1962(昭和37)年頃、明日香村の村人がショウガを貯蔵するために穴を掘ったところ、凝灰岩の四角い切石を発見。そのことがきっかけで見つかった高松塚古墳。藤原京期(694年〜710年)築造と推定される円墳で、
1962(昭和37)年頃、明日香村の村人がショウガを貯蔵するために穴を掘ったところ、凝灰岩の四角い切石を発見。そのことがきっかけで見つかった高松塚古墳。藤原京期(694年〜710年)築造と推定される円墳で、被葬者については、まだ特定されていません。
古墳は鎌倉時代に盗掘されていましたが、1972(昭和47)年の発掘調査では、内部の石室に手つかずの極彩色壁画があることがわかり、当時、一大センセーショナルを巻き起こしました。翌年、高松塚古墳は特別史跡に、極彩色壁画は1974(昭和49)年に国宝となっています。海獣葡萄鏡などの副葬品や棺の一部も残っていました。
壁画があった石室は、南北の長さ約265cm、東西の幅が約103cm、高さは約113cm。切石の表面に厚さ数mmの漆喰を塗った上に壁画は描かれていました。横長の東壁には、男子群像、四神のうちの青龍、太陽、女子群像が描かれ、その向かいの西壁には対称的に、男子群像、四神の白虎、月、女子群像。奥の北壁には四神の玄武。天井画は、星を金箔で表し、星と星の間は朱の線でつないだ星辰でした。
しかし、発掘作業で外気などに触れることになってしまった壁画の保存は予想以上に困難を極め、カビの発生も。劣化を防止し、保存するため、石室は解体され、修理施設で修復・保存作業が行われています。
近鉄飛鳥駅から徒歩約12分のところにある古墳は現在、造られた当時の形に整備され、自由に見学できます。また、内部の石室と壁画や副葬品は、模造の形で高松塚壁画館で見ることができます。ゆったりと見学したいなら、夏や晩秋から冬にかけてが比較的オススメです。