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フランス紀行

~フランスの社会・生活・文化に関する情報や日本社会との比較分析、世界各地を旅して発見した面白い情報をお届けします。~

プロフィール

ニックネーム:
Neomars
居住地:
ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
性別:
女性
会社名:
Tabet International en France
会社英字名:
Tabet International en France
会社所在地:
ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
業種:
現地ツアー企画・現地ガイドなど
自己紹介:
単なるスポット紹介やグルメを堪能することだけに飽き足らない旅慣れた日本人が欲している情報とは何か・・・。それは、「現地とコネクトすること」ことができる情報提供ではないかと思っています。表層に現れる現象の根拠を歴史的、文化的、社会的価値観の観点から探り、ついでに辛口ジョークや捻りの利いたブラックジョークも交えながら、「なるほど・・」と納得しながらクックックゥと笑って楽しんで頂ける情報提供をお約束します!

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21 - 25件目まで(25件中)

TGV1
TGVの旅:パリからマルセイユへ
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>パリ
テーマ:観光地 街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/02/07 21:54
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パリからマルセイユまでTGVでたったの3時間・・・・南仏が随分と近くなったな・・・。

TGV1

以前、両親と一緒に南仏を旅する計画を立てていた時に、父がポロッと漏らした言葉だ。

日本の国土の優に2倍はあるヘキサゴンを横断するのに要する時間が3時間だなんて、私達の両親が若かった時代には考えられなかったことだ。

TGV2
(パリ・リヨン駅)

あれから20-30年という月日が経つわけだが、パリと南仏だけに限らず、地球全体が本当に「狭く」なったとつくづく感じる。

今では外国に行っても、「異文化」を体験するということがメッキリ少なくなったような気がする。異国へ旅立つことで、自分が慣れ親しんだ生活や友達など全てをあとに残し、いわゆる人生の「断絶」「いちからのスタート」というものをドラスチックに経験することが無くなった。

理由は二つ考えられる。

ひとつは、グローバル化によって世界全体が大なり小なり「均一化」し、相当な僻地へ行かないかぎり日々の生活において大した違いがなくなったということ。

そしてもうひとつは、インターネットの発明、今ではソーシャル・メディアの普及により、異国に住む家族や世界中の友人・知人と常に繋がっていることができるからだろう。

私が子供の頃でもまだ「異文化」は世界各地に残っていた。

まず、私が覚えている限りでは、80年代では日本から欧州への直行便は飛んでいなかった。行きは必ずモスクワのシェレメチエボ空港で乗り継がなければならなかった。

共産主義ソビエトの窓口ともいえるシェレメチエボは、西側の反共教育にどっぷり漬かって育った子供が連想する「共産主義国家」の予想を裏切ることは無かった。

空港には、免税にする必要があるのかどうか定かではないマトリオーシカなどソ連のお土産を売る小さな免税店がひとつある以外は他に何も無く、旅行客も日航ジャンボ機から降りてきた日本人を除けば両手の指で数えられるぐらいの数しか見当たらない。

成田やケネディ、SDGなどの例から、子供心に首都空港は忙しいものだと相場が決まっていた。そのため、ここまで閑散とした首都空港にはいつも心地悪い違和感を抱いた。「ああ共産主義の国に生まれなくてよかった。やっぱり共産主義は良くないんだ」と強く思ったものだ。

また、閑散としているだけならともかく、侘しさに拍車をかけるように空港内は見渡す限り極端に薄暗く、お化け屋敷同然の薄気味悪さが漂っていた。

共産主義国家が得意とする5ヵ年計画だのが破綻して電力不足に陥ったのか、それとも人民に煌々と輝く電灯は必要ないと「中央」で下された決定なのか知らないが、あんなに薄暗い公共施設は見たことがなかった。

いずれにせよ、ソ連の威信を世界に向けて発信する窓口の割には、あまりにもお粗末な首都空港だったといえる。

その中で唯一景気がよかったのは、軍の存在だった。カラシニコフのような小銃を肩に持った兵士が空港全体に一定の間隔を置いて整然と立っていたのを今でも鮮明に覚えている。

ひたすら空虚な眼差しで空を見つめ、表情に欠けるその顔は、揃いも揃って男前であったにもかかわらず人間味が感じられなかった。国家統制によって人間の心まで統制され、画一化され、ロボットのように精密ではあるものの無機質になってしまったのか・・・・。共産主義の下で生きる人達は我々西側の人間とは確実に違う・・・とただ漠然とではあったものの強く思ったのを覚えている。

そして、我々旅行客がセキュリティを通り、たまたまメタル探知機が作動して音を出すと、その時になってはじめて彼らが動く人間であることが証明される。しかし、動きに個性は全くみられず、統制され機械化されたものであることはいうまでもない。

どのように証明されたかというと、近辺の兵士が一斉に探知機を作動させた旅行者へと銃を向けるのだ。一瞬の遅れもなく、また一糸乱れぬ整然さでもって。

私も一度この探知機を鳴らしたことがある。私の無害この上ないベルトに反応したらしかった。しかし、そんな事情にはお構いなく、その時も、近辺に立つ兵士が一斉に銃を向けてきた。

ドキッとしたのと同時に、ヒューマニティのかけらもない共産主義の一面を垣間見たと子供ながらに思った。たとえ子供であろうとも、人間の挙動よりも機械の性能のほうを信頼するというロボティックで反人間的な世界観というものを恐ろしいものだと感じた。

この時はモスクワ経由でローマへ行くところだった。ローマの空港でも同じくメタル探知機が作動した。しかし、対応は月とすっぽんのごとく異なるものであったことは言うまでも無い。

鳴ってから間もなくして、プクプクと太った人の良さそうなセキュリティ担当の女性がガムをかみながら近寄ってきて、「メタル?」と尋ねながら手に持った別の探知機で私のベルト辺りを触り、「OK」と笑顔で一言、行ってよいというサインを送ってくれただけだった。

この時は、心から「西側っていいな!」と思ったのを覚えている。このおおらかさ、人間に対する信頼、改めて自由主義は共産主義にない全てのクオリティを兼ね備えた体制だと子供ながらに確信し、それに対する信頼を新たにしたものだった。

と、このように、シェレメチエボやフューミチーノ(当時はダビンチ空港という名前だったと記憶しいてる)に限ったことではないが、昔は自分達の文化や価値観とは異なるもの、また似ているものが各地で体験でき、それを比較したり、評価したりする機会がふんだんにあったわけだ。

あれからかれこれ20年はなるだろうが、90年の始めあたりから日本と欧州の間を直行便が飛ぶようになり、途中でシェレメチエボを詣でることも無くなり、私達がモスクワに降り立つこともなくなった。

以来、どんなに変わっていることだろう・・・・と時々思いを馳せてみることがある。民営化が進んで以来まだ行ったことがないが、現代ロシアは激動を経て、今では当時の面影など全く無くなってしまったことだろう。それこそ、一見するだけでは、成田やCDGなどと何ら変わることがないかもしれない。いつか機会があれば是非とも行ってみたいものである。

話をフランスに戻すが、パリと南仏の差もTGVの登場によって激減したような気がする。確かに、パリのと南仏の間には人の気質や天候に差があることは明らかだが、それだからと言って「異文化」だと騒ぎ立てるようなものでは決してない。街の規模こそ異なれど、そこで営まれている個人の生活やビジネスなどはパリと全く変わることはない。

TGV3

パリとマルセイユがTGVで3時間となったことも踏まえて、全く別世界に行く!という幻想をもてあそぶことは既に不可能なこととなった。サマセット・モームなどが描き出す南仏などそこにはもう存在しない。

便利になったぶん、なんども味気ない世の中になったものだ・・・と嘆かわしく思う。かといって、インターネットによって世界中のありとあらゆる情報にアクセスできる利便性やソーシャルメディアが可能にする「世界と繋がっている」感覚を手放すことはもはや不可能だ。

TGV4

パリのリヨン駅で乗車し、3時間後の午後6時過ぎにはマルセイユのサン・シャルル駅に到着していた。なだらかに延々と続く穏やかな丘陵、その単調さを時々破るように登場する農場や小さな村などをボーっと眺めていると、アビニヨン、エクサン・プロヴァンス、そしてもうマルセイユに到着した。

マルセイユのサン・シャルル駅からは、遠方にマルセイユの守り神であるノートルダム・ド・ラ・ギャルドを望むことができる。

TGV5

因みに、TGVは一等席と二等席から成っており、早めに予約を入れると(2日前ぐらいまで)かなりの割引が利く。一等席など半額の値段で購入することが可能になる。インターネットで早めの購入を試みてください!
タグ:
TGV パリ マルセイユ フランス ヨーロッパの鉄道 

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フランスの魅力を漏れくお伝えします。
初雪1
マルセイユの初雪
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
テーマ:観光地 街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/02/07 20:29
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朝起きて窓から外を眺めてみると、目の前に一面、銀色の世界が広がっていました。マルセイユで雪が降ることは稀なので、とても驚きました。寒いのにベランダに出て、少しの間目下に広がる雪で覆われたマルセイユの町並みを見入ってしまいました。

ここ2週間ほど、寒波がヨーロッパを襲い、ベラルーシやポーランドなどでは日中気温が氷点下20度になるなど、極寒の毎日が続いており、多くの人が凍え死ぬという事態が発生しています。

しかも、この寒波はヨーロッパの対岸である北アフリカのマグレブ地方にまで達し、アルジェリアが雪で覆われ、ここでもまた凍死が相次いでいます。砂漠では温度差が激しいというものの、雪まで降るか・・・・・と信じられない思いでテレビ報道を見つめてしまいました。

初雪1

フランスもご他聞に漏れずで、マイナス20度とはいかないにしても、北部や内陸地域では氷点下の気温が続いています。ホームレスのためのシェルターがここ数週間はフル稼働していますが、やはり凍死が相次いでいます。社会主義の国だというのに、貧困は社会にしっかり根を張っており、ホームレスには事欠きません・・・。

しかも驚きなのは、貧しいがために電気が使えず、家にいても氷点下の気温で生活する人がいるということです・・・。

原子力発電所が各地に多々設置されていることで世界に名を馳せているのだから、電気ぐらいは安価かつ十分に供給してもよさそうなものです。しかし、電気料金は日本のそれと大して変わらず、一般のフランス人にとっては割高だと考えられています。そのため、電気代を払えない人が各地で続出し、極寒のなかで生活することを余技なくされています。

先進国の一員であり、全ての国民に人間らしい生活を保障するべく過酷な平等主義を貫くフランスにおいて、電気代が払えずに氷点下のなかで生活を余儀なくされる人々が各地で見られるなんて・・・・。理論と現実の乖離が激しいこの国においては、あまり驚く現象でないのかもしれません・・・。

初雪2

マルセイユでは、先週の頭まで日中気温が15度ぐらいの温暖な毎日が続いていました。しかし、それ以降、気温が急激に下がり、日中でも1-3度ぐらいにしか上がらない寒い毎日が続いています。先週の水曜日だったと思いますが、微かに雪がチラついたことがありました。でも、2分もしないうちに止んでしまいました。

そして、昨晩から降り積もった雪景色の登場です。朝起きた時には既にあかっていたので、雪が降っている光景を見ることはできませんでした。地中海を覆う雪景色というのも、これまたオツなものかもしれません。

確か6年程前にマルセイユで初めて雪が降り、子供達が大喜びしていたという話を聞いたことがあります。喜び勇んで雪の味見をした子供達もいたとか・・。南仏では雪が珍しいので、雪を始めてみる子供も多かったことだと思います。

でも、大人になると、車がスリップするだとか、交通渋滞が起きるだとか、寒さで風邪をひかないかなど現実的なことしか頭に浮かばなくなります・・・。

雪が美味しいと思う豊かな感性をいつまでも持ち続けたいものです・・・。
タグ:
フランス マルセイユ 南仏 気候 景観 

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フランスの魅力を全てお見せします・・・。
ノートルダム1
マルセイユの守護神・ノートルダム・ド・ラ・ギャルド
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/02/05 01:03
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ノートルダム・ド・ラ・ギャルドは、"La Bonne Mere"とも呼ばれるマルセイユの守護神です。地中海へと開けた海抜約150メートルの丘の尖端よりマルセイユをぐるりと見渡し、海の安全と沿岸都市の繁栄を見守っています。

現在のバシリカは19世紀に奉納されたものですが、その歴史は13世紀の始めに遡ります。

13世紀の当時、その丘はサン・ビクトワ-ル修道院に帰属しておりましたが、ピエールという一人の聖職者がその峰の尖端に小さな礼拝堂を建設し、生涯そこの守護として尽くしました。その後、17世紀末に起きたフランス革命の少し前まで女子修道院としての役割を果たしました。

その間、16世紀の前半より、フランソワ1世によってその丘に要塞が築かれ、軍事施設の一つとして国家に収容されてしまいました。16世紀に入ると封建制度の下で分散していた封建貴族の中から王が誕生し、中央集権化が進み、絶対主義全盛の時代に入ります。軍事力にバックにした王権を前にして、聖職者といえども従うより他になかったのでしょう。

ノートルダム2

しかし、軍事要塞となった後も礼拝堂はそのままの状態で置かれたことから、平時におていは一般にも開放されることとなり、敬虔なカトリック教徒が祈りを捧げるべく通ってきたといいます。

軍事要塞の中に置かれた礼拝堂というのは前代見物でしたが、その歴史は1941年を持って幕を閉じます。1914-1918年の第一次世界大戦争より戦闘のあり方に変化が現れ、航空機や戦車などが導入されたことから、要塞の存在意義が失われてしまったというのが主たる原因のようです。

ノートルダム3

1934年には当時の共和国大統領であったアルバート・ルブラン(Albert Lebrun)によって要塞を非戦闘地域に指定するという大統領令が下されました。そして、第二次大戦が始まり戦費が嵩むようになると、不必要な要塞を維持することは最早不可能とみなされ、1941年をもって要塞としての歴史は終焉を迎えました。

「要塞に囲まれた礼拝堂」として4世紀もの長きに渡り浮世の荒波に翻弄されたわけですが、抜けるような青空をバックにバシリカの白亜が優雅に浮き出し、その登頂に立つ黄金のマリアの像がたおやかに微笑んでいるのを見る限りでは想像だにできません。その穏やかさ、優雅さには俗世とは隔絶の感があり、これはまさしく現在の宗教と俗世の関係を物語っているように思われました。

西欧社会においては先に述べた絶対王政を境に政教分離が実践されるようになり、その後の産業革命、市民革命へへの道を開きます。以降、科学への信望が強まり、現世における幸せ、物質的な豊かさが何よりも追求される世の中が到来し、宗教家としては己の存在意義が疑問に付される受難の時期を迎えたといえます。

このような時代において、宗教が果たす役割について聖職者はもっと積極的に発言し、行動を起こしていく必要があるように思われます。私には、現代社会における宗教の目的がいまいち良く分かりません。

ノートルダム4

隣人愛と寛容を説き、人類の救済のためにあるみたいなことを言われますが、一神教の世界で実際に起きていることは、加速する不寛容と高まる相互の疑心暗鬼、そして、何よりも恐ろしい、生命への無頓着ではないでしょうか?

これは、原理主義者や過激派が勝手に教理を解釈し、行動に出ていることで宗教とは関係ないと言われるかもしれないが、私にはそうは思われません。結局のところ、従来の宗教活動をただひたすら繰り返すだけで、現代社会において必要とされる救済のニーズを把握できず、具体的な解決策なり行動指針を打ち出せないだけなのです。

ノートルダム5

また、俗世に蔓延する様々な煩悩と向き合い、対処することについては、一神教に限らず全ての宗教に通じる普遍の問いだと思います。しかし、いずれの宗教もこの問いに答えを出していません。多くの大義名分が巷に氾濫していますが、日常においての実践に関する具体策といったものは未だに提示されていないのです。結局のところ、精神の安らぎや心の安定を得るには、自分と向き合い、一人で対処していくしか他ないのでしょう。

ノートルダム6

ミストラルにビュンビュン吹かれ、立っていることさえも危ぶまれるなかで、マリアが微笑んで優雅に立っている場所だけではエアー・バックが張り巡らせてあるかのように静けさに満ち、穏やかそのものでした。隔絶の世界・・・・とはまさにこのことで、カトリックに限らず全ての宗教が現在直面している状況を雄弁に物語っているようでした。
タグ:
マルセイユ 世界遺産 旧港 バシリカ 名所 

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マルセイユの魅力を全て教えます!
パリのカフェ6
パリのカフェ文化
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>パリ
テーマ:観光地 街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/02/03 22:29
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パリの人達はコーヒー好きです。我が家の夫もご多分に漏れずカフェ好きで、カフェ無しに人生は立ち行かず、少なくとも1日に3杯は飲んでいるようです。もちろん、エスプレッソであることは言うまでもありません。

パリのカフェ1

フランスでコーヒーといえばエスプレッソになります。味音痴、邪道と貶されようともアメリカン・コーヒーをこよなく愛する私としては、このカフェ=エスプレッソのあり方にどうしても馴染むことができません。健康面からも生活の豊かさの観点からも受け入れられないのです・・・。

あそこまで濃いと胃に負担がかかるし、しかもすぐに飲み干してしまうため、コーヒーを飲むという行為から得られるゆったりと落ち着いたひと時を満喫することさえできません。

しかしながら、心強いことに昨今ではパリでも「スターバックス」が出現し、カーラ大統領夫人をはじめとして絶大なる支持を受けるようになっています。絶大という部分は、私が勝手な主観による判断の域を出ない可能性もあります

しかしそれでも、マクドナルドのように悪しきアメリカの食文化、フランス文明を破壊する資本主義経済の急先鋒として誹謗中傷されることもありません。これは、フランス社会での受け入れが着実に進んでいる証拠だといえます。

実際に、最寄のスターバックスはいつも混んでおり、繁盛しているのは傍目にも明らかです。もちろん、全ての客が私のようにレギュラー・コーヒーを購入しているわけではありません。多くがスターバックスが独自に開発する「装飾がかったカフェ」を注文していることは確かです。彼らの殆どはエスプレッソとは別にスウィーツとしてスターバックスの各種商品を消費しているようです。

このような状態を見るにつけ、カフェ=エスプレッソ文化の根強さを思い知らされます。我が家においても、コーヒー・メーカーはフランスでの居住開始とともにエスプレッソ・マシーンに変身しました。夫が最も拘って購入した家電製品がこのマシーンであったことは言うまでもありません。

余談にはなりますが、一方でインスタント・コーヒーというものもフランスでは健在です。アメリカン・コーヒーを愛する人間に対するフランス人の軽蔑感がドリップ式のコーヒー・メーカーの不在とインスタント・コーヒーのスーパーにおける氾濫に見て取れます。

そうです、アメリカン・コーヒー愛好家は、自宅ではインスタント・コーヒーに甘んじるしかないのです。フランスでは、エスプレッソとインスタントの中間を行くポジショニングは選択不可といっても過言ではありません。

スターバックスのような新参カフェの対極にあるのが昔ながらの古き良きフランスのカフェです。とされていますが、私には歴史の重み以外に双方の間に横たわると言われる違いがよく理解できません。

パリのカフェ2

提供する商品が少々異なるのみで、その存在意義は今も昔も変わらないからです。カフェでやることは食事や飲み物を堪能する他は、たわいもない話に花を咲かせたり、議論に熱中したり、仕事や書き物に集中したり、あるいは、ひとりで道行く人を眺めながら思索に耽るゆったりとした時間を過ごしたりと様々ですが、共通することは、人生を豊かにするための場を求めて時間を過ごすということです。

パリにも伝説のカフェは数多く存在しますが、その代表格として挙げられるのが、サンジェルマン・デ・プレにあるカフェ・ドゥ・マゴとカフェ・フレールです。

パリのカフェ3

パリのカフェ7

サルトルやボーボワールを中心に20世紀を代表するフランスの知識人や芸術家が集い、日夜に渡って哲学・文学・芸術談義に花を咲かせ、創作活動に没頭した場所として有名です。サルトルやボーボワールは、このカフェを仕事場として利用し、毎日通ったと言われています。実際に、彼らの名を刻んだプレートが当時席を占めていたという場所に打ち付けてあるのが見えます。

パリのカフェ4

サルトルとボーボワールは深い愛と絆で結ばれ、互いを尊敬し思いやる素晴らしいカップルであったことは有名です。しかし、そうであったがために、結婚することなく生涯独身を貫きました。結婚は互いの依存を助長し、人間の存在にとって欠かせない自由の精神を蝕むことになるからということでした。一緒に時間を過ごしながらも各自のプライベートには望まれない限り干渉しないというスタイルは、理念としては神々しいばかりに立派でも、日常において実践するのは容易いわけではなかったようです。

それでも二人はこの関係を貫き、カフェで毎日会い、一緒に議論し、創作することで、20世紀の西洋思想の前進に大いに貢献しました。このことからも、20世紀にはフランス文明の流れがカフェで形作られたといっても過言ではないでしょう。

これらのカフェをはじめ、パリの各地には19世紀の面影を色濃く残したカフェが無数に存在します。パリの街自体が19世紀のオスマン市長によって大改革され、以来そのままの状態で保存されていることからも当たり前といえば当たり前ですが、概観以上に、そこにある魂がいまだに19世紀ー20世紀である印象を受けるのです。19-20世紀がパリのカフェの全盛期で、その時代の威光に未だにしがみついているとも言えますが。。。

特に、どんよりと雨雲が重苦しく立ち込め、パリの街全体を覆っているような日には、小雨でも降れば、19世紀のパリが目の前に立ち現れます。ぱっと見には陰鬱だけれど、オレンジの間接照明に暖かく照らされるカフェの中は活気に満ち、人生を愉しむことを心得た人々の精神が自由に飛びまわっています。当時から何も変わっていないパリがそこにあるのです。

フランス社会も国家経済から社会のアイデンティティにいたるまで数々の問題を抱えており、様々な分野での改革や変革が求められています。外国人の私の目から見ても、変革を断行していかなければ国が立ち行かない時期に来ていることは明らかです。

そんななかで、切羽詰った問題から一息入れることのできる憩いの場所、フランス人のアイデンティティを再確認できる場所というのがこのカフェではないかなと思ったりするのです。

パリのカフェ5

様々な意味で人生を豊かにする場を与えてくれる場所、それがカフェであり、この存在意義は今も昔も変わらないような気がします。
タグ:
パリ カフェ サルトル 文化 スターバックス 

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パリのカフェ文化・・、それはフランスの知の創造に貢献し、西洋文明の発展を後押しするものでした。
クリスマスのパリ1
クリスマスのパリ
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>パリ
テーマ:観光地 街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/02/03 22:00
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クリスマスのシーズンの到来により、パリの街もクリスマス一色となりました。ユーロ圏一体を覆う経済危機の重苦しい雰囲気を吹き飛ばさんばかりに、人々は足取りも軽やかにノエルのショッピングを楽しんだり、シーズンのディナーやパーティーに奔走しています。

クリスマスのパリ2

フランスでは、クリスマスが日本のお正月のようなもので、家族が集い一緒になって祝う一年で最も大切な行事なのです。ですので、連日に渡って報道される欧州の先行きを憂うニュースや分析はさておいて、いつもは硬いパリジャンの財布の紐もこの時ばかりはかなりの程度緩むようです。

クリスマスのパリ1

我が家でもこのシーズンには物入りとなり、プレゼントの用意、ディナーの準備とショッピングへ費やす時間が飛躍的に増します。そんな時にいつも思い出すのは、物質文明の絶頂を極める東京の豊かさ・・・・・・。

日本では、フランスは文明の先駆者、美の巨匠の国などというイメージが定着していますが、それは既に数世紀も前のことであり、21世紀の今日においてはその限りではありません。過去の遺産に固執し、それを国内どころか世界に納得させるフランスのPR力、イメージ戦略というものには、まずもって脱帽するよりほかありませんが・・・・・。数世紀前の遺物、方法論、デザインなどが今世紀の産物に勝るとも劣らない有効性、存在価値というものを持つのだと信じ込ませることにおいて・・・・・。

いずれにせよ、商品の品揃え、種類など無限に存在するだけでなく、消費者のニーズを遥かに先取りしたなアメニティ、細かな点にまで配慮したデザイン性、意匠を凝らした利便性など、ここまでやるか・・・・と消費者を唸らせる商品で東京は満ち溢れています。歩くたびに将来を展望した新たな発見、創造性の発露を垣間見ることができるのが東京の街の魅力といえるでしょう。創造性と消費文化をここまで綿密に結び付けて経済の発展の道筋を構築する都市は、世界広しといえど東京を除いてまずないといえます。そして、この消費文化がもたらす富と繁栄により、今日の東京は群を抜いて豊かで、煌びやかで、創造の世界の先端を行く都市だと位置づけられるわけです。

パリをはじめとしてフランスでは、消費文化のここまでの横溢を見ることはまずありません。その理由のひとつに、国内産業を守るための厳格な規制が挙げられます。そのため、平均賃金のレベルの割りには物価が高いということが住んでみると身に染みて分かります。

小市民の我々にとって日々タオルや束子、食器や掃除道具が品質がそこそこに保障されてはいるものの割高な「Made in France」である必要はありません。日本の百円ショップに溢れている途上国から輸入された安価な商品で十分に間に合うわけです。食料品にしても、農業国だという割りにはそこまで品揃えが豊富で安価であるというわけでもありません。品質保証は厳格にされているようですが、それは少々遅れている点があるものの、日本においても同様のレベルが確保されているといえます。

一般消費者としてフランスで暮らしてみると、規制緩和というものが日本で言われているほど悪質なものではなく、むしろ歓迎すべきものであることが身に染みてわかります。もちろん、無節操な規制緩和は国内産業を退廃に導き、巨大外資の市場搾取を許すだけに堕するだけなので奨励されませんが、健全な競争と経済の活性化を目指すしっかりした方針があるのであれば、ある程度までは必要とされるものです。そうでなければ、フランスのように一部の非効率な産業を温存するがために、一般大衆が被害を蒙っているのです。

私など、日用雑貨を買いに行くたびに、東京の街に溢れている百円ショップが懐かしくてたまりません。しかも、フランスのディスカウント・ショップは寂れた物悲しい雰囲気に満ちており、ここで買い物するだけで自分が落ちぶれた人間だと思わされるのに対して、日本の百円ショップは、様々な工夫や創意に溢れる小物に満ちて明るく華やかで、「お買い得商品を発見する」喜びに満ちた建設的な時間をすごすことができる空間、そこで買い物をする私は費用対効果を考慮する賢い消費者として認識することができるのです。

話が私個人のフランスの消費経済における不満を開陳する方向に外れてしまいましたが、クリスマス・ショッピングにおいても同様の問題に直面します。種類が少なく、しかもデザインやコンセプトにおいてもいまいちなものしかないということです。そして、費用対効果に乏しい。。。。東京の価格を知り尽くしている私には、何を買うにも「え、これでこの値段・・・・?」という類の感想しか頭に浮かばないのです。ヨーロッパが最適なのは高価なアンティークの買い物だけで、小市民のちまちました買い物には適していないようです。ま、これも、普段買い物に興味がなく、必要最低限以外はショッピングをしない私の限られた知識と経験から生まれた見解だといばそれまでですが・・・。

あまり捗らないクリスマス・ショッピングに苛立ちを感じ、息抜きにシャンゼリゼ大通沿いに立ち並ぶクリスマス・マーケットでも冷やかしに行こうかと思い立ち、冬の冷たい風が吹きすさむ夕暮れのシャンゼリゼに向かいました。

クリスマスのパリ3

クリスマスのパリ4

今年のシャンゼリゼのクリスマス・イルミネーションは、ぶっちゃけ、たいしたことありません。友人や知人から「今年はたいしたことない」とか「貧弱」「コンセプトが不明」などと聞かされていましたが、行って見ると、「このやる気のなさ、どうしちゃったの?」と言いたくなるほどの貧相なできばえでした。

クリスマスのパリ6

経済危機で節電でもしようとしているのかなと思ったりしましたが、節電が目下叫ばれている東京のほうがテレビで見る限り格段に派手で豪華です。欧州のクリスマスの風物詩として代表格であるシャンゼリゼのイルミネーションがこんなことでは許されません!

クリスマスのパリ7

クリスマス・マーケットは、チーズ、燻製ハム、ソントン(キリスト降誕の状態を再現するための人形など一式)、チョコレート、アクセサリーなどクリスマスに関連する各種製品を売り出すブースがシャンゼリゼ沿いに軒を連ねていました。子供のためのメリーゴーランドや滑り台などもあります。この寒さのなかでも子供は元気です。

クリスマスのパリ8

クリスマスのパリ9

目新しいのが、「無料マッサージ」!無料で手足や方などマッサージしてくれるのです。慣れない主婦業とパリの寒さで凝り固まっている私の身体もマッサージを切に欲していましたが、妊娠しているので変わったことはせまいと、「無料」という世界で最も魅惑的なオーラを発する形容詞から目を逸らし、そこでマッサージを堪能している人々が発する狂喜の叫びを聞くまいと必死の努力でもってその場を立ち去りました。

クリスマスのパリ10

でも結局、何も買わずに帰ってきました・・・。というよりも、寒さでまともな思考ができず何も考えられなかったと言ったほうが正しいかもしれません。

その代わりに、写真を一枚撮りました。アレクサンドル3世橋とエッフェル塔をセーヌ川越しに遠くに見る景色です。パリの絵葉書にもよくありますが、確かにこのアングルはパリの美しさを最高に引き立てます。

クリスマスのパリ11

夕暮れに沈む冬枯れの情景は、19世紀の街並みが色濃く残るパリの美しさを更に引き立てます。黄昏も深まり夜の帳が下りんかともいうべき状態にあるフランスの繁栄が、斜陽を深めるフランス社会の停滞が、そして、アイデンティティの崩壊により物語性を日々失うフランスのレガシーの消滅が、全てのこの一枚に収められているような気がしました。
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パリ クリスマス ノエル シャンゼリゼ 

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寒空の下でもクリスマスのライトアップが美しいパリ。シャンゼリゼを中心にパリのクリスマスデコレーションやマーケットをご案内します。

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