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みゅうローマ発信 現地情報

プロフィール
ニックネーム:
みゅうローマ
居住地:
ヨーロッパ>イタリア>ローマ
会社名:
みゅうローマ
会社英字名:
Myu Rome
会社所在地:
ヨーロッパ>イタリア>ローマ
会社電話番号:
+39-335-750-1984
業種:
旅行業
自己紹介:
イタリア国内の旅行関連手配をしています。オリジナル定期観光バス・みゅうバス、レストラン、通訳、ガイド、アシスタント、送迎サービスなどを手配しています。何なりとご相談下さい。

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私の人生を予言した不思議な女性のはなし
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア>ローマ
テーマ:留学・長期滞在 その他 
投稿日:2020/10/30 00:00
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私は、音大の卒業式の次の日に渡米して、1993年にニューヨークからローマに旅をしにやって来た青年。。。だった。

1991年の第一次湾岸戦争の時はニューヨークにいた。

その時、国連やその近辺のオフィスなどは、テロの危険性のために封鎖されてしまっていたのだが、そこで仕事にあぶれた奴らが、私の行きつけのクラブにも飲みに来ていたので、彼らとしばしば世界情勢やその裏話について語り合ったものだ。

ある晩、私はいつものクラブに行こうと、いつものようにタクシーを止め、乗車すると、ドライバーは女性だった。ちょっとふくよかで、上まぶたがふっくらした綺麗な女性だった。

ニューヨークは当時アメリカで最も犯罪率の高い都市だったので、「こんなに遅い時間に女性で、危ないことはないのですか?」と尋ねると彼女は「私は、未来がよめるんです。」と言う。

私は論理的でない事など信じない人だったので、ホントにニューヨークには変わった人間がいると思った瞬間、彼女は私の単純な未来を話し始めた。それは「あなたはもうすぐ長い旅に出るでしょう。」から始まるものだった。

 

それからたったの1週間後に私は、今はなきTWA航空でローマを訪れ、それ以来、今もローマにいる。

あの時、あのタクシーに乗った時、バックミラーに写った私の姿から、どうやってこのことを言い当てることが出来たのだろうか、、、不思議でたまらない。

今でも私は非科学的な事など信じないのだが、なぜか今私は、彼女があの時に言った長い旅をしている最中なのだと思えてくるのである。

 

実は、私がローマに来た時、ガイドブックも持ってこなかった(あはは)。今のように携帯はおろか、スマホやインターネットもない時代だったので、ローマがこんなに重要な観光地だったなんて事は、実は知らなかった(おほほ)。

私がローマに来た理由は、単に誰かと出会いたい的な不純な理由からだったのです(いひひ)。

 

それはともかく、どうやらこの私の長い旅とは、多くの旅人を案内するための旅のことだったようだ。

今や私はイタリア政府公認ガイドの免許を取得して、日本の旅人をローマやその他イタリアの各地に案内させて頂いている。

その時私が話す事は、歌って踊って恋しての平和なイタリア人のことや、美しい街の美術品、偉大な建造物の話ばかりではない。

その平和を守るために起こった数多くの戦争の話しである。

 

そういえば近年も世界は私たちが夢見るような常に平穏なものではなかった。

2001年の同時多発テロ事件に続いて、第二次湾岸戦争、各地で起こるイスラム原理主義者によるテロ事件、さらに私たちを産んだ自然界でさえも、時には私達をふるいにかける。

今回の目に見えない敵は、たくさんの人々の命を奪った上に、企業が倒産したり、観光業界にも打撃を与え続けている。

 

考えてみたら私たちのような生命は、戦いに勝つために進化して来たのだから、これも自然の摂理なのかもしれない、なぁんて理屈に酔っている場合ではない。

ローマの観光客は3月の頭からゼロになり、すぐさまイタリアは2ヶ月以上のロックダウンで外出禁止地獄。

それが解除された今、街は活気を取り戻しつつあるように見えるのだが、余談は許されない。

いつまでこんな状態が続くのだろうか。

 

こんな時にあのちょっとふくよかな女性のキャブドライバーが現れてくれたら、私にこれからの未来を教えてくれたかもしれないのだが。あの方は天使のようだったな〜。

 

そういえば、ローマはたくさんの天使がいる街。

 

 

サンタンジェロ橋にかかるベルニーニ作の天使像


いつも開いたままの窓
幽霊がたたずむ窓
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア>フィレンツェ
テーマ:観光地 街中・建物・景色 その他 
投稿日:2020/10/27 00:00
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以前、お客様に「心霊スポットを案内してください」とリクエストを頂いたことがあります。

しかし私は霊感0なので、有名な幽霊話がある場所をご案内差し上げました。

 

それがサンティッシマ・アンヌンツィアータ広場に面したブディーニ・ガッタイ宮殿です。

16世紀にバッチョ・ダーニョロが設計し、アンマンナーティが完成させた宮殿です。アンマンナーティはミケランジェロの設計からインスピレーションを受け、ガッタイ宮殿の建築に役立てたと言われています。

 

この建物の三階、一番右の窓をご覧ください。よろい戸が半分折り曲げて開いています。

この内側の窓がいつも開けたままになっているんです。

 

 

この窓に関して二つの言い伝えが残っています。

 

【伝説1】

ある貴族の女性がこの窓から外を眺め、恋人が戦争から帰ってくるのを待っていたそうです。窓の横に椅子を置き、縫い物をしながら、くる日も来る日も…

 

しかし恋人は帰ってこず、女性はその部屋にこもって死ぬまで離れませんでした。

彼女の遺体が部屋から運び出された後に、親族がその窓を閉めようとすると大きな音がして、親族は窓を再び開けざるをえなかったそうです。

 

それから窓はいつも開けられ、よろい戸も半分開けられて、広場が見下ろせるようになっています。

 

【伝説2】

宮殿前の広場にはメディチ家の当主フェルディナンド1世の騎馬像があり、その視線がちょうどこの窓に向いています。

実はこの部屋にフェルディナンド1世の恋人が住んでいました。

女性には夫がいましたので、つまりはフェルディナンドと不倫関係だったのです。

夫は女性がこの窓を開くことを禁止していました。

たとえブロンズ製の騎馬像とはいえ、妻が恋人をうっとりと眺める姿を見たくなかったのでしょう。

 

伝説2から伝説1が生まれたとされますが…

 

この建物が16世紀に建設された時は2階建でした。3階は18世紀に増築されてできたので、伝説2もありえないのですね。

 

どうやら館の主人の奥さんの不倫騒動が、伝説2の由来なんだそうです。




とにかくも3階の窓がいつも開いているのは真実なので、宮殿前を通りかかる時にこんな話をしてみるのも面白いですね。


NoPhoto
ローマの日本食レストランと、なんちゃって日本食レストラン
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア>ローマ
テーマ:グルメ 
投稿日:2020/10/20 00:00
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ローマの公認ガイド原井です。

 

私がローマに来た頃、と言うと27年ほど前だが、ローマに日本食レストランは4軒しかなかった(と思う)。

 

一つは超大衆的なレストランで照明器具はチョウチンだった。ローマはカフェでさえもシャンデリアが使われていたりする所なのに、こんな外国に来てまでみすぼらしいからやめてもらいたいと思いきや知らないうちに消滅していた。

 

もう一つは名前も知られた高級レストラン、、っていうか高価なレストラン。一人だったので寿司カウンターに座ろうと思って行ったのに、私はメートルディにそそくさと狭いテーブル席に案内された。

下手に派手な着物を着たウェートレスはいくら呼んでも気付いてくれないほど他のウェーターと盛り上がっていた。ただのスノビッシュなレストランで二度と行かないと思ってたら、間も無くつぶれた。

 

結局、残りの二つのレストランが27年経った今でもローマで健在なのだが、そのうちの一つは、今でも私の行きつけのレストランになった。

そこが選ばれた理由は、味(普通に美味い)、店のデザイン(近代的な日本風)、場所(街中)、雇われている人の感じ良さ、それに何と言っても店内に置かれている生花のセンスが素晴らしいからだ。

なんとイタリア人のイケバニストで、毎週二回イけにくる。レストランはただ食べるだけではないのである。

 

それにしても海外で日本食レストランをやって生き残るのも大変な事だ、と言いたいところだが、、、

実は今やローマに日本食レストランは、数え切れないほどある。

テレビでもよく日本食について紹介されたり、私が行きつけのレストランもテレビで放送されたりして、イタリア人の中でも日本食ブームが起こり、それに乗って多種多様な日本食レストランが生まれては消え生まれては消えしているのだ。

 

ただその中には怪しいものも少なくない。

名前からして、『日本食レストランXinZhonghua』だとか『JuYing』だとか『Ni Hao』だとか、、、なんて読むのかもわからない事がしばしば(涙)。。

 

昨日までは春巻きを油で揚げてたコックが、その手で今日は寿司を握っているということのようだ。日本の寿司の伝統は1000年とも言われているのだが、そんなに簡単に生魚などさばいて良いものだろうか。

 

それでも中には素晴らしいレストランもあったのかも知れないが、私が試しに行ったところはマグロのにぎりのシャリの色が真っ赤に染まってしまっていたり?!魚が変に筋があって噛み切れなかったり!!料理のできない私は寿司ネタが切り方ひとつでこんなに味に影響するなんて初めて知らされた。

他の料理にしても、カツ丼を頼めば天丼が出てきたり、味噌汁が甘すぎたり、とあまり良い経験はなかった。

 

何をやるのも自由だとは思うが、日本食という名目でレストランを他国で出すのなら、ある程度の修業をするだとかして最低限のリスペクトをして頂きたいものだ。昔はよく新しいレストランができると試しに行ってみたものだが、今やなかなかそんな勇気は出なくなった。

 

ところが、近頃イタリアでは、そういうなんちゃって日本食レストランでも人気があるレストランがある。

 

最近若いイタリア人の友達に誘われて、半ば無理やり行ってみた中国系日本食レストランは、天ぷらを裏巻きにしたり、アボカドを使ったりとアメリカ風の寿司なのだが、安くて食べ放題で、結構美味しかったと言わざるを得ない。

 

別のイタリア人と行ったブラジル風の日本食レストランなどは、南米系のカクテルを飲みながらちょっとお洒落なフュウジョン寿司を食べる的な趣向で、値段は高いが結構楽しむことが出来た。

考えてみたら料理というものは進化して今に至るのであり、これからも進化していくものだ。それを考えると、もしかしたら今から100年後は、中国寿司やブラジルスシ、あるいはスシイタリアーノな〜んていう料理が普通に世界で定着しているかも知れない。

 

ところで、私のローマ暦27年経っても残っている2つのレストランはいずれも『認定本格日本料理店』にローマで選ばれた3店舗の中に入っている。

 

 

このうち一番上のが私が言ってた生花のレストラン。一番下のは、10年ほど前にできたレストランだが寿司が美味しいので時々行く。

 

ただ先に言ったように今や色々なレストランができていて、この3店舗以外にも、日本人がやっているレストランや、そうでなくても美味しくて楽しいレストランもあるので、もし行かれるのであればよくネットなどでお探しくだされ。。


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フィレンツェの近代美術館
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア>フィレンツェ
テーマ:観光地 鑑賞・観戦 歴史・文化・芸術 
投稿日:2020/10/16 00:00
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ボンジョルノ!フィレンツェ公認ガイドの伊藤裕紀子です。

今日はあまり日本のお客様が訪れない美術館をご紹介します。

 

フィレンツェの近代美術館はピッティ宮殿の3階(secondo piano)にあります。

ピッティ宮殿には他にも「大公の宝物殿」「パラティーナ美術館」「衣装博物館」「ボーボリ庭園」「陶磁器博物館」などがあり、全部見学するのは大変ですよね。

 

もっとも人気があるのはラファエロの作品を鑑賞できる「パラティーナ美術館」ですが、もし興味があったら近代美術館にも足を踏み入れてみてください。

 

30もの部屋に18世紀終わりから20世紀始めまでの作品がずらり。

その時代のイタリアを代表する芸術家たちの作品を網羅した美術館になっています。

展示方法が時代別になっているので、進みながらイタリア近代美術の歴史を見ることもできますよ。

 

肖像画が多いのもこの美術館の特徴です。宗教画ばかりで疲れた、気分をリフレッシュしたい人にもおすすめです。

 

 

新古典主義のピエトロ・ベンヴェヌーティから、ロマン主義のフランチェスコ・アイエツ。

マッキャイオーリと呼ばれる、19世紀フィレンツェの色斑画法による革新的な芸術運動に属する画家たちの作品。

そしてキャンパスに色を分割して並べ、視覚混合で光と色の表現を最大限に発揮した新印象派。

 

ルネッサンスのイメージが強いフィレンツェをまた違った観点から知ることができる楽しい美術館です。


NoPhoto
フィレンツェの街を歩いていてふと目につくもの
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア>フィレンツェ
テーマ:観光地 街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 
投稿日:2020/10/07 00:00
コメント(0)

皆さんこんにちは!フィレンツェ公認ガイドの福島久子です。

 

フィレンツェの街を歩いていると時々、(これは何なんだろう)というものに出くわします。これもその一つです。

 

フィレンツェの歴史中心区のいくつかの建物の壁に、昔、道を通る人達にワインを売っていた小さな窓口のようなものが未だに残っています。何世紀もたってこの窓口は使われなくなり、閉まってしまったり、壁でとじられたり、修復の時に見えなくなってしまいした。

 

 

貴族館で直接ワインを販売するようになったのは16世紀くらいです。中世、ルネッサンス時代に商業は栄えましたが、このころになると商業が下向きになっていきます、そうすると貴族たちは農業にも従事するようになり、大土地所有者になります。そしてワイン造りも始めます。

 

この窓口は仲介者を通さずに、直接道行く人達にワインを売る為に作られ、家族商売という事で無税だったので、買う人も他で買うより安く買えた為重宝したようです。ただ売るだけでなく、困っている人達に食事やワインを提供していました。この窓口が小さくて割と低い位置にあるのは、わざと顔が見えないようにしていたからとも言われているようです。

 

 

この窓口後ろには酒蔵があって、ここにはいつもワイン係がいてワインを注ぎ、販売していたそうです。大体このようなアーチ型をしている形で、上には石碑があり、販売時間なども書いてあるものもあります。色々見ていくとちょっとずつ形も違います。これはそれぞれの家族の趣味の違いのようです。フィレンツェには170の窓口があり、歴史地区だけでも145あるそうですが、何世紀にもわたって閉まったままだったのです。

 

しかし最近になってロックダウンが終わってすぐ、コロナ対策として、このワイン販売口がいくつか復活して、夕方決まった時間だけですがSanto Spirito通りのBarにも復活しました!

 

1634年すでにこのワイン販売口がペスト対策として使われていたということなので、現在のコロナ対策と同じだったんですね。


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