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- エストニア・タリンに自動車博物館がオープン
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エリア:
- ヨーロッパ>エストニア>タリン
- テーマ:観光地 鉄道・乗り物
- 投稿日:2014/05/07 16:22
- コメント(0)
エストニア・タリンに自動車博物館がオープン
昨年からエストニアの首都で開催されている自動車博物館の「シーズン2014 」が5月1日からオープンしました。
住所は Paldiski maantee 135a で40のユニークな自動車等が展示されます。
ベンツ300w112などの各国の車及びソビエト時代の車などが展示されます。
博物館は5月から9・10月の11時から19時の間営業。
入場料は4.9ユーロ。
昨年からエストニアの首都で開催されている自動車博物館の「シーズン2014 」が5月1日からオープンしました。
住所は Paldiski maantee 135a で40のユニークな自動車等が展示されます。
ベンツ300w112などの各国の車及びソビエト時代の車などが展示されます。
博物館は5月から9・10月の11時から19時の間営業。
入場料は4.9ユーロ。
- モスクワに「死の博物館」オープン
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エリア:
- ヨーロッパ>ロシア>モスクワ
- テーマ:観光地
- 投稿日:2014/02/13 18:00
- コメント(0)
モスクワに「死の博物館」オープン
2月7日にモスクワのニューアルバートに死の博物館がオープンしました。入場は未成年は入場できません。
中国やガーナの骨壺やイタリアの骸骨、フランスの頭蓋骨、墓銘、ホラー映画の死人の複製、レーニン廟のレーニンの複製、たばこ、飛行機、札束、魚、ギター、I-PHONE等、様々な墓が展示されています。入場料は200ルーブル 営業時間は12時から24時まで。同様の博物館はペテルブルグのネフスキー通り5にもあります(昨年オープン)。
2月7日にモスクワのニューアルバートに死の博物館がオープンしました。入場は未成年は入場できません。
中国やガーナの骨壺やイタリアの骸骨、フランスの頭蓋骨、墓銘、ホラー映画の死人の複製、レーニン廟のレーニンの複製、たばこ、飛行機、札束、魚、ギター、I-PHONE等、様々な墓が展示されています。入場料は200ルーブル 営業時間は12時から24時まで。同様の博物館はペテルブルグのネフスキー通り5にもあります(昨年オープン)。
- 「ロシア全土の道路の起点」(願いが叶うモスクワの中心)
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エリア:
- ヨーロッパ>ロシア>モスクワ
- テーマ:観光地
- 投稿日:2014/01/20 18:44
- コメント(0)
「ロシア全土の道路の起点」(道路元標)
「ロシア全土の道路の起点」はモスクワの中心にあるヴァスクレセンスキー門の前、赤の広場とマネージュ広場との間にあって、正式的な呼び方は「ロシア連邦自働車道路のゼロ・キロメートル」という。
道路元標の上に立って、ヴァスクレセンスキー門に背を向けて、願いごとをかけて、うしろにコインを投げて、そのコインが道路元標を示している金属製の丸に落ちたら、願いがきっと叶うと言われている。いつからこの言い伝えができたか、その源ははっきり分からない。しかも、道路元標が作られたのは1996年で、かなり新しい名所なのに、願い事をする迷信は観光客の間でとても人気である。皆さんも願いをかけてみてください。本当に叶うかもしれないよ。
「ロシア全土の道路の起点」はモスクワの中心にあるヴァスクレセンスキー門の前、赤の広場とマネージュ広場との間にあって、正式的な呼び方は「ロシア連邦自働車道路のゼロ・キロメートル」という。
道路元標の上に立って、ヴァスクレセンスキー門に背を向けて、願いごとをかけて、うしろにコインを投げて、そのコインが道路元標を示している金属製の丸に落ちたら、願いがきっと叶うと言われている。いつからこの言い伝えができたか、その源ははっきり分からない。しかも、道路元標が作られたのは1996年で、かなり新しい名所なのに、願い事をする迷信は観光客の間でとても人気である。皆さんも願いをかけてみてください。本当に叶うかもしれないよ。
聖ワシリー大聖堂
正式名称は「堀の生神女庇護大聖堂」である。1555年から1561年にかけて、ツァーリ・イヴァン4世(雷帝)が、1552年にカザン・ハーンを捕虜とし勝利したことを記念して建設した。ちょうど生神女庇護祭だったのでこの名前をつけたのである。1588年にフョードル2世の命令によって、聖ワシリーを記念して大聖堂東側にあるワシリーの墓の上に聖堂がたてられた。
聖ワシリーは1469年に農民の家族で生まれたモスクワの佯狂者である。勤勉で、神を畏敬したワシリーは先見の明があった。16歳から人々に道徳的な生活を営むこと教えていた。一年中裸で、夜も外で過ごし、いつも精進して、困窮を忍んだ。ワシリーは生きていた時も、死んだ後も奇跡を行ったと言われている。ワシリーは嘘を見破った。イヴァン4世さえワシリーを恐れていて、ワシリーが病気にかかったとき、イヴァン4世はワシリーを見舞った。1552年8月2日にワシリーが死ぬと、イヴァン4世がその柩を運ぶのを手伝った。
現在、「堀の生神女庇護大聖堂」は「聖ワシリー大聖堂」として知られている。モスクワの主要なシンボルの一つで、世界遺産である。
正式名称は「堀の生神女庇護大聖堂」である。1555年から1561年にかけて、ツァーリ・イヴァン4世(雷帝)が、1552年にカザン・ハーンを捕虜とし勝利したことを記念して建設した。ちょうど生神女庇護祭だったのでこの名前をつけたのである。1588年にフョードル2世の命令によって、聖ワシリーを記念して大聖堂東側にあるワシリーの墓の上に聖堂がたてられた。
聖ワシリーは1469年に農民の家族で生まれたモスクワの佯狂者である。勤勉で、神を畏敬したワシリーは先見の明があった。16歳から人々に道徳的な生活を営むこと教えていた。一年中裸で、夜も外で過ごし、いつも精進して、困窮を忍んだ。ワシリーは生きていた時も、死んだ後も奇跡を行ったと言われている。ワシリーは嘘を見破った。イヴァン4世さえワシリーを恐れていて、ワシリーが病気にかかったとき、イヴァン4世はワシリーを見舞った。1552年8月2日にワシリーが死ぬと、イヴァン4世がその柩を運ぶのを手伝った。
現在、「堀の生神女庇護大聖堂」は「聖ワシリー大聖堂」として知られている。モスクワの主要なシンボルの一つで、世界遺産である。
- モスクワ市で無料のオールド・アルバート地図が旅行者に配布されます。
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エリア:
- ヨーロッパ>ロシア>モスクワ
- テーマ:観光地
- 投稿日:2013/02/20 16:14
- コメント(0)
モスクワ市で無料のオールド・アルバート地図が旅行者に配布されます。
これはオールド・アルバートが今年520周年を記念して行われます。
地図には、ブラト・オクジャワ、アナトリイ・ルイバコフ、デニス・ダヴィドフの家などが載っています、
地図は10月にロシア語、英語、中国語で配布の予定です。
オールド・アルバートはアブラツキエ門広場からスモレンスカヤまで。
最初に年代記に記されたのは1475年。アルバートの名称はアラブ語のラバット(郊外、街外れ)の複数形「アルバト」から来ています。
この名称はキプチャク汗国の時代に定着しました。
これはオールド・アルバートが今年520周年を記念して行われます。
地図には、ブラト・オクジャワ、アナトリイ・ルイバコフ、デニス・ダヴィドフの家などが載っています、
地図は10月にロシア語、英語、中国語で配布の予定です。
オールド・アルバートはアブラツキエ門広場からスモレンスカヤまで。
最初に年代記に記されたのは1475年。アルバートの名称はアラブ語のラバット(郊外、街外れ)の複数形「アルバト」から来ています。
この名称はキプチャク汗国の時代に定着しました。
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