
左に動いたようで、土台も一緒に動いた結果、上部の家が残されて家が
傾いたようです。 家の中に立つと床が傾いているのが足の裏から伝わって
きます。
土台のある地面が大きく動いたのが良く分かります。
フェンスの被害も9月の時よりひどい状態になっていました。
地震発生の翌日のエイボン川、水かさもあり、水が依然と濁っていました。
- クライストチャーチ地震 (2011年2月22日)
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エリア:
- テーマ:その他
- 投稿日:2011/03/02 18:19
- コメント(7)
2010年9月4日の地震以来、ブログの更新があまり出来なくなりました。
そして、2011年2月22日にクライストチャーチを再び襲った大地震は、
クライストチャーチ市と市民に深い傷跡を残す結果になりました。
いきなり下から突き上げる激しい揺れを感じました。 その結果、石造りの古い建物が中心に市内各地に大きな被害をもたらしました。
激しい揺れが止まると同時に、いたるところから水と砂や泥が噴き出して来て
液状化現象が発生、みるみるうちに泥の水たまりや砂の山を作って行きました。
家の前を流れているエイボン川は、気がつくと澄んだ綺麗な水から灰色の鈍い
光を放つ川にと豹変していました。
市内上空の方から、ヘリコプターの音が聞こえて来ました。
液状化で、泥水がたまっている道を、深い亀裂に落ちないか慎重に移動し、地面が川に大きく陥没したことで、道に大きな亀裂や断層が出来ている道を驚きと不安の気持ちで子供たちがいる学校へと向かいました。
小学校と中学校で子供たちを迎えに行き、家にたどり着いたのは、家を飛び出してから、4時間たっていました。
被害の少なかったクリストチャーチ西側地域に住んでいる友達が、路頭に迷っていた我が家の避難場所にして良いという暖かい申しでに甘え、家族で移動することにし、電気も水も使える世界に移れ、お陰さまで、震災直後の大変な夜を越さなくてすみました。
*リトルトンにある教会、写真では少し分かりにくいですが、かなり破損
していました。
*ガバナーズ・ベイからリトルトンへ向かい道には、山から落ちてきた
大きな岩が沢山転がっていて、地震の大きさを改めて感じさせられました。
一軒の家は、大きな岩がぶつかり大きな穴をあけていました。
*リトルトンからトンネルを抜けた所、キャッスル・ロックが無残な姿に
なっていました。 トンネルはほとんど無傷でした。
*サムナービーチにある時計台は、地震の時刻を指したままでした。
サムナーまでの道は、大きな土砂崩れがいたるところで見られました。
*シャグ・ロックも、無残な姿に変わっていました。
*サムナー・ビーチ近くの大きな崖崩れ。 この崖の上には高級住宅が
立ち並んでいますが、この惨状を目にすると、この上で住む気には
なれませんでした。
*街の中心に設置されている地震対策本部に、NZの前首相のヘレン・
クラーク氏が来られました。
*大聖堂近くには、マスコミ関係者も立ち寄れないので、この教会が
中継場所として良く使われていたようd。
*地震発生から1週間がたった3月1日、2分間の黙とうを捧げる式典が
おこなわれ、NZのジョン・キー首相(左から3番目)が参列しました。
*式典の後に、大聖堂から持って来た石の上に、花束が置かれていました。
地震から1週間がたちましたが、まだまだ復旧には時間がかかりそうです。
しかし、クライストチャーチを一歩出れば、そこには、いつもと変わりない
ニュージーランドの美しい大自然があります。 どうか、皆様、クライストチャーチを元気つける為にも、是非、クライストチャーチに遊びに来て下さいね。
そして、2011年2月22日にクライストチャーチを再び襲った大地震は、
クライストチャーチ市と市民に深い傷跡を残す結果になりました。
いきなり下から突き上げる激しい揺れを感じました。 その結果、石造りの古い建物が中心に市内各地に大きな被害をもたらしました。
激しい揺れが止まると同時に、いたるところから水と砂や泥が噴き出して来て
液状化現象が発生、みるみるうちに泥の水たまりや砂の山を作って行きました。
家の前を流れているエイボン川は、気がつくと澄んだ綺麗な水から灰色の鈍い
光を放つ川にと豹変していました。
市内上空の方から、ヘリコプターの音が聞こえて来ました。
液状化で、泥水がたまっている道を、深い亀裂に落ちないか慎重に移動し、地面が川に大きく陥没したことで、道に大きな亀裂や断層が出来ている道を驚きと不安の気持ちで子供たちがいる学校へと向かいました。
小学校と中学校で子供たちを迎えに行き、家にたどり着いたのは、家を飛び出してから、4時間たっていました。
被害の少なかったクリストチャーチ西側地域に住んでいる友達が、路頭に迷っていた我が家の避難場所にして良いという暖かい申しでに甘え、家族で移動することにし、電気も水も使える世界に移れ、お陰さまで、震災直後の大変な夜を越さなくてすみました。
*リトルトンにある教会、写真では少し分かりにくいですが、かなり破損
していました。
*ガバナーズ・ベイからリトルトンへ向かい道には、山から落ちてきた
大きな岩が沢山転がっていて、地震の大きさを改めて感じさせられました。
一軒の家は、大きな岩がぶつかり大きな穴をあけていました。
*リトルトンからトンネルを抜けた所、キャッスル・ロックが無残な姿に
なっていました。 トンネルはほとんど無傷でした。
*サムナービーチにある時計台は、地震の時刻を指したままでした。
サムナーまでの道は、大きな土砂崩れがいたるところで見られました。
*シャグ・ロックも、無残な姿に変わっていました。
*サムナー・ビーチ近くの大きな崖崩れ。 この崖の上には高級住宅が
立ち並んでいますが、この惨状を目にすると、この上で住む気には
なれませんでした。
*街の中心に設置されている地震対策本部に、NZの前首相のヘレン・
クラーク氏が来られました。
*大聖堂近くには、マスコミ関係者も立ち寄れないので、この教会が
中継場所として良く使われていたようd。
*地震発生から1週間がたった3月1日、2分間の黙とうを捧げる式典が
おこなわれ、NZのジョン・キー首相(左から3番目)が参列しました。
*式典の後に、大聖堂から持って来た石の上に、花束が置かれていました。
地震から1週間がたちましたが、まだまだ復旧には時間がかかりそうです。
しかし、クライストチャーチを一歩出れば、そこには、いつもと変わりない
ニュージーランドの美しい大自然があります。 どうか、皆様、クライストチャーチを元気つける為にも、是非、クライストチャーチに遊びに来て下さいね。
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