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- ★オスマントルコの栄華示す宮殿・トプカプ★
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エリア:
- 中近東>トルコ>イスタンブール
- テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/06/09 08:04
- コメント(0)
映画「日曜はダメよ」で一躍有名になったギリシャの女優メリナ・メルクーリさんの名は覚えていますか!?
その後、同国文化相を務めたメルク-リさんは、もう亡くなりましたが彼女の映画は時々上映されたり、ビデオになったりしています!
そのメルクーリさんは1964年、米映画「トプカプ」に主演しました!!
トプカプ宮殿から王様の剣を盗み出すストーリーの映画は、巨大なエメラルド3個を柄にあしらった剣の豪華さとともにトプカプの名を全世界に広めました!(^^)!
トプカプ宮殿はイスタンブールにあります!
1453年、当時のコンスタンチノープルを征服したオスマントルコは、スルタン・メフメット2世が1465年から宮殿の建設に着手しました。
完成は1478年。長さ400メートルの城壁に囲まれた宮殿は、建物の面積だけでも約2万平方メートルありました。
宮殿は19世紀半ばまで使われ、スルタンと一族が居住していたほか、政府機関もありました。
現在は王様の剣をはじめオスマントルコ時代の栄華を示す博物館になっています!
トプカプのトプは「門」、カプは「大砲」を意味します(^-^)
宮殿には大砲2門が海の方角をにらんでいました。そこから名が付いたのです!
さて、王様の剣には次のようなエピソードが伝わっています。
18世紀半ば、スルタン・マフムート1世はイラン・アフシャール王朝の君主ナディール・シャーに贈るためこの剣を作らせました。剣を持たせた使者をイランに送るのですが、同国で反乱が起きナディール・シャーは殺されてしまいます。
そこで使者は剣を持って帰国します。
トプカプは王様の剣やほかにも豪華な宝飾品や東洋の陶磁器などのコレクションで有名です。いつまでも見とれてしまい、時間が過ぎるのを忘れてしまうという言い伝えです!
その後、同国文化相を務めたメルク-リさんは、もう亡くなりましたが彼女の映画は時々上映されたり、ビデオになったりしています!
そのメルクーリさんは1964年、米映画「トプカプ」に主演しました!!
トプカプ宮殿から王様の剣を盗み出すストーリーの映画は、巨大なエメラルド3個を柄にあしらった剣の豪華さとともにトプカプの名を全世界に広めました!(^^)!
トプカプ宮殿はイスタンブールにあります!
1453年、当時のコンスタンチノープルを征服したオスマントルコは、スルタン・メフメット2世が1465年から宮殿の建設に着手しました。
完成は1478年。長さ400メートルの城壁に囲まれた宮殿は、建物の面積だけでも約2万平方メートルありました。
宮殿は19世紀半ばまで使われ、スルタンと一族が居住していたほか、政府機関もありました。
現在は王様の剣をはじめオスマントルコ時代の栄華を示す博物館になっています!
トプカプのトプは「門」、カプは「大砲」を意味します(^-^)
宮殿には大砲2門が海の方角をにらんでいました。そこから名が付いたのです!
さて、王様の剣には次のようなエピソードが伝わっています。
18世紀半ば、スルタン・マフムート1世はイラン・アフシャール王朝の君主ナディール・シャーに贈るためこの剣を作らせました。剣を持たせた使者をイランに送るのですが、同国で反乱が起きナディール・シャーは殺されてしまいます。
そこで使者は剣を持って帰国します。
トプカプは王様の剣やほかにも豪華な宝飾品や東洋の陶磁器などのコレクションで有名です。いつまでも見とれてしまい、時間が過ぎるのを忘れてしまうという言い伝えです!
- 世界遺産のセリミエジャーミ
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エリア:
- 中近東>トルコ>イスタンブール
- テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/06/03 13:51
- コメント(0)
エディルネ(EDIRNE)
ギリシアやブルガリアとの国境の町エディルネはトラキア地方、つまりトルコのヨーロッパ側国土の中心都市であり商業文化の中心であると同時に古くから軍事的にも重要な役割を担ってきた。 もともと土着のトラキア人の住むこの小さな町の地理的重要性に着目し都市造りを命じたのはローマ皇帝ハドリアヌス、2世紀前半のことだった。町は皇帝の名にあやかってハドリアノポリスと呼ばれ、後にはテオドシウスニ世が城壁で町を囲み、首都コンスタンティノープルを守り抜く前哨地点としてより強化されている。さまざまな民族との攻防戦の舞台としてのドラマを秘めて、14世紀にはオスマントルコの領土となり、1453年のコンスタンティノープル征服までの一時期はその都とされていた。 近代になってもその戦略上の要所としての哀しさから逃れることはできない。19世紀にはロシア占頷下に、20世紀になってからはブルガリア領土とされたこともあった。 エディルネの町のみどころの第一はまずセリミエジャーミをあげなければならない。16世紀後半に建設されたこのモスクはオスマントルコが生んだ天才建築家シナンの代表作と称えられている。エジプトやギリシア、ローマ、ビザンティン帝国各地からの資材を利用した壮麗な建物で、巨人なドーム屋根とその下に配された999の窓、そして本堂を囲むように4本の尖塔がすっきりと天に向かう、その洗練された美しい姿は市民の誇りである。モスク内部も天井や壁の装飾と外からの光がみごとなハーモニーを醸し出して荘厳な雰囲気が漂う。ミヒラブ(壁がん)のタイル装飾にも注目したい。 エスキジャーミ(オールドモスク)はエディルネの数ある建築の中でも最も古く1414年に完成している。その近くのだくさんの小ドームが並んで目を引くのはベデスタン(屋根付きバザール)である。リュステムパシャのキャラバンサライは最近オリジナルにそって修復された。ウチシェレフェリジャーミ(塔に3つのバルコニーのあるモスク)は4本の尖塔の形など建築学上興味深いもので15世紀前半、ムラト二世が建てた。このスルタンはエディルネに多くのりっぱな建物を残している。特にムラディエジャーミは小さいながらもオスマン建築初期の特色が見られ、タイル装飾もすばらしい。ここはもともと旋舞教団の僧院として建てられたものと考えられている。ウチシェレフェリジャーミの近くには2つの神学校跡と、15世紀以来今日も営業している伝統的トルコ風呂、ソコルルハマムが残っている。15世紀後期のバウアジトジャーミはコーラン学校や貧しい人々の給食所、宿泊所から精神病院まで付属施設が充実していたことで名高い。 その他、いくつかの石橋や砦のなごりといわれる塔などが今も人々の暮らしに生きている。
ギリシアやブルガリアとの国境の町エディルネはトラキア地方、つまりトルコのヨーロッパ側国土の中心都市であり商業文化の中心であると同時に古くから軍事的にも重要な役割を担ってきた。 もともと土着のトラキア人の住むこの小さな町の地理的重要性に着目し都市造りを命じたのはローマ皇帝ハドリアヌス、2世紀前半のことだった。町は皇帝の名にあやかってハドリアノポリスと呼ばれ、後にはテオドシウスニ世が城壁で町を囲み、首都コンスタンティノープルを守り抜く前哨地点としてより強化されている。さまざまな民族との攻防戦の舞台としてのドラマを秘めて、14世紀にはオスマントルコの領土となり、1453年のコンスタンティノープル征服までの一時期はその都とされていた。 近代になってもその戦略上の要所としての哀しさから逃れることはできない。19世紀にはロシア占頷下に、20世紀になってからはブルガリア領土とされたこともあった。 エディルネの町のみどころの第一はまずセリミエジャーミをあげなければならない。16世紀後半に建設されたこのモスクはオスマントルコが生んだ天才建築家シナンの代表作と称えられている。エジプトやギリシア、ローマ、ビザンティン帝国各地からの資材を利用した壮麗な建物で、巨人なドーム屋根とその下に配された999の窓、そして本堂を囲むように4本の尖塔がすっきりと天に向かう、その洗練された美しい姿は市民の誇りである。モスク内部も天井や壁の装飾と外からの光がみごとなハーモニーを醸し出して荘厳な雰囲気が漂う。ミヒラブ(壁がん)のタイル装飾にも注目したい。 エスキジャーミ(オールドモスク)はエディルネの数ある建築の中でも最も古く1414年に完成している。その近くのだくさんの小ドームが並んで目を引くのはベデスタン(屋根付きバザール)である。リュステムパシャのキャラバンサライは最近オリジナルにそって修復された。ウチシェレフェリジャーミ(塔に3つのバルコニーのあるモスク)は4本の尖塔の形など建築学上興味深いもので15世紀前半、ムラト二世が建てた。このスルタンはエディルネに多くのりっぱな建物を残している。特にムラディエジャーミは小さいながらもオスマン建築初期の特色が見られ、タイル装飾もすばらしい。ここはもともと旋舞教団の僧院として建てられたものと考えられている。ウチシェレフェリジャーミの近くには2つの神学校跡と、15世紀以来今日も営業している伝統的トルコ風呂、ソコルルハマムが残っている。15世紀後期のバウアジトジャーミはコーラン学校や貧しい人々の給食所、宿泊所から精神病院まで付属施設が充実していたことで名高い。 その他、いくつかの石橋や砦のなごりといわれる塔などが今も人々の暮らしに生きている。
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