記事一覧
6 - 10件目まで(14件中)

- ケベックより残暑お見舞い申し上げます。
-
エリア:
- 北米>カナダ>ケベック シティ
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 世界遺産
- 投稿日:2010/08/21 22:25
- コメント(0)
夕方のジャンヌダルク庭園の情景
最近、朝晩の気温差が10度以上あります。

ケベック郊外に、毎冬登場するアイスホテル
来年1月7日に開業予定です。
ケベックより残暑お見舞い申し上げます。
最近、朝晩の気温差が10度以上あります。

ケベック郊外に、毎冬登場するアイスホテル
来年1月7日に開業予定です。
ケベックより残暑お見舞い申し上げます。
- タグ:
- ジャンヌダルク庭園 ケベック アイスホテル

- ヌーベルフランス祭り開催中!
-
エリア:
- 北米>カナダ>ケベック シティ
- テーマ:街中・建物・景色 お祭り・イベント 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2010/08/05 11:36
- コメント(0)
毎年恒例のヌーベルフランス祭りが、8月4日から8日まで開催中です。
アメリカ大陸に於けるフランス開拓時代を偲ぶ大きなイベントなのです。
ケベックの町は,今からおよそ400年前にルイ14世の命を受けて
新国家フランスとして開拓されてゆくのです。祭り期間中は、その頃の
中世の時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る程です。

セントローレンス川沿いのケベックは、当時の先住民族が「川幅の狭まる場所」
と呼んだKEBEC(?)から付けられた地名です。大航海時代の最も合理的で早く
移動出来る乗り物が「船」だったのですから、北米の窓口として、この川幅の
狭まる地形が,他国からの防衛の観点からも、フランス人には魅力的だったのです。

当時の航海日数は、およそ5ヶ月半といわれます。何しろエンジン(動力)の
付かない時代の船の旅は、潮流と風任せだったのですから。
開拓者を最も苦しめたのは病気(壊血病)でした。船の上の偏った食生活による
ビタミン欠乏症が原因だったと言われます。
苦しんでいるフランス人を見て、先住民はあるお茶を差し出します。
「アネダのお茶」(*西洋杉の葉を煎じたもの)でしたが、絶望の縁に
いた余命幾ばくもない開拓者が、このお茶で命拾いするのです。
これは後にビタミンが含まれていることが判明します。

しかし、フランスの時代は150年程で終わりを告げます。
1759年9月13日のイギリスとの6度目の英仏植民地戦争によって、
フランスの最後の砦ケベックの陥落を迎えたのです。

そうした今のフランス系カナダ人(ケベコワ)にとって、この祭りは
開拓時代に汗したご先祖様を尊ぶ彼らの誇り高い大きなイベントでもあります。
北米東部大西洋岸、特に現在のメイン州東部とノバスコシア州に相当する地域の
古名で、フランス人入植者によって名付けられた地名をアカディアと言います。
英語では Acadian「アケイディアン」フランス語では Acadien「アカディアン」
と呼ばれます。また現在アカディア人が多く居住する地域を指す。
この記事のタイトルでも使った画像にあるフランス国旗に似た旗こそ、この
アカディアの旗でもあります。国旗はフランスの三色旗の青地に金の星
(被昇天の聖母の象徴「海の星」)をあしらったもので1884年制定ました。

同じカナダのフランス系住民でもケベック人とは異なる歴史、文化と
アイデンティティを持っています。その多くはカトリック信徒です。
アカディアの守護聖人は被昇天の聖母です。アカディア人の話すフランス語
(Acadian French)は、フランスの古語や古い言い回しを今日まで保って
おり、発音も若干異なると言われます。
歴史上の軋轢から、年配のフランス系住民の間では現在に至るまで英国
および英語を母国語とする住民に対する反感が根強いのです。若い世代は
英語文化の浸透、また就職に有利なことから英仏バイリンガルであることが
多く、母語であるフランス語の喪失が危惧されているのです。
現在のアカディアは「国土なき国家」と呼ばれることもあります。
「赤毛のアン」でお馴染みのプリンスエドワード島も,今でこそ英国風の
島として知られていますが、実は、このアカディア人たちが最初の住民でした。
英国に追われ一部のアカディア人等が辿り着いた地が、今のアメリカ南部の
ルイジアンアやニューオリンズ一帯なのです。
(地名がフランスに因んでますね。)
そして、この地域の名物料理である「ケイジャン料理」とは、正に
彼らアカディア人(アカディアが訛ってケイジャンになったのです。)の
伝えた料理だったのです。
アメリカ大陸に於けるフランス開拓時代を偲ぶ大きなイベントなのです。
ケベックの町は,今からおよそ400年前にルイ14世の命を受けて
新国家フランスとして開拓されてゆくのです。祭り期間中は、その頃の
中世の時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る程です。

セントローレンス川沿いのケベックは、当時の先住民族が「川幅の狭まる場所」
と呼んだKEBEC(?)から付けられた地名です。大航海時代の最も合理的で早く
移動出来る乗り物が「船」だったのですから、北米の窓口として、この川幅の
狭まる地形が,他国からの防衛の観点からも、フランス人には魅力的だったのです。

当時の航海日数は、およそ5ヶ月半といわれます。何しろエンジン(動力)の
付かない時代の船の旅は、潮流と風任せだったのですから。
開拓者を最も苦しめたのは病気(壊血病)でした。船の上の偏った食生活による
ビタミン欠乏症が原因だったと言われます。
苦しんでいるフランス人を見て、先住民はあるお茶を差し出します。
「アネダのお茶」(*西洋杉の葉を煎じたもの)でしたが、絶望の縁に
いた余命幾ばくもない開拓者が、このお茶で命拾いするのです。
これは後にビタミンが含まれていることが判明します。

しかし、フランスの時代は150年程で終わりを告げます。
1759年9月13日のイギリスとの6度目の英仏植民地戦争によって、
フランスの最後の砦ケベックの陥落を迎えたのです。

そうした今のフランス系カナダ人(ケベコワ)にとって、この祭りは
開拓時代に汗したご先祖様を尊ぶ彼らの誇り高い大きなイベントでもあります。
北米東部大西洋岸、特に現在のメイン州東部とノバスコシア州に相当する地域の
古名で、フランス人入植者によって名付けられた地名をアカディアと言います。
英語では Acadian「アケイディアン」フランス語では Acadien「アカディアン」
と呼ばれます。また現在アカディア人が多く居住する地域を指す。
この記事のタイトルでも使った画像にあるフランス国旗に似た旗こそ、この
アカディアの旗でもあります。国旗はフランスの三色旗の青地に金の星
(被昇天の聖母の象徴「海の星」)をあしらったもので1884年制定ました。

同じカナダのフランス系住民でもケベック人とは異なる歴史、文化と
アイデンティティを持っています。その多くはカトリック信徒です。
アカディアの守護聖人は被昇天の聖母です。アカディア人の話すフランス語
(Acadian French)は、フランスの古語や古い言い回しを今日まで保って
おり、発音も若干異なると言われます。
歴史上の軋轢から、年配のフランス系住民の間では現在に至るまで英国
および英語を母国語とする住民に対する反感が根強いのです。若い世代は
英語文化の浸透、また就職に有利なことから英仏バイリンガルであることが
多く、母語であるフランス語の喪失が危惧されているのです。
現在のアカディアは「国土なき国家」と呼ばれることもあります。
「赤毛のアン」でお馴染みのプリンスエドワード島も,今でこそ英国風の
島として知られていますが、実は、このアカディア人たちが最初の住民でした。
英国に追われ一部のアカディア人等が辿り着いた地が、今のアメリカ南部の
ルイジアンアやニューオリンズ一帯なのです。
(地名がフランスに因んでますね。)
そして、この地域の名物料理である「ケイジャン料理」とは、正に
彼らアカディア人(アカディアが訛ってケイジャンになったのです。)の
伝えた料理だったのです。
- タグ:
- ヌーベルフランス 新国家フランス アカディア ケイジャン料理
タイトル画像には、恋人たちの愛のカタチをご紹介しました。
南京錠で繋いで観光地に嵌めてゆくのが流行っているようで、
特にパリの「芸術橋」には、無数のこうしたカップルの鍵が
眺められるようです。景観を特に気にするフランス人は
それを寛大に許しているのでしょうか?
さて、8月に入ってケベックの暑さも少し和らぎました。
今月4日から恒例のヌーベルフランス祭りが4日間開催されます。
400年前にはルイ14世のもと「新国家フランス」と宣言され
文字通りここはフランスの国家であったのです。その当時の暮らし
ブリを再現する祭りで盛り上がります。

旧市街の至る所で、中世フランスの民族衣装を纏った人々が歩き
川沿いのパリ広場や、王様の広場では、多くの出店がお目見えして
道行く人々に声をかけます。
このプチシャンプレインは、北米最古の商店街として知られており、
多くの観光客の魅力的なスポットです。

さて、この変わったデザインの「ケベック橋」は、およそ100年前に
セントローレンス川の対岸(レヴィ市)との間に架けられましたが、
完成まで2度崩れ落ちるという悲運がありました。75人の命と引き換え
現在では、鉄道、高速道路、歩道の役目を担う全長987mの流さを
誇ります。

戦場公園(アブラハム平原)も、夏祭りが終わって静けさを取り戻しました。
ようやく公園の塒にするマーモットやリスたちも、ゆっくり過ごせるよう
です。
南京錠で繋いで観光地に嵌めてゆくのが流行っているようで、
特にパリの「芸術橋」には、無数のこうしたカップルの鍵が
眺められるようです。景観を特に気にするフランス人は
それを寛大に許しているのでしょうか?
さて、8月に入ってケベックの暑さも少し和らぎました。
今月4日から恒例のヌーベルフランス祭りが4日間開催されます。
400年前にはルイ14世のもと「新国家フランス」と宣言され
文字通りここはフランスの国家であったのです。その当時の暮らし
ブリを再現する祭りで盛り上がります。

旧市街の至る所で、中世フランスの民族衣装を纏った人々が歩き
川沿いのパリ広場や、王様の広場では、多くの出店がお目見えして
道行く人々に声をかけます。
このプチシャンプレインは、北米最古の商店街として知られており、
多くの観光客の魅力的なスポットです。

さて、この変わったデザインの「ケベック橋」は、およそ100年前に
セントローレンス川の対岸(レヴィ市)との間に架けられましたが、
完成まで2度崩れ落ちるという悲運がありました。75人の命と引き換え
現在では、鉄道、高速道路、歩道の役目を担う全長987mの流さを
誇ります。

戦場公園(アブラハム平原)も、夏祭りが終わって静けさを取り戻しました。
ようやく公園の塒にするマーモットやリスたちも、ゆっくり過ごせるよう
です。
- タグ:
- ケベック橋 戦場公園 ヌーベルフランス祭り

- ケベックのアパート事情
-
エリア:
- 北米>カナダ>ケベック シティ
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 留学・長期滞在
- 投稿日:2010/07/23 07:41
- コメント(0)
世界遺産都市のある旧市街から、徒歩30分程の距離にあるカルティエ通り
沿いに建つスーパーマーケットの最上階のアパートは、家賃1300ドルです。

3階(日本の4階に当たります。)のテラスは眺望の良いのです。

大きめのキッチンは使い易そうです。

シティーホテルのような広い窓が素敵ですね。

シャワールームが別に設けているのもお洒落な感じがしますね。

日本のアパートと違い、敷金とか礼金のシステムがないのが良いですね。
しかも家賃には電気代や水道代も含まれます。
沿いに建つスーパーマーケットの最上階のアパートは、家賃1300ドルです。

3階(日本の4階に当たります。)のテラスは眺望の良いのです。

大きめのキッチンは使い易そうです。

シティーホテルのような広い窓が素敵ですね。

シャワールームが別に設けているのもお洒落な感じがしますね。

日本のアパートと違い、敷金とか礼金のシステムがないのが良いですね。
しかも家賃には電気代や水道代も含まれます。
- タグ:
- ケベック アパート
新年の明けた気分もそろそろ落ち着き、仕事始めに就かれた人も多いので
しょうね。ケベックは、ヴァンクーヴァーとの時差が、3時間もある遠く
離れた場所にあたり、今回の冬季オリンピックの影響(観光客増など)は、
あまり期待できそうもありません。
それでも例年のように、州議会議事堂前の広場には、間もなく始まる
「ウインターカーニヴァル」に向けた、氷の宮殿作りが始まりました。
この場所がメイン会場となり、2週間続く冬祭りの中心的な役割を果たします。
http://www.carnaval.qc.ca/en
ジャンヌダルクは、フランス解放の為に戦った有名な女性戦士ではありますが、
実は、この街には全く縁も所縁もありません。英仏植民地戦争
(最後は1759年)の舞台となった場所を、戦場公園としてカナダの
国立公園になりましたが、その一部に設けられたのが、この庭園です。

フランス系カナダ人(ケベッコワ)等の中には「ジャンヌダルクよ今一度!
今度は私たちの為に、立ち上がっておくれよ。」と願いを込めて建立した
との噂も囁かれています。
1938年景観建築家のルイペロン氏による「枕床園」です。公園の中央には、
アメリカ人のハンジントン氏による、お馴染みのジャンヌダルクの騎馬像も
置かれています。
この大きな建物がロウズコンコルドホテルです。2001年4月に行われた
北米南米34カ国の元首等が、一同に集まり開催されたサミットの際、当時の
アメリカ大統領ブッシュ氏が宿泊されたホテルでもあります。

ワシントンから飛んでくる大統領専用機は、2機飛来し1機目はケベックの
空港に着陸するかのようなランディング体制をとりましたが、大統領が実際に
乗っているとされる2機目がその数分後に無事に着陸したようです。
その後、空港からこのホテルまでは、車で15分足らずの距離ですが、わざわざ
海軍の大型ヘリでこの公園内に移動しました。
当時のサミットのテーマが、北米南米の関税障壁撤廃に向けたものであり、
大国が小国を飲み込んでしまうと危惧された事で、2千人以上の反政府組織
(NGO)が集まった事や、ブッシュ大統領も就任早々の、本格的な外交の
大きな舞台とあって、かなり念を入れた警戒であったのかもしれません。

遠くに見える近未来的な明かりの群は、石油精製コンビナートです。
手前には北米三番目の大河セントローレンスが流れています。更に、左手の
変わった建造物が、マーテルロータワーというもので、フランスからこの
土地を奪ったイギリスが、次なる敵に備えて、防衛強化の目的で建てた
見張りの塔でもあります。
ところで、イギリスにとっての「次なる敵」とは、どこだと思いますか?
何と!独立間際のアメリカだったのですね。
緊張状態にあった時には、20名の兵士がこの塔の中で、交代で詰めていた
ようです。寝室は勿論、井戸やキッチンなども完備しており、兵糧攻めにも
対処していたのでしょうか。現在は3基誇っているのですが、1900
年初期に、一基は病院建設の為に壊されてしまったようです。
しょうね。ケベックは、ヴァンクーヴァーとの時差が、3時間もある遠く
離れた場所にあたり、今回の冬季オリンピックの影響(観光客増など)は、
あまり期待できそうもありません。
それでも例年のように、州議会議事堂前の広場には、間もなく始まる
「ウインターカーニヴァル」に向けた、氷の宮殿作りが始まりました。
この場所がメイン会場となり、2週間続く冬祭りの中心的な役割を果たします。
http://www.carnaval.qc.ca/en
ジャンヌダルクは、フランス解放の為に戦った有名な女性戦士ではありますが、
実は、この街には全く縁も所縁もありません。英仏植民地戦争
(最後は1759年)の舞台となった場所を、戦場公園としてカナダの
国立公園になりましたが、その一部に設けられたのが、この庭園です。

フランス系カナダ人(ケベッコワ)等の中には「ジャンヌダルクよ今一度!
今度は私たちの為に、立ち上がっておくれよ。」と願いを込めて建立した
との噂も囁かれています。
1938年景観建築家のルイペロン氏による「枕床園」です。公園の中央には、
アメリカ人のハンジントン氏による、お馴染みのジャンヌダルクの騎馬像も
置かれています。
この大きな建物がロウズコンコルドホテルです。2001年4月に行われた
北米南米34カ国の元首等が、一同に集まり開催されたサミットの際、当時の
アメリカ大統領ブッシュ氏が宿泊されたホテルでもあります。

ワシントンから飛んでくる大統領専用機は、2機飛来し1機目はケベックの
空港に着陸するかのようなランディング体制をとりましたが、大統領が実際に
乗っているとされる2機目がその数分後に無事に着陸したようです。
その後、空港からこのホテルまでは、車で15分足らずの距離ですが、わざわざ
海軍の大型ヘリでこの公園内に移動しました。
当時のサミットのテーマが、北米南米の関税障壁撤廃に向けたものであり、
大国が小国を飲み込んでしまうと危惧された事で、2千人以上の反政府組織
(NGO)が集まった事や、ブッシュ大統領も就任早々の、本格的な外交の
大きな舞台とあって、かなり念を入れた警戒であったのかもしれません。

遠くに見える近未来的な明かりの群は、石油精製コンビナートです。
手前には北米三番目の大河セントローレンスが流れています。更に、左手の
変わった建造物が、マーテルロータワーというもので、フランスからこの
土地を奪ったイギリスが、次なる敵に備えて、防衛強化の目的で建てた
見張りの塔でもあります。
ところで、イギリスにとっての「次なる敵」とは、どこだと思いますか?
何と!独立間際のアメリカだったのですね。
緊張状態にあった時には、20名の兵士がこの塔の中で、交代で詰めていた
ようです。寝室は勿論、井戸やキッチンなども完備しており、兵糧攻めにも
対処していたのでしょうか。現在は3基誇っているのですが、1900
年初期に、一基は病院建設の為に壊されてしまったようです。
- タグ:
- ジャンヌダルク庭園 ロウズコンコルドホテル マーテルロータワー
6 - 10件目まで(14件中)




