ベルリンの壁と聞いて、読者の皆さんはどういったものをイメージするでしょうか。
西と東と言うくらいだから、都市を真ん中で半分に分けた一枚の壁と思う方もいるかもしれません。
これは半分正解で半分間違いです。
第二次大戦が終わった後、連合国の占領政策により戦前からの首都であったベルリンも、
アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4カ国の占領下になります。
当初は目にはっきり見える区分けはなかったと言います。
東西冷戦下、西側3カ国の占領下にあった西ドイツと、ソ連の占領下にあった東ドイツは、
別々の国家として国際社会に復帰します。
分裂した中にあって、ベルリン市は東ドイツの中にありました。
だんだんと時がたつにつれ、西と東の間で経済的なものや制度的なもので差が出てきます。
東ドイツ国民の中には西側へ行きたい人が多く出てきました。
その状況下で、東ドイツの中にあったベルリン市西部(西ベルリン市)は、
西ドイツへの交通が安全に保障されていた、いわば西への脱出口だったのです。
だんだんと人が殺到する中、東ドイツ政府は労働力の減少に焦るようになります。
1961年、西ドイツへの国民の脱出を妨げるべく、
東ドイツ政府は、西ベルリン市を「ぐるりと囲む」鉄条網を一夜にして築きました。
これがベルリンの壁の原型です。
壁ができた後も、西ベルリンから西ドイツへの交通は維持されていたので、
東ドイツからの脱出を考える人は後をたちません。
その後、突破されることを防ぐために壁はだんだんと強化され、コンクリート製のものになります。
また、一枚だけではなくもう一枚壁を設け、その間には地雷も敷く徹底したものを作るようになりました。
統一ドイツが誕生した後、壁はほとんど撤去されて、数えるほどしか残っていません。
市内には、壁の跡地にれんがやブロックなどを埋め込んで、線状に目印がつけられています。
都市近郊電車S1・S2番の「ポツダマープラッツ(Potsdamer Platz)駅」、
同じくS1・S2番の「ノルトバーンホーフ(Nordbahnhof)駅」、
地下鉄U8「ベルナウアーシュトラーセ(Bernauer Strasse)駅」、
都市近郊電車S5・S7番と地下鉄U1番の「ワルシャワシュトラーセ(warschauer Strasse)駅」といった
駅の近くで、当時の壁の様子を知ることができます。
壁にまつわる博物館もあるので、合わせて見学してみてください。これについては他の項で解説しています。
Berlin Wall ベルリンの壁
Hiromitsu Kakizoe
(ライター)
都市の半分を陸の孤島にした「壁」
- 投稿日2015/04/16
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ジャンル史跡・遺跡
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エリアミッテ
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住所
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アクセスS1・S2線 Nordbahnhof駅から徒歩約7分
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電話番号+49-30-467986666
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営業時間野外展示・記念碑 - 8:00-22:00、ビジターセンター・ドキュメントセンター - [火-日]10:00-18:00
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定休日ビジターセンター・ドキュメントセンター - 月曜日
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