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フランス紀行

~フランスの社会・生活・文化に関する情報や日本社会との比較分析、世界各地を旅して発見した面白い情報をお届けします。~

プロフィール

ニックネーム:
Neomars
居住地:
ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
性別:
女性
会社名:
Tabet International en France
会社英字名:
Tabet International en France
会社所在地:
ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
業種:
現地ツアー企画・現地ガイドなど
自己紹介:
単なるスポット紹介やグルメを堪能することだけに飽き足らない旅慣れた日本人が欲している情報とは何か・・・。それは、「現地とコネクトすること」ことができる情報提供ではないかと思っています。表層に現れる現象の根拠を歴史的、文化的、社会的価値観の観点から探り、ついでに辛口ジョークや捻りの利いたブラックジョークも交えながら、「なるほど・・」と納得しながらクックックゥと笑って楽しんで頂ける情報提供をお約束します!

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16 - 20件目まで(25件中)

展示会1
マルセイユ絵画展
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
テーマ:観光地 鑑賞・観戦 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/02/26 03:04
コメント(0)
マルセイユの歴史を追った絵画展が3月の初旬まで開催されているというので、早速、見に行ってきました。場所は旧市街にある美術館で、エジプト美術やアフリカ美術展なども同時に開催されていました。

展示会1

この建物は、第二次大戦終結まで、貧民救済のための施設として利用されていたようで、今でもこのことを説明する表示や看板が立っています。

展示会7

展示会6

今だって貧民救済施設として利用したほうが市民に喜ばれるんじゃない・・・人間は霞を食っては生きられないんだから・・・と思う私・・・。

マルセイユでもご他聞に漏れず、貧困はそこかしこで見られます。他よりも群を抜いて高い失業率から鑑みると、むしろ、マルセイユこそ貧困のたまり場なのかもしれませんが・・・。

いずれにせよ、フランス全土で急速に広がる貧困を考えると、最早、この国は文化に立脚するというよりも、福祉救済に立脚した国家としてのアイデンティティを強化したほうがいいんじゃないか・・・と思ったりします。芸術や哲学などメタフィジカルなことに現を抜かしてる暇があったら、貧困や格差など現実に横たわる問題に真摯に取り組み、解決するメカニズムを構築することに時間とエネルギーをかけるべきでしょう。観光客を喜ばすよりも、国民を喜ばせることのほうが先決です。

入り口でチケットを購入するのですが、チケット購入ぐらいにどうしてここまで時間がかかるの・・・?というぐらい時間がかかりました。まずミッシングしているのが、チケット売り場の売り子の姿が見当たらないということ・・・・・。待っているのが私達を含めて6人ぐらいだったので、被害はそこまで甚大ではありませんでしたが・・・。

しかし、待つこと5分、それから購入するのに15分・・・。日本だったらものの1分で全てが終了するところ、ここフランスではその20倍はかかるということです。効率と性能を重んじる日本人の私には、どうしても慣れることができない、また受け入れたくない日常における現実です。

私には、どうしてサッサと物事を効率良く済ますことができないのか理解できません。複雑難解な問題解決を要求されているわけでもあるまいし、ごく普通の一般教育を受ければ十分に遂行可能なタスクなのだから、ちゃっちゃとこなしてよと思うのですが、そうは問屋がおろさないようです。考えすぎなのか、若しくは、考えなさすぎなのかわかりませんが、とにかく、要領を得ないというのがこの国の国民の特徴だといえるでしょう。

何とかチケットを購入し、おなじみのフランス人に関する人間行動科学アナル101を夫に対して垂れながら、展示会場に向かいました。

回廊がぐるりと周囲に巡らされており、一部はカフェやレストランとして利用されています。ここ二週間ほど、マルセイユでは小春日和が続き、日中は15度を越える陽気が続いています。その前に雪が舞ったなんて信じられないほど暖かく、外でゆっくりとランチをしたり、お茶をしている人達がいました。

展示会5

展示会3

展示会場に入ると、撮影禁止だと言われ、がっくり・・・・。写真を撮ろうと張り切ってカメラまで準備してきたのに・・残念でした・・・。

展示は主として18世紀ぐらいから現代までを網羅するもので、学芸員がそれぞれの絵を説明してくれるのですが、何しろ人数が足らず、学芸員の周りには黒山の人だかりができていました。最初は私達も黒山に混じって真剣に説明を聞いていましたが、途中から離れて、自分達で鑑賞することにしました。

展示会2

絵画は、その背景について知ることも重要ですが、自分の目で見て、感性で感じることも同じく重要だと思います。一般の素人として、まず大切なことは、自分の審美眼に照らして好きか嫌いかを見定めることだと思います。私は、技法や巧みさやコンセプトの斬新さはまず横に置いて、自分の感性に訴えてくるものかどうかにまず注目しています。

この観点からすると、今回の展覧会は、まずまずだったなというところです。

まず展示のコンセプトですが、これはまず問題ありませんでした。マルセイユは地中海の名だたる港湾として有名なだけあり、絵画のほとんどが地中海を背景にして生きる人々の日常を描いたものでした。

そして、絵画の種類ですが、印象派による風景画や古典派による人物画が主だったコレクションでした。

ここまでは良かったのですが、問題は、全体として、これといって目を惹くものがなかったということです。ひとつぐらいは思い出に残るような絵があっても良さそうなものですが、今回は、不幸にも、そんな絵にめぐり合うことはありませんでした・・・。

私は、日本人の一般的美術愛好家のご他聞に漏れず、印象派が大好きです。ベタだと言われようと何だろうと、印象派でなければ古典派にしか興味がありません。

そのため、購入したい絵画になかなか巡りあえないという問題を抱えています。印象派の作品などは売りに出されることはまずありませんから。素敵なものは全て美術館ががっちり握っていて手放すことはありません。売り出されているものは、ほぼ全て現代アートで、主人も私も現代アートにはいまいち・・・・と気乗りがしないのです。

駆け出しのアーティストの作品をコレクションするのもひとつの方法なのでしょうが、そこまでの審美眼を持ち合わせておらず・・・。やはり、「これだ!」と感性の叫びが聞こえない作品には、どうしても手が伸びません。

絵画は、インテリア・アイテムとしても、資産としても申し分ありません。特に、相続税の観点から資産としてはまずもって申し分ないものですが・・・。もっと色々巡って勉強したり、新たな感性を養う必要があるようです・・・。

展示会4

さて、最後に少しだけマルセイユの歴史やプロフィールについてお話しましょう。

コレクションは18世紀から始まっていましたが、マルセイユの始まりはそれよりも遡ること著しく、紀元前600年になります。このことから、マルセイユは2600年の歴史を持つ、フランスで最も古い都市として有名です。

当時は小アジアと呼ばれる場所(現在のギリシャやレバノン辺りにかけての地域)に住んでいたフォセン(phoceenne)という民族によって建設され、西地中海の主要貿易港として栄えました。マルセイユがギリシャ人の植民都市と言われる所以がここにあります。そのためか、今でも、マルセイユのことをフランス語の別名でLa Cite Phoceenneといいます。

古代より、マルセイユはヨーロッパ本土、地中海、北アフリカ、小アジアを結ぶ要としての役割を果たしてきました。様々な民族が商業を通じて交わり、そこにには多彩な文化の混交が見られ、マルセイユを他とは異なる稀有な特徴-文化の十字路-を持ち合わせる都市へと発展させてきたのです。

古代においては、地中海と内陸部を結ぶ要として、ギリシャ人、その後ローマ人と内陸部に住むガリア人との接触を促し、中世から近代にかけては、イスラム商人がそれに加わり、近代以降においては、北アフリカを中心とする植民地からの移民などが加わります。

展示会8

中世の一時、度重なるペストによって人口の多くを失い、第二次大戦の戦火によって旧市街の多くが全滅したことを除けば、これといった災禍に見舞われることなく順調に商業都市として栄えてきたといえます。

マルセイユが位置するプロヴァンス地方の文化は内陸のフランクのそれとは異なるものでした。17世紀のルイ14世の時代になって、ようやくフランス国家としての枠組みが整い、統一が図られるようになるまでは、言語や風習など多くの点で異なり、全く異なる文化圏をそれぞれ形成していたといいます。

今ではプロバンス訛りなどと方言のような言い方をされますが、プロバンス語はフランス語とは異なる言語だといいます。ドーテの「風車小屋からの便り」には、当時のプロヴァンス地方で営まれていた生活や価値観が活写されています。

また、サントン人形といって、この地方の農民の生活を具現化する人形がありますが、こちらは現在でも購入できます。サントン・ド・マルセイユと呼ばれ、様々な種類があることから、当時の農民の生活が偲ばれます。

現在は、パリに次ぐフランス第二の都市として、地中海における最大の貿易港として知られていますが、それと同時に、また別の都市としてのアイデンティティの確立も目指しているようです。

つまり、ビジネスや海洋関連の研究に力を入れ、欧州本土と地中海世界を含むヨーロッパの文化の十字路としての役割の強化を模索しているのです。

前者に関する主な活動は、研究機関の設立と研究者の誘致、後者に関しては、来年2013年にヨーロッパの文化都市として様々なイヴェントがあります。

その他にも、国際機関の誘致や、国際会議の開催などをはじめ、欧州や地中海という地域に限定されることなく、世界の主要都市として地位を確立するよう努力しているようです。

展示会9

従来の商業、貿易都市、地中海と大陸の架け橋という枠には収まらないダイナミックな成長と発展が期待できるようです。
タグ:
絵画 展示会 南仏 マルセイユ 歴史 

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水の都蘇州の名所:古寺(寒山寺)
エリア:
  • アジア>中国>蘇州(ソシュウ)
テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/02/26 00:36
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写真はこちら:http://ameblo.jp/paris-marseille/entry-11027749247.html

蘇州は、東のヴェネチアと呼ばれるように、街の中を運河が巡っています。実際に行ってみると、東のヴェネチアというには、あまりに語弊がある・・・厳密な科学的根拠を別にしても、これは比較にならない・・・という印象を持ちました。

ヴェニスでは、ヴィザンチン芸術と西洋芸術の類稀な混淆が生み出す豪華絢爛が街の隅々まで浸透しています。地中海が世界の中心であった時代、ヴェネチアは東西貿易を独占し、世界の富が集まるだけでなく、西洋がオリエントと出会うコスモポリタンな都市として世界に名を馳せました。そのレガシーが今でも、我々を虜にするのでしょう。

蘇州には、ヴェネチアのような歴史もなければレガシーもありません。よって、我々旅行者がヴェネチアを目の当たりにして感動は、蘇州を前にしても一切感じることはありません。

ただ、水墨画の世界が好きな旅行者には必見の土地だといえます。街全体が水墨画の世界に生きていると言っても過言ではないからです。蘇州に行ってみて初めて、水墨画が中国で発達した意味が理解できました。俗世界への執着、この世で生きることに積極的なルネサンス以来の西洋においては、決して発達しえなかったものだといえます。

蘇州に来て印象に残ったことは、この街は、良い悪いの価値判断は別にして、立体感に乏しい二次元の世界だということです。人の顔や体つき、建物などにしても、あえて遠近法を用いたりして立体的に表現する必要がないのです。

専門的なことをは良く分かりませんが、この地に降り注ぐ光の強さや量にも関係しているのかなと思ったりしました。中国では南方に位地しているとされる蘇州ですが、全体的に光が柔らかくて弱いという印象を受けます。そのため、街全体にパリッとしたしまりがない感じがするのです。ボワーと浮いているように存在している街。この臨場感を表現するには、墨絵の筆致が最適だといえます。

また、鬱蒼と茂る柳がダラーンと垂れて、濁った運河の水面にぼんやりと影を落としているところなど、水墨画にはうってつけの景色だといえます。茂りたい放題に放置された柳が、これまた濁りたい放題に放置されている運河の水面に無気力に影を落とす。仙人や世捨て人を描く水墨画の背景としては、これに勝るものはありません。

ここまでのトーンによって、私が蘇州を批判的に見ていると言われても言い返す言葉がありません。しかし、これは、私が水墨画や中国アートを十分に理解していないことから来るものだと思います。

こんな私でも、一部の中国アートには興味を覚えました。唐草模様や、その透かしから入って来る光を捉えたものは、とても美しいと思います。

また、やはり、黄金をふんだんに用いた建造物には弾かれるものがあります。

寒山寺にも幾つか興味深いものがあったのでご紹介します。寒山寺を手短に説明すると、唐の時代に建立され、最も古い漢詩もここで閲覧することができます。

二人の僧によって建立されたという伝説があり、その伝説の二人が以下になります。

先程お話した、黄金の建造物ですが、演奏する魔王には参りました!

黄金でできた修行僧。黄金色に輝く修行僧には、将来のニルバナが約束されているというメッセージが託されているのでしょうか?

大雄宝殿にある釈迦如来像です。豪華ですよねぇ!寒山寺は大乗か小乗か定かではないのですが、大乗仏教の豪華さがあります。

大雄宝殿の外にある蝋燭立てです。日本のものよりも遥かに巨大です。でも、あまり綺麗ではありませんが・・・。

この楼蘭は、16-17世紀に建立されたものだとのこと。寒山寺の一部としてあります。

境内の外にでると、露天が並び各種フルーツが売られていました。こちらは、中国のへしゃけたモモです。失敗作でまともな値段では売れないからこうして露天で売っているとのことでした。潰れた形に興味をそそられ、ひとつでも購入したかったのですが、何が入っているかわからないから止めたほうがよいとアドヴァイスされ、結局買わずじまいでした。

こちらは、いまだに何かわかりません。これまで見たことがありませんが、フルーツの一種だそうです。妊娠してなかったら試してました・・。いつか、謎を解いてみたいものです。
タグ:
世界遺産 中国 蘇州 観光 景勝地 

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上海の穴場
エリア:
  • アジア>中国>上海(シャンハイ)
テーマ:買物・土産 観光地 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/02/16 21:29
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写真はこちら:http://ameblo.jp/paris-marseille/entry-11026952043.html

ついに上海に到着しました!

妊娠3ヶ月は不安定だから旅行などは控えるようにと言われますが、妊娠が分かる前にブッキングしたことからキャンセルするのはあまりにも惜しく、結局、十分に注意して行くことになりました。べべが生まれたら、当分の間は遠出をすることは無理なので、この機会を逃すはずはありません。

中国東方航空(China Eastern)で上海紅橋(ホンチャオ)空港へ飛びました。関西空港から約2時間強、成田からは約3時間弱の飛行時間になります。

因みに、上海には二つ空港があり、もう一つは上海浦東(プートン)空港になります。ホンチャオ空港は主として国内線とアジアを中心とする近距離国際線に対応し、プートン空港は、長距離国際線に対応しています。拡大する中国の空のニーズに対応するべく、新たにプートン空港を建設したとのことでした。

中国東方航空の変貌振りには驚きました。SQやエミレイツのレベルには届かないものの、それでも、機内サービスといい、発着時間の正確さといい、格段の進歩を遂げていました。

今から15年程前に、北京に行く為に当航空を利用したことがありましたが、その時は、太っちょの見るからに逞しげなおばさんがCAを勤めており、苦虫を潰したような顔をしてのっしのっしと機内を我が物顔で歩き回って、機内食をぼいっ、ぼいっと投げるように配るのが当たり前でした。うるさくしたら中国語で怒鳴りつけられるのがオチ、歩いているのを呼び止めようものなら売られた喧嘩は受けて立とうの勢いで「何か用か!」と凄まれる始末。全くもって、顧客サービスもへったくれもありませんでした。

それが今では、花も滴る20代のうら若き乙女が優しい微笑みと供に温かく迎え入れてくれる航空会社となりました。目が合えばニッコリ笑顔、機内食サービスの際にも優しい心配りと温かい笑顔を決して忘れることはありません。アジア女性の微笑みは、最早、タイ女性だけのものではなくなったのです。

トレードマークとなる赤の制服も、当時は共産党の赤を髣髴させ、贅肉を束ねる巾着のように見えたのが、今では、躍動する中国のエネルギーを表現する赤、スラッとした色白美人が栄える制服として定着しています。

機内食も紙でできた弁当ボックスにビーフジャーキーと炭水化物となる何かが入っていた一昔前のものとは一変して、トレイで配られ、前菜からデザートまで一式提供されます。昔は、投げるように配るのがスタンダードだったようなので弁当ボックスになっていたのかもしれません。

東方航空への絶賛はこれぐらいにして、先へ進みましょう。

上海の空港ですが、10年ほど昔に完成したばかりで、最新のアメニティが搭載されている快適でモダーンな空港です。優先席なんていうデリカシーのある設備まで整えられており、しかもデザインが日本よりおっされ!

トイレなど、入ってびっくりです。ドアを開けると、ほのかな香水の香りが漂ってくるではありませんか!気のせいかと思って別のドアを開けても同じでした。いやはや、ここまで拘るかと思いましたが、さすがは共産党が全てを指導する中国、国家の威信にかけても世界で最も美しいトイレを実現するべく国家総動員をしたに違いありません。

空港から上海中心街に出るのに、電車やタクシーを使っても子一時間はかかります。成田と同じぐらいアクセスが悪いというのが難点ですが、拡大の一途にある上海市としては、市内に空港を設置するわけにもいかず、かの如く遠方に空港を設立することにしたといいます。

私は今回上海に来るのは初めてですので、昔との比較を述べることはできませんが、知り合いの話しでは、数年前と比較して様変わりしたとのことでした。しかし、昨年の上海万博までに主たる開発はほぼ完了しているので、今後において大きな変化はないだろうとのことでした。今後は、住宅の整備が進むだろうとのことでした。

開発が進み近代化するのは結構なことだとは思いますが、私のように歴史をこよなく愛する人間には、ちょっとばかり寂しい気持ちがしないでもありません。近代化がもたらす便利さにどっぷりつかっている自分のことを棚に上げて言うのもなんですけどね・・・・。

近代化は、その国特有の「国のにおい」を消し去ってしまうものでもあるからです。文化遺産などはそれなりに国で管理したり、世界遺産としての指定を受けて保護してはいるようですが、その国の文化とはこれらの偉大なる遺産に具現化されるものだけではありません。そこに住む人々の生活文化こそが、まさにその国をその国たらしめるものであり、昔ながらの路地や家並み、商店街の活気などが消えると供に消滅してしまうのです。

旅行が特別の意味を持って我々の心に残るのは、そこに住む人々の生活文化に触れるからではないかと思ったりします。同じ人間が異なる様式や美学でもって生活を営んでいるのを目の当たりにしたとき、我々は新鮮な驚きと好奇心を抱くものです。これこそ、まさに日常からの脱走であり、旅行の目的であるのではないかと思います。

上海は、幸運にも悠久とモダニティが同時に存在する大都会でした。


日光の反射で光り輝く近代ビルが立ち並ぶ地区から少し離れた場所に、古臭い二階建て建築が連なる商店街があったりします。上海の昔ながらの建築様式だとのことで、このような場所は市内の各地で散見されます。一部は政府が保護しているとのことですが、これらの多くはいずれ取り壊される運命にあるとのことでした。

以下は上海にある問屋街にあるお店の一つです。中国人は、「〜世界」とか「〜宇宙」とかいう名前が好きですよね。やはり中華思想が支配する国だけあって、自分や自分の店が世界や宇宙の中心であるという発想になるのでしょうか。日本人には思いも呼ばない発想です。でも、見習わなければなりません!

以下にある写真は、上海でも前衛芸術や商品を中心に販売する地域で見られる建物です。以下のような建物の1階がショップとして利用され、芸術作品から小物類各種がところ狭しと販売されています。ショップ内はほぼ全て撮影禁止でしたので、残念ながらこちらでお見せすることはできません。

一部外から密かに撮ることができましたが、あまりよく見えませんね・・(涙)。

また、元英国やフランス租借地で見られる建築には、華洋折衷となった建物も見られます。このような混淆は建築に限らず、洋服や小物類のデザインにおいても頻繁に見られるものでした。

時計台がトレードマークの元英国租借地、別名バンド地域は、華洋折衷のビルが立ち並び、夜景となるとその華やかさは上海随一となるのではないでしょうか。川を挟んで対面にある上海のランドマーク、テレビ塔と並んで、上海の夜景を代表するものです。因みに、「華麗なる一族」とかいうドラマの収録が行われた銀行もここにあります。

元フランス租借地は、今では「新天地」と呼ばれ、ヨーロッパのプロムナードを彷彿させる一角に様変わりしていました。ここには、上海ではあまりお見かけしないフランス人観光客も見られました。

日本租借地もありますが、殆どが壊されてしまって原型をわずかに残すのみとなっていました。「横浜橋」がまだ健在で、唯一当時の面影を残していると言いたいところですが、周囲が全て様変わりしているので、この橋だけで当時を偲ぶことは不可能です。他の租借地は美しく整備されているのに、日本人街だけこのような状態とは、日中関係の厳しさがこのあたりであからさまなのか・・・・と勘ぐりたくなりました。

日本のたこ焼き屋さんです。まだ行ったことがありませんが、帰る前には一度は寄って味見をしてみたいものです。20年ほど昔の途上国では、日本料理といっても「なんちゃって」ものが氾濫していました。しかし、上海ぐらいになれば、日本料理のレベルも本国相当まで到達していると信じています。

こちらは、上海ヒルズに入っているおすし屋さん!ローカル風味も取り入れ、柔軟なメニュー設定になっているようです。何しろ、カリフォルニア・ロールなどもあるわけですから、上海ロールがあってもおかしくありません。中華のおかずが上に乗った巻きも好評だとのことです。

この上海ヒルズには、日本のお店も数多く出展しており、なかにはABCクッキングまで入っているのには驚きでした。上海ネーズが夫や彼氏のハートを射止める、もしくはキープするべく楚々として料理に励んでいましたよ。

最後に、上海の各地で見られるお茶のチェーン店。中国人はコーヒーよりもお茶のほうを好むとのことで、コーヒーチェーンの代わりにお茶のチェーンが登場していました。忙しいけれども健康と美容のためにお茶を欠かすことができない上海人のニーズをスマートに満たしたお店といえます。
タグ:
中国 上海 ショッピング グルメ 観光 

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中国庭園:留園
エリア:
  • アジア>中国>蘇州(ソシュウ)
テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/02/16 21:20
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写真はこちら:http://ameblo.jp/paris-marseille/entry-11028802133.html

最近、和式&中華式庭園に凝っています。ということで、中国を代表する庭園、「留園」に行って来ました。

まだ勉強不足の私には、和式と中華式の違いを厳密に見分け、理路整然と説明することは不可能です。ただ、これまでにも色々見てきたので、この点は和式の特徴とか、中華式特有の表現方法ではないか・・と感覚的には分かるようになったと自負しています。

大きな違いは、柳が入るか入らないかのような気がします。昨今の日本庭園で柳を見かけることはまずありません。もちろん、柳は日本の各所で見られるので、庭園造りのオプションのひとつとしてあるのでしょうが、中華式のように柳を大々的に活用して表現することはまずないといえるでしょう。

また、使う石の材質にも違いがあるように思われます。中国では、自然の無骨さをこれでもかと見せ付ける、ごつごつした荒削りの素材を好んで使う傾向にあるようです。身近にある石というよりも、仙人が棲むような高山の登頂まで行って命からがら入手してきた、というかんじのものです。


一方、日本では、身近にあるように見える石を好んで使うようです。万の神様を信じる神道の影響のせいか、遥か彼方の遠方まで行かずとも、神聖で立派な石は身近にもころがっている、といわんばかりです。

演出に利用する動物にも違いが見られます。中国では庭園のそこかしこに竜が舞っています。神の次に偉大な皇帝を象徴する動物が竜だったことからも、竜に対する中国人の思い入れには相当のものがあるようです。天空に気高く、力強く舞い上がる竜に対する憧れは、世界を、そして宇宙を支配したいとする中華思想の裏づけのようなきがします。

日本だと、竜も選択のひとつとしてあるのでしょうが、竜が支配的になることはまずないと思われます。竜の代わりと言ってはなんですが、よく見られるのが、蛙でしょう。「お金が帰る」「幸せが帰る」という意味も込めて、蛙を置くのが慣わしだとか。

その他は、これといって目立った違いはないような気がします。これは、あくまでも感覚的な観点からですが・・・。燈篭を設置したり、池に鯉を飼ったり、松の木の大木をモチーフにしたりと、大陸美学の影響を多大に受けてきた日本には、庭園においても中国との共通点が多く見られるのです。

このようななかで、今回、私の心を惹いたのが、「すかし模様」です。すかしを通して入り込む光をカメラで捉えてみると、驚くほど美しいのです!

すかしを造ったそもそもの理由は、庭園風景に変化をもたらすためだったと言われています。同じ風景を眺めるにしても、そのまま見るのか、すかしを通してみるのかでは、見え方が異なります。この違いを楽しむためにすかしが考案されたとのこと。いやはや、お金持ちは、どこの国でもミクロの違いを捕らえて楽しむのが得意なようです。

ここ「留園」でもすかしが至る所に設置されていました。意匠を凝らした各種異なるすかしがあちこちで見られ、当時の人々の庭園の眺望にかける思いが垣間見られました。

この庭園は、現在は省の管轄となっていますが、元々は当地の大金持ちの所有でした。昔は、良家の女子は嫁に行くまで家の外に出ることは稀で、家の中で大半の時間を過ごしたといいます。そんな娘の退屈しのぎに、春の庭、夏の庭、秋の庭などそれぞれ季節の特徴を生かした造園を手がけたということです。

3代でこの庭園の所有は途絶えたといいます。家は3代とよく言われますが、この家も、3代で途絶えてしまい、庭園も同時に手放されることになったようです。

こちらの写真に収められているのが、「幸運を呼ぶ階段」と呼ばれる石の階段で、上ると運勢が上がるといわれているものです。所有者も何度となくこの階段を上がったのでしょうが、3代で運勢は尽きたようです。

庭園のなかでは、各所でびわや琴など中国古来の楽器が奏でられており、目だけではなく耳も楽しませてくれます。この留園で、庭園とは、単に目で愛でるだけではなく、五感で楽しむものなのだということを強く感じました。


こんな庭園が我が家にあればな・・・と儚い夢を描いてしまいました・・・。
タグ:
中国 蘇州 上海 庭園 世界遺産 

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クロアチア:ポレッチ探訪
エリア:
  • ヨーロッパ>クロアチア>ポレッチ
テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/02/14 21:42
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写真はこちらで:
http://ameblo.jp/paris-marseille/entry-10962617650.html

ポレチュはイストリア半島の一大リゾート地として有名ですが、ここのメインスポットは、世界遺産にも登録されているエウフラシス・バシリカです。

エウフラシス・バシリカは、ローマ時代から繁栄を続けるメインストリートから少しだけ離れた旧市街地の一角に佇んでいます。

先ほどローマ時代からと書きましたが、この街は、ローマ時代からの長い歴史を誇る街なのです。

ローマ人は紀元前2世紀に、イタリアのアクレイアとイストラ半島にあるプーラを結ぶ港町としてポレチュに注目したことから、古代ローマの都市計画に基づいて建設されました。

ポレチュには、キリスト教がまだ禁止されていた3世紀からすでにキリスト教のコミュニティがありました。

543年かれあ554年までポレチュの司教を務めたエウフラシスは、5世紀に建てられた教会を壊して、跡地にバシリカ式の聖堂を建設しました。内部を壮麗なモザイクで飾り、神に捧げたといいます。

入口から直ぐ入ったところに、四角い回廊で囲まれたパティオが残っています。回廊つきの中庭はヨーロッパでは修道院でよく見かけるものですが、教会正面の入口にあるのはとても珍しいといいます。

これは、「アトリウム」と呼ばれる回廊で、古代末期から初期中世のバシリカには必ずあったものだそうです。しかし、アトリウム、信者が増えて教会が手狭になるとを取り壊され、その敷地に本堂を建てることも多々あり、現在では、ここエラフラシス・バシリカ以外ではヨーロッパでも数えるほどしか残っていないようです。

さらに珍しいのは、このアトリウムを挟むように洗礼堂が残っていることで、8角形の窪みが建物の真ん中の床にあります。かつては、ここに水が張られて全身を水に浸す洗礼が行われたということです。洗礼盤ではなくバスタブのような洗礼場が床の窪みに設けられている教会は現在ではなかなか見ることができません。

エラフラシス・バシリカは、教会+アトリウム+洗礼堂という同時代の3つの神器が当時のままで残され、1500年前の初期キリスト教時代の面影を留める貴重な建造物だということです。

アトリウムの中から聖堂に入ると、内部は大理石の柱で区切られた箱型の三廊式で、典型的な初期キリスト教会のバシリカの造りになっています。

この教会のハイライトは、6世紀ビザンチン時代に製作されたモザイクです。天上ドームの中央には幼子キリストを抱いた聖母マリアが玉座に座り、その両脇に大天使、さらに脇には聖人が並んでいます。中央の聖母子から数えて左3人目、黒い衣の人物がこの教会を立てた司教エウフラシスで、手に教会の模型を抱えています。その左にはクラウディウスという名の司祭が立っています。周囲には輪のような冠を手にした聖職者が立っていますが、冠を手にしているのは殉教者であることが多いといいます。

ドーム下の壁には、左に大天使ガブリエルがマリアに受胎告知する場面、右にマリアの叔母のエリザベートに会いに行く場面が表現されています。

聖母マリア信仰は中世には一般的になりましたが、公に認められたのは431年のエフェソス宗教会議にてのことです。ゆえに、このモザイク画は、聖母マリアを後陣のメインにするモザイク画としてヨーロッパで現存するなかで最古のものである可能性が高いといわれています。

これ以降、ビザンチン世界で製作されるモザイクでは、マリアを中心に置く祭壇が広まっていきます。

このモザイクの前に立つと、聖母や聖人達が金箔の光の中に神々しく煌いて浮き上がり、神の世界から舞い降りてきたような印象を与えます。

ヴェネチアのサン・マルコ寺院やラヴェンナのサン・ヴィッターレ教会にも美しいモザイクがあります。ヴェネチアのものは、11世紀に製作されたものも一部ありますが、殆どが13-5世紀に製作されたもので、17世紀のものもあるとのことです。

ポレチュのものは、それより500年から1000年以上も前に作られたものばかりで、6世紀に製作されたラヴェンナのものと同時代になります。ラヴェンナはアドリア海を挟んでポレチュの対岸に位置する街であり、当時は陸路以上に海上交通が主要交通手段であったことから、文化面における交流も盛んであったのでしょう。

モザイクは、ローマ人が泉や浴場の床など水を使う場所にはモザイクで飾ったのに対して、ビザンチン時代には神聖な教会の壁や天井を飾るために用いられるようになったといいます。毎日足で踏みつけられる床とは違い、壁や天井のモザイクは崩れやすくとも美しい素材を使うことができました。

そこで多く使われるようになったのがガラスです。色ガラスの使用により、更に色彩豊かな世界が生み出されていきました。画期的だったのは、1-2センチ四方に切った透明なガラスとガラスの間に金箔をサンドイッチのように挟んだ金入りの徹せらを人物の背景に使うようになったことです。

この手法により、キリストや聖人は背景の金の輝きの前で神々しく浮き上がり、神の世界は壮厳なまでの輝きを増しました。教会から差し込む僅かな光がガラスにあたり、反射して微妙な色彩の演出をします。聖なる世界がそこに表現されるのです。

8世紀から9世紀前半まで続いた聖像破壊の動きにより、ビザンチンの本家本元であるコンスタンチノープルにはビザンチン・モザイクはほとんど残っていません。しかし、そこから遠く離れたラヴェンナやポレチュでで、その華麗なる美の遺産が生き残ってたのです。

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