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フランス紀行

~フランスの社会・生活・文化に関する情報や日本社会との比較分析、世界各地を旅して発見した面白い情報をお届けします。~

プロフィール

ニックネーム:
Neomars
居住地:
ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
性別:
女性
会社名:
Tabet International en France
会社英字名:
Tabet International en France
会社所在地:
ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
業種:
現地ツアー企画・現地ガイドなど
自己紹介:
単なるスポット紹介やグルメを堪能することだけに飽き足らない旅慣れた日本人が欲している情報とは何か・・・。それは、「現地とコネクトすること」ことができる情報提供ではないかと思っています。表層に現れる現象の根拠を歴史的、文化的、社会的価値観の観点から探り、ついでに辛口ジョークや捻りの利いたブラックジョークも交えながら、「なるほど・・」と納得しながらクックックゥと笑って楽しんで頂ける情報提供をお約束します!

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クロアチア:ポレッチ探訪
エリア:
  • ヨーロッパ>クロアチア>ポレッチ
テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/02/14 21:42
コメント(0)
写真はこちらで:
http://ameblo.jp/paris-marseille/entry-10962617650.html

ポレチュはイストリア半島の一大リゾート地として有名ですが、ここのメインスポットは、世界遺産にも登録されているエウフラシス・バシリカです。

エウフラシス・バシリカは、ローマ時代から繁栄を続けるメインストリートから少しだけ離れた旧市街地の一角に佇んでいます。

先ほどローマ時代からと書きましたが、この街は、ローマ時代からの長い歴史を誇る街なのです。

ローマ人は紀元前2世紀に、イタリアのアクレイアとイストラ半島にあるプーラを結ぶ港町としてポレチュに注目したことから、古代ローマの都市計画に基づいて建設されました。

ポレチュには、キリスト教がまだ禁止されていた3世紀からすでにキリスト教のコミュニティがありました。

543年かれあ554年までポレチュの司教を務めたエウフラシスは、5世紀に建てられた教会を壊して、跡地にバシリカ式の聖堂を建設しました。内部を壮麗なモザイクで飾り、神に捧げたといいます。

入口から直ぐ入ったところに、四角い回廊で囲まれたパティオが残っています。回廊つきの中庭はヨーロッパでは修道院でよく見かけるものですが、教会正面の入口にあるのはとても珍しいといいます。

これは、「アトリウム」と呼ばれる回廊で、古代末期から初期中世のバシリカには必ずあったものだそうです。しかし、アトリウム、信者が増えて教会が手狭になるとを取り壊され、その敷地に本堂を建てることも多々あり、現在では、ここエラフラシス・バシリカ以外ではヨーロッパでも数えるほどしか残っていないようです。

さらに珍しいのは、このアトリウムを挟むように洗礼堂が残っていることで、8角形の窪みが建物の真ん中の床にあります。かつては、ここに水が張られて全身を水に浸す洗礼が行われたということです。洗礼盤ではなくバスタブのような洗礼場が床の窪みに設けられている教会は現在ではなかなか見ることができません。

エラフラシス・バシリカは、教会+アトリウム+洗礼堂という同時代の3つの神器が当時のままで残され、1500年前の初期キリスト教時代の面影を留める貴重な建造物だということです。

アトリウムの中から聖堂に入ると、内部は大理石の柱で区切られた箱型の三廊式で、典型的な初期キリスト教会のバシリカの造りになっています。

この教会のハイライトは、6世紀ビザンチン時代に製作されたモザイクです。天上ドームの中央には幼子キリストを抱いた聖母マリアが玉座に座り、その両脇に大天使、さらに脇には聖人が並んでいます。中央の聖母子から数えて左3人目、黒い衣の人物がこの教会を立てた司教エウフラシスで、手に教会の模型を抱えています。その左にはクラウディウスという名の司祭が立っています。周囲には輪のような冠を手にした聖職者が立っていますが、冠を手にしているのは殉教者であることが多いといいます。

ドーム下の壁には、左に大天使ガブリエルがマリアに受胎告知する場面、右にマリアの叔母のエリザベートに会いに行く場面が表現されています。

聖母マリア信仰は中世には一般的になりましたが、公に認められたのは431年のエフェソス宗教会議にてのことです。ゆえに、このモザイク画は、聖母マリアを後陣のメインにするモザイク画としてヨーロッパで現存するなかで最古のものである可能性が高いといわれています。

これ以降、ビザンチン世界で製作されるモザイクでは、マリアを中心に置く祭壇が広まっていきます。

このモザイクの前に立つと、聖母や聖人達が金箔の光の中に神々しく煌いて浮き上がり、神の世界から舞い降りてきたような印象を与えます。

ヴェネチアのサン・マルコ寺院やラヴェンナのサン・ヴィッターレ教会にも美しいモザイクがあります。ヴェネチアのものは、11世紀に製作されたものも一部ありますが、殆どが13-5世紀に製作されたもので、17世紀のものもあるとのことです。

ポレチュのものは、それより500年から1000年以上も前に作られたものばかりで、6世紀に製作されたラヴェンナのものと同時代になります。ラヴェンナはアドリア海を挟んでポレチュの対岸に位置する街であり、当時は陸路以上に海上交通が主要交通手段であったことから、文化面における交流も盛んであったのでしょう。

モザイクは、ローマ人が泉や浴場の床など水を使う場所にはモザイクで飾ったのに対して、ビザンチン時代には神聖な教会の壁や天井を飾るために用いられるようになったといいます。毎日足で踏みつけられる床とは違い、壁や天井のモザイクは崩れやすくとも美しい素材を使うことができました。

そこで多く使われるようになったのがガラスです。色ガラスの使用により、更に色彩豊かな世界が生み出されていきました。画期的だったのは、1-2センチ四方に切った透明なガラスとガラスの間に金箔をサンドイッチのように挟んだ金入りの徹せらを人物の背景に使うようになったことです。

この手法により、キリストや聖人は背景の金の輝きの前で神々しく浮き上がり、神の世界は壮厳なまでの輝きを増しました。教会から差し込む僅かな光がガラスにあたり、反射して微妙な色彩の演出をします。聖なる世界がそこに表現されるのです。

8世紀から9世紀前半まで続いた聖像破壊の動きにより、ビザンチンの本家本元であるコンスタンチノープルにはビザンチン・モザイクはほとんど残っていません。しかし、そこから遠く離れたラヴェンナやポレチュでで、その華麗なる美の遺産が生き残ってたのです。

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ヨーロッパの魅力を全て隈なくお伝えします。
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クロアチアきっての高級リゾート:オパティア
エリア:
  • ヨーロッパ>クロアチア>オパティア
テーマ:観光地 街中・建物・景色 ホテル・宿泊 
投稿日:2012/02/13 21:57
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写真はこちら:http://ameblo.jp/paris-marseille/entry-10963776405.html

クロアチアきっての高級リゾート地オパティアは、「クロアチアの貴婦人」とも呼ばれ、ヨーロッパを中心に世界各地の人々を惹きつけて止みません。

オパティアとはクロアチア語で「僧院」という意味らしく、この地の始まりは、15世紀に建てられたベネディクト会の修道院のまわりに集まってできた海辺の集落だったとのこと。

オパティアに流れるゆったりとした時間に身を任せ、ビーチ沿いに繰り広げられる華やかな夜の歓楽を満喫すれば、ここがひと昔前まで僧院を中心として発達した集落だったことが嘘のようです。

こんなにも俗世間に染まってしまって・・・と、人間の煩悩のなせる業を嘆く一方で、よくぞここまで潔く変貌を遂げたなと、これまた人間の意思の力に脱帽してしまう次第です。

現在では、19世紀に建てられた瀟洒なヴィラが海岸沿いに立ち並び、その多くはホテルとして使われています。

昔は、ウィーンからも近いことから、ハプスブルグの貴族達がこの温暖な海岸に別荘を建ててヴァカンスを楽しんだといいます。

19世紀から20世紀初頭にかけて、オーストリア皇帝のプランツ・ヨーゼフ、ドイツのヴィルヘルム2世、イタリアの作曲家のプッチーニ、オーストリア作曲家のマーラー、ロシアの作家チェーホフなど数多くの貴族や各界の著名人が訪れています。

ここで有名なホテルといえば、「ホテル・インペリアル」「「ヴィラ・マリア」「ヴィラ・アンジョリーナ」というところでしょうか。

私達が宿泊したのは「ホテル・ベルヴィユ」です。角部屋をもらえたのはよかったのですが、バルコニーへのドアを開けることはできたものの、もうひとつの窓を開けた状態にしておく方法は見つかりませんでした。窓を上に押し上げて解放した状態におくことができなかったのです。

苦肉の策として、部屋にあった椅子を窓に挟み、解放状態を確保することができました・・・・(汗)。翌朝、部屋に入ってきたメイドさんは窓に挟まれた椅子を見て、人が窓から飛び降り自殺をしたのではないかと焦ったはずです。

夜はカメラを持ち歩かなかったので、残念ながら写真を撮ることができませんでした・・ごめんなさい。言葉でお伝えするとすれば、以下になります。

南国の太陽に光り輝く昼間の姿とは全く異なり、間接照明の幻想的な光のなかで、浮き立つように輝く夜のオパティアの夜は格別だったということです。

さすがは、「クロアチアの貴婦人」と呼ばれるだけあり、単なる一律的な美しさを誇るだけではありません。

私の「貴婦人」の理解は若干斜に構えたものかもしれませんが、貴婦人とは、表面的な美しさに限らず、内面から溢れ出る知性と自由で開けた精神により、多彩かつ精緻な魅力を放つ高貴な女性のことをいうのだと思います。

しかるに、先ほど述べたように、朝と夜で異なる顔を持ち、多彩な輝きを発することで世界中の人々を魅了するオパティアは、貴婦人の美しさを湛える街だと思われるのです。

話は変わりますが、クロアチアはヌゥーディスト・ビーチのメッカとして知られています。オパティアが位置するイストラ半島にも名の知られたヌゥーディスト・ビーチが幾つか点在しており、オパティアからも船で行くことができます。もっとも今では、ヌゥーディストではなくて、ナチュラリスト・ビーチと呼ぶようですが。

実際に、イストラ半島には、ナチュラリストが3000人から5000人ほど滞在できるキャンプ場やヴァンガローなどの施設が十ヶ所、数百人用が3ヶ所、クルヴァネル湾には、ツレス島、クルク島、バグ島など八ヶ所にキャンプ場やビーチがあります。

日本人にはあまりなじみのないナチュラリスト・ビーチですが、一度だまされたと思って行ってみると面白いかもしれません。

生まれたままの肢体を惜しげもなく曝け出し、ノビノビと太陽と海の自然を満喫している人達の全てが「モデル・ボディ」の持ち主であるわけではありません。色といい、形といい、サイズといい各種様々ですが、全てに共通することは、生まれたままの姿でノビノビとヴァカンスを楽しんでいるということです。

我々の遠い祖先はみんな、裸同然でジャングルの中を駆け回っていたことを思い出してください。また、身近な例でも、小さな子供は裸で駆け回るのが大好きです。私の4歳になる甥っ子も、お風呂に入った後は、裸で飛び出して家の中を嬉々として駆け回り、一度得た最高に気持ちがよい「真っ裸」の状態を容易にあきらめようとはしません。

真っ裸でビーチを歩いてみたら、我々の祖先が感じたインスピレーションが蘇り、素晴らしい発想ができるかもしれません!

オパティアを立つ日は、陸路でトリエステまで行き、正午発のローマ便をキャッチする必要があったので、出発は早朝となりました。オパティアからトリエステまでは車で約3時間ほどかかり、クロアチアからスロベニア、スロベニアからイタリアと国境を2回通過しなりません。

朝早くでホテルのブレックファストが開いてなかったので、近くの開いているカフェに行き、コーヒーを注文しました。もちろん、コーヒーはなくて、エスプレッソしかなかったので、それをダブルでお願いしました。

朝早くでどこも開いておらず、掃除をしているおばさんに尋ねて漸く開いている店を見つけることができました。そこぐらいしか開いているカフェがないのか、朝6時ごろだったにも関わらず、お客さんが何人かいてエスプレッソをすすっていました。

ヴァカンスにきて早起きするとは・・・と一瞬驚きましたが、年配の風貌からみて、普段からゆっくりしたリズムで暮らしている人達のようで、6時にカフェでコーヒーをすすることも日課なのかもしれません。

トリエステの空港ではクロアチアワインの各種が展示されていました。モダンな展示の仕方に感銘を受け、シャッターをパチリ、パチリ。

この展示を見て、クロアチアのワインに賭ける熱い思いを理解することができました。実際に、クロアチアのワインは値段が安い割りには質が良いと評判で、ファンが軒並み増えているという話も聞きます。アドリア海に浮かぶ観光立国でありながら、それに甘んじることなく、産業の多角化を狙うクロアチアのアンビションを垣間見ることができたような気がします。

先の旧ユーゴ戦争終結から20年・・・戦争の傷跡が癒えることはありませんが、この国が新たな飛躍に向けて挑戦しているのが感じられました。

クロアチアの発展と輝かしい未来に乾杯!
タグ:
クロアチア オパティア リゾート ビーチ 

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