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京都中心部を走る地下鉄。
今日は、河原町三条を上がったところの、
京都市役所前駅で下車。
普段から運動のため
階段を使って地上に上がっている私ですが、
何やら階段に文字を発見。
よく見ると・・・
794うぐいす平安京
そして祇園祭の始まりなど年表が。
その横には
数字が書いてます。
歴史を見ながらのカロリー消化。
これは京都らしい使い方ですね。
今日は、河原町三条を上がったところの、
京都市役所前駅で下車。
普段から運動のため
階段を使って地上に上がっている私ですが、
何やら階段に文字を発見。
よく見ると・・・
794うぐいす平安京
そして祇園祭の始まりなど年表が。
その横には
数字が書いてます。
歴史を見ながらのカロリー消化。
これは京都らしい使い方ですね。
大阪城の北側、山里丸方面から天守閣に向かうと、
多くの観光客が訪れる天守閣の南側とは
真逆の位置に入ってきます。
天守閣を北側から入る。
天守閣の右側(西側)にちょっと変わった場所があります。
「隠し曲輪(くるわ)」と呼ばれるスペースです。
実はここに軍勢が隠れていて、
いざ敵が北側から攻めてきた時に、
天守閣ばかりに気を取られていると、
横から攻撃を受ける仕組みになっていたのです。
隠し曲輪(くるわ)の入り口はこんなに狭い。
確かに、現在でも観光客のほどんどがこの「隠し曲輪」に気付かず、
天守閣を目指していることでしょう。
立派な説明ボードもあります。
その隠し曲輪の中に入ってみると、
石垣に刻まれたこんなマーク?が目に入ります。
これは「丸に花クルス」と呼ばれる
伊予・大洲藩(愛媛県)の加藤家の刻印です。
徳川幕府による大阪城再築の際、
多くの大名が区域を分担していて
その大名がどの場所を作ったか、
という印にしているのです。
山里丸の中には、
刻印石を集めている広場があるので、
のぞいてみるもいいですね。
広場には刻印の説明もあります。
多くの観光客が訪れる天守閣の南側とは
真逆の位置に入ってきます。
天守閣を北側から入る。
天守閣の右側(西側)にちょっと変わった場所があります。
「隠し曲輪(くるわ)」と呼ばれるスペースです。
実はここに軍勢が隠れていて、
いざ敵が北側から攻めてきた時に、
天守閣ばかりに気を取られていると、
横から攻撃を受ける仕組みになっていたのです。
隠し曲輪(くるわ)の入り口はこんなに狭い。
確かに、現在でも観光客のほどんどがこの「隠し曲輪」に気付かず、
天守閣を目指していることでしょう。
立派な説明ボードもあります。
その隠し曲輪の中に入ってみると、
石垣に刻まれたこんなマーク?が目に入ります。
これは「丸に花クルス」と呼ばれる
伊予・大洲藩(愛媛県)の加藤家の刻印です。
徳川幕府による大阪城再築の際、
多くの大名が区域を分担していて
その大名がどの場所を作ったか、
という印にしているのです。
山里丸の中には、
刻印石を集めている広場があるので、
のぞいてみるもいいですね。
広場には刻印の説明もあります。
昨年、現在の天守閣になって80年をむかえた大阪城。
80周年の記念パネル
大阪城といえば、天守閣。
たこ焼き屋さんからの眺め
観光で楽しむには天守閣は外せませんが、
実はほかにも見どころがいっぱいなのです。
ということで、
大阪検定受験のために
昨年の春から夏にかけて訪れた大阪城を
数回に分けてアップしていこうと思います。
まず、大阪城巡りに便利なお供本がこれ。
分かりやすい解説がおすすめです。
では、まずは、城の北側から。
このゆがんだ石垣は、
第二次大戦の空襲の跡。
当時大阪城は陸軍の拠点だったのです。
幸い天守閣は無事でしたが、
戦争の傷あとはこんなところにも。
大阪城には多くの石垣があります。
そんな石垣に寄ってみると、
ところどころ何やらマークが付いた石があります。
マークについては次回へ続きます。
80周年の記念パネル
大阪城といえば、天守閣。
たこ焼き屋さんからの眺め
観光で楽しむには天守閣は外せませんが、
実はほかにも見どころがいっぱいなのです。
ということで、
大阪検定受験のために
昨年の春から夏にかけて訪れた大阪城を
数回に分けてアップしていこうと思います。
まず、大阪城巡りに便利なお供本がこれ。
分かりやすい解説がおすすめです。
では、まずは、城の北側から。
このゆがんだ石垣は、
第二次大戦の空襲の跡。
当時大阪城は陸軍の拠点だったのです。
幸い天守閣は無事でしたが、
戦争の傷あとはこんなところにも。
大阪城には多くの石垣があります。
そんな石垣に寄ってみると、
ところどころ何やらマークが付いた石があります。
マークについては次回へ続きます。
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