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ネパールの国旗は、一度見たらまず忘れない、といっていいでしょう。
形が世界でただ一つ。
三角形を二つ重ねています。
国旗はすべて四角と思っていたので、初めは馴染めませんでしたが、
慣れてくると、愛着を覚えるようになり、
私の部屋には小さな国旗が飾ってあります。
ピンと立って、風にそよいでいるかのようです。
使われている色は、赤、青、白の3色。
上の三角には、半月が描かれ、下の三角に描かれているのは太陽です。
太陽は活動を、月は温和を表し、
太陽と月のようにネパールも不滅であり、
国旗はネパールそのもので、
国旗のもとネパールはひとつである、と結束をよびかけています。
ところで、飛行機から見た風景とネパールの国旗を見比べてみてください。
あれっ・・・!?なんだか共通点が・・・。
ありますよね。
国旗の三角にとがったところとヒマラヤのてっぺんのギザギザ。
これだ!これがネパール国旗の原点だ!なんてね。
歴史的にはもちろん説明がありますが、
私にはヒマラヤのギザギザで十分すぎるくらい十分です。
皆様に押し付けはしませんが・・・そうですよね。
愛すべきネパールの国旗・・・
形が世界でただ一つ。
三角形を二つ重ねています。
国旗はすべて四角と思っていたので、初めは馴染めませんでしたが、
慣れてくると、愛着を覚えるようになり、
私の部屋には小さな国旗が飾ってあります。
ピンと立って、風にそよいでいるかのようです。
使われている色は、赤、青、白の3色。
上の三角には、半月が描かれ、下の三角に描かれているのは太陽です。
太陽は活動を、月は温和を表し、
太陽と月のようにネパールも不滅であり、
国旗はネパールそのもので、
国旗のもとネパールはひとつである、と結束をよびかけています。
ところで、飛行機から見た風景とネパールの国旗を見比べてみてください。
あれっ・・・!?なんだか共通点が・・・。
ありますよね。
国旗の三角にとがったところとヒマラヤのてっぺんのギザギザ。
これだ!これがネパール国旗の原点だ!なんてね。
歴史的にはもちろん説明がありますが、
私にはヒマラヤのギザギザで十分すぎるくらい十分です。
皆様に押し付けはしませんが・・・そうですよね。
愛すべきネパールの国旗・・・
- サラスワティ・プジャ
-
エリア:
- アジア>ネパール
- テーマ:お祭り・イベント
- 投稿日:2023/01/26 14:11
- コメント(0)
今日は、暦にサラスワティ・プジャと書かれています。
サラスワティは、ヒンドゥ教の女神のひとり。
楽器を持っています。
バサンタ・パンチャミとして知られ、
毎年、ネパール月のマーグ月の、
新月から数えて5日目に当たる日に行われる知識の女神の祭りです。
知識、英知、学問、芸術、音楽、文化を司る神様です。
この日は、学校やカレッジでは、知識の女神へ尊敬のプジャを行います。
この日から読み書きを始めようと、子供を学校へ入れる親たちが多いです。
そういえば、3年前に私の友達の甥っ子について学校へ行き、
受け入れる側の先生たちと顔を合わせたことがあります。
出来立ての学校(ネパールでは、幼稚園に当たる言葉がないとみえて、すべて学校と呼び、1年ごとにクラスの呼び名が違います)で、
まだペンキのにおいが残っている中で、
入学してくる子供たちが遊具で遊んでいた光景は、
やはり、いいものだとの感想を持ちました。
今日はもう一つの言葉が暦に書かれています。
それは、今日は、春の到来を告げる日でもあるのです。
嬉しい日に違いありません。
サラスワティは、ヒンドゥ教の女神のひとり。
楽器を持っています。
バサンタ・パンチャミとして知られ、
毎年、ネパール月のマーグ月の、
新月から数えて5日目に当たる日に行われる知識の女神の祭りです。
知識、英知、学問、芸術、音楽、文化を司る神様です。
この日は、学校やカレッジでは、知識の女神へ尊敬のプジャを行います。
この日から読み書きを始めようと、子供を学校へ入れる親たちが多いです。
そういえば、3年前に私の友達の甥っ子について学校へ行き、
受け入れる側の先生たちと顔を合わせたことがあります。
出来立ての学校(ネパールでは、幼稚園に当たる言葉がないとみえて、すべて学校と呼び、1年ごとにクラスの呼び名が違います)で、
まだペンキのにおいが残っている中で、
入学してくる子供たちが遊具で遊んでいた光景は、
やはり、いいものだとの感想を持ちました。
今日はもう一つの言葉が暦に書かれています。
それは、今日は、春の到来を告げる日でもあるのです。
嬉しい日に違いありません。
秤の話です。
私がネパールに来た頃は、店の秤は、上皿秤でした。
台の上に、一つははかりたい物を入れる大きめのボウル、
そして、一方には分銅をのせるようになっています。
例えば、ネパール人には欠かせないジャガイモをボウルに入れ、
必要な重さの分銅を乗せて釣り合いを見ます。
足りなければジャガイモを足し、超えていればジャガイモを除けて、OK.
こうしたやり取りが繰り返されていました。
今は、名前は何といえばいいのかわかりませんが、
電気ではかる秤が普及し、店舗を構える八百屋などのほとんどで使われています。
そこでは今も、客が必要とするきっちりとした重さのやり取りは行われていますが、
私のように、何個欲しいという客にも対応してくれます。
ですから、私にとっては、買いやすい状況になっているわけです。
ただ、自転車にミカンを積んで売りにくる人は、天秤秤を利用しますので、
ミカンを10個だけ買いたくてもそうはいかず、
1キロのミカンを買わなければなりません。
数にすれば、2,3個の違いなのですが、
こんなに要らないのに・・・と、愚痴が出ます。
買い手の都合に応えてくれる電子秤、
秤の都合に合わせる天秤秤、を体験しています。
私がネパールに来た頃は、店の秤は、上皿秤でした。
台の上に、一つははかりたい物を入れる大きめのボウル、
そして、一方には分銅をのせるようになっています。
例えば、ネパール人には欠かせないジャガイモをボウルに入れ、
必要な重さの分銅を乗せて釣り合いを見ます。
足りなければジャガイモを足し、超えていればジャガイモを除けて、OK.
こうしたやり取りが繰り返されていました。
今は、名前は何といえばいいのかわかりませんが、
電気ではかる秤が普及し、店舗を構える八百屋などのほとんどで使われています。
そこでは今も、客が必要とするきっちりとした重さのやり取りは行われていますが、
私のように、何個欲しいという客にも対応してくれます。
ですから、私にとっては、買いやすい状況になっているわけです。
ただ、自転車にミカンを積んで売りにくる人は、天秤秤を利用しますので、
ミカンを10個だけ買いたくてもそうはいかず、
1キロのミカンを買わなければなりません。
数にすれば、2,3個の違いなのですが、
こんなに要らないのに・・・と、愚痴が出ます。
買い手の都合に応えてくれる電子秤、
秤の都合に合わせる天秤秤、を体験しています。
ネパールは、「ごめんなさい」を言わない国です。
というか、私が知っている人で「ごめんなさい」を口にした人は、
ひとり・・・ふたり・・・かな。
それも遊び感覚で。
人たちの語彙、日常話す言葉の中に、「ごめんなさい」の存在がないようです。
4,50歳以上では、
自分たちの世代には「ごめんなさい」の言葉が頭の中にないとのことでしたし、
30歳代も、小さい時からの習慣というか、当たり前で慣れているので
「ごめんなさい」を言われなくても気にはならないと、言っていますし、
言ってもいい場面だな、と私が思っていても、
彼女の口から「ごめんなさい」が出たことはありません。
そんな私も、「ごめんなさい」を言う場面と私が思っても、
ネパールでは問題は起きないだろうと考えて「ごめんなさい」
を省略してしまったこともあります。
「ごめんなさい」なしでも、
関係にひびが入ることなくその後も付き合いが続くようです。
バスに、定員以上に乗せるネパールですから、人とぶつかることもあります。
そんな時に、
座っていた私の膝に両手をそっと置いて「ソーリー」の仕草をした女性がいました。
口には出せないけれど、そんな仕草で「ごめんなさい」を表した女性に出会い、
ああこれがネパール風の「ごめんなさい」なのか・・・と
別の感銘を受けた覚えがあります。
「ごめんなさい」と「ありがとう」を当たり前のように思い、
数えき入れないほど口にしてきた私ですが、
こういう国もあるのか・・・。
でも、心からの「ごめんなさい」でないのなら、
却って言わない方がいいのでは・・・とも思うようになった私なのです。
そんなですから、私が「ごめんなさい」を言う回数は減っていますが、
それでも、私の中から「ごめんなさい」が消えてしまうことのないよう、
また、心からの「ごめんなさい」はこれからもずっと大切にしていくつもりです。
というか、私が知っている人で「ごめんなさい」を口にした人は、
ひとり・・・ふたり・・・かな。
それも遊び感覚で。
人たちの語彙、日常話す言葉の中に、「ごめんなさい」の存在がないようです。
4,50歳以上では、
自分たちの世代には「ごめんなさい」の言葉が頭の中にないとのことでしたし、
30歳代も、小さい時からの習慣というか、当たり前で慣れているので
「ごめんなさい」を言われなくても気にはならないと、言っていますし、
言ってもいい場面だな、と私が思っていても、
彼女の口から「ごめんなさい」が出たことはありません。
そんな私も、「ごめんなさい」を言う場面と私が思っても、
ネパールでは問題は起きないだろうと考えて「ごめんなさい」
を省略してしまったこともあります。
「ごめんなさい」なしでも、
関係にひびが入ることなくその後も付き合いが続くようです。
バスに、定員以上に乗せるネパールですから、人とぶつかることもあります。
そんな時に、
座っていた私の膝に両手をそっと置いて「ソーリー」の仕草をした女性がいました。
口には出せないけれど、そんな仕草で「ごめんなさい」を表した女性に出会い、
ああこれがネパール風の「ごめんなさい」なのか・・・と
別の感銘を受けた覚えがあります。
「ごめんなさい」と「ありがとう」を当たり前のように思い、
数えき入れないほど口にしてきた私ですが、
こういう国もあるのか・・・。
でも、心からの「ごめんなさい」でないのなら、
却って言わない方がいいのでは・・・とも思うようになった私なのです。
そんなですから、私が「ごめんなさい」を言う回数は減っていますが、
それでも、私の中から「ごめんなさい」が消えてしまうことのないよう、
また、心からの「ごめんなさい」はこれからもずっと大切にしていくつもりです。
今日は休日。
ネパールの民族の一つ「タマン族」の新年です。
道路でカトマンズの中心部にある(便宜上、私がそう呼んでいる)
祭り広場へ向かうタマン族の女性たちとすれ違いました。
皆、民族の衣装を身につけていました。
写真を撮らせてください、と言い出せませんでしたので、
写真はありません。
(インターネットから借用しました。)
今日は日中は結構暖かでしたが、
風があり、プラスチックの袋を舞いあげたり、
乾いた砂埃が舞い立っていました。
そういえば、これからは風に悩まされる日々になります。
雨が降らず、すべてが乾いているので、
砂埃の害を受ける時期になっています。
1年のうちには、いやな時期が何回かありますが、
これからの、この風も、歓迎できないひとつです。
抑えるのは、やはり、雨でしょうか。
ネパールの民族の一つ「タマン族」の新年です。
道路でカトマンズの中心部にある(便宜上、私がそう呼んでいる)
祭り広場へ向かうタマン族の女性たちとすれ違いました。
皆、民族の衣装を身につけていました。
写真を撮らせてください、と言い出せませんでしたので、
写真はありません。
(インターネットから借用しました。)
今日は日中は結構暖かでしたが、
風があり、プラスチックの袋を舞いあげたり、
乾いた砂埃が舞い立っていました。
そういえば、これからは風に悩まされる日々になります。
雨が降らず、すべてが乾いているので、
砂埃の害を受ける時期になっています。
1年のうちには、いやな時期が何回かありますが、
これからの、この風も、歓迎できないひとつです。
抑えるのは、やはり、雨でしょうか。
1 - 5件目まで(10件中)