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- 唐代公主の冠が修復成功
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エリア:
- アジア>中国>西安(セイアン)
- テーマ:その他
- 投稿日:2010/07/13 10:21
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この間、陝西省考古研究院とドイツの考古専門家の努力によって、今から1200年前の唐代の公主の冠を修復した。
この冠は2001年、西安の東の郊外にある唐代古墳から出土された物で、この古墳の主は唐の高宗李淵の第五代目の孫娘です。墓誌の内容により、この唐代公主の姓名は李倕で、字は淑嫻です。開元24年(西暦736年)に病没して、享年は25歳でした。
同古墳から陶磁器や青銅器、金銀器、紡績品などの副葬品が沢山出土されたが、やっぱりこの冠が一番注目されていた。本体の重さは800グラム、 380の部品から組立てていた。トルコ石、琥珀、真珠、ルビー,ガラス、貝殻、瑪瑙、金銀、銅、鉄などの材料を使っていた。細工が細かくて、レンズはないと見えないほど小さいな金銀の玉の直径は0.2ミリーしかないのです。丸一年間もかけて修復されたこの冠は世界唯一だと言われています。
この冠は2001年、西安の東の郊外にある唐代古墳から出土された物で、この古墳の主は唐の高宗李淵の第五代目の孫娘です。墓誌の内容により、この唐代公主の姓名は李倕で、字は淑嫻です。開元24年(西暦736年)に病没して、享年は25歳でした。
同古墳から陶磁器や青銅器、金銀器、紡績品などの副葬品が沢山出土されたが、やっぱりこの冠が一番注目されていた。本体の重さは800グラム、 380の部品から組立てていた。トルコ石、琥珀、真珠、ルビー,ガラス、貝殻、瑪瑙、金銀、銅、鉄などの材料を使っていた。細工が細かくて、レンズはないと見えないほど小さいな金銀の玉の直径は0.2ミリーしかないのです。丸一年間もかけて修復されたこの冠は世界唯一だと言われています。
はじめまして、西遊キーのsyoiです。本日よりブログを始めます。日本語力は不足で、文法のミスとか言葉の不適切とかがありましたら、コメントしていただければ、とても嬉しいです。
2002年に日本の東京(蒲田)に2週間滞在しました。仕事で行きましたが、休みが多かったから、ハトバスで浅草、東京タワー、東京駅、皇居などに回りました。ガイドさんはきれい若い女性でした。乗車から降りるまでガイドさんはずっと敬語で説明していただいて、わかりにくくて寝てしまいました。(ガイドさんに失礼しました)
日本の方はとても親切です。迷子になる時に買い物する時に、現地の一般市民がとても親切に対応していただいて、あったかい感じがしました。今でも覚えていることは駅が見つからなかった私は街の男性に聞きましたが、よくわからなかったから、途中で迷っているときに、先ほどの男性は自転車に乗ってきまして、もう一度詳しく説明してくれました。その安心な笑顔は覚えています。いまでも。
今私は中国西安に住んでいます。中国では、日本の方は旅の目的地といえば、上海、大連、北京など中国東部の都市が多いです。西安はあんまり来ませんね。西安昔は長安と呼ばれ、秦の始皇帝時代、漢の時代、玄宗皇帝の唐の時代に中国の都でした。内陸都市ですから、気候は日本と違います。これも日本の方があんまり来ない原因のひとつかもしれませんね。
西安に知っている方が少ないと思います。今日から西安を紹介させていただきます。よろしくお願いします。
2002年に日本の東京(蒲田)に2週間滞在しました。仕事で行きましたが、休みが多かったから、ハトバスで浅草、東京タワー、東京駅、皇居などに回りました。ガイドさんはきれい若い女性でした。乗車から降りるまでガイドさんはずっと敬語で説明していただいて、わかりにくくて寝てしまいました。(ガイドさんに失礼しました)
日本の方はとても親切です。迷子になる時に買い物する時に、現地の一般市民がとても親切に対応していただいて、あったかい感じがしました。今でも覚えていることは駅が見つからなかった私は街の男性に聞きましたが、よくわからなかったから、途中で迷っているときに、先ほどの男性は自転車に乗ってきまして、もう一度詳しく説明してくれました。その安心な笑顔は覚えています。いまでも。
今私は中国西安に住んでいます。中国では、日本の方は旅の目的地といえば、上海、大連、北京など中国東部の都市が多いです。西安はあんまり来ませんね。西安昔は長安と呼ばれ、秦の始皇帝時代、漢の時代、玄宗皇帝の唐の時代に中国の都でした。内陸都市ですから、気候は日本と違います。これも日本の方があんまり来ない原因のひとつかもしれませんね。
西安に知っている方が少ないと思います。今日から西安を紹介させていただきます。よろしくお願いします。
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