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- 【街並み散策】ローマ散歩道 ピカソ編【ローマ】
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>ローマ
- テーマ:観光地 世界遺産 散歩・自転車
- 投稿日:2021/03/29 00:00
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ローマ公認ガイドの竹内です。
早速ですが、ローマには、魅力的な裏道がたくさんあります。
その一つが数々のハイブランドが並ぶバッブイーノ通りの裏道マルグッタ通りです。
バッブイーノ通りは、17世紀クレメンテ7世の時代に整備された通りでローマの北門・ポポロ門から3方向に伸びる通りの一つです。
この北門は教皇様の権力が増大した1500年代以降は教皇様との謁見に向かう際に利用することが多く、かの天正遣欧使節団もこの門から入場し教皇宮殿に向かったそうです。
当時は多くの貴族の宮殿が並び、現在マルグッタ通りがある場所には、お屋敷の倉庫や厩舎が並んでいました。
17世紀にバンボッチャンテイと呼ばれる画家のグループがこの界隈に住み始めたことをきっかけに、この通りは「芸術家の通り」と呼ばれるようになります。
彼らは、当時のローマに住んでいた庶民の姿を遺跡の残るローマの風景と共に生々と描き一世を風靡します。
この時からこの通りは芸術家の通りと呼ばれるようになり、1917年ピカソがローマに3カ月間滞在した際にもこの通りの53番地Bにアトリエを構えました。彼のアトリエがあった宮殿の入り口に隣接して50年前にこの素敵な工房ができました。
さすが芸術家の通りですね!
個性的な書体で大理石の看板を制作しているのは、サンドロさんです。
オーダーメードも可能だそうです。詳しくは、彼のF Bのページをご覧ください。
https://www.facebook.com/La-Bottega-del-Marmoraro-769355589806398/?ref=page_internal
それ以外にも面白いギャラリーや工房がひしめき合う魅力的な通りです。
さてピカソは、当時 ロシア・バレエ団のために『パラード』という作品の企画をジャン・コクトーと共に行っていて、そのバレエ団の公演を見るためにローマに滞在することになったそうです。
台本は、詩人、小説家、脚本家、バレエ製作者となんでもこなす多才なジャン・コクトー。音楽は、異端児エリック・サテイ、そして衣装と舞台装飾をピカソが担当するというドリームチームによる制作でした。
このバレエ団のバレリーナのオルガが後にピカソの妻となります。
ピカソはローマに滞在時に、スペイン階段界隈を散歩し、カフェ・グレコに行き未来派の画家たちと芸術談義をするのを日課としていたようです。
スペイン階段には、美人が多くて有名なチョチャーリア地方の女性が、ローマ在住画家たちのモデルの仕事を得ようと屯していたそうです。
ピカソの描いたイタリア女性と呼ばれる作品は、その一人をモデルとして描いた作品でチョチャーラ地方の民族衣装や背景にサンピエトロ大聖堂が描かれています。
ピカソとジャンコクトーが滞在していたのは、現在でも多くの有名人が宿泊することで有名なデ・ルシエホテルだったそうです。
https://www.roccofortehotels.com/hotels-and-resorts/hotel-de-russie/promotions/
ピカソのアトリエからも見えたピンチョの丘ののどかな景色が見えるシークレットガーデン内のレストランも有名です。
!さあ皆様もピカソの見たローマを体感してみませんか!
- 【ミラノ】ロックダウン直前のミラノの様子
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>ミラノ
- テーマ:観光地 留学・長期滞在 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2021/03/24 00:00
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こんにちは、ミラノ在住のワキです。
現在ミラノはコロナウイルス感染対策のため、外出などの厳しい規制が行われています。
今回は、その規制が実施される前々日の今月13日(土曜日)にミラノの様子を撮影してきました。
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まず初めに向かったのはヴェネツィア門(Porta Venezia)近くにある公共公園(Parco Pubblici)。
ロックダウン強化前の最後のひとときを過ごすミラネーゼの様子です。
公園の名称は2002年にインドロ モンタネッリ(Indro Montanelli)公園と改称されました。
インドロ氏は20世紀のイタリアを代表するジャーナリストであり、1996年にアストゥリアス皇太子賞(Premio Principe de Asturias、スペイン王太子賞)受賞したことでも有名で、2001年に亡くなりました。
インドロ氏は毎朝この公園を散策したといわれています。
因みに公園すぐ近くにはPalazzo dell’Informazione(1942年ムッソリーニによる)という、新聞雑誌社等の有名な雑居ビルがありますが、こちらは次の機会に。
公園内にはプラネタリウム、ミラノ市立自然博物館や、1731年に芸術家Tiepoloが描いた天井画で有名な17世紀の建物・ドゥニャーニ邸(Palazzo Dugnani)というミラノ市管理の宮殿があります。この宮殿では結婚式や、ファッションイベント等でも利用されています。
公園は1784年から歴史がありますが、更にローマ時代まで遡ると、この場所にはサンディオ二ジ聖堂(Basilica di San Diongi)という聖堂が建立されていました。しかし、次第に聖堂は使われなくなり、1783年に廃止されています。
冬はスケート場が設置されることもあり、年間通してミラノ市民の憩いの場として利用されています。
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次に向かったのはサンバビラ広場(Piazza San Babila)。
ミラノで最も有名なファッションストリート、モンテナポレオーネ通り(Via Montenapoleone)の入口としても知られています。
実際、この広場は9つの通りに続く中心的な広場であり、名称は広場近くにあるサンバビラ聖堂(Basilica di San Babila)から来ています。
都会の喧騒の中につがいのカモを見つけました。
誰のしわざか分かりませんが、毎日この広場を訪れる方曰く、ずっとこの噴水にいるみたいです。
因みにこの噴水は1997年にルイジ カッチャ ドミニオー二(Luigi Caccia Dominioni)が手掛けたもので、水に恵まれたミラノのあるロンバルディア(Lombardia)州の山や湖や河川をイメージして設計されており、建設にかかった費用は、当時の金額でおよそ10億リラとも言われています。
広場から10分ほど歩くとドゥオーモ(Duomo ミラノ大聖堂)到着。
あいにく、コロナ禍の規制の為、観光入場は出来ませんが、ミサへの入場はできました。
顔見知りの係員と一年ぶりに挨拶。
MR(この係員)いわく、45年間の勤務を終えて4月1日から年金生活に入られるとの事。
本当にお疲れ様でした。
- 【2021年父の日】イタリアの父の日に食べる美味しいドルチェ“FRITTELLE DI RISO(フリッテレ・ディ・リゾ)”
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>フィレンツェ
- テーマ:留学・長期滞在 グルメ
- 投稿日:2021/03/18 00:00
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こんにちは!食べること大好きなフィレンツェガイドの岩本です。
フィレンツェはここ終日めっきり暖かくなりました。
郊外に出かけると、すももやモクレンの花が満開になってきました。
日本では「父の日」は6月の第3日曜日ですね。
でもイタリアの父の日(Festa del papàフェスタ・デル・パパ)は
3月19日になります。
トスカーナ方言ではFesta del Babboフェスタ・デル・バッボといいます。
この日の聖人は聖ヨセフ(またはヨゼフ)、イタリアではサンジョゼッペと呼び、聖母マリアの夫でありキリストの養父です。
ここではイタリア的にサンジョゼッペと呼ばせていただきますね。
簡単にどんな人かお話ししますと、神のお告げにより小枝(または杖)の先に花を咲かせてマリアと婚姻します。
精霊により身ごもったマリアを一度は離婚を考えたものの、天使が夢枕に立ち神の意志だとわかり受け入れます。
エジプトへ逃避してヘロデ王の嬰児虐殺などからキリストを守ります。
サンジョゼッペはイエスの養父であり、その優しさ、従順、受容の心、創造性をもった勇気、労働者としての姿、目立たない生き方をし、そのようなことから教会、大工、労働者、未婚女性、父親などの守護聖人とされています。(使徒的書簡より)
1621年に法王グレゴリオ15世によって3月19日がサンジョゼッペの日になりました。
現法王により、2020年12月8日から2021年12月8日までの一年間を「聖ヨセフの特別年」として祝うことが布告されています。
このサンジョゼッペの日にトスカーナで食べるお菓子があります。
FRITTELLE DI RISO(フリッテレ・ディ・リゾ)
このお菓子はカーニバル時期からサンジョゼッペの日まで食べられるお菓子でちょっと変わってるのはお米が使われていることです。
古いお菓子で1400年代の料理本「LIBRO DE ARTE COQUINARIA」にもすでに登場してます。
イタリアでは普段の料理でもお米の種類を使い分けていますが、このお菓子にはORIGINARIOという種類のお米をミルクで煮込んでラム酒や柑橘系の皮で香りづけをして卵をいれた、お米の粘りを使った揚げ菓子なんですよ。
各家庭で香りづけがレモンであったり、オレンジであったり、また干しぶどうを入れるかどうかも家庭によって違います。うちは庭で採れたレモンと干しぶどう入りです。
熱した油にスプーンで落としながら揚げていき、最後に砂糖をたっぷりまぶしたお菓子です。
揚げたてはふわ〜っと柔らかくて後から後から手が伸びるお菓子です。
この時期はBARでもパン屋さんでも売っているので、カフェのお供やおやつに是非召し上がってくださいね。
そうそうカーニバルの時期から3月19日まで、シエナの中心であるカンポ広場にて特設の仮小屋でサヴェッリさん(SAVELLI)のフリッテレ・ディ・リゾが味わえます。
シエナにこの時期にいらしたら是非トライしてみてくださいね。
- 【2021年・ブログ観光】フィレンツェのガリレオ博物館!名言「それでも地球は回っている」
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>フィレンツェ
- テーマ:観光地 その他 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2021/03/11 00:00
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フィレンツェでもやっと美術館が開きだし、今日はガリレオ博物館、無料ガイドツアーに参加してきました。なんと入場料まで無料。太っ腹です。
一日3回、一回につき10名ほどの限定ツアーで、今のところこのツアーの時だけ博物館を開けています。
博物館にあるガリレオガリレオの胸像
ガリレオガリレイはピサに1564年に生まれ、1642年にフィレンツェの近郊アルチェトリという町で亡くなりました。お墓はサンタクローチェ教会にあります。
ピサ、パドヴァ大学で教鞭をとっていました。
当時は天動説が正説だったのですが、地動説を主張したため、それを理由にカトリック教会から有罪判決を受けてしまったのは有名ですね。
「それでも地球は回っている」と言って亡くなります。
この博物館にはフィレンツェを支配していたメディチ家とロレーヌ家のコレクションが主に展示されています。
アストロラーベ
これはアストロラーベと言って、16世紀の物ですが古代の天文学者や占星術者が用いた天体観測用の器具です。
ガリレオが天体の計算をする際にも用いたため、ガリレオのアストロラーベとも呼ばれています。
これで時間がわかったり、航海における重要な測定機器でもあったそうなので、ある種のアナログ計算機みたいなものですね。
アーミラリー地球儀
こちらはアーミラリー天球儀で、天球上の天体の動きを模した機器です。
1588〜93年にメディチ家のフェルディナンド1世の為に作ったもので、ところどころにメディチ家の紋章もあります。
真ん中は地球で、地球の周りの星の動きを説明しています。
材質は木で金箔が貼られています。
世界で一番大きなアーミラリー天球儀と言われています。
世界地図のコピー
こちらは1457年から59年の世界地図のコピー(本物はベニスのマルチアーナ図書館)ですが、上下が反対になっています。
真ん中の右側にイタリアが描かれていますが、逆さまになっているのがわかります。アジアは左側にあります。
凄く細かく描かれていて、この地図は当時のマルコポーロなどの旅行者の話をもとにして作ったそうです。
ガリレオの天体望遠鏡
そしてこの2つがオリジナルのガリレオの発明した望遠鏡です。材質は木と紙だそうで、そんなに重くないんだそうです。自分自身で2枚のレンズと筒を組み合わせて、20倍から30倍ほどの倍率を持つ望遠鏡を作りました。
レンズ
こちらはガリレオの作ったレンズで1610年にこのレンズで木星の周りをまわる4つの衛星を発見してメディチの星と命名しています。{周りの額は1677年作}このレンズはガリレオからメディチ家のコシモ2世に贈られましたが、間違って壊れてしまったそうです。ガリレオが亡くなるとこのレンズはメディチ家出身のレオポルド枢機卿が保管し、彼が亡くなった後Uffizi美術館の所有になりました。
ガリレオの中指
ちょっと見にくいかもしれませんが、そしてここにガリレオの右手の中指が。。。
彼を科学のヒーローまたは殉教者として表しているのでしょうか?
この指は1737年にピサからフィレンツェのサンタクローチェ教会に遺体を運ぶ際に切り取られたそうです。
それだけではなく、右手の親指と人差し指と歯まで展示されています。
当時の色々な天体望遠鏡
このガリレオ博物館はUffizi美術館のすぐ隣にあるので時間があったら是非寄ってみてくださいね。
- 【2021年・ブログ観光】フィレンツェ観光で見るべき細密画!サン・マルコ美術館とウッフィツィ美術館編
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>フィレンツェ
- テーマ:鑑賞・観戦 その他 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2021/03/01 00:00
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ボンジョルノ!フィレンツェのガイドの伊藤裕紀子です。
今日は細密画について書きたいと思います。
細密画はミニチュアールとか、彩画とも呼ばれます。イタリア語ではミニアトゥーラですね。
古代・中世に手書きで複製された本や文章に収録された挿絵のことです。
活版の印刷技術が無かった中世では修道僧たちが手書きで写本し、そして挿絵も制作していました。
フィレンツェではサン・マルコ美術館2階の図書館に展示されている楽譜に書かれた細密画を鑑賞することができます。
「ドメニコ修道会の僧侶たちを守るマリア様」
このように聖書のエピソードや人物が描かれています。
じつはこのマリア様の図には「S」の文字が隠されています。
このページ最初の節の歌詞がSで始まるからなんですね。
このように絵の中に文字が織り込まれていたり、文字自体が装飾されていたりします。
こちらの写真だと楽譜だというのがわかっていただけると思います。
これが印刷ではなく、手書きなのですから大変な労力で制作されていたことがわかります。
当時の写本は大変に高価なものでした。
ところでウッフィツィ美術館には、下のような変わった絵画作品があります。
題名は「細密画本」で、16世紀の作品です。もとはメディチ家のランペッジの別荘に置かれていました。
まるで騙し絵のように細密画の本のページがペラペラと捲られている様子を表現しています。リアルな感じに描かれていますね。
とても珍しいテーマの絵画作品のテーマ、一体、どのような目的で描かれたのでしょう?
じつは本棚の扉の装飾として使用されていたそうです。
ヨーロッパの宮廷にはこのテーマの絵のレプリカが数多く存在するそうです。
15世紀中頃のイタリアではこの「細密画本」のテーマを嵌め木細工でつくって、戸棚の扉などに利用することも流行りました。
また家具に絵画作品(板絵)を使用する例は、長持ち(衣装や調度品を入れる蓋付きの長方形の大きな箱)にもよく見られます。
長持ちの絵画作品はフィレンツェでは特にバルジェッロ美術館に展示されていますよ。
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