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- ウクライナ・ロガーチン市のロクセラ-ナ記念碑(ヒュッレム・スルタンの故郷)
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エリア:
- ヨーロッパ>ウクライナ>ウクライナその他の都市
- 中近東>トルコ>イスタンブール
- テーマ:観光地
- 投稿日:2012/10/23 14:41
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ウクライナ・ロガーチン市のロクセラ-ナ記念碑(ヒュッレム・スルタンの故郷)
ロクセラーナはオスマン帝国のスレイマン大帝の皇后となったロシア人女性。
もとはロガーチン市の貧しい正教会の司祭ガヴリーラ・リソーフスキーの娘でした。ロガーチン市は当時はポーロンド王国に属していました。
本名はアレクサンドラ・ガヴリーロブナ・リソーフスカヤで、1520年頃にタタール人に街が襲われ囚われて奴隷として売り回され最終的に後のオスマン帝国の大宰相となる若いイブラヒムに買い取られスレイマン大帝のハーレムに移されました。ハーレムではスレイマンの寵愛を受けヒュッレムという名を与えられイスラム教に改宗します。ヒュッレムはスレイマンとの間に4人の皇子をもうけ、次男のセリムがスレイマンの後継となりスルタンになります。
女奴隷から皇后へ上り詰めたヒュッレム(アレクサンドラ)はヨーロッパではロクセラーナ(ロシア人の女)として知られています。
現在、トルコではヒュッレムとスレイマンを題材にした「壮麗なる世紀」というドラマが放映されています。
ロクセラーナはオスマン帝国のスレイマン大帝の皇后となったロシア人女性。
もとはロガーチン市の貧しい正教会の司祭ガヴリーラ・リソーフスキーの娘でした。ロガーチン市は当時はポーロンド王国に属していました。
本名はアレクサンドラ・ガヴリーロブナ・リソーフスカヤで、1520年頃にタタール人に街が襲われ囚われて奴隷として売り回され最終的に後のオスマン帝国の大宰相となる若いイブラヒムに買い取られスレイマン大帝のハーレムに移されました。ハーレムではスレイマンの寵愛を受けヒュッレムという名を与えられイスラム教に改宗します。ヒュッレムはスレイマンとの間に4人の皇子をもうけ、次男のセリムがスレイマンの後継となりスルタンになります。
女奴隷から皇后へ上り詰めたヒュッレム(アレクサンドラ)はヨーロッパではロクセラーナ(ロシア人の女)として知られています。
現在、トルコではヒュッレムとスレイマンを題材にした「壮麗なる世紀」というドラマが放映されています。
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