フランス人の神父・クレマンにより1889年(明治22年)にカトリック松本教会の宣教師用住居として、松本城内三の丸の大名屋敷があった地蔵清水に建設され、テレジア幼稚園の庭にあった。松本城北側の街路拡幅事業にと
フランス人の神父・クレマンにより1889年(明治22年)にカトリック松本教会の宣教師用住居として、松本城内三の丸の大名屋敷があった地蔵清水に建設され、テレジア幼稚園の庭にあった。松本城北側の街路拡幅事業にともない、1991年に現在の旧開智学校の隣地に移築復元される。
アーリー・アメリカン様式を備えた下見板張りの西洋館で、各部屋には暖炉があり、1・2階ともにベランダを備えている。1994年3月の松本市重要文化財指定を経て、2005年3月28日には「松本市旧司祭館」として県宝の指定を受けた。
ギュスターブ・セスラン(Gustave Cesselin)神父が明治34年から27年の歳月を費やし、日本で初の日仏辞典を編纂した場所でもある。