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- スリランカ南部 カタラガマ巡礼の旅 その5
-
エリア:
- アジア>スリランカ>ティッサマハラーマ
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 お祭り・イベント
- 投稿日:2009/04/23 20:40
帰路につくお話の前に前回のおさらい。
なぜカタラガマのキリヴィハーラは大事?
============================
スリランカの昔話では仏陀が三度スリランカに来たと言われている。
三回目に来たとき仏陀は当時(BC580頃)カタラガマ地域の王様であった
マハセーナ王様とあったらしい。王様が仏陀と会って説法を聞いた場所に
キリヴィハーラが造られたと言われている。
============================
さてAM10時ごろカタラガマを出発し帰路についた我ら家族一行ですが
私の秘かな期待に反してまだお寺詣りは終わってはいなかったのでした。
カタラガマから出て割とすぐに、遠くに見えた白い大きなダーガバが
どんどん近付いてくると その憂鬱な予感が現実のものとなりました。
「ティッサマハラーマ Thissamaharamaya」のダーガバは青空に
くっきりと浮き立つように存在し、周辺ののんびりした風情の露店が並ぶ
駐車場に車を停めるとここで(また)お参りすることがわかったのでした。
日本に来た外国人が、観光であまりにも鳥居を見過ぎて「鳥居もういいよ」って言ったことがあるのを思い出したもんです。
「ダーガバもういいよ」っていうのがホントのところでしたが、あまり観光化されていない敷居の低い、地元密着型の
美しい外観のお寺へ向かっていくにつれ、結構なかなかいいところかも、などと気を取り直した
のでした。
ダーガバまでのまっすぐな大通りの両側には土産物屋がポツポツあって、焼き物などの日用品までが安く売られていたりします。
遠足か校外学習なのか制服を着た中学生くらいの子供たちが団体でやってきており、
サリーを着た女性の先生がきちきちと引率してました。
【 青空に浮かぶ白い仏舎利 〜 ティッサマハラーマ】
ティッサマハラーマ Thissamaharamayaはカタラガマから南南西の位置にあります。
昔この地域はマーガマ(MAGAMA)とも呼んでました。マーガマは現在のルフナです。
ティッサにあるchaitya(ダーガバ)と湖は有名です。
このダーガバと湖を作ったのはスリランカの優れた王様だった Devanampiyatissa王
(この王の時代にスリランカに仏教が来ました。ミヒンデュARAHATH が仏教をもたらした。)
の兄弟であるMahanaga(マハーナーガ)が作ったそうです。
------------------------------------------------------------------------------
ダーガバの手前まで来ると、大体どこにでもある手や花を洗う水道があって、履物も脱いで
お参りをします。
家族は大体一緒に行動するのですが、お参りの時だけは 何となく完全に個人の状態になって
おり、いつのまにか私の好きな時間になっていたりします。
時計回りにダーガバの周りを歩きながら花を供えて、ゆっくりとした気分で波乱の人生だったブッダのことを考えていると、外国で暮らす瑣末な自分の心のもやもやも一時的に晴れてくる
のでした。
一周してから本堂のような仏像のある場所でお祈りして、中学生たちの注目を浴びながら
ダーガバの敷地内を出て 割とあっさりしたお参りで終わり。
通りを戻る途中、落花生を売るおばあさんがいたので値段を聞くとだいぶ高かいのですが
物乞いするわけでもなく、こうして何らかの商売をやる人は応援したほうが良い、と。
落花生の産地・千葉県に住んでいたこともあってその落花生の味には一言あったのですが、
そういう理由を聞かされたのであえて買うのを反対しなかったのでした。
家族たちと一緒に落花生をつまみながら車に乗って出発。
とりあえずティッサが最後のお参りだったらしくホッと一安心。
これで本当に帰って落ち着けるんだと考えると睡魔が襲ってきて何度か後部座席で船を漕いで
しまいました。
スリランカの道路の質は善し悪しの差が激しくて、良い処は非常に滑らかで素晴らしいのです
が ひどい処になると陥没していたり 凸凹が激しくて車の揺れが長時間乗っていると体に大きな
負担となってきます。今回の車はサスペンションが良かったからそうでもなかったけれど、
ACも無いサスのきいて無い車だったら疲れは多分ひどいものになっただろうと思います。
帰り道は行きと違って、南沿岸部の主要都市ハンバントータ Hambantotaのまっーすぐで滑らか
な道路を走り快適。
道路の進行方向左側には小さく 画一化された住居が沢山あり、スリランカらしくない風景で
珍しかったのですがスマトラ沖地震の津波被害にあった人々の為の住居だそうです。
家の中にガスや電気もあるのでしょうけど、煮炊きを屋外で薪で行っているところが
目立ちました。
帰り道に手土産を持って遠縁の家というところに寄って休憩。
庭で採れたココナッツジュースを振る舞われ、ソファに座って涼しい部屋にいたら
いつの間にかこっくりこっくり寝ていました。小母さんもかなり熟睡。
皆やっぱり疲れているんだな〜。
13時近く、家の奥さんにお昼御飯まで用意して頂いてご馳走になってしまい、恐縮至極。
予告もせずに行って(しかも昼メシどき)豪勢な食事を用意してもらうなんて、日本では
ちょっとあり得ない感覚。でもそこがスリランカの人のホスピタリティで皆いやな顔せず
歓待してくれます。
ちょっと寝て、食べたら疲れも少し取れて出発することに。
別れる際にスリランカ式に親戚の目上の方の前にひざまづいて両手を合わせ
足に触れました。ワディナワというかしこまった挨拶で、私も親戚や僧侶にたびたび行います。
車に乗って発進!運転するのは夫なので、私は後ろで寝てればいいのですから疲れたとか
言えません。
14時過ぎから空が曇りポツポツと小雨が降ってきました。
疲れたのか静かになってずーっと黙っていた家族たちも道路の端に出現する
地元産の野菜や果物の露店を見ると動きだして、車を停めて品定め。
品物が良く安いものを探して、うんざりもせずに何件も何件も停まっては降り、
停まっては降りを繰り返す。なんてタフなんだよ〜!とちょっとだけゲンナリしながらも
一緒に行かざるを得ない新米嫁。
100円くらいの差なんて良くね? なーんて間違っても言えない雰囲気です。
雨が多くて路面が濡れていたせいか途中で事故車に遭遇しました。なんと選挙カーらしい。
無理な追い越しか、避けようとしたのか、岩の壁に斜めから衝突しておりちょっと見ただけでも、助手席がないことが分かりました。随分飛ばしていたのかなと思えるほどにタイヤの跡が
道路にくっきり残っていました。
次第に辺りも暗くなり、うとうとしては起き、気がついたら家の近くの町まで来ていました。
全員くたびれ果てて20時ごろ家に到着。
ドライバーさんやお手伝いの人、隣に住む義理の姉夫婦に迎えられて、とりあえず荷物を
おろして旅を終えたのでした。
なにかと体力勝負のカタラガマへの巡礼の旅。
一番印象に残ったのは何と言ってもカタラガマ。別世界の神殿内、心温かなオーナーの居る
宿泊所、プージャ。
いつかまた行って、体験したいカタラガマへの旅なのです。
おわり
なぜカタラガマのキリヴィハーラは大事?
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スリランカの昔話では仏陀が三度スリランカに来たと言われている。
三回目に来たとき仏陀は当時(BC580頃)カタラガマ地域の王様であった
マハセーナ王様とあったらしい。王様が仏陀と会って説法を聞いた場所に
キリヴィハーラが造られたと言われている。
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さてAM10時ごろカタラガマを出発し帰路についた我ら家族一行ですが
私の秘かな期待に反してまだお寺詣りは終わってはいなかったのでした。
カタラガマから出て割とすぐに、遠くに見えた白い大きなダーガバが
どんどん近付いてくると その憂鬱な予感が現実のものとなりました。
「ティッサマハラーマ Thissamaharamaya」のダーガバは青空に
くっきりと浮き立つように存在し、周辺ののんびりした風情の露店が並ぶ
駐車場に車を停めるとここで(また)お参りすることがわかったのでした。
日本に来た外国人が、観光であまりにも鳥居を見過ぎて「鳥居もういいよ」って言ったことがあるのを思い出したもんです。
「ダーガバもういいよ」っていうのがホントのところでしたが、あまり観光化されていない敷居の低い、地元密着型の
美しい外観のお寺へ向かっていくにつれ、結構なかなかいいところかも、などと気を取り直した
のでした。
ダーガバまでのまっすぐな大通りの両側には土産物屋がポツポツあって、焼き物などの日用品までが安く売られていたりします。
遠足か校外学習なのか制服を着た中学生くらいの子供たちが団体でやってきており、
サリーを着た女性の先生がきちきちと引率してました。
【 青空に浮かぶ白い仏舎利 〜 ティッサマハラーマ】
ティッサマハラーマ Thissamaharamayaはカタラガマから南南西の位置にあります。
昔この地域はマーガマ(MAGAMA)とも呼んでました。マーガマは現在のルフナです。
ティッサにあるchaitya(ダーガバ)と湖は有名です。
このダーガバと湖を作ったのはスリランカの優れた王様だった Devanampiyatissa王
(この王の時代にスリランカに仏教が来ました。ミヒンデュARAHATH が仏教をもたらした。)
の兄弟であるMahanaga(マハーナーガ)が作ったそうです。
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ダーガバの手前まで来ると、大体どこにでもある手や花を洗う水道があって、履物も脱いで
お参りをします。
家族は大体一緒に行動するのですが、お参りの時だけは 何となく完全に個人の状態になって
おり、いつのまにか私の好きな時間になっていたりします。
時計回りにダーガバの周りを歩きながら花を供えて、ゆっくりとした気分で波乱の人生だったブッダのことを考えていると、外国で暮らす瑣末な自分の心のもやもやも一時的に晴れてくる
のでした。
一周してから本堂のような仏像のある場所でお祈りして、中学生たちの注目を浴びながら
ダーガバの敷地内を出て 割とあっさりしたお参りで終わり。
通りを戻る途中、落花生を売るおばあさんがいたので値段を聞くとだいぶ高かいのですが
物乞いするわけでもなく、こうして何らかの商売をやる人は応援したほうが良い、と。
落花生の産地・千葉県に住んでいたこともあってその落花生の味には一言あったのですが、
そういう理由を聞かされたのであえて買うのを反対しなかったのでした。
家族たちと一緒に落花生をつまみながら車に乗って出発。
とりあえずティッサが最後のお参りだったらしくホッと一安心。
これで本当に帰って落ち着けるんだと考えると睡魔が襲ってきて何度か後部座席で船を漕いで
しまいました。
スリランカの道路の質は善し悪しの差が激しくて、良い処は非常に滑らかで素晴らしいのです
が ひどい処になると陥没していたり 凸凹が激しくて車の揺れが長時間乗っていると体に大きな
負担となってきます。今回の車はサスペンションが良かったからそうでもなかったけれど、
ACも無いサスのきいて無い車だったら疲れは多分ひどいものになっただろうと思います。
帰り道は行きと違って、南沿岸部の主要都市ハンバントータ Hambantotaのまっーすぐで滑らか
な道路を走り快適。
道路の進行方向左側には小さく 画一化された住居が沢山あり、スリランカらしくない風景で
珍しかったのですがスマトラ沖地震の津波被害にあった人々の為の住居だそうです。
家の中にガスや電気もあるのでしょうけど、煮炊きを屋外で薪で行っているところが
目立ちました。
帰り道に手土産を持って遠縁の家というところに寄って休憩。
庭で採れたココナッツジュースを振る舞われ、ソファに座って涼しい部屋にいたら
いつの間にかこっくりこっくり寝ていました。小母さんもかなり熟睡。
皆やっぱり疲れているんだな〜。
13時近く、家の奥さんにお昼御飯まで用意して頂いてご馳走になってしまい、恐縮至極。
予告もせずに行って(しかも昼メシどき)豪勢な食事を用意してもらうなんて、日本では
ちょっとあり得ない感覚。でもそこがスリランカの人のホスピタリティで皆いやな顔せず
歓待してくれます。
ちょっと寝て、食べたら疲れも少し取れて出発することに。
別れる際にスリランカ式に親戚の目上の方の前にひざまづいて両手を合わせ
足に触れました。ワディナワというかしこまった挨拶で、私も親戚や僧侶にたびたび行います。
車に乗って発進!運転するのは夫なので、私は後ろで寝てればいいのですから疲れたとか
言えません。
14時過ぎから空が曇りポツポツと小雨が降ってきました。
疲れたのか静かになってずーっと黙っていた家族たちも道路の端に出現する
地元産の野菜や果物の露店を見ると動きだして、車を停めて品定め。
品物が良く安いものを探して、うんざりもせずに何件も何件も停まっては降り、
停まっては降りを繰り返す。なんてタフなんだよ〜!とちょっとだけゲンナリしながらも
一緒に行かざるを得ない新米嫁。
100円くらいの差なんて良くね? なーんて間違っても言えない雰囲気です。
雨が多くて路面が濡れていたせいか途中で事故車に遭遇しました。なんと選挙カーらしい。
無理な追い越しか、避けようとしたのか、岩の壁に斜めから衝突しておりちょっと見ただけでも、助手席がないことが分かりました。随分飛ばしていたのかなと思えるほどにタイヤの跡が
道路にくっきり残っていました。
次第に辺りも暗くなり、うとうとしては起き、気がついたら家の近くの町まで来ていました。
全員くたびれ果てて20時ごろ家に到着。
ドライバーさんやお手伝いの人、隣に住む義理の姉夫婦に迎えられて、とりあえず荷物を
おろして旅を終えたのでした。
なにかと体力勝負のカタラガマへの巡礼の旅。
一番印象に残ったのは何と言ってもカタラガマ。別世界の神殿内、心温かなオーナーの居る
宿泊所、プージャ。
いつかまた行って、体験したいカタラガマへの旅なのです。
おわり
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- カタラガマ 仏教 巡礼 ヒンドゥー スリランカ
- スリランカ南部 カタラガマ巡礼の旅 その4
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- アジア>スリランカ>ラトナプーラ
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 お祭り・イベント
- 投稿日:2009/04/16 11:33
プージャの為に並ぶ人々。カタラガマ神殿入口にて。
その夜はカタラガマ神殿には入らず、21時近くお参りも終え、ホテルに戻ることに。
駐車場近くの売店に行くと、少年一人と宝くじ売りのおじさんが近づいてきました。
少年は10ルピー欲しいというのでダメと私が断ると、社長は売店でヨーグルトを買ってあげようとしたら、その男の子カウンターに身を乗り出して
「ビスケット!ビスケット!」と勝手にオーダーを変えちゃった。
社長は放っておいてお金を払ってあげました。が、転売しないようにその場で開けて食べろと彼が言うと、男の子、袋をやぶって必死に食べだしたので その様子をみて冷たくあしらったことを少し後悔・・・
車の方に戻ると、行く時にたかってきた子供たちと同じ顔ぶれが揃って再び社長の所にわらわらやってきてアイエ、お金ちょうだい となったので、
もう金ないよと追い払っても向こうは諦めない。
一回あげちゃったもんですからね。
いよいよ財布の中身を見せて「ほら見ろ、何も無いよ!俺にくれ!!」と子供たちに手を差し出しました。そして何か用があったら俺に電話して来いなどと言って、携帯の番号を教えていました。(結局かかってこなかった)
そんなこんなでホテルに戻り、シャワーを順番に浴びたあと ホテル内の家庭的な食堂内に用意されていたスリランカ料理で遅い晩ご飯。
ダールカレー(レンズ豆とココナッツミルクのカレー)をメインにチキンや魚など、10品目ほどのおかずがたっぷりと用意されて、ご飯を自分のお皿に盛って食べました。
お水はボイルしてある水でしたが、やはりほんのわずかに塩味がしました。
食事はとてもいい味で全てのおかずが美味しく、今日の長い道のりで疲れた体に沁み入りました。
オーナーに、お義父さんが明日の朝にプージャに行きますと言うと、朝は
キリバットゥ(ココナッツミルクで固めたお米)を作りますねと言ってくれました。
カタラガマ神に捧げる果物。
皆で部屋に戻ってから明日の支度です。カタラガマ神への捧げものの為の果物を家や道中からてんこもりに用意してきたのですから、それを綺麗に洗い清めて、余計な汚れた部分やヘタなどをナイフで取ります。
例えばバナナの両端の黒っぽい部分、ここも切り、果物の傷んでる部分も取り除きます。
パインは皮を全部削いで、食べやすいように細長く切っておきます。何故かと言うと、プージャとして神にささげた後は果物の半分をその場で戻され、それを後で自分たちで食べることになるからです。
お義母さんのてきぱきしたやり方を横で見ながら、果物を洗い場へ持って行って洗う私。
洗った後の果物をどこに置いたらいいのかいまいちわからずに、いちいち指示を受けている自分がちょっと情けない。
プージャ用の果物は直にテーブルの上に置いたりせずに、きれいに保ったまま 供え物用のお盆に乗せないといけないらしいのでとても気を使いました。
(床に落とそうものならどういう顔をすりゃいいのか・・)
ドライバーさんたちから預かったコインも全て洗い清めます。果物を綺麗に切り分けて、お義母さんが洗ったブラットというグリーンの葉をお盆に蓮の花のようにアレンジ。
コッターワの庭から大事に持ってきたジャスミンと果物を飾り付け、果物の上には、お線香とお金を数百ルピー載せました。
お金はお賽銭として、捧げた後は戻ってきません。とりあえず今回は盛り付けを見て勉強する新米嫁の私。
お義母さんと小母さんと社長と私、一緒になって3つの供え物を用意。その後、すぐに果物のカスで汚れた床を掃除して、夫兼社長と私の寝どこを用意。白い清潔なタイルにエアマットを敷いて、家から持ってきたシーツをかけました。
「明日は4時に起きなさい」というお義父さんの威厳ある天の声で、超・早起き決定(泣)
だいぶ疲れていたせいか、その夜はあっという間に眠りに落ちてしまいました。
携帯の目覚ましベルで飛び起きると、丁度4時。まだ外が暗いです。
朝はまだ涼しく、お湯のシャワーでさっぱりしてから身支度開始。
部屋にモーニングティーが運ばれてきて、甘いミルクティーで目がちょっと覚めました。
【カタラガマ神への謁見〜プージャ】
外は霧のような小雨が降っており、傘を持って行くことに。
プージャ用の果物を載せたお盆はかなりの重さなので、傘をさすどころでなく両手でないと、とても持てません。
お義父さんと社長と私が1つずつお盆を持ち、お義母さんと小母さんは傘やお線香などを持って行くことにしました。
果物の上に新聞紙をかけて汚れないようにカバーし、車のトランクに乗せて6時半にカタラガマ神殿方面へ。
早朝にもかかわらず、果物の売店や物乞いが仕事を開始していました。
私達はプージャ用のお盆を持って、傍に寄ってくる人たちをまったく構わずに神殿方面へ。
少し雨が多くなってきたので小母さんが傘をさして一緒に歩いてくれました。
果物を載せたお盆は結構な重さです。社長やお義父さんは頭の上にお盆を載せて、そこに手を添えただけできれいに歩いていますが 私が真似したら、お盆を落っことしそうなのでやめました。お盆を落としでもしたら・・・
(想像だけでも血の気が引く)
お盆にひたすら集中しながら橋を渡りカタラガマ神殿まで。
周囲を見渡す余裕もなく腕の疲れに耐えて、ようやく神殿入口にたどりつくと、丁度プージャが始まるところでした。朝早いので、まだ人も少なく私達の前には誰もいません。
社長が私の分までお盆を2つ持ち、お義父さんと神殿入り口の左側に並んで一人ずつ進みます。
捧げもの用のお盆を持たない私とお義母さんと、小母さんは右に並んで後から入りました。
誰も先にいないので、あっという間に神官たちの前へ。
目の前のカタラガマの肖像をゆっくり拝む余裕もなく、神官が手に注いでくれた聖水を飲んで、額に白い灰をつけてもらい、そして、お盆に乗った豆や雑穀入りの御飯を手で受け取る。
手づかみで貰ったご飯を食べるのにちょっと抵抗がいりましたが、お義母さんを真似てひとくちパクっと食べたら甘くてとても美味しい!
神様や仏陀に供えるものを作る台所で作られた「ムルタン・バットゥ mulu-than-bath」というものだそうです。
あまりにもあっという間で心の準備もあまり出来なかった今回のプージャ。
でも家族の祈りをこめた供物を捧げるという一連の儀式を行い、体の中から何か重いものが抜けたような気がしたのでした。
私達家族の後も、次々プージャを行う人たちがやってきます。私は一旦神殿出口から出てから、もう一回入ってコッターワで待つドライバーさんたちや、ヒジャラタおじさんに預かったお賽銭をカタラガマに捧げるために、専用箱に入れてお祈りしました。
皆の願いが届きますように。
一連の儀式を終えて、何かホッとした様子の我ら一行。
プージャした後に半分戻された果物を神殿敷地内の専用ガラスケースに一旦保管し今度はココナッツに体の中の「魔」を入れてそれを石にぶつけてたたき割る行事をやります。
硬い殻のココナッツの上に固形燃料を少し置き、マッチで火をつけて、両手で持ったココナッツを額より上に掲げてから一気に鉄の囲いの中の石にぶつけてたたき割るのですが、新米嫁初挑戦。
まずココナッツの上に置いた燃料に火を付けてお祈りし・・・
おもいっきり振りかぶって・・・・
柵の中の石にぶつけてたたき割る!
ココナッツを受け取り、固形燃料をお義父さんに置いてもらってから火を付けて、囲いの前に立ちました。もしココナッツが割れなかったら「魔」が体から出て行かないことになるし、縁起良くないんだそうです。
ドキドキしながらココナッツを振りかぶり、思いっきり下に投げた!!!!
思わずつぶった目を開いて見た時には、割れてないココナッツがゴロンと石の脇に転がっている
様子が目に入ってきて 後ろにいた家族を振り返ると、笑っている!
わ、割れなかった!・・・・・(汗)
こういうときはどうすりゃいいの?と茫然としたら、何とおもむろに夫兼社長、柵の中に入ってココナッツをつかんでもう一回やれと言って渡すじゃありませんか。
あり得ないことですが、今のはなかったことにしちゃった!
石の真ん中にぶつけてとアドバイスされたので、今度は目をつぶらずによく見てココナッツを投げつける!もうこれでダメならば次はない。
でも、今度は無事にパカーンと割れてくれて 一同胸をなでおろしたのでした。
その後は家族でゆっくりと、先ほどのプージャの果物を食べたりして和気あいあいとした雰囲気でゆっくりし、残った果物は大事にビニルに入れて持ち帰り、グアバやリンゴなど変色してしまうものはその場で掃除係の人にあげて食べてもらいました。
周囲の家族づれもプージャを終えてホッとした様子。
カタラガマには猿がいっぱい。ハヌマーン・ラングールかな?
こうしてカタラガマでの家族のプージャは滞りなく(?)終わったのでした。
神殿から駐車場への道の端々には体の不自由な人や物乞いがいっぱいで、プージャのあとの果物や細かいお金を夫があげていました。
いつの間にか晴れていて青い空が気持ちいい。9時ごろホテルに戻って汗を流してさっぱりし、お参り用の服から帰るための普段着に着替えたあと食堂に行って家族で朝食。
ココナッツミルクと白米で作るキリバットゥとオニオン・サンボルというシンプル朝ごはん。
キリバットゥはひな祭りの菱餅そっくりの形に切り分けられたご飯で、ココナッツミルクで炊き上げたものです。
お正月や、何か御馳走を出すときなどに作ることが多いかな?という印象。
ココナッツが豊富にある土地ならではの料理です。
帰り支度を済まして、これからがまた大変な帰路。また長〜く車中の人となるのか、と。
でも運転する社長に比べたら何でもないのですが。
コロンボからカタラガマへは急行のバスも行き来しているので、夫が学生時代は友人とバスで行ってお参りしてから日帰りしたこともあるそうです。
それって私的には「東京から京都日帰りバス旅行」みたいなイメージ。スリランカの人って、タフです。
その5に続く
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- 投稿日:2009/04/13 16:39
サンカパーラを後にした私達家族は、ウダ・ワラウェ国立公園方面へ。
国立公園の自然保護区と人が普通に生活する居住地区は電気の通った
ワイヤー数本と細い道路1本だけで隔てられています。
ウダ・ワラウェは象の大群の見られる地域として有名で
道路を走っていてもフェンスの傍まで野生の象が姿を見せることも
珍しくありません。
御爺さんゾウ、とてもきれい。
私達が車で進んでいると1頭のおじいさん象がフェンス傍までやってきて
いて国立公園の監視員の車も来ていました。
歳のせいか動きが緩慢な象さんでしたが、とても美しく優雅。
後ろ脚の間に見えるものは象のチ○チ○。
疲労していた私も、象を見てテンションが一気に上がり急に元気になりました。
ウダ・ワラウェでも走行中幾度も停車し、カタラガマの捧げもの用の果物を
購入。どんだけ買うんですか、と内心思うほど車のトランクがフルーツだらけ
になってました。
家の庭から捧げものとして摘んできたジャスミンですが、流石にちょっと
しなびてきたので何度か水をかけてやります。
作法を知らずに私は思わず香りを嗅いでしまったのですが、小母さんに
「お供えするものを嗅いではダメなのよ」と教えられて慌てて鼻を
引っ込めました。うーむ、いろいろ作法があるので緊張します・・・
川のほとりで遅い昼食。近くでは水浴びしている子供がいました。
公園を抜けて小さな川べりのレストエリアで、遅いお昼ごはん。
もう2時なのでみんなお腹がペコペコ。
お義母さんが朝用意したお弁当の包みを人数分皿の上に開けて、タッパに
入れたいくつものおかずをスプーンで分けて家から汲んできてペットボトル
に入れておいた井戸水で手を洗いやっと御飯にありつけました。
外食は油分が多くて野菜が少ないのでお腹をこわす心配がありますが、
いつも食べているお義母さんの料理なら安心です。
食事が終ると、食べ残しは皆で足元をうろつく犬たちにあげました。
このレストエリア、分別用のごみ箱まで置かれていたのでちょっとすごい。
スリランカではなかなか見かけないものです。
途中、小雨が降ったり 野生のクジャクに遭遇したりしながらひた走る我ら一行。
水牛の群れが飼われていたので、車を降りて近寄ると牛たちがガン見。
スリランカの牛は人間のことをほとんど無視と言うか気にしてないように
感じていたのですがここの牛はそうでもない様子。
本来牛は警戒心が強い動物なので、こっちのほうが普通なのか。
この牛たちのミルクはコロンボまで運ばれているそうです。
地方の売店。つくりが可愛い。
野生のクジャク発見!
水牛の群れ。
タナマルウィラの町が分岐点となりついに「KATARAGAMA ⇒」という標識発見!
が、そちらに進むと舗装されていなくてびっくり。
以前行ったときはこんなところ走らなかったけど・・・・近道なのか??
大事にしている新車に泥がこれでもかというくらいに跳ねあがって、舌打ちしている夫兼社長。ご愁傷様・・・
舗装されていない道路の両脇は自然が手つかずの様に残っているところもあり
「ギニククラ」というヤンバルクイナみたいに見えた鳥(全然違ったらすみません)がヒョコヒョコ歩いていたり、野生の孔雀のメスが群れで大木の枝にとまっていたりとプチ・サファリな楽しさで、イラつく社長を尻目に私は陽気になってくるのでした。
雌のクジャクの群れ!
赤茶けた道がずっと続く。車とお義父さん。
周囲に店も何もなくとも人間はやはり住んでいるわけで、自然の材料を使って
垣根を作り門と庭と家があってちゃんと生活があちらこちらで営まれて
いました。
こういう場所での生活は生きる為にやることが朝からいっぱいで
あっという間に1日が終わりそうです。
交通量はほとんどないと思われる道路でしたが、立ったまま果物を売る
少年二人が駆け寄ってきて果物を見せたので、家族は窓を開けてあげて
(私ひとりならそのまま行ってしまうと思う)いくらか聞いたら
結構高かった。が、少年2人の雰囲気はかなり切実で痩せて不幸な表情が
染みついていたので、持っていたバナナをお義母さん達が食べろと言って
あげて、果物は買わずにそのまま発進しました。
既に3時近く。出発から約7時間半が経過していました。
途中、規模の大きい検問所がありIDカードやトランクの中身、キャリーバッグ
も開けられて調べられましたが難なく解放。
カタラガマは聖地なので侵入してくるテロリストを防ぐため警戒も厳しいようです。
そういえば内戦はすでに最終局面で、戦闘地域もほんのごく僅かだと
戦争状況をリアルタイムに伝えるニュースサイトで伝えていました。
走り続けるとやっと舗装された太い道路につながり、見たことのある通りへ。
カタラガマの街の中心部へと続く道です。
【巡礼の地〜 カタラガマ】
数日前からお義父さんがぬかりなくホテルを予約していたので、彼の道案内で社長が車を進め、中心から1kmほど離れた細い曲がり角を曲がると居心地のよさそうなプチホテルが数件連なる路地に入りました。
お義父さんが昔からカタラガマに来る時に利用している政府の職員が利用する
という宿泊施設「G・O・B」。
門が閉じられていてクラクションを鳴らすと眼鏡のオーナーの男性が出てきて
笑顔で元気よく迎えてくれました。
とりあえず皆疲れていたので、お義父さんがチェックインを済ませる間、
フロントの小さなロビーのソファでTVを観ながら待ってから1階の部屋に
通されました。
5人で1600ルピーと言う驚愕の安さだったのに、思っていた以上に綺麗で
驚き。小さなリビングと陽の差し込む庭が室内に作られベッドルームに
バスルームというつくり。が、5人なのにベッド2つしかないですぞ?
まずお義父さんとお義母さんは2人で1つのベッドでもいい。
目上の人がちゃんとしたところに寝るべきなので小母さんも勿論ベッドに
寝る。
では社長と私は? 疲れでぼんやりした頭でそんなことを考えながら、なるようになるさと。
ミルクティーが部屋に運ばれてきたのでホッと一息です。
茶葉の香りが濃くて頭がしゃきっとなってくる。
疲れた体に甘いミルクティーが優しい。
家族順番にシャワーを浴びていたら水の味が変なことに気が付きました。
そういえば南部の水は不味いと聞いていたので、ほんのり塩味のする水で体を洗い旅の汗と汚れを落として さっぱりしたのでした。
5時から早速カタラガマ神殿に行くらしいです。お参り用に持ってきたスラックスと白いブラウスに着替えて支度。夜20時からのプージャには行かず、今日は神殿のさらに奥の「キリ・ヴィハーラ」にお参りに行くのだとお義母さんが教えてくれました。
プージャは明日の朝7時のものに参加するらしいです。
早起き決定・・・・(涙)
ベッドが2つしかない件に関してもうひと部屋取ろうという話が出たものの、
私がいらないと断って社長とエアマットをホテルに借りて床で寝ることで
決着がついたのでした。
部屋で少しのんびり休憩してから、神殿へ歩いて行くにはやや遠いので
再度車で。
お参りする人たちが車を停める売店の並ぶ駐車場に入ると自分の売店の前に
停めてもらおうと誘導する人で溢れかえり、当然全員が違う場所に誘導するのでひじょうに煩わしい。何も買わないんだと、外の人に告げるとようやく皆諦めて散っていきました。
が、家族で車を降りると子供たちの物乞い攻勢開始。世界遺産などの観光地で
は意外なほど子供の物乞いは少ないのですが、カタラガマはビジネス化してる
物乞いがいっぱい。
子供たちは「この人はくれない」と瞬時に見抜いたか私にはほとんど近寄って
来ずに、家族に「お腹が空いた」と言って手を差し出してくるので、慣れている家族は話しかけたり親はどうしたと理由を聞いたりして、何気に会話を楽しんでいました(でもお金はあげない)。
でも夫兼社長、「アイエ、アイエ(お兄ちゃん、お兄ちゃん)」と取り囲まれると何とお財布を出して10ルピーをそのうちの一人にあげました。
するともう砂糖にたかる蟻んこのように取り囲まれて家族は皆先に
すたすた歩いて神殿のほうに向かっているのに、社長の大きな体のまわりに
子供がいっぱいで、ずぅっと付いてくる。
神殿へ通じるマニック河にかかる橋の近くでようやく子供たちが諦めて離れていきました。
神殿へ続く道。途中にはなぜかネットカフェも・・・
橋を渡ると神殿敷地内は穏やかそのもので、どこかしら外界と違っていました。
名前はわからないけど八重桜のような桃色の花が咲き誇る並木道を歩き、正面に見えたクジャクを戴く黄色のゲート。カタラガマ神殿の正門です。
ここから先は聖域なので履物を脱ぎます。
神殿正門。クジャクはカタラガマの乗り物。
今日はカタラガマ神へのプージャはしないので、神殿をそのまま通りすぎてさらに先まで進むと仏教徒の重要なダーガバの一つであるキリ・ヴィハーラへ
通じる大通りへと続きます。
少しずつ陽も落ち始め、幅広い砂の道の感触を裸足で楽しみながら家族と歩いて行きました。
美しいキリ・ヴィハーラ。義母の後ろ姿と。
家族一緒に火を灯す。
線香の煙で幻想的に。
通りの両側には捧げもの用の花などを売る売店が整然と並び、歩く人を大きな声で呼びとめようとします。
夜のキリ・ヴィハーラ
花売りの人たち。
孫とおばあちゃん?
ライトアップされた売店が縁日の屋台のように見えて楽しく、気分も高揚。
まず、キリ・ヴィハーラ手前で、自宅から用意してきたココナッツオイルを使って、お参りする人々と共に祈りの火を灯しました。
そしてその火でお線香を焚いて捧げてから、専用の手洗い場で手足を洗ってダーガバに。
既に祈りの為に人々が大勢集まっており、床に座ってギーター(聖典、お経)を詠唱したり線香の煙を捧げてダーガバの周りを回るひとなど 皆が思い思いに祈っています。
私達も手に花を持って、時計回りにダーガバの周りを歩きながら祭壇に花を捧げて祈り、そしていつの間にか家族一緒でなく、一人一人の状態になって、自分の祈りを始めていました。
家族が心の中で何を祈ったか知る由もありませんが、今回のカタラガマ巡礼の前にお義母さんの健康が思わしくないことが分かり再検査をしなければいけなくなったという出来事があったので私も含め、みんな身近な人々が元気でいてほしいと願っていたと思います。
最後の祭壇の前で、殊更に永い詠唱を唱えて静かに祈っていたお義母さんの背中を、お義父さんが見つめていました。
祈る義理の両親。
私。太ったことに気づいた・・
お祈りする小母さん。
花々で埋まった祭壇。
ダーガバでの祈りを終え、砂の大通りを引き返して神殿のほうに戻り、敷地内に祀られた
ボーディツリー(菩提樹)の周囲で再びココナッツオイルに火を灯し
線香を捧げて、水汲み場にあったポットに水を満々に入れて菩提樹の周囲を一周してから菩提樹に水をあげました。
ボーディツリー(菩提樹)
お義父さんとお義母さん。
菩提樹の隣にはカタラガマ神殿があり、プージャのために人々が捧げものの果物を載せたお盆を持って長い列を作っていました。
静かに熱狂したような顔の人々が少しずつ、強い光を放つ神殿内に吸い込まれ
ていきました。
カタラガマ神殿に運ばれる「御神体」
その4へ続く。
国立公園の自然保護区と人が普通に生活する居住地区は電気の通った
ワイヤー数本と細い道路1本だけで隔てられています。
ウダ・ワラウェは象の大群の見られる地域として有名で
道路を走っていてもフェンスの傍まで野生の象が姿を見せることも
珍しくありません。
御爺さんゾウ、とてもきれい。
私達が車で進んでいると1頭のおじいさん象がフェンス傍までやってきて
いて国立公園の監視員の車も来ていました。
歳のせいか動きが緩慢な象さんでしたが、とても美しく優雅。
後ろ脚の間に見えるものは象のチ○チ○。
疲労していた私も、象を見てテンションが一気に上がり急に元気になりました。
ウダ・ワラウェでも走行中幾度も停車し、カタラガマの捧げもの用の果物を
購入。どんだけ買うんですか、と内心思うほど車のトランクがフルーツだらけ
になってました。
家の庭から捧げものとして摘んできたジャスミンですが、流石にちょっと
しなびてきたので何度か水をかけてやります。
作法を知らずに私は思わず香りを嗅いでしまったのですが、小母さんに
「お供えするものを嗅いではダメなのよ」と教えられて慌てて鼻を
引っ込めました。うーむ、いろいろ作法があるので緊張します・・・
川のほとりで遅い昼食。近くでは水浴びしている子供がいました。
公園を抜けて小さな川べりのレストエリアで、遅いお昼ごはん。
もう2時なのでみんなお腹がペコペコ。
お義母さんが朝用意したお弁当の包みを人数分皿の上に開けて、タッパに
入れたいくつものおかずをスプーンで分けて家から汲んできてペットボトル
に入れておいた井戸水で手を洗いやっと御飯にありつけました。
外食は油分が多くて野菜が少ないのでお腹をこわす心配がありますが、
いつも食べているお義母さんの料理なら安心です。
食事が終ると、食べ残しは皆で足元をうろつく犬たちにあげました。
このレストエリア、分別用のごみ箱まで置かれていたのでちょっとすごい。
スリランカではなかなか見かけないものです。
途中、小雨が降ったり 野生のクジャクに遭遇したりしながらひた走る我ら一行。
水牛の群れが飼われていたので、車を降りて近寄ると牛たちがガン見。
スリランカの牛は人間のことをほとんど無視と言うか気にしてないように
感じていたのですがここの牛はそうでもない様子。
本来牛は警戒心が強い動物なので、こっちのほうが普通なのか。
この牛たちのミルクはコロンボまで運ばれているそうです。
地方の売店。つくりが可愛い。
野生のクジャク発見!
水牛の群れ。
タナマルウィラの町が分岐点となりついに「KATARAGAMA ⇒」という標識発見!
が、そちらに進むと舗装されていなくてびっくり。
以前行ったときはこんなところ走らなかったけど・・・・近道なのか??
大事にしている新車に泥がこれでもかというくらいに跳ねあがって、舌打ちしている夫兼社長。ご愁傷様・・・
舗装されていない道路の両脇は自然が手つかずの様に残っているところもあり
「ギニククラ」というヤンバルクイナみたいに見えた鳥(全然違ったらすみません)がヒョコヒョコ歩いていたり、野生の孔雀のメスが群れで大木の枝にとまっていたりとプチ・サファリな楽しさで、イラつく社長を尻目に私は陽気になってくるのでした。
雌のクジャクの群れ!
赤茶けた道がずっと続く。車とお義父さん。
周囲に店も何もなくとも人間はやはり住んでいるわけで、自然の材料を使って
垣根を作り門と庭と家があってちゃんと生活があちらこちらで営まれて
いました。
こういう場所での生活は生きる為にやることが朝からいっぱいで
あっという間に1日が終わりそうです。
交通量はほとんどないと思われる道路でしたが、立ったまま果物を売る
少年二人が駆け寄ってきて果物を見せたので、家族は窓を開けてあげて
(私ひとりならそのまま行ってしまうと思う)いくらか聞いたら
結構高かった。が、少年2人の雰囲気はかなり切実で痩せて不幸な表情が
染みついていたので、持っていたバナナをお義母さん達が食べろと言って
あげて、果物は買わずにそのまま発進しました。
既に3時近く。出発から約7時間半が経過していました。
途中、規模の大きい検問所がありIDカードやトランクの中身、キャリーバッグ
も開けられて調べられましたが難なく解放。
カタラガマは聖地なので侵入してくるテロリストを防ぐため警戒も厳しいようです。
そういえば内戦はすでに最終局面で、戦闘地域もほんのごく僅かだと
戦争状況をリアルタイムに伝えるニュースサイトで伝えていました。
走り続けるとやっと舗装された太い道路につながり、見たことのある通りへ。
カタラガマの街の中心部へと続く道です。
【巡礼の地〜 カタラガマ】
数日前からお義父さんがぬかりなくホテルを予約していたので、彼の道案内で社長が車を進め、中心から1kmほど離れた細い曲がり角を曲がると居心地のよさそうなプチホテルが数件連なる路地に入りました。
お義父さんが昔からカタラガマに来る時に利用している政府の職員が利用する
という宿泊施設「G・O・B」。
門が閉じられていてクラクションを鳴らすと眼鏡のオーナーの男性が出てきて
笑顔で元気よく迎えてくれました。
とりあえず皆疲れていたので、お義父さんがチェックインを済ませる間、
フロントの小さなロビーのソファでTVを観ながら待ってから1階の部屋に
通されました。
5人で1600ルピーと言う驚愕の安さだったのに、思っていた以上に綺麗で
驚き。小さなリビングと陽の差し込む庭が室内に作られベッドルームに
バスルームというつくり。が、5人なのにベッド2つしかないですぞ?
まずお義父さんとお義母さんは2人で1つのベッドでもいい。
目上の人がちゃんとしたところに寝るべきなので小母さんも勿論ベッドに
寝る。
では社長と私は? 疲れでぼんやりした頭でそんなことを考えながら、なるようになるさと。
ミルクティーが部屋に運ばれてきたのでホッと一息です。
茶葉の香りが濃くて頭がしゃきっとなってくる。
疲れた体に甘いミルクティーが優しい。
家族順番にシャワーを浴びていたら水の味が変なことに気が付きました。
そういえば南部の水は不味いと聞いていたので、ほんのり塩味のする水で体を洗い旅の汗と汚れを落として さっぱりしたのでした。
5時から早速カタラガマ神殿に行くらしいです。お参り用に持ってきたスラックスと白いブラウスに着替えて支度。夜20時からのプージャには行かず、今日は神殿のさらに奥の「キリ・ヴィハーラ」にお参りに行くのだとお義母さんが教えてくれました。
プージャは明日の朝7時のものに参加するらしいです。
早起き決定・・・・(涙)
ベッドが2つしかない件に関してもうひと部屋取ろうという話が出たものの、
私がいらないと断って社長とエアマットをホテルに借りて床で寝ることで
決着がついたのでした。
部屋で少しのんびり休憩してから、神殿へ歩いて行くにはやや遠いので
再度車で。
お参りする人たちが車を停める売店の並ぶ駐車場に入ると自分の売店の前に
停めてもらおうと誘導する人で溢れかえり、当然全員が違う場所に誘導するのでひじょうに煩わしい。何も買わないんだと、外の人に告げるとようやく皆諦めて散っていきました。
が、家族で車を降りると子供たちの物乞い攻勢開始。世界遺産などの観光地で
は意外なほど子供の物乞いは少ないのですが、カタラガマはビジネス化してる
物乞いがいっぱい。
子供たちは「この人はくれない」と瞬時に見抜いたか私にはほとんど近寄って
来ずに、家族に「お腹が空いた」と言って手を差し出してくるので、慣れている家族は話しかけたり親はどうしたと理由を聞いたりして、何気に会話を楽しんでいました(でもお金はあげない)。
でも夫兼社長、「アイエ、アイエ(お兄ちゃん、お兄ちゃん)」と取り囲まれると何とお財布を出して10ルピーをそのうちの一人にあげました。
するともう砂糖にたかる蟻んこのように取り囲まれて家族は皆先に
すたすた歩いて神殿のほうに向かっているのに、社長の大きな体のまわりに
子供がいっぱいで、ずぅっと付いてくる。
神殿へ通じるマニック河にかかる橋の近くでようやく子供たちが諦めて離れていきました。
神殿へ続く道。途中にはなぜかネットカフェも・・・
橋を渡ると神殿敷地内は穏やかそのもので、どこかしら外界と違っていました。
名前はわからないけど八重桜のような桃色の花が咲き誇る並木道を歩き、正面に見えたクジャクを戴く黄色のゲート。カタラガマ神殿の正門です。
ここから先は聖域なので履物を脱ぎます。
神殿正門。クジャクはカタラガマの乗り物。
今日はカタラガマ神へのプージャはしないので、神殿をそのまま通りすぎてさらに先まで進むと仏教徒の重要なダーガバの一つであるキリ・ヴィハーラへ
通じる大通りへと続きます。
少しずつ陽も落ち始め、幅広い砂の道の感触を裸足で楽しみながら家族と歩いて行きました。
美しいキリ・ヴィハーラ。義母の後ろ姿と。
家族一緒に火を灯す。
線香の煙で幻想的に。
通りの両側には捧げもの用の花などを売る売店が整然と並び、歩く人を大きな声で呼びとめようとします。
夜のキリ・ヴィハーラ
花売りの人たち。
孫とおばあちゃん?
ライトアップされた売店が縁日の屋台のように見えて楽しく、気分も高揚。
まず、キリ・ヴィハーラ手前で、自宅から用意してきたココナッツオイルを使って、お参りする人々と共に祈りの火を灯しました。
そしてその火でお線香を焚いて捧げてから、専用の手洗い場で手足を洗ってダーガバに。
既に祈りの為に人々が大勢集まっており、床に座ってギーター(聖典、お経)を詠唱したり線香の煙を捧げてダーガバの周りを回るひとなど 皆が思い思いに祈っています。
私達も手に花を持って、時計回りにダーガバの周りを歩きながら祭壇に花を捧げて祈り、そしていつの間にか家族一緒でなく、一人一人の状態になって、自分の祈りを始めていました。
家族が心の中で何を祈ったか知る由もありませんが、今回のカタラガマ巡礼の前にお義母さんの健康が思わしくないことが分かり再検査をしなければいけなくなったという出来事があったので私も含め、みんな身近な人々が元気でいてほしいと願っていたと思います。
最後の祭壇の前で、殊更に永い詠唱を唱えて静かに祈っていたお義母さんの背中を、お義父さんが見つめていました。
祈る義理の両親。
私。太ったことに気づいた・・
お祈りする小母さん。
花々で埋まった祭壇。
ダーガバでの祈りを終え、砂の大通りを引き返して神殿のほうに戻り、敷地内に祀られた
ボーディツリー(菩提樹)の周囲で再びココナッツオイルに火を灯し
線香を捧げて、水汲み場にあったポットに水を満々に入れて菩提樹の周囲を一周してから菩提樹に水をあげました。
ボーディツリー(菩提樹)
お義父さんとお義母さん。
菩提樹の隣にはカタラガマ神殿があり、プージャのために人々が捧げものの果物を載せたお盆を持って長い列を作っていました。
静かに熱狂したような顔の人々が少しずつ、強い光を放つ神殿内に吸い込まれ
ていきました。
カタラガマ神殿に運ばれる「御神体」
その4へ続く。
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- カタラガマ 仏教 巡礼 ヒンドゥー スリランカ
- スリランカ南部 カタラガマ巡礼の旅 その2
-
エリア:
- アジア>スリランカ>スリランカその他の都市
- アジア>スリランカ>ティッサマハラーマ
- アジア>スリランカ>ラトナプーラ
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 お祭り・イベント
- 投稿日:2009/04/11 17:46
サンカパーラの花売り売店前で
サマンデーワーレのお参りを終えて出発し、途中小さな普通のローカルのペストリーショップで休憩。
あるのは大体どこでも揚げ物のロールやホットドッグのようなパンが多く、お腹が心配
だったので私は小さなスポンジケーキとミルク抜きの紅茶だけ頂きました。
家族は高齢者が多いのに、結構ぱくぱく油ものを食べてるので、すごい。
お義母さんはコレステロールに注意してるのでやはりスポンジケーキだけ。
ラトゥナプラの次の大きな街ペルマドゥッラが分岐点となり、中央高地方面に行く道と
南部の海側のハンバントータ側に行く道に分かれます。私たちは海側方面へ行く道へ。
またしばらく随分走ると道端で綿の入った枕やクッションが売らる村に入りました。
以前、イー・ツアーズのドライバーのプリヤンタさんとカタラガマに出かけた際にも
通った村で、自生している綿を手で摘んで売ってます。
ゴタカウェラの町に入ると広大な自然の残る景色の中に次の寺院、サンカパーラ SANKHAPALA が現れました。
お参りの為に駐車場に入り、車を降りるとたちまち花売りの子供に取り囲まれるのは
いつものこと。
サンカパーラは巨大な岩山の中腹に作られた寺院で、こんな起源があります。
-----------------------------------------------------------------------------------
【戦士からニルヴァーナへ 〜 サンカパーラ】
DUTU GEMUNU王の軍隊で「ダサマハヨーダヨ」と呼ばれた屈強の10人の戦士がいた。
その10人はそれぞれ特徴を持っていた。
Pussadevaヨーダヤは「conch shell(※ほら貝の一種)」を吹く特徴を持っていた。
どのくらい音を出せるかと言うと、人が気絶するほどの音を出せた。
DUTU GEMUNU王の最後の戦いであったVijithapura戦争でPussadevaはconch shellを使って
戦争に勝つための主な役割をした。
そのため王は贈り物として何が必要かとPussadevaに聞くと
「軍隊をやめさせてください。お坊さんになりたい」と言った。
王はそれを許して、更にお礼としてPallebadaという地域も彼にあげた。
貰ったPallebadaの土地をPussadevaがお寺にしてお坊さんを迎え、
戦争で使ったconch shellを寺に置きダーガバ(仏舎利)も作った。
conch shellはシンハラ語で「サンカ」と呼ぶので、その寺はサンカパーラ ヴィハーラとなった。
Pussadevaもお坊さんになって最後はニルヴァーナ(涅槃)に入った。
-------------------------------------------------------------------------------------
サンカパーラは岩山に作られているのでサルの多く住む石段を登りながら、
仏陀の祀られている祭壇へと向かいました。
私達の行ったときは人も少なく、祭壇の下には古くなった花が落ちて放置されて
いたため、お義母さんがそばにあったごみ箱を持ってきて掃除を始めました。
先に訪れたサマンデーワーレに比べ、どこか鄙びた印象があってややさびしげ。
管理が行き届いて居ないのかな?
掃除を始めたお義母さん。
↑ 慌てて手伝う新米嫁なわたし(汗)。
火を灯し、花を供えてお祈りし、寺院内のお堂を巡り、私と社長と小母さんだけ
そこから更に上のダーガバへの階段を上って行きました。
小さなダーガバがある頂上は絶景で、地元の恋人とおぼしきカップルが1組座っていただけで
した。(寺院ってしばしばデートスポットになるみたい)
若いカップル、初々しい〜
汚されているように見えたダーガバ。ちょっと気になった。
見渡す限り緑。とってもいい気持ち!
義理の姉夫婦のお母さん。
ダーガバの周囲を廻っていたら、ダーガバに泥がいくつも付いていて
あたかもぶつけられたように見えたのがとても気になりました。
まさか誰かがぶつけたんじゃないよね・・・。
階段を下りる途中、巨大な岩をまるで支えるようにして細い小枝が何本も人の手で
置かれていました。岩が倒れてこないようにするためのお祈り?なのだとか。
ギャグかと思ったよ・・・・
サンカパーラでのお参りを終えて、寺院敷地内の売店でカタラガマでのプージャ用の
果物を追加購入。品定めしながら、いくつもいくつも売店を廻る家族のそのスタミナのすごさ。
私はかなり疲れ気味。 早くカタラガマに着かないかな〜。。。
時間はすでに正午過ぎ。
その3へ続く
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- スリランカ南部 カタラガマ巡礼の旅 その1
-
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- 投稿日:2009/04/10 10:26
ラトゥナプラのサマンデーワーレ外観
初めまして!
スリランカのコロンボ郊外のコッターワ KOTTAWAにて、20余年タクシー会社を
営んでいますイー・ツアーズのオペレーター、岡部です。
スリランカにいる間、あちらこちらに旅行に出かけた際、初めて見るものや
感動、驚きをひとりの観光客としてお伝えしたいと思います。
===========================================================================
先週土曜、マイ・ファミリーとなったスリランカ人家族と一緒に泊まりがけで
コロンボからランカー島南東部の聖地カタラガマに再度お参りというか
巡礼に向かうことになりました。
土壇場で予定が変更になったりするのが普通な我が家なので、前日に
「明日ってカタラガマ行くよね?」と夫兼社長に確認。一応、予定どおりに行くらしいので
夜から慌てて荷造り開始。
義母は流石で すでに朝から用意を始めて、夜にはもう準備をほぼ完了。
カタラガマ神に捧げる「プージャ」用の果物も購入してバスケットに詰めて、
庭でカタラガマまで持って行くジャスミンの花をたくさん摘んで、ココナッツオイルを
用意して、当日は誰よりも朝早く起きて皆のお弁当を作っていたのでただでさえ早起きが苦手な私、
頭が上がりません。
私は家に残るお手伝いのヒジャラタおじさんと、イー・ツアーズのタクシードライバーのみんな
からカタラガマに捧げるお賽銭用の小銭を両手いっぱい預かり大事に紙にくるんで鞄にしまいま
した。
今回は途中他の寺院にも寄り休憩を取りながらの長い旅路だそう。お義父さん、お義母さん、
同じ敷地内に住む義理の姉夫婦のお母さん、社長と私の総勢5名、残る皆の見送りを受けて
朝7時半に車で出発しました。
今回のルートはコロンボのコッターワKOTTAWAから出発し ⇒ ホラナ経由で
ラトゥラプラRATNAPURA 、そこで由緒ある寺院のサマン神を祀るサマンデーワーレへ ⇒
ペルマドゥッラPELMADULLA ⇒ ゴアカウェラ GODAKAWELA付近の寺院サンカパーラへ ⇒
ウダ・ワラウェ国立公園内 UDA WALAWE の道路を突っ切り ⇒ タナマルウィラ TANAMALWILA ⇒
ルヌガンウェヘラ LUNUGAMVEHERA RESERVOIRの湖付近を通って最終地 カタラガマ KATARAGAMAへ。復路はティッサマハラーマにも寄る、文字通りお参りの旅。
スリランカの地図だけ眺めてると距離的には大したことないような感じがするのですが
これが行ってみると相当に永く感じます。
道路と歩道とが混然一体となっている所がほとんどなので、かなりスピードを出して走ってるよ
うに思えても実はそうでもなかったり。
そこら中にいる犬や牛を避け、自転車を引っかけないように気をつけ、無理な追い越しをする
対向車と正面衝突しないようにして、良く見ないで道を渡る田舎の歩行者を撥ねないように
進まなければいけないというのが、距離に比して時間がかかってしまう諸々の理由かもしれません。
コッターワからしばらく走ると、たちまち椰子の木と水田の広がる田舎の風景になります。
自然いっぱいでのんびりした風情でいいなあといつも思うスリランカの景色。
車中でお義母さんや小母さんにカンナ、カンナ(食べなさい、食べなさい)としきりにバナナ
などを進めらる勧められるのですが、私はお腹が痛くなるのが怖くて食べられません。
どこにでもトイレがあるわけではないので、経験から出来るだけ遠出の際には飲食を避けるようになりました。
【山の神サマンを祀る場所 サマンデーワーレ】
ラトゥナプラ一帯は宝石の取引が行われているので、さわやかな朝にも関わらず
ムスリムとおぼしき白い帽子をかぶったバイヤーたちが厳しい目つきで道路に立って
お互いに交渉をしている姿が見られました。
やがてバスや車が多く停車している広い野原にたどりつくと、うちの車もそこに入り込んだの
で、雰囲気からしてキャンピングエリアのように見えたため早速休憩するのかと思ったら、
そこは古代からの土着神であり、聖地スリー・パーダの神、サマンを祀るサマンデーワーレの駐車場でした。
車から降りると胸に許可証をつけた花売りの女性に囲まれ、私はいらないと断りましたがお義母さんたちは数本だけ購入。
捧げもの用の果物が色々売られているサマンデーワーレの駐車場売店。
ボーディツリー(菩提樹)。
寺院は後方に山を頂き、正面に広くまっすぐに伸びた通りを持つ美しい外観。
入口で履物を預けて階段を上って中に入ると内部はさほど広くなく、仏陀やサマン、
その他の女神などを祀るエリアに分かれていましたが 残念ながら撮影は禁止。
義母と義父の後ろにくっつくようにしてココナッツオイルを入れて火を灯し、線香を焚き、」それぞれの場所でお参りと花を供えました。
仏陀の祭壇には信者の持ち寄った白や黄色や赤い花が溢れるほどに供えられて、まるで極楽浄土のよう。
(サマン以外に祀られていた女神の名を確認するのを不覚にも忘れてしまいましたが、肖像が超美人だったのが印象的。)
サマン神に最後にお参りすると神官が額に香油をつけてくれました。
私達の行った時間は丁度サマンの本尊(?)のある扉が開かれていた時であり、神官の祝詞が
終わると祈っていた人が我先にと神官に香油をつけてもらっていました。
祈りを捧げて心が洗われた、と言いたいところですが早起きの為か頭がまだ半分寝ており
横になってぐーぐー寝たいという グウタラな欲望を捨て切れなかった私。
でも、お天気に恵まれた朝のサマンデーワーレは清々しく、歩くだけでも気持ちが良かったです。
参拝が終わり、外に出ると預けていたサンダルに保管代金「60ルピー」と言われて高くない?と
ちょっと面食らうと やはりちょっとズルだったらしく、お義父さんは軽やかに笑って定額と思われる料金だけ払ってサンダルを受け取りました。
相場を知らないとつい払ってしまいそうな額です。
お参りに全然関係ないものもいっぱい売られている楽しげな売店の数々。
風光明媚なサマンデーワーレを後にして次はサンカパーラ寺院へ向かいます。
その2に続く
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