イルデパンの歴史を語るには、外せない場所であるパリ・コミューンの流刑者収容所跡。
19世紀後半にフランスの流刑地として、多くの犯罪者が島流しの刑として、この場所に送られてきました。
犯罪者は主にパリ・コミューンと呼ばれるパリの革命的自治政権の政治犯です。
1872年に最初の流刑者達、約3000人が送り込まれました。
その多くは学識者や芸術家がほとんどだったと言われています。
その後、何度か流刑者達が送り込まれてきましたが、1875年に第三共和制の成立に伴い、1879年には全員が釈放され、本国フランスに戻ったとされています。
当時の島の人々との取り決めで、島の西側に刑務所が建てられており、今も島の西側にはいくつかの流刑地の跡が多く残っています。
この流刑者収容所跡の中には無料で入ることができ、独房の中も覗くことができます。
この流刑地で生涯の人生を終えた人々もたくさんいます。
彼らは美しいこの島で生涯を終えて幸せだったのか、それとも本国に帰れずに悔いの残る人生だったのか。
イルデパンは海の宝石箱と呼ばれるほど美しい島ですが、過去の苦い歴史が島の各所に散らばっています。
Vestiges du Bagne 流刑者収容所跡
島に残る苦い歴史
- 投稿日2015/03/26
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ジャンル史跡・遺跡
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エリアイル・デ・パン
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住所
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アクセスイルデパン空港から車で約10分
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営業時間24時間
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定休日無休
- 上記の記事は、訪問時点の情報を元に作成しています。訪問先の都合や現地事情により、最新の情報とは異なる可能性がありますのでご了承ください。


