1. 旅行比較サイト トラベルコ
  2. 特派員ブログ
  3. ターキッシュマイスターさん
  4. 世界遺産の記事一覧
日経トレンディ総合力BESTに続きオリコン顧客満足度®でも1を獲得 [プレスリリース]

  海外エリア: 中近東 > トルコ の他のブログはこちら|

トルコ旅のスペシャリストターキッシュエア&トラベル

~世界遺産や有名観光地が盛りだくさんのトルコへようこそ!~

ターキッシュエア&トラベル
一か国のスペシャリストだからこそ, 柔軟な発想、最新で豊富な情報, そしてきめ細やかな対応でどこよりもスピーディーにお客様満足度を実現いたします!
プロフィール

ニックネーム:
ターキッシュマイスター
居住地:
東京都
会社名:
株式会社 イベントラブ ( ターキッシュエア&トラベル )
会社英字名:
EVENTLAB (TURKISH Air&Travel)
会社所在地:
東京都
会社電話番号:
03-5784-3844
業種:
旅行業
自己紹介:
トルコ専門の旅行会社です。
現地オフィスからの旬な情報をキャッチして、スピーディに配信していきます。

カレンダー
3月<2024年4月    
123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930

アーカイブ

記事一覧

1 - 5件目まで(5件中)

トプカプ
★オスマントルコの栄華示す宮殿・トプカプ★
エリア:
  • 中近東>トルコ>イスタンブール
テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2016/06/09 08:04
コメント(0)
映画「日曜はダメよ」で一躍有名になったギリシャの女優メリナ・メルクーリさんの名は覚えていますか!?
その後、同国文化相を務めたメルク-リさんは、もう亡くなりましたが彼女の映画は時々上映されたり、ビデオになったりしています!
そのメルクーリさんは1964年、米映画「トプカプ」に主演しました!!
トプカプ宮殿から王様の剣を盗み出すストーリーの映画は、巨大なエメラルド3個を柄にあしらった剣の豪華さとともにトプカプの名を全世界に広めました!(^^)!


トプカプ宮殿はイスタンブールにあります!
1453年、当時のコンスタンチノープルを征服したオスマントルコは、スルタン・メフメット2世が1465年から宮殿の建設に着手しました。
完成は1478年。長さ400メートルの城壁に囲まれた宮殿は、建物の面積だけでも約2万平方メートルありました。
宮殿は19世紀半ばまで使われ、スルタンと一族が居住していたほか、政府機関もありました。
現在は王様の剣をはじめオスマントルコ時代の栄華を示す博物館になっています!
トプカプのトプは「門」、カプは「大砲」を意味します(^-^)

宮殿には大砲2門が海の方角をにらんでいました。そこから名が付いたのです!
さて、王様の剣には次のようなエピソードが伝わっています。
18世紀半ば、スルタン・マフムート1世はイラン・アフシャール王朝の君主ナディール・シャーに贈るためこの剣を作らせました。剣を持たせた使者をイランに送るのですが、同国で反乱が起きナディール・シャーは殺されてしまいます。
そこで使者は剣を持って帰国します。

トプカプは王様の剣やほかにも豪華な宝飾品や東洋の陶磁器などのコレクションで有名です。いつまでも見とれてしまい、時間が過ぎるのを忘れてしまうという言い伝えです!

トプカプ

PR
★カッパドキアやイスタンブールなどトルコ旅行をお考えなら ターキッシュエア&トラベル★・・・★トルコ旅行情報を多数掲載しております★・・・★パッケージツアーの他、オーダーメイドツアーもお任せください★
セリミエジャーミ2
世界遺産のセリミエジャーミ
エリア:
  • 中近東>トルコ>イスタンブール
テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2016/06/03 13:51
コメント(0)
エディルネ(EDIRNE)
ギリシアやブルガリアとの国境の町エディルネはトラキア地方、つまりトルコのヨーロッパ側国土の中心都市であり商業文化の中心であると同時に古くから軍事的にも重要な役割を担ってきた。 もともと土着のトラキア人の住むこの小さな町の地理的重要性に着目し都市造りを命じたのはローマ皇帝ハドリアヌス、2世紀前半のことだった。町は皇帝の名にあやかってハドリアノポリスと呼ばれ、後にはテオドシウスニ世が城壁で町を囲み、首都コンスタンティノープルを守り抜く前哨地点としてより強化されている。さまざまな民族との攻防戦の舞台としてのドラマを秘めて、14世紀にはオスマントルコの領土となり、1453年のコンスタンティノープル征服までの一時期はその都とされていた。 近代になってもその戦略上の要所としての哀しさから逃れることはできない。19世紀にはロシア占頷下に、20世紀になってからはブルガリア領土とされたこともあった。 エディルネの町のみどころの第一はまずセリミエジャーミをあげなければならない。16世紀後半に建設されたこのモスクはオスマントルコが生んだ天才建築家シナンの代表作と称えられている。エジプトやギリシア、ローマ、ビザンティン帝国各地からの資材を利用した壮麗な建物で、巨人なドーム屋根とその下に配された999の窓、そして本堂を囲むように4本の尖塔がすっきりと天に向かう、その洗練された美しい姿は市民の誇りである。モスク内部も天井や壁の装飾と外からの光がみごとなハーモニーを醸し出して荘厳な雰囲気が漂う。ミヒラブ(壁がん)のタイル装飾にも注目したい。 エスキジャーミ(オールドモスク)はエディルネの数ある建築の中でも最も古く1414年に完成している。その近くのだくさんの小ドームが並んで目を引くのはベデスタン(屋根付きバザール)である。リュステムパシャのキャラバンサライは最近オリジナルにそって修復された。ウチシェレフェリジャーミ(塔に3つのバルコニーのあるモスク)は4本の尖塔の形など建築学上興味深いもので15世紀前半、ムラト二世が建てた。このスルタンはエディルネに多くのりっぱな建物を残している。特にムラディエジャーミは小さいながらもオスマン建築初期の特色が見られ、タイル装飾もすばらしい。ここはもともと旋舞教団の僧院として建てられたものと考えられている。ウチシェレフェリジャーミの近くには2つの神学校跡と、15世紀以来今日も営業している伝統的トルコ風呂、ソコルルハマムが残っている。15世紀後期のバウアジトジャーミはコーラン学校や貧しい人々の給食所、宿泊所から精神病院まで付属施設が充実していたことで名高い。 その他、いくつかの石橋や砦のなごりといわれる塔などが今も人々の暮らしに生きている。

セリミエジャーミ

PR
★カッパドキアやイスタンブールなどトルコ旅行をお考えなら ターキッシュエア&トラベル★・・・★トルコ旅行情報を多数掲載しております★・・・★パッケージツアーの他、オーダーメイドツアーもお任せください★
★カッパドキアやイスタンブールなどトルコ旅行をお考えなら ターキッシュエア&トラベル★・・・★トルコ旅行情報を多数掲載しております★・・・★パッケージツアーの他、オーダーメイドツアーもお任せください★
ぱさばぎ
カッパドキアの知られざる歴史
エリア:
  • 中近東>トルコ>カッパドキア
  • 中近東>トルコ>アンカラ
  • 中近東>トルコ>コンヤ
テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2016/05/02 20:58
コメント(0)

カッパドキア地方に人が住み始めたのは、先史時代にさかのぼります。その証拠は数多くありますが、それを示す最もよい例がニーデのキョシュク・ホユックとアクサライのアーシュクル・ホユック、ネヴシェヒルのジヴェレク洞窟から出土しています。カッパドキアは初期青銅器時代の幅広い交易によりアッシリア文明の影響を受け、文字が導入されたのもこの時代でした。研究者らは埋蔵されていた、いわゆる“カッパドキア文書”を掘り起こしています。これは土でできた平板に、税法、利息、婚約、通商紛争などに関する様々な内容を楔形文字で刻んだものです。ハッティに続いてヒッタイト、フリギア、ペルシャ、ローマ、ビザンチン、セルジュク、オスマン、どの時代の人々も例外なくカッパドキアに魅了され、それぞれ独自の足跡をこの地に残しています。
カッパドキアは、その立地条件から確固たる重要な意味を持つ戦略上の拠点とされてきました。かの有名なシルクロードを含む重要な通商ルートが東西南北に走る交通の要衝であったため、歴史的・文化的な影響がクモの巣状に複雑に絡み合い、この地は異なる宗教や思想が出会い、相互に影響しあう場所となったのです。

カッパドキア地方はしばしば、その市場や資源を狙った侵略、侵入、略奪の対象となってきました。こうした略奪者たちから身を守るため、地元の住民たちは厄介なよそ者たちから気づかれないよう入り口を隠すことができる大小の洞窟に住むようになりました。身をひそめる生活が長引くことも予想されたため、この穴居住居は最終的に水源、食物貯蔵庫、ワイナリー、寺院などを含む地下都市へと発展しています。地下都市の中には紀元前にさかのぼるものもあります。

紀元後になると、クリスチャンの集団がローマ帝国による迫害から逃れて人を寄せつけない原野カッパドキアに移住してきます。ある集団は、2世紀にエルサレムからアンティオケ(アンタキヤ)とカエサレア(カイセリ)を経由してこの地にたどり着き、現在デリンクユと呼ばれている地方に定住しました。火山作用でできた柔らかい凝灰岩が削りやすいことに気付き、彼らはまず天然の洞窟を広げていくつかの洞窟をつなぎあわせ、住居だけでなく礼拝堂や教会、完全な修道院も彫り上げ、彼らが必至に探し求めてきた平和と安心を、その手で、心血を注ぎ込んで形にしていったのです。

カッパドキアには、1,000以上もの教会や礼拝堂があると言われています。それらの建築様式、設計、装飾の多様性と芸術性は魅惑的で実に見事です。これらの教会の中には宗教建築一式、つまり、一列、二列あるいは三列になった身廊、十字型の設計、前面のホール、側廊、後陣、ドーム、円柱、支柱などたくさんの要素から構成されるバシリカ教会があり、それらはすべて、岩をくりぬいて作ったものです。また、教会の多くは丹念に描かれたフレスコ画で飾られています。こうした教会や地下都市を修復、修繕、維持するという歴史的価値のある作業が、毎年何千人もの観光客を受け入れながら、脈々と続いてきたのです。

当然ながら、カッパドキア地方には異教徒やキリスト教の世界よりも豊かな歴史があります。アナトリアにイスラム教が入ってくると、有名なイスラム教徒の研究者や哲学者を数多く世に送り出すようになりました。14世紀にトルコ人でイスラム教徒の神秘主義者、ハジュ・ベクタシュ・ヴェリが現在ハジュベクタシュと呼ばれているネヴシェヒル郡に居を構えました。この賢人が説いた哲学の中心的な教義はアナトリアの様々なトルコ人集団に団結をもたらす決定的な役割を果たし、1948年の世界人権宣言の精神と内容を体現しているものです。

ぱさばぎ

PR
★カッパドキアやイスタンブールなどトルコ旅行をお考えなら ターキッシュエア&トラベル★・・・★トルコ旅行情報を多数掲載しております★・・・★パッケージツアーの他、オーダーメイドツアーもお任せください★
★カッパドキアやイスタンブールなどトルコ旅行をお考えなら ターキッシュエア&トラベル★・・・★トルコ旅行情報を多数掲載しております★・・・★パッケージツアーの他、オーダーメイドツアーもお任せください★
Istanbul
イスタンブール・ボスポラス海峡クルーズ
エリア:
  • 中近東>トルコ>イスタンブール
テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2016/04/30 10:31
コメント(0)

イスタンブール・ボスポラス海峡

イスタンブールに滞在するならば、ボスポラス・クルーズ を抜きにすることはできないでしょう。これはアジアとヨーロッパを隔てて蛇行するボスポラス海峡をめぐる船旅です。海峡の沿岸には過去と現在、そして絢爛豪華さとシンプルな美しさとの素晴らしい対比を見ることができます。岸辺近くにはヤルと呼ばれる木造の家屋が立ち並び、すぐ隣には近代的なホテルがそびえたち、大理石の宮殿と飾り気のない石の砦が隣りあって並んでいるかと思うと、優雅なヨーロッパ人居住区の隣に小さな漁村があったりするのです。

ボスポラス海峡を楽しむ最良の方法は、沿岸に沿ってジグザグに走る定期航路船に乗ることです。エミノニュで乗船し、海峡のアジア側とヨーロッパ側に交互に止まっていきます。往復しても大した料金ではなく、所要時間は6時間ほど。プライベートな船旅が希望なら、日帰りまたは夜のミニ・クルーズを専門に扱っている代理店をあたってみてもいいでしょう。

海峡クルーズの行く先には、まず壮麗なドルマバフチェ宮殿、起伏した緑深い公園、ユルドゥズ宮殿のインペリアル・パビリオンなどが次々と姿を現してきます。公園の端に見えてくるのはチュラーン宮殿で、現在は修復され立派なホテルとなっています。1874年にスルタン・アブドゥラズィズによって改装されたこの建物は、ボスポラス海峡沿いに 300メートルに渡って伸びていて、装飾を施された大理石の正面玄関には水面のさざなみが写っています。

さて、次の停留地はオルタキョイです。ここでは、日曜ごとに芸術家たちが集まって、街角のギャラリーにそれぞれの作品を展示しています。通りでおいしいものをちょっとずつ試食して歩くように、色んな人の楽しい作品を見て回ることができます。オルタキョイでは、教会、モスク、ユダヤ教の礼拝堂が、何百年もの間、隣りあって存在してきました。これは、トルコの政教分離政策と寛容さのおかげです。イスタンブールの伝統的な建物を上から覆うように架かっているボスポラス大橋は、アジアとヨーロッパを繋ぐ世界でも最大級の吊橋です。

美しいベイレルベイ宮殿は、ちょうど橋を過ぎたあたりのアジア側に位置しています。宮殿の後ろ側にはイスタンブールで最も高い場所、チャムルジャの丘があります。ここへは車でやってきて庭園の美しさに感嘆するのもいいし、イスタンブールの素晴らしい景色を眺めるのもいいでしょう。

対岸のアルナウットキョイ地区にはオスマン時代の木造邸宅があって、隣接するベベック地区にある現代的な集合住宅と対照をなしています。そこから数キロ離れたところに、まるでイスタンブールの見張り番のように海峡をはさんで向かい合う、ルメリ・ヒサールとアナドル・ヒサールの2つの要塞が建っています。時にクチュクス宮殿として知られるギョクス宮殿はアナドル・ヒサールの隣にあって、アジア沿岸の景色に華を添えています。2つの大陸を結ぶ2番目の橋、ファーティヒ・スルタン・メフメット大橋(第2ボスポラス大橋)は、ちょうどこの2つの要塞を跨ぐように架かっています。

ヨーロッパ側にあるドゥアテペ(丘)からは、この大橋とボスポラス海峡の全景を見ることができます。ドゥアテペの丘を下ると、美しいエミルガン公園があり、春になると色とりどりのチューリップがいっせいに咲き揃います。向かいのアジア側にはかつては漁師町だったカンルジャ地区があり、現在ここはイスタンブールの裕福な人々に人気のある住宅地となっています。海峡沿いのレストランやカフェでは、あの有名なヨーグルトが人気の的です。

カンルジャ、チュブクルといった地区を過ぎるとすぐ、人々の憩いの場、ベイコズ・コルス(イブラヒム・パシャの森)があって、カフェやレストランでは、素敵な眺めと澄んだ新鮮な空気を楽しめます。タラビヤ湾のヨーロッパ側では、港に繋がれたヨットが波に揺れてまるで踊っているようにみえます。

タラビヤからサルイェル、ブユックデレといった郊外へと続く海岸沿いは、居酒屋やフィッシュ・レストランがぎっしりと並んでいます。サルイェルにはイスタンブールで一番大きな魚市場があり、またミルク・プディングやボレックと呼ばれるペストリー類など、たくさんのおいしいものでも有名です。サルイェルを少し過ぎると、狭かった海峡の幅は広くなり、ここでボスポラス海峡は黒海の中へと吸いこまれるように消えていくのです。


Istanbul

PR
★カッパドキアやイスタンブールなどトルコ旅行をお考えなら ターキッシュエア&トラベル★・・・★トルコ旅行情報を多数掲載しております★・・・★パッケージツアーの他、オーダーメイドツアーもお任せください★
★カッパドキアやイスタンブールなどトルコ旅行をお考えなら ターキッシュエア&トラベル★・・・★トルコ旅行情報を多数掲載しております★・・・★パッケージツアーの他、オーダーメイドツアーもお任せください★
トルコのリビエラ・アンタルヤ
トルコのリビエラ・アンタルヤ
エリア:
  • 中近東>トルコ>アンタルヤ
  • 中近東>トルコ>パムッカレ
  • 中近東>トルコ>アンカラ
テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2016/04/08 12:08
コメント(0)
アンタルヤでは、松の木に覆われたトロス(タウラス)山脈がキラキラと輝く澄んだ海まで広がって、岩の多い岬とひっそりとした入り江による複雑な海岸線を作り出しています。
年間300日も太陽の恵みを受けるこの地方は、日光浴や水泳、ウィンドサーフィン、水上スキー、セーリング、登山、洞窟探検などのスポーツのパラダイスです。3月か4月にアンタルヤを訪れると、午前中はスキーを、午後は温かな地中海で水泳が楽しめます。松林、オリーブや柑橘類の果樹園、椰子の木、アボカドやバナナのプランテーションが広がる景観の中に点在する重要な史跡を、目にすることができるでしょう。
トルコのリビエラは、トルコ観光の中心地です。ツーリストクラスからデラックスホテルまでニーズに合わせた宿泊施設が揃っています。温かくもてなしてくれるアンタルヤの人々が、あなたの休暇を快適で楽しいものにしてくれることでしょう。
アンタルヤ
メリハリのある素晴らしい景観に囲まれたトルコの主要なリゾート地アンタルヤは、木陰を作り出す椰子の並木道と賞を受けたマリーナのある魅力的な町です。まるで絵画の様な美しいカレイチの古い界隈では、細く曲がりくねった通りと古い木造の家々が、古代都市の城壁に隣接しています。

紀元前159年、彼自身にちなんでその都市をアッタレイアと名付けたペルガモンの王、アッタロスによって築かれて以来、アンタルヤには常に人が住み続けてきました。オスマン帝国の支配下に入る前は、ローマ帝国、ビザンチン帝国、セルジュク朝によって次々に占領されてきました。町の中心にあるセルジュクの王アラエッディン・ケイクバッドによって13世紀に建てられたイヴリ-ミナレリ・モスクの気品ある襞飾りのあるミナレット(尖塔)は、アンタルヤのシンボルとなっています。同時代に建てられたカレイチ地区にあるカラタイ・メドレセ(神学校)は、セルジュクの石彫りの傑作と言えるでしょう。この町にある最も重要な2つのオスマン帝国時代のモスクは、目を見張るようなタイル装飾を施した16世紀のムラット・パシャ・モスクと、18世紀のテケリ・メフメット・パシャ・モスクです。

マリーナの隣には、4本の柱を天然の泉に立てその上に切石で建てられた19世紀後半の魅力的なイスケレ・モスクがあります。フドゥルルク・クレスィ(塔)は、2世紀に灯台として建てられたと考えられています。以前は教会であったケスィック・ミナレリ・モスクは、ローマ、ビザンチン、セルジュク、そしてオスマン帝国によって継承される中で改築を重ねてきており、この町の長い歴史を裏付けています。
130年にハドリアヌス帝がアンタルヤのファセリスを訪れた際には、同帝をたたえて、コリント式円柱と美しく装飾された3つのアーチを持つ門が、町の城壁に作られました。それが城壁を通り抜ける唯一の入り口でした。マリーナの近くには、城壁の他の部分だけでなく、この門に隣接する2つの塔が今でも残っています。カレカプス広場にある時計塔もまた、旧市街の要塞の一部です。

アタテュルク公園とカラアリオール公園では、色鮮やかでエキゾチックな花々と、山々を背景にした入り江のきらめく水が、なぜアンタルヤがこれほど有名なリゾート地となったかを物語ってくれるはずです。東海岸にあるアクアパークでは、エキサイティングなウォータースライドを含む、あらゆる種類のウォータースポーツが楽しめます。


受賞歴のあるアンタルヤ・カレイチマリーナとレジャーセンターは、ヨットの停泊とサービスは勿論のこと、たくさんの土産物屋と気さくなカフェやレストランがあり、トルコで最も美しいマリーナの1つと言われています。午前中はセーリングを、午後はマリーナの安らぎを楽しめます。夜にはライトアップされた古い城壁が、静穏と悠久の雰囲気を醸しだしてくれます。
旧石器時代からオスマン帝国時代までの遺物が展示されている考古学博物館では、この地域の豊かな歴史を垣間見ることができます。紀元前5400年から8500年頃のものとされる2色染めの陶磁器をぜひご覧ください。アタテュルク博物館では、トルコ共和国の建国の父が使用した品々が展示されています。(両館とも土曜・日曜・月曜休館)
秋に開催されるアンタルヤ・アルトゥン・ポルタカル(金のオレンジ)フィルム・アート・フェスティバルは、多くの参加者と観光客に人気です。アスペンドスの古代劇場は、アスペンドス国際オペラ&バレエ・フェスティバルの素晴らしい舞台となっています。アンタルヤでは、毎年宝石フェアも開催されています。

トルコのリビエラ・アンタルヤ

PR
★カッパドキアやイスタンブールなどトルコ旅行をお考えなら ターキッシュエア&トラベル★・・・★トルコ旅行情報を多数掲載しております★・・・★パッケージツアーの他、オーダーメイドツアーもお任せください★
★カッパドキアやイスタンブールなどトルコ旅行をお考えなら ターキッシュエア&トラベル★・・・★トルコ旅行情報を多数掲載しております★・・・★パッケージツアーの他、オーダーメイドツアーもお任せください★

1 - 5件目まで(5件中)