篠山城跡(ささやまじょうあと)は、兵庫県丹波篠山市にある城跡。1608(慶長13)年に丹波八上城に移った松平康重(まつだいらやすしげ)が、翌1609(慶長14)年、徳川家康の命を受けて新たに築城したのが篠山
篠山城跡(ささやまじょうあと)は、兵庫県丹波篠山市にある城跡。1608(慶長13)年に丹波八上城に移った松平康重(まつだいらやすしげ)が、翌1609(慶長14)年、徳川家康の命を受けて新たに築城したのが篠山城です。大坂城を包囲する天下普請の城として、15カ国、20の大名の夫役、総勢8万人を動員し、わずか6カ月で完成。以後、松平氏3家8代と青山氏6代と徳川譜代の有力大名に引き継がれ、篠山藩5万石の政治・経済・文化の拠点としての役割を果たしました。
1873(明治6)年の廃城令によって建物の大半が取り壊されものの、天守のなかった篠山城の中核を成した大書院だけは保存。京都二条城の二の丸御殿にある遠侍に匹敵するほど規模が大きく、一大名の書院としては破格といえるものでした。その後、1944(昭和19)年に焼失しましたが、綿密な学術調査をもとに復元工事が行われ、平成12(2000)年3月に完成。大書院内には篠山城の歴史がパネル展示されています。