1902年にロシアが建てて1906年まで使い、そのあと1934年まで日本が使った監獄跡です。ロシア時代に造られた灰色の建物に、いくつもの棟が建て増しされています。牢房はロシア時代に85室、日本時代には253室まで増えました。おもに政治犯、思想犯が抑留されていたところです。
なお、中国語ではロシアを「俄」と表わすため、入口の看板には「旅順日俄監獄旧跡」と表記されています。
監獄内には検身室や牢房、医務室などがあり、参観路にしたがって順番に見学。当時の囚人服や取締官の使用品などが展示され、中国語と英語の説明書きがあります。拷問室には手鎖や足鎖なども。牢房には8人が入ることもあり、横になることもできないような狭さです。
ギョッとさせられるのは絞刑室。絞首刑が執り行なわれたところで、2階建ての建物の上からロープが下がり、床に開いている穴の下には棺桶が置かれています。刑を終えた囚人がそのまま棺桶へと降ろされたそうです。
牢房のひとつには、1909年にハルピンで初代韓国統監だった伊藤博文を暗殺した安重根(あんじゅうこん・アンジュングン)が抑留されていた房もあります。安重根が処刑されたのもこの監獄です。
監獄の周囲には収監者が懲役にあたっていた、広大な果樹園や野菜畑などが広がっていました。
ひととおり見学するには所要約40分。入館料は25元。旅順駅からタクシーで約10分のところにあります。
Japan-Russia Prison Site of Port Arthur 旅順日露監獄旧跡地博物館 ルゥーシゥンリーロウジェンユージュウジーディボーウーグァン
ロシアと日本が使用した監獄跡
- 投稿日2019/10/18
2012/05訪問
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ジャンル博物館・ミュージアム
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エリア大連その他
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住所
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アクセス旅順駅(旅順汽車站)から車で約10分
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電話番号+86-411-86610675
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営業時間5・6・10月: [火-日]9:00-16:30, 7-9月: [火-金]9:00-16:30 [土・日]9:00-18:30, 11-4月: [火-日]9:00-16:00
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定休日月曜日
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