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今日はネパールの新年です。
ネパールは、2080年が始まりました。
今日は、そのついたちです。
日本流にいえば、2080年の元旦です。
ネパールの新年のあいさつは
「ナヤン バルサコ スバカマナチャ」
(新年おめでとうございます)。
新年最初の日は、休日です。
私が使うネパールの暦には、それっぽいイラストが描かれています。
水面がオレンジ色に染まっていますが・・・
これがどうしても元旦の初日の出には見えなくて。
夕日のようで・・・。
でも、新年の日の出をイメージしているのかもしれません。
新年の日の出を思うのは、国に関係なく人々に思い浮かぶものかもしれません。
ネパールの人たちがどのような元旦を過ごすのか、
経験のない私にはわかりませんが、
家族で、または、お寺へ行ったりして、思い思いの一日を過ごすのでしょうか。
表では朝から野菜売りや果物売りなどが、
全くいつもと変りなく売り声を張り上げています。
人それぞれの元旦と言えばいいのでしょうか。
この1年、何を考え、どのように過ごすのか、
国はどんな歩みをするのか、
明るい話題があふれる1年でありますように。
ネパールは、2080年が始まりました。
今日は、そのついたちです。
日本流にいえば、2080年の元旦です。
ネパールの新年のあいさつは
「ナヤン バルサコ スバカマナチャ」
(新年おめでとうございます)。
新年最初の日は、休日です。
私が使うネパールの暦には、それっぽいイラストが描かれています。
水面がオレンジ色に染まっていますが・・・
これがどうしても元旦の初日の出には見えなくて。
夕日のようで・・・。
でも、新年の日の出をイメージしているのかもしれません。
新年の日の出を思うのは、国に関係なく人々に思い浮かぶものかもしれません。
ネパールの人たちがどのような元旦を過ごすのか、
経験のない私にはわかりませんが、
家族で、または、お寺へ行ったりして、思い思いの一日を過ごすのでしょうか。
表では朝から野菜売りや果物売りなどが、
全くいつもと変りなく売り声を張り上げています。
人それぞれの元旦と言えばいいのでしょうか。
この1年、何を考え、どのように過ごすのか、
国はどんな歩みをするのか、
明るい話題があふれる1年でありますように。
鉛筆が短くなったので、削ろうとしました。
昔、日本で買い、ネパールへも持ってきていたナイフ形の鉛筆削りが見当たりません。
何度もの引っ越しでどこかに紛れ込んだ・・・のかもしれません。
で、近くの文房具店へ行きました。
鉛筆を削りたい、というと、カッターナイフを取り出しました。
あっ、それ、鉛筆削りじゃないよ、と私は頭の中で思いました。
店主にそう言うと、これで鉛筆を削ります、と言います。
えっ?じゃあ、これで紙も切るし、鉛筆も削るの?と確かめると、そうです、との返事。
・・・家に帰って試してみました。
確かに、鉛筆を削れます。
切れ味もいいです。
でも、カッターナイフでの鉛筆削りに不慣れな私は、刃の部分が薄くてちょっと心配でした。
ともかく、鉛筆を削りました。
これからもこうした鉛筆削りをやるんだろうな・・・
今日は、ネパールの大晦日です。
ネパールの2079年最後の日です。
とはいっても、町も人々もいつもと全く変わることなく動いています。
人々の表情を見てもいつも通りで、今日が大晦日、明日は新年といった忙しさがありません。
私がこの1年使ってきたネパールの暦も今日までです。
私はこうして1年間に2度の新年を迎えています。
私がとっている新聞Kathmandu Postは、
当然と言えば当然ですが、この1年を振り返る記事はありません。
ネパールにとって、人々にとって、どんな1年だったのか・・・
来る年がよい年でありますように・・・
昔、日本で買い、ネパールへも持ってきていたナイフ形の鉛筆削りが見当たりません。
何度もの引っ越しでどこかに紛れ込んだ・・・のかもしれません。
で、近くの文房具店へ行きました。
鉛筆を削りたい、というと、カッターナイフを取り出しました。
あっ、それ、鉛筆削りじゃないよ、と私は頭の中で思いました。
店主にそう言うと、これで鉛筆を削ります、と言います。
えっ?じゃあ、これで紙も切るし、鉛筆も削るの?と確かめると、そうです、との返事。
・・・家に帰って試してみました。
確かに、鉛筆を削れます。
切れ味もいいです。
でも、カッターナイフでの鉛筆削りに不慣れな私は、刃の部分が薄くてちょっと心配でした。
ともかく、鉛筆を削りました。
これからもこうした鉛筆削りをやるんだろうな・・・
今日は、ネパールの大晦日です。
ネパールの2079年最後の日です。
とはいっても、町も人々もいつもと全く変わることなく動いています。
人々の表情を見てもいつも通りで、今日が大晦日、明日は新年といった忙しさがありません。
私がこの1年使ってきたネパールの暦も今日までです。
私はこうして1年間に2度の新年を迎えています。
私がとっている新聞Kathmandu Postは、
当然と言えば当然ですが、この1年を振り返る記事はありません。
ネパールにとって、人々にとって、どんな1年だったのか・・・
来る年がよい年でありますように・・・
今日はネパールの暦では12月26日で、
5日後の金曜日には、ネパールの新年が始まります。
ということは、今ネパールは年の瀬、年の暮れになるわけですが、
これが全くいつもと同じ日、時間が流れているのです。
それなのに、時間の流れも、人たちの生活もいつもと全く変わることなく続いています。
先日、「年の終わりの売り出し」という紙を貼りだした店を見て、
私が覚えている限りでは、こんなの初めて見た、と思いました。
それほどネパールの年の瀬は、何もないのです。
人々の動きにも表情にも何も変わったものがうかがえないのです。
ネパールはこうして昔から年の瀬を迎えていたのかもしれません。
今朝はごみ集めのトラックがやってきましたが、
人々が運ぶごみの量がいつもより多かった、ということもなく、
日本の暮れが身についていた私には、なんだか拍子抜けみたいな、裏切られたような、
そんな思いを毎年この時期には感じています。
人様々、国様々ですね。
そうした習慣の違いに気づくのも、そして、国によって何事にも違いがあるのだと、
それぞれのやり方、考え方を尊重しなければ、とあらためて思うのです。
5日後の金曜日には、ネパールの新年が始まります。
ということは、今ネパールは年の瀬、年の暮れになるわけですが、
これが全くいつもと同じ日、時間が流れているのです。
それなのに、時間の流れも、人たちの生活もいつもと全く変わることなく続いています。
先日、「年の終わりの売り出し」という紙を貼りだした店を見て、
私が覚えている限りでは、こんなの初めて見た、と思いました。
それほどネパールの年の瀬は、何もないのです。
人々の動きにも表情にも何も変わったものがうかがえないのです。
ネパールはこうして昔から年の瀬を迎えていたのかもしれません。
今朝はごみ集めのトラックがやってきましたが、
人々が運ぶごみの量がいつもより多かった、ということもなく、
日本の暮れが身についていた私には、なんだか拍子抜けみたいな、裏切られたような、
そんな思いを毎年この時期には感じています。
人様々、国様々ですね。
そうした習慣の違いに気づくのも、そして、国によって何事にも違いがあるのだと、
それぞれのやり方、考え方を尊重しなければ、とあらためて思うのです。
カトマンズのカラスはツートンカラーです、といってもいいでしょう。
と言っても、日本人の常識、全身が黒いカラスもいます。
ランタンをトレッキングしたときには、全身黒いカラスを見て、
私が知っていて、これがカラスの色と疑わなかったカラスに出合いました。
カトマンズでは、全身ずぶ濡れのカラスでも2色を持ち、
カラスは真っ黒、のイメージに合いません。
家の庭にやってくるカラスを見ていて気付いたことは、
カラスの頭の形がどのカラスも同じではないのだということです。
横から見ると頭の天辺から嘴の先まで真っ直ぐなカラスが多いのですが、
中にはオデコなカラスもいて、こちらは愛嬌があります。
「村」では、毎日のように庭にやってくるカラスでしたが、
「町」では、カラスの姿を見ることが珍しく、
「村」では当たり前のような存在だったカラスが、
スズメとともにここ「町」では珍しいものになりました。
カトマンズは小さな面積と思いますが、
「町」と「村」の違いを面白く思っています。
(説明):「村」・私がカトマンズへ来て以来、20年ほど暮らしていたカトマンズ中心部からは6キロほど離れていた地域のことを、「町」との比較上、こう呼んでいます。
:「町」・カトマンズの中心部の地域で、現在住んでいるところです。
と言っても、日本人の常識、全身が黒いカラスもいます。
ランタンをトレッキングしたときには、全身黒いカラスを見て、
私が知っていて、これがカラスの色と疑わなかったカラスに出合いました。
カトマンズでは、全身ずぶ濡れのカラスでも2色を持ち、
カラスは真っ黒、のイメージに合いません。
家の庭にやってくるカラスを見ていて気付いたことは、
カラスの頭の形がどのカラスも同じではないのだということです。
横から見ると頭の天辺から嘴の先まで真っ直ぐなカラスが多いのですが、
中にはオデコなカラスもいて、こちらは愛嬌があります。
「村」では、毎日のように庭にやってくるカラスでしたが、
「町」では、カラスの姿を見ることが珍しく、
「村」では当たり前のような存在だったカラスが、
スズメとともにここ「町」では珍しいものになりました。
カトマンズは小さな面積と思いますが、
「町」と「村」の違いを面白く思っています。
(説明):「村」・私がカトマンズへ来て以来、20年ほど暮らしていたカトマンズ中心部からは6キロほど離れていた地域のことを、「町」との比較上、こう呼んでいます。
:「町」・カトマンズの中心部の地域で、現在住んでいるところです。
ネパールへ来て驚いたことの一つが、水の飲み方です。
まだ間もないころのこと、水の入ったボトルを持った若い女性が、
いきなり大きな口を開けて、そこへボトルの水を流し込んだのです。
そして、ゴクンと水を飲みこんだのです。
その飲み方にもびっくりしましたが、
目の前に若い男性がいるのに大口開けての水飲みは、もっと私をびっくりさせました。
男性の目の前での動作は別の機会に語るとし、
ここでは、ネパールではなぜこんな水の飲み方をするのかについて話します。
基本的には、他人が口を付けたボトルの水は、誰も飲まない、
なぜなら、人が口をつけると、ジュトといい、汚れたものになってしまうのだそう。
この考えというか、伝統というか、人達は良く守っています。
それを知ると、道端の食堂などでもよく見かけるシーンを納得します。
そういえば、ネパールの人たちが利用する食堂では、
水飲み用のコップの提供はない、と言っていいでしょう。
テーブルに置かれたジョグに入った水を、みんなで交代に飲みます。
ですから、どうしても口をつけて飲むわけにはいかない。
ジュトの決まりと回し飲み、どちらが先に決まったものなのかわかりませんが・・・。
でも、ここはネパールですから、きっと、ジュトのほうが先でしょう・・・
口に流し込むのですから、
飲み方としては、当然、首を後ろに大きく曲げます。
大きく開いた口に水を流し込みます。
この時、ボトルやジョグが口に触ってはいけません。
それではジュトとなり、ほかの人が飲めなくなります。
口の水をゴクンと飲み下して、水飲みは完了です。
私も真似てみたのですが、
口に入るより胸にこぼれる水のほうが多かった・・・
なんといっても子供の時から慣れてきた飲み方ですから、
ネパールの人にとっては、ごく当たり前の水の飲み方のようです。
まだ間もないころのこと、水の入ったボトルを持った若い女性が、
いきなり大きな口を開けて、そこへボトルの水を流し込んだのです。
そして、ゴクンと水を飲みこんだのです。
その飲み方にもびっくりしましたが、
目の前に若い男性がいるのに大口開けての水飲みは、もっと私をびっくりさせました。
男性の目の前での動作は別の機会に語るとし、
ここでは、ネパールではなぜこんな水の飲み方をするのかについて話します。
基本的には、他人が口を付けたボトルの水は、誰も飲まない、
なぜなら、人が口をつけると、ジュトといい、汚れたものになってしまうのだそう。
この考えというか、伝統というか、人達は良く守っています。
それを知ると、道端の食堂などでもよく見かけるシーンを納得します。
そういえば、ネパールの人たちが利用する食堂では、
水飲み用のコップの提供はない、と言っていいでしょう。
テーブルに置かれたジョグに入った水を、みんなで交代に飲みます。
ですから、どうしても口をつけて飲むわけにはいかない。
ジュトの決まりと回し飲み、どちらが先に決まったものなのかわかりませんが・・・。
でも、ここはネパールですから、きっと、ジュトのほうが先でしょう・・・
口に流し込むのですから、
飲み方としては、当然、首を後ろに大きく曲げます。
大きく開いた口に水を流し込みます。
この時、ボトルやジョグが口に触ってはいけません。
それではジュトとなり、ほかの人が飲めなくなります。
口の水をゴクンと飲み下して、水飲みは完了です。
私も真似てみたのですが、
口に入るより胸にこぼれる水のほうが多かった・・・
なんといっても子供の時から慣れてきた飲み方ですから、
ネパールの人にとっては、ごく当たり前の水の飲み方のようです。
1 - 5件目まで(5件中)