1096年(永長元年)に創建された。当地は関白藤原師通の荘園「大岡荘」であった。1095年(嘉保2年)、源義綱は延暦寺と日吉社の関係者を殺害する事件を起こした。義綱の主君である師通は両寺社の訴えを拒絶したた
1096年(永長元年)に創建された。当地は関白藤原師通の荘園「大岡荘」であった。1095年(嘉保2年)、源義綱は延暦寺と日吉社の関係者を殺害する事件を起こした。義綱の主君である師通は両寺社の訴えを拒絶したため、両寺社の呪詛により38歳で亡くなった。京極北政所(師通の母)は両寺社の恨みを和らげるため、当地に日吉社の分霊を勧請して神社を創建し、8町8反の田を寄進することになった。これが当社の起源である。
明治になるまで、当社は22か村の総鎮守であった。明治以降の近代社格制度では、1873年(明治6年)に郷社となり、1926年(大正15年)には県社に昇格した。