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エリア:
- ヨーロッパ > ボスニア・ヘルツェゴビナ > サラエボ
- ヨーロッパ > ボスニア・ヘルツェゴビナ > モスタル
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テーマ:
- 観光地
- / 街中・建物・景色
- / 歴史・文化・芸術
ヨーロッパにあるイスラム色が強い国ボスニア。
この国を最初に訪れたのは2007年でした。
旧ユーゴ紛争は、どの民族が被害者で、どの民族が加害者かというものではなく、どの民族も互いに傷つけられていたし、傷つけていた。
しかし、当時の世論は「セルビア=悪」という見方でかたよっており、その後の支援もかたよっている。
というのは、今でこそ知られた事実かと思いますが、それを実際、現地に行くことにより、感じました。
最も戦いの激しかった地域のひとつであるが、多大な復興支援を得られたサラエボの現在のにぎわい・街の復興ぶりは、支援の少ない隣のベオグラードとくらべたら、10年.20年の違いを感じました。
サラエボもまだ戦いの跡はあちこちに残っているものの、人々の雰囲気は明るく、それがもはや過ぎ去った大きな歴史の一部として捉える事が出来つつあるように思いました。
ただ、サラエボは、なかでも特別なのかと思います。
モスタルは、オールドブリッジを中心とした旧市街のごく一部こそ、きれいに修復されてはいるものの、すこしそこを離れると、まだまだ痛々しい跡はたくさんあり、それらは生活の一部として存在しているというように感じました。
この国を最初に訪れたのは2007年でした。
旧ユーゴ紛争は、どの民族が被害者で、どの民族が加害者かというものではなく、どの民族も互いに傷つけられていたし、傷つけていた。
しかし、当時の世論は「セルビア=悪」という見方でかたよっており、その後の支援もかたよっている。
というのは、今でこそ知られた事実かと思いますが、それを実際、現地に行くことにより、感じました。
最も戦いの激しかった地域のひとつであるが、多大な復興支援を得られたサラエボの現在のにぎわい・街の復興ぶりは、支援の少ない隣のベオグラードとくらべたら、10年.20年の違いを感じました。
サラエボもまだ戦いの跡はあちこちに残っているものの、人々の雰囲気は明るく、それがもはや過ぎ去った大きな歴史の一部として捉える事が出来つつあるように思いました。
ただ、サラエボは、なかでも特別なのかと思います。
モスタルは、オールドブリッジを中心とした旧市街のごく一部こそ、きれいに修復されてはいるものの、すこしそこを離れると、まだまだ痛々しい跡はたくさんあり、それらは生活の一部として存在しているというように感じました。
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