690(持統天皇4)年に即位した持統天皇が694年に遷都した藤原京は、中国の都をお手本に造られた、日本初の本格的な都でした。その規模は東西約5.3km、南北約4.8kmと、平城京や平安京に勝るとも劣らない大
690(持統天皇4)年に即位した持統天皇が694年に遷都した藤原京は、中国の都をお手本に造られた、日本初の本格的な都でした。その規模は東西約5.3km、南北約4.8kmと、平城京や平安京に勝るとも劣らない大きさだったことが発掘調査でわかっています。平城京や平安京では宮城を北端中央に配置していますが、藤原京では、都の中心部に約1km四方の藤原宮を造営しました。
現在、藤原宮跡として見られるのは、大極殿が建っていた場所を含む4分の1ほどの範囲。平城宮跡のように建物の復元はされておらず、大極殿院閤門や、朝堂院の東門・南門・西門の跡付近に柱を示す赤い列柱が立っている以外、広大な野原があるのみ。宮跡の野原に立って周囲を見回すと、耳成山(みみなしやま)、香具山(かぐやま)、畝傍山(うねびやま)という大和三山の中央にあることを体感できます。
周囲には住宅街などが広がっていますが、その中には藤原宮を囲っていた大垣の跡である南面大垣や西面南門の跡、朱雀大路の跡なども見られます。
藤原宮跡の東には、発掘調査にあたっている奈良文化財研究所の藤原宮跡資料室があり、出土品や資料、藤原京の成り立ちなどを展示しています。また、宮跡の西側の橿原市藤原京資料室には藤原京の1000分の1模型があるほか、2階から藤原宮跡を展望することもできます。