記事一覧
6 - 10件目まで(18件中)
ほんの少しづつですが、あちこちで紅葉の兆しが見えてきました。
霧の深い朝があり、空には南下する渡り鳥の姿も確認できました。
もうすぐ秋の本番がやってきます。

紅葉の始まりは10度以下からだそうです。紅葉前線は毎日
40メートルの早さで進みます。赤はアニトシアニン、
黄色はカロチノイドなどの影響だそうです。

最近の調査によれば、赤い色を発する樹木はアブラムシに対する
危険信号、つまり「寄生すると危ないかもしれないよ!」と
木自身がアブラムシを寄せ付けない為に、紅葉しているのでは
ないかということです。
これはハンディキャップ信号ともいわれ、アフリカのサバンナで
チーターなどに出くわしたガゼルが、直ぐに逃げずに懸命に
飛び跳ねる行動を取ることと関連があるようです。
身を守りたい一心のガゼルは、私はこれだけ飛び跳ねられるだけの
体力もあり、チーターが狙っても素早く逃げ仰せる事ができる。
他のガゼルを追いかけた方がいいですよ。と言う事らしい。
実際に、チーターは目の前の元気な飛び跳ねるガゼルには目もくれず
一目散に走り去るガゼルを追うのだそうだ。

今月中旬より、この世界的にあまりにも有名なホテルでは、多くの
日本人ツアー客が滞在されるようです。
霧の深い朝があり、空には南下する渡り鳥の姿も確認できました。
もうすぐ秋の本番がやってきます。

紅葉の始まりは10度以下からだそうです。紅葉前線は毎日
40メートルの早さで進みます。赤はアニトシアニン、
黄色はカロチノイドなどの影響だそうです。

最近の調査によれば、赤い色を発する樹木はアブラムシに対する
危険信号、つまり「寄生すると危ないかもしれないよ!」と
木自身がアブラムシを寄せ付けない為に、紅葉しているのでは
ないかということです。
これはハンディキャップ信号ともいわれ、アフリカのサバンナで
チーターなどに出くわしたガゼルが、直ぐに逃げずに懸命に
飛び跳ねる行動を取ることと関連があるようです。
身を守りたい一心のガゼルは、私はこれだけ飛び跳ねられるだけの
体力もあり、チーターが狙っても素早く逃げ仰せる事ができる。
他のガゼルを追いかけた方がいいですよ。と言う事らしい。
実際に、チーターは目の前の元気な飛び跳ねるガゼルには目もくれず
一目散に走り去るガゼルを追うのだそうだ。

今月中旬より、この世界的にあまりにも有名なホテルでは、多くの
日本人ツアー客が滞在されるようです。

- タグ:
- ケベック 紅葉 秋の深まり
日一日と秋の気配を深めるケベックです。
朝晩の気温差も10度以上もあり、頬に当たる風も冷たく感じます。
例年より幾分早く紅葉も始まっており見頃はやや早まるようです。

早速色を染めた奇麗な楓の落ち葉を見つけました。
紅葉のプロセスは次のようなものです。
夏の間、太陽の陽を一杯に受けて葉緑素(栄養分)を作ります。
日差しも弱まり気温も低下すると(*8度が分岐点)葉っぱ自身が
秋の準備(落葉)を始めます。
つまり葉の働きを終えた事を知り、葉の付け根にあたる部分に
冬芽(とうが)を作り、葉に行き渡る水分や栄養素の管を閉じるのです。
栄養素を取り込むことが出来なくなった葉は、アニトシアニンという
物質が生まれ化学変化の後、色が変わるという事です。夏の間の緑の
葉というのは、クロロフィル(葉緑素)の影響で緑色に見えるのです。
つまり、赤や黄色といった所謂、紅葉は「元々の色に戻った。」という
事になるようです。

また落葉する事で、樹木本体が厳しい冬を乗り越える為の、体力温存に
繋がるのです。
朝晩の気温差も10度以上もあり、頬に当たる風も冷たく感じます。
例年より幾分早く紅葉も始まっており見頃はやや早まるようです。

早速色を染めた奇麗な楓の落ち葉を見つけました。
紅葉のプロセスは次のようなものです。
夏の間、太陽の陽を一杯に受けて葉緑素(栄養分)を作ります。
日差しも弱まり気温も低下すると(*8度が分岐点)葉っぱ自身が
秋の準備(落葉)を始めます。
つまり葉の働きを終えた事を知り、葉の付け根にあたる部分に
冬芽(とうが)を作り、葉に行き渡る水分や栄養素の管を閉じるのです。
栄養素を取り込むことが出来なくなった葉は、アニトシアニンという
物質が生まれ化学変化の後、色が変わるという事です。夏の間の緑の
葉というのは、クロロフィル(葉緑素)の影響で緑色に見えるのです。
つまり、赤や黄色といった所謂、紅葉は「元々の色に戻った。」という
事になるようです。

また落葉する事で、樹木本体が厳しい冬を乗り越える為の、体力温存に
繋がるのです。

- タグ:
- 紅葉 夕焼け
- ケベックより残暑お見舞い申し上げます。
-
エリア:
- 北米>カナダ>ケベック シティ
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 世界遺産
- 投稿日:2010/08/21 22:25
- コメント(0)
夕方のジャンヌダルク庭園の情景
最近、朝晩の気温差が10度以上あります。

ケベック郊外に、毎冬登場するアイスホテル
来年1月7日に開業予定です。
ケベックより残暑お見舞い申し上げます。
最近、朝晩の気温差が10度以上あります。

ケベック郊外に、毎冬登場するアイスホテル
来年1月7日に開業予定です。
ケベックより残暑お見舞い申し上げます。

- タグ:
- ジャンヌダルク庭園 ケベック アイスホテル
- ヌーベルフランス祭り開催中!
-
エリア:
- 北米>カナダ>ケベック シティ
- テーマ:街中・建物・景色 お祭り・イベント 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2010/08/05 11:36
- コメント(0)
毎年恒例のヌーベルフランス祭りが、8月4日から8日まで開催中です。
アメリカ大陸に於けるフランス開拓時代を偲ぶ大きなイベントなのです。
ケベックの町は,今からおよそ400年前にルイ14世の命を受けて
新国家フランスとして開拓されてゆくのです。祭り期間中は、その頃の
中世の時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る程です。

セントローレンス川沿いのケベックは、当時の先住民族が「川幅の狭まる場所」
と呼んだKEBEC(?)から付けられた地名です。大航海時代の最も合理的で早く
移動出来る乗り物が「船」だったのですから、北米の窓口として、この川幅の
狭まる地形が,他国からの防衛の観点からも、フランス人には魅力的だったのです。

当時の航海日数は、およそ5ヶ月半といわれます。何しろエンジン(動力)の
付かない時代の船の旅は、潮流と風任せだったのですから。
開拓者を最も苦しめたのは病気(壊血病)でした。船の上の偏った食生活による
ビタミン欠乏症が原因だったと言われます。
苦しんでいるフランス人を見て、先住民はあるお茶を差し出します。
「アネダのお茶」(*西洋杉の葉を煎じたもの)でしたが、絶望の縁に
いた余命幾ばくもない開拓者が、このお茶で命拾いするのです。
これは後にビタミンが含まれていることが判明します。

しかし、フランスの時代は150年程で終わりを告げます。
1759年9月13日のイギリスとの6度目の英仏植民地戦争によって、
フランスの最後の砦ケベックの陥落を迎えたのです。

そうした今のフランス系カナダ人(ケベコワ)にとって、この祭りは
開拓時代に汗したご先祖様を尊ぶ彼らの誇り高い大きなイベントでもあります。
北米東部大西洋岸、特に現在のメイン州東部とノバスコシア州に相当する地域の
古名で、フランス人入植者によって名付けられた地名をアカディアと言います。
英語では Acadian「アケイディアン」フランス語では Acadien「アカディアン」
と呼ばれます。また現在アカディア人が多く居住する地域を指す。
この記事のタイトルでも使った画像にあるフランス国旗に似た旗こそ、この
アカディアの旗でもあります。国旗はフランスの三色旗の青地に金の星
(被昇天の聖母の象徴「海の星」)をあしらったもので1884年制定ました。

同じカナダのフランス系住民でもケベック人とは異なる歴史、文化と
アイデンティティを持っています。その多くはカトリック信徒です。
アカディアの守護聖人は被昇天の聖母です。アカディア人の話すフランス語
(Acadian French)は、フランスの古語や古い言い回しを今日まで保って
おり、発音も若干異なると言われます。
歴史上の軋轢から、年配のフランス系住民の間では現在に至るまで英国
および英語を母国語とする住民に対する反感が根強いのです。若い世代は
英語文化の浸透、また就職に有利なことから英仏バイリンガルであることが
多く、母語であるフランス語の喪失が危惧されているのです。
現在のアカディアは「国土なき国家」と呼ばれることもあります。
「赤毛のアン」でお馴染みのプリンスエドワード島も,今でこそ英国風の
島として知られていますが、実は、このアカディア人たちが最初の住民でした。
英国に追われ一部のアカディア人等が辿り着いた地が、今のアメリカ南部の
ルイジアンアやニューオリンズ一帯なのです。
(地名がフランスに因んでますね。)
そして、この地域の名物料理である「ケイジャン料理」とは、正に
彼らアカディア人(アカディアが訛ってケイジャンになったのです。)の
伝えた料理だったのです。
アメリカ大陸に於けるフランス開拓時代を偲ぶ大きなイベントなのです。
ケベックの町は,今からおよそ400年前にルイ14世の命を受けて
新国家フランスとして開拓されてゆくのです。祭り期間中は、その頃の
中世の時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る程です。

セントローレンス川沿いのケベックは、当時の先住民族が「川幅の狭まる場所」
と呼んだKEBEC(?)から付けられた地名です。大航海時代の最も合理的で早く
移動出来る乗り物が「船」だったのですから、北米の窓口として、この川幅の
狭まる地形が,他国からの防衛の観点からも、フランス人には魅力的だったのです。

当時の航海日数は、およそ5ヶ月半といわれます。何しろエンジン(動力)の
付かない時代の船の旅は、潮流と風任せだったのですから。
開拓者を最も苦しめたのは病気(壊血病)でした。船の上の偏った食生活による
ビタミン欠乏症が原因だったと言われます。
苦しんでいるフランス人を見て、先住民はあるお茶を差し出します。
「アネダのお茶」(*西洋杉の葉を煎じたもの)でしたが、絶望の縁に
いた余命幾ばくもない開拓者が、このお茶で命拾いするのです。
これは後にビタミンが含まれていることが判明します。

しかし、フランスの時代は150年程で終わりを告げます。
1759年9月13日のイギリスとの6度目の英仏植民地戦争によって、
フランスの最後の砦ケベックの陥落を迎えたのです。

そうした今のフランス系カナダ人(ケベコワ)にとって、この祭りは
開拓時代に汗したご先祖様を尊ぶ彼らの誇り高い大きなイベントでもあります。
北米東部大西洋岸、特に現在のメイン州東部とノバスコシア州に相当する地域の
古名で、フランス人入植者によって名付けられた地名をアカディアと言います。
英語では Acadian「アケイディアン」フランス語では Acadien「アカディアン」
と呼ばれます。また現在アカディア人が多く居住する地域を指す。
この記事のタイトルでも使った画像にあるフランス国旗に似た旗こそ、この
アカディアの旗でもあります。国旗はフランスの三色旗の青地に金の星
(被昇天の聖母の象徴「海の星」)をあしらったもので1884年制定ました。

同じカナダのフランス系住民でもケベック人とは異なる歴史、文化と
アイデンティティを持っています。その多くはカトリック信徒です。
アカディアの守護聖人は被昇天の聖母です。アカディア人の話すフランス語
(Acadian French)は、フランスの古語や古い言い回しを今日まで保って
おり、発音も若干異なると言われます。
歴史上の軋轢から、年配のフランス系住民の間では現在に至るまで英国
および英語を母国語とする住民に対する反感が根強いのです。若い世代は
英語文化の浸透、また就職に有利なことから英仏バイリンガルであることが
多く、母語であるフランス語の喪失が危惧されているのです。
現在のアカディアは「国土なき国家」と呼ばれることもあります。
「赤毛のアン」でお馴染みのプリンスエドワード島も,今でこそ英国風の
島として知られていますが、実は、このアカディア人たちが最初の住民でした。
英国に追われ一部のアカディア人等が辿り着いた地が、今のアメリカ南部の
ルイジアンアやニューオリンズ一帯なのです。
(地名がフランスに因んでますね。)
そして、この地域の名物料理である「ケイジャン料理」とは、正に
彼らアカディア人(アカディアが訛ってケイジャンになったのです。)の
伝えた料理だったのです。
- タグ:
- ヌーベルフランス 新国家フランス アカディア ケイジャン料理
タイトル画像には、恋人たちの愛のカタチをご紹介しました。
南京錠で繋いで観光地に嵌めてゆくのが流行っているようで、
特にパリの「芸術橋」には、無数のこうしたカップルの鍵が
眺められるようです。景観を特に気にするフランス人は
それを寛大に許しているのでしょうか?
さて、8月に入ってケベックの暑さも少し和らぎました。
今月4日から恒例のヌーベルフランス祭りが4日間開催されます。
400年前にはルイ14世のもと「新国家フランス」と宣言され
文字通りここはフランスの国家であったのです。その当時の暮らし
ブリを再現する祭りで盛り上がります。

旧市街の至る所で、中世フランスの民族衣装を纏った人々が歩き
川沿いのパリ広場や、王様の広場では、多くの出店がお目見えして
道行く人々に声をかけます。
このプチシャンプレインは、北米最古の商店街として知られており、
多くの観光客の魅力的なスポットです。

さて、この変わったデザインの「ケベック橋」は、およそ100年前に
セントローレンス川の対岸(レヴィ市)との間に架けられましたが、
完成まで2度崩れ落ちるという悲運がありました。75人の命と引き換え
現在では、鉄道、高速道路、歩道の役目を担う全長987mの流さを
誇ります。

戦場公園(アブラハム平原)も、夏祭りが終わって静けさを取り戻しました。
ようやく公園の塒にするマーモットやリスたちも、ゆっくり過ごせるよう
です。
南京錠で繋いで観光地に嵌めてゆくのが流行っているようで、
特にパリの「芸術橋」には、無数のこうしたカップルの鍵が
眺められるようです。景観を特に気にするフランス人は
それを寛大に許しているのでしょうか?
さて、8月に入ってケベックの暑さも少し和らぎました。
今月4日から恒例のヌーベルフランス祭りが4日間開催されます。
400年前にはルイ14世のもと「新国家フランス」と宣言され
文字通りここはフランスの国家であったのです。その当時の暮らし
ブリを再現する祭りで盛り上がります。

旧市街の至る所で、中世フランスの民族衣装を纏った人々が歩き
川沿いのパリ広場や、王様の広場では、多くの出店がお目見えして
道行く人々に声をかけます。
このプチシャンプレインは、北米最古の商店街として知られており、
多くの観光客の魅力的なスポットです。

さて、この変わったデザインの「ケベック橋」は、およそ100年前に
セントローレンス川の対岸(レヴィ市)との間に架けられましたが、
完成まで2度崩れ落ちるという悲運がありました。75人の命と引き換え
現在では、鉄道、高速道路、歩道の役目を担う全長987mの流さを
誇ります。

戦場公園(アブラハム平原)も、夏祭りが終わって静けさを取り戻しました。
ようやく公園の塒にするマーモットやリスたちも、ゆっくり過ごせるよう
です。

- タグ:
- ケベック橋 戦場公園 ヌーベルフランス祭り
6 - 10件目まで(18件中)