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みゅう・フランス発信現地情報

プロフィール

ニックネーム:
みゅうフランス
居住地:
ヨーロッパ>フランス>パリ
会社名:
みゅうフランス
会社英字名:
会社所在地:
ヨーロッパ>フランス>パリ
業種:
旅行業
自己紹介:
パリを中心にフランス国内、ヨーロッパの旅行関連手配をしています。オリジナル定期観光バス・みゅうバス、通訳、ガイド、アシスタント、送迎サービスなどを手配しています。お気軽にご相談下さい!

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victoria1836
凱旋門を見ながらお食事を
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>パリ
テーマ:街中・建物・景色 グルメ 歴史・文化・芸術 
投稿日:2014/12/15 02:16
コメント(0)
こんにちは♪ みゅうフランスです。
今日は、パリから。

ヴィクトリア1836

パリのランド・マークの一つ、エトワール凱旋門はナポレオンの命で建てられ始めたものの、彼の存命中には完成しなかった。

victoria1836

この凱旋門をまじかに見ながらお食事ができるレストランがある。

victoria1836

レストラン「ヴィクトリア1836」は、モダンとクラシックがうまく調和したインテリア、高い天井、客層もエグゼクティブ・クラスという特別な空間。

victoria1836

この稀有なロケーションで堪能できるのは、有名カリスマシェフ、ヤニック・アレノの下で修行を積んだシェフが繰り出す、ベーシックなフレンチの他、世界中の料理のエッセンスも取り入れたフュージョン料理だ。

victoria1836

victoria1836

victoria1836

victoria1836

凱旋門は1805年のアウステルリッツの戦勝記念として建設が決まった。「ヴィクトリア1836」のある通りはこの和平条約が結ばれた当時のオーストリア領プレスブルク(現・スロバキア共和国の首都ブラチスラヴァ)の名を持つ。1836年はエトワール凱旋門が完成した年。

victoria1836

ちなみに、棺に入ったナポレオンがこの凱旋門の下を通過したのは完成から4年後、1840年のことだった。

Victoria 1836
12 Rue de Presbourg, 75016 Paris
TEL 01 44 17 97 72
www.victoria-1836.com/
タグ:
ナポレオン アウステルリッツの戦勝記念 ヴィクトリア1836 エトワール凱旋門 プレスブルク 

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クリスマスの首都と呼ばれるストラスブールを拠点に、パリ、ドイツを結ぶ[みゅう]のクリスマスバス・アルザス号。昨年大好評をいただいたクリスマスシーズン限定のアルザス号を、2014年も運行します!
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モンマルトル美術館
ユトリロが母とすごしたアトリエ、モンマルトル美術館
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>パリ
テーマ:歴史・文化・芸術 
投稿日:2014/12/15 00:00
コメント(0)

モンマルトルの丘観光で必見ポイントは数多くありますが、パリで唯一のぶどう畑もその1つです。モンマルトルの丘の中腹に位置する、わずか0,15 ヘクタールに過ぎないぶどう畑ですが、10月初旬には毎年モンマルトルのぶどう収穫祭が行われています。

そのぶどう畑のちょうど裏手の高台にあるのが、このモンマルトル美術館です。19世紀から20世紀にかけてモンマルトルで活躍した芸術家たちの作品を展示しています。

中庭があり、そこからパリを一望できます。

展示しているなかでもっとも有名な1つは、このラパンアジルの絵。

ラパンアジルとは、ぶどう畑をはさんだ反対側に位置する、レストランにもなっているシャンソニエの店名です。フランスのベルエポック、古きよき時代のシャンソンを今でも聞くことができます。

このラパンアジルというのは、フランス語で、敏捷な(アジル)ウサギ(ラパン)という意味です。ですから、フライパンで料理しようとしたら、そこからはねて逃げようとしていますね。しかし、これはもともと、駄洒落でした。一番初めの店主の名前が、ジルという人だったので、ラパン・ア・ジル(Lapin à Gille)ジルさんのウサギとかけていたのです。

さて、現在は美術館であるこの邸宅は17世紀に建築され、その後19世紀になると画家のアトリエとして使われていました。その画家の中には、絵画史に名を残した早々たるメンバーがいます。

例えば、印象派画家のルノワールもここにアトリエを構えた時期があり、オルセー美術館に所蔵されている傑作「ムーランドラギャレット」はここで製作されました。

ゴッホが書いた肖像画で有名なタンギー爺さん(肖像画は、現在ロダン美術館)もここに一時期住んでいたといいます。

タンギー爺さんは、当時まったく売れていなかった印象派の画家たちにツケで画材をうっていた画材屋兼画商でした。期限が来てもまったく催促しないタンギー爺さんのもとには、お金の換わりに自分の絵を持ってくる印象派の画家たちが多くいたのです。セザンヌ、ゴッホもそのうちのひとりです。

彼ら以外では、スザンヌ・ヴァラドンとその息子のモーリス・ユトリロ親子がともに生活したアパルトマン、兼アトリエがありました。2014年10月以降、彼らのアトリエは当時の資料を元に彼らの生活空間が再現された形で見学することができます。

スザンヌ・ヴァラドンといえば、ルノワール、ロートレック、ドガのモデルをしていた美女として有名です。美しく、若く、恋多き女性だったヴァラドンは、画家たちといい仲になります。彼女自らも絵を描いていたので、飛びぬけた才能をもつ若き巨匠たちの魅力には逆らえなかったのかもしれません。彼女が18歳のときに、息子のユトリロを生みます。ユトリロの父親は不明。スペイン出身の画家、ミギュエル・ユトリロが父親と名乗りでたために、彼は以後ユトリロと呼ばれますが、実の父親はルノワールではないかといわれています。後に彼の絵の才能を考えれば、それも外れていないのかもしれません。

モンマルトルの風情ある絵画で有名なユトリロは、さびしい青年時代を送ります。まず生まれたときに父がいませんでした。実の親だと名乗り出たミギュエル・ユトリロもまったく息子に会おうとはしませんでした。そして、12歳のとき、スザンヌ・ヴァラドンは別の男と結婚し、ユトリロは祖母と生活するようになります。泣きじゃくるユトリロ少年を寝かしつけるために、祖母はお酒を少量づつ飲ませ続けました。そして、彼が青年になるときには、彼は完全なアルコール中毒になっていました。

「その男に会いたければ酒場へ行けばいい。いつもカウンターで飲んでいるか、 泥酔して店の端や外で寝込んでいるかだ。」

と当時の人々はユトリロを鼻つまみ者として扱かいました。金がなくなり、酒をせがんでも誰も相手にしてくれないので、彼はモンマルトルの絵をかき、それを酒と変えてもらったのでした。その絵が評価させるようになると、今度は酒場の主人たちが絵を描いてもらうために酒をユトリロのところへ持っていったという話が残っています。

自分の人生をすり切らしながら酒をせがむために描いていた時代の絵が、ユトリロのなかでもっとも評価されているのも皮肉です。

ユトリロが29歳のとき、離婚した母親とこのアトリエ兼、アパートに引っ越してくるのです。しかし、画家でもある自分の友達、アンドレ・ユッテルが、スザンナといい仲になってしまいます。その3人の画家が暮らしたアトリエ。たずねると、あたかも彼らのけんかする声が聞こえてきそうです。

モンマルトルを散策するとき、ユトリロファンなら入っておきたい美術館です。

 

モンマルトル美術館

12 rue Cortot - 75018 Paris

Metro
12番線:Lamarck-Caulaincourt
2番線:Anvers

年中無休

10時から18時

 


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芸術鑑賞は、やっぱり専門家とまわると面白いですね。ルーブル美術館をガイド付きで!
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