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フランス紀行

~フランスの社会・生活・文化に関する情報や日本社会との比較分析、世界各地を旅して発見した面白い情報をお届けします。~

プロフィール

ニックネーム:
Neomars
居住地:
ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
性別:
女性
会社名:
Tabet International en France
会社英字名:
Tabet International en France
会社所在地:
ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
業種:
現地ツアー企画・現地ガイドなど
自己紹介:
単なるスポット紹介やグルメを堪能することだけに飽き足らない旅慣れた日本人が欲している情報とは何か・・・。それは、「現地とコネクトすること」ことができる情報提供ではないかと思っています。表層に現れる現象の根拠を歴史的、文化的、社会的価値観の観点から探り、ついでに辛口ジョークや捻りの利いたブラックジョークも交えながら、「なるほど・・」と納得しながらクックックゥと笑って楽しんで頂ける情報提供をお約束します!

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フランスの語学学校
フランスの語学学校
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
テーマ:観光地 留学・長期滞在 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/09/01 17:49
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フランスに長期滞在する外国人に課された義務のひとつに、フランス語の習得というものがあります。フランス語のネイティブ出ない限り、移民局が斡旋するフランス語講座に200-300時間(試験の種類によって受講時間が異なる)に出席し、最終的にフランス語を第二外国語として学ぶ外国人向けの試験を受けることが課されているのです。

フランス語を学びたい長期滞在者には願ってもないチャンスです。200時間から300時間ものレッスンを義務という名の下に全て無料で受けることができるのですから。もっとも、フランス語をかなりマスターしている人には鬱陶しい制度のほかの何でもないのですが・・・。

フランスが人権の国といわれて久しいにも関わらず、微妙に異なる個人の状況を斟酌することはまずありません。全てが政府の一存で、一律に実施されるのがこの国のやり方なのです。「カスタマイズ」などという言葉どころか、概念自体も聞いたこともなければ見たこともありませんので。

もっとも、一日も早くフランス語をマスターしてフランスの生産的な労働人口の一部となり、税金納入を通じて共和国に役立つ市民となってもらいたいという政府の意図は理解できます。そのため、サルコジ政権下の過去3年程において、この義務を果すことがヴィザ更新や国籍取得において考慮の対象になるとされていました。

しかしながら、今年の5月で政権が「移民に優しい」社会党に移ったことから、今後はどうなのか分かりませんが。

出産を5月に控えていた私は、それまでに全てを済ませてスッキリさせたかったので、一日も早い受講の開始をお願いするべく移民局をせっつき、2ヶ月弱で初心者コースから上級コースまで全ての授業に出席して200時間確保できるようにしてもらいました。

ちなみに、今年の1月より開始をお願いしたにも関わらず、実際に召集が来たのが2月の終わりで、授業開始が3月8日でした・・・。2ヶ月も遅れるなんて日本では考えられませんが、フランスでは2ヶ月遅れなんてしょっちゅうです。数ヶ月の遅れは、「誤差」でしかありませんから・・・。

しかし、感謝すべきは、フランスでは奇跡としか思えない異例の待遇をしてもらえたことです。

私の場合、毎日頑張って通ったにも関わらず200時間には満たなかったのですが、模擬試験で合格に必要な点数を出したこともあり、満たなくても終了のお墨付きを得ることができました。まさに、「カスタマイズ」されたプログラムを組んでもらえたのです!

しかし、この裏には、移民の数に対して教師や学校の数が足りないため、必要のない人には出来る限り早lく去ってもらおうという政府の意図があることは確かです。つまり、私のためではなくて、政府のために異例の「カスタマイズ」待遇を得たわけです。。。

いずれにせよ、初級から上級まで全てのクラスに参加することができ、普段生活しているなかでは接触のない国の文化や人間模様、果ては複雑な政治問題にまで見聞する機会を得ることができ、なかなか興味深い体験となりました。

フランスの語学学校

そのなかで心に残っている幾人かにつにて紹介したいと思います。

まず思いつくのが、イランからの政治亡命者でした。

彼女はレズビアンであるがために政府から迫害を受け、家族と一緒にフランスに政治亡命してきたということでした。イラン政府は同性愛者の人権を認めず、そうであることが知られれば家族共々迫害を受けるといいます。

彼女は「どこから来ましたか?」という私の質問に対して「ペルシャから来ました。」と答えました。私は、一瞬、何のことか理解できず、フランス語が十分に話せないから上手く伝えられないのだと思いました。

しかし、話をじっくり聞いてみると、彼女は現存のイラン政権を認めず、しかし自分のルーツとアイデンティティはペルシャという言語・文化圏にあることから、自分はペルシャから来たのだと言ったということがわかりました。

国家に認められないなら自分も国家を認めない。アッパレな人間だと思いました。

彼女は、自分の兄弟や従兄弟が日本に4-5年ほど留学したことがあり、みんな日本は清潔で、全てがきちんと整備されており、日本人は礼儀正しく親切で、本当に素晴らしい国だと褒め称え、もう一度日本に行って暮らしたいといつも言っていると言いました。そして、目を輝かせながら、だから自分も是非とも日本に一度は行ってみたいと言っていました。

彼女の話を聞きながら、いつか日本に行けるチャンスがくればいいのにと思いました。

次に思い出に残っているのは、旧ソビエト連邦だったジョージア共和国からフランスに政治亡命してきたリチャードという柔道の教官です。

軍隊だか警察だかの出身で、どのような経緯で柔道の先生になり、果ては政治亡命者になってしまったのかは不明ですが、いずれにせよ、彼はオリンピックにも出たことがあり、自分で柔道に関する本も書いて出版しています。自分が書いた本を見せてくれて、日本の柔道家についてもよく知っていました。

彼は、少なくとも現在の政府が政権を握っている間は祖国に帰ることはできないとのことでした。現在は息子さんと一緒に暮らしており、もう間もなく奥さんがやってくるそうです。

彼は授業中に「SUDOKU」ばかりやっているので全くフランス語が上達せず、一年経った今でもしどろもどろのフランス語しか話せませんが、話をじっくり聞いてみると、かなり頭が切れる人間であることが分かります。秘密警察あたりの出身なのかな・・・なんて思ったりしています。

因みに、彼とは「SUDOKU」といって、数字を合せるゲームを通じて仲良くなりました。

マルセイユには3種類のフリーペーパーがあり、SUDOKUもその中に掲載されています。彼が朝っぱらからSUDOKUを授業中に一生懸命やっているので、そんなに面白いなら私も・・・と思って、彼にやり方を教えてもらいました。以来、私もはまってしまい、毎朝3種類のペーパーを学校の途中でピックアップし、リチャードと一緒にやるようになりました。

今でも「SUDOKU」は大好きで、暇があればやっています。そして、「SUDOKU」をするたびにリチャードのことを思い出します。

次は、人というよりも人達になりますが、コモロ諸島から来たコモロの人達のことです。

失礼ながら私はコモロ諸島があるということを知らず、最初「コモレアン」と彼女達がたどたどしく自己紹介するのを聞いて、何のことを言っているのかさっぱり分かりませんでした。

しかし、その後、コモロ諸島というのがアフリカ大陸とマダガスカルの間にあるということがわかり、元仏領であったと知りました・・・・。

彼女達を最初に変わっている・・・と思ったのは、いつもみんな一緒になって座り、先生から質問されても答えようとしないのです。自分の名前は何ですかという極々基本的なことも、先生をジーッと見つめるだけで、口を貝のようにキュウッと閉じたまま微動だにしません。

最初、私には理解できず、かつ彼女達が自分の名前を答えるのに15分ぐらい要するのにイライラして、「単なる馬鹿だ・・・」と心の中で一刀両断していました。しかし、時間が経つにつれて、馬鹿だと勝手に決め付けたことを後悔しました。

コモロ人の文化において女性が人前で活発にコミュニケーションを図ることなど考えられないのです。一昔前の日本と同じなのです。個の確立が社会的に推奨されていないため、自分の考えを人前で述べるということが習慣として確立していないのです。

このことがわかって以来、文化人類学の研究ではありませんが、興味を持って彼らの言動を観察するようになりました。

見ていると、彼女達は決して単独で行動しようとはせず、いつも集団で、かつ年功序列の指令系統によって物事を執り行っていました。10時のおやつやランチも集団で持ち寄り、周囲にいる言葉が通じない私などにも必ず親切に勧めたり、分けたりしてくれる、良い意味での集団精神を発揮していました。

しかし、そのため学校教育を受けたこともないようで、アルファベットを書いたことはおろか、テストを受けたことがなく、模擬テストをする時になっても、何をどう問われて、どう答えるべきなのかについて全く理解していないようでした。

コモロ人のマダムからテスト中に、答えを教えてくれるよう煩く催促され、彼女がテストというもの自体何なのか分かっていないことが明らかになりました。私としても教えてあげたいのはやまやまでしたが、そうすると彼女のためにならないし、しかも、テストとは何かから教えなければならず、これは私の仕事ではないと割り切って無視しました・・・。

帰り道、ずーっとマダムのことを考えていたのを覚えています。当たり前のように教育を受けてきた人間にとってテストとは日常茶飯にあるもので、それが何かについて考えたこともありませんでした。しかし、世の中には我々が当たり前としている学校教育を受けなかった人達もいるわけで、そのような人達を社会に同化していくのは難しいだろうなぁ・・・と思いました。

そして、今更、慣れない制度や習慣に一から対応するべく努力しなければならないぐらいなら祖国にいたほうがいいんじゃないか・・・と思ったりするのですが、それは、日本という素晴らしい祖国がバックにあるから思うことで、どんなに同化に苦しもうとも、フランスに移民したいというのが彼女達の思いのようでした。

来るほうも来るほうなら、受け入れるほうも受け入れるほうだ・・・・と移民問題の奥の深さを見せ付けられたような思いがしました。

他にも面白い人達が沢山いましたが、それについては後日に譲るとして、今日はこのへんで終わりにします。
タグ:
語学学校 フランス語 プロヴァンス 留学 長期滞在 

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フランスに関する面白い情報が満載です!
南フランスの午後
南フランスの午後
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
テーマ:観光地 街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/07/27 21:11
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昼さがり 午睡にしずむ 静けさに あたり木霊す 蝉しぐれかな

南フランスの午後

南仏の夏の風物詩といえば、蝉しぐれがまず思い浮かびます。

そのためか、南フランスのシンボルは、ラベンダー、ひまわりなどと供に、蝉(フランス語でシーガル)が代表的です。南仏の代表的なデザインにもセミはよく登場します。

豊かな自然に囲まれ、かつ、おおらかなシエスタの風習に支えられ・・・・・南フランスではどこに行ってもセミの鳴き声が聞こえますが、全てが休まる午後の一時は、特にその鳴き声がジーンと辺り一帯に充満します。

銀杏並木を見上げると、木漏れ日の間にセミを見つけることもあります。日本のセミと比較して、こころもち大きいような気もしますが・・・気もせいでしょうか?

南仏では、夏場でも気温が30度前後で推移し、湿気が極めて少ないことから、日陰や室内にいると涼しく、クーラーをつける必要はありません。

そのため、開けた窓からそよ風が入り、それと一緒にセミの鳴き声も聞こえてきます。セミの鳴き声は、日常生活のバックミュージックとしてあるようです。

南フランスの夏の思い出・・・蝉しぐれです。
タグ:
プロヴァンス 南仏 フランス マルセイユ 観光 

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フランスに関する面白い情報が満載です!
パリ1
フランスの文筆家:エクリヴァン
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>パリ
テーマ:観光地 留学・長期滞在 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/03/17 17:26
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物書きをする人のことをフランス語で「エクリヴァン」という。エクリヴァンは、フランスにおいて、日本では考えられないほどの高い評価を受けている職業だ。

フランスでは、哲学と文学が学問の最高峰として今だ幅を利かせている。なんたって、知性の尺度は個人の文筆力によって判断されるなどという、18-9世紀の基準が今だ通用するお国柄である。

そのせいか、第五共和制になって以来、フランスの歴代大統領は、サルコジ氏を除いて、揃いも揃って文学に造詣が深い。

ジスカール・デスタンは文学者であり、ミッテランは確か小説家でもあったはずだ。シラクは文学者ではないが、東洋文化への造詣が深く、これに関連する著書を幾つか著している。

大統領に限らず、文芸に秀でた政治家はフランスの歴史を通じて数多く存在する。

身近な例で、シラク時代の元外務大臣、元首相(現在は、大統領候補)のド・ヴィルパンは、ナポレオンに関する歴史の専門家で、専門書を幾つも著している。余談だが、彼が所有するナポレオン関連の蔵書には目が飛び出るほどの値段が付いている・・・・。

フランスで「できる」とされる人材になるには、文芸の才能と実績が欠かせないということが分かる。

そして、このように「できる」男は、もちろん、モテる。

哲学者とスーパー・モデルの恋だって、普通に起こってしまう国である。

カルラ・ブルーニィ・サルコジの昔の恋人は哲学者で、彼女はその息子(息子も哲学者)ともやがて恋に落ち、オーレリアンという息子を産んだ。

哲学者とスーパーモデルが恋愛するだなんて、日本やアメリカで考えられない・・・。しかし、フランスでは、普通に有り得る愛の形なのだった・・・・。



と、ここまでフランスの文筆家フェチについて色々見てきたわけだが、そこで疑問に思うのは、エクリヴァンの何がそこまで人を惹きつけ、かつ尊敬に値するものと思わせるのかということだ。

私には今だに謎である。もちろん、様々な説明は思いつく。でも、どれも納得のいくものではない。

フランスは、とても貧しい国だ。何の生活の足しにもならないような文筆にかまけているような余裕はない。それでもかまけるのが、フランスのフランスたる所以で、文化大国としての誇りだといわれればそれまでだが。

しかし、それにしては国民の知的水準はあまりにも低く、教養のない人間が犇いているのはどうしたことか・・・。

もしかしたら、余裕のある富裕層や知識階級だけに支持されているのを、フランス全体が支持しているかのごとく言っているだけのことかもしれない。

であれば、理解できないこともなり。富裕層の余暇は常に文学と供にあり、知識階級の存在意義は文筆力にあることは歴史が雄弁に物語っている。

いずれにせよ、この疑問を解くには更なる研究と観察が必要となりそうだ・・・。



では、最後に、「エクリヴァン」フェチに関する私的な経験を開陳して終わりとしよう。

先日、観光関連の集まりがあって、そこで自己紹介する際に、自分の職業をエクリヴァンであると伝えたのだが、その反響は予想した以上にすごかった。

しがないライターの端くれでしかない私が、こんな公の場所で「エクリヴァン」などと言っていいものか・・と一瞬戸惑ったが、他に適切な言葉も見つからず、最も手っ取り早い言葉で間に合わせた。

などというのは大きな嘘で、最初からこの「エクリヴァン」がもたらす効果を予期しながら、あえてこの身に余るタイトルを利用させてもらったのだ!

日本では馴染みもないし、推奨もされないだろうが、アメリカでは、できないことでもできますと主張することが良しとされている。なぜなら、そこで何とかできるように持って行くのがチャンスを掴むということであり、成功への第一歩を歩みだしたと見なされるからだ。

もちろん、できると言ったからには、何としてもできなければならない。できなければ、単なる嘘つきだ。

しかし、人は境地に追いやられると途方もない威力を発揮するもので、必死にやればできないことでもできるようになる。つまり、人の成長を促すのにまたとない方法で、かつ出世にも結びつくダブル・ウインが期待できる成長戦略として働くわけだ。

私も過去に何度もできないことをできると主張し、実際にできるようにしてきた。おかしなもので、やりますと宣言すると、とたんに途方もないやる気が沸いてきて、どんどんできるようになる。ポジティブなエネルギーが当たり一面に噴出するせいか、「できなくて嘘つきっていわれたらどうしよう・・」などという心配が入り込む余地はない。

このように、人のエネルギーと可能性は限界だということを何度も経験したことから、今回も、確かに「エクリヴァン」と胸を張っていうには、現時点では少々憚られる・・・良心が若干痛む・・・・が、先手を打って宣言することにしたのだった。

これでフランスでも仕事が入ってくれば御の字だ。「エクリヴァン」として成長するまたとないチャンスとなり、上手く行けば成功への早道となる。

とまあ、こんな下心に駆り立てられ、野心をプンプン匂わせながら「エクリヴァン」を口にしたわけだが、これ以降、私のアイデンティティは全て「エクリヴァン」一色で統一されることとなった。名前は覚えていなくても、「エクリヴァン」だということだけは覚えてもらっている。

しかし、焦ったのは、会議後の懇親会の時だった。新参者で、しかもこの業界での経験も浅い私など、自分で人ににじり寄ってでも行かないかぎり、パッシングされて当たり前。それが、「エクリヴァン」であると分かったことから、私と話したい人達が引けを切らない・・・・。

あたし、かっこよすぎ!と思ったのは束の間で、どんなものをお書きになるの?という最も触れられたくない趣旨の質問攻撃に遭うこと2時間・・・・・。ここに集うインテリ・フランス人の好奇心を満たすようなジャンルを思いつき、1を100ぐらいに誇張して説明することで、何とか苦境を切り抜けた・・・・。

一番苦労したけど、過激に面白かったのは、「アラフォー」を対象とした美容や健康に関する記事執筆の仕事について説明だ。説明しながら、自分でも何度か噴出しそうになってしまった・・・。

まず、フランスでは目新しい「アラフォー」のコンセプチュアルな説明からはじめ、記事の内容や寄稿先についてもっともらしく説明した。

フランス人には、「アラフォー」という名に隠されたこの年代特有の価値観や行動パターンなど珍しかったらしく、多くの人が興味津々で耳を傾けてくれたのには感動した。フランスではこのようにカテゴリー分けされたり、特別な意味を付与されたりすることはまずない。

自分がレギュラーで面白可笑しく執筆している各種記事を綿密な研究と深遠なる分析の結果導き出された考察を元にして、日本社会に登場しつつある新たな新人類について論じる記事であるかのごとく説明した。そして、寄稿先はといえば、「アラフォー」を主たる対象とする数多いウェブサイトのひとつなのに、日本で高い評価を受けかつ幅広く支持される代表的な電子メディアであるかのように説明したのだった。

誇張というよりも、誇大妄想の極地において説明したと言っても過言ではなく、でもおかしなもので、途中から自分でもその気になり、記事のアイデアのみならず、新たなサイトのコンセプトまで沸いてきた・・・。

自分の言葉や論旨に酔うことができるようになれば、イッパシの「エクリヴァン」と言えるかもしれない・・・。

とまあ、ようやく最後のほうになって自分が展開する誇大妄想にも慣れ、リラックスして話しができるようになったわけだが・・・しかしそれでも、何しろ1を100ぐらいに話すわけだから冷や汗のかきっぱなしで、せっかく期待していた素敵なお料理もどこに入ったのかわからないで終わってしまった。

まあ、自分の宣伝料だと思えば、安いものなのだが・・・・。

私の個人的な宣伝は横に置くとしても、今夜の話で日本文化の重層性についてフランス人の理解が深まっていれば幸いである。

日本には素晴らしい文学者がいる一方で、サブカルチャーを代表する爆発的人気のアニメが世界を沸かせ、その間を「アラフォー」のような新たなトレンドを作り出す現象が所狭しと犇いている。この重層性と多様性は、世界広しといえど、日本ぐらいのものではないだろうか。

ここ10年程の間ではあるが、日本の国際社会における地位上昇は目覚しい。90年代より日本経済が斜陽に傾くなかで、日本のピークは既に過去のものと誰もが信じていた。それが、2000年代に突入する頃からだと思うが、日本ブランドに文化大国としてのプレミエが付き始めた。

そして今や、日本は、文化大国の意味を書き換えつつある。どのような意味なのか、まだ不確定だが・・。

長らく文化の成長を牽引していたハイカルチャーが、逆にサブ・カルチャーやその中間に横たわるポテンシャル・カルチャーに影響されることで新たな発展の機を見つけたり、世界に紹介されるチャンスを得たりするようになっている。流れが逆になっているのだ。

この流れがどのような意味をもたらすのか、まだ確かなことは言えないと思う。

これからの発展が楽しみだ。

そして、「エクリヴァン」もサブカルチャーの中から登場するようになるのかもしれない・・・。いや、もう既に続々と登場しているか・・・。

そして、私も実はそのうちのひとりで、文化大国としての日本を担っていると自負している!
タグ:
文化 フランス パリ 観光 歴史 

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文化、社会、経済、政治、観光、ライフスタイル、教育など多角的視野からフランスに切り込んだ記事が満載です!
マルセイユ1
マルセイユの再生
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/03/17 17:21
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先日、観光協会関連の集まりがあり、暇があったので参加することにした。初めての参加だった。

将来は南仏を専門とするカリスマガイドになりたい!などというビッグな野望を抱いているにも関わらず、実際のところ、この地の観光に関する私の知識はさほど高くはない・・・というのが嘆かわしい現実だ。

勉強してはいるものの、人様にお金を頂いて、あれこれ講釈するほどのレベルにはまだ達していない。現時点では、請うご期待・・・というところだろうか・・。

とまあ、こんな私でもジョインできる開けた集まりではあるのだが、来年はマルセイユが欧州の文化都市となる年でもあるので、少々気合が入っているようだった。

観光客誘致に限らず、グローバルな規模のコンフェレンスやプロジェクトの誘致にも力を入れており、歴史遺産の管理や都市の景観保護は勿論のこと、大規模な催し物をホストできる設備管理などにも余念がない。

そして、なんといっても喫緊の対策が必要とされるのは、市内の治安維持であろう。

悲しいかな、マルセイユはフランスで最も犯罪率が高い都市として名高い・・・。郊外はもちろんのこと、市内でも低所得者層や移民が多く住む地区ではほぼ毎日のように犯罪が多発しており、これら地域への立ち入りを避けることは市民の間で暗黙の了解となっている。

人づてに聞いた話によると、マルセイユは90年代前半に開催されたワールドカップだかを契機に、南仏を対象とする観光コースから外されたとのことだ。

フーリガンのごときサッカー狂が街をたむろし、所構わず、昼日中でも通行人に対して暴行や窃盗を働くケースが多発したことが原因だという。こんな危険な都市には近寄らまい・・・と多くの観光会社がマルセイユを避けるようになった。

日本の観光会社が斡旋している南仏ツアーのパンフレットを幾つか見たが、確かに、これらのどれにもマルセイユは入っていない・・・。

ほとんどの会社が同様のコースを斡旋している。まずパリからニースに入り、カンヌ、モンテカルロ、(マルセイユを素通りして)エクス・アン・プロヴァンス、アヴィニヨン、アルル、(時々ロワール)、パリの順で巡る。

私はこのコースを見て、うーん・・・と唸ってしまった。世界遺産レベルの名所を汲まなく押さえ、南仏の名所を効率的に巡ることができるようになっている。名所好きな日本人には、こういうコースでないとアピールできないのかもしれない。

そうなると、たとえ90年代の災難がなかったとしても、日程にマルセイユを入れることは無理があるな・・と思った。

まず何よりも、日本人にアピールするような名所が見当たらない・・・。

確かに、フランス最古の都市だけあって、遺産であればそこかしこにゴロゴロしている。しかし、これらのどれも、目の肥えた、しかも「名だたる」とか「世界に知られた」などの形容詞が大好きな日本人が遠路遥々日本からやってきて見物したいと思うような代物ではない。少なくとも、相当な南仏マニアかマルセイユ狂でもない限り、魅力を感じることはないだろう。

では、都市の景観はどうかというと、これもまた改善の余地が多いにありすぎて、遠路遥々やってくる観光客に大手を振って薦められるようなものではない。美しい街の景観なら、ヘキサゴンを縦断してわざわざマルセイユまで足を運ばずとも、パリで十分に堪能できる。

グルメに関しても、リヨンのように独自のキュウリナリーを育んできた歴史がないため、マルセイユを代表するキュウリナリーというものは存在しない。あえて言えば、ブイヤベースなど単品ベースであるぐらいだ。あとは、地中海地域に溢れる料理をマルセイユ流に二番煎じしたものぐらいだろう。

というように、観光客を惹き付けるための「いわゆる」ネタに乏しいことこの上ない。

上記のような実態を十分に把握しているからなのか、現時点では、観光客の誘致は後回しにされ、研究、ビジネス、国際会議の誘致のほうにプライオリティが置かれているようだ。そして、そのついでに観光でもしてもらおうという腹積もりらしい。まあ、これはこれで都市の開発戦略としてありえるのかなと思ったりする。

マルセイユはには港湾関連のビジネスを中心とする商業都市としてのアイデンティティが中心にあり、ゆえに、それを基にして研究開発やビジネスを世界各地から幅広く募り、発展の裾野を広げたいと考えているのかもしれない。

ただ、マルセイユは最もビジネスをするのが難しい都市だとも言われている。多くの人がこの言葉を口にするが、理由をはっきりさせることはない。多くは、風土柄、人が怠け者になり、仕事がなかなか捗らないからだと言う。

私は、確かに風土柄もあるのだろうが、ビーチなどを中心に観光産業も充実していることから、観光地に特有の「表面的」なメンタリティが人の心を支配し、本腰を入れてまじめに働く気概を阻害しているからではないかと思ったりする。

海辺などの観光地では人と人の出会いが一過性のものであることが多い。そのようななかで評価されるのは、束の間の現実逃避を演出できる能力ではないだろうか。そこに、真実とか実質といったものは関係ない。花火のように一瞬でパーッと光り輝き、全てを忘れて天にも昇る恍惚した気持ちにさせてくれる自己プレゼンテーションができれば、それで十分なのだ。

このように「その場限りの一発屋」的な能力が磨かれるに従い、現実感が希薄となり、周囲との信頼に基づく長期的な関係構築が難しくなる。おのずと、長期に渡って信頼したり、仕事にしっかりコミットしてくれる人材がマルセイユで手薄となるのも理解できる。

ここに、アフリカ・アラブ諸国からのやってきた無職の移民が加わり、状況を更に悪化させる。

ステレオタイプを作るのは危険だといわれるが、私は、それでもステレオタイプが何がしかの真実を伝えるものだと確信している。

アジア系移民と比較して、全体としてアフリカ・アラブ系の労働への意欲は高くない。アジア人はハード・ワークによって生活の向上を図ることを当然視する。自助努力、ハード・ワークこそが、成功へと導く王道なのだ。

しかし、アフリカ・アラブ系の人々には、上記のようなアジア人の人生観といったものは無縁だ。ハード・ワークなんて、彼らの辞書には存在しないかのごとく。まあ、アラーが全てを決定するから、自分で積極的に人生に関与する必要はないとでも思っているのかもしれないが・・・・。

そして、このような状態をそこかしこで目にする市民は、時間が経つにつれてまじめに働くことが馬鹿馬鹿しく思えてくるのだろう。必死で10の努力しても、3ぐらいの見返りしかないなら、しかも、周囲に足を引っ張られることが原因で成功が遠のくぐらいなら、何もしないのがベストだと判断しても仕方がないだろう。しかも、苦しい思いをして小金を稼いでも、ほとんどが税金で取られるなら、なお更やる気が失せる。

助努力によって立身出世を志す人間の気概と努力を妨げる制度と文化が平然と機能しているのがフランスで、その最たる例がマルセイユだということだろう。

議論を聞いていて、私は大変もどかしい気持ちに襲われた。誘致したい気持ちは分かるが、これだけ多くの障害物があるなかで、果たして実現することができるのか・・・・。

幾ら、周辺設備を完備し、その素晴らしさを宣伝で謳ったところで、現場で物事が非効率にしか進まず、しかも税金などの制度問題が大きな足枷となるならば、まず誘致に成功することはないだろう。

世界には、グローバル・スタンダードに則り、ビジネスや研究を行うのに望ましい条件を各種備えた都市が五万と存在する。そんな都市と争って、勝てる賞賛など、大変申し訳ないが、まずもってないと言える。物事は、そこまで簡単ではない。

フランス人は、自己満足の範囲でやればそれで十分と考える唯我独尊的、中華思想的な傾向がある。自分だけの狭い殻に閉じこもり、机上の理論だけで考え判断する傾向にあることから、周囲を広く観察してそこから学ぶという謙虚さに欠けるのだ。そのため、グローバルな競争に取り残されつつある。

日本を始めとする国際社会のフランスに対するイメージは、今だ飛びぬけて好ましいもので、ロマンチックで高級感溢れるものだ。しかし、日本人が心に思い描くフランスなど、最早どこにも存在しない。そんなフランスは、80年代を境に消え去ってしまったといっても過言ではないのだ。

どこまでこのイリュージョンで食いつないでいくことができるか・・・・若しくは、イリュージョンを現実のものとして再生できるよう一大発起するか・・・・マルセイユ、いやフランスに課された新たな課題だといえる。
タグ:
観光 フランス マルセイユ リゾート 世界遺産 

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フランスのライフスタイルや社会問題、そして観光に関するディープな記事が満載!
パティセリ1
バゲットとチーズ
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>パリ
テーマ:街中・建物・景色 グルメ 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/02/28 00:14
コメント(0)
実は、私はこれまでパンの質について拘るほうではなかった。ぶっちゃけ、コンビニで売っている菓子パンでも十分に満足していた。というよりも、むしろ、コンビニの目まぐるしく変わるラインナップに興味を覚え、新製品を次から次へと試食してみるのが楽しみだった。

C級グルメ愛好者と言われればそれまでだが・・・・、いずれにせよ、質というよりも、ヴァラエティのほうにウエイトを置いていたということだ。そのため、相当気に入った物で無い限り、同じものを継続して賞味するということは稀だった。

これは、私の意思というよりも、日本のコンビニをはじめとする小売戦略に拠るところが多いと思われる。

というのは、日本では相当なベストセラーでない限り、ひとつの商品が店頭に長々と並ぶことはまずない。ライフサイクルは商品により異なるのであろうが、いずれにせよ、売れないことが判明したり、絶頂を過ぎたと見なされれば、容赦なく即お蔵入りとなる運命にある。無数の商品が店頭デビューを控えるているなかで、売れない商品に拘る必要など全くないからだ。

そのため、知らず知らずのうちに、次から次へと登場する新製品に目を奪われ、心を奪われ、如何ともし難い移り気な消費者が生まれるのだ。これは、日本の消費者の生まれ持っての特性というよりも、そうならざるえない構造のなかで消費活動をしていることから、必然的に上記のような行動パターンが身に付くというほうが正しい。

私も意図せずして、このコーポレート・ジャパンの商業戦略に踊らされ、次から次へと新商品を渡り歩く移り気で新しい物好きの消費者であったわけだ。

このことに気が付くのは、フランスでの生活を本格的に始めてからのことになる。というのは、フランスの構造は日本と正反対であるため、違和感を覚えることが多々あるからだ。

フランスでは、コンビニなどという新製品試供場のようなものは一切存在しない。夜遅くまで、しかも日曜日も営業しているのは、アラブ人が経営する食料品店で、いわゆる我々が考える「コンビニ」からは程遠い存在である。

余談だが、アラブ人が経営する食料品店は極力避けることをお勧めする。理由は、品質管理がずさんで、かつ割高であり、彼らの店で買い物をする利点が全くないからだ。大きな声では言えないがが、彼らは、一般のスーパーや食料品店が在庫処分として放出する商品や期限切れの商品を安くで買いうけ、高利で持って販売するプチ・悪徳商法を実践しているようだ。

コンビニを除く一般の商店では、新製品が続々登場するなどということはまずもってない。お馴染みの商品が何十年にも渡って店頭に並び、消費者に愛される・・・とは必ずしも言えないにしても、少なくともコンスタントに購入されている。

ブランジェリやパティセリと呼ばれる手作りお菓子・パン屋においても同様で、多少の改良やバラエティの拡大は時と場合に応じてなされるものの、商品の基本的なラインナップは何十年という月日を経ても大変わりすることはまずない。

パティセリ1

夫や友人が小さな頃に食べていたお菓子やパンの各種は今だ健在で、30年を経た現在でもその存在に陰りが見られることはまずない。

パティセリ2

なぜなら、30年を経ても根強い消費者を抱えているからだ。夫をはじめ多くのフランス人の友人・知人は、自分達が子供の頃から慣れ親しんだお菓子やパンが大好きで、他へ移り気することもなく、今だ定期的に購入して食べている。仕方なしというよりも、食べずにはいられないからのようだ。

翻って、私は小さな頃に食べていたパンやお菓子を今だに食べたいと思うだろうか・・・?

日本がここ半世紀の間に経験した経済・社会面における巨大な地殻変動は、我々の消費行動にも影響を及ぼしていることは確かだ。我々の両親と比較して、団塊ジュニア世代に我々の消費行動パターンは確実に異なる。

私の父が今だに「あんぱん」や「コルネ・チョコ」といった、昔懐かしの味に拘るのに対して、私にはこのような拘りは全くない。

小さな頃に食べていたお菓子やパンなんて、今ではどこを探しても見当たらないし、第一、どのような物を食べていたかもよく覚えていない。目にすれば、「ああ、あったよね」と思い出すが、かといって、これじゃないと駄目!と拘りを持つ商品はない。現在と同じく、小さな頃からコロコロ変わるラインナップに影響され、選択がコロコロ変わったからだろう。

一方、商品のラインナップが変化に乏しいフランスに来てからは、若干ではあるものの、拘りともいえるような感覚が私のなかで芽生えてきた。

まず、ヴァゲットであるが、主食とまではいかなくとも、日々の食卓で食するようになると、徐々にではあるが、種類や店による特徴、品質、好みというものが分かるようになり、お気に入りの店、お気に入りの商品というものが出てきた。そして、これから何十年とこの同じ味と商品に拘るのだろうと漠然と思ったりしている・・・。

ヴァゲット

フランスでは、パンを手作りする店しか「ブランジェリ」の看板を挙げてはならないことになっている。政府の許可が必要であり、その審査をパスして初めてこの看板を掲げることができるらしい。

もっとも、最近では悪質なブランジェリが登場し、機械により大量生産され、冷凍保存されたパンを「手作り」と偽って販売している店もある。しかし、このような店は長続きしないのではないかと思ったりする。というのは、この私でさえも、今ではひとくち食べてみれば、手作りと機械生産の違いを的確に見分けることができる。

ポイントは、肌理の細かさとしっとり感にある。

機械による大量生産では、肌理は確実に粗くなり、同時に恐ろしいほど画一的になる。機械によって無機質に統制されるからだ。

一方で、手作りのものは、肌理が細かく、小麦のフレイバーを長期間に渡って保存することができることから、食べるとその風味が口全体に広がる。噛めば噛むほど、味わい深くなるわけだ。

言葉で全てを説明することは難しいが、慣れてくれば簡単に見分けることができるようになる。そして、焼きたての手作りバゲットをこの上なく美味しいものだと感じるようになることも請け合いである。

私にはパリを頻繁に訪れる友人が多いが、皆同様に、「どうしてフランスのパンはこんなに美味しいの?!」とため息をつく。彼らは、私と違って、そろいもそろってグルメ志向であり、美味しい物に食べなれている。そのため、住んでじっくり味わうことなく、美味しいものとそうでないものの違いが直ぐに分かるのだ・・・・。今となって、私も彼らに賛同せずにはいられない。確かに、フランスの手作りパンは世界最高である。

続いて、ご飯に漬物というように、バゲットには欠かせないチーズであるが、これに関しても、徐々に味や品質の違いが分かるようになってきた。これまで、チーズの選択は夫に全てお任せだったが、この頃は、私自らワインや料理に合うチーズを選ぶことができるようになってきた。もちろん、失敗することは今だ多々あるのだが・・・。

フロマジェリ

以前は、カマンベールとブリーの違いが良く分からなかった・・・(汗)・・。このことに気が付いた夫は、あまりの驚きに、しばし呆然としたことがあった。それもそのはず、西洋諸国を中心に海外での長期に渡る生活を経たにも関わらず、今だにカマンベールとブリーの違いが分からない現代日本人がいたなんて想像だにしなかったのだ。

余談だが、私は、食に関しては、今では珍しい「純ジャパ」種であり、日本食意外は基本的に受け付けないタイプだ。絶対に海外に住んではいけないタイプの日本人である。これは親譲りだ。私の両親もいかなる地域に住もうと、お付き合いで仕方ない場合は除いて、頑なまでに日本食に拘り続けたのだった。

チーズはワインと同じく奥が深い。だから、私がチーズを理解しているなどというつもりは毛頭ないが、地域によって味や製法が異なり、歴史を経て変革を遂げてきたものなどもあり、それぞれのチーズに隠された由来や特徴を知るのはとても面白いと思う。

アルザス

最近は、日本人の味覚に合い値段も手ごろなブリーやエメンタルを選んで食べているが、他にも色々開拓して味覚の幅を広げてみるのも面白いかななどと思うようになってきた。

まだ、質を論じるまでにはいかないが、まずはヴァラエティを拡大することからはじめようと思う。この辺り、質よりもヴァラエティに重きを置く日本人消費者の特性がむくむくと頭をもたげてきたといえるかもしれない・・・。
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