広島護国神社は、広島城址公園内に建つ神社。1868年に、明治政府を樹立した新政府軍と旧幕府軍が戦った、戌辰戦争で戦死した広島藩士七十八柱の鎮魂のため創建された「水草神社」が、広島護国神社の始まりです。以来、
広島護国神社は、広島城址公園内に建つ神社。1868年に、明治政府を樹立した新政府軍と旧幕府軍が戦った、戌辰戦争で戦死した広島藩士七十八柱の鎮魂のため創建された「水草神社」が、広島護国神社の始まりです。以来、戦没した兵士や犠牲者の御霊を祀る招魂社となり、1939年に広島護国神社と改称されました。原爆投下で社殿全てを焼失する被害にあいながら、1956年に現在の広島城跡にて復興を遂げた歴史があります。1971年に昭和天皇がご親拝されたことで参拝者が急増。1993年に県市民や地元企業の協力によって、老朽化した本殿・儀式殿や石畳などの修繕工事が行なわれ、現在に至っています。
広島城が別名「鯉城」と呼ばれていたことにちなんで、護国神社には絵馬やお守り、みくじ、御朱印帳、石像など、鯉をモチーフにしたものが多数あります。本殿に向かって右側に祀られている鯉の像は「昇鯉(しょうり)の像」と呼ばれ、難関突破、目標達成などのご利益がありるといわれています。また、本殿向かって左側に祀られている、2匹の鯉が寄り添いながら空に向かっている像は「双鯉(そうり)の像」と呼ばれ、縁結び、恋愛成就、夫婦円満にご利益があるとか。
プロ野球球団の広島東洋カープも、毎年必勝祈願の参拝に訪れています。その他にも初詣をはじめ、安産祈願や交通安全、厄除けなど一年を通して多くの参拝者が訪れています。