詩仙堂(しせんどう)は、江戸時代初めの1641(寛永18)年、徳川家康の側近を務める武士であった石川丈山(じょうざん)が、都を離れ文化人としてひっそり暮らすための隠居の地として建てたことに始まります。
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詩仙堂(しせんどう)は、江戸時代初めの1641(寛永18)年、徳川家康の側近を務める武士であった石川丈山(じょうざん)が、都を離れ文化人としてひっそり暮らすための隠居の地として建てたことに始まります。
そして、絵師である狩野探幽によって描かれた中国の詩人三十六人の肖像に、丈山自らが隷書体で詩を書き添えた額を「詩仙の間」に飾ったことから「詩仙堂」と呼ばれるようになりました。
書院からは、白砂にサツキの刈り込みが美しく映える庭園をじっくりと眺められ、春には華やかなサツキが咲き誇り、夏にはすがすがしい青紅葉に包まれます。そして秋に見られる艶やかな紅葉や、冬に雪化粧をした庭園の水墨画のような世界も一見の価値あり。
静けさの中に身を置いていると、「ししおどし」の響きが聞こえてくるのも詩仙堂ならでは。庭園の奥には茶室・残月軒や池があり、見どころもたっぷりとあります。