高松塚古墳や
石舞台古墳、甘樫丘など、古代文化が感じられる明日香村。歴史ある寺も数多く、橘寺もその一つです。
寺の入り口の目印にもなっている「聖徳太子御誕生所」という石碑が立つ場所には、かつて欽明天皇の別宮、橘の宮が広がっ
高松塚古墳や
石舞台古墳、甘樫丘など、古代文化が感じられる明日香村。歴史ある寺も数多く、橘寺もその一つです。
寺の入り口の目印にもなっている「聖徳太子御誕生所」という石碑が立つ場所には、かつて欽明天皇の別宮、橘の宮が広がっていました。その欽明天皇の第四皇子の妻だった穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)がこのあたりで産気づき、生まれたのが厩戸皇子、のちの聖徳太子でした。
橘寺は、聖徳太子によって建立された七カ寺の一つで、生誕の地に建っているのです。当初は66もの堂宇が立ち並ぶ大寺院だったとか。その後、落雷や戦乱などで消失。現在の伽藍になったのは、江戸時代末期と伝わっています。本尊は、室町時代に作られた聖徳太子勝鬘教講讃像(重要文化財)。本堂の奥に安置されています。
境内には、藤原時代に作られた如意輪観世音菩薩像(重要文化財)を安置した観音堂、260点ものさまざまな花の絵で埋められた格天井が美しい往生院などもあります。また、本堂横の、飛鳥時代のものと伝わる二面石も必見。人の心の善悪を二面に彫った石造物で、荒削りな表現方法のせいか、どちらが善か悪か、見る人によって感じ方が違うのもおもしろいところです。
本堂前に延びる石畳の参道脇には、五重塔跡も見られます。心柱の跡ですが、直径約90cmの太い柱の三方に半円形の添え柱が付いたユニークな形。現存すれば塔の高さは38m余りだったといいます。
今、多くの参拝者が橘寺へと入るのは、「聖徳太子御誕生所」の石碑から続く西門。実はこちら側は寺の裏側で、正門は反対側の東門です。春、楽しみなのが、この東門から見る境内。ヤマザクラに始まり、ソメイヨシノからフゲンゾウまで、さまざまな桜の花が次から次へと咲いていき、境内は華やかな雰囲気に彩られます。秋にはフヨウの花や紅葉も楽しめるお寺です。