その日本人の名前は「谷弥次郎兵衛」、ホイアンで生涯を終えた商人だ。
およそ400年前、ホイアンは世界に開かれた貿易港として栄え、日本を含めた外国の商人たちが住み着いていた。
日本人も一説では1000人もの数が住んでいたと言われており、
谷弥次郎兵衛は、現在の三重県からやって来た商人のひとり。
この人物、ホイアンに恋人がいたそうなのだが、江戸幕府の鎖国に伴って帰国命令が下され、
日本に帰らざるを得なくなってしまった。しかし、その帰路の途中、
やはり恋人と別れたくないと、ホイアンに戻る途中で病に伏して亡くなってしまったそうだ。
それから400年もの間に渡って墓は守られつづけ、
今はホイアンと日本の友好な関係を証明するものとして知られている。
観光エリアの旧市街から離れており、タクシーで10分ほど走る必要があるだろう。
墓自体は水田に囲まれているため、通りからは距離があってなかなか見つけづらい。
タクシーで行くなら運転手がきっと知っているので、「Mo nguoi Nhat(日本人の墓)」と見せれば伝わるはず。
自らバイクなどで行くのであれば、通りの東側に注意してほしい。
入口には「TANI YAJIROBEI」と彫られた石看板が立っており、あとは道なりに歩いて行けば辿り着く。
墓まで至るあぜ道と水田の景色は美しく、何より空の広さに驚くだろう。是非とも晴れた日に訪れてほしい。
私が行ったときには土木工事が行われていたので、近い将来はもっと歩きやすくなっているかもしれない。
作業員のおじさんたちに、「どうしたんだ?」と声を掛けられたので、
「私は日本人だ」と言って両手を合わせるジェスチャーを取ると、全て承知したようで、笑っていた。
遠い昔、ここで人生を全うした日本人を思いを馳せて、両手を合わせよう。
The monument of Yajirobe Tani 谷弥次郎兵衛の墓
400年前にホイアンで生涯を終えた日本人の墓
- 投稿日2015/11/05
- 更新日2015/12/01
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