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- クロアチアきっての高級リゾート:オパティア
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エリア:
- ヨーロッパ>クロアチア>オパティア
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 ホテル・宿泊
- 投稿日:2012/02/13 21:57
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写真はこちら:http://ameblo.jp/paris-marseille/entry-10963776405.html
クロアチアきっての高級リゾート地オパティアは、「クロアチアの貴婦人」とも呼ばれ、ヨーロッパを中心に世界各地の人々を惹きつけて止みません。
オパティアとはクロアチア語で「僧院」という意味らしく、この地の始まりは、15世紀に建てられたベネディクト会の修道院のまわりに集まってできた海辺の集落だったとのこと。
オパティアに流れるゆったりとした時間に身を任せ、ビーチ沿いに繰り広げられる華やかな夜の歓楽を満喫すれば、ここがひと昔前まで僧院を中心として発達した集落だったことが嘘のようです。
こんなにも俗世間に染まってしまって・・・と、人間の煩悩のなせる業を嘆く一方で、よくぞここまで潔く変貌を遂げたなと、これまた人間の意思の力に脱帽してしまう次第です。
現在では、19世紀に建てられた瀟洒なヴィラが海岸沿いに立ち並び、その多くはホテルとして使われています。
昔は、ウィーンからも近いことから、ハプスブルグの貴族達がこの温暖な海岸に別荘を建ててヴァカンスを楽しんだといいます。
19世紀から20世紀初頭にかけて、オーストリア皇帝のプランツ・ヨーゼフ、ドイツのヴィルヘルム2世、イタリアの作曲家のプッチーニ、オーストリア作曲家のマーラー、ロシアの作家チェーホフなど数多くの貴族や各界の著名人が訪れています。
ここで有名なホテルといえば、「ホテル・インペリアル」「「ヴィラ・マリア」「ヴィラ・アンジョリーナ」というところでしょうか。
私達が宿泊したのは「ホテル・ベルヴィユ」です。角部屋をもらえたのはよかったのですが、バルコニーへのドアを開けることはできたものの、もうひとつの窓を開けた状態にしておく方法は見つかりませんでした。窓を上に押し上げて解放した状態におくことができなかったのです。
苦肉の策として、部屋にあった椅子を窓に挟み、解放状態を確保することができました・・・・(汗)。翌朝、部屋に入ってきたメイドさんは窓に挟まれた椅子を見て、人が窓から飛び降り自殺をしたのではないかと焦ったはずです。
夜はカメラを持ち歩かなかったので、残念ながら写真を撮ることができませんでした・・ごめんなさい。言葉でお伝えするとすれば、以下になります。
南国の太陽に光り輝く昼間の姿とは全く異なり、間接照明の幻想的な光のなかで、浮き立つように輝く夜のオパティアの夜は格別だったということです。
さすがは、「クロアチアの貴婦人」と呼ばれるだけあり、単なる一律的な美しさを誇るだけではありません。
私の「貴婦人」の理解は若干斜に構えたものかもしれませんが、貴婦人とは、表面的な美しさに限らず、内面から溢れ出る知性と自由で開けた精神により、多彩かつ精緻な魅力を放つ高貴な女性のことをいうのだと思います。
しかるに、先ほど述べたように、朝と夜で異なる顔を持ち、多彩な輝きを発することで世界中の人々を魅了するオパティアは、貴婦人の美しさを湛える街だと思われるのです。
話は変わりますが、クロアチアはヌゥーディスト・ビーチのメッカとして知られています。オパティアが位置するイストラ半島にも名の知られたヌゥーディスト・ビーチが幾つか点在しており、オパティアからも船で行くことができます。もっとも今では、ヌゥーディストではなくて、ナチュラリスト・ビーチと呼ぶようですが。
実際に、イストラ半島には、ナチュラリストが3000人から5000人ほど滞在できるキャンプ場やヴァンガローなどの施設が十ヶ所、数百人用が3ヶ所、クルヴァネル湾には、ツレス島、クルク島、バグ島など八ヶ所にキャンプ場やビーチがあります。
日本人にはあまりなじみのないナチュラリスト・ビーチですが、一度だまされたと思って行ってみると面白いかもしれません。
生まれたままの肢体を惜しげもなく曝け出し、ノビノビと太陽と海の自然を満喫している人達の全てが「モデル・ボディ」の持ち主であるわけではありません。色といい、形といい、サイズといい各種様々ですが、全てに共通することは、生まれたままの姿でノビノビとヴァカンスを楽しんでいるということです。
我々の遠い祖先はみんな、裸同然でジャングルの中を駆け回っていたことを思い出してください。また、身近な例でも、小さな子供は裸で駆け回るのが大好きです。私の4歳になる甥っ子も、お風呂に入った後は、裸で飛び出して家の中を嬉々として駆け回り、一度得た最高に気持ちがよい「真っ裸」の状態を容易にあきらめようとはしません。
真っ裸でビーチを歩いてみたら、我々の祖先が感じたインスピレーションが蘇り、素晴らしい発想ができるかもしれません!
オパティアを立つ日は、陸路でトリエステまで行き、正午発のローマ便をキャッチする必要があったので、出発は早朝となりました。オパティアからトリエステまでは車で約3時間ほどかかり、クロアチアからスロベニア、スロベニアからイタリアと国境を2回通過しなりません。
朝早くでホテルのブレックファストが開いてなかったので、近くの開いているカフェに行き、コーヒーを注文しました。もちろん、コーヒーはなくて、エスプレッソしかなかったので、それをダブルでお願いしました。
朝早くでどこも開いておらず、掃除をしているおばさんに尋ねて漸く開いている店を見つけることができました。そこぐらいしか開いているカフェがないのか、朝6時ごろだったにも関わらず、お客さんが何人かいてエスプレッソをすすっていました。
ヴァカンスにきて早起きするとは・・・と一瞬驚きましたが、年配の風貌からみて、普段からゆっくりしたリズムで暮らしている人達のようで、6時にカフェでコーヒーをすすることも日課なのかもしれません。
トリエステの空港ではクロアチアワインの各種が展示されていました。モダンな展示の仕方に感銘を受け、シャッターをパチリ、パチリ。
この展示を見て、クロアチアのワインに賭ける熱い思いを理解することができました。実際に、クロアチアのワインは値段が安い割りには質が良いと評判で、ファンが軒並み増えているという話も聞きます。アドリア海に浮かぶ観光立国でありながら、それに甘んじることなく、産業の多角化を狙うクロアチアのアンビションを垣間見ることができたような気がします。
先の旧ユーゴ戦争終結から20年・・・戦争の傷跡が癒えることはありませんが、この国が新たな飛躍に向けて挑戦しているのが感じられました。
クロアチアの発展と輝かしい未来に乾杯!
クロアチアきっての高級リゾート地オパティアは、「クロアチアの貴婦人」とも呼ばれ、ヨーロッパを中心に世界各地の人々を惹きつけて止みません。
オパティアとはクロアチア語で「僧院」という意味らしく、この地の始まりは、15世紀に建てられたベネディクト会の修道院のまわりに集まってできた海辺の集落だったとのこと。
オパティアに流れるゆったりとした時間に身を任せ、ビーチ沿いに繰り広げられる華やかな夜の歓楽を満喫すれば、ここがひと昔前まで僧院を中心として発達した集落だったことが嘘のようです。
こんなにも俗世間に染まってしまって・・・と、人間の煩悩のなせる業を嘆く一方で、よくぞここまで潔く変貌を遂げたなと、これまた人間の意思の力に脱帽してしまう次第です。
現在では、19世紀に建てられた瀟洒なヴィラが海岸沿いに立ち並び、その多くはホテルとして使われています。
昔は、ウィーンからも近いことから、ハプスブルグの貴族達がこの温暖な海岸に別荘を建ててヴァカンスを楽しんだといいます。
19世紀から20世紀初頭にかけて、オーストリア皇帝のプランツ・ヨーゼフ、ドイツのヴィルヘルム2世、イタリアの作曲家のプッチーニ、オーストリア作曲家のマーラー、ロシアの作家チェーホフなど数多くの貴族や各界の著名人が訪れています。
ここで有名なホテルといえば、「ホテル・インペリアル」「「ヴィラ・マリア」「ヴィラ・アンジョリーナ」というところでしょうか。
私達が宿泊したのは「ホテル・ベルヴィユ」です。角部屋をもらえたのはよかったのですが、バルコニーへのドアを開けることはできたものの、もうひとつの窓を開けた状態にしておく方法は見つかりませんでした。窓を上に押し上げて解放した状態におくことができなかったのです。
苦肉の策として、部屋にあった椅子を窓に挟み、解放状態を確保することができました・・・・(汗)。翌朝、部屋に入ってきたメイドさんは窓に挟まれた椅子を見て、人が窓から飛び降り自殺をしたのではないかと焦ったはずです。
夜はカメラを持ち歩かなかったので、残念ながら写真を撮ることができませんでした・・ごめんなさい。言葉でお伝えするとすれば、以下になります。
南国の太陽に光り輝く昼間の姿とは全く異なり、間接照明の幻想的な光のなかで、浮き立つように輝く夜のオパティアの夜は格別だったということです。
さすがは、「クロアチアの貴婦人」と呼ばれるだけあり、単なる一律的な美しさを誇るだけではありません。
私の「貴婦人」の理解は若干斜に構えたものかもしれませんが、貴婦人とは、表面的な美しさに限らず、内面から溢れ出る知性と自由で開けた精神により、多彩かつ精緻な魅力を放つ高貴な女性のことをいうのだと思います。
しかるに、先ほど述べたように、朝と夜で異なる顔を持ち、多彩な輝きを発することで世界中の人々を魅了するオパティアは、貴婦人の美しさを湛える街だと思われるのです。
話は変わりますが、クロアチアはヌゥーディスト・ビーチのメッカとして知られています。オパティアが位置するイストラ半島にも名の知られたヌゥーディスト・ビーチが幾つか点在しており、オパティアからも船で行くことができます。もっとも今では、ヌゥーディストではなくて、ナチュラリスト・ビーチと呼ぶようですが。
実際に、イストラ半島には、ナチュラリストが3000人から5000人ほど滞在できるキャンプ場やヴァンガローなどの施設が十ヶ所、数百人用が3ヶ所、クルヴァネル湾には、ツレス島、クルク島、バグ島など八ヶ所にキャンプ場やビーチがあります。
日本人にはあまりなじみのないナチュラリスト・ビーチですが、一度だまされたと思って行ってみると面白いかもしれません。
生まれたままの肢体を惜しげもなく曝け出し、ノビノビと太陽と海の自然を満喫している人達の全てが「モデル・ボディ」の持ち主であるわけではありません。色といい、形といい、サイズといい各種様々ですが、全てに共通することは、生まれたままの姿でノビノビとヴァカンスを楽しんでいるということです。
我々の遠い祖先はみんな、裸同然でジャングルの中を駆け回っていたことを思い出してください。また、身近な例でも、小さな子供は裸で駆け回るのが大好きです。私の4歳になる甥っ子も、お風呂に入った後は、裸で飛び出して家の中を嬉々として駆け回り、一度得た最高に気持ちがよい「真っ裸」の状態を容易にあきらめようとはしません。
真っ裸でビーチを歩いてみたら、我々の祖先が感じたインスピレーションが蘇り、素晴らしい発想ができるかもしれません!
オパティアを立つ日は、陸路でトリエステまで行き、正午発のローマ便をキャッチする必要があったので、出発は早朝となりました。オパティアからトリエステまでは車で約3時間ほどかかり、クロアチアからスロベニア、スロベニアからイタリアと国境を2回通過しなりません。
朝早くでホテルのブレックファストが開いてなかったので、近くの開いているカフェに行き、コーヒーを注文しました。もちろん、コーヒーはなくて、エスプレッソしかなかったので、それをダブルでお願いしました。
朝早くでどこも開いておらず、掃除をしているおばさんに尋ねて漸く開いている店を見つけることができました。そこぐらいしか開いているカフェがないのか、朝6時ごろだったにも関わらず、お客さんが何人かいてエスプレッソをすすっていました。
ヴァカンスにきて早起きするとは・・・と一瞬驚きましたが、年配の風貌からみて、普段からゆっくりしたリズムで暮らしている人達のようで、6時にカフェでコーヒーをすすることも日課なのかもしれません。
トリエステの空港ではクロアチアワインの各種が展示されていました。モダンな展示の仕方に感銘を受け、シャッターをパチリ、パチリ。
この展示を見て、クロアチアのワインに賭ける熱い思いを理解することができました。実際に、クロアチアのワインは値段が安い割りには質が良いと評判で、ファンが軒並み増えているという話も聞きます。アドリア海に浮かぶ観光立国でありながら、それに甘んじることなく、産業の多角化を狙うクロアチアのアンビションを垣間見ることができたような気がします。
先の旧ユーゴ戦争終結から20年・・・戦争の傷跡が癒えることはありませんが、この国が新たな飛躍に向けて挑戦しているのが感じられました。
クロアチアの発展と輝かしい未来に乾杯!
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