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2016年11月13日のテロ事件はフランスの歴史に刻まれる惨事となった。
日本時間の早朝にパリにいる夫から電話で、無差別テロについて連絡を受け、ニュースフィードを見てあまりの恐ろしさにショックを受けた。夫が無事で、パリの我が家も被害を受けていないことを確認し、一息ついたのも束の間、フィードを見ながら、怒りが込み上げてきた。
「What did we do to deserve all the attacks?」
私を含む多くのパリ市民が抱いている想いだ。
1月のシャルリー・エブド事件では、正しいか間違っているかは別にして、ターゲットは明確だった。アンチ・イスラムのデシネが(あまりにも鋭く的を突いているので・・・)頭に来たけど、ペンの力では太刀打ちできないので暴力で封じ込めようとした。I got it.
しかしながら、今回は異なる。無辜の市民を狙った無差別テロ。たまたま「そこにいた」だけの理由で、命を落とすなどということは断じて許されない。少なくとも、文明社会ではあるまじきことだ。
パリ郊外のスタジアムで対ドイツのサッカー試合を見物していたオーランド大統領は、テロ発生の情報を受け、すぐさま会場を後にし、23時頃にはエリゼ宮よりen directで大統領声明を発表した。
「フランスは今、戦争状態に突入した」
日本政府は、このような非常事態、例えば、北朝鮮の支離滅裂政権から無差別テロを仕掛けられたら、このような毅然とした態度で対抗できるだろうか。
今や、イスラム国の謀略であることが分かり、国家として承認されていないまでも、戦う対象が明らかになった。もちろん、このイスラム国を倒せば全てことが片付くかというと、国際政治はそんなに単純なものではないのは十分に承知だ。イスラム国を潰してパリに平和が訪れるのなら、人類の歴史がここまで血に塗られたものになることはなかっただろう。
しかしそれでも、show of forceは、複雑な国際政治において数ある外交手段の1つとして正式の使用が認められている。自然の法則ほど普遍性がないものの、明らかに効力を発揮しているケースも多々ある。もっとも、後付の検証であることも確かだが・・・。
国連憲章に則った手続きを経た上での行使が必要となるとか、ルールを守る日本人はまず手続きの正当性について指摘するのだろうが、今回のテロを見て、必要とあらばイスラム国に対する武力行使を反対する国はないだろう。米国をはじめ多数の国が、フランスと共にテロとの戦いに応じる構えを見せている。
日本の参加うんぬをここで論じたくないが、国際社会では、軍事力が事の結果を左右すること、またそれが現実だということを日本人はもっと理解するべきだ。
乱暴な言い方になるが、簡単に言うと、「やられたら、やり返す」もしくは、「やられないように、準備しておく」ことが重要だということだ。
そんなことをしたら世の中は戦争だらけになってしまうという人がいる。心配するまでもなく、既に戦争だらけだ。先程も述べたが、世界史の紐を解けば、人類はこの4000年という長い歴史を通じて微塵も成長することなく、争いを繰り返してきた。今でも、冷戦が終わってようやく核戦争による人類滅亡の危機を脱したかとホッとする間も無く、民族紛争だの、宗教戦争などが各地で火を噴いている。
このような現状を前にして、日本が武力を放棄することで、この人類の普遍的な現象が変わるとでも本気で思っているのだろうか?
もう1つ質問させてもらえば、武力フリーの世界平和を達成するために、日本はどのように国際社会に働きかけてきたのか?結果を出した例があれば、是非とも見せてもらいたいものだ。極東の一角でひとりで静かに武力を放棄しても、何の意味もないのではないか。結局は米国の軍事力があってできる贅沢でしかない。もし米国にそっぽを向かれたら(幸運にも、現時点では米国のアジアにおける権益が絡むので絶対にないが・・・)、どのようにしてならず者が気炎を上げる東アジアで祖国の安全を保障するのか?
「またあのならず者がバカやっているのよ。相手にするのはやめよう」と相手にせず、正義は必ず理解されるという根拠のないナイーブな思い込みで孤高の貴人を決め込めば、瞬時にして亡国の憂き目を見ることになる。
日本人は以下のことを覚えておくべきだ。
国際社会に正義はない。
国際社会の正義は、「強者」の詭弁の他のなんでもない。
まさしく、暴れっこ、世に蔓延るのだ。黙っていたら、何も解決しないばかりか、むしろますますやられるだけ。「無政府状態」にある国際社会において、国際法なんて武力の前には何の拘束力もないのだから。自分の身は自分で身を守らなければ。
とまあ、このような状況を熟知している先進国の猛者であるフランスは、テロとの戦いを宣言した。成熟した国家として当たり前の行動である。
しかし、一点だけ気になることがある。
第二次大戦以来の大参事となるテロをどうして事前に予測できなかったのか・・・。サルコジの息子のルイは「オーランドの腑抜け政府の下でパリ市民が犠牲になった」とツイートし、「国家の非常事態に政局を気にする発言は不謹慎」とのお叱りを受けて、すぐさま削除したようだが、実際に、ここまでのwell-coordinatedかつ大規模なテロの謀略を見抜けなかったなんて、フランスのインテリジェンスはどんだけ腰抜け?!と叫びたい。
世界に誇るエリート校で鍛えられたエリートが国家の舵取りをしている(はず)なので、もっと気合いを入れて取り組んでほしいと思う。
かなり気炎を巻いた口調になったが、私は、私たち家族にとって祖国となるフランスが、故郷であるパリが攻撃され、信じられない数の無辜の命が一瞬にして無駄にされたことが許せない。
パリが攻撃されることで、私たちの心が攻撃されたような衝撃を感じる。大切な人達が、大切な想い出が一瞬にして粉砕されるなんて、誰にそんな権利があるのか。
フランスのシリアへの介入が気に入らないというのが理由だとも聞いた。一市民としてはっきり言いたい。
「じゃあ、お家騒動を国境の外に持ち出さないでほしい。誰が嬉しくてシリアに介入していると思うのか?難民などを通じて内戦が国境の外に波及してきているから仕方なしに関与しているだけ。そうでなければ、ほっときますよ。」
このようなことを言うと、彼らはかならず、数世紀前の植民地支配の負の遺産だの、揚句の果てには10世紀も15世紀も遡った恨み辛みを連呼する。
バカバカしい限りだが、これが国際社会の現実なのだ。しかしこれを放置しておくことは得策ではない。日中関係で憂き目を見ている日本は、まさにこの教訓から学びたい。
つまり、「あり得ない!」と思われることが、何度も厚顔無恥で繰り返されるうちに、いつの間にか「史実」になってしまう。そう、声を大きくした人が勝つのが国際社会の現実。正しいとか間違っているとかじゃなくて、間違っていることも正しくなるのだ。
大抵の場合に、武力を介して。
別にイスラム国に仕返しをしたいわけじゃない。もちろん、仕返しをすることに躊躇などしないが、それ以上に、「ここは見せ場」だから、かならず見せる、つまりshow of forceをしなければならないから。
国際社会が一丸となって、イスラム国の暴挙を絶対に許さないという断固たる意志を行動に移すことで、それが国際社会の現実となり、ひいては、国際法となり、そして、普遍の原理として国際社会の文化として根付いてくるよう働きかけなければならない。
イスラム国にすれば別のロジックがあるだろう。でもWho cares? 私と私の家族、愛する人々を含むパリ市民が安心して暮らしていくことができるパリにするためにも、私たちのロジックと価値観を何がなんでも通さねばならない。絶対に負けられないのだ。
そう、まさしく、戦争なのだ。
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