太平洋戦争以前は常葉地区には元々身延町立下部小学校(みのぶちょうりつしもべしょうがっこう)があり、1886年(明治19年)に設立、1908年(明治41年)に五条ヶ丘に移転し校舎が設置された。戦後、学制改革に
太平洋戦争以前は常葉地区には元々身延町立下部小学校(みのぶちょうりつしもべしょうがっこう)があり、1886年(明治19年)に設立、1908年(明治41年)に五条ヶ丘に移転し校舎が設置された。戦後、学制改革によって常葉地区に中学校の設置が必要となり、1947年(昭和22年)に下部小学校グラウンドを挟んで.向かい側に中学校が設置された。設立当時、旧下部町域の町立中学校は久那土地区に久那土中学校(くなどちゅうがっこう)、古関地区に古関中学校(ふるせきちゅうがっこう)があり、常葉地区のみでは子供の人口は少なかったことからグラウンドと体育館、プールは小学校と中学校で共用されていたが、ベビーブームが中学校に通うようになった1959年(昭和34年)は359名が通学している。
閉校について
下部町は2004年の平成の大合併により(旧)身延町と中富町と合併し(新)身延町となった。しかし合併後の下部中学校は1学年の人数が1桁と少子過疎化が止まらない状況となり、身延町内の他小中学校も同様であったことから、2012年(平成24年)に「小中学校統合計画・後期計画」が策定された。これにより身延町内の中学校は1校にまとめることが決定し、下部中学校は2016年(平成28年)3月を以て閉校となり、下部中学校に通学していた生徒は翌月よりスクールバスを利用して旧身延町域にある身延町立身延中学校(みのぶちょうりつみのぶちゅうがっこう)へ通学するようになった。下部小学校も2017年3月に閉校となり、児童は翌月より旧身延町域にある身延町立下山小学校(みのぶちょうりつしもやましょうがっこう)へ通学している。