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- ヘミングウェイが愛したハバナ&チェ・ゲバラ 革命の足跡をたどる
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エリア:
- カリブ海>キューバ>ハバナ
- カリブ海>キューバ>サンチャゴ デ キューバ
- カリブ海>キューバ>キューバその他の都市
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 その他
- 投稿日:2009/11/25 18:20
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≪キューバ横断の旅 11日間≫
左)ハバナ旧市街の風景/右)ゲームに興じる男性たち
カリブ海の真珠といわれるキューバ。美しい海岸線、サトウキビ畑やオレンジの畑、マホガニーの林が生い茂る山岳地帯・・・。カストロ新政権のもとで社会主義国でありながら独自のスタイルを守り続けてきました。ヘミングウェイゆかりの地ハバナは、カナダやヨーロッパ諸国からの観光客で賑わうリゾート地。スペイン・コロニアル時代そのままの町には、陽気なキューバ人との触れ合いが待っています。
≪ヘミングウェイを訪ねて≫
左)アンボス・ムンドスホテル/右)ヘミングウェイ博物館
『 老人と海 』 で知られるアメリカの小説家・詩人、アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ(1899年7月21日〜1961年7月2日)。スペイン内戦や第一次世界大戦にも積極的に関わり、その経験を元に 『 誰がために鐘は鳴る 』 『 武器よさらば 』 を書き上げました。1952年に出版した、キューバの老漁師を主人公とした小説 『 老人と海 』がピュリッツァー賞小説部門を獲得、54年にはノーベル文学賞を受賞。この年、二度の航空機事故にあいながらも奇跡的の生還を果たしました。晩年は躁鬱に悩まされるようになり、執筆活動も次第に滞りがちになっていき、1961年、ライフルで自殺してしまいました。
アンボス・ムンドスホテル最上階にある角部屋はヘミングウェイが滞在した部屋です。展望は最高!吹き抜ける風が気持ち良い。現在は一般に公開されている(入場料2CUC)ので、ぜひ立ち寄ってみてください。またハバナ旧市街から車で20分ほどの小高い丘の上には、ヘミングウェイが20年間過ごした家がヘミングウェイ博物館として公開されています。壁に掛けられたはく製が目を引くリビングルーム、素朴な執務室や酒瓶の並ぶダイニングなど同時の様子そのままの空間にいると、まるでタイムスリップしたかのよう・・・。いまでも多くのファンを持つヘミングウェイ。その面影はバハマの町のあちこちで見られます。
〔ヘミングウェイゆかりの地を訪問〕
●ヘミングウェイ博物館(ハバナ) ●ヘミングウェイの愛した「ホテル アンボス・ムンドス」(ハバナ) ●ヘミングウェイ胸像(ハバナ) ●「老人と海」の舞台コヒマル(ハバナ近郊) など
≪革命の足跡をたどる≫
左)革命広場に面した内務省/右)カストロのポスター
フィデル・カストロ、チェ・ゲバラらが中心となって、アメリカ合衆国の影響が強かったフルヘンシオ・バティスタ政権を打倒するに至ったキューバ革命( 1953年7月26日 - 1959年1月1日)。1953年に蜂起したカストロらは、そのころ革命勢力の結束が弱く失敗に終わる。しかし1958年には反政府各派の共同戦線が結束。1959年1月1日にハバナ占領を果たして革命政権を成立させ、1961年に社会主義を宣言しました。その後、チェ・ゲバラ氏は1967年10月8日ボリビアにて銃殺されています。
一方、新政権を樹立したカストロ氏は医療の無料化、教育の無償化、公共施設の是正、土地の国有化、企業の国営化などをすすめ、社会主義国として多くの問題に直面しながらも、独自のスタイルを守り続けてきました。カストロ氏は昨年(2008年)国家元首にあたる国家評議会議長を引退。約50年にわたり、ソ連崩壊後も反米勢力の急先鋒として社会主義国家を率いてきたカストロ時代は事実上、幕を降ろしました。
日本は2004年にキューバと外交関係樹立75周年を迎えています。
〔革命の足跡を訪問〕
●革命広場、革命博物館(ハバナ) ●革命家達の隠れ家グランヒータシボネイ、モンカダ兵営、モロ要塞、サンタイフィヘニア墓地(サンチアゴ・デ・クーパ) ●革命軍司令部跡ラ・プラタ(ビラ・サントドミンゴ) ●キューバ革命勝利の戦場ゲバラ霊廟と革命広場(サンタクララ) など
左)ハバナ旧市街の風景/右)ゲームに興じる男性たち
カリブ海の真珠といわれるキューバ。美しい海岸線、サトウキビ畑やオレンジの畑、マホガニーの林が生い茂る山岳地帯・・・。カストロ新政権のもとで社会主義国でありながら独自のスタイルを守り続けてきました。ヘミングウェイゆかりの地ハバナは、カナダやヨーロッパ諸国からの観光客で賑わうリゾート地。スペイン・コロニアル時代そのままの町には、陽気なキューバ人との触れ合いが待っています。
≪ヘミングウェイを訪ねて≫
左)アンボス・ムンドスホテル/右)ヘミングウェイ博物館
『 老人と海 』 で知られるアメリカの小説家・詩人、アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ(1899年7月21日〜1961年7月2日)。スペイン内戦や第一次世界大戦にも積極的に関わり、その経験を元に 『 誰がために鐘は鳴る 』 『 武器よさらば 』 を書き上げました。1952年に出版した、キューバの老漁師を主人公とした小説 『 老人と海 』がピュリッツァー賞小説部門を獲得、54年にはノーベル文学賞を受賞。この年、二度の航空機事故にあいながらも奇跡的の生還を果たしました。晩年は躁鬱に悩まされるようになり、執筆活動も次第に滞りがちになっていき、1961年、ライフルで自殺してしまいました。
アンボス・ムンドスホテル最上階にある角部屋はヘミングウェイが滞在した部屋です。展望は最高!吹き抜ける風が気持ち良い。現在は一般に公開されている(入場料2CUC)ので、ぜひ立ち寄ってみてください。またハバナ旧市街から車で20分ほどの小高い丘の上には、ヘミングウェイが20年間過ごした家がヘミングウェイ博物館として公開されています。壁に掛けられたはく製が目を引くリビングルーム、素朴な執務室や酒瓶の並ぶダイニングなど同時の様子そのままの空間にいると、まるでタイムスリップしたかのよう・・・。いまでも多くのファンを持つヘミングウェイ。その面影はバハマの町のあちこちで見られます。
〔ヘミングウェイゆかりの地を訪問〕
●ヘミングウェイ博物館(ハバナ) ●ヘミングウェイの愛した「ホテル アンボス・ムンドス」(ハバナ) ●ヘミングウェイ胸像(ハバナ) ●「老人と海」の舞台コヒマル(ハバナ近郊) など
≪革命の足跡をたどる≫
左)革命広場に面した内務省/右)カストロのポスター
フィデル・カストロ、チェ・ゲバラらが中心となって、アメリカ合衆国の影響が強かったフルヘンシオ・バティスタ政権を打倒するに至ったキューバ革命( 1953年7月26日 - 1959年1月1日)。1953年に蜂起したカストロらは、そのころ革命勢力の結束が弱く失敗に終わる。しかし1958年には反政府各派の共同戦線が結束。1959年1月1日にハバナ占領を果たして革命政権を成立させ、1961年に社会主義を宣言しました。その後、チェ・ゲバラ氏は1967年10月8日ボリビアにて銃殺されています。
一方、新政権を樹立したカストロ氏は医療の無料化、教育の無償化、公共施設の是正、土地の国有化、企業の国営化などをすすめ、社会主義国として多くの問題に直面しながらも、独自のスタイルを守り続けてきました。カストロ氏は昨年(2008年)国家元首にあたる国家評議会議長を引退。約50年にわたり、ソ連崩壊後も反米勢力の急先鋒として社会主義国家を率いてきたカストロ時代は事実上、幕を降ろしました。
日本は2004年にキューバと外交関係樹立75周年を迎えています。
〔革命の足跡を訪問〕
●革命広場、革命博物館(ハバナ) ●革命家達の隠れ家グランヒータシボネイ、モンカダ兵営、モロ要塞、サンタイフィヘニア墓地(サンチアゴ・デ・クーパ) ●革命軍司令部跡ラ・プラタ(ビラ・サントドミンゴ) ●キューバ革命勝利の戦場ゲバラ霊廟と革命広場(サンタクララ) など
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- ハバナ ヘミングウェイ キューバ カストロ チェ・ゲバラ
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