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ベルリン (ドイツ) 観光の現地クチコミ

現地のプロ(4人)詳細

Hiromitsu Kakizoe (ライター)

歴史を見続けてきたベルリンの正面玄関

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古くは、城塞都市としてのベルリンと外部をつなぐ門として作られました。
ここから始まるウンター・デン・リンデン通りが王宮へと通じる道として整備されたので、
次第にベルリンの正面玄関としての性格が強くなります。
18世紀末、時のプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の命により、
古代ギリシャ風の盛大な門として、新たに建て直されました。

門の上部には4頭立ての馬車に乗った勝利の女神「ヴィクトリア」が立っています。
このヴィクトリア像、ずっとここにいたわけではありません。
19世紀初頭、ナポレオン率いるフランス軍は、プロイセン軍を破った後ベルリンに入城しました。
その際、戦利品としてヴィクトリア像を馬車ごと持ち帰ります。
その後戦況が変わりナポレオン軍が敗走し、プロイセン軍がパリを占領した際、ヴィクトリア像を取り返しました。
プロイセン軍は像と共に大々的にベルリンへ帰還を果たし、市民は大いに喜んだと言います。

第二次大戦では、崩壊は免れましたが一部が損傷しました。
ベルリンの壁建設後は境界線が門のそばとなったため通り抜けすることが許されず、無人地帯となりました。

ブランデンブルク門を中心に道が東西に走っているつくりのため、軍事パレードや記念パレードでよく使われました。
ベルリンはプロイセン王国の首都だったのでもちろんのこと、ナポレオンが占領した際にはフランス軍が、
ドイツ帝国発足後にはドイツ軍が、第二次大戦後には連合国首脳も歩きました。
現在ではベルリンマラソンのゴール直前ポイントとして、多くのランナーが走って抜けていきます。

ベルリンの酸いも甘いも見てきたこの門から、旅を始めてみませんか。

東西分断の象徴から東西統一のシンボルへとなった凱旋門

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ベルリンにおいて、最も有名なシンボルであるブランデンブルグ門。ベルリンの壁崩壊時のニュース映像でご存知の方も多いでしょう。

1791年にプロイセンの凱旋門、平和の象徴としてウンターデンリンデン通りに建てられました。
門の上にある勝利の女神と四頭馬車クアドリガは、完成直後にプロイセンを征服したナポレオンによって戦利品としてフランスへ持ち去られましたが、その後プロイセンがフランスを破った際にベルリンに戻りました。

しかし、平和の象徴であるブランデンブルク門は第二次世界大戦中にはナチスにプロパガンダとして利用された上、その後の冷戦下ではベルリンの壁が敷かれ廃墟のような無残な姿にされてしまいました。

重い歴史に翻弄されてきた門やその周辺は現在は修復され、ドイツ古典主義の最も美しい一例である門は本来の姿に息を吹き返しました。
また、門のあるPariser Platz(パリ広場)は、ベルリンの応接間と呼ばれ、周囲には洗練された邸宅や大使館、高級ホテルアドロンがならび、歴史的式典などが行われます。

また、ブランデンブルグ門のウンターデンリンデン通り側にはカフェやレストランが並び、門の反対側にはティアガルテンという広大な公園が広がり観光の他にも散歩やお食事等も楽しめます。

  • 上記の記事は、訪問時点の情報を元に作成しています。訪問先の都合や現地事情により、最新の情報とは異なる可能性がありますのでご了承ください。