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- メキシコ / メキシコの鉄人が行く! 旅日記 〜 「タイルの家」の物語−その5
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エリア:
- 中南米>メキシコ>メキシコシティ
- テーマ:世界遺産
- 投稿日:2008/10/10 11:48
前回の話から続く、メキシコが誇る文化遺産「タイルの家」の話の第5話となります。
第4話はこちらから
前回は、なぜビベロ伯爵の報告書の中で武家の棟梁の称号である「征夷大将軍」徳川家康が「Emperador Taikosama」(皇帝・太閤様)になったのかを見てまいりましたが、報告書の中の「不思議」はこれで終りではありませんでした。
と言うのは、この文書は当時のスペイン王 フェリッペ三世(在位1598〜1621)宛てではなく、既に10年以上前に他界している父王 フェリッペ二世に宛てに書かれていたからです。
もし「二世」と「三世」が印刷の間違いでなければ、これは「死者への手紙」だったのです。
なぜ、この様な事をしたのでしょう。まさかビベロ伯爵が、本国の王位がフェリッペ二世からその子の三世へ移った事を知らなかったはずはありません。とするとビベロ伯爵は、現国王であるフェリッペ三世を明らかに無視していたのです。
そんな事が実際に可能なのでしょうか。これには何か深い訳があるに違いありません。
まずここで、ビベロ伯爵に黙殺されたフェリッペ三世のプロフィールを見てみましょう。
彼はスペイン王であり、かつ神聖ローマ帝国皇帝のカルロス五世の孫でありました。
カルロス皇帝の統治した神聖ローマ帝国は「日の没することなし」と豪語されたほど広大で、北はオランダから南はスペイン、イタリアまでの全ヨーロッパ、それに植民地であるラテンアメリカやフィリピンまでわたっておりました。
※※余談ですが、
メキシコには「カルロス五世」(Carlos V)というチョコレートがあり、そのパッケージには皇帝の雄姿がプリントされています。
皇帝カルロス五世は神聖ローマ帝国を弟に、スペイン、イタリア、オランダと植民地、ラテンアメリカ、フィリピンを息子のフェリッペ二世に譲っています。フェリッペ二世も中々の人物ではあったそうですが、その息子のフェリッペ三世は広大な領地を維持出来ず、実際にプロテスタント化したオランダを失っているのです。
彼はマドリード発行の「スペイン史」に「無形以上の存在であった」と評されるほど目立たない王でありました。
帝王学教育をしっかりと受けてはいたらしいのですが、本人は病弱でメランコリー、かつ信心深く、礼拝堂に引きこもってはお祈りに明け暮れる毎日を過ごしていたと言います。
父王のフェリッペ二世は、こんな息子の行く末を心配し、腹心の部下を補佐役に就け息を引き取りました。しかし父王のフェリッペ二世の死後、フェリッペ三世はこの補佐役を退け、自分のお気に入りのレルマ公爵を側近とし、かつ全権を彼に委ねたのでした。
「スペイン史」(マドリード発行)には、レルマ公爵は金銭欲と名誉欲に長け、スペイン国を腐敗へと導く事にかけては有能以上であったが、現実の政治には無能振りを発揮したと書かれています。
こんな側近 レルマ公爵のせいで本国の経済は悪化し、ラテンアメリカ植民地からの収入でやっと国政を賄うほどになっていたのです。そしてその収入の約半分がメキシコからのものでありました。
レルマ公爵の悪政はスペイン全土の反発を呼び、やがて失脚するのですが、同時にフェリッペ三世も失望のあまり他界してしまったのです。王様と言えども、やはり三代目ともなると何かと大変な様です。
一方、父王のフェリッペ二世はカトリック護将の使命感に燃え、イスラム教トルコ軍をレパント海戦で破り、又、プロテスタントの攻撃にも立ち向かって行った事で、とても人気のある王でありました。又、1584年とその翌年の2回にわたり、日本からやって来た「天正少年遣欧使節」と会ったのもこの父王であるフェリッペ二世でありました。
ビベロ伯爵の人生と出世は、この父王フェリッペ二世と共にあったのです。
報告書をあえて他界したフェリッペ二世に宛てたのは「レルマ公爵に操られる息子 フェリッペ三世を自分の王とは認めない」という強い気持ちの表れではないでしょうか。
フェリッペ三世の存在がいかに無形であったかは、二代将軍 徳川秀忠の航海許可公式文書がスペイン王 フェリッペ三世ではなくレルマ公爵に出されている事からも想像がつきます。
ビベロ伯爵が二代将軍 徳川秀忠に「公式文書は国王 フェリッペ三世宛てではなく、側近 レルマ公爵に出す様に進言したのでしょう。
もちろん、ビベロ伯爵の心中はさぞ複雑だったのでしょうが、その進言を受けた徳川秀忠はスペイン国をどう見たのでしょうか。気になるところです。。。
その6につづきます。どうぞお楽しみに!!!
(この記事は、メキシコ国立自治大学 教授 田中都紀代様がご寄稿くださいました)
第4話はこちらから
前回は、なぜビベロ伯爵の報告書の中で武家の棟梁の称号である「征夷大将軍」徳川家康が「Emperador Taikosama」(皇帝・太閤様)になったのかを見てまいりましたが、報告書の中の「不思議」はこれで終りではありませんでした。
と言うのは、この文書は当時のスペイン王 フェリッペ三世(在位1598〜1621)宛てではなく、既に10年以上前に他界している父王 フェリッペ二世に宛てに書かれていたからです。
もし「二世」と「三世」が印刷の間違いでなければ、これは「死者への手紙」だったのです。
なぜ、この様な事をしたのでしょう。まさかビベロ伯爵が、本国の王位がフェリッペ二世からその子の三世へ移った事を知らなかったはずはありません。とするとビベロ伯爵は、現国王であるフェリッペ三世を明らかに無視していたのです。
そんな事が実際に可能なのでしょうか。これには何か深い訳があるに違いありません。
まずここで、ビベロ伯爵に黙殺されたフェリッペ三世のプロフィールを見てみましょう。
彼はスペイン王であり、かつ神聖ローマ帝国皇帝のカルロス五世の孫でありました。
カルロス皇帝の統治した神聖ローマ帝国は「日の没することなし」と豪語されたほど広大で、北はオランダから南はスペイン、イタリアまでの全ヨーロッパ、それに植民地であるラテンアメリカやフィリピンまでわたっておりました。
※※余談ですが、
メキシコには「カルロス五世」(Carlos V)というチョコレートがあり、そのパッケージには皇帝の雄姿がプリントされています。
皇帝カルロス五世は神聖ローマ帝国を弟に、スペイン、イタリア、オランダと植民地、ラテンアメリカ、フィリピンを息子のフェリッペ二世に譲っています。フェリッペ二世も中々の人物ではあったそうですが、その息子のフェリッペ三世は広大な領地を維持出来ず、実際にプロテスタント化したオランダを失っているのです。
彼はマドリード発行の「スペイン史」に「無形以上の存在であった」と評されるほど目立たない王でありました。
帝王学教育をしっかりと受けてはいたらしいのですが、本人は病弱でメランコリー、かつ信心深く、礼拝堂に引きこもってはお祈りに明け暮れる毎日を過ごしていたと言います。
父王のフェリッペ二世は、こんな息子の行く末を心配し、腹心の部下を補佐役に就け息を引き取りました。しかし父王のフェリッペ二世の死後、フェリッペ三世はこの補佐役を退け、自分のお気に入りのレルマ公爵を側近とし、かつ全権を彼に委ねたのでした。
「スペイン史」(マドリード発行)には、レルマ公爵は金銭欲と名誉欲に長け、スペイン国を腐敗へと導く事にかけては有能以上であったが、現実の政治には無能振りを発揮したと書かれています。
こんな側近 レルマ公爵のせいで本国の経済は悪化し、ラテンアメリカ植民地からの収入でやっと国政を賄うほどになっていたのです。そしてその収入の約半分がメキシコからのものでありました。
レルマ公爵の悪政はスペイン全土の反発を呼び、やがて失脚するのですが、同時にフェリッペ三世も失望のあまり他界してしまったのです。王様と言えども、やはり三代目ともなると何かと大変な様です。
一方、父王のフェリッペ二世はカトリック護将の使命感に燃え、イスラム教トルコ軍をレパント海戦で破り、又、プロテスタントの攻撃にも立ち向かって行った事で、とても人気のある王でありました。又、1584年とその翌年の2回にわたり、日本からやって来た「天正少年遣欧使節」と会ったのもこの父王であるフェリッペ二世でありました。
ビベロ伯爵の人生と出世は、この父王フェリッペ二世と共にあったのです。
報告書をあえて他界したフェリッペ二世に宛てたのは「レルマ公爵に操られる息子 フェリッペ三世を自分の王とは認めない」という強い気持ちの表れではないでしょうか。
フェリッペ三世の存在がいかに無形であったかは、二代将軍 徳川秀忠の航海許可公式文書がスペイン王 フェリッペ三世ではなくレルマ公爵に出されている事からも想像がつきます。
ビベロ伯爵が二代将軍 徳川秀忠に「公式文書は国王 フェリッペ三世宛てではなく、側近 レルマ公爵に出す様に進言したのでしょう。
もちろん、ビベロ伯爵の心中はさぞ複雑だったのでしょうが、その進言を受けた徳川秀忠はスペイン国をどう見たのでしょうか。気になるところです。。。
その6につづきます。どうぞお楽しみに!!!
(この記事は、メキシコ国立自治大学 教授 田中都紀代様がご寄稿くださいました)
- オーストラリア メルボルン / 満開シーズンにシャトルバスも登場「ステート・ローズ・ガーデン」
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エリア:
- オセアニア>オーストラリア>メルボルン
- テーマ:観光地 街中・建物・景色
- 投稿日:2008/10/08 12:30
メルボルンから西へ約20分、1870年代に建設されたイタリア様式の豪邸「ウェリビー・パーク・マンション」に隣接して、「ビクトリアン・ステート・ローズ・ガーデン」があります。
ここは10ヘクタールもの敷地に広がる州立のバラ園。10〜4月には園内に植えられている4,500本以上のバラが見ごろを迎え、とくに数多くの株が咲き乱れる11月は人気のバラシーズンとなります。
メルボルン市内アートセンター前からは、新たにシャトルバス(往復AU$25、要予約、最低催行人員制限あり)も運行されています。
※ビクトリアン・ステート・ローズ・ガーデン
http://www.parkweb.vic.gov.au/werribee/w9.cfm (英語)
ここは10ヘクタールもの敷地に広がる州立のバラ園。10〜4月には園内に植えられている4,500本以上のバラが見ごろを迎え、とくに数多くの株が咲き乱れる11月は人気のバラシーズンとなります。
メルボルン市内アートセンター前からは、新たにシャトルバス(往復AU$25、要予約、最低催行人員制限あり)も運行されています。
※ビクトリアン・ステート・ローズ・ガーデン
http://www.parkweb.vic.gov.au/werribee/w9.cfm (英語)
- ラオス ビエンチャン / 「ニルバーナ・スパ」ご紹介
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エリア:
- アジア>ラオス>ヴィエンチャン
- テーマ:スパ・エステ
- 投稿日:2008/10/08 12:26
ラオプラザホテルのすぐ横に、新しいスパ&マッサージ店「ニルバーナ・スパ」がオープンいたしました。
店内は清潔で、外観は細長い建物ですが、間取りは広く、ゆったりとお寛ぎいただけます。定員はボディーマッサージで8名ほど。
立地もよく、店員もよく教育されておりますので快適です。是非ご利用下さい。
■ ニルバーナ・スパ (Nirvana SPA)
住所: Ban Sisaket, Vientiane Capital
店内は清潔で、外観は細長い建物ですが、間取りは広く、ゆったりとお寛ぎいただけます。定員はボディーマッサージで8名ほど。
立地もよく、店員もよく教育されておりますので快適です。是非ご利用下さい。
■ ニルバーナ・スパ (Nirvana SPA)
住所: Ban Sisaket, Vientiane Capital
- イタリア / 10月以降の秋のイベントご紹介−ヴェネツィア、ジェノヴァ編
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>ポジターノ
- ヨーロッパ>イタリア>ジェノヴァ
- テーマ:お祭り・イベント 鑑賞・観戦
- 投稿日:2008/10/08 12:19
10月に入り、イタリアもすっかり秋らしくなって参りました。
秋に入りイタリアでは、アートイベントや食のフェスティバル等、数多くのイベントが開催されます。
今回は水の都 ヴェネツィア、及び港町 ジェノヴァにて行われる代表的なイベントをお知らせいたします。
これらのイベントにあわせ、是非イタリアにお越しください。
【ヴェネツィア】
■国際現代音楽祭 (52 FESTIVAL INTERNAZIONALE DI MUSICA CONTEMPORANEA)
開催期間: 2008年10月02〜18日
開催場所: ヴェネツィア(Venezia)
詳細: http://www.labiennale.org/ (イタリア語、英語)
〔概要〕
ヴェネツィア・ビエンナーレ財団主催の「第52回国際現代音楽祭」は、今回もイベントが盛り沢山。多くのコンサートはラ・フェニーチェ歌劇場内で今年も開催されます。
テーマは「未来の根源」で、若い歌手とともに多くの1900年代に活躍したベテランシンガーもステージに立ちます。プログラムを飾るのは、34のコンサート、77人の作曲家、3つのオーケストラ、8人のソリスト、ミーティング、セミナー、シンポジウム等です。
■イタリア・アートの伝統と革命展 (ITALICS. ARTE ITALIANA FRA TRADIZIONE E RIVOLUZIONE)
開催期間: 2008年9月27日〜2009年3月22日
開催場所: ヴェネツィア パラッツォ・グラッシ(Palazzo Grassi, Venezia)
詳細: http://www.palazzograssi.it/ (イタリア語、英語、フランス語)
〔概要〕
1968年から今日までの重要なイタリアのアーティスト達の作品展が、大運河沿いの美術館「パラッツォ・グラッシ」にて開催中です。
107人のアーティストによる200作以上の作品が、年代順ではなくテーマに沿って展示されています。タイトルにもあるように、芸術の伝統を超え、斬新なアイデアを吹き込む作品が集まっており、現代アートにまだなじみのない人々の心もとらえる内容となっています。
■ヴェニス・マラソン (VENICE MARATHON)
開催期間: 2008年10月26日
開催場所: ヴェネツィア(Venezia)
詳細: http://www.venicemarathon.com/ (イタリア語、英語他)
〔概要〕
水の都ヴェネツィアでのゴールを目指す恒例のマラソン。
近郊のストラ(Stra)をスタートし、コースはブレンタ河沿いの貴族のヴェネツィア風ヴィッラの数々を眺めながら、メストレから干潟にかかるリベルタ橋を渡ってヴェネツィア本島 サン・マルコ広場へ。
そしてゴールの「セッテ・マルティリ岸」へとヴェネツィアの絶景をみながらのマラソンに、毎回多くのランナーが世界中から参加します。
同時開催イベントも多く開催されます。
【ジェノヴァ】
■国際ボート・ショー: サローネ・ナウティコ (SALONE NAUTICO INTERNAZIONALE)
開催期間: 2008年10月04〜12日
開催場所: ジェノヴァ(Genova)
詳細: http://www.genoaboatshow.com/ (イタリア語、英語)
〔概要〕
第48回目を迎える国際ボートショー(サローネ・ナウティコ)は、ジェノヴァ・海の見本市会場(Genova Fiera del Mare)で開催され、造船業者や船の愛好家まで多くの訪問者で賑わいます。
出展者数は1,500、展示される船やボートは2,500隻、100以上の最新モデルも披露され、建築家ジャン・ヌーベルが手掛けたスペクタクルな展示スペースや、ヨット専用の新ドックなども見どころとなります。
港町ジェノヴァならではの海のイベントです。
■科学フェスティバル (FESTIVAL DELLA SCIENZA)
開催期間: 2008年10月23日〜11月04日
開催場所: ジェノヴァ(Genova)
詳細: http://www.festivalscienza.it/ (イタリア語、英語)
〔概要〕
科学フェスティバルは、科学に親しみをもってもらうための祭典。実際に、多くの一般の方々が参加しやすい話題を用意し、さまざまなイベントが企画されています。
科学芸術展、ラボラトリー、フォーラム、科学ショーなどを通して、一般の方々が科学や最新技術を楽しく学べる工夫が凝らされています。
ヴェニス・マラソンは、この絶景を横に見ながらゴール
(c)APT Venezia
科学フェスティバルの会場のひとつ「赤の宮殿」
(c)Genova 2004
秋に入りイタリアでは、アートイベントや食のフェスティバル等、数多くのイベントが開催されます。
今回は水の都 ヴェネツィア、及び港町 ジェノヴァにて行われる代表的なイベントをお知らせいたします。
これらのイベントにあわせ、是非イタリアにお越しください。
【ヴェネツィア】
■国際現代音楽祭 (52 FESTIVAL INTERNAZIONALE DI MUSICA CONTEMPORANEA)
開催期間: 2008年10月02〜18日
開催場所: ヴェネツィア(Venezia)
詳細: http://www.labiennale.org/ (イタリア語、英語)
〔概要〕
ヴェネツィア・ビエンナーレ財団主催の「第52回国際現代音楽祭」は、今回もイベントが盛り沢山。多くのコンサートはラ・フェニーチェ歌劇場内で今年も開催されます。
テーマは「未来の根源」で、若い歌手とともに多くの1900年代に活躍したベテランシンガーもステージに立ちます。プログラムを飾るのは、34のコンサート、77人の作曲家、3つのオーケストラ、8人のソリスト、ミーティング、セミナー、シンポジウム等です。
■イタリア・アートの伝統と革命展 (ITALICS. ARTE ITALIANA FRA TRADIZIONE E RIVOLUZIONE)
開催期間: 2008年9月27日〜2009年3月22日
開催場所: ヴェネツィア パラッツォ・グラッシ(Palazzo Grassi, Venezia)
詳細: http://www.palazzograssi.it/ (イタリア語、英語、フランス語)
〔概要〕
1968年から今日までの重要なイタリアのアーティスト達の作品展が、大運河沿いの美術館「パラッツォ・グラッシ」にて開催中です。
107人のアーティストによる200作以上の作品が、年代順ではなくテーマに沿って展示されています。タイトルにもあるように、芸術の伝統を超え、斬新なアイデアを吹き込む作品が集まっており、現代アートにまだなじみのない人々の心もとらえる内容となっています。
■ヴェニス・マラソン (VENICE MARATHON)
開催期間: 2008年10月26日
開催場所: ヴェネツィア(Venezia)
詳細: http://www.venicemarathon.com/ (イタリア語、英語他)
〔概要〕
水の都ヴェネツィアでのゴールを目指す恒例のマラソン。
近郊のストラ(Stra)をスタートし、コースはブレンタ河沿いの貴族のヴェネツィア風ヴィッラの数々を眺めながら、メストレから干潟にかかるリベルタ橋を渡ってヴェネツィア本島 サン・マルコ広場へ。
そしてゴールの「セッテ・マルティリ岸」へとヴェネツィアの絶景をみながらのマラソンに、毎回多くのランナーが世界中から参加します。
同時開催イベントも多く開催されます。
【ジェノヴァ】
■国際ボート・ショー: サローネ・ナウティコ (SALONE NAUTICO INTERNAZIONALE)
開催期間: 2008年10月04〜12日
開催場所: ジェノヴァ(Genova)
詳細: http://www.genoaboatshow.com/ (イタリア語、英語)
〔概要〕
第48回目を迎える国際ボートショー(サローネ・ナウティコ)は、ジェノヴァ・海の見本市会場(Genova Fiera del Mare)で開催され、造船業者や船の愛好家まで多くの訪問者で賑わいます。
出展者数は1,500、展示される船やボートは2,500隻、100以上の最新モデルも披露され、建築家ジャン・ヌーベルが手掛けたスペクタクルな展示スペースや、ヨット専用の新ドックなども見どころとなります。
港町ジェノヴァならではの海のイベントです。
■科学フェスティバル (FESTIVAL DELLA SCIENZA)
開催期間: 2008年10月23日〜11月04日
開催場所: ジェノヴァ(Genova)
詳細: http://www.festivalscienza.it/ (イタリア語、英語)
〔概要〕
科学フェスティバルは、科学に親しみをもってもらうための祭典。実際に、多くの一般の方々が参加しやすい話題を用意し、さまざまなイベントが企画されています。
科学芸術展、ラボラトリー、フォーラム、科学ショーなどを通して、一般の方々が科学や最新技術を楽しく学べる工夫が凝らされています。
ヴェニス・マラソンは、この絶景を横に見ながらゴール
(c)APT Venezia
科学フェスティバルの会場のひとつ「赤の宮殿」
(c)Genova 2004
- オーストラリア ゴールドコースト郊外 / 国内最初の国立公園内のB&Bコテージ「ウィッチズフォール・コテージズ」
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エリア:
- オセアニア>オーストラリア>ゴールドコースト
- テーマ:ホテル・宿泊 グルメ
- 投稿日:2008/10/07 13:12
タンボリン国立公園の北側にあるB&Bステイ「ウィッチズ・フォール・コテージ」は、ヨーロッパの田舎町を思わせる三角の切り妻屋根の可愛らしさと石造りの重厚感が森に映える建物です。ポーチにぶら下がるアジア風のランタンや、東洋と西洋がミックスされた内装が、絶妙な心地よさを生み出しています。
食事サービスは朝食のみですが、スタンダードなものからシャンパン付の贅沢なもの等、3タイプが用意されています。又、予約をすればバーベキューの材料を準備してくれるので、宿泊しているコテージの中庭にてプライベートにバーベキューディナーを楽しむ事も可能です。
オーストラリアでは初、世界でも3番目に古い「ウィッチズフォールズ旧国立公園」が名前の由来となっており、現在この付近はタンボリン国立公園内の一部となっています。
タンボリンエリアのドライブの道すがら、一泊してみたいコテージです。
■ ウィッチズフォール・コテージズ (Witches Fall Cottages)
住所: corner of Hartley and Main Western Road, North Tamborine, Queensland 4272
食事サービスは朝食のみですが、スタンダードなものからシャンパン付の贅沢なもの等、3タイプが用意されています。又、予約をすればバーベキューの材料を準備してくれるので、宿泊しているコテージの中庭にてプライベートにバーベキューディナーを楽しむ事も可能です。
オーストラリアでは初、世界でも3番目に古い「ウィッチズフォールズ旧国立公園」が名前の由来となっており、現在この付近はタンボリン国立公園内の一部となっています。
タンボリンエリアのドライブの道すがら、一泊してみたいコテージです。
■ ウィッチズフォール・コテージズ (Witches Fall Cottages)
住所: corner of Hartley and Main Western Road, North Tamborine, Queensland 4272
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